愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
第21回ディベート甲子園の感想(2.高校論題)
前回に引き続いて、第21回ディベート甲子園の高校大会について感想を述べさせていただきます。
今年の大会は全体的に水準が高く、その中でも、準決勝のうち鎌倉学園高校vs筑波大学附属駒場高校のカードについては、非常に熱戦だったとして、詳細な感想・分析も書かれております(例えばこちらこちら。なお私は悩んで肯定かなというところですが左記のブログは両方否定側を支持。後者のブログはちょっと反駁を再構成しすぎな感もありますがまぁそれもありはありかなと)。

例年であれば決勝戦などの試合を取り上げて比較的詳細に判定などを検討しているのですが、今年は、個人的に同じ国民投票論題でJDAに出る予定であるということもあり、こういう議論をしようという目標立ても兼ねて、今大会の議論全体に対する感想といった形で、さらに水準の高い議論のためにどのようなことが期待されるのか、ということを簡単に書くことにします。

1.出した議論を最大限活用する
準決勝について紹介した上記の各ブログでも示唆されていますが、せっかくよい議論が出ていたにもかかわらず、その機能を従前に生かし切れていない場面が散見されたように思います。一番わかりやすいのは、決勝戦の肯定側が内因性で読んでいた村上のエビデンス(これは非常に良い資料)について、意思決定プロセスに問題があったという形でデメリットの固有性を切る形になっていたにもかかわらず、全く伸ばされなかったということが挙げられます。これをうまく伸ばせば肯定側は5-0で圧勝できるような構造にあったと思いますが、そうはならずに判定も割れました。
高いレベルの要求ではあることを承知の上で述べると、このような状況が生じてしまう理由は、その議論が直接あたっている議論以外のところにどういう影響を及ぼすか、ということに十分意識がいっていないから、ということになります。では、どうすれば意識が及ぶのかということですが、根本的に言えば、議論を出すという行為が、単純にフローの左側に書かれている議論のレスポンスであるということではなく、ストーリーを基礎づける材料を出すことである、という意識を持つということが重要です。たとえば、鎌学と筑駒の準決勝で、筑駒は解決性にかなりの議論をぶつけており、その中では、議論すると考えの似た人同士で話し合うことになるので意見が先鋭化してしまうとか、国民投票では間違った情報やデマにより正しい意思決定が行われないことがあるという話が展開されていたのですが、このような議論は、単に解決性に対する反論というのではなく、それに対比される形で論じられている、自分たちの固有性の議論の優位性にもつながってきます(まぁ、集団分極化は政党内でも起こるのではないかという気はしますが…。)。つまり、否定側が出した解決性に対する反論は、物事を決める際にどのようなことが起こるのか、という分析として位置づけられるべきものであって、そのような分析がされたことを踏まえて、他の論点も含めた議論の全体を再評価することができるし、また、そうすることが期待されているということになります。

2.もう一歩大きな分析を置く
今回の大会では、各チームにおいて、民意を反映することがなぜ重要なのか、間違った政策が選ばれるのがなぜだめなのか、という重要性・深刻性に係る価値の議論をよく検討していたと思います。もちろん、より深く分析してほしい場面もたくさんありましたし、重要性や深刻性の議論にマッチした事実分析が展開されていない例(例えば、鎌学-筑駒の準決勝の肯定側立論は、重要性はそれなりに深掘りされていたと思いますが、そこで問題とされているようなひどい事態が内因性で述べられていたかというと、ちょっと迫力が足りませんでした)もあるのですが、総じてよく議論していたと思います。
しかし、さらに一歩議論できた点として、例えば、「今後の日本で」どのように考えるのがよいのか、といった、論題の導入対象との関係でのより深い分析を行うという点があげられようかと思います。これは、どちらも一理ある価値対立の問題を解決し得る有効な方法なので、より研究されるべきだったところです。すなわち、肯定側が一般的に論じるような民意による意思決定や変革の必要性という価値は、慎重な合意形成や調整による落としどころの探求が重要であるという否定側の主張とトレードオフの関係にあります。そして、どちらの価値がより重要かは、普遍的に定まるものではなく、日本で今後何を決める必要があるのか、日本がどういう状況なのか、といった要素によって左右されます。そのような「今後の日本に求められるもの」という、一つ大きな次元の分析をかませた上で、その中で国民投票をどう評価すべきか、という話がされれば、重要性や深刻性に筋が通るはずです。

