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アカデミックディベーター

Author:アカデミックディベーター
日当たりの良い某法科大学院を2009年3月に卒業。
ライフワークである競技ディベートについてぼちぼち書いています

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第24回ディベート甲子園の感想(2.高校論題)
間が開いてしまいましたが、ディベート甲子園高校の部(FN規制論題)についての感想を述べていきます。東海-創価の決勝戦のほか、東海-聖光学院の準決勝①、創価-渋幕の準決勝②も題材に、より深く議論できたと思われる点へのコメントを中心とします。
今季論題は難易度が高く、その中で選手の皆様はよく議論を展開されていたと思いますが、そういうことは全国の各講評で言われ慣れていると思いますので、ここでは割愛して、厳しめの内容とさせていただきます。

1.プランについて具体的に考えよう
今季論題では、FNをどのように規制するのか、という点でいろいろなプランが提案されていました。地区予選も含めて私が見た試合では、第三者機関を作ってファクトチェック(FC)させるとか、裁判所に機関を構成させるとか、AIにFCさせるとか、様々なプランが出てきました。これらは、解決性を出すため、あるいは想定されるデメリットを防ぐために出されているものですが、本当に機能するのかということについて、いくつかの次元で考えるべきポイントがあります。

まずは、そもそも具体的にどんなものを想定しているのかよく分からない、ということがあります。FC機関を作って処理させるというプランで、解決性の議論で「きちんと機関を作るので問題ない」と主張したりするチームがあったのですが、そもそも、その機関はどの程度の規模なのでしょうか。FCの専門家で構成するといった話をするチームもありましたが、FC専門家とはどういう人で、日本に何人くらいいるのでしょうか。AIにチェックさせるというプランも見ましたが、どんなAIなのかも分かりませんでしたし、AIを参考にするのか、それともAIが最後まで判断するのか、というのも謎でした。すべてを細かく確定しなければならないわけではないですが、ある程度イメージを持てる説明ができないようなプランを出しても、試合で役に立つはずがありません。
関連して、実現可能性があるのかという問題もがあります。以前見た試合で、質疑の結果、1万人規模(!)のFC機関を作り、弁護士や学者で構成するというプランだったことが判明したことがありましたが、弁護士は日本に4万人程度しかいませんし、そんな謎の機関に入りたがる弁護士は100人もいないでしょう。学者の数はもっと少ないのではないでしょうか。そもそも、FN対策だけのために1万人規模の機関を作るということ自体アンバランスだということに思いを致すべきでもあります。

上記のような問題は全国大会ではさすがにクリアされてきていますが(試合で意味をなさないことに気づいたのでしょう)、プランの具体的な執行過程については、もっと突っ込んだ考察が欲しかったところです。
例えば、準決勝①の東海肯定側立論は、通報を受けたのにFNを削除しなかった事業者に罰金を科すというプランですが、否定側質疑で「誰が事業者の義務違反を判断するのか」と聞かれたことに対して、「裁判所が判断する」と回答されています。間違いではないのですが、裁判所は起訴された事件についてのみ判断するのであって、起訴するかどうかは裁判所が判断するものではありません。事業者が義務違反したといって逮捕したり取調べをしたりするのは警察や検察で、そこで義務違反があり起訴すべきと検察が判断してはじめて、裁判になります。否定側がこのあたりの質問をしたのは、間違った/偏った判断がされる、という話につなげたいからだと推測されますが、そうであれば、裁判所に持っていく過程で政府側の意向を汲んだ警察・検察(行政)が絡んでくるということは是が非でも確認すべきところであり、それを確認しないのでは質疑した意味がありません。
同じ例で続けると、否定側質疑からは「裁判所がFCするんですか」といった質問が出ています。これに対する応答は「通報後7日以内に削除したかどうかを見る」といった回答が出て、否定側はなぜかそのまま「7日間はFNが残るのではないか」という別の話題に流れていってしまったのですが、このやり取りからは、質疑の狙いが謎ということと、肯定側の説明もずれている、という2点の問題が指摘できます。後者から説明すると、肯定側が説明すべき「正しい審理の在り方」というのは、検察官がFN非削除という義務違反があったことを立証する証拠としてFCの結果などを提出し、弁護人が逆にFNであることを否定する証拠などを出し、それに基づき裁判所がFN認定も含めて判断する、ということになるはずです。肯定側の立場からは、裁判の場でFNかどうかを争えるので不当な処罰は防げる、という主張につなげたいところですし、否定側の立場からは、判断するのはFNに必ずしも詳しくない裁判官であることを確認するとか(それで判断できないということになるのかは疑問ありですが)、審理に時間や負担がかかるということを確認して萎縮の議論につなげるとか、そういった話になるのかと思いますが、結局、プランの具体的な執行過程はよく分からないままでした。せっかくプランを問題とするなら、そこまで踏み込まないと意味がないです。
なお、具体的な執行過程については、準決勝②の創価の肯定側立論が詳細に述べており、これは現実に即した内容となっています。ただ、24時間以内の削除義務というのは、結構きついように思いますが…。

2.反駁にストーリーをもたせよう
今季論題で全体的に残念だったのは、ストーリーのある反駁が少なかったように思われることです。色々とそれらしい反論は出ていますが、立論と関連付けた議論とか、いくつかの議論が組み合わさってまとまった形として展開される反論が少なかった、ということです。主に、相手のメリット・デメリットに対する反論を検討すると、そのあたりが見えてきます。

準決勝①から見ていきましょう。
否定側第一反駁の話は、大きいところとして、(1)公選法でも規制されているので新たな規制領域は国民投票だけ、(2)ドイツのSNS法はFN以外も規制しているので解決性の話がどこまでFNに関係するのか不明、(3)FN規制には時間がかかるので投票に間に合わない、(4)規制しているドイツでもFNが出回った、(5)事業者が規制を恐れてオーバーブロッキングする(ターンと称していますがデメリットにつなげる話なのでターンかは微妙)、というものでした。(1)(2)はたいしたインパクトがなく、(4)も削っているだけの話です。どうせ(1)のような話を撃つなら、公選法でも防げていないということを強調し、せめて発信者が逮捕されていればFCの有効性がありそうだが、そもそも動いていないということはFC自体機能していないのでは、といった話まですればよかったかもしれません。反論として骨があるのは(3)(5)ですが、(3)はそれだけで「全部消せないので意味なし」ということになるのか疑問であり、他の議論を組み合わせていかなければ、投票理由として心もとなさすぎます。悪意あるFN発信者は抑止されないしFNも巧妙悪質化している
、といった議論を組み合わせるだけでも違ってきます。(5)は、実質デメリットの繰り返しなので、反論として機能させたいなら、重要性にアタックして、仮にFNが若干減るとしても、情報の総量が減るほうがよくない、といった議論を付加する必要があります。メリットがデメリットの存在によって裏返る、ということを言わないとターンにはなりません。
これに対して、肯定側第一反駁のデメリットへの主だった反論は、(1)ネット以外の報道機関も権力を監視している、(2)報道機関は萎縮しない、(3)香港の例はメディアの自由がないから問題になった特殊な例、というものです。これは、いずれも、報道機関が監視するので問題にはならない、という議論で、これは一貫していて面白い議論です。ただ、デメリットで言われているネットの萎縮自体は否定できていないので、かなり危ういところがあります(実際否定側第二反駁にもそうやって引っ張られてしまっている)。デメリットの筋にも何らか反論をしておくべきところだったでしょう。特にオーバーブロッキングのところは実質的な反論をすべきでした。

