愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
2007年JDA秋季大会参戦記(12・完:決勝の議論を、そして死刑論題を振り返って)
春季JDAが今週末に迫っているという時期外れではありますが、JDA秋季大会参戦記の総括として、ここまでトランスクライブしてきた決勝戦の展開を反省するとともに、死刑論題で出てきた議論を簡単に振り返りながら論題について考え、最後にJDA参戦で改めて気づかされたディベート実践上の教訓を簡単にまとめておくことにします。

○ 決勝戦の反省
決勝戦はおよそ2対1の割合でAffに流れたオーディエンスボートも含めて4-1でAffが勝利し、バルサミコ酢がひっくり返ってこぼれるという結果に終わりました。主審の方がNegに入れてくれたことと、JDAの会長が義理で(?)Negに観客票を入れてくれたことが救いです。
ただ、Negの展開は僕の不出来もあって詰めの甘い部分が多々あったのですが、試合結果として完敗だったかというとそうでもなく、そこそこは食らいついていけたのではないかという気もしています。JDA決勝で強力なチーム相手とそれなりの試合ができただけでも、僕にとっては意義のある大会でした。

その上で、試合の勝敗を分けたのはどこか、あるべき展開として他にどのようなものがあったかという点について、いくつか検討してみることにします。

*以下、トランスクリプトのリンク(当ブログ内)です。適宜参照してください。

1AC(Q/A)
1NC(Q/A)
2AC(Q/A)
2NC(Q/A)
1NR
1AR
2NR
2AR


1.総論
今回のNegの敗因は、勝ち筋を絞って提示できなかったことです。後で決勝ジャッジの方にも言われたのですが、特に2NRにおいて、Negは投票理由をきちんと立てられていないところがありました。2ARには安藤さんが待っているわけですから、Negとしては論点を絞り、勝ちに行くストーリーを明示的に示すべきでした。
どのような議論がその候補たりうるかは後で見ますが、おそらくこの試合でもっとも現実的だったのは、Affの出した判断基準をひっくり返し、議論がよく分からない場合にはNegに入れるという原則に立ち返りつつ、犯罪増加のクリアな可能性が見えていて、それを上回る懸念材料がない以上はAffには入れられないという議論だったかなぁというところです。

トランスクリプトをご覧になった方の中には、上記のようなことはNegが実際に言ってたこととそんなに大差ないのではないかと思われた方がいるかもしれませんが、スピーチとして聞く場合、どのような構成でどのように訴えるかで、議論の受け取り方は大きく変わってきます。僕は2NRで各論を全て自分たちに有利になっているという形で議論しつつ、挙証責任の所在については最初と最後でばらばらに議論してしまっているだけでなく、明示的にエビデンスを排除するという形で判断基準を論じていません。要するに、勝つためのストーリーとして意識しないまま総括してしまっているダメなパターンなのですが、もっと上手く議論することはできたはずです。
もっとさかのぼるなら、2NCからの議論展開でもっとストーリーを意識して反論を出すべきだったということもいえます。再犯あたりの議論は相当にごちゃごちゃした割に投票理由にはつながっていないようですし、犯罪抑止力の再反論も無駄なものが多く、もっと整理して論じられればよかったなぁというところです。練習試合ではリサーチ結果を反映させることが先行してしまい、それを定着させるだけの戦略的な熟成が足りず、役割分担などに課題を残したまま大会当日を迎えたというのが正直なところでしたから、これは仕方ないことでもあります。

2.挙証責任の議論
試合の勝敗を左右したのは、Affが団藤氏のエビデンスで示した、挙証責任の転換があるという議論でした。Negに入れたジャッジも、この議論でAffにきわどく投票したという感じだったようです。死刑論題の特徴は挙証責任の転換が有力な議論として出てくることにあり、事前に準備はしていたのですが、挙証責任の議論を返さないと負けるというシビアな試合を事前にやる機会がなかったこともあり、詰めが甘いままになっていました。

