愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
一院制・飲食店喫煙禁止論題の議論に関する短評/試合録音の許否をどう考えるか
しばらくご無沙汰しておりましたが、名古屋に引っ越して元気にやっております。生活はかなり人間的になっており、次の目標は、ディベート関連の寄付を積めるように業務を拡大することです。

さて、今期論題下での議論をいくらか見る機会がありましたので、その感想を若干書かせていただくほか、近時話題になったようである、試合の録音が許されるかという問題につき、今後の議論のため、私見を述べておくことにします。

1.高校論題(一院制)の議論について
今年の高校論題は(も)難しい論題であり、包括的なコメントは困難ですが、1点申し上げるなら、実例の位置づけをよく考えよう、ということが言えると思います。

今期論題で皆様が論じるべきは、一院か二院かという「制度」の是非です。したがって、こういう事例があるからどうだ、という話だけで勝敗が決まることには本来ならないはずです。しかし、実際の試合では、PKO法案やカジノ法案が参議院の修正として有意義だったかどうかとか、臓器移植法の成立遅れが審議遅れの弊害として問題とされるのかといった、具体例の評価に終始してしまうこともままあります。
その一番の原因は、そもそもどういう制度を志向すべきなのか、という重要性・深刻性についての深掘りが欠けていることにあるように思われます。これは、人は間違うから複数回審議すべきなのだとか、時代の流れが変わっているので重複は無駄だとか、そういう話ではなく、議会制度とは何のためにあるのか、二院制/一院制という制度はどういう理念の下に組み立てられるのか、という、もう少し次元の高い話です。そして、その理念との関係で、二院制/一院制のどういう仕組みが、現在の日本の政治過程の中でどう機能し、どういう影響を生んでいる/生むことが期待されるのか、ということを論じることができれば、一例しかなくても(あるいは無理に例を出さなくても)、十分な議論ができるはずです。

逆に、出されている実例も、上記のような議会の目的や理念との関係で評価されるべきです。つまり、審議未了で廃案になった法律があったとして、その事実だけを見るだけでなく、なぜ廃案になったのかという経緯までさかのぼり、その経緯をどう評価すべきなのかということまで論じてこそ、制度を論じるための基礎として実例を考察したことになります。

議会制度や日本の政治については、今や選手の皆様のほうが詳しくなっているはずですので、実際の試合で、そうした検討の結果がどのように組み立てられるのか、楽しみにしています。

2.中学論題(飲食店喫煙禁止)について
中学論題については、色々と議論が詰まってきており、特に否定側において、喫煙禁止によって経済的に打撃を受ける飲食店の分類について深まった議論がされてきているような印象を受けます。
しかし、全体としては、高校論題と同様、重要性・深刻性の深みが不足しているということを感じます。

特に肯定側について、重要性として受動喫煙の危険性を論じているのですが、それ以上に、なぜ受動喫煙の解消に国家が取り組むべきなのか、また、飲食店の営業態様を規制してまで受動喫煙を解消すべき理由は何か、ということについての論証が求められるところです。
前者の「なぜ国が取り組むべきなのか」というのは、人が死ぬ以上当たり前だ、という意識があるのかもしれませんが、デメリットが存在することを念頭に置けば、そういったデメリットがあったとしても優先されるべきなのだという議論を行うためには、国家の義務として捉えるべき理由を積極的に論じる必要があります。そのヒントは前に書いた通りです。
後者の「なぜ営業態様を規制してまで」というところは、なぜ「飲食店」で禁止なのかという話と、なぜ「全部」禁止なのかという話の2つに分節することができます。これらの問題を論じるにあたっては、飲食店での受動喫煙がどういう環境下のもとで起こっているのか、誰が被害者なのか、一部禁止だと何が問題なのか、といったことを考えていただきたいのですが、これは皆様の検討を楽しみにしたいと思います。

否定側も、深刻性として、単に飲食店の売り上げが減るとか、店がつぶれるというだけでなく、より踏み込んだ考察をしていただきたいです。ここでのポイントの第一は、どのような対象が苦しむのか、その対象が失うのは何なのか、ということです。店がつぶれるというのは、チェーン店を経営する会社からすると、営業上の失敗にすぎませんが、個人のお店がつぶれるということは、経営者の生計にかかわりますし、その店にこれまで投資してきたものも失われてしまうわけです。そういった深刻さをうまく表現する必要があるでしょう。
また、一部の類型の営業形態について、喫煙と不可分であるといった議論ができているのであれば、そのような店舗の存続を困難にするプランが営業の自由の制約になるといった議論も展開可能でしょう。仮に全体利益が大きいとしても、そのような店舗の営業まで否定するような理由にはならない、といった議論をうまくやっていきたいところです。

上記との関係で、否定側は、現状でもある程度対策は取られている、といった反論も連関させる必要があります。デメリットで論じられるような、タバコで売上が左右されるような飲食店については、非喫煙者が受動喫煙を被る危険性は相対的に低いと考えられます(ここは要検討)。もしそのような事情があり、そういった飲食店以外での分煙・禁煙が進んでいるのだとすれば、さらに進んで相対的に規制必要性の低い(そして規制によるデメリットが大きい)ところを規制するプランを取る必要はないということになります。

以上を踏まえると、当初私が思っていたより否定側も戦えるのではないかなという気がしてきているのですが、そこは肯定側の重要性の分析が不足しているからということもあると思いますので、全国大会までに、さらに一歩進んだ分析がなされることを期待しております。

3.試合録音の許否をどう考えるか
本ブログの熱心な読者であれば何となく想像がつかれるかと思いますが、ここからが本題です。

事実関係には混乱が見られますが、聞くところによると、関東大会で試合の録音を試合当事者の学校のみに認めており、観客の録音を禁止していたにもかかわらず、無断で録音していた観客がいたということが問題になったようです。

