2023-02-23 Thu
どうもご無沙汰しております。JDA秋季大会もぶっとばして半年ぶりの登場です。さて、今回は、先日発表のあった第28回ディベート甲子園の論題をテーマにします。中高ともに興味深い新論題ということで、面白いシーズンになりそうですが、今回は高校の電子監視制度論題を取り上げます。
この論題は制度をどのように仕組むかが難しく、イメージのしにくいところです。論題解説もでており、参考にはなるのですが、後でも触れる通り、論題の解釈に関する説明には不正確ないし不十分な点が散見されるところであるため、主にそのあたりをカバーすることを試みることにします。単なるスヌーピストの意見ですのでどこまで役立つか分かりませんが、選手の皆様の参考になれば幸いです。
なお、今季の高校論題は、平成28年度の司法試験論文試験公法系第1問(憲法)で類似の制度が出題されています(問題/出題趣旨/採点実感)。それだけ難しいテーマを取り扱っているということがお分かりいただけると思います(なお、出題趣旨には参考になるとともに異様にレベルの高い記載がありますが、このようなことが書けなくても十分合格答案は書けるので法律家志望の方はご安心ください。)。
この問題には今季論題で採用し得る具体的な制度の例が記されているほか、出題趣旨や採点実感では、電子監視制度についてどのような点が考慮される必要があるのかというヒントが色々と記載されていますので、参考にされるとよいでしょう。
第28回ディベート甲子園高校論題の私的解説(論題の解釈を中心に)
1 論題の解釈
今季高校論題は以下のとおり定められています。
「日本は有罪判決を受けた者に対する電子監視制度を導入すべきである。是か非か」
*殺人、性犯罪、強盗、その他肯定側の定める対人暴力犯罪により懲役または禁錮の有罪判決を受けた者を電子監視の対象とできる。
*電子監視の対象者に移動の制限を課し、常時 GPS 端末の装着を義務付ける。
この論題について、どんな制度を構築することができるでしょうか。以下、具体的に見ていきましょう。
(1) 電子監視制度の対象者
「有罪判決を受けた者」とは?
まず、この論題は「有罪判決を受けた者」を電子監視制度の対象としています。付帯文第1項からより正確に言えば「懲役または禁錮の有罪判決を受けた者」ということになります。
「有罪判決が確定した者」ではなく、有罪判決を受ければ足りるので、上訴せず、あるいは上告審で有罪が確定していない者でもプランの対象にすることができます。例えば、起訴後勾留されていたが保釈されていたところ有罪判決を受けて上訴した者で、再保釈された判決未確定の者(禁錮以上の刑の有罪判決の宣告があると保釈は取り消され、再保釈を要します。刑訴法343条)も対象となり得ることになります。他方で、一度有罪判決の宣告を受けても、上訴で覆され無罪となった場合、有罪判決は取消し又は破棄されたことになるため、プランの対象からは除外されます。
なお、論題解説の3~4頁にある例6は、有罪判決言渡し前に被告人勾留について保釈を受けているケースを説明するものですので、上記指摘とは矛盾しません。
論題の解釈とは少し離れますが、再保釈中の者については、判決が確定しておらず、無罪推定が及ぶべきであるにもかかわらず、人権侵害を伴う監視制度の対象にしてよいのかという問題が考えられそうです。プランで「有罪が確定した者に限る」ことは論題に違反しないと思われるので、そのような措置を取ることも考えられますが、一審で有罪判断されたことをもって一定の侵害措置が正当化される(例えば、刑訴法も上記のとおり有罪判決の宣告により保釈を取り消すことにしており、また刑訴法344条は再保釈が認められる場合を制限しています。)という考えもあり得なくはないでしょう。いずれにせよ、「有罪判決を受けた者」に、有罪が確定していない者も含まれ得るということは、意識しておいてよいと思います。
執行猶予付き判決も有罪判決なので、執行猶予中の者もこの論題の対象になります。
また、論題解説2~3頁では、仮釈放中の者については制度の対象として想定していないように読める記載がありますが、論題の文言上、服役中でも判決を受けた者に入るので、仮釈放中の者も制度対象とすることに支障はなさそうです。では、仮釈放中の者のみを対象にするというプランは許容されるでしょうか。懲役ないし禁錮の期間内のことでもあるため、制約はやむを得ない(刑務所にいるよりまし)という話もできそうであり、もし可能であれば流行りそうな雰囲気のするプランです。論題解説者はこのようなプランは対象外と考えているように思われますが、そういう議論はやめてほしいということであれば、「刑期満了後の電子監視制度」といった文言を採用することなどもできたはずであり、そのような文言が論題にない以上、仮釈放限定プランが排除されていると読む根拠は乏しいように思います。論題解説2頁左段の記載からは、今も仮釈放中は移動の制限があるので論題は実現済という考えであるとも読めるのですが、GPSによる監視はないので、これを付け加える点で論題は現状を変更する内容になっています。というわけで、仮釈放限定プランは論題を満たすように思われますが、それが肯定側のオプションとして有力であるとは限らないので、採用するかどうかは皆様の検討に委ねます。
どんな犯罪が対象になるのか?
