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アカデミックディベーター

Author:アカデミックディベーター
日当たりの良い某法科大学院を2009年3月に卒業。
ライフワークである競技ディベートについてぼちぼち書いています

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ジャッジ入門講座(8.協議と講評)
どうも皆様ご無沙汰しております。
春のJDAも終わってしまい、ディベート甲子園の論題発表からも期間が立っており、書くことは色々とあるのですが、まずは負債を終えよう(終わるとは言っていない)、ということでジャッジ入門講座の続きです。講義のPPTの10~11枚目(/12)で、いよいよ大詰めのパートです。

講評は入門講座では不要であるように思いますが、ジャッジを語る上で触れないのもどうかと思うので解説を行っています。昨年のディベート甲子園で全くパッとしない講評を動画に残してしまったので、そんな人が書いてもどうかというブルーな気持ちではあるのですが、そこは反面教師ということでスルーしてください。以下ではその辺の反省も反映しています。

ジャッジ入門講座 第8回

スピーチを踏まえた判定の出し方
ここから、試合後の協議について説明していきます。協議の前提として、各ジャッジは独立して判定を出す必要があります。どちらが勝ったのか、それは何故か、ということです。一般的な判定の出し方は第3回第4回で取り上げたので繰り返しませんが、ここでは、実際にスピーチを聞いて判定を出すうえで考えるべきことを若干お話しします。

ジャッジの中でたまに問題になるのが、第二反駁で触れられなかったけど残っている議論をどう評価するかということです。第二反駁で触れなかったとしてもジャッジの心証通り取る立場から、第二反駁で触れなかった場合には判定の材料にしないという立場まで、色々な考え方があります。このあたりはジャッジによって異なるところですが、第二反駁で触れないと取らないという立場は、それまでの議論で十分主張立証されているのに第二反駁で落としただけで無視することに合理性があるのかという疑問があります。第二反駁者には議論を放棄する意図はないでしょう。それでもなお形式的に触れる必要があるのだとすれば、第二反駁で「これまでの議論を全部伸ばしてください」とでも言えばそれで足りるのでしょうか。それでよいのだとすればそのような儀式に時間を割かせる意味はないし、それでは足りないのだという場合、全論点を説明し直す必要が生じ、真に重要な争点のスピーチが手薄になってしまいます。
私自身は、第二反駁で触れなかった議論も自由に判定で考慮するが、第二反駁で説明した内容を最終の主張とするので、それと矛盾する議論は低く評価したり無視することにするし、第二反駁の内容からしてチームとしてはあまり重視していないと感じられた場合には判定上の重みづけ上を低くする、といった処理をしています。第二反駁で触れることを要件とすることは行き過ぎではあるものの、総括のスピーチではそのチームの最終的な立場が示されることになるので、その内容を踏まえてこれまでの議論を見た結果、軽視ないし矛盾する議論は必然的に低く評価される、という考えによります。ただ、選手にとっては、第二反駁で言っていようがいまいが出した議論として認識されているので、理由を説明する際にはそれを取り上げなかったり軽視した理由を説明できるようにしておく必要はあります。

どっちの判定もあり得そうだというときにどうするか、というのも実践的な悩みです。レベルの高い拮抗した試合ではよくある悩みですし、レベルが高くない試合でも、どっちもどっちという形で悩ましいことは多々あります。推定で否定側に入れる、というのはなるべく避けたいということは以前お話ししましたが、そもそも「こう取ればメリットが大きく、こう取ればデメリットが大きい」という、推定ではないところで悩むパターンの場合、何となく否定側、という逃げ方もできません。しかし、悩んでいるということは、どちらもあり得るということであり、どちらの結果でも間違いではありません。ということで、両方あり得るという前提で、清水の舞台から飛び降りましょう。
大事なことは、どこで何故悩んでいたのか、ということを明らかにすることです。その上で、「私はこちらを選びました」と説明すれば、それで判定として成り立っています。もちろん、選んだ理由が具体化できれば一番よいですし、それを目指したいのですが、突き詰めると好みの問題でしかない、ということもあるわけで、詰め切ったところで「どっちもどっち」というのは仕方のないことです。ただ、どこで悩んだのか、なぜ悩んだのか、ということはギリギリまでは詰め切ってください。それができていれば、判定理由として「ここはジャッジ任せになった」と説明できるし、選手の側も、そうならないようほかの部分で改善する必要があったことが分かります。理由がつけられないことの理由を明らかにできれば、理由がつけられないということも判断の理由として成り立ち得るということです。このように考えると、悩みが少し楽になる場面もあると思います。

