愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
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第22回ディベート甲子園の感想
大会からかなり間が開いてしまいましたが、今年のディベート甲子園も終わりましたので、感想というか総括を記しておこうと思います。

今年の大会も、難しい論題に対して、よく考えられた議論が様々出ており、見ていて楽しい試合が多かったです。これも、選手の議論レベルが上がっているということに起因するものだと思いますが、以下では、さらに質の高い議論に期待するという趣旨で、主に高校論題を念頭に、論題の解題めいたものを含めた議論の内容に関するコメントと、ディベート技術的なコメントを書くことにします。

1.高校論題(解雇規制緩和)のポイント
今年の高校論題については、個々の分析もさることながら、相手の議論を上回るストーリー(シナリオ)をきちんと作れるかどうかが特に重要となるものでした。
肯定側で考えられるストーリーとしては、解雇規制が企業を非効率にしており、このままだと企業が競争力を失い雇用を守れなくなるので企業が合理的に経営できるようにしようという話や、解雇規制が雇用を抑制する方向に働いており、規制を緩和することで雇用を増やしつつ再就職しやすいようにしようという話で、デメリットを切りつつ勝つという議論が比較的立てやすいところがあります。実証分析などもそれなりにあるので、このような議論は割と作りやすかったように思われ、実際にそのような議論を展開しているチームも散見されました。
しかしながら、大会全体でみると、(別に肯否が偏っていたわけではないですが)肯定側が上記のような議論で圧倒していくかというとそうでもなく、否定側がかなりよく戦っているように思われました。ただ、その理由の大きなところは、下記で述べるような反駁の捌きに関係するところで、否定側がものすごく強いストーリーを展開していたという感じはありませんでした。そのあたりをテーマにしてお話ししようと思います。

今シーズン否定側が良く回していた議論は、解雇規制緩和で生産性の低い従業員、具体的には中高年の層が多く失業し、再就職できないので困るという話です。これだけだと、生産性が低いのだから仕方ないという話になるところですが、工夫を凝らした否定側では、中高年層は若い頃に終身雇用を前提に犠牲を払っており、そこで梯子を外してしまうと、終身雇用前提で生活してきた従業員やその家族が困ってしまう、という話を回していました。これはこれでそれなりに説得力があったのですが、肯定側のほうで、上述したようなストーリーをきちんと伸ばしてくると、これだけでは議論の構想としては弱いところです。すなわち、既得権で若年層の雇用を奪ったり会社の経営を阻害して雇用を保護する会社そのものがだめになってしまうという話を持ち出されると、メリットに上回られてしまうことになってしまいます。

これに対して否定側が論じ得るストーリーとしては、大きく2つあります。1つは、上記のような中高年失業のデメリットを前提としつつ、メリットの分析にも攻撃できる議論を入れていくことです。例えば、現在でも採用の多様化は進んでいるという話や、若年層は年功序列制度に期待しておらず転職も前提としたキャリア形成をしているといった議論で内因性を削り、漸進的に解決すればよく、年功序列を前提としている中高年層がまだ会社に残っている時期に解雇規制を緩和する必要はない、といった方向の議論が考えられます。実際、このようなことを言いたそうな反論を出しているチームは地区大会などで見たことがありますが、ストーリーとして最後まで押し切っているところは見られませんでした。
ただ、上記のような議論は、「2040年から解雇規制を緩和します」とか言われてしまうと微妙なところもあります(論題が想定しているのかは微妙ですが、文言上は論題を肯定しています。)。かかる懸念をクリアするには、より根本的な話として、解雇規制の意義そのものから立論していくことが求められるところです。