3.制度の違いに着目して議論する
今回の大会で少し物足りなかったのは、制度の問題をきちんととらえて語る議論が少なかったことです。これは何を言っているのかと言うと、相手方の採用する制度どういう理由でまずいのか、逆に自分たちの制度はどこが優れているのかという分析が足りなかったように思われるということです。
全然わかりやすくなっていないので具体的に述べましょう。たとえば、否定側は、二者択一で決めるといけない、という反論をよくしていたのですが、その反面としては当然、現状の議会を通じた意思決定はそうではない、という話が出てくる必要があります。二者択一で切り捨てられるものが、議会の審議ではどう反映されているのか、それはなぜなのか、結果にどう影響してくるのか、ということを丁寧に論じれば論じるだけ、それが欠如した肯定側のプランの問題点が浮かび上がるはずです。結局、メリットデメリットの比較と言うのは、この論題では、直接的意思決定と間接的意思決定の制度比較にならないといけないということです。
肯定側は、議会の意思決定では何が問題なのか、ということをきちんと論じていく必要があります。よくある議論は、選挙で争点隠しだとか、強行採決だとかいう問題なのですが、これをもう少し抽象化すると、選挙がある種の白紙委任的制度であるということに帰着され、そこから、直接意思決定を行うべき必要性が出てくることになります。また、否定側がよくあげていた官僚制の問題は、民意反映という観点からはむしろ肯定側が有利に援用すべきものであり、選挙による選択すらされていない官僚が法律を作っていることの問題点と言うのも当然指摘されるべきです(ただ、官僚はいろいろな利益団体の声を反映しており、むしろ議員立法の方がまずいのではないか、みたいな議論もあるようです)。
自分たちの制度が、どういうコンセプトに基づいており、そのコンセプトに照らして相手方の制度がどう問題なのか、といった視点で議論を整理できると、もっと見通しがよくなったのではないか、ということです。

といったことがさしあたり考えられるのですが、それにしても今年の論題は大変奥の深いもので、自分でも取り組んでみるといろいろと考えさせられること大です(ただあんまり考える時間が取れていません)。その意味で、今年の大会は十分レベルが高かったものの、まだまだ深められる点は多いところです。
その観点から1点普遍的なアドバイスをしておくと、この論題に限らず、ある程度考察を深めた後で既読の資料を読み直すと、たくさん有益な記載が出てきます。経験値がたまれば最初からそれなりに良い記載を拾えるのですが、ディベート自体の経験が浅かったり、論題をよく分かっていない初期の段階である場合、大事なことに気づけないことがままあります。今回も、自分で資料を読んでみて、なぜ今年の大会でこれが読まれなかったのか・・・ということが多々あります。おそらく、選手の皆様も、資料を読み直してみると同じような気持ちを抱くことがあるのではないかと思います。今後、煮詰まったら、これまで読んだ資料をもう一度読み直す作業をしてみるとよいことがあるかもしれません。

といったところで、例年よりだいぶ総括感の減った高校大会雑感を終わります。選手をやることになった以上、言いたいことは大会で見せないと仕方ないと思いますので、どこまでやれるかわかりませんが、何かしら面白い議論を回していければと思っております。
第21回ディベート甲子園の感想(1.中学論題)
今年も第21回全国中学・高校ディベート選手権全国大会(ディベート甲子園)が開催されました。今年は中高ともに大変水準の高い議論が繰り広げられ、見ごたえのある試合が散見されるよい大会でした。個人的にも刺激を受けましたので、今季JDAでは久々に選手としてチャレンジしようと考えておりますが、それはまた別の機会に。

さて、今年のディベート甲子園では、僭越にも中学決勝の主審を担当させていただくことになりました。講評は正直いまいちで、特に独自色があるわけでもなく、申し訳なかったのですが、一期目ということで勘弁していただければと思います(かといって二期目以降があるかどうかは分かりませんが…。)。大会2日目に登板可能性の打診があったのでエビデンスも集められませんでした。ただ、前半で時間を取った、大会の意義に関するお話は正直な思いを語ったところですので、試合の内容には全く無関係のコメントではあるものの、選手の皆様に伝わればうれしく思います。
…ということで、中学決勝の講評は時間超過で怒られた割に内容が不十分でしたので、ここで補足説明を加えることをもって、中学論題の総括とさせていただくことにいたします。なお、中学決勝とその講評判定はこちらでご覧になってください。なんでも、フォローすると連盟が少し潤うそうですので、皆さまどしどしフォローください。