付帯文の第1項では、「殺人、性犯罪、強盗、その他肯定側の定める対人暴力犯罪」で懲役または禁錮の有罪判決を受けた者を対象にすることが「できる」と定められています。
ここでは、「殺人、性犯罪、強盗、その他肯定側の定める対人暴力犯罪」という文章で「その他」という言葉が使われていることがポイントです。実は法制執務上、「その他」と「その他の」には大きな違いがあります。前者は、「その他」の前にある名詞と後ろにある名詞が対等な関係にあることを意味します。後者は、「その他の」の前にある名詞が後ろにある名詞の例示になっている、ということになります。「スヌーピー、ジャフバ、その他人気キャラクター」という文章は、スヌーピー(人気キャラクター)、ジャフバ(某団体会の広報キャラクター。誰も知らない)、人気キャラクターは並列の関係にあるので、人気キャラクターでないジャフバが入っていても問題になりませんが、これを「スヌーピー、ジャフバ、その他の人気キャラクター」に変えてしまうと、ジャフバが「人気キャラクター」の例示になってしまい、おかしな文章になってしまうというわけです(「スヌーピー、ピカチュウ、その他の人気キャラクター」なら大丈夫そうですが、ピカチュウを同じ黄色のウッドストックに変えたときに成り立つかはDebatableかもしれません。)。(※「その他/その他の」の違いに関する参考サイト)
付帯文に戻ると、ここでは「その他」が使われているので、殺人、性犯罪、強盗、対人暴力犯罪は並列の関係にあります。後述のとおり「対人暴力犯罪」が何を指すのかは不明なのですが、「殺人、性犯罪、強盗」は「対人暴力犯罪」の例示ではないので、暴力性のなさそうな性犯罪、たとえば盗撮や児童ポルノ所持といった犯罪も対象にできることになりそうです。
また、「対人暴力犯罪」についても対象にできるとされていますが、法律上、このような言葉の定義は存在しません。上記のとおり、「殺人、性犯罪、強盗」が「対人暴力犯罪」の例示ということでもありません(実際は例示と考えているのではないかと思いますが、論題検討委員には法律家が複数名含まれているので、例示としないよう敢えて「その他」を使っている可能性があります)。
「暴力」は物理的な有形力の行使(暴行)のみならず言葉による精神的な攻撃も含み得るところですが、電子監視制度の内容である移動の制限やGPSによる位置情報の把握の必要性という点で考えると、少なくとも近接した距離で人を攻撃するような犯罪を対象とすることが想定されているものと考えられます(このような考え方からは、そのような性質を有さない犯罪は「性犯罪」でも対象から除外すべきという結論も導かれます。)。定義がはっきりしないので議論の余地はありそうですが、プランを出す側からすれば、無理に対象を広げてアクションと無関係な対象を取ることはしないだろうと思いますので、このあたりが試合で問題になることはなさそうです。わざわざ「侮辱罪や名誉毀損罪も対象にしよう」と言い出すチームはいないでしょう。
最後に、付帯文の第1項が「できる」という言葉で終わっていることも重要です。ここからは、「殺人、性犯罪、強盗、その他肯定側の定める対人暴力犯罪により懲役または禁錮の有罪判決を受けた者」の全部を対象にする必要はなく、そのうち一部だけ対象にすれば足りるということが分かります。例えば、「性犯罪(のうち強姦、強制わいせつ等一部の類型)」のみを電子監視制度の対象にするプランも論題内だということです。
この点、論題解説3頁の左段下部には「今回の論題の付帯文は「殺人、性犯罪、強盗、その他肯定側の定める対人暴力犯罪」となっていますから、「殺人、性犯罪、強盗」の 3類型については、肯定側の設定にかかわらず、電子監視の対象となります。よって、肯定側はあくまでも、「殺人、性犯罪、強盗」の部分については、必ず電子監視の対象に入れる必要があります。」と書かれていますが、この記載は根拠を欠くばかりか付帯文の明文に反しているので、端的に言って誤りと考えられます。論題解説に拘束力はありませんが、誤解を招くので、同様の誤りを前提とする3頁右段の例4の説明とともに修正したほうがよいと考えます(そもそも、その上の方に「「電子監視の対象とできる」と書かれているとおり、今回の論題においては、「殺人、性犯罪、強盗、その他肯定側の定める対人暴力犯罪により懲役または禁錮の有罪判決を受けた者」のうち、その全員を電子監視の対象者にしなければならないわけではありません。」と書かれている――これは正しい説明です――こととも矛盾しています。)。
(2) 電子監視制度の内容
電子監視制度の具体的な内容は、付帯文第2項に「電子監視の対象者に移動の制限を課し、常時GPS端末の装着を義務付ける」とあるとおりです。電子監視というネーミングから直ちに想起されない「移動の制限」も含まれていることがポイントです。移動の制限とGPS端末の常時装着の両方を含まなければ、論題の言う電子監視制度には該当しないということになります。
移動の制限とは?
「移動の制限」の範囲や制限方法については、具体的な定めがないので、肯定側に裁量が認められそうです。
制限の範囲(対象)については、問題となる犯罪の類型等から、制限を必要とする具体的な事情ごとに設定することが考えられます。特定人への強い敵意に基づく犯罪であった場合、当該人物への接近を禁じるような措置が考えられますし、児童を対象にする性犯罪の常習者である場合、児童が通う学校等への接近を禁じることが考えられます。
もっとも、このように具体的な指定をするのではなく、「怪しい動きをした場合」に「必要な範囲で区域を指定する」という事後的・流動的な制限を課す方法も考えられます。目的達成の観点からはこちらの方が有効でしょう。
この点、冒頭紹介した司法試験の問題では、強姦等の性犯罪を念頭に「幼児を保育する施設又は学校及びそれらの周辺道路」や「公園又は山林及びそれらの周辺道路」という類型的に性犯罪に及ぶ危険性の高そうな場所を「一般的危険区域」と指定しつつ、監視の結果「監視対象者が一般的危険区域に立ち入った際の行動その他の事情により、当該監視対象者が性犯罪を行う危険性があると認めるとき」には、一般的危険地域の中で立ち入りを禁止すべき特定の場所を「特定危険区域」とし、立ち入りへの警告や禁止命令を出すという、上記両方の合わせ技的な制度――ここでは一般的危険区域の立ち入りは禁止されていないので、なるべく制約の度合いを低くするよう工夫する方向で合わせ技が使われている――を想定しています。
制限の範囲を設定する際に留意すべきは、その設定方法によって、必然的に、GPSで取得する位置情報の活用方法が変わってくるということです。制限の範囲を一義的に特定するのであれば、人間の判断を介在させずにGPSにより把握された対象者の位置が規制区域に入っているかどうかを機械的に判断するだけに留めるという措置も可能になりますが、具体的な危険性の有無を判断する(こちらのほうが移動の自由の制約度合いを低くできる可能性がある)場合、人間がGPSを見て「怪しい動き」かどうかを評価する必要性が出てくるため(AIがやってくれるということがあるのかもですが…)、プライバシーとしての移動経歴情報が取得されてしまうという懸念を避け難くなります。この点は重要ですので後でももう一度触れます。