法的に言えば、私的な録音はそれだけで肖像権やプライバシーを侵害するものとは解しがたく、特段問題となりませんが、他方で、(後述のとおりその当否はさておき)イベント主催者が一定のルールに従うことを求めている以上、観客はそれに従う必要があり、それに従わない場合、主催者は観客に退場を命じることができると考えられます。他方で、録音データについて、主催者が任意で消去等を命じることはできますが、消去を強制することまではできないのではないかと考えます。上述のとおり、録音行為自体は違法ではないため、大会主催者や試合当事者に権利侵害は生じていないし、私的に録音した結果生じた電子データを消去することまでが大会主催者の管理権に含まれるものではないと考えられるからです。もしそのような行為を強制した場合、むしろかかる行為が違法と評価されるのではないかと思います(考え難いですが、万が一無理やり取り上げようとなどすれば強要罪にも該当し得るところです。)。
※実際どうなったのかは知りませんので、あくまで仮定として論じています。

ここからは、ディベート大会の在り方として、録音の許否をどう考えるかという話です。
個人的には、録音は、自分のスピーチを聞きなおして反省したり、上手いディベーターのスピーチを参考にするといった意味で役に立つことがある一方で、試合の内容を把握するうえでは、フローを取る以上に必要性が高いのかは疑問です。初心者は試合の中身がよくわからないので、録音して聞きなおしたい、ということはあるのかもしれませんが、そこまでして試合の中身を記録する必要があるのかという疑問もあります。
しかしながら、他方で、録音をわざわざ禁止する必要があるのか、ということについては、大いに疑問があります。試合は公開されており、出された議論はその瞬間にみんなの検討対象になるべきものです。その記録を禁止することにどのような根拠があるのか。それが問題です。

この点、録音データが残ると、試合中に述べた内容が本人の発言として出回るなど、後で悪用されかねないといった指摘もあります。確かに可能性としては否定できないでしょうが、録音禁止を必要とするほどの具体的なリスクが想起される問題とまで言えるか疑問であり、また、悪用の危険性はデータの利用方法(公衆送信は当然ダメでしょう)や管理の問題であって、それだけをもって規制を正当化するのはやりすぎではないでしょうか。データ流出の危険を問題とするなら、自分たちの試合を録音することだって、相手方の発言については問題があります。ただ、当人が録音されたくないと言っている以上、大会のルールとしてその意思を尊重することは相当だと思います。その場合に当事者の録音を認めるかどうかはなお問題として残りますが、私個人としては、上述の指摘から、この場合当事者も録音を禁止すべきです。そんなにデータ流出のリスクが怖ければ対戦相手にも認めるべきでなく、自分もやめておいたほうがいい、ということです。
なお、この点は議論の余地のある問題ですが、私個人としては、試合中の発言は個人の思想信条と切り離されているということはその通りであるものの、さりとて、たとえ競技上の議論であるとしても、数ある議論の可能性からそのような議論を選択したことについては、選手当人の意向や人格が反映されていることは否定できず、その点が論難される可能性は否定し得ないのではないかとも思っています。私について言えば、職業上、というか職業的学識に基づいて、正当化困難な人権軽視的議論を回そうとは思いませんし、もしそういう議論を回している同業のディベーターがいるとすれば、率直に言って同業者として恥ずかしいなと思うでしょう。ディベートの議論は自由であるべきですが、それが本当に「何を言ってもいい」ということになるわけではないでしょうし、ルール上どうあれ、回している議論でディベーターとしての技量以外のところも評価されてしまうことは避けがたいところです。これは録音できるかどうかとは関係ない問題ですが。

また、録音されていると緊張するのでやめてほしいということがあるかもしれません。これは傾聴すべき理由であり、選手のパフォーマンスを維持するためであれば、録音は規制されるべきです。ただし、そのような理由で録音を拒絶する以上、自分たちもすべての試合で録音を断念すべきです。この意味で、大会のルールにおいて、エントリー時に全試合を通じた録音の可否について意向を確認し、当該試合の両チームが録音を許可している場合に限って当事者及び観客に録音を認めるというルールはあり得るところです。
同様の問題として、録音されていると気持ち悪い、ということも考えられそうです。思春期の中高生が異性に音声を録音されて何度も聞かれてしまうのは気持ち悪い、という話はあるかもしれず、その場合も上記と同様に解することができるでしょう。

さて、上記で見てきた「規制理由」は、いずれも、当事者が録音行為から感じる不利益を理由とするものです。こうした不利益を理由に、当事者の不許可を理由に、”全ての”録音を禁止することは、ルールとして合理的でしょう。
他方で、関東大会のルール(ほかにもそのような決まりはあるようです)は、観客に録音を禁止しておきながら当事者には録音を認めていること、また、当事者が同意した場合にも観客に録音を認めないようであることの2点から、上記の理由では説明困難であり、不合理な規制と言わざるを得ません。

そもそも、なぜ録音が禁止とされているのかについて公式に説明はされていないわけですが、議論の記録を広く認めることで、議論が「流出」し、有利に使われてしまう、といったことを懸念しているとも推測されるところです。仮にそうであるとすれば、個人的には、極めて次元の低い理由であり、教育ディベートの建前にも反した、下らない規制であるとの思いを禁じ得ません。
そんな理由で録音や録画を禁止している競技は、ほかに聞いたことがありません。サッカーやラグビー、アメフトといったチームの戦略が重要な競技では、相手の試合を録画して研究したりしているでしょうが、そのことが卑怯だとか許されないということが言われたりするのでしょうか。

まず強調したいのは、議論が広まると不利である、という考え自体、議論のレベルを向上させていくという教育的意義に反しているということです。百歩譲って、選手がそのように思うことは仕方ない部分があるとしても、大会主催者がそのような選手個人の都合を忖度することに何の意味があるのでしょうか。むしろ、互いに学びあって議論を深めていくものであって、仮に議論が広まって他チームがそれを参考にするとしても、さらに上を行き、レベルアップすべきだ、ということを教えるのが指導者の役割ではないのですか。少なくとも私はそのような思いでジャッジをしていますし、そのために議論の論評を行っています(過去にも書きました)。
それがもし「支部の利益」なるものを考えているのだとすれば、それこそ噴飯ものの議論です。我々の支部では録音を認めるので他の支部も認めろ、みたいな言説も同様です。ディベート甲子園は、いつから支部の対抗戦になったのですか。もちろん、支部のチームが可愛いのは分かりますが、支部の皆様はNADEの業務執行のため(支部規則1条)業務を行っているのであり、NADEはディベートの発想と技術を学校や社会に普及させることをもって、健全な市民社会を構築することを目的として業務を行うのです(定款3条)。全体の議論の水準向上を考えずして何を考えるのでしょうか。