1.中学決勝の判定
今年のディベート甲子園中学の部決勝戦は、地方公共団体の首長の三選禁止という論題の下、岡山白陵中学校(肯定)と創価中学校(否定)の対戦となり、4-1で肯定側の岡山白陵中学校が勝利しました。
判定については、講評でお話しした通りです。残り時間超過の合図が出ていたので明らかに巻きで喋ってしまっており大変格好悪いのですが、実際のところ、判定理由はシンプルで、講評で述べたところで概ね説明されています。私は多数意見に投票しておりますが、メリットについては多選になるほど首長の立場が強くなりチェック機能が働きにくくなることと、交代することで見直し・チェックの契機が生まれるということは維持されていることに対して、デメリットについては、リーダーシップというところで任期が短いと職員が言うことを聞いてくれないという話は一応残るものの、首長によっては何とかなるし、仕事のやりにくさでどういう弊害が出るのか分かりにくかったことから大きくは評価できず、ネットワークが失われて補助金を引っ張れなくなるというところも、具体的弊害が不明だったので取っていない、ということになります。否定側に投票したジャッジは、メリットへの反論を強めに取ったということで、私自身の評価とは相違しますが、そういう見方もありだとは思います(肯定側がどう対処すべきだったかは講評で述べたとおり)。
あと、否定側のスタンスの話についても微妙で、詳細は後述しますが、スタンスとデメリットの乖離を判定の中でも重く見たジャッジもおります。

このような結果となった最大の理由は、否定側立論で挙げられた2点の問題が実はイマイチだった、ということにあります。
まず、リーダーシップというか、短期では効果的な業務遂行ができないという話については、なぜ短期ではできないのかという話が深掘りされていないという問題があります。長期的にやっていると行政職員をコントロールできるという話や、就任当初は反発があるというのは、何故そうなのか不明です。おそらくこの理由を掘っていくと癒着を言うメリットの話につながるのではないかと思うのですが(というか発生過程で読まれている飯塚のエビデンスで既得権益保護のために反発する、と言っている)、いずれにせよ、最初に聞いて、長期でやらせないといけない、と思わせるインパクトがありません。
次に、ネットワークの話で、市長会などでパワーを持つという話も、補助金を引っ張ってきて何がいいのかよく分かりませんし、そもそも、(肯定側は問題にしていませんが)補助金というのは無から湧いてくるものではなく、どこかに配分されればほかのところの取り分が減る話であり、日本全体で見て行政がよくなるという話にはなり得ません。むしろ、長くいるから権力を持って補助金を引っ張るという構図こそが問題であり、そういうものを解体するのがメリットであるという議論すら成り立つところです。

このように否定側立論の突っ込みが不十分だったことは、最初のスタンスと具体的なデメリットが整合していないということにも表れてしまっているように思われます。否定側のスタンスと称する議論は、各地方自治体は固有の課題を持っており、地域特性に起因する課題をそれぞれの身の丈に合った運営で乗り越える必要があり、一律の制度変更はすべきでない、という話ですが、上記から分かるとおり、デメリットで挙げられている問題はいずれも各地方自治体固有の課題といった話とは関係ありません。各地方自治体で長期の取り組みを要する課題があるから任期を制限すべきでない、という話はあり得ると思いますが、今回の大会ではそのような議論が全く出ていませんでした。
対して、肯定側のメリットは、任期が長くなるとチェックが聞かなくなるという、構造的な問題を論じており、これ自体は各地方自治体の状況の違いに関係なく生じ得る問題です。このような議論が、スタンスとされる議論によっても牽制されることはありませんから、結局、スタンスなる議論は完全にカラぶっていることになります。
さすがに決勝講評でここまで踏み込んで話すことはできないので、この場で詳述させていただきました。なお、スタンスの意義については、過去の中学決勝講評で詳しく説明しておりますので、ご参照ください。ここでも創価中学校の出したスタンスが機能していないという説明をしておりますが、創価中の名誉のために申し上げておくと、大学生以降の試合でも、スタンスと言いつつ全く意味のない議論を回している選手はおり、むしろ「スタンスと言っとけば取る」という安易かつ誤った発想に立っているのではないかという事例も散見されるところですので、そういう状況が改善されず、適切な指導が行われないことが問題なのだと思っております。

いろいろと否定側には厳しいことを書いてしまいましたが、それでも否定側のスピーチの水準は全体的に高く、難しい論題に果敢にチャレンジされた成果が出ておりました。講評でも述べましたが、優勝した肯定側も含めて、両者の健闘を称えるべき好勝負であり、見ていない方は一度ご覧になることをお勧めします(講評判定は上で書いているので別に聞かなくていいですw)。