制限をどのように実現するかという点については、違反した場合それを犯罪にするという方法(GPSにより違反の事実を確認することができます。)が考えられますが、論題解説にあるように、GPSで違反が確認されたら警告音がなったり捜査当局に通報が行くといった、より前のめりな措置を取ることも考えられます。SF映画よろしく、違反したら爆発する首輪的なものも論題内にはなるでしょうが、非人道的なので素人にはお勧めできないプランです。
位置情報の取得・利用方法
GPS端末については、取り外せないようなブレスレットなり首輪(!)で装着するということも考えられますが、制度の趣旨からすると簡単に外せないほうがよいことや、装置が見えるとそれ自体が差別の原因になりかねないということもあるので、体内にGPS機能付きのチップを埋め込むなどの方法も考えられそうです。この点も肯定側の裁量に委ねられるところです。もちろん、体内へのGPS埋め込みはそれ自体が身体への侵襲的措置であり人権侵害であるとの批判も可能であり、ディベート的には何となく議論しにくい感はあるものの、実際には無視し難い問題を構成するものです。
より重要であるのは、GPS端末で取得する情報の取り扱いをどうするかということです。これも肯定側の裁量に委ねられるところではあります。
情報の利用・公開を最小化するプランとしては、移動の制限のため必要な範囲にとどめ、当局も含めて位置情報にアクセスすることは認めず、制限範囲内に入った時に警告を受け取るだけにする、というものが考えられます。この場合、プライバシーの侵害は少なくなりますが、再犯防止等の措置の実効性を高めるという点では不十分なことが否めません。
これに対して、情報を最大限利用する方法としては、捜査当局や公衆(ないしは被害対象となり得る特定人?)がアクセスできるサイトで犯罪者の位置情報(さすがに公衆に公開する情報は匿名化すべきように思います)を確認できるようにする、といった制度も考えられます。例えば、司法試験の問題では、警察署に大型モニターを置いて現在地を常に確認し、性犯罪やその準備行為を行っている疑いがある場合には警察官が現場に急行できるよう見張る(例えば、仕事等と関係ないのに小学校の登下校路らしき場所をうろついているとか、何故か人気のいない山林の中にいるなどしていれば怪しいということになりそうです)という制度設計になっています。
制度の目的との関係でどこまでの利用が必要かという点と、それによるプライバシー情報の取得・公開による弊害を比較考量し、妥当な制度設計を考える必要があります。
そもそも誰がどのような形で監視を決めるのか
論題では、有罪判決を受けた場合に必ず電子監視制度の対象にするということにはなっていないので、電子監視制度の対象にするかどうかを誰がどうやって決めるか、ということも考える必要があります。
裁判所が判決とともに電子監視制度の対象にするか決めるという制度ももちろん考えられます。もっとも、再犯可能性を公判の中で審理することが適切かという疑問もあり、裁判所が監視の必要性を主体的に判断するというよりは、検察や公安委員会等の行政機関が個別の事情に基づき電子監視制度の適用を定めるといった仕組みも考えられます(いわゆるストーカー規制法の禁止命令も公安委員会が出します。)。裁判所への申立てをさせて司法審査を経る必要性を課すことも一案です。
監視を決める際には、監視の範囲や期間についても定める必要があるでしょう。また、一度監視が決まっても、更生が十分確認されたなど、監視の必要性が失われた場合、途中で取り消せる仕組みもあると望ましいでしょう(ディベートでデメリットを防ぐ議論とするには、プランの効力や実行可能性も説明できるようにしておく必要があります。)。
制度の目的
電子監視制度の目的としてどのようなものを取れるか、ということも問題になります。
この点、論題解説1頁では、「刑務所における懲役刑・禁錮刑等の拘禁刑の代わりに、毎日決められた時間帯の自宅待機を命ずる際に使われる制度」は想定外であり、「拘禁刑を終えて、社会へと復帰した元受刑者に対して、GPS端末を装着させることで、その行動を把握・制限する制度」が想定されていると説明されています(なお、論題の文言上、拘禁刑を終えたものに限られていないことはすでに指摘した通りです。)。前者のような目的による制度が論題外になるのかという点は議論の余地があるように思いますが、付帯文第1項が「懲役または禁錮の有罪判決を受けた者」を電子監視制度の対象としており、電子監視制度自体は懲役や禁錮といった刑罰そのものではないという理解を前提にしていると解されることからすれば、刑罰の代替として制度を用いることは付帯文1項に反するといえそうです。
ただ、このような解釈を普通の高校生が簡単にできるわけではないと思いますので、付帯文でもう少し分かりやすく注記するか、論題解説に解釈の根拠を付記してもよかったのではないかという気はします。
2 今季論題の展望
詳細を書く時間と能力がないため、ポイントを絞って若干思うところを記載しておくにとどめます。
問題となる権利
今回の論題では、「移動の自由」と「プライバシー」の2つが問題となります。論題の字面だけからすると後者のみが気になりそうですが、実は後者はプランの選択次第で(ほとんど)問題にならなくなる可能性もあるため、前者の方が本質的制約であるように思われます。
とはいえ、GPSによる監視は、一般的にはプライバシーの制約が問題とされるところです。
この点、GPS端末をひそかに車両に装着する捜査方法の違法性(無令状で行えるか否か)が問題となった最大判平成29年3月15日は、「GPS捜査は、対象車両の時々刻々の位置情報を検索し、把握すべく行われるものであるが、その性質上、公道上のもののみならず、個人のプライバシーが強く保護されるべき場所や空間に関わるものも含めて、対象車両及びその使用者の所在と移動状況を逐一把握することを可能にする。このような捜査手法は、個人の行動を継続的、網羅的に把握することを必然的に伴うから、個人のプライバシーを侵害し得るものであ」ると判示しています。
上記判示の意味を理解するため、位置情報によってどんなプライバシーが制約されるのか、具体的に考えてみましょう。位置情報を継続的網羅的に把握されるということは、その人がどういう行動をとっているかが把握されてしまうこととイコールです。移動経路を追っていけば、その人の職場、行きつけの店、趣味(例えば特定アイドルのライブがある日にその会場にいる事実等から推察できます。)等をある程度想起することが可能です。想像してみるとかなり辛いところがあるでしょう。
このように、GPSで侵害されるプライバシーは、前科のあるなしにとどまらない、異質のものであるということができます。
継続的な把握を通じてプライバシー情報を把握することが問題である(その瞬間にどこにいるかという情報だけでは高度なプライバシーになるとは限らない)ということからは、個々の位置情報を匿名化して特定個人との紐づけができないようにすれば、プライバシー侵害の程度は低く、公開しても問題になりにくいという考え方はできるかもしれませんが、例えば、周りに人がいないところでスマホから情報サイトを見るとその人だと分かってしまう、といった形で特定される可能性は常にあります(この場合、前科情報を知られるという意味でのプライバシー侵害も問題になり得ます。)。
いずれにせよ、制度により達成しようとする利益(すなわちメリット)との関係で、必要な限度を超えて位置情報を利用・公開することには、プライバシー侵害の問題が生じ得るということになります。特に、位置情報を経時的に把握できるようにする場合、様々なプライバシー情報が取得できてしまうという点で危険性が大きいということが意識される必要があるでしょう。さらに、それを捜査機関が取得し、それに基づき対象者の行動を制約するということも考えると、国家により行動を把握され、制限を受けるという、高度の権利侵害を構成することになります。