1ACで読まれた団藤氏のエビデンスは、死刑は人間の尊厳からくるところの生命権を制約するものであるから挙証責任はそれを残す側にある、という論理でした。
これに対してNegは1NCにおいて①人間の尊厳=生命権ではなく、生命権は制約されうる、②人間の尊厳を重視する立場からはむしろ死刑が支持される、という2つの反論を用意していました。もっとも、このような議論を出した上で挙証責任の所在まで踏み込んだスピーチができていたかというと、1NCのスピーチを見れば分かるとおり、不十分だったということになります。
この論点について、Affの再反論は必ずしも明確ではなく、再生可能性が重要である(人間の尊厳とイコールであるということでしょう)ということを確認しているものの、一方で再犯DAへの反論においてそれを矛盾する終身刑化の議論を出しており、この点は選択を失敗しているように感じます。Affは2ACで拷問は正当化されないといった議論を出しているのですが、これを生かすという意味でAffがすべきだった反論は①団藤が本当に言いたいのは人間の根源的価値である人間の尊厳は守るべきということであり、生命権は制約可能だとしても人間の尊厳が侵されるとすれば、そのような刑罰の存置を主張する側には挙証責任がある、②死刑は再生可能性を否定し、人の命を奪うという2点で拷問に似たものであり、人間の尊厳を否定するものである、といったところでしょうか。さらに追加して、いかに犯罪抑止に効果的であっても、人間の尊厳を否定する拷問が許されないのと同様に、それを理由とした死刑存置はできない…という主張をしてもよかったでしょう(そういう趣旨だったのでしょうが、必ずしも明確ではなかったと思います)。再犯DAへの返しは終身刑化ではなく再犯率が小さいといったものが望ましかったように思います。

これに対してNegとしては、儀式として正当化されているということを再度強調することのほか、人間の尊厳を守るために、帰責性のある人間についてその尊厳を制約することはやむを得ず、それをも否定する理想主義は、犯罪抑止力のある刑罰を否定することで結果的に犯罪を増加させ、罪なき人の尊厳が蹂躙されることには目をつぶるという意味で到底支持できないという反論ができるでしょう。
ここまで頑張れれば、少なくともDAがある程度立って全体として犯罪が増加するかもしれないとまで言えるという前提ではありますが、Negは十分勝てるはずです。

3.犯罪抑止力の議論
この試合の主要な争点は、死刑によって犯罪が増えるか減るかという部分です。DAのうち一般的な統計の議論についてはNegがあきらめてしまい、この判断には批判もありうるところですが、かなりの量で反論を受けた以上、ここで頑張ることは得策でないように判断した次第です(当然、返しの議論は持っていました)。緻密に再反論していく戦略は一部のドロップで破綻するリスクがある割に旨みがないので、だったら明確に残りやすいヤクザの議論で戦おうというところです。
残忍化の議論については、Affは(おそらく戦略的意図から)なぜ残忍化するのかという理由を述べておらず、事実としてデータを出しているだけですから、ここをもっと批判してもよかったかもしれません。その上で日本の分析として出てきた坂元の議論について、①研究方法が報道の分析にすぎず怪しい、②こちらが読んだバウアーズのエビデンスからその影響のいくらかは減じられる、③ヤクザが国家による処罰と親分からの私刑を比べた合理的判断によって犯行に及ぶというDAについては残忍化と独立して発生する問題である、という反論ができたところです。
最終的に日米比較という形にされてしまいましたが、Affが坂元による日本の研究を持っているからAffが有利、というほど単純ではなく、Negとしては①Affの日本でのデータは死刑が存在している現状のデータに過ぎず、その意味ではアメリカで実際に死刑を廃止した後の研究の方が説得的である、②日本ではヤクザという固有のリスク要因があることをNegが示している以上、これに当てはまらない残忍化のデータを出したところで比較材料にはならない、という指摘が可能でした。この点、もっと考えられたのにそれを怠ったのが残念です。

ただ、犯罪抑止力の議論でもっとも危険だったのは、2ACで読まれたCQリサーチャーで「死刑執行しまくっているテキサスだけで抑止力があった」というものでしょう。これと残忍化効果を整合的に読むと、残忍化効果を上回る抑止力を出すには、今の日本の執行数では足りないという結論が出てきてしまいます。
この資料について、USフロントラインでは「2006年のデータを見直した」ということも言っていて、2005年のCQリサーチャーにも対応できたはずなので、もう少し細かな反論をしておくべきだったところでした。