協議の方法
一人でジャッジをする場合にはそのまま判定講評を述べることになりますが、複数人でジャッジする場合、それに先立ち協議をする必要があります。もっとも、ここでいう協議は、判定理由をみんなで考えるとか、判断を合わせるということではなく、各ジャッジの判定理由を確認するという作業を指します。副審の立場として参加する際には、主審に自分の判定を分かってもらうことが協議の一番の目的であり、ついでに講評で伝えてほしいことを述べることができれば完璧、ということになります。
副審として判定理由を述べる際には、しゃべりすぎを避けるよう気を付けましょう。協議時間は限られているので、投票理由の要点を簡潔に伝える必要があります。メリット・デメリットの3要件をざっと説明するイメージですが、実際の話し方としては、メリット・デメリットを大きめに評価した場合にはその理由、小さく、あるいはゼロと評価した場合にはその理由を挙げて、関連する主張立証の評価を簡単に述べる、といった感じになるでしょう。例えば、「メリットをほとんどとらなかったので否定側に入れました。解決性のところで~~~という話がありましたが、そもそも立証が弱いのと、否定側から~~~という有効な反論があったので、ここで切っています。デメリットは、発生過程がやや微妙で、~~~という反論も当たってはいると思いますが、~~~という限度では残っていると思いますので、デメリットが上回っているといえます」といった話し方が考えられます。説明が足りない場合には主審が質問してくれるはずです。もっとも、実際には、話していると色々喋りたくなってしまうもので、私自身もそうなので、偉そうなことは言えませんが。
改善点についても簡単に触れられるとよいでしょう。主審から何かコメントがないかと質問されることもあります。コミュニケーション面の改善点でも、議論面での改善点でも結構です。具体的なスピーチの内容も指摘した上でコメントできると、講評で使いやすいので主審に喜ばれるでしょう。

入門講座の内容からは離れますが、主審を担当する場合の協議の進め方についても少し触れておきます。
最初に投票結果を聞くわけですが、その後で、誰から判定理由を述べてもらうかということを考える必要があります。時間に余裕がなく、判定が割れていない場合、自分の判定理由をざっと述べて、違うところを副審に指摘してもらう、というスタイルが考えられます。ただ、これは副審の意見を十分吸い出しにくいのと、副審にとっての勉強機会を奪うので、副審経験の浅いジャッジが入っている場合にはできるだけ避けたいところです。最初に話す人が一番喋りやすいので、経験の浅い人から話してもらう、というのが理想的なのですが、経験が浅いと説明に慣れていないので時間を取られがちではあるので、スケジュールが許すかどうかを考えながら進めるようにします。
他方で、判定が割れている場合には、先に少数意見を聞くか、多数意見を聞くかというところで悩みが生じます。基本的には少数意見を先に聞くのがよいかなと思いますが、自分が少数意見の場合や、少数意見のジャッジがいかつい場合、多数意見から話を聞くということもあるでしょう。逆の判定理由を聞いてから判定を話すというのは難しい面もあるので、経験の浅いジャッジが少数意見の場合、気を遣ってあげるのがよいでしょう。
説明を聞いている中で、判断が分かれておりより詳細な理由を知りたいところ、講評の中で説明した方が良いと思われるが副審が説明を割愛しているところ等があった場合、適宜質問するようにしましょう。せっかく協議しているので、副審の判定理由も積極的に吸い上げて、なるほどと思ったところは講評に取り込んでいくことで、より充実した講評をすることができるようになります。

講評と判定
これも入門講座の内容とは離れますが、講評判定スピーチについても説明しておきます。色々なやり方があるので、どれが正解ということはなく、いろんな講評を聞いて自分なりに考えていってほしいのですが、その参考になれば幸いです。

最初に、判定結果を最初に言うか、後で言うか、ということです。アカデミック(調査型)ディベートの世界だと、英語系の人は最初に言うことが比較的多く、日本語系の人は後で言うことが多い、という感じがします。英語アカデミックでは昔は口頭での講評をやらなかったようで、その関係もあるのかもしれません。パーラメンタリー(調査型)ディベート、これは英語がもとより圧倒的多数派ですが、こちらでは最初に言う人が多いというか、最初に言わないと不機嫌になる人が結構いるような印象です。4チームで試合をするBritish Parliamentary Styleだと、そもそも最初に判定を言わないと理由を説明できない、という事情もあるのではないかと思いますが、私は詳しく語る能力を持ち合わせていません。
最初に言う派の理由は、判定が気になるから、という聞き手側の立場からの意見が主であるように思います。これは好評のスタイルにも関係するところですが、判定を言ってから理由を説明するほうがやりやすいという人もいるでしょう。後に言う派の理由は、最初に判定を言うとそれに気を取られて講評を聞かなくなるということがメインです。ディベート甲子園ではこのような理由で後に言うことが推奨されているとの認識です。確かに、判定を聞いて喜びの雄たけびをあげたり、負けて泣いてしまう選手は結構いるので、個人的には、少なくともディベート甲子園では後で言うのがよいと思っています。多分選手もいきなり判定を言うとびっくりするでしょう。ただ、どちらが正解ということはなく、個人の好みや場面によって異なってよいものだとは思います。私も、練習試合では最初に判定を述べてから理由を述べることが良くあります。判定への影響度などをクリアに説明する上では、オチが分かっている方がやりやすいということはあります。最後に判定を述べる前提で、結果が見えないように話そうとすると、どうしても言葉が濁ってしまうところがあります。まぁ、途中でバレてしまう場合がほとんどなのですが。

次に、講評判定スピーチで話すべき内容です。講評判定スピーチには、大きく分けて3つの目的があります。1つ目は、当たり前のことですが、判定理由を正確に伝えること。2つ目は、より良い議論につながるよう、今後の改善点を伝えること。3つ目は、発展的なところですが、ディベートを楽しいと思ってもらうこと。これら3つの目的は、相互につながっています。判定理由をきちんと伝えること自体教育的ですし、深いところまで戦いの経過を伝えることは、ディベートの面白さにつながっていきます。
また、これらの目的は、試合をした選手にとってどうか、それ以外の観戦者にとってどうか、という2つの方向に向けられる必要があります。選手に対して納得感の高い詳細な説明と、ディベートをよく知らない保護者にとって分かりやすい説明は、重なるところも多いですが、違いのある部分もあります。ここをこう変えると良い、という対戦者向けのアドバイスだけでなく、この議論はよかったので真似してほしい、という観戦者向けのアドバイスも大切です。選手を励まし、健闘を称えることに加えて、試合の面白かったところを聞き手に伝え、負けたチームにも聴衆にもいい試合だったと思ってもらうこと。色々と考えることはありますが、全部を実現することは難しいです。私もどこまでできているか怪しいものですが、意識して取り組むことで、少しでも広がりのある講評ができるようになるといいなと思っています。

