愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
第18回JDA秋季大会の短評~ヘイトスピーチ論題の振り返りとして~
気が付いたらもう年末に差し掛かってしまいました。今年は冬コミも当たっていない(申し込んでない?)ので特に告知はないのですが、別途の集団で骨太な同人誌を出そうという話もありますので、うまくいったらそちらでひと暴れしたいものです。

さて、今回は、間が空いてしまいましたが第18回秋季JDAの決勝について書きます。この試合は決勝ジャッジに入っていたのですが、やや迷った末にAffに投票して多数意見になっています。ただ、論題との関係での議論水準はNegのほうが上回っていたと思います。司法試験採点実感風に言うと、自動販売機のような議論を回すAffに投票してしまい、試験委員の気持ちがよく分かった気がします。
とはいえ試合の水準は高く、Affもディベート的に悪かったわけではないです。実力のあるチーム同士が死力を尽くして戦った感があり、JDAらしいよい決勝ではありました。

トランスクリプトがJDA-ML以外に流れていないので、以下、議論をデフォルメして紹介しつつ感想を述べ、最後にヘイトスピーチ論題でこんな議論ができたのではないかなという話を書くことにします。じゃあお前出ろよという話なのですが、できるものなら出場したいものの時間がなかなか取りがたく…。そんなこと言ってると職業ディベーターに怒られそうですが。
といったところで以下本題です。

*トランスクリプトでディベーター名が非公開とされているので、必要な?場合のみTDN式表記法で名前を書きます。

決勝のAffは、マイノリティ保護というオーソドックスな議論です。デメリット切りに「政治、科学についての発言は原則として規制の対象外」というプランを挿入しているのはいかにもTMK氏らしいのですが、例によってこれはどうかなと思うところです。そもそもヘイトスピーチは政治と不可分なものであって、そこを規制しないとすればマイノリティ保護も実現できないでしょう。そういう表現規制の難しさから逃げて勝とうという態度において、議論が浅くなってしまうことは不可避です。Negもそこはわかって攻撃していたのですが、さらに踏み込んでAffの底の浅さを露呈させるような議論までは行けなかったことにより、TMK流ディベートはもう少し寿命を延ばしたということなのかもしれません。
ただ、ケースの中でおっと思ったのは、最初の方で、ヘイトスピーチがネットで始まって拡大再生産していくという話でした。その後伸びることなく残念だったのですが、劣悪な言論を規制すべき理由というのは、それが良質な言論を圧倒し、理性的な議論の可能性を狭めていくということにあるので、こういう分析はウェルカムです。しかし、結局試合では外交関係が悪くなればヘイトも盛り返す…といった被害の数に終始する議論だけで、橋本のエビデンスを読んだ意味は何だったのか、ということになります。Affはこの辺も残念でした。
上記はともかく、さすがに手堅いケースではありましたが、これに対するNegの反論は、大きく言えば、①今は減っているという話、②カウンター行動で大丈夫という話、③政治や科学の議論を許容するプランではヘイトスピーチがまともに聞こえるのでより悪いという話でした。本来一番インパクトがあるのは最後の③の議論で、クレームがいまいちだったのでターン気味になっていなかったですが、これを目玉に持って行ってほしかったところです。これがいまいち伸びなかったのはNegが得票を伸ばせなかった主因と思われます。①と②はセットなのですが、Affからカウンターデモはより悪いという話が出て、これに対するケアがなかったので、ケースが分かりやすく残ってしまいました。筆者がAffに入れたのはそれが理由です。
カウンターデモの話は、①と②を結び付けて、意識が変わってきているのでOKという議論にしているのがNegの工夫でありそれはそれでよいのですが、さらに工夫があるべきだった、ということになります。要するに、言論規制より言論の自由下での自主規制(対抗言論)の方が望ましいという話ですので、例えば1NRの最後のほうで出てきた小谷のカード(規制するとうっぷんを晴らせなくなってダメ)や、2NCで出てきた「ヘイト規制はかえって在日が日本の法に介入したということになって恨みを買う」という話を絡めていくのもよいかもしれません。後者はいわゆるアファーマティブアクション論争で出てくる典型的な議論だったりするのですが、在日ヘイトの文脈での議論でもあり、それなりに説得的です。これらを個別に出すのではなく、言論規制と対抗言論の比較という話にした上で、カウンターデモへの暴力行為などは警察で規制するのであって、国がすべきことは言論で解決できるように実力行使や特定個人への法益侵害が明らかな侮辱・行為を規制することだけだ(これだって公益性があれば処罰されない可能性がある)、というのが、Negの模範的な態度になろうかと思います。別にNegがそうスピーチしなくてもジャッジのほうで再構成することは可能で、実際筆者もそうしようかと迷ったのですが、さすがにやりすぎかなぁと思って自重した次第です。