2.より創造的な反論を
判定の話はこの程度にして、個別具体的な議論を題材に、よりよい議論に向けたコメントを記載しておきます。

講評でも述べましたが、この論題に限らず普遍的に使える切り口として、「プランが実施された場合でも同様に言えるのか」という分析があります。中学論題で言えば、多選制限がないところで(多選の)現職と新人が戦った結果新人が勝った場合と、多選制限の結果新人同士が戦って勝った場合でどう違いがあるのか、という話があります。前者の場合、新人首長は、1期目で失敗すると前職に次の選挙で負けるかもしれないわけで、1期目で前職をできるだけ否定しておこうという動機が生じるかもしれませんし、自分の独自色を無理してでも出す必要がありそうです。ただ、その分前職の仕事を批判的に検討することで、肯定側のメリットで出ているようなチェック機能や効率化につながることにもなりそうです。このような効果が、多選制限の結果行われた選挙の後でも同じように出るのかどうかは、「なぜ多選の場合こういう問題が起こるのか」といったところからスタートして、想像力を働かせてほしいところです。
また、決勝戦で言えば、ネットワークの話についても同じような議論ができます。すなわち、否定側の話は、長期で首長をやっていると市長会などの団体で偉くなっていくという話ですが、プラン後はみんな2期で終わりますので、長く首長を続けて団体での地位を高めるということはなくなり、みんなフラットになります(2期ごとに引っ越して首長を続ける「渡りの首長」みたいな人が出てくるのかもしれませんが…)。このような姿こそ理想ではないか、ということを、例えば質疑なんかも使って攻撃していけば、ターンが決まって早々に否定側はギブアップ、という試合になったところです。
決勝戦に限らず、全体的に、このような観点の反論が乏しかったように思いますが、資料を読まなくてもある程度有効に機能し得る反論になりますので(意味のある「ダウト」とはこういう議論を言うのです。)、是非今後チャレンジしてほしいところです。

もう一つの切り口としては、これは難しいところではありますが、資料の内容について、発言の立場や文脈を踏まえて攻撃するというものがあります。今回の決勝戦で言えば、否定側は、肯定側が挙げた岡山県での見直しの例に対して、見直しを行った石井知事を批判する共産党の記事を引用していますが、おそらくこの共産党は野党で、首長に反対するのは当然ですから、中立性はなく、直ちにその内容を正しいと見ることはできないと考えることができます。さらに、肯定側としては、このように野党から反論されている事実は、新任知事に対するチェックが効いている例であり、まさにオール与党が破られている好例である、として、自分たちの主張をサポートする実例として引っ張ってくるというウルトラCもあり得たところです。
この切り口の議論は、高校論題でも活用可能です。例えば、否定側がよく引用している、安保法案で野党三党が閣議決定を勝ち取ったという資料は、野党側の人間がアピールで自分たちの成果を強調しているだけで、実際の中身は閣議決定という、後の閣議決定で変更できる弱いものに過ぎないわけです(なお、閣議決定が後の閣議決定で変更できることはこちらの国会答弁を参照のこと)。エビデンスの権威性にアタックをかけてから中身を攻撃したほうが説得力が出ることが分かると思います。

以上の次第で、議論の見方を少し変えるだけで、いろいろと新しい反論が出てくることが分かります。こういう見方を少しずつ蓄積して、論題に関係なく応用できるようになることで、ディベートの力、ひいては議論の力がついてくるものだと思いますので、是非ディベートを続けていただければと思います。

3.中学論題でどのような議論を成し得たか
最後に、簡単に、中学論題でどんな議論があり得たかということを若干書き散らしておくことにします。
基本的には、選手の皆様がいろいろ議論されていたところでも十分な論点が出ていたようには思いますが(地方自治の専門家からすると違うのかもしれません。)、大きな視点として、この論題を制度として見たときに、一律に三選を禁止することの意味、ということと接続させて論じる議論がもっとあってもよかったのではないかと思いました。
例えば、肯定側は、チェック機能の確保や汚職の防止という話を挙げていましたが、これらの問題は、地方自治体の首長が大きな権力を持っているという制度的問題点への対応策として、かかる権力を任期制限という制度で縛ろうという問題です。このような「制度」を設けるのは、中にはそういう対応のいらない立派な首長がいるとしても、全体的傾向として問題があるので、問題が起きないような方向で制度設計をしよう、という思想に根差すものです。このような視座から、デメリットとの対比やメリットの説明ができれば、より説得的なストーリーが構築できたと思います。
他方で、否定側としては、かかる「制度」が地方自治体の実情に合わないという点に注力して議論を行うことになります。長い任期を確保すべき必要性や、短期で交代できるだけの人材プールの存在があるかどうかという形で既存のデメリットを論じていくことになりますが、その前提として地方自治の現状やあるべき方向性をうまく論じていければ、有効なスタンスとして打ち出すことができたでしょう。また、決勝の否定側が出していたような、肯定側の分析する「制度の問題」は任期とは別のところに存在するのであり、その点を変えない限り問題は解決しない、といった議論も有効でしょう。
論じる内容自体は変わらないのですが、どういう視点から議論を捉え、語るのかということで、議論の説得力は大きく変わってきます。だからディベートという競技は面白く、また、難しいのだと思います。