3つの目的を果たすために、講評の構成はどうしたらよいか。ひところよく言われたのが、P(Pathos/Passion)の要素とL(Logos/Logic)の要素のバランス、ということです。当初は、なんかよさげなことを言ってるだけ、すなわち、P一辺倒で中身のない講評を揶揄する方向で言われていたのですが、今はそういう講評はほとんど見られなくなりました。実際にはPとLのバランス、選手に訴求する要素と、議論の評価をきちんと伝える要素を兼ね備えた講評が理想です。特に、中高生の青春がかかった大会やトーナメントの上の方の試合、多くの観客がいる試合では、Pの要素が重要になってきます。もっとも、選手でならしてきた多くのジャッジは、どうしてもL寄りになりがちで、Pの要素を入れようとするとわざとらしくなってしまいます。私もよくそう言われます。事実わざとやっている場合も少なくないので仕方ないのですが、自分が何を言いたいかではなく選手に何を伝えたいのか、ということを考えると、自然とPとLのバランスが取れるようになると思います。
具体的な講評の構成としては、改善点を伝えるパート、判定理由を伝えるパート、試合をやや離れてディベートの意義などを語るパート、に大きく分けることができますが、これらは重なり得るものです。判定理由を述べる中で改善点に言及することもあるし、ディベートの意義を話しつつ、それに絡めて試合の良かったところ悪かったところを述べる、といったこともあります。そのような重なりや応用はあり得るものとして、この3つのパートがあるということを意識し、どこで何を話すか、今自分はどれを話しているのか、といったことを考えると、スピーチの構成を考えやすいです。
ということで、私がよくやる講評判定スピーチの構成は、以下のような流れです。これが正解ということではないですが、オーソドックスなほうだとは思います。フルで喋るとかなり時間がかかるので、時間がない場合はかなり自制して省く必要があるのですが、その方法を上手く教えることは私にはできないので、皆さん気を付けてください、とだけ申し上げておきます。

① 論題の趣旨、試合の特徴的議論を参照しつつディベートの意義などを語る(P要素。練習試合や予選など多くの場合は省く)
② 試合の良かったところ、改善すべきところを話す(L要素)
③ 判定理由を述べる(L要素)
④ 前向きなコメントを語る(P要素。これも多くの試合では省略ないし大幅に割愛する)
※判定は④の前か後に述べます



P要素の解説は私の専門ではないので省きますが、L要素とされる、改善点の指摘や判定理由の述べ方について簡単に触れておくことにします。
改善点の指摘は、できるだけ具体的にしてあげると良いです。改善後の姿をどこまで説明するかというのは賛否あるところで、議論の内容にわたるところで決めつけ的にコメントするのは介入しすぎでよくないようにも思われますが、コミュニケーションの指摘であれば、どうすればよいのかを具体的に説明しないと分からないでしょうし、議論の中身でも、こういうアイディアはあり得る、とか、こういう観点でリサーチしてみてもよいのではないか、といった程度はよいでしょう。この部分で出していた議論をここにも当てはめることができるとか、相手方のこの議論をこう逆用できる、といったテクニカルなコメントも、議論の押し付けになるわけではないので、許容されるのではないかと個人的には思っています。また、改善点の指摘はなるべく両方のチームにしてあげることや、余裕があればよかった点の指摘も両方のチームについてしてあげると、聴衆への参考にもなるし、選手の満足度も高まります。なお、褒める場合は最初に褒めてから改善点を言うほうが選手に与える印象が良くなると思います。
あと、私にはちょっとできない芸当ですが、ジャッジの中には、選手の名前を全部記録した上で、一人一人にコメントをしてあげる、という方もいます。時間の関係で、議論の中身についての説明はどうしても薄くなってしまいますが、このような講評ができると非常に教育的だろうとは思います。

判定理由の述べ方についても、色々な方法があります。私は、普通にメリット、デメリットを頭からさらっていくスタイルですが、山脈と呼ばれる某有名ディベーターが、第26回ディベート甲子園の決勝講評で取った、分かれがなく結論が見えやすい争点と判断が分かれる争点に分けた上で、前者については結論をさらりと述べ、後者は丁寧に説明していくというスタイルが大変参考になります。分かりやすい講評のスタイルには色々とあると思いますので、この動画も参考にしつつ、考えていきましょう。
複数人ジャッジで判断した試合で判定理由を述べる上では、判断が分かれたところについて、なぜ割れたのか、ということを説明することが重要です。どこを詰めれば割れないようにできたのか、ということも伝わるような説明ができるとベストです。もっとも、判断が分かれたところの説明に気を取られすぎると、争点の説明を漏らすという禁忌につながるリスクがあります。私も、副審のやや変わった判定理由を説明することに時間を割きすぎたため、判定には影響はないものの争点になっていた部分の説明を落としてしまいました。選手目線では不信につながる事態ですので、メリハリはつけるとしても、なるべく争点を漏らさないように説明していくことが大事です。