準決勝②についても見ていきます。
否定側第一反駁の主な議論は、(1)対抗言論がFNに負ける理由がよく分からない、(2)肯定側の例は怪しい例だけを取り上げたもので、言論空間全体が問題だということは言えていない(クレームが分かりにくく最後まで聞かないと趣旨が取れないのが残念)、(3)FN犯人の特定が技術的に難しい、(4)DL違法化の例でも悪意ある確信犯には抑止が働いていない、(5)FNが氾濫すると法規制を防ぐためマスコミが自らFCに乗り出す、というものです。このうち(1)はダウト、(5)は今どうなっているのかも疑問ですし、いきなり出てきた印象で、時間が余った?のでついでに述べた感がありありと窺われます(デメリット冒頭の対抗言論の動きだということなのかもしれませんが、ならそう言ってくれという話)。判定上も考慮は難しいでしょう。(2)は悪くない指摘なのですが、投票理由につなげるのであれば、むしろほとんどの言論は健全だ、というところまで整理して、デメリットとの比較につながる議論にすべきです。第二反駁ではそのようなスピーチになっていましたが、第一反駁からそのような議論をもっと打ち出し、できれば関連するエビデンスも読みたかったところです。(3)(4)は、別々の反論という感じで出ていましたが、これも関連させつつ、悪質なFNは強い動機に支えられているという分析を最初に入れた上で、(4)→(3)、といった順序でスピーチすれば、全体として言論空間は健全だという話とも関連させて、取り締りたい例は取り締まれず、全体的に萎縮するだけ、といったストーリーにできます。そこまでやっていけば、対抗言論のほうがよいという反論(否定側立論最初の分析だけでは弱いが…)も生かして、全体的にメリットを潰していけそうです。
肯定側第一反駁のデメリットへの主だった反論は、(1)フランスのFCの話はどう機能していたのかも日本で機能するのかも不明、(2)リツイートと内部告発の関係が不明でありプラン後も内部告発はできる、(3)根拠を持った責任ある表現でないと保護に値しない、といった話です。(1)については、メリットにも関係する議論なので、プランを取るべき理由(FCだけでなく規制を設ける必要性)まで踏み込んでいきたかったところです。(2)と(3)もごもっともなのですが、ここは(3)を起点にして、自分たちが規制しようとしているのがどういう領域であるのか、否定側が主張する「有益なのに萎縮する言論」がどこまで規制領域に入るのか、きちんと理由を持って表現することが期待できるのではないか、といったことを丁寧に論じていけば、メリットとも関連させつつ、デメリットの筋を否定していくことができたのではないでしょうか。

最後に決勝戦について。
否定側第一反駁の主な議論は、(1)EUの例でFNは事前に暴かれており、騙されて投票した人はほとんどいない、(2)日本では対抗言論でデマは淘汰されている、(3)処罰されることが認識されなければ規範意識はできない、(4)FCに時間がかかるので処罰可能性が低い、(5)見抜きにくい混合タイプのFNが流れるようになる、(6)肯定側の例は混合タイプの話をフォローしておらず、実際に移民問題でそのようなFNが残っていた、というものです。(1)と(2)は別々の議論として出されていましたが、これは関連する議論で、そもそもFNを規制すべき必要性がどれだけあるのか、という観点の反論として展開すべきでした。準決勝②の渋幕の議論を参考にすればよかったのに、という話です(こういうこともあり、サイドで反駁者を変えるのは勝負的にはあまりよくないと個人的には思います。)。(3)と(4)は関連する議論として出ていましたが、処罰可能性というのはすぐ捕まるという意味ではないと思いますし、それを言うなら、本当に検察がリツイートした1万人なり全員を起訴するのか、という話のほうが真に迫っている気がします。規範意識の話は萎縮のデメリットにも関連するのですから、否定する方向で持っていくのではなく、悪意ある者には意味がない、という観点の反論のほうがよかったのではないでしょうか(だから渋幕のスピーチを参考にしていれば…)。そのほうが(5)(6)の話にもつながっていきます。(5)(6)は良い議論であり、デメリットとも関連させて、良識的な人は萎縮し、悪意ある人は悪質な混合タイプのFNで暴れ続ける、という世界観を押し出せていければ、議論の展開としてかなり厚みが出たと思いますが、今回の試合では、単にいい資料持ってるなーというだけで終わってしまった感があります。この「いい資料」に肯定側が返せず、メリットが死んで肯定側が倒れた、というのが決勝戦の要約となります。
肯定側第一反駁のデメリットに対する主な議論は、(1)ネット以外のマスメディアが問題提起する、(2)保育園ブログの前にクロ現で報道があった、(3)ネット世論は極端で社会一般とはかけ離れておりどうでもいい、(4)保育連の例も反対の人が多い、というものでした。(1)(2)の話は、クロ現だけでは話題になってなかったわけで、むしろデメリットを際立たせている感があります。(3)(4)は苦しすぎで、これを取るジャッジは立教大の会場を探しても一人もいないでしょう。ネット世論が萎縮しても問題なし、という筋悪極まりない議論で2枚資料を読んでコンボ?を決めても何の意味もありません。否定側第一反駁にも完全には返っていないので、肯定側第一反駁の終了時点で試合は終わっているということになります。

以上のように、個々の議論を見ていくと、個別には機能する良い議論もあったのですが、同じ方向性の議論をまとめて争点を形成したり(例えば、FN規制の必要性、という切り口だったり、FN規制の実効性、という切り口だったりする)、反論を自分たちのメリットやデメリットと関連させたりといった形で、ストーリーとしてもっと議論を盛り上げることができたのではないかと思われる点が多々ありました。第二反駁では工夫してスピーチしているところも見受けられたのですが、そもそもの弾の出し方が練り切れていないので、そもそもまとめを取りにくいということもありますし、もっとダイナミックなまとめができたはずなのにそうなっていないという試合が多く、結局、個々の反論が残った残っていないというレベルで判断がついてしまい、スピーチの白熱度合いにもかかわらず「面白みに欠ける」結果になってしまっています。選手の皆さんの中では色々と考えているのだろうとは思うのですが、それが反論の積み上げ方に反映されていない、という印象です。