唯一あり得る教育的な理由としては、録音を認めると、強豪校の議論を丸パクリするチームが増えやしないか、ということですが、そもそもフローシートを取ることを認めている時点でパクりのリスクはありますし(フローも取れないチームが録音で議論をパクっても勝てないでしょうが)、議論をまねることも教育の一過程と言うことさえできます。安易なパクリはどうせ結果につながらず、それを試合で実感するところまで含めて教育になり得るところです。また、パクリを懸念するなら、試合当事者が相手の議論を録音するのも禁止すべきですから、やはりこの理由も合理的説明としては弱いでしょう。

以上の次第で、当事者の同意に関係なく一律に観客の録音を禁止する現行の規制には、極めて重大な疑義があります。上述のとおり、録音を認めないこと自体の弊害は大きくないでしょうから、これは、ディベート甲子園というイベントをどのようなものと考えて大会を運営しているのかという、姿勢や理念に関する問題と言うことができます。
あまりよく考えずに惰性で観客の録音を禁止していたといったことであれば(それもどうかと思いますが)、選手から強い要望が出ているなどの事情がなければ、そんなものかということで済ませる余地もあるでしょう。しかし、それがもし、議論の「流出」を懸念するといった、ディベートにおける議論の批判的検討のプロセスや競技性についての誤った理解を前提とする理由で規制されているのだとすれば、かかる狭量な理解がまず糾弾される必要があります。今回の騒動は、そのような文脈で問題とされるべきものです。

長期的には、英語ディベートで行われているような、出た議論の概要を紹介するパッチの公開や、試合記録のアーカイブ化といったことが検討されることが望ましいのですが、まずはその前段階として、我々が何のためにディベートを指導しているのかということに照らして、正しい対処が検討されることを望みます。
Topicalityの論じ方~CoDA新人大会の感想として~
長年懸案だった事件で完全勝訴してちょっとだけ楽になったので久々に記事を書くことにします。今日は先にあった全日本ディベート連盟(CoDA)の大学生新人ディベート大会決勝戦で、否定側が提出したCounterplanの関係で若干Topicalityが問題になりましたので、そのことを少し書いておきます。

ディベート甲子園の関東予選も見ましたが、そちらの感想は、あまり具体的なことを書くと意見が偏っているなどと言われかねない時代ですので(個人的には全く身に覚えがないので気にしておりませんが)、今回は差し控えておきます。議論の水準はそこそこ高かったと思います。

最近ですと、中学論題については、Google相手に犯罪報道検索結果の削除を求める仮処分が認められた例があったりするので(最近さいたま地裁でありましたが昨年東京地裁でも認められている。こちらの記事が参考になります)研究してみるとよい議論が出てくるかもしれません。
高校論題は、皆さんよくリサーチされていますが、最近でも弁護士会の会報に裁判員裁判の特集がされていたりするので(筆者は第二東京弁護士会所属なので「二弁フロンティア」という雑誌を読んでいます。大きな規模の弁護士会の雑誌は結構研究報告などが載っているので有益かもしれません)、さらにいろいろ調べてみてもよいのではないかなと思います。
最近某ツイッターで吹奏楽のアニメが話題になっていましたが(あれはいいものです)、ディベートも必死になって得られるものがあると思いますので、悔いのないよう準備を進めてください。おっさんめいた感想になって恐縮ですが、学生のうちにしかできないことというのはいくつかあって、そのうちの一つが、部活動に真剣に打ち込むということだと思います(逆に、勉強はいつでもできますし、しないといけないのです)。

はじめに
CoDA新人戦の論題は「日本は裁判員制度を廃止すべきである。」で、特に議論の制限がありません。
決勝戦では、肯定側が冤罪の減少と性犯罪の起訴率低下減少といった普通のメリットを出していたのに対して、否定側が覚せい剤取締法違反関連の事件(正確には麻薬特例法違反も入れないとダメなのでしょうが)だけを裁判員裁判の対象にして残りを廃止するCouneteplanを提出し、覚せい剤関連の事件は裁判員裁判で適正な判断がされるようになったので裁判員制度を廃止するとよくないというデメリットを出した上でメリットはすべてキャプチャーされるという主張をしたのでした。
これに対して肯定側は、(試合では主張の趣旨がよく分かりませんでしたが)Counterplanは論題の趣旨からして命題的であるという形で非命題性を満たさないと反論し、否定側はこれまたよく分からない形で反論したのでした。お互いに論題の趣旨についてきちんと説明しないので、結局僕は肯定側の攻撃が失敗しているということでCounterplanに入れて否定側に投票しましたが、2人は非命題性の要件を否定して肯定側に入れています。

試合中で非命題性については取り上げるに足りる議論がでなかったので(その他の争点はいい感じでした、念のため)、以下では、論題や制度の趣旨に基づきTopicalityを論じる方法について簡単に書いたうえで、最後に少しだけ理論的に問題となり得る点を指摘しておくことにします。

1.Topicalityの論じ方
Topicalityというと語句の定義が問題になるというイメージが強いかもしれませんが、定義だけで物事の意味がはっきり決まるというのはむしろ珍しいことで、むしろその後の当てはめや評価が問題になるケースがほとんどです。例えば、覚せい剤取締法違反で問題になるのはいわゆる「故意」の有無ですが、故意がない場合原則として処罰されないことを定める刑法38条は「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。」としか書いておらず、どういう状態に「罪を犯す意思がない」というのかは、(どういう心情であれば故意ありと言えるかという法律論もあるにはありますが)様々な事情から認定するほかありません。辞書を引くだけで答えが出るのなら弁護士の仕事はなくなってしまうわけです。