自分は何を伝えたいか、どう伝えれば選手や聴衆が満足するか、ということを考えつつ、実際にいろんな人の講評を聞いて、よいなと思った人の喋り方をパクるとかしつつ、自分なりのやり方を作っていってください。
最後に一つだけ、心構えとして述べると、ジャッジだからといって、上から目線でコメントをする、ということだけはしないように気を付けてください。ジャッジの中には、ごく少数ですが、自分が気持ちよくなりたいからジャッジをする、選手へのリスペクトを欠いたジャッジをする、という人がいることも否定できません。それはジャッジとして失格ですし、そのような気持ちで講評をすれば、選手や聴衆の心がディベートから離れてしまいます。自分の話を聞いてほしいというだけであれば、そういう店に行ってお金を払ってやってください。選手のために伝えたい、という気持ちがあってこそ、講評判定という営みに意義が生じます。判断者としての立場から人の議論を批評するという、気持ちが大きくなりがちな仕事であるからこそ、自分を律して務めるようにしてください。もっとも、このような注意は多くの心あるディベーターにとっては不要であり、他方で、聞いてほしい人のところには届かないわけですが…。

ジャッジ入門講座 | 23:46:21 | トラックバック(0) | コメント(0)
ジャッジ入門講座(7.ジャッジとしての試合の見方)
またしても間が空いてしまいました。ディベートのコンテンツは途中で更新されなくなるものが多いのですが、この講座は何とか最後まで書ききりたいところです。今回からの後半戦は実践的な内容でもあるので、ディベート甲子園の全国大会までに目途をつけたいなとは思っておりますが、それは私の講評が時間通りに終わる可能性程度の見通しと思っておいていただければ幸いです。
ということで今日は第7回です。講座PPTの9枚目(/12)の内容に当たります。今回の内容からやや生々しい話も入り、某ディレクターよろしく解任されてしまうかもしれませんが、そこは大目に見てください。

ジャッジ入門講座 第7回

試合に臨むに当たって
ここからいよいよ、実際に試合をジャッジするときの振る舞いについて説明していきます。最初に、どうやって試合を聞くか、というところからです。ジャッジとして聞くからといって選手としてフローシートを取りながら聞くときとそう違ったことをするわけではありませんが、判定や講評のことを見通して気を付けるべきことはありますので、そのあたりを説明します。
まず、試合前の準備です…といっても、特に何かがあるわけではありません。予備知識がどの程度必要かという話は第2回で説明済みです。ということで普通に部屋に行くなり、オンラインであればパソコンの前に行くなりすればよいのですが、1点だけ注意すべきは、トイレを済ませておこうということです。当たり前のことですが、試合は長丁場であり、その中で急に催してしまうと、短い準備時間の間を縫ってトイレに行くことは困難ですし、他方で便意に耐えながら試合に集中するのは至難です。こんなことを強調しているのは、私自身何度かやらかしているからで、その時は体を揺らしながら耐えに耐えて何とかしましたが、疲労感は通常の試合の倍以上ですし、試合展開がハードだった場合にどうなっていたかは分かりません。ということで、トイレはこまめに行くようにすることをお勧めします。
筆記用具は各自の好みで使用してください。フローシートも特に決まりはありません。講評を考えたい人は講評だけをメモするための紙を追加でもっていってもよいです。私は普段はフローの余白にメモしますが、色々配慮した講評が求められそうな試合で主審をするときは別にメモを持っていくこともあります。ペンも自由ですが、肯定、否定で色を分けるほか、コメントを書き込む色のペンも準備していくとよいでしょう。私の場合、肯定は青、否定は赤でフローを取っており、バロットを書いたり講評の構成などをメモするのは黒色のペンですが、議論に雑漠にコメントする際には緑色のペンを用いたりします。緑色の文字は他人には見せられないようなことも書きなぐっていたのですが、ごくまれに、参考までにフローシートがほしいという選手がいるので、最近はそこまできついコメントを紙に残すことはしなくなりました。私も過去1、2回フローをくださいということを言われたことがありますし、初心者だと取り方の参考にしたいので見せてほしいといったことはそれなりにあります。私の字は可読性が極めて低いので読まれても気づかれないのですが、字がきれいなのにきれいでない言葉遣いでコメントをしてしまう癖のある人は選手を傷つけてしまうことが生じるかもしれないので気を付けましょう。そんな人はいないかもしれませんが。

試合中の振る舞い
スピーチ中は、まずは議論を正確に理解しようとすることを心がけましょう。フローシートは、可能であれば多く書き取るほうがよいです。特に資料については、前提条件や、語尾が「思われる」なのか「かもしれない」なのか、といった細かなところも取ると、評価の精度が上がります。最近は選手が証拠資料を著者の名前で指定したりしてくるので、出典も、年号と著者の苗字くらいは取っておくとよいです。議論を追っていく観点からは、著者名だけでなく中身も含めてサインポストしてほしいところではありますが、その辺はジャッジをしないと分からないところかもしれません。そういうことはジャッジとして選手にフィードバックしてあげてください。
慣れてきたら、スピーチ中でも議論の評価をしていくようにしましょう。「ここは飛躍しているのではないか」「この部分がよく分からない」といったことは、気づいたらフロー上に書き込んでいくと、後で判定に役立ちますし、講評で指摘すべき内容のヒントにもなります。副審であっても議論の改善点についてコメントを求められることもありますし、主審の場合、同じような観点からの疑問や不備のコメントが複数あれば、それを講評で取り上げる改善点のテーマにすることができます。ジャッジの仕事もプレパが大事だということです。