ということで別のあり得るストーリーは、中高年失業のデメリットではなく、解雇規制を緩和することで労働者の権利が切り下げられていくといったデメリットを出すことが考えられます。ここでいう「労働者の権利」は、解雇されるかどうかということだけでなく、解雇を恐れて労働強化などの労働環境悪化を甘受しなければならなくなるといった話にも及ぶところです。これも地区予選では見られた議論ですが、このデメリットだけではメリットに絡んでいけませんので、メリットの議論も見据えたストーリーに仕上げていく必要があります。
そのためには、メリットとの関係での優位性をどうつくるかということを考える必要があります。オーソドックスなところでは、インパクトで上回るということで、労働法制の目的や優先順位といった話を援用することが考えられます。労働法が労働者を保護しているのは、雇用者(会社)と被用者(労働者)では前者が優位に立ち、経済合理性だけでいくと労働者の権利が脅かされてしまうということがあります。なので、たとえ経済不合理に見えても、労働者を「過剰に」保護するのは正当だ、といった論陣を張ることができます(中高年失業デメリットでも使えます)。
また、メリットの解決性の分析そのものに切り込んでいく議論もあり得ます。雇用の拡大による労働者の利益を説くメリットに対しては、プラン後拡大する雇用は、これまでの「解雇規制で守られた」正社員ではなく、「いつでも解雇される」正社員であり、まったく安定性を欠くという分かりやすい反論が考えられます。その上で、(いくつかの試合で見られましたが)低スキル労働者といった、雇用市場で弱い立場の従業員は定職を得ることができず、雇用流動化の下でも安定した生活ができないので格差が拡大する、といった具体的な弊害をターンアラウンド気味にぶつけていくことで、メリットをひっくり返すことが可能です。アメリカで格差が拡大しており、白人貧困層の支持を得てトランプが大統領になったという話を想起すれば、この話はかなり現実的でもあります。
企業の合理的経営といった向きを強調するメリットには、決勝戦で慶応高校が出していたような、解雇規制を緩和することで企業が機会主義的に行動し、短期的利益だけを見て解雇することで競争力を落としてしまう、といった話があり得るところです。慶応高校はこの興味深い議論を今ひとつうまく使えていなかった感がありますが、長期雇用の意義なども絡めつつ展開していけば、メリットを大きく減じる議論になったと思います。

上記のように否定側が重厚なストーリーを論じていくと、肯定側もそう簡単には勝てなくなります。今年の大会での肯定側議論の一つの到達点は、決勝戦で筑波大附属駒場高校が出していたような、実証分析や海外の例で堅く構築した雇用拡大のメリットで、既得権ではなくこれからの雇用を重視すべきとか、終身雇用に限界があるので転換が必要であるという重要性も含めてよくできていたのですが、このよくできた立論をそのまま押し出すだけではなく、第一反駁で相手のデメリットに対して深く切り込んでいくとともに、第二反駁でメリットの価値に沿って議論を再構成し、自分たちのストーリーをきちんと説明していく必要があります。

上記を一般化しつつまとめると、相手を上回る議論を作るには、きちんとしたインパクトをつける(ex.中高年失業の話に「中高年解雇は不当」という説明をきちんとつける)ことに加えて、自分たちの議論に根っこを持ちつつ、相手のメリット・デメリットを否定するような大きな反論を用意して肯定否定両方の議論を横断するストーリーを作る(ex.雇用拡大・再就職促進をいう肯定側の議論や、労働者の不安定化をいう否定側の議論)必要がある、ということです。
このように議論を考えるときのヒントは、時間軸の流れを意識すること(今後も同じような状況なのか?)、プランを取った後の変化を考えること(プラン後の「正社員」とは?プラン後の再就職状況は?)です。ディベートで議論すべきストーリーとは、将来の、プランを取ったときの変化であるからです。
両方がこのような議論を出してくると、勝負は、それぞれのストーリーのカギとなる議論をいかに説得的に出していくか、ストーリーを分かりやすく提示できるかになってくるわけで、そこでもいろいろと考えるべきところはありますが、まずは、大きなストーリーをきちんと作る、ということをよりきっちり詰めていくことが重要であろうと思います。

なお、近時、日本語の即興ディベートが盛り上がりを見せているようで、私自身は即興をやってなさそうなイメージもあってか(笑)あまり顔を出せていないのですが、そこで求められるのもおそらく同じで、大きなストーリーの筋を短時間できちんと作れるかが、説得的なスピーチを行う要点なのだと思います。よくある価値観や相手の議論への絡み方、というのは存在しますので、そういった思考のトレーニングとして、機会があれば即興ディベートにチャレンジされるのもよいかと思います(私もですかね)。