まず、あるプランが裁判員裁判の「廃止」にあたると主張するのであれば、どういう場合に裁判員裁判の「廃止」にあたるのかという規範を定立する必要があります。これは単なる「定義」をあげるものではなく、制度の仕組みなどを組み合わせて、どういうものが論題を肯定するアクションに含まれるのかという判断基準を提供する主張でなければなりません。
決勝戦の肯定側は、広辞苑を読んで「廃止と全廃は違う」と主張しており、これは「一部残していても実質的に廃止だと言えれば論題を肯定していると言いうる」ということの立証としてはよいのですが、これだけでは何の規範も立てられておらず、投票できるはずがありません。
その次に肯定側は、裁判員法1条の「この法律は、国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続に関与することが司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することにかんがみ、裁判員の参加する刑事裁判に関し、裁判所法
(昭和二十二年法律第五十九号)及び刑事訴訟法(昭和二十三年法律第百三十一号)の特則その他の必要な事項を定めるものとする。」という規定を引用したのですが、それが何を意味すべきなのかということは全く議論していません。ここでは、裁判員は特定犯罪の手続ではなく「刑事訴訟手続」に関与するものとされていることや、司法に対する理解の促進や信頼向上という一般的目的が掲げられていることを指摘し、特定の犯罪類型のみのための手続制度は論題の「裁判員裁判」とは言えない、といった規範を立てなければなりませんでした。
その他の立証方法としては、(これは事前リサーチを要しますが)国会の議事録や最高裁のサイト(たとえばこちらには「すべての刑事事件に裁判員制度を導入すると国民のみなさんの負担が大きくなるため、国民のみなさんの意見を採り入れるのにふさわしい、国民の関心の高い重大な犯罪に限って裁判員裁判を行うことになったのです」とあり、事件の困難さといったもので対象裁判を絞り込むのは立法趣旨からして想定されていないという方向の主張につながりうるところです。)を調べて、裁判員制度の趣旨を言っている箇所を引用していくことなどが考えられます。

こうやって規範を立てたうえで、否定側のCounterplanがどういうものであるかを、その内容(社会的影響や犯罪の性質など。そもそも覚せい剤輸入犯罪は千葉など空港のある特定のところに集中するものだったりしますのでそれだけで「国民」の参加というとちょっと違う)、プランの目的(司法への理解を高めるためといえるのか。そもそもディベート便宜的ではないか?)、実施件数などから多角的に評価し、規範に当てはめていくことで、Counterplanが命題的と言うべきかどうか--ここではあえて評価的な言葉を使っています。結局、Topicalityは答えが一通りに決まるのではなく、評価の問題である場合がほとんどだからです--を論じていくことになります。

その他の論じ方として、肯定側が2ARでちょっと言っていたような言っていなかったような気がしますが、ディベートの試合としてみたときに許容されるべきかどうか、という議論もあります。要するに、論題制定の趣旨として、そういうCounterplanが議論されることが想定されていたのか、教育的にどうなのか、といった問題です。個人的には今回の否定側のCounterplanが教育的に悪いとは思っていない(デメリットや、Counterplanを前提にした反駁は結構よくできていた)のですが、場合によっては有効なこともあるでしょう。

以上を踏まえて、選手向けにTopicality対策で準備しておくべき事項をまとめておくと、語句の定義だけでなく、その論題ないしそこで取り扱われている制度がどのような目的で制定されているのか、そこからするとどういう要素が必要になる(どういう要素が欠けていると命題的/非命題的なのか)という、当てはめに必要な要素をしっかり考えておくということが必要になります。
そのための材料は、辞書や用例を調べるだけでなく、その制度の運用や解説文献など幅広に考えられるわけですが、Topicalityの準備も普通の議論と同様、どういう議論があり得るのかを念頭に置きつつ、どういう反論をすればそれを排除できるのかという目で議論を考えるということしかありません。Topicalityだといって面食らうことなく、落ち着いて対応すれば、大したことはないというのが私見です。まぁ僕も一回「炭素税は経済的メリットを目的にしていてはだめだ」というTopicalityに「いや、そういうのが炭素税だって言ってる例はたくさんありますけど」くらいしか反論できずに負けたことが昔ありますので、慣れないうちはそんなものです。

2.Counterplanが命題的になった場合の処理
今回肯定側に投票したジャッジは、Counterplanが命題的ということで直ちに肯定側に入れていたようですが、理論的にはなお、否定側は現状維持も主張しているものと見るべきと解して、メリットとデメリットを比べるべきとの立場が成り立ち得ます(僕はそのような立場です)。このような理解の基礎となる考え方はすでに過去の記事で書いているので、そちらを参照してほしいのですが、このように考える場合には、今回の試合で非命題性を否定するとしても、直ちに肯定側の勝ちとはなっていなかったかもしれません。
せっかくCounterplanを出してデメリットも読んでいるのですから、否定側としては、こういう理論的チャレンジもしてほしかったところです。それはもはや新人なのかという疑問はありますが…。

ちなみに、上記の点を問題とせずに肯定側に投票したジャッジの判断を理論的に正当化しておくと、おそらく、そのようなジャッジの前提には、Counterplanが出された時点で否定側は現状維持のプランを放棄したという判断があるものと考えられます。ディベートでは少なくとも最後のスピーチまでには立場を一通りに決めないといけない、という考え方を取る場合、このような考え方が一貫しています。
あるいは、両チームとも現状維持に言及していないので、明示でスピーチされている肯定側プランとCounterplanだけが評価の対象で、両方が命題的であれば自動的に肯定側の勝ち、という考え方もあり得るでしょう。
※実際どのように考えていたかは聞いていませんので筆者の推測です。

ただし、上記のような立場をとる場合、仮に試合の中で「何もしない」現状維持が一番よいのではないかという状況に陥った際にどちらに入れるのか、という問題が生じます(この試合で言えば、覚せい剤事犯の裁判員裁判はよくないが、その他の裁判員裁判は望ましいということが立証された場合。考えにくいかもしれませんが)。
現状維持は何も言わない場合否定側なので否定側に入れるという処理は、なぜイコールの場合にだけ現状維持が考慮されるのかという点が説明できないところに難点があります。
試合において出たシステムの優劣が真偽不明なので推定に従って処理、という考え方が無難に思われますが、それは現状維持を無視する点でちょっと気持ち悪いようにも思います。これを嫌がるジャッジ(いるかは不明)は、現状維持の立場が常に主張されており、それが初期状態では論題を否定する立場に帰属しているのだと考えた上で、どちらがプランをいくつ出しても、現状維持は判定上常にテーブルの上に乗っかっている、という考え方を取ることになるのではないかなと思います(このような立場は、試合の最後でプランを1つに絞るという立場とも整合します。当事者の選択に関係なく現状維持は最後まで残る、といった処理をするものなので)。