3.今季高校論題でもっと論じられてもよかったこと
今季高校論題の決勝、準決勝の感想は主に上記2のとおりです。立論は総じて良くできていたと思いますが、そこからの展開にもっと可能性があったのでは、ということを思った次第です。もっとも、今季論題は、今年の司法試験憲法の問題にもなっているような高度なものであり(問題はこちらの第1問、出題趣旨はこちら。出題趣旨は憲法の判例や基本的論点を知らないと意味の分からない記載もあるでしょうが、皆さんが考えてきた問題が法律家登用試験――極めてレベルの高い出題です――に出てくる最先端の課題だということが実感できると思います)、それに正面から挑まれた皆様の努力と熱意には敬意を表します。
その上で、さらにこのような点について議論ができたのではないか、ということを二、三指摘して、今季大会の総括とさせていただきます。

FN規制と表現の自由
FNが問題である理由や、FNの規制が表現の自由に及ぼし得る影響については、各チームで深い考察がされていました。決勝や準決勝を見ても、FNにより表現の自由の場が荒らされ、「思想の自由市場」を保護するために規制が必要だという観点(準決勝②の創価の議論)や、逆に思想の自由市場を保護するため自由に委ねるべきであるとの考え方(準決勝②の渋幕の議論)、政治的表現にFN規制の影響が強く及ぶことの指摘など、水準の高い考察が多々見られました。
ただ、上記2でも指摘したところですが、これらの価値観に基づいて個々の議論を展開していくというところまでは至っていなかったのが残念なところです。思想の自由市場の在り方を論じるのであれば、肯定側からは、ネット上の言論の特質などを踏まえて、対抗言論が機能しにくいことや、虚偽が真実を圧倒して言論を捻じ曲げていることなどを重要性に対応する現状の課題として位置付けた上で、仮に完全でないとしてもそういった害悪のある表現を規制する手段を持つ必要がある、といった説明を成し得たでしょう。その中で、現行法上も名誉棄損など害悪のある表現は規制されており、それとの平仄としてFNだけ放置しておくのはおかしい、といった指摘もできたかもしれません。これに対して、否定側からは、そもそもFNによる被害はどこまで大きいのか、政府の規制によらないFCや対抗言論で対応できていないのか、といった問題提起により思想の自由市場の健全性を論証した上で、FN規制が内容に基づく強く広範な規制であり、FN判定の困難さや、政治的言論にも及び得ることから、萎縮の棄権や言論統制への悪用可能性が強く、思想の自由市場への害悪が大きすぎる、という筋の主張が可能です。
ここでのポイントは、単に「FNのせいで冷静に議論できていない!」とか「FNにより政治的言論が萎縮する!」といった結論だけを伸ばすのではなく、価値観に沿った分析を行い、ストーリーとして議論を伸ばしていくということです。せっかく深い考察ができているのですから、それを使って議論を組み立ててほしいというわけです。第二反駁ではある程度意識したスピーチが出ているところもあったのですが、第二反駁は積み上げてきたものに基づいてスピーチするステージですから、もっと前の段階でストーリーや価値観に沿って議論を展開していく必要があります。

伝統的メディアとFN規制
ほとんどのチームでは、ネット、SNSのFNを題材に議論を展開していました。現代のFNの主なフィールドはそういったところにあるのかもしれませんが、プランは特に規制対象をネットに限定しているわけではないので、新聞やテレビ、雑誌といった伝統的なメディアにおけるFNや、規制の弊害についても論じられてよかったのではないかと思います。伝統的メディアがネット上の言論より信頼性が高いと本当に言ってよいのかなど、色々と考えるべきポイントもあるでしょう。
この点、東海高校は、(決勝は全くダメでしたが)伝統的メディアが健全であるためネットの私的言論が多少萎縮しても問題はない、という議論を展開していて、切り口としては面白いものでした。ただ、本当にそれでよいのかという点は疑問があり、プランは当然伝統的メディアも規制対象とするので、萎縮も考えられるし、関係者が処罰されるということも当然あり得べきことです。東海のプランはドイツに倣って超高額の罰金を課しているわけで、60億払えと言われたらさすがに文春の春も終わってしまうでしょう。

政府による言論統制の可能性
多くの否定側では、言論の萎縮を主な問題としており、政府が恣意的に規制するといったところまでは踏み込んで議論していなかった印象です。しかし、言論の規制を考える上では、政府による過剰規制への警戒についても思いを致すべきであり、そういった観点からの議論がもっとあってもよかったのではないかと思います。
単純に政府がFN規制を通じて言論に介入する可能性がある、という話(動機と手段を丁寧に論じれば十分成り立つと思います)だけでなく、そもそも政治的言論にも広範に及ぶ内容に基づく規制を課すこと自体が問題だという切り口(毛利教授の論考に基づき少なくないチームが出していました)から、規制の存在自体が政府に有利な言論統制としての機能を果たす、という議論も可能です。すなわち、意見表明などFN規制に該当し得る政治的表現をより欲するのは常に少数派であり(多数派は動かなくても勝っているので)、政治的表現一般を規制すること自体が、仮に中立的規制であったとしても少数派に不利に働く、といった議論を行うこともできるでしょう。

政治的表現以外の言論に及ぼす影響
全国大会では、見た試合のほとんどで、政治的表現におけるFNが問題とされていました。議論の組み立てやすさや深刻さの度合いから、そのような選択は理解できるのですが、政治的表現に限らず、FNが問題となり得る領域があります。
特に、まさに事実の真偽が問題となる科学的言論においては、FNというべき言説によって政策に影響が生じる事態もままあります。個人的に関与していたこともあるので詳論は避けますが、現在も、世界的に有効性や安全性が認められている子宮頸がんワクチンについて、副反応(有害事象)が問題とされて厚生労働省が積極的勧奨を中止し、裁判が起こっているという事件があります。仮に副反応の存在が事実なのだとすれば、これに反する言説は被害者を増やす結果につながりますし、逆に訴えられている副反応が存在しない(正確に言えば、症状とワクチン接種との間に因果関係がない)のであれば、副反応の恐れによりワクチン接種が行われなかったせいで、ワクチンにより守れたはずの生命が損なわれたということになります。
こうした問題につき、FN規制という形で答えを出すことが可能なのか、また出せるとしてそのような解決が相当なのか、ということもあるのですが、ネットの発達により情報拡散・伝達の速度が飛躍的に高まったということの影響は、単にリツイートしやすくなったとかそういうことだけではなく、専門的な領域の情報に市民がアクセスしやすくなり、その「専門性」に依拠して行動する機会が増えた、ということにも見出されるところであり、そういった観点からの議論があってもよかったかな、と思うところです。


4.最後に
色々と書きましたが、今季のような高度な論題について、選手の皆さんがそれぞれに説得的な議論を組み立てられてきたことには、ジャッジとしてのみならず、一法律家として、大いに敬意を表したいところです。何より、これだけ難しい問題に、(辛いこともあったでしょうが)楽しんで取り組んできたということは、非常に価値のあることです。世の中には、真剣に考えなければならない難しい問題が山積していますが、それを解決していくためには、必要な議論を避けることなく、事実と向き合って考えることが必要です。それは、論題発表からの半年間で皆さんが取り組んできたことにほかなりません。これからディベートを続けるにせよそうでないにせよ、今季論題と格闘し、考え抜いた経験を大事にして、さらに難しい問題にチャレンジしていかれることを期待しております。