4.再犯がらみと再生可能性の議論
再犯の議論は結局投票理由として残りませんでしたが、終身刑化していない部分があるということを前提とすれば、その他に反論がなかったこともあって丸々残っていたといって差し支えないでしょう。
Negがすべきだったことは、Affの煮え切らないスタンス(実質終身刑なのか、仮出獄の機会はあるのか)をばっさりと2つに分けて論じ、どちらにせよAffが不利になるということを明示的に示すことでした。
すなわち、実質終身刑とすればそれは囚人を生きながら葬り去ることであり、終身刑になったことのない大道寺が何かしら言っているとしても、ドイツの実証分析の結果ヴェルツェルがいう恐ろしさの方が上回ることになります。一方、仮出獄の機会があれば、それによる再犯のリスクは予測不可能であり、クリアに犯罪増加の危険がある…ということになります。

リサーチのなかでは、Affが再犯DAに対してなしうる反論では「死刑囚は再犯が少ない」というものが有力だと思っていたので、この返しは予想外でした。多分、事前に予想していた反論の方が有効だったと思います。また、さらに突っ込んでいくと、無期刑と死刑で再犯リスクが違うかといえばそうでもないと思われるところ、裁判時の判断で仮出獄の機会付与を判断してしまうのはフェアじゃないという議論を展開しうるところで、僕はこの問題が死刑存廃論のメインになりうるのではないかと考えています。


以上が決勝で出た議論の反省です。戦争リスクなど他の細かな議論については、ちょっと難しかったんじゃないかというのが正直な感想なので省略します(ジャッジもそのように考えたようです)。もっときちんと反論してもよかったとは思いますが。


○ 死刑論題について
この機会に、死刑論題について出てきた主な論点について、ディベート的観点を交えて簡単に批評しつつ、最後に論題に対する僕の私見を述べておきます。

犯罪抑止力の問題
理論や統計などで賛否両論があり、どちらが優勢かというとちょっと判断しがたい情勢にあると思います。ディベート的には、実例として死刑廃止後の国では犯罪が減っているというものがあってAffが有利にも思えるのですが、廃止する国はそういうものだという再反論もあり、それもそうかもしれないというところです。
ただ、長期拘禁も十分に嫌だと考えるのが普通の人間であり、それでもやってしまう人間はきっと死刑でもやってしまうんじゃないか…というのは説得的で、理屈から言うと死刑でなければ抑止できない犯罪というのは相当に少ないような気がします。
残忍化については、これを否定するデータが見つからず、ディベート的には鉄板の論点です。死刑論題でAffが強い理由はこのあたりにあるのですが、実際の犯行動機で「死刑があったから」というものがどれだけあるのかは疑問符のつくところで、深層心理がどうとか言えば説明できるのかもしれませんが、刑事政策上考慮できるレベルの議論なのかと言われると悩みどころです。

犯罪者の人権について
犯罪者に対しても人権は保証されなければならないというのはそのとおりですが、それが制約されないかといえばおそらくそうではなくて、通常人についても一定の制約がある――制約が許されない領域もある。詳細は省きます――のと同様、犯罪者についても犯罪抑止などの理由で人権が制約されうるという議論は十分成り立つと思います。
ただ、犯罪抑止という目的の手段として犯罪者の人命を使ってしまうのは、人間を道具化するものとして、理論的には認めがたいところでもあります。まさにAffが出していた「拷問は正当化できるのか」という問いにつながるのですが、これは難しいところです。詳しくは後で再び述べますが、死刑という制度が何らかの理由で必要とされているという前提を置くとすれば、それを正当化できないとしても、誰かがその苦悩をかぶって運用するほかない…と説明するしかないのでしょう。説明になってないと言われるとその通りなのですが。

再犯について
上で述べたので簡単に書きますが、再犯自体はありうることだと思います。問題は、特別抑止の必要性は死刑と無期刑でそれほど違いがあるとは思われないところ、その違いを正当化する理由があるのかということです。要するに、特別抑止の観点だけから見るなら、再犯の危険がある人間は全員死刑にする(あるいは終身刑)か、あるいは全員釈放の機会を留保するべきであるということです。
ただ、一般抑止の観点もありますから、再犯を死刑存置のメインの理由にするのならともかく、これだけで死刑を廃止すべきとは言いにくいのも事実です。

冤罪について
冤罪が起こりうることについてはその通りですが、その確率は今ではかなり下がっているのではないでしょうか。もちろん、一件でも重大ではあるのですが、それは裁判制度の問題であって、死刑存廃の問題とは関係ないというべきでしょう。
死刑のせいで冤罪を訴えられなくなるとか、拘禁ノイローゼで再審請求に支障を来すという細かな議論もありますが、副次的な問題に過ぎないといわれればそれまでのような気がします。