NegのDAは、表現の自由の侵害です。このDAは表現の自由規制の要点を押さえていてよくできていましたが、2NCから1NRにかけて出てきた、何か社会に対して訴えようとするのであれば、挑発的で挑戦的である必要がある、というのがNegの議論の白眉です。これこそが、Affのプランのせこさをひっくり返す武器にもなるところでした。すなわち、表現の自由というのは(というか人権一般は)、多くの場合少数者のために保障されるものであるところ、普通に言論をやっていては多数派に勝てない少数者が、ある種煽動的な言論をもって多数者に対抗できる機会を保障すること自体に、表現の自由の意義があるわけです。Affのプランでは、「きれいな議論」しかできなくなるので、強い言論活動で多数派に訴えかけ、あるいは少数派で連帯したいという思いは規制される一方、多数派は科学・政治の体をとって、優位な立場での発言を続けるということになるわけです。
ただNegにおいて残念だったのは、上記のような形で、過激な言論が必要だという話を使っていけなかったことです。マイノリティにとって重要だ、という話も出していたのですから、そこを引っ張りつつ、マイノリティの言論が萎縮するというにとどまらず、マイノリティに保障されるべき「過激な言論」が規制の対象になってしまうという議論を打ち込んでいけば、DAは相当強固に立ったと思います(同性愛など少数派の言論活動に意味があったことなどの実例があればより完全ですが)。それに対してAffの議論は対抗言論で解決されつつあり、マイノリティ保護という意味でも国が介入しないことがベストであり、言論の自由の価値を信じろ、ということで押し切れば、少なくともこの試合のAffの議論セットでいけば、Affに入れる理由は完全になくなります。
もう一つNegにとって残念だったのは、DAで言論規制の話を出していますが、政府が恣意的に規制する動機を持っているという話をもっと強く押し出すべきだった、ということです。Negは、2NCで日本で表現の自由が侵害されやすい、という話を出しているのですが、これがプランとの関係でうまく伸ばしきれていなかったうらみがあります。Negが出していた政治ビラ配布の問題は、まさに政府に反対する少数者弾圧の問題です(試合では出ていませんが憲法で有名な判例であり、イラク派兵反対のビラです。)。こう見ると、この問題も、上で見たマイノリティ言論抑圧の事例につながっていくわけで、真っ当な議論をしているとすべての議論が連関しているのだということの好例です。
このように、Negは筋のいい議論をたくさん出しており、かつ、その位置づけにも十分自覚的だったとは思うのですが、やはり議論の量が多すぎたからか、これを体系的にまとめるところまで上手く行き着いていなかった感はあります。海外事例のエビデンスを少し減らしてでもこのあたりの話を丁寧にやる方がよかった気がしますが、ディベーター心理的にそれが容易でないこともまたよく分かるので難しいところです。

といった決勝戦でした。いずれトランスクリプトが公開されるようですが、いろいろと考えさせられる試合であり、最初は正直どうかと思った論題ですがなかなか面白い議論が見られてよかったな、という感じです。JDA-MLに入っていない方は公開を心待ちにしてください。その際には、字数が多いとかいう表層的かつどうでもいいことにではなく、議論の中身に注目してください(まぁ、実際あれだけの量をきちんと分かる形で話せるのも実力の高さですし、観ていて高まりを感じるポイントではありますが。)。

最後に、ヘイトスピーチ論題でどういう議論が望まれたのか、ということにつき、Negの話は上でざっくり書いたので、決勝で深掘りが足りなかったAffの立場から考えてみることにします。
Affにおいて、Negの「対抗言論の方がよい」「言論規制はよくない」という立場に対抗するには、規制の必要性を、在日の方など特定マイノリティの話だけで基礎づけるのではなく、言論規制の根拠と同じ位相において展開していく必要があります。具体的に言えば、言論規制は、表現の自由を保護するために行われるのだ、ということです。
これは経済的自由に対する規制のことを考えると分かりやすいことです。独占禁止法では、カルテルや談合など、不当な取引が規制されています。これは、経済を規制するものではなく、むしろ市場の公正性を保ち、自由経済を健全にするためのものととらえられています。表現の自由においても同様のことはあり得て、言論の自由市場の健全性を破壊するような言論については規制する必要があるという論陣を張ることが可能です。そして、そのような「不健全な議論」こそが、ヘイトスピーチだというのが、Affの論証すべき命題です。
ここで、上で触れた、Affの伸ばさなかったヘイトスピーチの「拡散再生産」という性質が活きてきます。さらに踏み込めば、ヘイトスピーチが差別意識、さらには現実の差別行動を助長するのだ、ということを主張していく必要があります。ヘイトスピーチの問題は、それが非理性的であるがゆえに理性的な反論ができないこと、それでいて対象の価値を切り下げる効果があることだと思います。このような、理性的な言論で対抗できない悪質な議論が広がっていくことで、対象となるマイノリティが痛み、言論市場においても発言機会を失っていくのだとすれば、それは、表現の自由の文脈においても許されないことであり、まさに表現の自由の名のもとに規制されなければなりません。
これでようやくAffの議論はNegと同じ舞台に立つことになります(より具体的な保護の必要性があるので少しAffが有利と言えるかもしれません)。その上で、Negの主張する萎縮効果論ないし規制の濫用に対してどういう回答を用意するかが、Affの次の関門です。正直なところ、この議論を完全に否定することは難しいのですが、Affの回答としては、それでも規制が必要であれば進めざるを得ない、ということになるでしょう。これを支える議論としては、判例などで明確化を図るというpracticalな話のほかに、今後日本でマイノリティが問題になるようなセンシティブなissueがたくさん出てくる際に、健全な議論環境を整える必要がある、というものが考えられそうです。Negも少し出していましたが、たとえば移民問題は、今後日本でも問題になるでしょう。Negの文脈ではそこで言論が萎縮する、ということになるのですが、むしろ、マイノリティ差別的なヘイトスピーチを許してしまう社会では、移民問題を理性的に論じることはできなくなる、というのがAffの切り返しで、これは詰めるとAffのほうが有利になりそうです。海外の事例では実際上手くいっているところもあるようで、民族問題などで海外においてヘイトスピーチ規制が先行しているが、今後の日本でも同様の問題がやってくるのであり、その時までにヘイトスピーチに対する対抗手段を持たないままでよいのか、というのが、Affの大きなストーリーとなりそうです。