スピーチ中はフローを取るのに集中することでよいですが、質疑や第二反駁など、書き取る程度が少なめになるステージでは、選手の方を見るとよいでしょう。ディベートは選手とジャッジのコミュニケーションであり、選手のほうを見ることで、選手のコミュニケーション面での良さを見つけることもできます。また、選手の側でも、うつむいてメモを取るジャッジに向かってしゃべるより、自分の方を見てくれるジャッジに語り掛けるほうが良いスピーチができるでしょう。選手が言い間違ったりして慌てているときに、慌てなくてもいいというジェスチャーや表情をすることで、スピーチが落ち着くこともあります。その程度のことがえこひいきだということはありません。少しのことですが、ジャッジでも、良い試合を作るのに協力したいものです。

意見が分かれるのが、議論に対してリアクションをするかどうかという点です。これは個々のジャッジによって違うので「こうしろ」という答えがあるわけではないですが、私自身は、リアクションをする、しかも割と強めにする立場です。良いことを言っていると思ったらうなづき、大事な争点を話し出したと思ったら身を乗り出し、当たっていないと思ったら首をかしげます。場合によっては、首を振ったり、ペンを置いて腕を組んだり、「それはちょっと・・・」などとつぶやいたりもします。昔、NADEの某支部長級の方に「選手の議論に反応するのはよくないのではないか」と割と強めに言われたので、ややキレて「じゃあ先生は目の前に衝立でも置いてスピーチを聞かれたらどうですか」とやりあったこともありましたが、それは極端としても、ちょっと過剰なリアクションではあることは承知しつつ、コミュニケーションというのはそういうものであり、ジャッジの反応を見て議論を選択するのも選手に求められる技能の一つだという思いで、こういう立場を取っています。私が高校時代の東海支部のジャッジが、結構怖いリアクションをしていたので、そういうものかなと思っていたという原体験にもよるところです。なお、こういう立場になった背景としては、昔は正直ちょっとどうかという質のジャッジもそれなりにおり、私から見ると誤った判定がメジャーになってしまったり、講評においてジャッジ全員が同じように判断したかのような説明をされてしまうことが度々あったので、そうではないということを選手にアピールしたかった、という暗い歴史があったりもします。現在ではそのような状況はないと思いますので、その点はご安心ください。
もっとも、リアクションを取ることの弊害として、逆に選手が混乱してしまうことが稀にあるとか、否定的リアクションを多くとられた側の選手や関係者が怒るといったことが挙げられます。前者に対する配慮としては、経験の浅いチームの入った試合ではリアクションを控えめにするようなことをしています。後者は、個人的にはあまり気にしないのですが、公平性の観点から、リアクションの程度は両チームのスピーチに同程度行う、ということは気を付けているつもりです。もっとも、対面の試合であれば観客は私の後頭部しか見ないのであまり気づかないものの、近時のオンラインジャッジでは画面が観客にも出てしまうので、保護者や指導者が見たときに怒るリスクは高まっている可能性があり、そのあたりは今後考えていきたいと思っています。他方で、オンラインジャッジではなるべくジャッジはカメラオンにしてほしいという話もされており、大会主催者側でも、ジャッジの表情やリアクションも含めたコミュニケーションを一定程度期待しているということは言えるのだと思っています。だからリアクションを取れ、ということではないですが、ジャッジとしてのコミュニケーションの在り方については、皆様でも考えてみてください。

スピーチの間の準備時間は、特に慣れないうちは、効率的にジャッジをするために大事な時間です。スピーチ中に議論の評価が追いつかなかった場合には、準備時間の間に、スピーチを見直して個々の議論に必要なコメントを書き込むなどしましょう。また、準備時間の間に、個々の争点のその時点での評価や、今後の進行の見通しを考えることができると、判定をスムーズに行えるようになります。例えば「メリットの2点目は重要性が不明なのでこれは立たないな」ということであれば、メリット2の攻防はあまり重要ではなく、そこまで力を入れて聞かなくてよいということになりますし、「デメリットに打たれたターンアラウンドが強力なので、ここが残るかどうかが重要そうだ」ということであれば、その部分については判定を分ける可能性があるので以後のスピーチで特に注意して聞く必要があります。こうやって自分なりに争点の重要性を考えつつ、このままだとどっちが勝つ、といったことを毎回の準備時間でやっていくと、複雑でない試合であれば、最後のスピーチが終わった直後に判定が出ることになります。場合によっては、もっと前のステージで判定が出てしまうということもあります。
また、準備時間中には、ディベート甲子園であればコミュニケーション点、JDAなどポイントカードを作成すべき大会ではポイントをつけることになります。スピーチ直後の印象が鮮明なうちにつけるほうがよいでしょう。

その他、ジャッジとして試合を聞いている際には、証拠請求でもたついている場合に交通整理をしてあげたり、スピーチ中に相談し出すなどマナーに欠ける振る舞いをしている選手を注意したりといったこともする必要があります。マナー点を減点すればよい、というものではなく、可能であれば注意してあげて改善の機会を与える配慮が求められます。複数ジャッジの時は、主に主審が仕切ることになると思いますが、副審でも気づいたことがあったら適切に対応できるとスマートでよいです。