移動の自由については、言うまでもなく行動制限であり、正当な理由なく認められるべきでない権利侵害であることは論を俟ちません。もっとも、日本の法制度上、いわゆるDV防止法上の接近禁止を含む保護命令や、いわゆるストーカー規制法上のつきまとい等の禁止命令といった形で、一定の事由による移動の自由制限を課す制度があります。GPSで制約の実効性を担保するという点で質的差異はありますが、どのような根拠で、どのような行動を制約するかということを考える上では参考になりそうです。
各犯罪との関係で、移動の自由を制約する必要性や範囲としてどういうものが考えられるのか(おそらく事案による)ということが問題になりそうです。具体的にどういう制約が想定されるのかという話のほか、制約の必要性や相当性を判断権者がよく判断できるのか、といったことも議論になり得るところです。
抽象論だけでなく具体的な話をしよう
選手の皆様におかれては、この手の論題では権利論が大事だ、ということで、いろいろと大上段の議論を試みることになるでしょう。もちろん抽象的な権利論も大事ですが、それと同じくらい、というかそれ以上に、制度の仕組みや、それによって何が実現し、どんな利益が制約されるのか、という具体的な話も重要になってきます。
プライバシーだ!移動の自由だ!再犯予防、生命権だ!といった話だけでなく、それらの権利が存在することを踏まえて、どのような制度を設計するのか、その制度で何が実現され、その中で対象者が何を失うのか、といったことを具体的に議論できるようになる必要があります。そのためには、単にプレパして弾薬を集めるだけでなく、そこで何を言っているのかを消化する必要があります(この論題に限った話ではないですが)。
もちろん、皆様には、そのような個別具体的な考察にとどまるのではなく、社会としてこの論題を受け入れるべきか否かという答えをどのように導き出すかという問題への回答も求められています。しかしながら、具体的な話を欠いたまま抽象論に飛びつくのではなく、具体的思考を積み上げる、あるいは抽象的な理念を掘り下げて具体化していくといった形で、地に足をつけた議論をすることが大事です。
例年通り、挑戦しがいのある難しい論題ですが、皆様が、今シーズン、具体的な思考と抽象的な考察を交互に行き来しつつ、議論を深め、議論を楽しまれることを期待しております。
2022-08-24 Wed
間が開いてしまいましたが、今年のディベート甲子園も終わりました。優勝された関西創価中学校、岡崎高等学校の皆さま、おめでとうございます。また、地区予選含めて参加された全てのチームの皆さま、お疲れ様でした。今年の全国大会は、久々の対面方式での参加となりました。最初の方の試合では対面に慣れず、コミュニケーション面で損をしてしまったチームもあったように思いますが、対面での試合にはオンラインとは違った臨場感があるように感じられました。もちろん、オンラインならではの利便性というものもあり、今後は両方の良さを組み合わせた形で大会や練習会をやっていけるとよさそうです。
さて、全国大会の感想ということで、中高それぞれに共通するところを中心に、この部分がもっと論じられてもよかったのではないか、論じ方についてさらに工夫できるのではないか、というところを中心としたコメントを書き散らすことにします。決勝戦を詳細に振り返るというのが過去のスタイルだったのですが、歳を取るとなかなかそういうパワーが出ないのと(そういえば26回大会も高校決勝だけ感想を書いて終わってしまっていますね…。)、今大会はNADE公式Youtubeチャンネルでリーグから試合の音源が公開されており、決勝に限らず熱戦をたくさん見ることができますので、その視聴の際に役立つよう、ジェネラルなコメントを意識するようにしました(これは完全に言い訳です)。
というわけで、以下、順次感想めいたことを書いていきます。
中学論題のポイントとさらなる展望
今季中学論題(中学生以下のスマホ禁止)については、いくつか試合を見ただけですが、スマホ禁止後に対象児童がどのような動きに出るか――代替機器を用いることになるのか――という点の分析を比較的精密に行ったチームが散見され、そのあたりの議論で成果を上げた学校が上位に食い込んだ、といった印象です。決勝戦でも、スマホを使う児童の動機と、代替機器の使用が可能であることを論じてメリットの解決性を攻撃した否定側の議論が印象に残ったところです(ちなみに私はこの試合の副審を務めましたが、私は「この議論は主審にはむちゃくちゃ刺さりそうだなぁ」と思いつつも自分ではこの論点をやや肯定側寄りに取り、デメリットを小さく見て肯定側に入れました。)。
プラン後の動きを分析することはもちろん重要であり、このあたりを丁寧に論じることが勝利につながることは言うまでもありません。ということでこのあたりは結構見ごたえがあったのですが、小中学生のスマホが禁止された後の世界で小中学生はどう考えるか、という観点が入っても面白かったかもしれないという気はしています。例えば、スマホを持っていて取り上げられた場合は「もう一度使いたい」と思うでしょうが、一度も使ったことがない児童ばかりになればそこまで執拗には求めない、という分析はあるかもしれません。アンキモ(食べたことのない中学生も多いでしょうが、すごくうまい)を食べたことがない中学生が「アンキモ!アンキモ!」とはならんだろう、ということです。もっとも、親のスマホやら家族共用タブレットやらでネットの楽しさに触れられてしまうので、もはや後戻りはできないのだ、ということが言えるかもしれません。また、上記の議論は肯定側から投げかけることを想定していますが、否定側から「スマホを奪うことでネットリテラシーへの親しみが損なわれる」「親が介入しやすい小中学生からスマホを通じてネットに慣れていく方がよい」といったデメリットにつなげていく展開もあり得るところです。後者のようなデメリットが見られなかったようであるのは、資料が少ないからかもしれませんが(別の端末にシフトするという反論と整合しないと思ったのかもですね)、やや予想外でした。
その他にポイントになるかなと思っていたのは、「中学生以下」に限ってスマホを禁止するということをどう考えていくかという点ですが、これはなかなかディベート的に議論にしにくいからか、ここを問題とする議論は少なかった印象です。「どうせ高校でスマホにはまるので意味がない」といった解決性への攻撃としてたまに出てくる程度ですが、これではメリットを切りきれないので、勝負をかける議論にはなりにくいところです。「中学生以下は特に保護の必要性が高い」という重要性の付け方を試みるチームはいくつかあったように思いますが、デメリットと比べる際にこれを効かせていくにはひと工夫必要なところで、その工夫まで出しきってメリットを伸ばしきるという展開も私が知る限りは見られませんでした。