とまぁ、こんなことを考えたわけですが、実際に試合にしようとすると難しいのだとは思います。しかし、今後もディベートという活動が価値あるものとして認知されていくためには、こういった議論が集積されていく必要があるのではないかなとも思います(ちなみに補足しておくと、決勝出場者も含めて、少なくないディベーターは、こういった感じの話をしています)。ディベートの試合でWorkするかどうかという話はよく聞くのですが、大きなストーリーとしてどういう議論があり得るのか、あるべきなのかという話があんまり聞かれない気がするので、いつもながら試合に出ていないのに偉そうに書いているということを承知の上で、コメントさせていただく次第です。

といったところで、おそらく今年最後の記事は終了です。相変わらずクリスマスの予定はないですが仕事がありますので…。
皆さま、よいお年をお過ごしください。
第16回JDA秋季大会決勝の感想
あけましておめでとうございます。
それほど記事を書く時間が取れないのは相変わらずですが、若干ながらご覧になってくれている方もいらっしゃるようですので、機会があれば何かしら書こうとは思っておりますので、気の向いたときにご覧になっていただけますと幸いです。
なお、本ブログの内容がカオスすぎて何を読めばよいのかわからないという声が聞かれましたので、(読まなくてよいというのが正解かもしれませんが)カテゴリを若干整理しています。とりあえずディベート甲子園にかこつけて書いている記事はそっちにぶち込んだりと適当な分け方であり、また、一つの記事に複数のテーマがあったりするので、参考程度でしかないのですが、ディベート理論に関する記事を避けるという消極的な意味だけはあるかもしれません。

さて、今回の記事の本論は、通例より大幅に早く公開されたJDA秋季大会のトランスクリプトをもとに決勝戦を批評するというものです。結婚式に出席していた事情で大会を生で見ていないので、トランスクリプトの内容にのみ基づいた記事で、臨場感には欠けるところです(ディベートの試合の感想で臨場感ってなんなのかはよくわかりませんが)。なかなかレベルの高い試合ではあると思いましたが、プレパもせず傍から見ている無責任な立場だからこそ言える内容として、いろいろ好き勝手述べておりますので、そういうものだと思ってお読みいただけますと幸いです。
なお、トランスクリプトはこちらです。


1.全体の感想
論題が解雇規制の緩和という難しいものであったことを踏まえると、レベルの高い決勝戦であるように思われます。両チームとも力のあるディベーターであり、よくリサーチした内容を、よく戦わせている試合だということができます。
議論内容についても、Affは解雇規制が雇用を硬直化させているというストーリーを一貫させつつ実証研究によって議論を強固にサポートしており、NegはDAの色付けとして解雇される人間にとっての解雇の辛さを証明することで対抗しようとしており、工夫が見られます。

しかしながら、両チームともに、せっかくテーマ付けをしているのに議論がいまいちそれに乗っかっていないようで、深みを欠くように思われたことも事実です。またこの調子かよ…という声が聞こえてきそうですが、2014年も弊ブログはそういうテンションですので、以下、こういう議論もあり得たのではないか、という観点で見ていくことにします。

2.解雇規制論題であり得るストーリー
Affの場合
Affのケースでは、最初にディベート界ではおなじみの瀧本本最新刊を引き、産業の浮き沈みのサイクルがどんどん短くなっているという話を入れています。これは出だしとしては非常によいのではないかと思いました。しかし、その後この議論が活かされているかというと、あまり活かされていません。1ARが最後に内閣府のエビデンスと一緒にちょろっと述べており、これはよかったのですが、2ARではスルーされており、ケースの内容自体も単に失業減らそうぜと言ってるだけに聞こえて、よくありません。お前瀧本って言いたかっただけだろ、みたいな感じです。

まず、こういう「最近は~なので」という話を入れる際には、昔はどうだったのかという議論を入れることが有効です。今回の場合、昔は終身雇用が合理的だった(けど今はそうではない)ということでDAを叩き、「Negはたくさん失業するとか言っているが、放置しておくとみんなつぶれて失業になる」という議論をやらないといけません。これは、道州制論題のAffで「このままだと地方財政が成り立たない、福祉が死ぬ」みたいな話をする際と同様であり、「このままだとヤバい」系のシナリオの立て方としてレパートリーに入れておくことをお勧めします。
今回の試合でも、材料はいろいろと揃っていました。NEWSポストセブン(2枚とも)や生島の資料もそうですし、1NRの磯山の資料もよいです。こういった資料をベースに「今のままだとまずい。流動化させれば変わる」という、流れのある反論をぶち上げてほしかったところです。また、2ACで出ている「失業したとしても、再就職が容易になる」という話も、単に出すのではなく、そもそも長続きしない時代なので再チャレンジを簡単にするほうがよい、ということでテーマと結びつける必要があります。

また、今回の論題では、もう一つ「昔とは違う」という話が出せたように思います。現在雇用規制で「守られている」中高年の場合、今とは違って日本経済が上向きで、就職は容易だったのではないか、ということです。そういう環境では、将来首を切りにくいということで雇わないということはなかったものと思われます。それに比べて現在では若者が割を食っているという形で、DAの深刻性を相対的に落としていく議論ができそうです。