2.メリハリのある反駁を行う
これは中高に共通するところですが、試合を見ていると、否定側第一反駁がそれなりに充実していると、肯定側第一反駁が息切れして返しきれず、そのまま負けてしまうということがあります。
このような状況の原因は、そもそも再反論の準備が十分できていないといった問題に起因するところもありますが、それだけでなく、相手の反論のうち重要度の低い議論に相手しすぎる一方、重要な議論への反論が弱くなってしまうという、時間配分の失敗があるように思います。

この点については、高校決勝を参照することにしましょう。否定側の第一反駁は、手数はそれなりに出ていましたが、返答を必須とするような重い議論がたくさん出ていたかというと、そうでもなかったように思われます。資料付きのものだけ見ても、内因性への反論1点目は、賃金が減っても雇用を守るほうがいいという話ですが、唐突感がある上、雇用も増えるという解決性の話が立てば返ってしまう話なので、これだけなら無視してよい中身ですし、2点目は、日本の採用は景気変動に影響されている、という話は、当たり前の話だけで、解雇規制の影響について何も言っていないので、意義が不明です。解決性への反論1点目は、日本は国民性や文化やスタートアップ企業で働きたがる人が少ないという話ですが、プラン後は変化するという話ができそうですし、新産業立ち上げがうまくいかないという立証にも至っていないので、やはり無視してもメリットは切れません。解決性への反論3つ目であるドイツの実例への反論は、ほかの実証分析もあるので致命的ではありません。
唯一気になるのは解決性への反論2点目で、人手不足の原因は労働者と企業の二重のミスマッチであるということで、ミスマッチが解消しないと雇用はクリアされないのではないか、ということです。説明が十分ではなかったところもありますが、この反論は、解雇規制が厳しいから雇い控えているわけではないので、プランをとっても企業の欲しがる人材でなければ結局採用しない、という話で、雇用拡大の話を切る可能性があります。

そうすると、肯定側第一反駁は、ミスマッチの話を少し丁寧に説明し、残りの議論は、自分たちの議論を伸ばしたりしつつ簡単に返せばよいということになります。実際の肯定側第一反駁は、かなりうまく捌いており、通常の水準で言うと手本にすべき内容だと思うのですが、ミスマッチの議論は、もう少し手厚く、プラン後はよくなるという話に加えて、実証分析なども援用して、日本だけがミスマッチで苦しんでいるはずないわけで、他国で解雇規制により失業率が低下している以上、プラン後ハードルが下がることでミスマッチの問題も乗り越えられることも実証されている、というフォローを行うことができたかと思います。
どちらかというと、肯定側第一反駁で(試合結果との関係で)悔やまれるのは、デメリットのストーリーを全部切りきれていなかったことにあります。デメリットへの反論で優先すべきは、メリットに対応する議論がなく、反論しておかないと取られてしまう可能性があるところです。その意味では、特にデメリットで反論が必要だったのは、機会主義的行動で企業にとってもよくない結果になるという話です。ここはきちんと反論されていた部分もあるのですが、生産性向上のターンアラウンドを撃ってでもポイントを挙げておくことが望ましかったところです。その分、固有性に対する反論は、メリットの重要性でも述べているので、カードを2枚読むこともなかったかとは思います。
(ただ、私個人としては、肯定側第一反駁は水準の高いスピーチをしており、デメリットにもそれなりに返っていると思っており、この試合は、割れることはあるかもしれないが肯定側に投票するかな、という気はしています。決勝講評でデメリットの説明が薄かったのでよくわかりませんが、おそらくデメリットは全員何らかの形でとっていたのだろうとは思われ、どこで切れるかを明示できなかったところが肯定側の敗因と言えばそうなるのでしょう。あと、音響などの問題もあって聞き取りにくかったところもあるのかもしれません。)

決勝戦の肯定側第一反駁であっても上記のようにメリハリの課題があること(その前に否定側第一反駁ももっと痛い反駁を選べたはずではあります)からしても分かるように、ポイントを絞って反駁するということは重要です。4分ないし3分で要点を突いた反駁を行うことは難しいのですが、相手の反論を聞いて「これは反論を要するのか」「どの程度試合に影響する議論なのか」ということを正確に判断できることは、レベルの高い試合で勝ち残るポイントになってきますので、これから練習試合をしたり他の試合を見る機会には、そういった観点で議論を評価してみることや、ジャッジがどの議論を重視したのか、あるいは反論されなかったのに特に評価していない議論が何で、それはなぜなのか、ということを意識してみることをお勧めします。