ディベート甲子園全国大会の感想 | 01:35:49 | トラックバック(0) | コメント(0)
第24回ディベート甲子園の感想(1.中学論題)
時機を失してしまった感がありますが、今年のディベート甲子園について感想を書いておくことにします。
今回は、中学論題について、決勝戦の内容を中心に取り上げようと思います。なお。高校論題は、(ちょっと後になりそうですが)準決勝の動画も見つつ、やや幅広に議論の検討ができればと考えています。

さて、今年の中学決勝は東海中学校と創価中学校の対戦で、結果は2-3で否定の創価中学校が優勝となりました。私は肯定側が勝ったかなと思ったのですが、少数意見の方でした。以下では、肯定側立論から順に短評を述べたうえで、私の判定理由を説明し、その上で、なぜ多数意見が否定側を支持したと考えられるかの理由と、それらを踏まえた改善点などのコメントを記載します。

なお、中学決勝の判定については、こちらの記事が丁寧に検討しており、参考になります。私と判定は逆ですが、十分あり得る判断だと思います。

1.各スピーチの短評

肯定側立論
地方の交通困難者を救うという議論です。現状で何故タクシーが活用できないのかという話もされており、バランスの良い立論という印象でした。ただ、解決性で海外の例など出しつつ詳細に議論しているものの、最初の分析で出ているような「地方」でライドシェアが広がりそうというイメージが湧きにくいところがあります。ボルドーやシャンパーニュは田舎だが呼べた…みたいな話がありますが、日本人の我々でも聞いたことのある場所で呼べたということが、日本人ですら知らない過疎地方(それこそ上勝町とか聞いたことなかった人がほとんどではないでしょうか?)に当てはまる議論なのかという疑問もありますし、上勝町の例も、ボランティアの延長のようであり、仕事としてライドシェアを提供する人がどの程度いるのかという素朴な疑問が残りました。

否定側質疑
いまいち狙いが分からない、あるいは、聞いても意味もない質問が散見されたように思います。最初の、立証する責任が云々というのは、質疑で聞くことでないですし、その次に、なぜ全国で一律に導入すべきなのか、という質問も、どう答えさせたいのかさっぱり分かりません。仮に相手が回答できなかったとしても、それでメリットが切れるわけでもありません。カウンタープランを出せるわけでない以上、否定側とて一部導入という案を提案できないのですから、質問しても否定側の投票理由は出てきません。
田舎(とされる地方)でどのくらいの人が呼べたのか…というところが、一番聞いてほしかったところですが、ここはもっとYes/Noで回答できるような質問で追い詰めるべきです。「ボルドーやシャンパーニュというのは、ワインの産地ですよね?」「日本でもよく知られている地方ですね?」(ここまで「ワインを飲まないので知らない」と答えられても、ジャッジに伝わればよい)、「この資料の著者は仕事でボルドーやシャンパーニュに行ったのですか?それとも観光?」「要するに、日本人が何か用事があって行くような地方で、タクシーが呼べた、という話ですよね?」「ところで、上勝町という例が出ましたが、あなたはこの論題に取り組む前に、上勝町という地名をご存知でしたか?」「日本人でも知らないような地方の話ということですね?」「上勝町で成功したという話は、NPO法人がボランティアでやった例ということでしたね?」「海外のウーバーとか、ボルドーやシャンパーニュで来たタクシーは、ボランティアではないですよね?」といった感じで聞いていけば、肯定側が挙げている例の適用範囲がかなり狭い、ということを浮き彫りにできます。
こういった、質疑でしかできないやり取りで、相手の議論を追い詰めるということをやっていけると、さらに議論を深めることができるようになります。もちろん、このような突っ込みを入れると、2分でも時間が足りないくらいなのですが、質疑で聞く争点は1点か2点に絞っても構わないですし、むしろそうすべきものです。

否定側立論
過当競争により問題が起こるという議論です。価格競争という話と、台数増加という話の2点が出ており、丁寧に説明されているという印象です。ただ、発生過程は最終的に運転手がもうからないことで事故が増えるという話に依存してくるところ、そのあたりの説明がやや物足りないところがあった気はします。立論で述べるのではなく第二反駁あたりで語ってもよいかもしれませんが、タクシー業務が危険な自動車を扱う事業であり、その安全がタクシー運賃に生活を依存する運転手の運転態度にかかってくるものであるから、安全維持のために過当競争を防ぐ必要がある、といった、タクシー事業や業界の特質から競争を抑制すべきという大きな話をアピールできればより見通しが良くなるところもあるでしょう。
なお、会社の被害を運転手に転嫁して収入を減少させるのが良くない、という深刻性1点目の話は、規制緩和の問題というより、各タクシー事業者の経営方針や給与体系の問題だと思いますので、これは意味がない議論でしょう。

肯定側質疑
個々の事例について確認しようとしているところはよかったのですが、締めの質問が「これは本当に日本に当てはまるのですかね」といった感じになってしまうのは残念です。質疑で聞くべきは事実であって、意見を求めても意味はありません。
肯定側第一反駁の話を見ると、今後はタクシー需要が増えるとか、タクシー運転手が減りそうという話をしようとしているのですから、質疑の段階で、これは過去の規制の話であって、将来の需要予測はどこにもないという話や、運転手が減ったら増車できませんよね、といった話を聞いておけば、反論の前出しにもなってよかったでしょう。

否定側第一反駁
冒頭の、「なぜライドシェアで確保しないといけないのか」「なぜ国全体で導入しないといけないのか」という問題提起をしていますが、肯定側にそこまで説明すべき義務はないので、この反論はナンセンスです。カウンタープランで「税金でバスを通すようにする」とか「地方だけ緩和する」といった立場を出せるのならいいのですが、ディベート甲子園でこの手の指摘をしても意味はありません。質疑の内容とも関連してくるところですが、このあたりは注意されるとよいでしょう。
低栄養の話に対して、買い物困難以外の要因があるといった反論を行っています。これは取る人もいるのでしょうが、個人的には完全に否定する議論でなく、2枚も資料を読むほどの話かなという感じがあります(2枚目だけでよさそう)。というか、このような反論をしたいなら、質疑で触れておくべきでした。時間が限られていることを考えると、攻撃力には欠けている感があります。
乗り合いタクシーの取り組みが進んでいる、という話は良い議論です。この反論こそ、肯定側のストーリーを長期的に否定し得る上、否定側がこだわっていた「なぜ一律に規制廃止すべきなのか」という議論にもつなげられる話なので、そもそも地方でライドシェアをやる運転手は出てこないといった話も織り交ぜつつ、補助金などを出しながら個別に対策していくしかない、といった感じでまとめていくべきでしょう。
解決性への指摘はまずまずでしたが、上勝町の例に対する反論が時間切れになっており、伸ばされてしまう状態になったのが残念です。低栄養に2枚読む時間があったらここに時間を割くべきだった、ということです。
総じてスピーチも上手で、良く準備してきているので、良い第一反駁だったとは思います。低栄養への反論も、おそらく東海の議論を研究して準備していたのでしょう。しかし、個人的には、殺るのはそこではない…という感じではありました。