上記のような話をするためには、ケースでもう2枚ほど、現在の経済状況や産業形態に照らして長期雇用慣行が不合理になっているという話を入れておくことが望ましいでしょう(内閣府のエビを1ACに回してもよいかと思いました)。その代わりに、ケースで読んでいたアメリカやインドの分析は2ACに回すことが考えられそうです。DAへの攻撃もかねて「中長期的に上向くことは実証されている」という一つの攻撃を作っていくということになります(磯山のドイツの例もそこで読んだほうがわかりやすいでしょう)。
1ACと2ACでどういう議論分担をするかというのは難しいところがありますが、大きな絵は最初に描き、各論にあたる実証研究などの議論は後に回すという構成のほうがわかりやすいかなとは思います。また、良いストーリーが最初に出ていると、DAが出てきた際に「でもAffのストーリーからすると返っちゃうよな」という印象が出て、相手にとっても嫌だしジャッジの心証も違ってくるはずです。あと、この試合の2ACで出ていた奥平の国内の判例に関する議論は、後でもNegに叩かれているとおり、一見明白に怪しい分析で(法律家が気にするとすれば「その裁判所の判例かどうか」ではなく「どこが出した判例か」で、東京や大阪の地・高裁だと影響力は大きいかな、といったレベルです。経営者はなおのこと「どこの判例」なんて気にしないでしょう)、こんなのを読む時間があったら1ACの議論を回す余裕もあるだろうということもあります。

また、上記のようなストーリーを前提とする場合、2ARが言っている「そういう状況[注:失業]になる人が、現状とプラン後、どちらが多いのか」という単純な数の比べっこにしてNegの土俵に乗ってあげる必要もなく、これから先の産業状況に即した雇用法制はどっちだ、という一段上の話にまとめるべきだったところです(その上で、中長期的に見れば失業者数もAffのシナリオのほうが少ないとダメを押せばよい)。このあたり、個人的には2ARはもう一歩だったように思います。

Negの場合
NegはAffに比べてストーリーが作りにくく、たいへんな論題であったと推察されるところです。長期雇用慣行に不合理な点が出てきている…というのは、否定しがたい事実のように思われるからです。

一つの方策は、今回Negが出しているような、雇用を維持されることを前提に頑張ってきたという話で「いきなり長期雇用慣行を変えるべきではない」という論陣を張ることです。サービス残業などの議論も、長期雇用慣行を前提にしているので長くいないとどうしようもなくなった人がやられてしまうという文脈で位置づけなおせば、さらにストーリーを補強できたはずです。
ただ、「いきなり長期雇用慣行を変えるべきではない」という話だけでは、中長期の分析に対して劣位におかれてしまいます。2NRは「長期的には、中長期、っていうことは一緒なんですが、だったら私たちの方を重視すべきです」とかいう話で反論を試みていますが、全く説得力はなく、Negのストーリーの限界が露呈してしまっています。また、ジャッジの層を見ても、総じて若いor終身雇用で守られてる側の人間ではないと思われるわけで、この議論でジャッジのハートを掴むのはそもそも苦しいところです(僕なんて建前上は労働者ですらないですからね…。)。

そこで、「いきなり変えるな」という論陣で頑張るのであれば、漸進的に改革すべき/されている、という議論とセットで戦う必要があるということになります。例えば、派遣労働が増えているといった話は、限定的ではありますが長期雇用でない働き方の広がりを言う議論だといえます。派遣は地位が低いという話もありますが、プラン後の正社員は雇用保証もないわけで、派遣とどこまで違うのか、というところです。
また、Counterplanを出すということもあり得るところです。たとえば、現在は(契約の態様等によりますが)解雇権濫用法理が類推適用される有期雇用については一定の要件の下で期間満了後の解雇を認める、という法整備を行うことで、スポーツ選手よろしく毎年契約が見直されるような働き方で、プランと同様の効果が「今後」見込めるかもしれません。ここで重要なことは、これまでの長期雇用対象者は守りつつ、今後の雇用についてはAffの分析を容れて「必要な時に必要な人材を必要な分だけ雇い入れる」ことを認める、というストーリーを作れないかということです。もちろん、このような議論はエビデンスが少なかろうと思われますし、Non-Topicalityの問題もありそうですが、座して死を待つよりはチャレンジする価値があったのではないかと思います。

あとは、この試合では出ていませんが、長期雇用慣行によって競争力が生まれることもあるという視点も議論としてはあり得ると思いますが、これは立証上簡単ではないのと、そういう企業は言われなくても長期雇用を確保するのではないか、という反論がありそうなので(ただ、法律で守られているのと、企業が「うちは長く雇うよ」というのでは安心が全然違うので…ということはあるでしょうが)、出すとしても主力の柱にはなりにくいかもしれません。

3.決定的に有利な点をダメ押しする
議論の内容については以上で述べたとおりですが、ここではもう一つ、この試合で見ていて面白かった1ARを素材に、さらにインパクトのある議論展開ができないか、という視点で書いてみることにします。

今回の試合でベストディベータはおそらく2ARに与えられたのだと思いますが、個人的には1ARがベストディベーターだったと思います。重要な点を漏らさず返していることもさることながら、最後に(もっと早いステージで出すべきだったということはありますが)内閣府のエビを読みつつ瀧本エビデンスに回帰して締めるという2ARもやらなかったスピーチをしている点もimpressiveでした。
また、ディストーションというのは言い過ぎですが、Negのエビデンス引用が恣意的であることを指摘しつつ反論している点も非常に説得的でよかったです。