上記のような視点を中学生に余すところなく伝えるのは難しいというのはそうかもしれませんが、理屈としては十分理解できないとしても(できるくらい優秀な生徒もいそうな気がしますが)、適切な問いかけや議論の評価によって、直感的に、より深い分析にたどりつくことは可能なのではないかと思っております。その方法論をどのように構築していくのかということが今後の課題であるとは思いますが、一番の(そしておそらくは唯一の)近道は、ジャッジや指導者自身が深く議論を考えるということであり、今後も研鑽する必要があるのだと思います。
今年度の中学高校の大会は、そのように思いを新たにさせられる素晴らしいものであったということを述べて、今年度大会の感想の前半の締めくくりとさせていただきます。
第20回ディベート甲子園高校決勝の検討
気が付いたら秋となり、ディベートシーンもヘイトスピーチに移り変わっております。ヘイトスピーチ論題の議論について思うところを書いてもよかったのですが、今回は、既に簡単に取り上げた今年のディベート甲子園高校決勝をもう少し詳細に振り返ろうと思います。というのは、少し前になりますが、高校決勝の映像を元にジャッジと振り返り検討を行う機会があり、そこで改めて決勝のスピーチを聞いて思うところがあったため、それを書き残しておくことに意味があるのではないかと考えるためです。

最初に結論を述べておくと、(いつもながらのテンションで恐縮ですが)今年の高校決勝は、少なくとも筆者の判断としては、肯定側の圧勝と言わざるを得ません。筆者は、否定側第一反駁が終わった段階で、肯定側に投票すべき試合だと判断しています。しかしながら、同時に、この試合が2‐3で否定側の勝利に終わった理由も、理解できてしまっています。
この不思議な状況がなぜ生じたのかということをテーマとして、今年の決勝戦を詳細に振り返ろうと思います。

なお、上記のようなテーマからお察しいただけるとおり、以下の記載は、相当程度両チーム(特に否定側)に厳しいコメントを寄せております。しかしながら、このことは、両チームの努力や大会の結果を否定することを些かも意図しておりません。ただ、筆者としては、選手の皆様が全力で試合に臨まれたことへ敬意を表する意味と、今後のディベートがさらに質の高いものになることを祈念する意味で、あえて手心を加えず、率直な批評を行っているものであるということをご理解いただけますと幸いです。

それでは、以下、スピーチを順に振り返りつつ、コメントを加えていくことにします。なお、決勝の動画はこちらです。

肯定側立論
肯定側立論は、裁判員の負担解消を論じるメリット1と、公判の圧縮による拙速な審理の解消を論じるメリット2の2本立てとなっています。メリットの2本立ては保険的に出しているだけでは悪手となることが多いのですが、先の感想で書いた通り、今回の論題では、メリット1に対する反論をメリット2に活用するという筋が考えられます。負担解消のために拙速な審理をするという話ですので、構造的にそうなるのは当たり前と言えば当たり前です。しかしこの肯定側はそのような戦略的意義からメリット2本立てをしていたわけではなさそうであり、大変残念です。反駁分散のためにメリットを2本出すというのは基本的に強者の戦略ではなく、その意味で東海高校としては最初からよくない形でのスタートとなっています。
※もっとも、否定側第一反駁で逆用できるだけの内容の反論が出ていなかったので狙いが外れていただけかもしれません。

とはいえ、メリット1はそこそこよい資料で構成されていますし、メリット2も資料の質は総じて高いです。特に、少年の社会記録が抜粋だけになってしまったという話は、少年事件の理念からはかなりまずい問題であり、これはもっとプッシュしてもよかったでしょう。
他方、法律実務の観点から疑問があるのは、検察官はいくらでも捜査できるが弁護人は新事実がいきなりわかっても次の期日までに対応できない、という話です。公判前整理手続で検察官の証明予定事実が提出され(刑訴法316条の13第1項)、提出予定の証拠(刑訴法316条の14)やそれに関連する類型証拠(刑訴法316条の15)が開示されることを考えると、公判期日でいきなり新事実が出てくることはないでしょう(もしそのようなことになれば刑訴法316条の32第1項の「やむを得ない事由」があるので新たな証拠調べを請求できると思います。ただ、実際どの程度フレキシブルにできるのかはわかりませんが…)。このエビデンスは再任拒否された元判事の井上氏の資料ですが、裁判員裁判の経験はなさそうなので(民事で判決が短すぎて不評で再任されなかった人でして、まぁ、そういうことです)、肩書だけで信用してはいけないでしょう。
※原典を全く見ていないのでわかりませんが、中略が入っているので、もしかしてそれでおかしくなっている可能性もあります。