コミュニケーション点やバロットのつけ方
コミュニケーション点やバロットの点数をどうやってつけるか、というのは、主催者から基準が示されたりしますので、そちらを参照してください。
色々なつけ方があってよいと思いますが、ディベート甲子園のコミュニケーション点であれば、3点を中心とした釣り鐘型というか、極端な数字ほど少なくする、といった感覚で、自分なりにぶれのないようにつけるのがよいでしょう。JDAの点数は、どの辺を平均にするのか難しく、この点のジャッジ間のブレによって決勝に行くチームが変わってきたりすることもあるので何とも難しいのですが、10点満点の場合6~7点、5点満点の場合は3点を基準にして、決勝でもおかしくないレベルのスピーチに基準点より高めの点をつけるようにすると、そこそこブレなく安定するのではないかと思います。「じゃあお前はその基準で10点のスピーチできるのかよ」といわれても「(最盛期のベストコンディションなら)できらぁ!」と答えられるくらいのつけ方にするということでしょうか。
なお、コミュニケーション点だと、スピーチのきれいさ、といった印象がありますが、実際には、議論の中身も関係してくるところです。中身がかみ合わないとコミュニケーションにならないわけで、特に高い点数をつける際には、内容面の評価も必然的に入ってくることになります。勝敗とイコールではないですが、そうなってしまうこと自体は当然のことなので、特に悩む必要はありません。ただ、あくまで、相手の議論に対応した反論になっているとか、そういった限度で見るもので、議論としての強さまでを評価するものではありませんので、念のため。

ジャッジ入門講座 | 01:39:56 | トラックバック(0) | コメント(0)
ジャッジ入門講座(6.手続的な規律)
また間が空いてしまいました。ジャッジ入門講座の第6回です。当日のパワポの7~8(/12)枚目の内容です。今回は前回に引き続き理論的なお話しです。New Argumentの規律や証拠の取扱いなどの手続的なところをさらっていく、想定読者にとっては退屈であろう内容ですが、いわゆるディベート理論の中では解説の薄い分野でもあります。ディベート研究者は意外と手続法の知見が乏しいのかもしれません。
本来であればかなり突っ込んだ話をしたいところなのですが、あくまで入門編ということで、さわりだけになっていることにつきあらかじめご了承ください。

ジャッジ入門講座 第6回

新出議論(ニューアーギュメント)の規制
さて、ここからは、出てきた議論をどう処理するかという手続的な説明に移ります。プラン周りの話以上に、ジャッジがどのように整理するか、という要素が重要になるところですので、ややこしいところもありますが自分なりの整理を持っていただく必要があります。
最初に、新出議論の規制についてお話しします。皆様が普段ニューアーギュメント(New Argument)という言葉で説明する概念です。ニューアーギュメントというのは、正確に定義すると、「反駁のステージにおいて、直前の相手方のステージで出た論点に対する反論を除く反論及び論点の提示を行うことを禁止するルール」のことを指します。ここでいう「論点」とは、メリットやデメリット、論題充当性といった投票理由になる議論群を構成する個々の議論のことをいい、「反論」とは、別の理由を付して議論を争う行為をいいます。直前の相手方のステージで出た議論には反論できるので、1NRで2ACの議論に、1ARで2NCの議論に反論するといったことはもちろん可能です(2NR、2ARも直前の相手のスピーチに反論可)。また、立論では議論の提出に制限がありませんが、反駁になると、論点を新たに出すことは一切禁止されます。
こう説明すると、ディベート甲子園出身者の方は、「レイトレスポンスはどうなっているんですか」という疑問を持たれるでしょう。私も昔同じことを思いました。実は、ディベート甲子園では、一回立論形式の下で新出議論規制を説明するために、ニューアーギュメントの規制を、直前の相手方のステージで出た論点にしか反論できないということと、反駁で論点(メリット・デメリット)を出せないということの2つに分けて、前者をレイトレスポンスと名付けているのです。といってもそんな説明が公式にされているわけではないのですが、ディベート理論的にはそう理解するしかありません。少なくとも、一般的なディベートでレイトレスポンスなる概念はないですし、理論的にも分ける意義は乏しいと思います。しかし、ディベート甲子園では分かれていますし、別に分けて困るものではないので、ディベート甲子園出身者はそのままの理解でも全く構いませんが、元々一つの規制なのだということは知っておいて損はないでしょう。

新出議論を規制する趣旨は、直接的には、反論機会を保障することにあります。その結果、議論の深化を促すことにもつながります。反論機会の保障というのは、いきなり2ARで強い反論が出てきて、否定側に反論機会がないままデメリットが死んで肯定側の勝ち、ということになっては否定側が浮かばれない、ということを考えればお分かりになるでしょう。立論でしか論点を出せないというのは、勝敗を左右する基礎的な議論については特に反論の機会を十分に確保すべきということであり、副次的には、質疑の機会も保障すべきであるという考慮もあります。
このような趣旨から、反論機会を与えなくても足りるスピーチ、例えば、新たな理由付けを伴わず議論を評価するに過ぎない総括的スピーチや単なるダウトは、新出議論として排除する必要はありません。後者のダウトは、そもそも選手がスピーチしなくてもジャッジにおいて当然評価上考慮済みという場合も多いでしょう。また、反論する必要があるかどうかは議論の展開によって異なるところであり、例えば、2回立論形式で、1NCではカウンタープランの非命題性について議論していた部分を、2NCで新たに論題充当性の議論として転用したという場合は、非命題性への反論機会は2ACであったと言えるが、論題充当性への反論機会は2ACの時点ではなかったので、1ARで反論してもニューアーギュメントにはならない、といった評価をすべきです。