その上で、この試合でより完全にAffの勝利を決めるという観点からは、議論の盛り上げどころを絞って、そこでひとつ確実に勝負をつけるというスピーチがあってもよかったかもしれません。この試合でいえば、実証分析や海外の例がいずれもAffに有利であるという点を指摘することがあげられそうです。
すなわち、この試合では、海外の例として
①アメリカとインドで解雇規制緩和のほうが失業率が低い(1ACの奥平2枚)
②解雇規制の緩いデンマークと厳しいオランダでは後者のほうが失業率が低い(1NCの森永)
③ドイツでは解雇規制緩和で失業者が激増(2NCの磯山)、しかしその後失業率回復(1ARの磯山)
とあるのですが、このうち①はAff有利、②は解雇規制との関連性不明で弱い、③は長期的にはAff支持と、Affが有利に戦える公算が大きい論点となっています。ここで勝つことが試合の勝敗を左右することさえ説明できれば、Affの勝利は決定づけられます。

そこで、例えば、1ARを下記のようなスピーチではじめ、2分ほどをこの論点に注ぎ込むという手があったかもしれません。
「Negの主張は、解雇規制緩和で失業者が増えるというものでした。この主張が正しいかを判断するには、解雇規制が緩い海外の例を見るのが一番です。そして、この試合で出ている実例は、いずれもAffの主張、すなわち、解雇規制で中長期的に失業が減るということを示すものか、論題と無関係な例です。」

この後で①~③を各個撃破していくことになります。
①については、まず1NRの国際比較が無意味という批判は、国内比較であるアメリカとインドの例には当てはまらないことを指摘し、そのことは1AC2枚目の奥平ではっきり述べられている(なので追加引用は不要だった)からNegの批判は全く的外れであるとして一蹴したうえで、1NCの因果関係と相関関係云々の議論は推測にすぎないうえ、アメリカでは最終的に全州で解雇が自由になっており(奥平の1枚目やポストセブン2枚目はそのことを示唆)、失業率などで場当たり的に緩和されたものではないことが明らかであるといった反論が可能です。
②については、解雇規制に差がある2国を恣意的に取り出して並べただけで解雇規制との関連性が不明である上、まさに1NRも述べたような2国間の国際比較であるから、自ら理由にならないことを認めてしまっているといえば落ちるはずです(僕がジャッジなら指摘がなくても落としていると思います)。
③については、1ARがそうしたように結論を引用し、彼らは都合の良い途中経過のみ引用したが、結果は失業率が落ちるのであり、まさにNegのDAは途中経過を述べるに過ぎないことが実証されている、とひっくり返せます。
この程度反論しておけば、Negも再反論は難しいと思われます(実際の2NRの反論は「ドイツっていうのも、好況になったから、だから雇用を増やしただけであって…」など無根拠で、到底採用できないものでした)。

実際には1ARでここまで整理立ててスピーチすることは難しいことは承知の上ですが、このくらいリサーチしているのであれば、実証分析ではまずAffが勝てるという公算が立っているのではないかと思われますので、どこかの段階でそこに的を絞ったスピーチができるよう戦略を立てるということはあってよかったかもしれません。

なお、2ARの例ではありますが、自分たちの分析の有利な点を整理してアピールするという点では、たとえば第2回JDAのトランスクリプトの2ARなどが参考になります。こちらは、臓器移植合法化論題で、肝臓移植に的を絞った分析をしている点をアピールするなど、どこで勝っているかを明確にする非常にまとまったスピーチになっており、とても勉強になるものです。1NRや1ARでそういうスピーチをするとすれば、上記のように、もう少し細かく議論を見ていくことになるのだと思いますが、臓器移植論題の1ARは残念ながらその点での参考にはなりません。

4.最後に
以上、解雇規制論題のJDA決勝戦の感想です。いろいろ好き勝手書いてしまいましたが、総じてレベルの高い試合であり、決勝で戦われた皆様の努力には頭が下がる思いです。

解雇規制の問題は非常に考えさせられるもので、本来は労働法の体系も含めていろいろと見直しが必要なところだと思います。実務的には、そもそも労働者をひとくくりにして保護を与えてよいのかというところもあって、たとえば日本の労働法では、雇用契約に基づいて勤務していれば、年俸が億を超えていても労働者としての保護を受けることになります。Affも指摘していた通り、日本の労働法制は判例法理で形成されている面が多く、総じて労働者保護に傾いているのですが、そのことがかえって労働者の契約条件を引き下げる(例えば、解雇しにくい分だけ高い報酬を保障しにくい)ことになっている場面もあります。工場労働者が主たる保護対象だった時代と、外国人の雇用なども含めた新しい働き方が求められている時代で労働法がそのままであってよいのかというのは日本にとって切実な問題であり、多くの人にとって他人事ではない、重大な問題でもあります。そういう難しい問題に果敢にチャレンジされた今季論題の参加者に敬意を表して、今回の記事を終えることにします。

なお、今年の春季論題である遺伝子組み換え作物(食品?)の規制についても、高3のとき体験した経験からして難しいことは請け負いますので、こちらも果敢なチャレンジを期待しております。僕は選手はちょっと、というかかなり無理ですが、今度は大会を見に行きたいと思っております。
某ラノベの感想と第14回秋季JDA決勝の簡易振り返り
どうも御無沙汰しております。
前回「しばらく出てこない」と書いたのですが、まだ研修中だったりして時間があったので少しだけ記事を書くことにします。激務オーラは出まくっているので今後どうなるかはわかりませんが、気が向いた時に時間があったらたまに記事を書くこともあるかと思います。

さて、今回は先日発売されたディベートラノベ「彼女を言い負かすのはたぶん無理 3」を読んでの簡単な感想と、別のブログであがっているJDA決勝のトランスクリプト(更新時点で2NCまで)を題材として、ジャッジから議論がどう見えるのかという話でも書くことにします。


ディベートラノベ第3巻の感想
正直なところマイナーレーベルなので売上とか続刊予定とかを気にしていたのですが、無事に第3巻が発売されました。表紙絵はこれまでで一番だと思います。
第2巻でラブコメ突入の予感だったわけですが、見事にその通りでした。主人公がモテまくる恒例の展開です。僕の知ってるディベートとは全然違うわけですが、聞くところによるとディベートをやっててモテるとかいう信じられないこともあるらしいので、夢を抱いて頑張ってください。あの職業ディベーターも奥さんは元ディベーターだったりしますしね!