そういったところで、全国大会の裁判員裁判立論としては、良好ないし一応の水準のものが出てきた、といった感じです。

否定側質疑
ラベルの確認をしており、何も聞かないよりはよいのですが、本当は中身をきちんと聞いてほしかったところです。講評では肯定側質疑(後述のとおり割とよくできていた)に触れる行きがけの駄賃とばかりに言及して褒めていましたが、やるべきことは他にありました。否定側第一反駁では、公判前整理手続で十分やっているという話をするのですから、そのあたりについてなぜ突っ込まないのか、ということです。地区予選から数えて、何度もそういう試合をしていたはずなのですから、自分たちが出す反論の下準備になるところを詳しく聞かなくて何を聞くのか、ということです。
厳しいコメントになってしまいましたが、質疑については講評でもなかなか触れませんし、指導の時にもなかなか注意される機会がなかったのだと思いますので、あえて厳しく書いておきます。もちろん、ここでのコメントは、決勝戦の選手だけでなく、すべての中高生ディベーターに向けられています。

否定側立論
否定側立論は冤罪の発生です。裁判官には有罪バイアスがあるが裁判員はきちんと見る、という典型的な内容です。裁判官が聞いたらブチ切れそうな中身であること自体はまぁ仕方ないのですが、ノンフィクション作家が言いっぱなしているだけなど、質の低い資料が散見され、あまり強い立論とは思われません。また、裁判官と裁判員の違いを具体的に示すとされる部分については、裁判員の社会経験から証言を評価したという立川の事件の話は、裁判官だとできないことだったのかよく分かりませんし(裁判官も大きな意味ではサラリーマンなのです)、袴田事件の味噌樽の話が裁判員であればなんとかなるのかもよく分かりません。

ということで、この立論については、話の筋は概ねとおっていますが、裁判官と裁判員の違いについて論じるところの根拠は必ずしも説得的でなく、実例とされる事件も唐突に出てきており論題との関連性が不明であり、あまり強固な立論ではないという印象を抱かざるを得ないところです。立論のコミュニケーションは良好だと思いますが、中身をもっと詰めてほしかったところです。

肯定側質疑
ジャッジも疑問に思っている袴田事件の例について具体的に突っ込んで聞いて行ったり、裁判員と裁判官の違いがどこにあるのかを明らかにしていく中で立川の事件の例を突っ込んでいったりと、問題意識も見えやすい、良い質疑でした。質疑のやり取りを聞いていて、袴田の例や立川の例は判定上あまり乗らないほうがよいな、ということが確認できたという意味で、ポイントを衝いて判定にも影響し得る内容です。
この試合のコメントからは少し離れますが、有罪慣れの話については、否認事件はどの程度あるのか、ということとの関係で攻撃する質疑があるのかなと思っていたら、結局シーズン通して見る機会はありませんでした。このあたり、真面目に聞くと答えられる立論者はあまりいないと思われ、チャレンジに成功すればそれでデメリットのリンクが飛びますので、もう少し骨太なやり取りをききたかったな、というのが感想です。

否定側第一反駁
デメリット1に対する反論は、最初のエビデンスは個人的には読まなくてもよかったと思いますが、写真は改善されている、という話は、一応指摘されており問題ないです。写真を見てみないとわからないということもあると思いますので切りきれていませんが、メリット2に逆用されるリスクは低い資料です。重要性への反論は趣旨不明瞭で、独自の見解を述べるだけだったと思います(そうだなと思う人には言わなくてもよかった中身だし、共感しない人の判断を動かすだけの理由はない、という意味です)。一回立論の第一反駁では、とにかく理由のついた攻撃を打ち込むべきであり、重要性にとりあえずかみつく、というのは推奨されません。

問題はメリット2です。
最初の反論である、裁判員法改正で長い事件は対象外になったという話は、デメリットを削ります。袴田事件はおそらく除外されるでしょう。他方、メリット2で出ているような少年事件の例などは1年以内に収まると思われ、改正法でも対象からは外れないでしょう。その意味で、この反駁はリスクを取りながらメリット2をほとんど削れていない、ということになります。
次は、裁判官が公判前整理手続できちんと見ているから問題ない、という反論ですが、これは否定側立論と完全に矛盾しています。裁判官をあれだけ否定しておきながら、裁判官がきちんとやるから大丈夫だという話をするというのは、議論の一貫性を全く欠いており、極めて印象が悪いです。この反論はデメリットを前提とすると全く採用の余地がないものです。
また、公判前整理手続が長いという反論は、一応形としては成立していますが、メリット2で言っているのは証拠調べの時間が短いので証拠が圧縮されるということで、証拠調べの前準備である公判前整理手続が長いというのはあまり反論になっていません。このあたりは、刑事手続についてよく分からないので仕方ないとは思います(何度も言っていますが、論題研究会をやらなかったのが悪いのです)。
実例が上訴審で覆っている、という話は、本当かどうかわかりませんが措くとして、その次の「弁護人は時間がないというが、それではなぜ検察官は有罪を立証できるのか」という反論は、資料で説明されている内容について突っ込んでしまっているもので、これも印象がよくありません。本当に聞き取れていなかったのだとすれば、それこそこの場所を質疑で聞いてもらうべきでした。