以上、本年度のディベート甲子園の総括です。若干なりとも来年も出場される選手の方々の参考になれば幸いです。
講評でも何度か述べる機会がありましたが、この大会で皆さんが得たものは、大会の成績それ自体ではなく、そこまでに積み上げてきた経験や思い出といったものです。特に私個人の経験で言えば、ディベート甲子園を通じて、議論することの難しさや楽しさを知ることができたことは、目に見えない形で今の進路にも影響し、役立っていると思います。皆さんが取り組んできたことは、大人でもしり込みするような難問を、深く、しかも、楽しんで議論するという、とても価値あるプロジェクトです。そのような姿勢を、これからの人生で直面するであろう、あるいは社会の成員として求められるであろう、難しい問題に取り組む際に、活用していただければ幸いです。
そして、もしご縁があれば、ディベート甲子園を卒業した後も、ディベートにかかわる機会を持っていただけると、いちディベーターとしてうれしく思います。JDA優勝だとかそういうことに縁がないとしても(それは全く正常なことです)、社会経験を積んだうえでディベートに触れると、見えるものが違ってくるということはありますので、是非気が向いたときに大会に足を運ぶなりしていただければと思います。

それでは、また大会会場でお会いしましょう。
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第21回ディベート甲子園の感想(2.高校論題)
前回に引き続いて、第21回ディベート甲子園の高校大会について感想を述べさせていただきます。
今年の大会は全体的に水準が高く、その中でも、準決勝のうち鎌倉学園高校vs筑波大学附属駒場高校のカードについては、非常に熱戦だったとして、詳細な感想・分析も書かれております(例えばこちらこちら。なお私は悩んで肯定かなというところですが左記のブログは両方否定側を支持。後者のブログはちょっと反駁を再構成しすぎな感もありますがまぁそれもありはありかなと)。

例年であれば決勝戦などの試合を取り上げて比較的詳細に判定などを検討しているのですが、今年は、個人的に同じ国民投票論題でJDAに出る予定であるということもあり、こういう議論をしようという目標立ても兼ねて、今大会の議論全体に対する感想といった形で、さらに水準の高い議論のためにどのようなことが期待されるのか、ということを簡単に書くことにします。

1.出した議論を最大限活用する
準決勝について紹介した上記の各ブログでも示唆されていますが、せっかくよい議論が出ていたにもかかわらず、その機能を従前に生かし切れていない場面が散見されたように思います。一番わかりやすいのは、決勝戦の肯定側が内因性で読んでいた村上のエビデンス(これは非常に良い資料)について、意思決定プロセスに問題があったという形でデメリットの固有性を切る形になっていたにもかかわらず、全く伸ばされなかったということが挙げられます。これをうまく伸ばせば肯定側は5-0で圧勝できるような構造にあったと思いますが、そうはならずに判定も割れました。
高いレベルの要求ではあることを承知の上で述べると、このような状況が生じてしまう理由は、その議論が直接あたっている議論以外のところにどういう影響を及ぼすか、ということに十分意識がいっていないから、ということになります。では、どうすれば意識が及ぶのかということですが、根本的に言えば、議論を出すという行為が、単純にフローの左側に書かれている議論のレスポンスであるということではなく、ストーリーを基礎づける材料を出すことである、という意識を持つということが重要です。たとえば、鎌学と筑駒の準決勝で、筑駒は解決性にかなりの議論をぶつけており、その中では、議論すると考えの似た人同士で話し合うことになるので意見が先鋭化してしまうとか、国民投票では間違った情報やデマにより正しい意思決定が行われないことがあるという話が展開されていたのですが、このような議論は、単に解決性に対する反論というのではなく、それに対比される形で論じられている、自分たちの固有性の議論の優位性にもつながってきます(まぁ、集団分極化は政党内でも起こるのではないかという気はしますが…。)。つまり、否定側が出した解決性に対する反論は、物事を決める際にどのようなことが起こるのか、という分析として位置づけられるべきものであって、そのような分析がされたことを踏まえて、他の論点も含めた議論の全体を再評価することができるし、また、そうすることが期待されているということになります。