ニューアーギュメントで実務的に悩むことが多いのは、いわゆるターンアラウンドの議論が、実質的なメリット・デメリットの提示になっているのではないか、というものです。ターンアラウンドの議論は、3要素のうち解決性/発生過程か重要性/深刻性をそのまま借りてきて、そこからリンクやインパクトをひっくり返すという限りにおいて、独立の論点を生まない反論と評価し得るものと考えられますので、発生過程の最初だけ借りてきてその後に別のリンクを付け足すようなスピーチは、実質的にメリットを出したものとしてニューアーギュメントに該当し得る、といった処理をすることになります。もっとも、議論の内容次第といったところもありますので、反論機会を保障するという趣旨から考えて各自判断する必要があります。
また、ディベート甲子園では、論題充当性の議論を否定側第一反駁で出せるのか、といったことが問題にされたりします。実践的には、論題充当性の議論が実質的にメリットへの反論的意味合いが強く、1回立論形式で十分に機会を与えるためには第一反駁での提出も可能と解すべきだろうと思います。ルール解釈上は、「相手の持ち出した主張・根拠に反論する必要から生じた主張・根拠」は反駁でも出せるとなっているところ(ルール本則4条2項4号)、ディベート甲子園ではメリット・デメリット方式が取られており論題充当性が独立の投票理由とならないことが明確になっている(プランの排除をもってメリットを攻撃する趣旨になる)ことからして、論題充当性は「相手の持ち出した主張・根拠」(メリット)への反論として、反駁でも展開できる、という理解が可能です。というか、これに反して論題充当性を立論でしか出してはいけないと解すべきルール上の根拠はないと私は思いますが、皆さん自身でルールを読んで考えてみてください。

なお、ニューアーギュメントに該当する議論については、なかったものとして扱うことになります。したがって、そこの部分の議論を他の論点の評価に参照することはできません。ニューアーギュメントであるかどうかはジャッジが判断するので、選手の指摘を待つ必要はないし(むしろ指摘がなくても気づいたら排除すべき)、選手から指摘があっても理由がなければ無視して結構です。
マニアックなところで、ニューアーギュメントであるが自分たちにとって有利な議論を含むので、ニューアーギュメントであることを認めた上で援用するというスピーチがされた場合に、このような援用を認めるかという問題があり、これは両説あり得ると思います。私は、ざっくり言うと、一般的には認めてよいが、ディベート甲子園でのニューアーギュメント(反駁で出たメリット・デメリット)は試合が荒れるので同意を認めるべきでない、ということを考えていたのですが、最近は、ディベート甲子園のルールの文言上は、同意の余地なく排除することでよいのかなということを考えています。そうあることではないので趣味の領域に近い問題ですが、皆さんも余裕があれば考えてみてください。

議論の同意・撤回
新出議論の規制に比べるとマニアックな話ですが、議論の処理という点で、選手が相手の議論を認めた場合の評価方法について簡単に説明します。試合でもたまに出てくる展開です。
あくまで議論はジャッジが評価するものであり、単なるゲームジャッジではなく、自身も合理的一般人、教育者的な立場から議論を責任もって評価するというジャッジ観を前提とすれば、選手が同意したというだけで議論の評価が変わるものではありません。「日本の首都は岡山です」という議論に相手方が同意したとしても、それを認めることはしないでしょう、ということです。ただ、これは公知の事実に反する例であって、審議がよく分からず争いのある議論について、相手方が争わず前提にしようとしている場合には、争いがないということをもって、判定の基礎として認めるという処理をするのが妥当でしょう。対立する二当事者間の議論においては、反論可能性があったのに反論を積極的に放棄していること自体、おそらく正しいのだろうという評価の理由にすることが可能です。なので、間違っているかどうかは分からないが立証が足りないかも、という場合でも、積極的な同意がされれば、一応試合の中では認めてあげよう、ということができ、そうすることが選手にとっての判定の満足感にもつながるところがあります。選手が満足すればなんでもよいわけではないですが、敢えて選手の意に反する判断をする必要がなければ、選手の意向に沿うほうがよいということは言えます。
もっとも、このように考える以上、同意としての意味を認めるには、積極的に反論を放棄する意思が表示されている必要があります。単に反論できずドロップしたというだけでは、争っているが具体的に反論する時間がなかった、と見るべきですので、判断を緩めるべきではありません。ドロップしたことの意味は、新出議論規制により反論機会を失う、ということだけです。

同意は相手の議論に対する反論機会の放棄ですが、自分の議論の撤回ということができるか、ということも問題になり得ます。たまに「今のは忘れてください」というスピーチがありますが、それのことです。結論としては、一回聞いてしまった以上はなかったことにはできないというのが原則であろうと思います。同じステージでのスピーチであっても同様です。自分のスピーチには責任を持つべきです。ただ、言い間違いを直した程度のことは当然認めてよいですし、そもそも明らかな言い間違いはジャッジの方で善解してあげるべきでしょう。