この要素を中心に議論するためには、スマホに対して社会はどう向き合っていくのか、という大上段の話に取り組んでいく必要があるように思われます。スマホの危険を考える肯定側からは、保護の必要性が高いというだけではなく、多少の利便性があっても一定の発達段階までは禁止が正当化されること(例えば自動車やバイクは小中学生でも乗れれば便利だと思いますが小中学生は運転できません。まわりに危険を及ぼす点でスマホより規制の必要性は高いですが、他方で、災害時に連絡を取るということよりははるかに大きい利便性があります)を、スマホの性質を踏まえて論じていくことが考えられます。他方で、否定側としては、スマホの利便性を児童の側の権利として議論してその制限の不当性を論じたり(その意味で「災害時の安否確認」のような議論だとこの筋で盛り上げることは難しいでしょう)、ネットや電子機器との関わりが不可欠になっている現代において小さいころからスマホに親しむことの教育的意義を論じたりすることが考えられます。このような権利や意義を論じる上では、多くの学校で貸与されているとされるGIGAスクール端末なるものへの評価も考える必要があります。
4分でそこまで議論することは難しいものの、決勝戦その他の試合でのスピーチを聞く限り、皆様にできない議論ではないだろうと思います。来年以降大会にチャレンジされる方や、高校で引き続きディベートをする方が、こういった大上段の話を具体的な議論で組み上げていく論じ方に挑んでいかれることを期待しております。
高校論題のポイントとさらなる展望
今季高校論題(石炭火力全廃)は引き続きJDAで扱われるということで、猛者たちがさらに掘り下げていくはずですのでここでコメントする価値は低いと思いますが、とりあえずの所感を書いておきます。なお、前提として、総じて良く調査されており、難しい論題に迫る興味深い議論が色々見られたということを最初に記しておきます。
少なくないチームが、エネルギー安全保障の観点から電力の安定性が重要であるという論陣を張っていたのが、今大会で目立ったところです。この発想は非常にまっとうであり、好感度の高いものだったのですが、「だからこのメリット/デメリットは重要だ!」という話で終わってしまい、エネルギー政策をどう考えていくべきか、というところまで昇華しきっていなかったというのが率直な印象です。エネルギー安全保障の重要性を説く否定側で言えば、石炭が安定しているかどうかという話以前に、選択肢を減らすことそれ自体が安全保障上マイナスと考えられ、自然に再エネ等に転換していく可能性や電力以外の分野でも環境対策は考えられるといった議論を出しつつ、わざわざ縛りプレイをする合理性はない、といった話をすることもできたように思います。他方で肯定側としては、エネルギー転換がすぐには進まない&放置しておいては進まないこと(これは論じているチームも散見されました)を前提に、石炭を含まない(再エネなりなんなりで代替した)電源構成が理想であるということを積極的に述べていくことになります。この「理想」は主に環境面を念頭に置いたものが想定されますが、石炭も海外に頼っているので、国内で再エネやら原発やらでやっていくほうがエネルギー安全保障上いいんだ、という切り返しも考えられそうです。
メリットデメリットの華々しい応酬ももちろん重要ですが、その前段階での構図をどうやって作っていくか、見せていくか、というところは、さらにもう一歩工夫があってもよいのかなという気がします。一回しか立論がないこともあってなかなか厳しいところはあるのですが…。
あとは、代替発電として何を選ぶかという話ですが、これはほとんどのチームが再エネ中心、バックアップをLNGやら揚水発電やらにするといったプランでした。しかし、ジャッジルームでも話が出ていたのですが、原発を代替発電に持っていくという選択は有力だったようにも思います。安全性はもちろん課題ですが、新しい型の原発は安全だといった話もできそうですし、作ってしまえば再エネより安定しそうな気はします。精査した結果再エネが最高だったということであればそれはそれでよいのですが、議論を聞いている限り、そこまで再エネが信頼度が高いようにも思えず、再エネ以外の道がもう少し考えられてもよかったのではないかという印象です。
具体的に議論するということ
これは中高の試合両方について言えることですが、「具体的に議論する」ということをより意識できるとさらにレベルの高い議論につながりそうだということを思いました。
具体的に議論するとはどういうことか。ここでは、あるアクションの結果や場面を精密に描写することを指します。それによって、聞き手に「どうなるのか」というイメージを抱かせることができます。
実際に問題になった争点を例に考えていきましょう。
中学論題における、スマホを禁止された生徒が別の端末に移行するという議論を例にすると、単に「小中学生は」という主語で語るのではなく、「メリットで問題となっているネット被害に遭うような小中学生は」という主語を考えることで、そういう生徒はどう行動するか、ということをより深く論じることができます。ネットでのつながりをより強く求めたがる、好奇心が強い、といった要素から、別の端末で同じようなことをやりたがるということを説得的に論じられるでしょう。
中学論題でもう一つ例を出すと、デメリットでよく見た「災害時の連絡手段」という話で、いったいどんな場面で「小中学生にスマホ持たせて良かった」という話になるのかということが考えられます。どんな災害で、どのくらいの頻度で起こるのか、という話は見ましたが、仮に大地震などの災害を考えた場合でも、小中学生だけで周りに大人がいないような「安否が心配になる」場面がどのくらいあるのだろうか、ということは考えられます。学校にいる時間であれば先生もいるでしょうし(学校にはスマホを持ち込めないという話もあるようですね)、塾や習い事の行き帰りであれば、山の中を歩いて通うわけではないでしょうから、周りに大人がいないということはないでしょう。他方で、連絡が取れないこと自体が心配につながる、ほかの大人にスマホを借りても親のLINEには連絡できない、ということはあるのかもしれませんが、それについても、その「心配」はどの程度保護に値するのか、心配して助けに行くような親はLINEで連絡が取れたら安心して迎えに行かないということになるのか、といったことを考えていくことができます。
高校論題でも同じようなことを考えることができます。一番わかりやすいのは、代替発電の現実性でしょう。再エネの議論で、ポテンシャルは何億Kwhだとかいうことが出てきますが、ポテンシャルってなんだよということをまず考えなくてはなりません。私も食事制限や運動をすれば20kgくらい痩せるポテンシャルはあると思いますが(というかそのくらい痩せてようやく標準くらいなのですが)、じゃあ痩せられるのかというと、そう簡単ではありません。フィアットはかかるのでダイエットには挑むのでしょうが、ストレスで大きなデメリットが発生する可能性があります。再エネだって、ポテンシャルがすごいからといって、そこまで増設することが簡単かというとそんなことはないでしょう。1億kwhの発電をするためには風車を何台、太陽光パネルを何平米置けばよいのでしょうか?いくら金がかかるのでしょうか?資材や人手はどうするのでしょうか?どのくらい時間がかかるのでしょうか?どこに設置するのでしょうか?その土地は誰がどうやって手配するのでしょうか?ゲームのようにボタンを押すだけで建つわけではないし、放置していれば風車がニョキニョキ生えてくるというものでもありません。肯定側で再エネへの代替を論じるのであれば、スピーチの時間的制約はあるとしても、具体的な増設計画やシミュレーションなどをある程度論じる必要があるでしょうし、否定側は上記のような問題を質疑段階から徹底的に叩くことができます。