被害者感情について
現実の死刑廃止論において被害者感情の問題は結構大きいと思うのですが、理屈としては被害者感情を理由に死刑を存置するというのは無理があります。刑罰は被害者遺族を満足させるためのものではないからです。ディベートでもそのような反論は有力ですし、実は被害者遺族は死刑を望んでなくて、一部メディアなどが被害者遺族の声を誤って伝えているといったエビデンスもあります。

個人的な見解
一応このブログは入院日記ということで、法律家志望の一入院患者として、死刑についての私見を簡単に述べておくことにします。
上述の通り、いずれの論点も決め手を欠くところなのですが、個人的な見解としては、死刑が他の刑罰に比して特別の抑止力を持っているかというとそうではないと思います。あるとしても、それはおそらく「死刑は怖いからあると抑止されそう」という印象のレベルであって、実際に治安維持のために重要なことは死刑の有無ではなく、検挙率の高さや適正な裁判といった要素でしょう。死刑が人間の尊厳を確認するための儀式として存在するということを僕のチームは主張したわけですが、実際にそんな意味合いで死刑が宣告されているかは怪しいし、それだけで死刑の存在を説明するというのは難しいのではないでしょうか。
では、死刑は廃止すべきか…というと、理想としてはそうでしょう。しかし、現実的なことをいうなら、死刑になっても仕方ないような凶悪事犯だけに死刑が言い渡されており、そのこと自体には(国民としての視点から)違和感はありませんし、死刑廃止の理由も「ないほうがいい」という程度にしか感じられないので、積極的死刑廃止論者になろうとまでは思えません。人権論などを詰めていくと死刑廃止になるのでしょうが、それだけで刑事政策を説明できるかは疑問があるところです。問題とすべきは安易な死刑の拡大であって、その範囲が適正に限定されていれば、少なくとも「拷問」ということにはならないだけの正当化理由がつくと思います。
ただ、将来法律家になり、死刑判決と関わる可能性がゼロではないところ、そのようなときにどのように考えるかは別物です。個人的には裁判官という職業は魅力的なのですが、死刑判決を下す立場になったとして、それを躊躇なく行えるかというと、そんなことはありえないでしょう。聞いた話ですが、裁判官は死刑判決を出す前日は眠れないし、死刑判決が確定したりすると、その後もずっと悩み続けるそうです。
それでも、裁判官は法律に死刑がある以上、適用すべきときは死刑を適用することが義務だと思います。僕は上で「理想的には廃止すべき」と書いており、法律家は人権を尊重する義務がありますから、そのような場合には理想を貫くべきであるとも思われるのですが、制度として死刑があるのならば、誰かがそれをかぶって運用しなければなりません。第一、死刑ならダメでその他の刑なら大丈夫というものではなく、被告人に有罪として刑を科すことは、一律に「悩ましい」ことであるはずです。そうであれば、人間として同じヒトを殺す命令を下すことが辛いものであるとしても、そのような権限を与えられていることの重みを自覚した上で、下すべき刑を宣告するのが裁判官の仕事であり、死刑廃止論を理由に逃げるのは正しくないような気がします。


最後はごにゃごにゃ書いてしまいましたが、死刑廃止という問題は難しく、簡単に答えの出るものではないと思います。理屈として答えが出たとしても、それでそのまま実行すればいいのかというとそうでもないでしょうし。
そういうわけで、この論題はディベートとしても、ディベートを離れた上で物を考える上でも、興味深い論題だったというのが全体の感想です。

○ ディベート実践への教訓
ここまでが長くなったので簡単に。

1.練習試合をしっかりする
今大会ではそれなりに練習試合をしたのですが、それでもまだ足りないというのが正直なところです。あと10試合練習できていれば、もっと連携もとれて、戦略的なディベートができたような気がします。ただ戦略を考えるだけでなく、実際に試してみて上手く行かない経験などを踏まえて練り直し、自分たちになじむまでトレーニングするのが理想的です。
あと、練習試合はレベルの高い相手も交えていろんな相手とやるのがよいです。特に、強い相手を避けていてはいつまでたっても上達しません。逆に、自分たちより準備の進んでいない相手でも、いろいろ気づかされることはあります。