あと、今回はアニメ化された有名作品「はがない」をネタにしていて、奇しくも僕が書いたSSの冒頭とネタがかぶってしまいました。「はがない」も主にイラストがいい感じで人気なのですが、今作のディベートラノベの方が恋愛的な葛藤に正面から向き合っていて作品的には面白いのではないでしょうか。やはり「聞こえなかった(笑)」で7巻までひっぱるというのは残念では済まないと思うのです。原作読んでないのにこんなこと言うのもなんですがww

…と、全然ディベートに関係ない内容が続いたので本題に入ると、第3巻ではディベート部の存続をかけて「ディベート部を廃部にすべきである」という論題で試合が行われます。個人的には、肯定側立論でアイラの不良行為とディベート部の活動内容の関連性が示されたと思われないので、この時点でメリットを棄却する判定になりそうなところなのですが、そこまで考えずに読むとそこそこ楽しめる感じです。
読者の中には「このラノベのディベートはしょぼい」とか思う方もいるのかもしれませんが、エンターテインメントとして議論をやろうと思うとこの程度の水準になるのは仕方ないところもありますし、いちおう筋としては通っているのでディベート的には及第じゃないかな、と思います。ついでにいつものように毒づいておくと、ディベート甲子園の少なくない試合では筋がおかしい議論が散見されますし、おちゃらけ論題であっても見る議論の多くは水準が低いと言わざるを得ないもので(これは3要件に基づく基本的な思考が鍛えられていないことによるものです)、このラノベの議論の方が平均的な議論の質は高いかもしれません(ラノベ内の設定的には当たり前なのですがw)。というわけで、皆さん頑張ってください。

無駄に毒づくだけではいけないので、小説の内容との関係でちょっとだけジャッジングの話を。
第3巻では、とある事情により、否定側が十分に再反論を行えませんでした。その結果として、ジャッジが「再反論がされなかったことを考慮して」議論を判断しています。小説の中では「再反論がなければ直ちに相手の主張をすべて認めるものではない」とあり、これは正当な記述なのですが、「再反論がない事実を相手方に有利に考慮してよい」というのは、議論の余地がある命題です。
結論から言うと、再反論がないという事実を相手方に有利に考慮することはありうると思います。しかし、それは「その点を不問とする黙示の合意」の存在から、その部分は共通了解となったとして、相手方の立証責任を緩和するという形で考慮されるものであって、かかる黙示の合意を認めるに足りる事情がなければ、再反論がないという事実に判定上特別な意味を持たせるべきではないでしょう。小説での議論展開においては、むしろ黙示の合意を否定すべき事情があったといえますので、肯定側の立証責任を緩和したかのように見えるジャッジの講評には疑問があると言わざるを得ません。

というわけで、ラブコメを楽しみながらジャッジングのあり方について考えるきっかけとなるラノベ「彼女を言い負かすのはたぶん無理」第3巻、未読の方は是非購入されてはいかがでしょうか?
ちなみにあとがきによれば4巻も出るらしいです。次は夏合宿があるらしいぞ!


第14回秋季JDA決勝の簡易振り返り
ここからは真面目なディベートのおはなし。職業ディベーターが昨年開催された第14回秋季JDA決勝(原発論題)のトランスクリプトをすごい勢いで作成し始めたので、これを題材にジャッジの視点から議論の細かいところにコメントをつけていくことにします。
こちらの記事でご案内の通り、僕はこの決勝戦のジャッジを務めさせていただきました。適任だったかはさておき、ジャッジとしてどういう部分が気になったのか、トランスクリプトを観ながら簡単に振り返らせていただきます。なお、この記事を書いている時点で2NCまでしか出来ていないので、振り返りもそこまでです。触れていないところだと、職業ディベーターの秀逸な2NRが特に参考になるので、トランスクリプトがあがったらそちらをよく研究されることをお勧めします。

1AC
全体的には手堅くできていて、よいケースだと思いました。特に内因性の分析は非常に精密で、予選でほかに見たチームと一線を画していました。
ただ、厳しいことを言えば、この手の論題では、ある程度の実力者が真面目にリサーチすれば内因性をきちんと分析しきることはそう難しくないし、確実に勝つためには当たり前だということができます。原発論題で重要なことは、相手のデメリットや反論を見越して、どうやって重要性を位置づけていくかということです。