肯定側第一反駁
デメリットへの反論は良好です。発生過程を潰すのであれば価格競争の議論にも挨拶しておくべきで、収入源は不況が原因という話や、今後需要が増えるという話は、価格競争の話にも適用できるはずなので、そういうスピーチがあればより良かったでしょう。
メリットの再反論も、重要な点を満遍なく触れており、これも悪くなかったと思います。ただ、最後の上勝町の例の伸ばしは、第一反駁のせいというわけではないですが、ちょっと乱暴でした。日本では上手くいくと言っていますが、上勝町はボランティアの話であって、プラン後広がるとされるライドシェアの話なのかは疑問です。もう少し丁寧に、ドライバー自体がある程度増えることは海外の例で分かり(すぐやめるというデメリットへの反論との関係でやや微妙なのですが)、それが活用されることは上勝町の例で実証済み、といった感じにまとめれば、これも無理やり感はあるものの、もう少し聞ける感じになったかもしれません。
ただ、レベルの高いスピーチではありました。

否定側第二反駁
これまで出た議論の伸ばしとしては悪くないスピーチでした。ただ、もっと伸ばしてほしかった乗り合いタクシーの議論について、国として対策しているのは別問題だ…という話がなぜメリットへの反論になっているのかよく分かりません。結局、メリットの何が問題なのかという点がよくわからないまま、各論をちょこちょこ伸ばしているだけ、という感じです。上でも少し触れましたが、自発的なライドシェアが上手くいく証明はなく、国がきちんとサポートすることでしか解決しない、そしてそのサポートは既に行われている、といった話でまとめれば、頭に入りやすかったのではないでしょうか。低栄養の話は、そもそも話が小さいのだ、ということで反論の枕にして、メリットが残ったときにデメリットで競り勝つ材料にする、という感じになりそうです。
レベルの高い要求であることを断って述べると、個々の議論をどう投票理由に結びつけるのか、という点にもっと意識が行けば、より効果的で分かりやすいスピーチになるかと思います。この点、今年の論題は明らかに昨年より難しいこともあり、大変なところなのですが、ここまで議論を考えられる選手であればできることだとも思いますので、今後さらなる飛躍を期待したいところです。

肯定側第二反駁
デメリットについて、きちんと勝っているところをまとめています。ちょっともどかしいというか、もう少しポイントを押さえてスピーチすれば時間を圧縮できそうでしたが、それはこれからの課題ということで。欲を言えば、どの議論がカギになるのか、というのが一目でわかるようなスピーチができると、より判定に影響を与えることができるようになります。この試合では、今後は需要が増えるという話が一番キャッチ―だったと思いますので、最初に、資料を再読しつつ、この部分がデメリットの分析から決定的に落ちており、それを踏まえると「今度の」規制緩和では問題は起きない、という話をやった上で、残りの議論を淡々と整理していけば、デメリットは取りたくても取れない、ということになるはずです。
メリットのまとめは、最初に買い物以外の問題もあるという点を伸ばしたのは良好です。ただ、これを伸ばすならセットで重要性も伸ばさないといけないです。また、メリットが少しでも残っていることを強調するため、解決性が多少やられていたり、現状の問題が言うほど大きくなかったとしても、今より良くなる、という話を明確にしておきたかったところです。このあたりは、デメリットにちょっと時間を割きすぎたかな、という感じです。

2.判定について

冒頭でも述べましたが、私なら肯定側に投票するところです。デメリットは肯定側の反論によりほぼゼロとなっており、メリットは、否定側の反論を踏まえても、ある一定の交通困難者がいて、その人にとってプラン導入がプラスになるという話は否定されていないので、大きくないとしても残っている、と考えるからです。否定側が攻撃した、買い物困難の理由は交通の問題だけではないとか、乗り合いタクシーがあるとか、ウーバーが使えるかどうかわからないといった話は、いずれもメリットの筋を完全否定するものではありませんでした。上述のとおり、上手く構成すればストーリーを切る議論にも育てられたと思いますが、実際のスピーチでは、個々の議論が出ているだけとしか取れない、という評価です。

一方、実際の判定は2-3で否定側が勝ちました。否定側に入れたジャッジの判定理由は分かりませんが、デメリットを大きく評価していないということは、おそらく共通だろうと思います。判定が分かれた最大の理由は、メリットを取るかどうかでしょう。低栄養の話は否定側がそれなりに上手く反論しているところや、乗り合いタクシーの話もあることから、そもそも現状の問題がほとんどない、と取ったのではないかと推察されるところで、肯定側も最後に買い物以外の話を伸ばしてはいたものの、重要性に絡めて伸ばしていなかったこともあり、そのような判断も仕方ないでしょう。伸ばしが不十分でもそれなりに評価するジャッジもいれば、そうでもないジャッジもいるわけで、私は割と前者ですが(なので、私がジャッジする試合の多くでは、第二反駁の前に私の中ではだいたい判定が出ており、第二反駁を聞いて判断を変えることは稀です。今大会は高校で1試合ありましたが)、後者のジャッジは結構います。
肯定側が確実に勝つためには、とにかくメリットを残すことが重要です。「このような理由でこの部分は残っている。そして、これは重要だ」ということを明確にスピーチしないと、取ってくれないジャッジが出てきてしまいます。この試合で言えば、交通困難で生活に支障が出ている人がいることは全く否定されておらず、その解決はとても重要だ。今は規制のせいでライドシェアができないが、それが緩和されれば、上勝町のようなところがほかにもできる可能性が高く、それが全部でないにしても、交通弱者が少しでも救われるのであればメリットを評価すべき、ということをきちんとスピーチすべきだった、ということになるでしょう。

3.今後の課題

今季の中学論題は例年に比べて難易度が高かったのですが、選手の皆さんの努力により、全国大会では、かなり優れた分析が出てきており、レベルの高い試合も多かったと思います。しかし、ここまでで何度か示唆した通り、各論に終始している議論が多く、議論の位置づけであるとか、全体としてどう考えるべきか、といったところの説明が欠けている感が否めないところでもありました。

一番重要なことは、出している議論の何が強いのか、その議論が認められると試合でどうなるのか、ということをきちんと考える、ということです。一言で言えば、議論の狙いを考える、ということです。
議論の狙いは、ストーリーを形作る戦略的なものと、そのストーリーの中で個々の議論をどう位置付けるかという戦術的なものの2つがあります。今回の否定側で言えば、主旋律として、そもそもライドシェアが上手くいくか謎であり、今広がりつつある乗り合いタクシーのような対策でないと持たない、という話を一つ考えることができるでしょう。そのためには、ライドシェアが上手くいかないというところにもう少し反論を追加したい感じがします。低栄養に対する反論は、しょせん部分的な反論にしかならないので、削る議論として割り切るということでよく、そうするとかける時間もそれなりになります。あるものを全部出す、ということではなく、何を言いたいのか、そのためにどんな議論が必要か、ということを、立論だけでなく反駁でも考えましょう、ということです(特に否定側第一反駁はそれが比較的容易です)。