2.もう一歩大きな分析を置く
今回の大会では、各チームにおいて、民意を反映することがなぜ重要なのか、間違った政策が選ばれるのがなぜだめなのか、という重要性・深刻性に係る価値の議論をよく検討していたと思います。もちろん、より深く分析してほしい場面もたくさんありましたし、重要性や深刻性の議論にマッチした事実分析が展開されていない例(例えば、鎌学-筑駒の準決勝の肯定側立論は、重要性はそれなりに深掘りされていたと思いますが、そこで問題とされているようなひどい事態が内因性で述べられていたかというと、ちょっと迫力が足りませんでした)もあるのですが、総じてよく議論していたと思います。
しかし、さらに一歩議論できた点として、例えば、「今後の日本で」どのように考えるのがよいのか、といった、論題の導入対象との関係でのより深い分析を行うという点があげられようかと思います。これは、どちらも一理ある価値対立の問題を解決し得る有効な方法なので、より研究されるべきだったところです。すなわち、肯定側が一般的に論じるような民意による意思決定や変革の必要性という価値は、慎重な合意形成や調整による落としどころの探求が重要であるという否定側の主張とトレードオフの関係にあります。そして、どちらの価値がより重要かは、普遍的に定まるものではなく、日本で今後何を決める必要があるのか、日本がどういう状況なのか、といった要素によって左右されます。そのような「今後の日本に求められるもの」という、一つ大きな次元の分析をかませた上で、その中で国民投票をどう評価すべきか、という話がされれば、重要性や深刻性に筋が通るはずです。

3.制度の違いに着目して議論する
今回の大会で少し物足りなかったのは、制度の問題をきちんととらえて語る議論が少なかったことです。これは何を言っているのかと言うと、相手方の採用する制度どういう理由でまずいのか、逆に自分たちの制度はどこが優れているのかという分析が足りなかったように思われるということです。
全然わかりやすくなっていないので具体的に述べましょう。たとえば、否定側は、二者択一で決めるといけない、という反論をよくしていたのですが、その反面としては当然、現状の議会を通じた意思決定はそうではない、という話が出てくる必要があります。二者択一で切り捨てられるものが、議会の審議ではどう反映されているのか、それはなぜなのか、結果にどう影響してくるのか、ということを丁寧に論じれば論じるだけ、それが欠如した肯定側のプランの問題点が浮かび上がるはずです。結局、メリットデメリットの比較と言うのは、この論題では、直接的意思決定と間接的意思決定の制度比較にならないといけないということです。
肯定側は、議会の意思決定では何が問題なのか、ということをきちんと論じていく必要があります。よくある議論は、選挙で争点隠しだとか、強行採決だとかいう問題なのですが、これをもう少し抽象化すると、選挙がある種の白紙委任的制度であるということに帰着され、そこから、直接意思決定を行うべき必要性が出てくることになります。また、否定側がよくあげていた官僚制の問題は、民意反映という観点からはむしろ肯定側が有利に援用すべきものであり、選挙による選択すらされていない官僚が法律を作っていることの問題点と言うのも当然指摘されるべきです(ただ、官僚はいろいろな利益団体の声を反映しており、むしろ議員立法の方がまずいのではないか、みたいな議論もあるようです)。
自分たちの制度が、どういうコンセプトに基づいており、そのコンセプトに照らして相手方の制度がどう問題なのか、といった視点で議論を整理できると、もっと見通しがよくなったのではないか、ということです。

といったことがさしあたり考えられるのですが、それにしても今年の論題は大変奥の深いもので、自分でも取り組んでみるといろいろと考えさせられること大です(ただあんまり考える時間が取れていません)。その意味で、今年の大会は十分レベルが高かったものの、まだまだ深められる点は多いところです。
その観点から1点普遍的なアドバイスをしておくと、この論題に限らず、ある程度考察を深めた後で既読の資料を読み直すと、たくさん有益な記載が出てきます。経験値がたまれば最初からそれなりに良い記載を拾えるのですが、ディベート自体の経験が浅かったり、論題をよく分かっていない初期の段階である場合、大事なことに気づけないことがままあります。今回も、自分で資料を読んでみて、なぜ今年の大会でこれが読まれなかったのか・・・ということが多々あります。おそらく、選手の皆様も、資料を読み直してみると同じような気持ちを抱くことがあるのではないかと思います。今後、煮詰まったら、これまで読んだ資料をもう一度読み直す作業をしてみるとよいことがあるかもしれません。