上記の次第で、メリット2については採用できる反論がほとんどなく、全く機能しない内容だったと言わざるを得ません。したがって、筆者は、冒頭に記載したとおり、この段階で少なくともメリット2が残り、デメリットより大きいと考えられたことにより、残りを聞かなくても肯定側に投票することで心証を固められる状態に至りました。率直に言って、内容面で言うと、このスピーチについてはほとんど評価できるものがないと言わざるを得ません。
しかし、この記事の主題は、否定側第一反駁を論難することではなく、それでもなお肯定側が勝ってしまう可能性が考えられてしまう理由を明らかにすることにあります。ということで続きを見ていきます。

肯定側第一反駁
デメリットに対する反論について。
裁判員が報道で汚染されるという話と、処罰感情の話は、デメリットへの攻撃として有効でしょう。裁判員が一期一会なので気合が入ってしまうとか、裁判官はそういうものがないという話があれば一番良く、そこで試合を決められるレベルだと思いますが、それは今後の課題でしょう。
続いて、裁判員が裁判官の有罪バイアスに影響されるという話。デメリットの議論や、否定側第一反駁の矛盾した反論を逆用するという意味ではよいですし、そういう手を打ってしまいたくなる気持ちもわかります(筆者もそういう議論は好きです)が、資料の中で裁判官の有罪バイアスを認めたような内容が入っているのはいただけませんし、この試合の展開でそこまで反論を重ねる必要があったかなというのは疑問です。
覚せい剤事件の処理については良好ですが、立川の事件の例についての攻撃は中身としてはあっているもののそこまで時間をかける必要があったか疑問です。袴田事件の例はうまく反論されており、これはこれでよいと思います。

しかしながら問題は、メリットの再反論をほとんどできなかったということです。否定側第一反駁が取るにたりない内容だったので無視するという選択はあり得なくはないですが、それは、デメリットが強固に立っており、そちらを叩く方が効率が良いという場面の話であって、この試合のデメリットは3分程度の内容で十分弱められていたのですから、メリットの再反論に時間を割いて、否定側の反論に理由がないことを確認して排除しておく方が、紛れがなくてよかったはずです。
個人的には、時間があと1分あったら肯定側第一反駁は何を言おうとしていたのか気になりますが、いずれにせよ、この時間配分のミスは、東海高校が敗北したであろう理由の伏線となっていきます。

否定側第二反駁
メリットの話は、当たっていない第一反駁の話を伸ばすだけで、肯定側が何も言っていないこともあり、判定上特に意味はありません。
デメリットについては、裁判員がやってみたらまじめできちんとやっているという話をして、一応返っています。ただ、報道に汚染されるという話や、ハワイ大教授の研究の話に対してきちんと返っているかは、細かく見ると疑問のあるところで、肯定側の反論次第といったところです。
しかし、その余の部分については反論になっておらずギブアップで、デメリットの成立は認めがたい感があります。

その後のまとめとされる箇所も、自分たちの見方だけを一方的に説明するもので、判定に影響するところはありません。これも厳しいコメントですが、全国大会決勝という、模範にされるべきことが想定される動画ですので敢えて書きますが、このような「まとめ」はジャッジの求めるものではありません。

というわけで、ここまで見ても、否定側に投票すべき理由は見出し難いように思われますが、それでは、なぜ判定は割れたでしょうのか。最後のスピーチを見ていきます。

肯定側第二反駁
デメリットの総括からはじまりました。
慣れがあるから有罪は分かったが、なぜ慣れがないとよいのか分からない…というまとめは、裁判官の有罪バイアスの話を前提にしてしまっているところで、認めなくてよいものを認めてしまっている問題があります。そのあとで、裁判官が裁判員を誘導するという、否定側第一反駁の矛盾ストーリーを巻き取って展開する反論を大きく展開しています。おそらくそれが、一つの敗因です。
肯定側としては、このように勝勢の試合で、相手の議論を前提にするテクニカルな反論を無理に押し出す必要はなかったはずです。気持ちはよく分かるところで、否定側の反駁の中身を利用しつつ、テクニカルにデメリットを切ろうとしているわけですが、そもそも認める必要のない否定側の筋を認めてしまっているところで、デメリットを立たせる理由を逆に作ってしまったことになります。