あとは、事例や想定場面について具体的に考えて突っ込んでいく、ということについても、もっと意を払ってよいでしょう。肯定側としては、交通困難者の話を取り上げていますが、低栄養の議論で出ている分析対象は、上勝町よりもう少し都会めいたところのような気もします(上勝町がどんなところかよくわかりませんが)。実際のところ、買い物弱者というのは、過疎地だけでなく、車で行けるスーパーはあるけど公共交通機関が弱ってきているニュータウンみたいなところにも多いのではないかと思います。過疎地でライドシェアと言っても誰が運転するのか(ある試合の講評でも言いましたが、ウーバー運転手86歳、とかでいいのか、という話)という疑問もあり、焦点の当て方がそもそもずれていた可能性があります。
しかし、否定側も、そういったずれに具体的に反論することはできていませんでした。ずれを指摘する資料はないでしょうが、そもそも資料を読まないとしても反論できるし、それは、資料付きの反駁より有効なものになったのではないでしょうか。相手の言っていることを自分で具体的にイメージし、おかしいところを探す、ということを意識的にやれると、より鋭い反論を展開できるようになるはずです。

上記のようなポイントは、高校論題にも同様に妥当するので、そこでもまた取り上げます…といったところで今回はここまでにしておきます。

ディベート甲子園全国大会の感想 | 22:57:21 | トラックバック(0) | コメント(0)
第23回ディベート甲子園の感想(3.総括 - さらなるレベルアップのために)
先に2回に分けて中学・高校決勝の批評を行っていきましたので、今回は、その内容も踏まえつつ、さらに議論の水準をレベルアップするためにどのようなことを考えていけばよいのかということを、選手に向けたコメントを中心にしつつ、自分も含めたジャッジや指導者にできることは何か、という視点から考えてみることにしましょう。

1.中学論題で見えた課題 - 丁寧に論じる姿勢はそのままに、より深い分析を行おう
中学決勝についての批評で書きましたが、今年の中学決勝は非常にレベルが高かったのですが、私が見たほかの試合でも良好な議論が見られ、準決勝の関西創価中-開成中の試合も、なかなかに好試合でした。両試合に共通するのは、個々の議論を丁寧に説明する姿勢だったように思います。
それが特に優れていたのが、優勝した出水中の反駁でした。後でも述べる通り、出水中の否定側立論は率直に言って「そこそこ」の水準で、反駁も山場はあったものの100%の純度かというともっとエグい反論はあり得たと思うのですが、一つ一つの議論にストーリーがあり、それを完全に理解していること、そして、その理解を、相手の議論に合わせる形で、ジャッジにきちんと伝えるよう説明する姿勢は、中高合わせても抜きんでており、極めて高い水準にありました。大学生や社会人でも、あそこまで整理されたスピーチができるのはごく一部で、偉そうなことを言っている私もちょっと(?)怪しいです。かなりの練習試合を積み、自分たちで議論を練り上げた結果完成されたスピーチだと思いますので、一朝一夕にできるものではないのですが、一つの目標として、今後ディベートに取り組まれる皆様においても目指していただきたいものです。
また、これは地区予選からそうでしたが、内因性や解決性の分析についても、様々な文献や事例を分析し、反論も含めて、非常に興味深い議論を準備しているチームが多かったのも印象的でした。中学生でありながら、適切なリサーチを行い、より説得的な事例を探したり、相手の反論(例えば、イギリスでパブがつぶれた話など)に再反論する糸口を検討したりという、基本的な議論準備の方法が身についていることを感じさせられる場面が多かったです。

他方で、単なるリサーチだけでうまく説明することが難しい、重要性や深刻性の分析については、まだまだ改善の余地が相当に大きいと感じました。先に引き合いに出した出水中の否定側立論は、営業の自由が侵害されると議論していましたが、店の売上と区別される何が侵害されるのかということについての分析が欠如しており、評価することは困難な内容でした(まぁ、憲法で単位を取りました、という程度の中途半端な知識を持つジャッジであれば、営業の自由と言っておくと評価する人もいるのかもしれませんが、憲法を知らない人やまっとうな入院患者に対してはそうはいきません。)。
別にこれは出水中だけではなく、他のチームも、特に否定側の深刻性の重みづけには苦労していたという印象です。これは、価値についての深い理解が求められるということのほかに、価値がそれを基礎づける事実によって支えられているという認識や、そういった事実についての知識に不足がある(そりゃタバコ吸ったこともなければタバコを吸う人と食事をするような機会もほとんどない中学生に、バーの店員がどうとか議論するのは厳しいです)ということがあるのだろうと思います。

しかし、内因性や解決性について精緻に分析することができ、また、それをスピーチで丁寧に説明することもできる中学生選手の皆様にとっては、重要性や深刻性の議論を深めることも当然可能なはずです。そのための第一歩は、自分たちなりに、①「なぜその価値が大事なのか」ということを、②具体的な文脈に即して考えてみる、ということです。
①価値の大切さについては、物の本を見ればそれらしいことはいろいろ書いてあるし、それこそ、論題発表からしばらくすると、こういう場末のブログやSNSで、したり顔の学生や社会人が何かしら説明をしていたりもします。しかし、その内容をそのまま議論に使っても、聞き手に伝わることはありません。決勝の試合がそうだったように、自分たちで理解し、ストーリーとして腑に落ちている内容でなければ、説得力のあるスピーチはできないのです。ではどうすればよいのか。論題に取り組む中で出てくる「健康」「営業の自由」「生存権」といった価値が、なぜ大事なのか、それがないとどうなってしまうのか、その価値が常に守られる必要があるのか…ということを、よく考えてみてください。弁護士が言っているからとか、大竹の自殺エビデンスがあるからとか、そういった外部的な理由ではなく、自分自身が納得できる理由で価値の議論をはじめることができれば、仮にその分析に不足があるとしても、試合での議論やジャッジのフィードバックを通じて、自分たちで議論を深めていくことができます。
②具体的な文脈に即して考えるということは、上の話とも関係してくるのですが、ある価値(保護対象、と言い換えることもできます。)を抽象的なものとして捉えるだけではなく、具体的な事実との関係で考えてみる、ということです。例えば、「健康」ということであれば、誰にとっての健康なのか、子どもの健康と大人の健康、客の健康と従業員の健康、喫煙者の健康と非喫煙者の健康…とあるなかで、それぞれに違いが出てくるのかどうか。「営業の自由」ということであれば、チェーン店の営業と個人事業主の営業、シガーバーとしての営業と、禁煙バーで生き残った場合の営業でどんな違いがあるのか、といった考え方です。中学決勝のターンアラウンドの議論を含め、こういった考察ができているチームもあったのですが、そういった思考をさらに広げていくことで、重要性や深刻性をより説得的に論じることができるほか、内因性や解決性の議論との関連性も深まっていきます。