なお、この観点から面白いなと思った議論は、ポテンシャルは北海道など一部の地域に偏在しているという話でした。遠くまで電気を送ることはできないという分析とセットになっていて、なかなか説得的な議論だった印象です。「肯定側は北海道と東北の電気が代替できるという立証しかできていない!」といったスピーチをすれば、ジャッジにも強力なインパクトを与えることができます。
時間が限られている以上、全ての論点でここまで細かく議論していくことはできないので、メリハリをつける必要はありますが、ここぞという論点で具体的な議論を展開していくことで、試合のペースを一気に引き寄せることができます。
結論(オチ)を考えて議論する
これはどちらかというと議論が複雑になりがちな高校でよく感じたことですが、何のためにその議論をしているのか、ということがよく分からない議論があるように思いました。
例えば、石炭への投資が今後進むだとか進まないだとかいう話や、世界が脱石炭に向かうかどうかという話がやたら盛り上がる試合がいくつかあったように思いますが、そのいずれの試合でも、そこを解決するとどうなるのかというオチが分からないまま議論だけが伸びているということになっていました。その結果石炭が今後入手できなくなるとか、世界も石炭に戻ってくるので日本が使い続けても問題ない(あるいは日本だけハッスルしても解決性がない)といったところまで詰め切ってもらえば分かるのですが、石炭が今後どうなるかという話で終わってしまうと、判定には役立ちません。目の前の議論を否定することが反論の目的ではありません。何のためにその反論をするのか、ということを意識する必要があります。
上記とは少し角度の違う話として、よくよく考えるとその議論で本当に自分たちの立場をサポートできているのか、ということもあります。分かりやすい例として、高校決勝の肯定側が出した「石炭火力は不安定だ」というメリットがあります。一見面白い議論なのですが、自分たちもLNG火力を補助電源にしておきながらどの口でそのメリット出してるんだという話を措くとしても、よくよく考えるとこの議論には大きな疑問があります。それは、仮に石炭火力が不安定だからとしても、だからといって辞めてしまう理由になるのだろうか、ということです。それなら一番良い選択肢は、石炭はそのままにしておいて、肯定側によれば安定しているという再エネも増やしていく、ということではないでしょうか。プランを取らないと不安定な石炭火力への依存が増すので「石炭禁止」で大きく流れを変えないといけない、とまで言えれば、Counterplanの出せないディベート甲子園では成り立つ余地もないではないですが、JDAでは「石炭は今程度維持して後はAffのいうとおりにしましょう」とやられたら終了です。
目先のインパクトらしきものだけを見るのではなく、それって結局どういうことなんだ、オチとして成り立っているのか、ということを一歩引いた目で見ることで、思わぬ弱点が見えてくることがあるかもしれない、ということです。
難しいけどディベートはやっぱり楽しい
ということで、色々と課題めいたことを書いてしまいましたが、実際の試合ではそれぞれに選手のプレパの蓄積や工夫が表れており、見ごたえのある試合でした。何より、久々の対面での大会となり、互いの息遣いや緊迫感が伝わってきたりもしました。画面に向かって講評を垂れ流すオンライン大会と異なり、直接お話しする機会ができたことも、ジャッジとして嬉しく思いました。大会3日間を通じて、改めて、ディべートの楽しさを再確認できた思いです。そのような機会をいただけたことにつき、選手やスタッフの皆さまにこの場で御礼申し上げます。
また来年、楽しい試合がたくさん見られることを楽しみにしています。といっても、その前にJDAがありますので、楽しみはまだまだ続きますね。石炭火力に半年取り組んだ高校生の皆さまも、JDAを観戦されるなどして一緒に夢の続きを追いかけましょう。
2022-04-15 Fri
どうも皆様ご無沙汰しております。春のJDAも終わってしまい、ディベート甲子園の論題発表からも期間が立っており、書くことは色々とあるのですが、まずは負債を終えよう(終わるとは言っていない)、ということでジャッジ入門講座の続きです。講義のPPTの10~11枚目(/12)で、いよいよ大詰めのパートです。
講評は入門講座では不要であるように思いますが、ジャッジを語る上で触れないのもどうかと思うので解説を行っています。昨年のディベート甲子園で全くパッとしない講評を動画に残してしまったので、そんな人が書いてもどうかというブルーな気持ちではあるのですが、そこは反面教師ということでスルーしてください。以下ではその辺の反省も反映しています。
ジャッジ入門講座 第8回
スピーチを踏まえた判定の出し方
ここから、試合後の協議について説明していきます。協議の前提として、各ジャッジは独立して判定を出す必要があります。どちらが勝ったのか、それは何故か、ということです。一般的な判定の出し方は第3回と第4回で取り上げたので繰り返しませんが、ここでは、実際にスピーチを聞いて判定を出すうえで考えるべきことを若干お話しします。
ジャッジの中でたまに問題になるのが、第二反駁で触れられなかったけど残っている議論をどう評価するかということです。第二反駁で触れなかったとしてもジャッジの心証通り取る立場から、第二反駁で触れなかった場合には判定の材料にしないという立場まで、色々な考え方があります。このあたりはジャッジによって異なるところですが、第二反駁で触れないと取らないという立場は、それまでの議論で十分主張立証されているのに第二反駁で落としただけで無視することに合理性があるのかという疑問があります。第二反駁者には議論を放棄する意図はないでしょう。それでもなお形式的に触れる必要があるのだとすれば、第二反駁で「これまでの議論を全部伸ばしてください」とでも言えばそれで足りるのでしょうか。それでよいのだとすればそのような儀式に時間を割かせる意味はないし、それでは足りないのだという場合、全論点を説明し直す必要が生じ、真に重要な争点のスピーチが手薄になってしまいます。
私自身は、第二反駁で触れなかった議論も自由に判定で考慮するが、第二反駁で説明した内容を最終の主張とするので、それと矛盾する議論は低く評価したり無視することにするし、第二反駁の内容からしてチームとしてはあまり重視していないと感じられた場合には判定上の重みづけ上を低くする、といった処理をしています。第二反駁で触れることを要件とすることは行き過ぎではあるものの、総括のスピーチではそのチームの最終的な立場が示されることになるので、その内容を踏まえてこれまでの議論を見た結果、軽視ないし矛盾する議論は必然的に低く評価される、という考えによります。ただ、選手にとっては、第二反駁で言っていようがいまいが出した議論として認識されているので、理由を説明する際にはそれを取り上げなかったり軽視した理由を説明できるようにしておく必要はあります。
どっちの判定もあり得そうだというときにどうするか、というのも実践的な悩みです。レベルの高い拮抗した試合ではよくある悩みですし、レベルが高くない試合でも、どっちもどっちという形で悩ましいことは多々あります。推定で否定側に入れる、というのはなるべく避けたいということは以前お話ししましたが、そもそも「こう取ればメリットが大きく、こう取ればデメリットが大きい」という、推定ではないところで悩むパターンの場合、何となく否定側、という逃げ方もできません。しかし、悩んでいるということは、どちらもあり得るということであり、どちらの結果でも間違いではありません。ということで、両方あり得るという前提で、清水の舞台から飛び降りましょう。