証拠資料の取扱い
証拠資料の取扱いについては、きちんと説明するとそれだけで独立の講座になってしまいます。というわけで、要点だけをかいつまんだ説明になることをお許しください。

まず、証拠資料が調査型のディベートにおいて持つ意味について説明します。証拠資料というのは、その引用を通じて、本来判定の基礎とすることのできない事実や知見を呼び出すための道具です。本来、特別な権威を持たない選手は、公知の事実を超えた事実を議論として提示することができません。たまたま医者がディベートをしているからといって、医学的な説明を正しいと認めることはしないし、してはいけません。しかしそれでは専門的な領域の議論を行うことは困難です。そこで、きちんと出典を明らかにし、外部に存在する情報をそのまま引用する、という形式をとることによって、事実や専門家の知見を試合の中に持ち込むというわけです。この意味で、証拠資料の引用というのは強い儀式性を持ちます。証拠資料という触媒を通じて英霊を召喚するようなものと思ってください。引用の適法性を考える上では、このような視点を持っていると見通しが良くなると思います。

証拠の評価においては、その証拠がどれだけの価値を持っているかという「証明力」と、そもそもその証拠を判定において考慮することが許されるかという「証拠能力」の2つを区別して考えることが重要です。後者が満たされることが前提となって、前者を評価することになります。証拠の不正引用、というのは証拠能力の問題であり、ここでもその観点で説明をします。証明力の評価方法は、判定を考える箇所で詳しく説明します。
証拠能力を問うのは、証明力を偽る行為を排除する必要があり、また、かかる行為自体が倫理上許されないからです。ディベートの議論も一種の学問的議論であり、根拠を偽ることは最も重大な不正です。したがって、証拠能力が否定される場合、単に判定上その証拠を除外するだけでなく、排除理由によっては、当該試合の反則負けや、大会からの排除等、厳しい処分が下される必要があります。ジャッジは、ディベートという営みの健全性を守り、ひいてはそれに参加する選手が将来道を踏み外さないようにするため、証拠能力を的確に判断する必要があります。
具体的に、どのような行為が問題となるかについての詳細な説明は残念ながら省くことになりますが、主な判断要素は、当該行為によって証明力が偽られたり反論可能性が減じられた程度と、当該行為に対する選手の故意・過失の程度の2点です。後者については、行為そのものの性質(例えば、不利な部分を中略して文意を変えるような行為は、それ自体故意を推認させます)や、質疑応答で話題になっていた場合はその内容、弁明の内容等から判断します。

先に述べたように、証拠能力の問題が懲罰的な要素を含むことから、ジャッジとして証拠能力を問題とする場合には、その前提となる調査や、選手に対する弁明の機会の付与といった手続的な配慮が必要になります。
まず、問題を看取したジャッジは、選手に対して証拠の提示を求めることができます。選手が証拠請求している場合には多くの場合それを優先させるのが妥当でしょうが、重大な不正が疑われる場合には、試合中の準備時間であっても、なるべく早く提示を求め、検証すべきです。その結果、証拠排除が相当であることが確実に言える場合には、(複数ジャッジの場合は必要に応じて合議の上)証拠排除を言い渡すことが相当です。そうでないと、相手方がその証拠を有効だと思って反論の時間を費やしてしまうような事態が想定されるからです。他方、引用開始と終了が分からずどこまでが証拠かわからないような場合は、証拠を確認の上、「確認した結果~から~までが証拠でした」ということをアナウンスするだけで足ります(このような軽微な問題の場合、反則処分にはつながらないし、証拠の排除にもならないので、重い手続きは不要です)。なお、証拠提示できることを利用して、証明力評価のために証拠を見ようとするジャッジも散見されるのですが、個人的にはどうかと思っています。それは、スピーチ外で心証を取ってしまうことになり、公平ではないというべきでしょう。
証拠の不正引用等を理由として反則処分を検討するに当たっては、その前に選手に対して弁明の機会を与えるべきです。これは、試合終了後すぐ、あるいは合議後講評判定の前に、選手に対して、どういう不正があったと疑われるかを具体的に提示した上で、それに対する言い分を聞く、という手続です。弁明の内容を経てなお処分が相当だという場合にはじめて、反則処分を行うというのが、手続的に望ましいです。複数ジャッジの場合、証拠排除自体は各自の判断によって行えますが、反則処分は審判団の合議により決することになるので、弁明の機会付与などは主審が取りまとめることになるでしょう。

証拠能力の判断で悩ましいのは、他の試合で同じような事例があったとか、実は自分は原典を読んでいて不正引用だと気づいたといった、試合外の知識による判断を持ち込んでよいかということです。結論としては、証拠能力の判断については、試合内の指摘の有無に関係なく「正しさ」を優先すべきで、試合外の知識であっても考慮して判断すべき、ということになります。議論の前提となる部分が侵されている状態ですので、選手の議論を待つことなく是正する必要があるということです。その代わり、弁明の機会を付与するという手続的な配慮が求められることは、先に述べたとおりです。
特に中高生の中には、十分な指導がないことから、証拠資料の引用について意識が弱い選手も散見されます。それ自体は仕方ないことですが、議論していくうえで守らなければならないルールがあるということはきちんと教える必要がありますので、ジャッジの側でも時に厳しく、他方で選手の気持ちにも寄り添った(許せということではなく適切にフォローするということ)、適切な対応をする必要があります。

ジャッジ入門講座 | 02:36:33 | トラックバック(0) | コメント(0)
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