その後、デメリットを引き続き論じていますが、ここはたいした反論もないので、もっと簡単に触れて、再反論しそこなったメリットについて説明したほうがよかったのではないかと思います。
そのメリットの反論としては、普通の裁判と違って集中審理だから困る…という話をするだけでしたが、これも第二の敗因と考えられます。この反論は、そもそも証拠の圧縮という話の本筋からずれていますし、肯定側が出していた公判前整理手続で何とかなるという話との関係で何もフォローできていないという点で、ジャッジに誤解される余地が出てきます。つまり、公判前整理手続の話は当たっていないと判断するジャッジであればよいのですが、そうではなく、公判前整理手続の期間で十分審理されているのではないか、と「誤解」しているジャッジ(カッコ書きしているのは、別にそれはジャッジとして「誤り」ではないということを含意しています。もしかして、公判手続について知っている筆者の見方が予断を含んでしまっているというべきなのかもしれません)には、十分な反論になりません。

以上を踏まえると、この第二反駁を受けて、ジャッジとしては、例えば以下のように投票することもできてしまいます。
「デメリットの話についてはよく分からないが、裁判官に有罪推定があることは肯定側も認めるようであり、裁判員については、制度形成後はきちんとやっているという実例もあるので、一応若干は発生する。他方、メリット1は反論がなく無視できるし、メリット2は、肯定側第一反駁でほとんど反論されていないし、公判前整理手続に時間がかけられているのであれば、審理期間が足りず圧縮されるということはないのではないかということで、冤罪の問題の方が具体的に思える」

筆者として上記のような判断に納得するものではないですし、実際に否定側に入れたジャッジが上記のように考えたかどうかも定かではないですが、少なくとも、肯定側第二反駁がこのように判断されてしまう隙を与えてしまったことは確かですし、その観点からは、肯定側第二反駁は4分間黙っていた方がよかったのかもしれません。肯定側第二反駁が内容的にマイナスだったかというと(私の理解からは)必ずしもそうではないのですが、ディベートというのは難しいものです。

まとめ ~本年の高校決勝から何を学ぶか~
以上、高校決勝戦を振り返ってみました。
無礼を承知で率直なところを申し上げると、今年の高校決勝戦は、水準として高かったかというと相当程度疑問の残る試合でした。もちろん、これは提示された議論に対する評価であり、そのことをもって決勝出場の両校の選手の方々を非難する趣旨では全くないのですが、ディベート甲子園のジャッジとしては、これをゴールとすることなく、さらにレベルの高い議論に向けて、今後ますます努力されることを切に願っております。

それでもなお、この試合から、肯定的に学ぶことは多々あります。
肯定側は、試合では負けてしまいましたが、質疑の鋭さ、バランスは失したものの第一反駁の準備の綿密さと手数の多さ、第二反駁の相手の議論を踏まえた説明ぶり(裁判員が誘導される…という話は、僅差の試合では試合を決める議論になり得るでしょう)が参考になります。
否定側は、基本的なコミュニケーションスキルの高さのほか、初出場とは思われないレベルで立論の構成を整えていたり、反駁についても、当たっているかどうかは上記のとおり疑義もあるものの、一通り食らいついて試合を進めており、この点で決勝に進出しただけのことがあります。

そして、この試合から教訓として学ぶべきことは、自分たちの反論が認めてしまう「前提」の危険性や、簡単に排除できる反論を放置してしまうことの危険性といった、議論選択のリスクについてもっと敏感にならないといけないということにあります。これは筆者自身、ディベーターとして試合に出るときに頻繁に失敗するところであり、仕事の中でも悩ましいことが多々ある問題でもあります。
ディベートというものが人間を相手にする以上、その選択がどういう結果につながるのかということは、はっきりと分からないところがあります。いかによさそうに見える議論でも、その議論を出すことにリスクはないのか、その他にもっとリスクの低い選択肢はないのか、そのリスクを取ってでも議論を出すべきなのか…ということを考えていけると、より間違いのない試合ができるのだろうと思います。言うまでもなくこれはきわめてレベルの高い問題ですが、その選択ミスが分かりやすく結果に出てしまった、ある種貴重な実例として、この決勝戦を振り返って学ぶことは多いかもしれません。

といったところで、本日の記事は終了です。JDA終了後余裕があれば何か書いてみたくはありますが、今のところは未定ということで。
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