大事なことは、どこで何故悩んでいたのか、ということを明らかにすることです。その上で、「私はこちらを選びました」と説明すれば、それで判定として成り立っています。もちろん、選んだ理由が具体化できれば一番よいですし、それを目指したいのですが、突き詰めると好みの問題でしかない、ということもあるわけで、詰め切ったところで「どっちもどっち」というのは仕方のないことです。ただ、どこで悩んだのか、なぜ悩んだのか、ということはギリギリまでは詰め切ってください。それができていれば、判定理由として「ここはジャッジ任せになった」と説明できるし、選手の側も、そうならないようほかの部分で改善する必要があったことが分かります。理由がつけられないことの理由を明らかにできれば、理由がつけられないということも判断の理由として成り立ち得るということです。このように考えると、悩みが少し楽になる場面もあると思います。
協議の方法
一人でジャッジをする場合にはそのまま判定講評を述べることになりますが、複数人でジャッジする場合、それに先立ち協議をする必要があります。もっとも、ここでいう協議は、判定理由をみんなで考えるとか、判断を合わせるということではなく、各ジャッジの判定理由を確認するという作業を指します。副審の立場として参加する際には、主審に自分の判定を分かってもらうことが協議の一番の目的であり、ついでに講評で伝えてほしいことを述べることができれば完璧、ということになります。
副審として判定理由を述べる際には、しゃべりすぎを避けるよう気を付けましょう。協議時間は限られているので、投票理由の要点を簡潔に伝える必要があります。メリット・デメリットの3要件をざっと説明するイメージですが、実際の話し方としては、メリット・デメリットを大きめに評価した場合にはその理由、小さく、あるいはゼロと評価した場合にはその理由を挙げて、関連する主張立証の評価を簡単に述べる、といった感じになるでしょう。例えば、「メリットをほとんどとらなかったので否定側に入れました。解決性のところで~~~という話がありましたが、そもそも立証が弱いのと、否定側から~~~という有効な反論があったので、ここで切っています。デメリットは、発生過程がやや微妙で、~~~という反論も当たってはいると思いますが、~~~という限度では残っていると思いますので、デメリットが上回っているといえます」といった話し方が考えられます。説明が足りない場合には主審が質問してくれるはずです。もっとも、実際には、話していると色々喋りたくなってしまうもので、私自身もそうなので、偉そうなことは言えませんが。
改善点についても簡単に触れられるとよいでしょう。主審から何かコメントがないかと質問されることもあります。コミュニケーション面の改善点でも、議論面での改善点でも結構です。具体的なスピーチの内容も指摘した上でコメントできると、講評で使いやすいので主審に喜ばれるでしょう。
入門講座の内容からは離れますが、主審を担当する場合の協議の進め方についても少し触れておきます。
最初に投票結果を聞くわけですが、その後で、誰から判定理由を述べてもらうかということを考える必要があります。時間に余裕がなく、判定が割れていない場合、自分の判定理由をざっと述べて、違うところを副審に指摘してもらう、というスタイルが考えられます。ただ、これは副審の意見を十分吸い出しにくいのと、副審にとっての勉強機会を奪うので、副審経験の浅いジャッジが入っている場合にはできるだけ避けたいところです。最初に話す人が一番喋りやすいので、経験の浅い人から話してもらう、というのが理想的なのですが、経験が浅いと説明に慣れていないので時間を取られがちではあるので、スケジュールが許すかどうかを考えながら進めるようにします。
他方で、判定が割れている場合には、先に少数意見を聞くか、多数意見を聞くかというところで悩みが生じます。基本的には少数意見を先に聞くのがよいかなと思いますが、自分が少数意見の場合や、少数意見のジャッジがいかつい場合、多数意見から話を聞くということもあるでしょう。逆の判定理由を聞いてから判定を話すというのは難しい面もあるので、経験の浅いジャッジが少数意見の場合、気を遣ってあげるのがよいでしょう。
説明を聞いている中で、判断が分かれておりより詳細な理由を知りたいところ、講評の中で説明した方が良いと思われるが副審が説明を割愛しているところ等があった場合、適宜質問するようにしましょう。せっかく協議しているので、副審の判定理由も積極的に吸い上げて、なるほどと思ったところは講評に取り込んでいくことで、より充実した講評をすることができるようになります。
講評と判定
これも入門講座の内容とは離れますが、講評判定スピーチについても説明しておきます。色々なやり方があるので、どれが正解ということはなく、いろんな講評を聞いて自分なりに考えていってほしいのですが、その参考になれば幸いです。
最初に、判定結果を最初に言うか、後で言うか、ということです。アカデミック(調査型)ディベートの世界だと、英語系の人は最初に言うことが比較的多く、日本語系の人は後で言うことが多い、という感じがします。英語アカデミックでは昔は口頭での講評をやらなかったようで、その関係もあるのかもしれません。パーラメンタリー(調査型)ディベート、これは英語がもとより圧倒的多数派ですが、こちらでは最初に言う人が多いというか、最初に言わないと不機嫌になる人が結構いるような印象です。4チームで試合をするBritish Parliamentary Styleだと、そもそも最初に判定を言わないと理由を説明できない、という事情もあるのではないかと思いますが、私は詳しく語る能力を持ち合わせていません。
最初に言う派の理由は、判定が気になるから、という聞き手側の立場からの意見が主であるように思います。これは好評のスタイルにも関係するところですが、判定を言ってから理由を説明するほうがやりやすいという人もいるでしょう。後に言う派の理由は、最初に判定を言うとそれに気を取られて講評を聞かなくなるということがメインです。ディベート甲子園ではこのような理由で後に言うことが推奨されているとの認識です。確かに、判定を聞いて喜びの雄たけびをあげたり、負けて泣いてしまう選手は結構いるので、個人的には、少なくともディベート甲子園では後で言うのがよいと思っています。多分選手もいきなり判定を言うとびっくりするでしょう。ただ、どちらが正解ということはなく、個人の好みや場面によって異なってよいものだとは思います。私も、練習試合では最初に判定を述べてから理由を述べることが良くあります。判定への影響度などをクリアに説明する上では、オチが分かっている方がやりやすいということはあります。最後に判定を述べる前提で、結果が見えないように話そうとすると、どうしても言葉が濁ってしまうところがあります。まぁ、途中でバレてしまう場合がほとんどなのですが。
次に、講評判定スピーチで話すべき内容です。講評判定スピーチには、大きく分けて3つの目的があります。1つ目は、当たり前のことですが、判定理由を正確に伝えること。2つ目は、より良い議論につながるよう、今後の改善点を伝えること。3つ目は、発展的なところですが、ディベートを楽しいと思ってもらうこと。これら3つの目的は、相互につながっています。判定理由をきちんと伝えること自体教育的ですし、深いところまで戦いの経過を伝えることは、ディベートの面白さにつながっていきます。