といったところで、例年よりだいぶ総括感の減った高校大会雑感を終わります。選手をやることになった以上、言いたいことは大会で見せないと仕方ないと思いますので、どこまでやれるかわかりませんが、何かしら面白い議論を回していければと思っております。
第21回ディベート甲子園の感想(1.中学論題)
今年も第21回全国中学・高校ディベート選手権全国大会(ディベート甲子園)が開催されました。今年は中高ともに大変水準の高い議論が繰り広げられ、見ごたえのある試合が散見されるよい大会でした。個人的にも刺激を受けましたので、今季JDAでは久々に選手としてチャレンジしようと考えておりますが、それはまた別の機会に。

さて、今年のディベート甲子園では、僭越にも中学決勝の主審を担当させていただくことになりました。講評は正直いまいちで、特に独自色があるわけでもなく、申し訳なかったのですが、一期目ということで勘弁していただければと思います(かといって二期目以降があるかどうかは分かりませんが…。)。大会2日目に登板可能性の打診があったのでエビデンスも集められませんでした。ただ、前半で時間を取った、大会の意義に関するお話は正直な思いを語ったところですので、試合の内容には全く無関係のコメントではあるものの、選手の皆様に伝わればうれしく思います。
…ということで、中学決勝の講評は時間超過で怒られた割に内容が不十分でしたので、ここで補足説明を加えることをもって、中学論題の総括とさせていただくことにいたします。なお、中学決勝とその講評判定はこちらでご覧になってください。なんでも、フォローすると連盟が少し潤うそうですので、皆さまどしどしフォローください。

1.中学決勝の判定
今年のディベート甲子園中学の部決勝戦は、地方公共団体の首長の三選禁止という論題の下、岡山白陵中学校(肯定)と創価中学校(否定)の対戦となり、4-1で肯定側の岡山白陵中学校が勝利しました。
判定については、講評でお話しした通りです。残り時間超過の合図が出ていたので明らかに巻きで喋ってしまっており大変格好悪いのですが、実際のところ、判定理由はシンプルで、講評で述べたところで概ね説明されています。私は多数意見に投票しておりますが、メリットについては多選になるほど首長の立場が強くなりチェック機能が働きにくくなることと、交代することで見直し・チェックの契機が生まれるということは維持されていることに対して、デメリットについては、リーダーシップというところで任期が短いと職員が言うことを聞いてくれないという話は一応残るものの、首長によっては何とかなるし、仕事のやりにくさでどういう弊害が出るのか分かりにくかったことから大きくは評価できず、ネットワークが失われて補助金を引っ張れなくなるというところも、具体的弊害が不明だったので取っていない、ということになります。否定側に投票したジャッジは、メリットへの反論を強めに取ったということで、私自身の評価とは相違しますが、そういう見方もありだとは思います(肯定側がどう対処すべきだったかは講評で述べたとおり)。
あと、否定側のスタンスの話についても微妙で、詳細は後述しますが、スタンスとデメリットの乖離を判定の中でも重く見たジャッジもおります。

このような結果となった最大の理由は、否定側立論で挙げられた2点の問題が実はイマイチだった、ということにあります。
まず、リーダーシップというか、短期では効果的な業務遂行ができないという話については、なぜ短期ではできないのかという話が深掘りされていないという問題があります。長期的にやっていると行政職員をコントロールできるという話や、就任当初は反発があるというのは、何故そうなのか不明です。おそらくこの理由を掘っていくと癒着を言うメリットの話につながるのではないかと思うのですが(というか発生過程で読まれている飯塚のエビデンスで既得権益保護のために反発する、と言っている)、いずれにせよ、最初に聞いて、長期でやらせないといけない、と思わせるインパクトがありません。
次に、ネットワークの話で、市長会などでパワーを持つという話も、補助金を引っ張ってきて何がいいのかよく分かりませんし、そもそも、(肯定側は問題にしていませんが)補助金というのは無から湧いてくるものではなく、どこかに配分されればほかのところの取り分が減る話であり、日本全体で見て行政がよくなるという話にはなり得ません。むしろ、長くいるから権力を持って補助金を引っ張るという構図こそが問題であり、そういうものを解体するのがメリットであるという議論すら成り立つところです。