あまり長くなるとよくないのでここではこのあたりにしておきますが、CounterplanのTopicality1つを取っても、いろいろと考えることはあるのではないか、ということでした。
全国大会決勝質疑から効果的な質問方法を考える
裁判所が夏休みで若干仕事にも余裕がある…かというと特にそうでもないのですが、全国大会で盛り上がっているうちに、もう少し関連する記事を書いておくことにします。となると高校決勝でもう少し何か書こうということになるのですが、試合全体を取り上げる余裕はないので、今回は質疑に絞って、有効な質疑の在り方について考えてみることにします。便宜否定側質疑だけを取り上げます。

ちなみに、もう一つ、最近見つけたブログに取り上げたい記事があるのですが、これは別の機会に回すことにします。これは決勝ではない別の試合に関する話です。

それでは以下、質疑に関する本論です。

はじめに

最初に断わっておくと、質疑で成功するというのはとても難しいことです。僕の選手経験からしても、質疑でうまくいったかと思うのは数えるほどしかないし(試合を決定づけたかどうかと考えるとさらに少ない)、ジャッジなどで見ていても、質疑が仕事をしていたといえるような試合はとても少ないです。
だいたい、裁判の反対尋問などでも、日本の弁護士が十分訓練していないことを考えたとしても、尋問が成功してうまくいったという例はほとんどないと思います。反対尋問では長いと1時間以上質問するわけですが、それでも相手を崩すというのは大変です。ちなみに、僕が(記録で)見て一番凄いと思ったのは、浮気相手とその後会ってないと証言した後でいきなり浮気相手と証人が二人で書いた日付入りの絵馬を突きつけられたというものがありましたが(笑)、これも尋問というよりその証拠が凄いわけですからね。

ですので、質疑で相手に自分の思ったことを言わせるとか、そういう高い目標を持つ必要はありませんし、そのような無理なことはしなくてよいのです(そんなことできるディベーターは自分の知る限り実際にはいませんし、ディベートでそういうスキルをつけることは期待しない方が良いです)。そういうホラみたいな目標ではなく、死刑の抑止力ではないですけど、もう少し理論的・科学的(?)な形で、質疑を少しでも有効なものにする手法を考えるべく、これからしばらくお付き合いいただきます。

1.質疑における「成功」とは何か

前にも少し書いているのですが(こちら)、質疑には大きく3つの目的があります。すなわち、(1)自分たちが聞き取れなかったり、理解できなかった事項を確認すること、(2)反論の前提となる事実を確認すること、(3)3つ目は、相手の弱点をアピールして反論の前出しをすることの3つです。
(1)については純粋に自分たちの便宜のためにやっているわけですが、より攻撃的な(2)(3)の目的については、巷にいろいろ誤解がありそうなので、少し詳しく書いておきます。

一番重要なことは、応答者を解答不能に追い込むとか、自分たちの主張を認めさせるといったことは、基本的にはディベートの試合では意味がない、ということです。
実際の裁判では、証人が「答えられるはずの質問」に答えられないとか、事実に反する回答をしたということは、供述の信用性を大きく下げますし、場合によっては供述全体の信用性が損なわれます。これは、こういった態度が「証人は何らかの動機で虚偽を述べている」とか「証人の記憶があいまいだ」といったことを推認させ、証人自身の経験したこととして供述されている内容に対する信用性が損なわれるからです。しかし、ディベートでは、裁判の証人と異なり、応答者自身の経験した事実として回答を行うわけではありません。ですから、応答者が答えられなかった事実が直ちにマイナスになるかというとそういうことはありません。
もちろん、応答できなかったことが悪印象につながるとか、証明不十分と思われる部分のダメ押しになるとはいえますが、引用されている証拠に照らして明らかな部分について応答者がうまく説明できなかったからといって、証拠の価値が下がるわけではありませんし、応答者が認めたからといって直ちに証明不要になることはない(事実上争わないものとして考慮要素に入れることはありえます)のです。

ですから、質疑者としては気持ちがいいのかもしれませんが、応答者を追い詰めること自体には何の意味もありません。質疑の目的は、もっと合理的に捉えられなければなりません。

上記(2)の「事実の確認」は、その機能により、さらに2つに分けられます。
第一は、反駁で証拠を読む必要性を省くために行われる確認です。専門的でない事実的な部分について、上手く質疑者から情報を出したうえで相手方に確認を求めることで、反駁の時間を節約するのです。
第二は、相手方の論拠を制約するための確認です。相手方の主張を明確化することで、それ以外の争点を省き、反論の対象を絞ることができます。

上記(3)の「反論の前出し」についても、その機能、というより深さにより、2つに分けることができます。
第一のレベルは、自分たちの観点を質問という形で提示することです。たとえば死刑論題であれば「生命権は大切だということですが、これは全ての人にとって同じですよね。被害者にとっても大事ですよね」という質問です。この質問は、相手の回答がどうであれ、自分たちの反論の予告(ですから実際に反駁で出さないと意味がありません)として意味があります。というか、ここで相手方を追い詰めてもあまり意味はありません。「犯罪者の命も被害者の命も等しく大事」というのはおそらくほとんどのジャッジが共有するところで、その派生で相手を困らせたところで、ジャッジの心証を変えることにはなりません。
これに対して第二のレベルは、疑問をぶつけることで、相手の論拠が説明不足であることを示すことです。これは、証拠資料で十分理由が示されていない点について、効果的な質問をぶつけ、プラスの説明ができないことをアピールすることで、証明不十分であることを示すための質問です。

上記のような目的をどうやって意識して質疑を進めるべきか、具体的にイメージすべく、高校決勝の否定側質疑を題材に、見ていくことにしましょう。最初に断わっておくと、この質疑応答はかなりレベルの高いものだったと思います。というわけで、いろいろ書いていますが、基本的には(肯定側質疑もそうでしたが)よい質疑だったということを前提にお読みいただけましたら幸いです。質疑というのは特に実践が難しいパートですので、決勝の緊張感の中、これだけ落ち着いてポイントを絞った質疑ができるのは本当に立派なことです。