上述した「より深い思考」は、中学生の皆さまが高校以降でディベートを続ける際に、特に重要になっていきます。
中学と高校の最大の違いは、フォーマットが違うという点ではなく、論題が求める思考の複雑さが異なるという点に求めることができます。これは以前講座で述べたのですが、中学論題では、今季がそうであったように、現在存在する選択肢に対する「規制」の当否を問題とするものが圧倒的に多数を占めている一方で、高校論題では、これまた今季がそうでしたが、制度の変更を問題とする論題が多数を占めています。論題検討委員会がそれを意図しているわけではないでしょうが、中高で議論の難易度を検討した結果として、そうなっている、というのは正しい見立てだと思います。もちろん、制度の変更を問題とする論題のほうが、どういう制度が望ましいのかというヨリ複雑な価値・社会についての考察を必要とする点などで、論じることが多く、難しいテーマであることが一般的です。
中学で優秀な成績を残した選手が、そのまま高校でディベートを続けても、必ずしも順調にいくとは限らないように見受けられるのは、このあたりの複雑さにうまく対応できなかったからという可能性があります。このレベルになると、適切な指導の機会があったかどうかという話も絡んでくるところで難しいところもあるのですが(ぶっちゃけて言えば、高校論題レベルの高度な議論は社会人でもついていくのが大変なのです)、そこをどうやって乗り越えていくのかが、より楽しい議論の世界に飛び立てるかどうかの分かれ目になっていくところです。そのためのポイントは、身も蓋もない話ですが、既に述べたような視点を含めて、自分たちで考える経験を積み重ねていくということしかありません。

2.高校論題で見えた課題 - 制度の理念を論じるために何が必要か
高校論題については、難しい論題だった、というのが率直な印象です。そのような中、過去の同一論題に比べて水準の高い議論が見られたことについては、選手の皆様に敬意を表したいと思います。具体的に言えば、単なる事例の説明にとどまらず、それを制度の当否と結び付けて論じる議論が多かったということが指摘できます。
もっとも、論題の難しさとの関係でいえば、なお論じるべきことは多く、決勝戦でも、その最後の詰めに大きな課題が残っているように思われました。それは、創価高校の肯定側立論冒頭で分析されようとしていた、制度の変革がなぜ求められているのかという「理念」に関する議論の欠如という点に集約されます。創価高校の肯定側立論は、統治機構改革による大きな意思決定の迅速化に向けた最後のピースが国会改革だという興味深い分析からはじまり、二大政党制のダイナミズムを生かして決める政治を実現するという、理念めいたものが窺われる議論を含んでいました。しかし、実際にはそのような話は試合中で展開されず、法律を修正するだとか、任期を長くやらせるとよいといった、制度の特徴だけに終始する議論で終わってしまっていました。もう少し練習試合などで検討を重ね、何が足りないのかを踏まえて練り直せば、さらに上の議論に達することができたのではないかとも思いますが、厳しい言い方をすれば、その「一歩前」のレベルに達したのが全国大会本番であるという遅さ自体が課題というべきでしょう。そこをクリアできていれば、この論題は否定側有利だとか、じゃんけん大会だとかいう寝ぼけた話は出てこなかったはずです。

制度の理念について論じようという意欲的な流れは、ほかのチームにも見られてはいました。私の見た試合でいえば、東海高校は、一院制にすることで妥協による決定がなくなり責任の所在が明らかになる、という話をしていました。ただ、この議論は、解決性はそれらしい話をしている一方で、妥協による決定というのが何で、それがどう悪いのかという内因性の分析が不十分で、言いたいことは分かるが評価の難しいところがあるとの印象をぬぐい切れませんでした。創価高校の観察の議論を参考にしつつ、妥協の何が悪いのかという分析を加えれば、すごい立論ができたのではないかという気がしており、それはちょっと見てみたいなという気はしています。東海高校が関東秋季大会にでも殴り込めば、面白いものが見られそうだという期待はありますが、なかなか難しいところではあるでしょう。

少し話がそれましたが、制度の理念を取り扱うためには、どのような作業が必要だったのかと考えると、答えは私にとっても難しいところではあるのですが、一般的に言えば、制度の現状について丁寧にリサーチした上で、理念として語られる内容を自分たちの腑に落ちるレベルまで具体化し、現行制度における事象に落とし込んで考える、ということになるのだと思います。創価高校の議論の例でいえば、統治機構改革というのは何で、それによってどんな変化があったのか、それにもかかわらず二院制という制度で妨げられているものは何なのか、大きな意思決定というのはどういうもので、どういう決定のあり方が望まれているのか、翻って現状ではそれがどう決められていて、そのせいでどのような問題が起こっているのか…。そういった疑問を一つ一つ特定し、調べ、考えた上で議論を作っていくということが求められている、ということになるでしょう。もちろんこれは、否定側において、現状の制度を擁護する理念を論じていく上でも、同じことです。
これは中学について述べたことと本質的に同じですが、検討対象が「制度」やそれに関係する「社会」であるという点で広い点、そして何より、問いを自分たちで見つける必要がある点で、より難しい課題となっています。実のところ、この課題は、大学以降の高等教育において行われる研究活動と同じようなものであり、ほとんどの社会人にとってもまともに取り組んでくることのなかった、非常に高度な知的活動です。しかし、その手前までたどり着くことができている選手の皆様であれば、さらにその先の、社会について問いかけ、答えを創造していくことも、きっと可能であると信じています。

3.選手のレベルが上がってくる中で指導者には何ができるのか
中学、高校それぞれの今季議論を振り返って、課題めいたものを書いてきましたが、その前提として、選手のレベル、議論のレベルが格段に上がっているのだということは、改めて強調されるべき必要があるでしょう。もっとも、それを見ているジャッジ(昔ディベート甲子園に出ていた私のような人間など)も、ディベートにかかわり続けていることで少なからずレベルが上がっており――近時のJDAも異常にレベルが上がっています――、見る目が肥えてしまっているところがあり、選手の方々にとっては気の毒な感じになってしまっている感があります。気の毒な議論批評をしているのはこのブログだけではないのか、という話もありますが…。