このように否定側立論の突っ込みが不十分だったことは、最初のスタンスと具体的なデメリットが整合していないということにも表れてしまっているように思われます。否定側のスタンスと称する議論は、各地方自治体は固有の課題を持っており、地域特性に起因する課題をそれぞれの身の丈に合った運営で乗り越える必要があり、一律の制度変更はすべきでない、という話ですが、上記から分かるとおり、デメリットで挙げられている問題はいずれも各地方自治体固有の課題といった話とは関係ありません。各地方自治体で長期の取り組みを要する課題があるから任期を制限すべきでない、という話はあり得ると思いますが、今回の大会ではそのような議論が全く出ていませんでした。
対して、肯定側のメリットは、任期が長くなるとチェックが聞かなくなるという、構造的な問題を論じており、これ自体は各地方自治体の状況の違いに関係なく生じ得る問題です。このような議論が、スタンスとされる議論によっても牽制されることはありませんから、結局、スタンスなる議論は完全にカラぶっていることになります。
さすがに決勝講評でここまで踏み込んで話すことはできないので、この場で詳述させていただきました。なお、スタンスの意義については、過去の中学決勝講評で詳しく説明しておりますので、ご参照ください。ここでも創価中学校の出したスタンスが機能していないという説明をしておりますが、創価中の名誉のために申し上げておくと、大学生以降の試合でも、スタンスと言いつつ全く意味のない議論を回している選手はおり、むしろ「スタンスと言っとけば取る」という安易かつ誤った発想に立っているのではないかという事例も散見されるところですので、そういう状況が改善されず、適切な指導が行われないことが問題なのだと思っております。

いろいろと否定側には厳しいことを書いてしまいましたが、それでも否定側のスピーチの水準は全体的に高く、難しい論題に果敢にチャレンジされた成果が出ておりました。講評でも述べましたが、優勝した肯定側も含めて、両者の健闘を称えるべき好勝負であり、見ていない方は一度ご覧になることをお勧めします(講評判定は上で書いているので別に聞かなくていいですw)。

2.より創造的な反論を
判定の話はこの程度にして、個別具体的な議論を題材に、よりよい議論に向けたコメントを記載しておきます。

講評でも述べましたが、この論題に限らず普遍的に使える切り口として、「プランが実施された場合でも同様に言えるのか」という分析があります。中学論題で言えば、多選制限がないところで(多選の)現職と新人が戦った結果新人が勝った場合と、多選制限の結果新人同士が戦って勝った場合でどう違いがあるのか、という話があります。前者の場合、新人首長は、1期目で失敗すると前職に次の選挙で負けるかもしれないわけで、1期目で前職をできるだけ否定しておこうという動機が生じるかもしれませんし、自分の独自色を無理してでも出す必要がありそうです。ただ、その分前職の仕事を批判的に検討することで、肯定側のメリットで出ているようなチェック機能や効率化につながることにもなりそうです。このような効果が、多選制限の結果行われた選挙の後でも同じように出るのかどうかは、「なぜ多選の場合こういう問題が起こるのか」といったところからスタートして、想像力を働かせてほしいところです。
また、決勝戦で言えば、ネットワークの話についても同じような議論ができます。すなわち、否定側の話は、長期で首長をやっていると市長会などの団体で偉くなっていくという話ですが、プラン後はみんな2期で終わりますので、長く首長を続けて団体での地位を高めるということはなくなり、みんなフラットになります(2期ごとに引っ越して首長を続ける「渡りの首長」みたいな人が出てくるのかもしれませんが…)。このような姿こそ理想ではないか、ということを、例えば質疑なんかも使って攻撃していけば、ターンが決まって早々に否定側はギブアップ、という試合になったところです。
決勝戦に限らず、全体的に、このような観点の反論が乏しかったように思いますが、資料を読まなくてもある程度有効に機能し得る反論になりますので(意味のある「ダウト」とはこういう議論を言うのです。)、是非今後チャレンジしてほしいところです。