2.主張を明示的に
敗因である挙証責任の議論からも分かるとおり、自分たちの言いたいことは明示的に述べるべきです。それは、クレームのつけ方やエビデンスを読んだあとの一言でもそうですが、試合全体の構成においても「こういうことを言いたいんだ」ということを全面に押し出すことで表現できます。
議論の内容では返りうるとしても、それを説明してジャッジの中に形作っていかないと、投票してもらえません。第二反駁は比較が大事とかよく言いますが、比較は本質ではありません(ジャッジとしては、よほど適切な比較基準を出されない限り、それだけで勝負を決めることはない)。大切なことは「試合をどうやって見れば勝ちに結びつくか」を提示することです。比較はそのための一手法にすぎないというわけです。

3.試合後の反省を丁寧に
これは、この参戦記を書いていて思ったのですが、一旦終わった試合を振り返ることは非常に勉強になります。何もトランスクライブしろとまでは言いませんが、出てきた議論を振り返り、相手側の展開も含めて「何がまずかったか」「どうすればよかったか」を考えることは、議論を整理し、新しい議論を作り出す上で極めて有益です。


以上で、2007年JDA秋季大会観戦記を終わります。ここまで読んでいただいた方、どうもありがとうございました。何かしらの参考になっているとすれば幸いです。
最後に、JDA秋季大会の出場に際してお世話になった全ての方――大会運営スタッフ・ジャッジの皆さま、練習試合を企画してくれたり試合をしてくれた方々、プレパを手伝ってくれた弁論部員、大会で対戦した方々、決勝で相手してくれた安藤さん・山中さん、そしてパートナーとして苦労をかけた弟――に感謝の意を表して、しめくくりとさせていただきます。
2007年JDA秋季大会参戦記(11:JDA決勝Ⅶ[2NR&2AR])
JDAも近いということで頑張って、勢いに任せて最後までトランスクライブを終えました。というわけで、今日は第二反駁をまとめてアップします。

全然関係ないのですが、今日は学部時代のゼミのOBOG会があります。ガラス棟付属予備病棟では基本的に各学期ごとにゼミに応募する(僕のいた頃は一度も取らなくてよかったが今は最低1回必修だそうです)ことが可能で、僕は一応毎学期とも何かしらのゼミを取っていたのですが、その中で性格に似合わず会社法のゼミなんかを履修したことがあり、そのOB会ということです。
会社法のゼミはいわゆるリア充系(?)のエリートがたくさんいて、僕の同期でも3人現行司法試験に合格した秀才がおりますし、先輩方もその多くが大手事務所の弁護士や裁判官だったりする恐れ多い集団でした。そんなところに僕のようなヘタレ入院患者が顔を出すべきなのかという気もするのですが、先生にはいろいろお世話になりましたので(もっとも、推薦状を書いてもらった某W大ロースクールは志望動機の適当さを突っ込まれて落ちた…笑)、顔だけでも出すことにします。司法試験に落ちたらもっと恥ずかしくてますます行けなくなってしまいそうですし。

以上、当ブログの趣旨にのっとってローにまつわるローテンションなおはなしでした。ここからは決勝スピーチです。

(注意)
1.スクリプトの内容は筆者が独自に書き起こしたものであり、誤りが含まれる場合があります。
2.サンクスワードは省略しています。また、一部編者が[]囲みで注釈やスピーカーの独り言(?)などを入れています。
3.引用された証拠資料のうち出典の分かるものについては引用部の後に()囲みで付記しておりますが、誤っている可能性もありますのでご注意ください。
4.スクリプト掲載の内容(証拠資料含む)を利用されることで発生した問題については責任を負えませんのでご注意ください。

○ 2NR
2NRは僕の担当です。文面からもスピーチのぐだぐだっぷりがにじみ出ておりますが、実際にもぐだぐだなスピーチで、チーム名(ITB-ばるさみこす)からも分かるように、まさにつかさ的な「なんじゃこりゃ~」の2NRになっていました。関係的にはかがみになるはずなんですけどね。…意味の分からない人は気にしないでください。