2.17回大会高校決勝の否定側質疑を題材に考える

第17回ディベート甲子園高校決勝の動画から、否定側質疑のトランスクリプト(細かな言い間違いなど省いたもの)を作成しましたので、これを順を追ってみていくことにします。

Q まずメリット1の、Aの3枚目の資料で、様々な原因があったって話がありますけれども、それぞれ聞きたいんですが、自白の偏重っていうのは何で冤罪につながるんですか。
A 自白の偏重があるために供述の強要がより冤罪につながりやすくなっていると思います。
Q なるほど。じゃあ、自白の偏重と、供述の強要っていうのは、一緒の問題ってことですか。
A そうです。
Q じゃあその次に、代用監獄ってのがあったと思うんですけど、これはどういう問題なんですか。
A 代用監獄があることで、供述の強要というのをよりしやすくなっていると思うんです。
Q なるほど。じゃあ次に弁護人の不在って話があったんですけど、これはどういう問題だったんですか。
A 弁護人というのは、その、取調べなどが、法律に沿って、正当に行われるために存在するもので、それが、いない場合、供述の強要や、検察官による証拠隠し、鑑定の非科学性などを、防ぐことはできないと思います。


そもそも、自白の発生メカニズムに時間を割く必要があったかどうかという問題はありますが、それは最後に検討することにして、ここではメリット1のAの3枚目の資料(柳・2007)に対する弾劾質問についてみていくことにしましょう。この資料は以下のようなものです(動画よりトランスクライブ。年号的には刑事弁護49号の「前進する死刑問題をめぐる議論--人権と死刑を考える国際リーダーシップ会議から」が出典?)。

弁護士 柳 2007年
「捜査段階においては、自白偏重、代用監獄、弁護人の不在、鑑定の非科学性、供述の強要、検察官の控訴、検察官による証拠隠しなどの問題のほか、『疑わしきは被告人の利益に』の原則の軽視があった」


この証拠を取り上げるためには、前提として、肯定側が主張する冤罪の理由がこの証拠に挙げられたものに限られるということを確認しておく必要があります。上記目的のうちの「主張の明確化」です。肯定側は限定を逃れようとするでしょうか、「じゃあ具体的に何なのか答えてください」とつめれば、とりあえず柳のエビデンスに限られることになります。その上で「それでは、肯定側の主張される冤罪の原因について、一個一個聞いていきますね」と続ければ、ジャッジとしてはその答えに着目せざるを得なくなる、ということです。

柳のエビデンスを無力化するには、そこで挙げられた理由づけの重要なものをすべて叩く必要があります。そこで、最初に自白偏重を取り上げ、供述の強要とともにまとめた否定側質疑はよいと思います。ただ、反論につなげるという意味では、「自白だけで決めず、自白内容もきちんと検討しなければならない、ということですね」と確認しておくことで、反論対象がさらに明確化されたはずです。つまり、反駁で「今では自白偏重ではない、きちんと見ている」という反論さえできれば、この部分はつぶれるということをはっきりさせるのです。
続いて代用監獄の問題では、ここで肯定側は、代用監獄の問題を供述の強要の問題にまとめてくれています。実際そういう話ですので仕方ない回答なのですが、否定側としては、ここで「結局は自白の評価の問題ですね」と一言確認すればよかったでしょう。
続いての「弁護人の不在」について。実はこの点で肯定側の議論には問題があります。というのは、現在、裁判員裁判の導入に伴い、裁判員裁判対象事件である死刑相当事件においては、弁護人を必ず付けなければならなくなっており、柳のエビデンスは古くなっているからです。よってこの点は、「このエビデンスは2007年段階の説明ですよね」「その後裁判員制度が導入されていますね」「裁判員裁判は弁護人なしで開けるのですか」と聞いていけば、質疑段階でつぶすことができます。時間の節約、という観点からの質問です。

ただ、この「弁護人の不在」に関する質問では、肯定側から、弁護人「が、いない場合、供述の強要や、検察官による証拠隠し、鑑定の非科学性などを、防ぐことはできない」との回答がありました。ここで否定側としては、この回答を利用して自分たちに有利な展開に持っていけないかというチャレンジを考えることができます。たとえば以下のような流れです。
Q そんなに弁護人は大事なのですか。
A はい。
Q 弁護人がいれば供述の強要や証拠隠しなどがチェックできるのに、それができなくなるから困る、と。
A そうです。(?)
最後の質問がキモで、弁護人さえいれば冤罪に強力に対処できる、という話に持っていきたいわけですが(実際はそんな簡単な話ではありませんがw)、いきなりこう聞くとバレバレなので、その前に「弁護人は大事」という話を再度答えさせて相手方のハードルを上げて、その流れで誘導っぽい質問をかませる、というものです。ただ、肯定側の応答者はよく気が付く選手のようですので、そうそう上手くいくとも思えないところではあるのですが、失敗してもノーリスクなので、流れの中でかましてもよいかもというところではあります。
上記のような回答を得たところで、それだけで冤罪の議論で勝てるわけではないのですが、心理的効果として、質疑でうまくいかなかったところを衝かれた場合には必要以上に対応に時間をかけがちといったところがあるので、わかりやすい得点稼ぎができる部分で良い質問を思いついた場合、チャレンジする価値はあるでしょう。

その他、柳のエビデンスが触れている要素についても、いったんこのエビデンスに言及した以上、すべて聞く必要があります。この点で否定側質疑はことを焦りすぎたように思われます(おそらく時間配分の問題なのですが、そうすると最初からこのエビデンスに突っ込まないということでよかったのではないか、というところです)。
鑑定の非科学性については「具体的にいつのどんな鑑定について言っているのですか」「鑑定が科学的ならよいのですね」といった質問が、その他の要素については「具体的に検察官控訴や原則違反でどういう形で冤罪が起こったか教えてください」といった質問で軽く突っ込んでおく程度で足りるでしょう。最後の2つはおまけ的なものですので、それなりに聞いておけば大丈夫でしょう。