そんな議論水準の高まりに対応して、ディベートの指導をどのように行っていく必要があるのか、という点については、改めて考えていく必要があるでしょう。もちろん、当ブログでわざわざ取り上げている「レベルの高い」議論に全てのチームが到達できているわけではなく、そもそも全国大会出場を逃したチームもたくさんいるわけですから、そういったチームへのフォローアップの方法は考える必要があるのだと思いますが、それは私向きの課題ではなく、また、個人的には先に出した『競技ディベートマニュアル』がその答えの一つだと思っているので(原稿の作り方とかも説明しており、現在存在するディベート関連の読み物の中ではディベート実践に役立つ度合いはそこそこ大きいのではないかと思っております…)、今回は割愛させていただきます。
ということで、より高いレベルの議論に対応する指導とは何かと考えると、それは、答えを与える指導ではなく、答えを一緒に探す指導、ということになるのかなという気がしております。実は、私を含む多くのジャッジは、試合で見た面白い議論を題材に、こういう議論もできるのではないかと盛り上がっていたところもあり、最初から答えを全部持ち合わせていたわけではありません(今のアイディアも答えとして適当なのかは不明です)。そう考えると、「こういう議論をすべき」という話より、選手の考えた議論のうち説得力に欠ける部分を適切に指摘し、どんな議論があり得るのかという問いをうまく立て、一緒に考えるという、パートナー(法律事務所のそれではないですよ、念のため)のような存在になるのが、一つの理想的な指導者の在り方なのではないかな、と思います。
こういった指導の在り方は、ともすれば議論の押し付けになりかねないところもあるので、選手の自主性を尊重しつつ、距離感を取りながら問いやヒントを与えていくためにはどうすればよいかということを考えていかなければなりません。教え子が勝ったとか、自分の地区が完全勝利したとかいうズレた喜び方をしているような向きには、危なっかしくてさせられない指導方法だと思いますが、真摯に議論に向き合い、選手によい議論をしてほしいという気持ちで取り組めば、効果をあげるのではないかなという気がしています。ただ、先ほど述べた通り、一緒に考えようとする課題自体が非常にレベルの高いものですので、出来合いの答えをもってよしとしないパートナースタイルの指導は、指導者にとっても大変な負荷のかかるものであり、難しい指導であることもまた確かです。

そこで、個々の指導者の取り組みだけではなく、論題や議論へのとっかかりを与えるための情報提供というものを考えていく必要があるように思います。個人的には、今年の高校論題であれば、決勝主審を務めた渡辺先生が論題解説を書いて、前提となる知識や議論の指針をもう少し示してくれてもよかったのではないかと思いますし、それが議論の押し付けになるということであれば、大会後であっても、論題検討委員会で考えていた論題の趣旨や、実際に見られた議論を踏まえた課題などを公表するということが、(委員への負担を度外視すれば)あってもよいだろうと思います。司法試験の採点実感のようなイメージです。
ただ、連盟に要望ばかりするのもどうかと思いますので、市井のディベーターで何ができるかということになると、それはやはり、実際の試合で出た議論の批評を、丁寧に上げていくということになるのだと思います。この点、そういう議論批評をすると、自分たちの議論を公開されたとかいう変な苦情がくるのでやりにくいのですが(とはいえ私はそういうことは別に気にしないので書きたくなったら書きますが。それが嫌なら講評を聞かないでください、という立場です)、そういうことにならないよう、公開を前提として議論検討のためのイベントをやるというアイディアが一部から出ていますので、次のシーズンには何らかの形にできればなぁと思っています。最終的には、みんなで議論を高めあっていく方向で意識が変わってほしいというのが願いではあります。

テキストを出版した竹藪会のほうでも、私だけではなく、気鋭のでぃべーたーに決勝戦の批評を書いてもらって、決勝戦解説冊子を作るような企画があってもよいのではないか、という話をしています。これはディベートを知らない方向けの宣伝的な意味合いもあって、良い議論を、その良さや、さらに先を行く議論の可能性について解説しながら紹介するということは、それ自体、ディベートへの興味を持ってもらうきっかけになるのではないかと思う次第です。

といったところを雑にまとめますと、指導者も、高いところから意見を言うだけでなく、一緒になって考え、選手に気づきを与えるようなきっかけを作れるよう頑張るということがあってよいのではないか、ということです。そのためにどういったやり方があり得るのかということは、これからも考えていきたいところです。

4.おまけ - 大会存続のために
ここまでディベート甲子園における議論の在り方を縷々書いてきましたが、最後に、不景気な話で恐縮ですが、そのディベート甲子園がこのまま続くとは限りませんよ、という話をさせていただきます。

最近、大会会場で、唐突に金の無心スピーチがされていることにお気づきの方もいらっしゃると思いますが(ジャッジルームでもそうです…)、運営会員として財務状況の報告を受けた結果からすると、率直に言って、全国教室ディベート連盟の財務状況は明るいものではなく、大塚家具がそうなっているように、大会の継続開催に関する注記をつけなければならないような状態にあります。ディベート甲子園の開催のためには、地区大会の費用も含めて、かなりのお金がかかっているところ、スポンサーの支援が減少し、今後も削減が既定路線であるため、このままいけば、あと2~3年で、大幅な規模の縮小や、大会の中止についての検討がされかねない状況です。
スポンサーの問題については、これまで長年にわたり大会を支えてくれた読売新聞をはじめとする各会社への感謝はあるとしても、ディベートの意義を理解してくれる新しいスポンサーを真剣に探すべき場面に来ているところでしょう。中高生がこれだけレベルの高い議論に取り組む機会というのは貴重なことだと思いますし、そういった思考強度を求める会社はそれなりにあるはずですので、かかるスポンサー候補にアプローチするなどの方策は考えなければならないし、連盟もいろいろと考えてはいるのだと思います。
ただ、スポンサー獲得の前提として、連盟は認定NPOではなく、寄付に税制上の優遇措置を受けることができないという足かせがあります。認定NPOになるためには、「実績判定期間内の各事業年度中の寄附金の額の総額が3,000円以上である寄附者の数が、年平均100人以上であることを求める」基準が存在しており、そのためには、継続的な寄付を行う維持会員の存在が必要となります。
そこで、ディベート甲子園の維持存続を希望する方々には、是非、連盟の維持会員になっていただきたいということで、当ブログでは異例ですが、維持会員制度による寄付の紹介をさせていただきます(連盟の説明ページはこちら)。

紹介しておいてなんですが、今の連盟が、寄付を受け入れるに足る組織体制を備えているのかどうかについては、率直に言って疑義があることも否めません。とりわけ、支部のガバナンスについては不透明な点が多く、支部会計の内実は会員に対しても明らかになっておらず、適正な監査を受けているのかも疑わしいですし、全国大会のジャッジは、本来主催する試合運営委員会が指名してしかるべきところ、支部派遣ジャッジは各支部の推薦に従って決定されることになっており、能力・資質に照らして最善のジャッジが派遣されていることは担保されていません。ディベート普及活動という点についても、ディベート甲子園の運営以外に積極的な活動が行われているのかというと、残念ながらNoと言わざるを得ないでしょう。
そのような問題は多々ありますが、私としては、それを踏まえてもなお、中高生の皆さんが議論を戦わせ、将来の日本、世界を担うための経験を得られる舞台として、また、素晴らしい議論に感動を与えられ、ジャッジやスタッフにとっても学びを得ることができる機会として、ディベート甲子園という大会は存続してほしいですし、連盟も、それを担う団体としてきちんと運営していってほしいと考えますので、私なりにできることをしていきたいと思っています。もし共感される方がいらっしゃったら、維持会員の加入を検討いただければ幸いです。

ディベート甲子園全国大会の感想 | 02:15:39 | トラックバック(0) | コメント(0)
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