ここでケースに戻ると、このケースでは①チェルノブイリをひいての福島の死者予想と、②福島の周辺住民の被害を主に論じています。
しかし、①はエビデンスの中身が「チェルノブイリより状況がよくないので100万人くらい死ぬかも」と言ってるだけで中身が弱く、どうやって死ぬかイメージがわかないので、あんまりぐっとこないというのが正直なところです。実際、この後で「まだ誰も死んでない」とか言われてしまっているわけで、ここは晩発性被害などをきちんと説明しているエビデンスに差し替えるべきだったように思われます。
②については、方向性としてはよい論証です。しかし、これも具体性を欠き、立論を聞いた第一感として「事故が起こったら取り返しがつかないな」と思わせるだけの重みを欠く論証です。被災者の生の声が入ったエビデンスなどを活用して、ジャッジに対して「Affに入れない場合この人たちを見殺しにするということですよ」という強いメッセージを発するべきでした。少なくとも僕は、そういうメッセージが十分出ていなかったので、AffにAgainstする抵抗が少なかったです(しかし、一般的感覚として被災者を慮る気持ちがあったので、Negに入れるのはとてもつらかったのも事実です。だからこそ、Affはそういう気持ちを味方につけるべきでした)。
①や②についてリアルな論証に成功すれば、武田のエビデンスが重い意味を持ってくるのですが、リアルな論証が欠けている場合、別に武田のエビデンスを読んだところで、ジャッジの判断を制約する効果は薄いです。というか、①や②がしっかりしていれば、武田のエビデンスを読まずとも自分の言葉で同じことを伝えることができるはずです。「100年であろうが、1000年であろうが、一度もあってはいけない」という文面をスピーチしてフローに書き取らせること自体には何の意味もなくて(これは証明を要する事実ではなく評価の問題ですからね)、ジャッジにそう思ってもらえることが大事なのだということを考えれば、Affが本当に説明すべきことは何なのかということがわかってくるはずです。

最後の価値基準と称される部分の議論は、詰めていくと判定上直ちに有意義なものではありません。絶対に安全とは言えないからやめるべきなのか、壊滅的被害が予想されるからやめるべきなのか、よく分からないという点もそうですし(僕はスピーチを聞いて後者と理解しましたが、落ち着いて文面を読むと前者のようにも理解できます)、「絶対リスクがない」と言い切れる技術なんてそうそうないので、危ないからやめろというだけでは説得力を欠きます。ここでは、ジャッジにどういう考え方を取ってほしいのかという目標を絞ったうえで、それをきちんと理由づけている議論を提出すべきです。
例えば、原発の安全性(内因性の議論)を評価するにあたって、高度な技術には不確実性が内在しており、そこから生じるリスクは重要性で述べるような甚大なものであるから、それにもかかわらず安全性を主張する側に技術的な説明責任があるといった議論を提出し、「内因性の議論をNegに厳しく取れ」と主張することが考えられます。また、予想されるデメリットとの比較を念頭に置いて、原発所在地にリスクを偏在させて全体の経済性を優先する考え方は許されないといった議論を展開することもできたかもしれません。これらは何も第一立論で述べる必要はありません。第一立論では、重要性の議論を分厚く論証しておいて、そこを起点として第二立論で相手に合わせた基準を出す方が、この論題のAffとしてはきれいな議論になったかもしれません。

長々書いてきましたが、要するに言いたいのは、ジャッジにどう考えてほしいのか、どうやって議論を判断してほしいのかを考えたうえで、そうやって考えてもらえるようなリアルな議論を作ればいいということです。これは、このケースの内因性のように事実を淡々と証明することに比べて格段に難しいですが、それだけに面白いところだと思います。
資料の字面が言っていることがそのまま判定に反映されるというのは都合の良い幻想であって、ジャッジにどう思わせるかがディベートで勝つということの全てです。もちろんそれは「ジャッジを扇動する」ということではなく、ジャッジの心に響く事実を取捨選択して立証し、ジャッジに受け入れられる論理を展開するという、まっとうな議論の在り方です。その具体例は、上記でお示しした通りです。

といったコメントにもかかわらず、このケースは基本的にはよい構成で出来ていて、証明も手堅いので、参考にすべきものです。ただし、3枚目のウォールストリートジャーナルで文中中略がされているのは、問題のある引用ですので真似しないようにしましょう。こういうのは聞いてて結構気になるところで、たぶん文意は変わっていないのでしょうが、文中中略を怪しむことでジャッジの思考が停止してしまうという不利益があります。早いスピーチだと馬鹿にならない損失です。

1NC
骨組みだけの短いデメリットを2つ出して残りはケースアタックという、二立論的展開(two constructive development)のお手本のようなスピーチです。2NCと一体で見ると、相手の反論に対する再反論によってデメリットを再構築し、厚い議論に仕上げていることがわかります(フローをとってみると実感できます)。このあたりは僕自身も参考にしたいところです。

ケースアタックについて。内因性への反論は、福島の炉が古かったからダメという話と、新しいAP1000にすればよいという話に終始していて、この段階でAffの論証した危険性全てをフォローしきれていないのではないかという印象でした。確かにAffは多くの議論で福島の例を出しているのですが、これは福島の炉に限定した話とは解されないわけで、Negとしては原発一般の安全性をフォローする議論を出すか、あるいは全部の炉が安全になるようなCounterplanを出す(全部AP1000にするというのは現実的ではないのでしょうが…)必要があったように思われます。
重要性への反論は、相手の挙げた論証①②にきちんと反論していて、一つの勝負どころを作っていました。どうせ重要性にアタックするのであれば、全部をつぶしに行かなければならないわけで、そのあたりを分かっているのはさすがというべきです。

2AC
この2ACは相手の議論の構成をフォローしながら何段にも分けてスピーチしており、とても分かりやすくなっていました。2ACの担当者は普段からこのあたりのスピーチが非常に上手で、このスピーチテクニックについては職業ディベーターを凌ぐ感すらあるので、参考にすべきものです。僕はたぶんこんなに上手く喋れないので半分あきらめていますがww