もう一つの切り口としては、これは難しいところではありますが、資料の内容について、発言の立場や文脈を踏まえて攻撃するというものがあります。今回の決勝戦で言えば、否定側は、肯定側が挙げた岡山県での見直しの例に対して、見直しを行った石井知事を批判する共産党の記事を引用していますが、おそらくこの共産党は野党で、首長に反対するのは当然ですから、中立性はなく、直ちにその内容を正しいと見ることはできないと考えることができます。さらに、肯定側としては、このように野党から反論されている事実は、新任知事に対するチェックが効いている例であり、まさにオール与党が破られている好例である、として、自分たちの主張をサポートする実例として引っ張ってくるというウルトラCもあり得たところです。
この切り口の議論は、高校論題でも活用可能です。例えば、否定側がよく引用している、安保法案で野党三党が閣議決定を勝ち取ったという資料は、野党側の人間がアピールで自分たちの成果を強調しているだけで、実際の中身は閣議決定という、後の閣議決定で変更できる弱いものに過ぎないわけです(なお、閣議決定が後の閣議決定で変更できることはこちらの国会答弁を参照のこと)。エビデンスの権威性にアタックをかけてから中身を攻撃したほうが説得力が出ることが分かると思います。

以上の次第で、議論の見方を少し変えるだけで、いろいろと新しい反論が出てくることが分かります。こういう見方を少しずつ蓄積して、論題に関係なく応用できるようになることで、ディベートの力、ひいては議論の力がついてくるものだと思いますので、是非ディベートを続けていただければと思います。

3.中学論題でどのような議論を成し得たか
最後に、簡単に、中学論題でどんな議論があり得たかということを若干書き散らしておくことにします。
基本的には、選手の皆様がいろいろ議論されていたところでも十分な論点が出ていたようには思いますが(地方自治の専門家からすると違うのかもしれません。)、大きな視点として、この論題を制度として見たときに、一律に三選を禁止することの意味、ということと接続させて論じる議論がもっとあってもよかったのではないかと思いました。
例えば、肯定側は、チェック機能の確保や汚職の防止という話を挙げていましたが、これらの問題は、地方自治体の首長が大きな権力を持っているという制度的問題点への対応策として、かかる権力を任期制限という制度で縛ろうという問題です。このような「制度」を設けるのは、中にはそういう対応のいらない立派な首長がいるとしても、全体的傾向として問題があるので、問題が起きないような方向で制度設計をしよう、という思想に根差すものです。このような視座から、デメリットとの対比やメリットの説明ができれば、より説得的なストーリーが構築できたと思います。
他方で、否定側としては、かかる「制度」が地方自治体の実情に合わないという点に注力して議論を行うことになります。長い任期を確保すべき必要性や、短期で交代できるだけの人材プールの存在があるかどうかという形で既存のデメリットを論じていくことになりますが、その前提として地方自治の現状やあるべき方向性をうまく論じていければ、有効なスタンスとして打ち出すことができたでしょう。また、決勝の否定側が出していたような、肯定側の分析する「制度の問題」は任期とは別のところに存在するのであり、その点を変えない限り問題は解決しない、といった議論も有効でしょう。
論じる内容自体は変わらないのですが、どういう視点から議論を捉え、語るのかということで、議論の説得力は大きく変わってきます。だからディベートという競技は面白く、また、難しいのだと思います。

上記のような視点を中学生に余すところなく伝えるのは難しいというのはそうかもしれませんが、理屈としては十分理解できないとしても(できるくらい優秀な生徒もいそうな気がしますが)、適切な問いかけや議論の評価によって、直感的に、より深い分析にたどりつくことは可能なのではないかと思っております。その方法論をどのように構築していくのかということが今後の課題であるとは思いますが、一番の(そしておそらくは唯一の)近道は、ジャッジや指導者自身が深く議論を考えるということであり、今後も研鑽する必要があるのだと思います。
今年度の中学高校の大会は、そのように思いを新たにさせられる素晴らしいものであったということを述べて、今年度大会の感想の前半の締めくくりとさせていただきます。
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