最初にですね、彼らのまあスタンスと称される始めの議論のほうから見ていきたいと思います。彼らがいろいろ言ってるんですけど、人間の尊厳が大事とかまあ言ってるんですけど、まず一点目に確認してほしいのは彼らが言っている人間の尊厳っていうやつなんですけど、それと生命権を彼らは混同させようとしているんだけど、それは違うんだよってことを私のパートナーが言ってました。だから、生命権っていうのは制約されうると、これはシュライバーさんが述べてますよね。彼らが、なんかその最後に読んだエビデンスで、最新の87年のエビデンスで証明したって言ってますけど、違いますよね。それは、無制限でないという2006年の…すいませんね、こんな年号の話してもしょうがないんですけど、まあ、そういう見解がある。だから彼らが、生命権は絶対であると主張してますけど、人間の尊厳とイコールじゃないんですから、彼らが混同している以上この議論は取れない。ですから、制約されうる。
普通に考えてもそうですよね。私もさっきこれ言った、これもドロップされてるんですけど、デメリットの話ですね、いいですか、普通の殺人者の命と、無辜の人命の命ってどっち考えたらいいかっていったら、それは無辜の人命のほうが大事だってはなししてますよね。だからここも伸ばしてほしいんですけど、要するに、犯罪抑止って目的があって、それも生命権ですからね、それがあるんだったら制約されても仕方ない状況があると思います。
そして、まあ彼ら判例は古いって言ってますけど、判例もそれを肯定しているわけです。少なくともだから憲法違反ではないと思います。これは、彼らはそれを上回る理由を出していないんですけど、少なくとも違憲じゃない。さらに、彼らは条約がどうのこうのって言って何か95条2項…8条2項[98条2項と言い誤った]って言ってますけど、彼らはそういうね、死刑を廃止する条約とか、あるとか言ってませんから、これもね、結局彼らが、その、国際的な精神に反しているっていう証明は、始めからないってことを、確認してください。

次に行きます。彼らがね、もうひとつの議論っていうのは、彼らが前提として言っているのは、死刑じゃなかったら人間の尊厳が守れるってことを前提にしていると思うんですけど、それも彼らはちゃんと証明していない。それに対して私たちは何を言ったかというと、まあ彼らがどういう立場に立たれるか分かんないんですけど、今無期刑っていうのはすごい終身刑化してるんですね。そういうものが、より人間的でないっていうこと言ってますよね。これはですね、あの、再犯のところで言いましたか? このエビデンス伸ばしてください。これが残ってます。これだけで、より人間的でない、つまり彼らの価値観に立ったとしてもより人間的でない、まあ死刑廃止によってそういう結果になってしまう、のであれば、ここに投票してほしいと思います。これは、彼らの価値観にのっとってますからね。はい。

次に行きましょう。残忍化。残忍化という話がありましたけど、まあこれはですね、まず私のパートナーの議論が残っていると思います。まあバウアーさんの話ですね。要するに、はじめから刺激されなくてもやってるんだ。はじめ刺激されてやるっていっても、それは早まっただけだと。まあそれはいくらかかもしれませんけど、少なくとも彼らの読んでいる、坂元ですか、日本の話、まあこれもどういう研究してるのかよく分からないのですけど、これがですね、この数字をそのまま真に受けるなってことは言えていると思います。この中の多くっていうのは、多分まあ三ヶ月後か四ヵ月後かいつかしりませんけど多分やってたんだと思います。まあそれは返ってないと。
さらに、私のパートナーが述べた、規範意識の話を伸ばしてください。これはですね私が反駁の中で述べた、思いとどまっている人がたくさんいるんだっていう本江さんのエビデンスをデメリットの1で読んだんですけど、これと同じだと思います。つまり、思いとどまるようになるって効果が一般的に認められると思います。ですから、彼らの言う残虐化効果だけがあるってことはない。ですからここは投票理由になりません。

じゃあさらにですね、じゃあデメリット1行きましょう。彼らはいろいろ言ってましたけども、これはですね、リアルな実例を取りましょう。ヤクザです。ヤクザ。で、ヤクザについて彼らは、イタリアの話を何かイタリアでは実は、何ですか…何かイタリアでは…何かその戦後の混乱期だから例外だって言ってますけどこれはですね、まあ2ACで言ってほしかったなっていうのが一つあると思います。まあイタリアはですね私、始めから言ってますよね。
で次にですね、まあそれはあるんですけど、私たちの理屈ですね、なぜ、ヤクザが、死刑がなくなると人を殺すのかっていう理屈は完全に落ちてますからこれを伸ばしてほしい。それで、日本にヤクザがいる、いっぱいいるっていうのは公知の事実ですから、ここから、犯罪が増えるということが言えていると思います。
でさらに、でそれが立ったら、まあ犯罪者より一般市民を優先すべきって論理になりますから、彼らがいう生命権の理屈に立っても、これがVoterになる、ってことは考えておいてください。