といったところで、質疑の続きを見ていきましょう。

Q 分かりました。次にメリット2の拡大自殺に行くんですけど、拡大自殺が拡大自殺っていうふうに分かるっていうのは供述が「死刑になりたいから」っていうことですか。
A そうです。逮捕直後の供述です。
Q なるほど。じゃあその逮捕直後に供述がそうやって、なんでその逮捕直後の供述が一番信用されるんですか。
A 逮捕直後っていうのは、イコール、犯行を行った直後ということなんですよ。ということは犯行時に、死刑になりたいからと考えていたってことは間違いないと思います。
Q なるほど。つぎにじゃあ朝日新聞の、8件起こったって話があったと思うんですけど、この8件っていうのはどういう基準で拡大自殺ってことにしたんですか。
A 資料がありますけど読みましょうか。
Q あ、じゃあ結構です。


拡大自殺に関しては、立論から証明が十分でなく、勝敗を左右する議論とは思われないので、質疑する必要はなかったかもしれません。質問するのであれば、後半で聞いている、拡大自殺と判定する基準だけでよかったと思います。
その上で一応前半の質問も見ておくと、逮捕直後の供述が信用できる理由についての回答が「犯行直後なので、犯行時の気持ちを示している」という趣旨をいっているのですが、これには何ら理由がついていないので、「嘘をついている可能性はないのですか」「この点について説明している専門家の見解はありますか」といった形で詰めていくことも可能でしょう。これらの質問は、相手の論拠の説明不足を示すためのものといえます。

また、最後の質問で資料があるとの回答であきらめてしまうのはよろしくなかったです。「資料を読みますか」というのは一種の魔除けとして機能してしまっているのですが、質問者としては「引用は結構ですので、あなたの言葉で基準を説明してもらえますか」とでも聞き直せばよいのです。

Q じゃあ次に、メリット1に戻ってほしいんですけど、メリット1のBの飯塚事件の話があったと思うんですけど、飯塚事件はDNA鑑定が間違っていたから、冤罪が疑われているってことですか。
A そうです。久間容疑者と、犯人のDNA型が一致していなかったんですよ。それはつまり、久間さん以外に、真犯人がいるということを示唆していると思います。
Q じゃあその一致していないからといって、ほかの証拠とかもあったと思うんですけど、何でそんなに、DNAが重視されなきゃいけないんですか。
A でも、犯人のDNA型と、久間さんのDNAが、一致していなかったんですよ。それって久間さん以外に、他の犯人がいるってことですよね。


この部分の否定側の目標は、再審請求中の人に対する死刑執行事例では再審請求理由にもかかわらず有罪が確実なものに限って執行されている、ということを示すことにあります。現に、後の第二反駁では飯塚事件がDNA頼りの有罪認定ではなく、それ以外の証拠で認定している、というエビデンスを読んでいます(実際に最高裁判決を読むと、どういう理由で有罪となっているのか何となくわかります。本当は一審から読んでいただきたいところですが、公開の最高裁サイトから見られるのは最高裁判決だけでした…)。

上記のやりとりは、そのあたりを明確化しようとしていたもので、なかなかよい視点です。このあたりをよりインパクトをもって聞くには、最初に「あなたは飯塚事件の判決を実際に読みましたか」「そこでは、DNA鑑定だけで判断がされているのですか」と、立論のエビデンスに逃げるのを避けて自分の言葉で論拠を説明させるようにするのがよいでしょう。
さらにこの点を重要と考えるのであれば、判例の内容に踏み込んで「被告人の車両に被害者の血痕や尿痕があった事実なども認定されているのはご存知ですか」などと聞くことも考えられます。質疑で勝手に言いっぱなしで裁判例の内容を判定に反映させるのはきわどいところですが、後で「実際にはDNA以外の証拠もあった」というエビデンスを読みますので、それとの関係で、ほかに存在していた証拠の中身をイメージさせるということで、具体的な中身を質問に組み込むのもありでしょう。

なお、話は少し飛びますが、肯定側の回答が、立論で読んだエビデンスをそのまま読んで「久間容疑者と、犯人のDNA型が一致していなかった」ということになっているのは、実際には正確ではありません。刑事事件でDNA鑑定の証拠が出てくるとき、その立証目標は「犯人のDNAとの一致」ではなく、例えば「犯人が残したと思われる血痕(犯行現場についていた被害者以外の血痕などが該当します)とDNAとの一致」ということです。この違いはとても重要で、仮にDNAが一致しなかったとしても、「別の理由で他の人の血痕等がそこに残っている」といえるのであれば、DNAの不一致により犯人であることが否定されることにはならない、ということです。DNA鑑定というのは、犯人であるかどうかをストレートに判断するものではなく、犯人であることを推認させる事実の存否にかかわるのです。これは刑事裁判の事実認定で重要なことなのですが、ディベートの主張立証の方法にも関係すると思います。
これを今回の質疑に取り込むとすれば、「久間容疑者と、犯人のDNA型が一致していなかった」という回答に対して「ちょっと待ってください。DNA鑑定というのは、現場の血痕とかそういうもののDNAを調べるのですよね」「その血痕が犯人のものであるとは限らないのであれば、DNA型が被告人と一致していなくても、被告人が犯人でないことを直ちには意味しませんよね」などと聞くことになるのですが、そこまで時間をかけるべき論点なのかどうかは要検討です。

それでは最後の部分を見ていきます。

Q ああ、分かりました。じゃあ次に重要性いくんですけど、メリット1の、緊急やむを得ないっていう話があったと思うんですけど、緊急やむを得ない時なら、人権を奪っていいのは何でですか。
A 例えば、正当防衛などは、緊急やむを得ない場合になるんですけど、じゃあ僕があなたを殺そうとしたとしましょう。僕を殺さなければあなたは死んでしまう。だからまぁ、僕を殺すことは緊急やむを得ないこととして正当化されなくもないです。でもじゃあ、僕が死刑囚だったとしましょう。僕を殺します。で、どこかの誰かが、犯罪抑止効果で助かるかもしれません。でもその誰かと僕の関係ってすごく抽象的ですよね。その誰かが助かるには僕が殺される必要があったのがそれも不明です。反面、僕が死ぬのは、死刑が執行されるからなんですよ。
Q 因果関係が抽象的だって話があったと思うんですけど、何で因果関係が抽象的だと、抑止力があっても正当化されないんですか、死刑が。
A つまり…(終了)