また、これらの目的は、試合をした選手にとってどうか、それ以外の観戦者にとってどうか、という2つの方向に向けられる必要があります。選手に対して納得感の高い詳細な説明と、ディベートをよく知らない保護者にとって分かりやすい説明は、重なるところも多いですが、違いのある部分もあります。ここをこう変えると良い、という対戦者向けのアドバイスだけでなく、この議論はよかったので真似してほしい、という観戦者向けのアドバイスも大切です。選手を励まし、健闘を称えることに加えて、試合の面白かったところを聞き手に伝え、負けたチームにも聴衆にもいい試合だったと思ってもらうこと。色々と考えることはありますが、全部を実現することは難しいです。私もどこまでできているか怪しいものですが、意識して取り組むことで、少しでも広がりのある講評ができるようになるといいなと思っています。
3つの目的を果たすために、講評の構成はどうしたらよいか。ひところよく言われたのが、P(Pathos/Passion)の要素とL(Logos/Logic)の要素のバランス、ということです。当初は、なんかよさげなことを言ってるだけ、すなわち、P一辺倒で中身のない講評を揶揄する方向で言われていたのですが、今はそういう講評はほとんど見られなくなりました。実際にはPとLのバランス、選手に訴求する要素と、議論の評価をきちんと伝える要素を兼ね備えた講評が理想です。特に、中高生の青春がかかった大会やトーナメントの上の方の試合、多くの観客がいる試合では、Pの要素が重要になってきます。もっとも、選手でならしてきた多くのジャッジは、どうしてもL寄りになりがちで、Pの要素を入れようとするとわざとらしくなってしまいます。私もよくそう言われます。事実わざとやっている場合も少なくないので仕方ないのですが、自分が何を言いたいかではなく選手に何を伝えたいのか、ということを考えると、自然とPとLのバランスが取れるようになると思います。
具体的な講評の構成としては、改善点を伝えるパート、判定理由を伝えるパート、試合をやや離れてディベートの意義などを語るパート、に大きく分けることができますが、これらは重なり得るものです。判定理由を述べる中で改善点に言及することもあるし、ディベートの意義を話しつつ、それに絡めて試合の良かったところ悪かったところを述べる、といったこともあります。そのような重なりや応用はあり得るものとして、この3つのパートがあるということを意識し、どこで何を話すか、今自分はどれを話しているのか、といったことを考えると、スピーチの構成を考えやすいです。
ということで、私がよくやる講評判定スピーチの構成は、以下のような流れです。これが正解ということではないですが、オーソドックスなほうだとは思います。フルで喋るとかなり時間がかかるので、時間がない場合はかなり自制して省く必要があるのですが、その方法を上手く教えることは私にはできないので、皆さん気を付けてください、とだけ申し上げておきます。
① 論題の趣旨、試合の特徴的議論を参照しつつディベートの意義などを語る(P要素。練習試合や予選など多くの場合は省く)
② 試合の良かったところ、改善すべきところを話す(L要素)
③ 判定理由を述べる(L要素)
④ 前向きなコメントを語る(P要素。これも多くの試合では省略ないし大幅に割愛する)
※判定は④の前か後に述べます
P要素の解説は私の専門ではないので省きますが、L要素とされる、改善点の指摘や判定理由の述べ方について簡単に触れておくことにします。
改善点の指摘は、できるだけ具体的にしてあげると良いです。改善後の姿をどこまで説明するかというのは賛否あるところで、議論の内容にわたるところで決めつけ的にコメントするのは介入しすぎでよくないようにも思われますが、コミュニケーションの指摘であれば、どうすればよいのかを具体的に説明しないと分からないでしょうし、議論の中身でも、こういうアイディアはあり得る、とか、こういう観点でリサーチしてみてもよいのではないか、といった程度はよいでしょう。この部分で出していた議論をここにも当てはめることができるとか、相手方のこの議論をこう逆用できる、といったテクニカルなコメントも、議論の押し付けになるわけではないので、許容されるのではないかと個人的には思っています。また、改善点の指摘はなるべく両方のチームにしてあげることや、余裕があればよかった点の指摘も両方のチームについてしてあげると、聴衆への参考にもなるし、選手の満足度も高まります。なお、褒める場合は最初に褒めてから改善点を言うほうが選手に与える印象が良くなると思います。
あと、私にはちょっとできない芸当ですが、ジャッジの中には、選手の名前を全部記録した上で、一人一人にコメントをしてあげる、という方もいます。時間の関係で、議論の中身についての説明はどうしても薄くなってしまいますが、このような講評ができると非常に教育的だろうとは思います。
判定理由の述べ方についても、色々な方法があります。私は、普通にメリット、デメリットを頭からさらっていくスタイルですが、山脈と呼ばれる某有名ディベーターが、第26回ディベート甲子園の決勝講評で取った、分かれがなく結論が見えやすい争点と判断が分かれる争点に分けた上で、前者については結論をさらりと述べ、後者は丁寧に説明していくというスタイルが大変参考になります。分かりやすい講評のスタイルには色々とあると思いますので、この動画も参考にしつつ、考えていきましょう。
複数人ジャッジで判断した試合で判定理由を述べる上では、判断が分かれたところについて、なぜ割れたのか、ということを説明することが重要です。どこを詰めれば割れないようにできたのか、ということも伝わるような説明ができるとベストです。もっとも、判断が分かれたところの説明に気を取られすぎると、争点の説明を漏らすという禁忌につながるリスクがあります。私も、副審のやや変わった判定理由を説明することに時間を割きすぎたため、判定には影響はないものの争点になっていた部分の説明を落としてしまいました。選手目線では不信につながる事態ですので、メリハリはつけるとしても、なるべく争点を漏らさないように説明していくことが大事です。
自分は何を伝えたいか、どう伝えれば選手や聴衆が満足するか、ということを考えつつ、実際にいろんな人の講評を聞いて、よいなと思った人の喋り方をパクるとかしつつ、自分なりのやり方を作っていってください。
最後に一つだけ、心構えとして述べると、ジャッジだからといって、上から目線でコメントをする、ということだけはしないように気を付けてください。ジャッジの中には、ごく少数ですが、自分が気持ちよくなりたいからジャッジをする、選手へのリスペクトを欠いたジャッジをする、という人がいることも否定できません。それはジャッジとして失格ですし、そのような気持ちで講評をすれば、選手や聴衆の心がディベートから離れてしまいます。自分の話を聞いてほしいというだけであれば、そういう店に行ってお金を払ってやってください。選手のために伝えたい、という気持ちがあってこそ、講評判定という営みに意義が生じます。判断者としての立場から人の議論を批評するという、気持ちが大きくなりがちな仕事であるからこそ、自分を律して務めるようにしてください。もっとも、このような注意は多くの心あるディベーターにとっては不要であり、他方で、聞いてほしい人のところには届かないわけですが…。