デメリット1への反論は、時間配分的にもこの程度で十分だと思いました。ただ、デメリット2への反論はちょっと薄くて、「米仏の大手原子力メーカーは、東芝や日立、三菱重工と提携関係にある」とか言われてもそれがどうしたという感じですし、3点目の「なぜ日本がリスクを背負う必要があるのか」という部分については、かなり強力な主張だと思われるので、もっと力点を置いて説明してもよかったでしょう。

ケースアタックの返しについて。内因性のフォローはかなり丁寧で、よく返っているという印象を持ちました。Negの反論の構造をよく理解して、適切に反論できています。ただ個人的な好みとして、ナンバリングが無意味に多くて、かえって話の流れを悪くしているのが気になるところです。たとえばAP1000の話の2点目とされている話は、別に独立な反論ではなく、3点目として説明される議論の前提に過ぎません。多分これはスピーカーの口癖で、こうやって話の切れ目っぽいところで番号を振りたくなるのでしょうが、こういうところまでは真似しなくてもいいんじゃないかなと思います(なんかそういう選手が結構いるので。おまけにこの2ACのように上手ではないので本当にイライラするw)。

重要性への返しは、正直なところ弱かったなぁという印象です。これは気持ち的によく分かるところで、原発論題で重要性を切られて負けるというのはイメージしがたいところなので、時間をあまり割かなくなってしまいがちです。しかし、この試合でNegはきちんと中身のあるアタックをしてきているので、相応に反論しないときついでしょう。先述のとおり、立論段階の重要性立証が実はそんなに中身がなかったりすることも響いているところです(きちんと証明していれば「いやいや実際にこういう被害があるのです」と伸ばして終わりにできる)。
細かい話に行くと、大気汚染に関する四国電力のエビデンスは、内容自体が1NCに返っていないものでした。というのも、1NCの中身は、着地濃度とかも考慮したうえでの統計的リスクと解されるところで、薄くなるから大丈夫だというロジックだけでは1NCの反論を何ら傷つけていないからです。「日本の火力はクリーン」みたいな話だと違ってきたでしょう。あと、WHOのデータは福島の今後の被害を反映していないといった指摘をしてもよかったんじゃないかと思いますが、これは後付けなのでその時出てこなくても仕方ないですね。

2NC
2NCはデメリットの再構築を担当しており、非常に充実した内容となっています。これだけ議論が出てくると、Affへのプレッシャーは相当なものになりますので、この議論展開は参考にされるべきものです。

2NCの再構築については、ジャッジの心をひきつけるという観点から、深刻性の議論に工夫が必要だったように思います。これはジャッジルームでも話題になったのですが、この後でNegが選択したデメリット1の議論は、失業がどうとかいう話にとどめるのではなくて、電力の安定供給や経済問題も人の命にかかわる大きな問題なのだというところまで行くべきだったでしょう。まぁ、これは2NRで話せばよかったということでもあるので、2NCとして何か議論を追加すべきという話ではありませんけど。
デメリット2についても、Affの再反論の3点目であった「日本がなぜ海外のために原発を残さないといけないのか」という部分についてフォローがなかったのが厳しいところです。あまりよいフォローが思いつかなかったのかもしれません。もしこの部分のフォローによいものがなかったのだとしたら、ここでデメリットを2つとも伸ばすのではなく、デメリット1だけを伸ばすという戦略が正解だったかもしれません。ただ、それは結果論であって、両方伸ばしたからこそ2NRでデメリット1を残せたということではあるのでしょうが。


以上、中途半端ですが、2NCまでをざっと見ていきました。
一番重要なことは、1ACについて書いたところである、ジャッジにどう考えてほしいのかという部分の説明を工夫するということです。この試合の判定では、ジャッジ4人は事実認定の部分でほとんど見解を一にしています。違いが生じたのは、その事実から認められるメリット・デメリットにどうやって重みづけをするかというポイントです。ここまで来ると、単に「この議論はこのエビデンスで返せばいい」とか「とりあえず価値基準を伸ばす」とかいうパターン思考では何ともならなくて、論題についてどういう視点から論じるとジャッジへの訴求力が増すのか、同じ事実を際立たせるにはどういう話をすればいいのか…といった、より創造的な思考が要求されます。
この決勝戦もそこで勝負が決まっていましたが、選手の議論のレベルで言うと、その水準で議論がやり取りされていたわけではありません(特に、2NRの「福島では人は死んでない」というのは、ディベートの議論的にはそうなってて要所を衝いてはいるのですが、Affとしては大いに突っ込みどころがあり、Negとしてはもう少し説明に工夫を要したところだと思います)。まぁ僕自身も選手としてディベートをやってそこまでの議論ができているかというと極めて怪しいのですが、少なくともそういう議論をしようとは意識しているし、そういう意識を持続させることで成果はでるんじゃないかと思っています。

そういうわけで、僕が「もっと考えて議論を出すべき」と言ってるのは別に適当に言っているわけではなく、後付けとはいえ考える余地はいろいろあるはずだし、試合の勝敗もそういう考えのありなしで決まっているところがあるんだよ、ということでした。
ただ、そうやって考える前に入念なリサーチが必要であることは当然で、この決勝戦の両チームもかなりの量をリサーチしていることが容易に推察されます。そのあたりをさぼって悩むだけでは何もでてこないので、まず黙ってリサーチしろ、と読者の皆さま(とりわけもうすぐ論題発表になるディベート甲子園の出場選手)にくぎを刺して、長文を締めさせていただきます。
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