重要性に関する質疑は、何を目標とすべきか、明確にしないと、効果的にならないところです。
今回の肯定側立論は、冤罪のメリットにもかかわらず、重要性で「生命権」一般の話をしており、メリットの内容と整合していません。まずはその点を「あなたがたのメリットは冤罪の防止ですよね」「緊急やむを得ない理由が必要だというのは、冤罪処刑により不当に奪われる生命権との関係で、ということですよね」と質問して制限をかけておく必要があります。ただ、このように聞いていくと、立論者は「いえ、特に冤罪は重要ですが、そもそも犯罪者であっても死刑囚の生命を奪うこと自体が問題なのです」と回答して逃げてくるかもしれません。そうなったら、「しかし、あなた方は犯罪者の生命権が重要ということを証明していないですね」「あなた方の言う『特別な』生命権を奪った犯罪者、つまり一旦は死んでもいいやむを得ない理由があったといえる死刑囚について、なお生命権が保障される理由を教えてください」とでも聞いておくことができます(今回の立論者なら上手く答えそうな気もしますが…)。
上記のような限定によって、あくまでも冤罪の問題が前提となって、抑止力による正当化が制限されているのだという話にもっていくのが、否定側質疑の目標候補となるでしょう。なお、この質問が成功した場合、続いて「具体的な因果関係を要求するのであれば、その根拠である冤罪の発生についても、ある程度具体的な可能性がないといけないのではないですか」という形で反論を前出ししておくことが望ましいです。

話を戻して、今回の質疑応答のやり取りでは、肯定側の応答が正当防衛の話を引き合いに出して、具体的に緊急性があるやむを得ない場合にしか生命権侵害が認められないということを自分の言葉で説明していました。このあたりはよく頑張っていたと思います。
ただ、否定側質疑としては、これを是非とも覆したかったところです。この部分は難しいところでもあるので簡単に結論はつきませんが、例えば次のような質問の流れがありえたかもしれません。
Q (だからまぁ、僕を殺すことは緊急やむを得ないこととして正当化されなくもないです…あたりでいったん話を切って)すいません、ちょっと質問します。あなたは今、正当防衛の話を出しましたね。
A はい。
Q 刑法上の正当防衛は、生命侵害以外についても当てはまりますよね。
A はい。
Q 緊急の理由がないと、逮捕監禁とかもできないのではないですか。
A はい。
Q じゃあ、あなたの言うように、正当防衛のような状態がないと死刑が正当化されないというのであれば、死刑だけでなく懲役刑も、抑止のために行うことは正当化されないということになりませんか。
A …
肯定側応答としては、最後の質問には「生命権は特別!」と答えてくるのかもしれませんが、それは一貫していなくて、具体的な因果関係が必要だというのであれば抑止目的の刑罰一般が否定されるべきではないのか、と突っ込むことができます。ここまでいくと、難しい刑罰論の話になってきますし、ジャッジの中にも話についてこられない人が出てくるかもしれない(決勝ジャッジなら大丈夫でしょうけど)、という問題はありますので、どこまで突っ込むかということはありますが、そういう展開もありうるかもしれません。また、こういう議論を本当にしたいと望むのであれば、相手の論拠を深く確認できる質疑を活用するほかありません。

また、もっとイージーな目標としては、抑止力の議論で問題とされる被害者救済も、被害者の生命権という重要な権利を問題としているのではないか、という話を確認するということがありえたでしょう。これは、単なる反論の前出しとして、簡単に確認するだけで足ります。
このあたりを深く突っ込んで「被害者の生命権より犯罪者の生命権が重要なのか」みたいなことまで言わせる必要はありません。その程度の問題意識は、言われなくてもジャッジも持っているところであり、また肯定側からすれば「原理的には生命権VS生命権でも具体的な因果関係がいるのであり、それは犯罪者であっても同じ」と答えるほかないところです。あとは、そのような考え方が妥当かどうかという問題であって、その決定は質疑の仕事ではありません。

3.質問を絞るということ

以上、決勝否定側質疑を見ていきました。ご覧になればわかるとおり、3分で否定側が質問できたのは主に4点で、それなりに深く聞けてはいたものの、どれもまだまだ深く突っ込める余地のあるものでした。
ここから、3分でしっかり聞けることはせいぜい2つの論点くらいである、ということがお分かりいただけるかと思います。自分の経験上、これを超える論点を質疑する場合には、相手の解答を丁寧に待たないで強引に突っ走る(コミュニケーション点はともかく、反論の前出しにはなります…)か、当たり障りのない質疑に終わってしまうということが避けがたいところです。

ですので、質疑の時間は短く、成功する確率は低いということを勘案して、質疑対象を本当に重要なところに絞る、というやり方をとっても良かったのではないかと思います。
今回であれば、メリット1の内因性分析に関して、冤罪発生原因と飯塚事件のいずれか1つを選び、重要性についての質問と合わせて2点に論点を絞り込んでよかったのではないかと思うところです。あるいは余裕があれば、メリット2の「8件」のカウント基準について簡単に確認することを加えてもよいでしょう。
このあたりの絞り込みは、自分たちが持っている第一反駁との兼ね合いであり、チーム戦略上、質疑で崩しておきたいところはどこか、いきなり証拠資料で切り込むのが難しそうな部分はないか、といったことを考えて決定すべきところです。

おわりに

以上、質疑に着目して、決勝の議論を題材にした検討を行いました。
繰り返しになりますが、質疑はとても難しいパートで、ここでエラそうなコメントを書いている僕も、質疑が上手かというとそのようなことはありません。質問を絞り込めとは書いていますが、実際にはいろんな点が気になり、理想とされる「積み上げる質問」を丁寧に行うことはなかなかできません。

ただ、ディベート甲子園では、質疑のパートが独立しています。質疑者が質疑対策に注力し、実際の試合の質疑をたとえば上のように一個一個検討していけば、質疑のクオリティはさらに上がるのではないでしょうか。そういう、ディベート甲子園だからこそできる贅沢を活かして、質疑で勝負を決める試合というのを演出していただけると、ジャッジとしてとてもうれしく思います。
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