で次に最後。…最後じゃないですね。あの…リスクがあると。犯…戦争のリスク。これはですね、やはり彼らはクリアにできてなくて、まあ、あの、目の前にある危機を、あのヤクザが暴れないようにするってことの方が、ずっとクリアだと思いますからこれは投票理由になりえないと思います。

でですね、もう一つ最後に伸ばしてほしいのは、あの伸ばしてっていうか…あのですね、これ一番大事な議論っていうのは何かって言いたいんですけど、これはですね、あの、始めのスタンスのところで私のパートナーが3点目ぐらいに述べた理由付けのことで、人間の尊厳を確認するために死刑があるってことです。これ正当化根拠です。彼らは結局、死刑は絶対だめだって話を、結局一つも証明していないと思います。再生可能性の話も、彼らは終身刑の話…何か終身化してるって話してますよね。まあ終身化しないとするとやっぱり再犯が起こってやばいっていうのはこれは認められてると思うんですけど。
でね、死刑ってどういうことか、これはですね、どういうエビデンス読んだかっていうと椎橋さんの話を読んでるんですね。刑罰っていうのは、人間の尊厳の、価値の再確認という正当化根拠があって、儀式として正当化される。これは法的に正当なんだってことをちゃんと私たち示している。ここを伸ばしてほしい。つまりどういうことかっていうと、死刑には今、理由がある。で、それをないっていうんなら彼らに証明責任があって、もうそれがだめなんだと、言わなきゃいけない。だから立証責任はあくまで、肯定側にある、これは私たちが、[時間切れ]意味をちゃんと正当化したから、示している、ということです。


詳細な検討は後日書くとして、ざっと気になったことを書いておきますと、最初と最後にやった立証責任の議論を頭にまとめ、もっと丁寧にやっていれば…というのが一番の反省です。
Negが言いたかった(あるいは言いえた)立証責任の議論は最終的に2段構えになっていて、第一に団藤氏のエビデンスは人間の尊厳に立脚する生命権というロジックで立証責任を転換しようとしているがそれは成立しないということ(関連してAffの言う人間の尊厳は終身刑化した無期刑でも守られないこと)、第二に死刑は人間の尊厳に立脚した正当化根拠があり、逆にそれを否定するAffに立証責任があると考えるべきだということです。このように整理した形で議論を再構成できていれば、多分勝ってたんじゃないかなぁと。
各論については、ここまでの議論を前提とするとこのくらいしか言えなかったとは思います。規範意識の話は「思いとどまる」人のことは統計に出ないという指摘ができたかもしれませんが、これはもっと早く指摘すべきともいえ(エビデンスもある)、2NRのミスというより議論選択のミスだったということでしょう。

○ 2AR
Affの最終スピーチはおそらく日本最強クラスのディベーターである安藤さんが担当しており、見れば分かるとおりほとんど無駄が無く聞き取りやすいスピーチでした。僕のスピーチがつかさだとすれば、2ARはやる気全開のみなみといったところでしょうか。これも意味の分からない人はスルーしてください。
ディベートのスピーチにはいろんな形がありますが、安藤さんのスピーチは極限まで無駄を省くという一つの理想系だと思います(まだ向上できるとおっしゃられるのでしょうが)。他にも、もっと情緒的でねっとりとした(?)スピーチとか、勢いのあるスピーチとか、いろいろ理想のスピーチの形はありうるのですが、無駄のないスピーチというのは純粋に議論の内容を突き詰めるという意味では、競技ディベートの目指すべき理想を体現したものであり、競技ディベートに関わる諸氏としては一度聞いていただきたいところです。

まず肯定側のスタンスの議論を、えー、見てもらいたいと思います。団藤氏の証拠資料、これは完全に落とされています。もし、決定的な証拠がないのであれば、死刑、こういったものは廃止するべきであり、死刑を存置する側こそがこの…検証責任を負うんだ、ということ自体は認められています。
そして、B、主体が日本であるということ、憲法においては、えーと憲法っていうのは日本国が従わなければいけない原理であるということ、このことについても認められています。

そして論点2の点。奴隷制度であるとか、人種差別、拷問。こういったものを皆さん、やらないですよね今。今やろうと主張したら、頭がおかしいって思われるだけです。で、死刑制度は、それと同等のものであるというのが肯定側の主張なわけです。その理由が、論点3のAです。人間の尊厳を奪ってるということです。彼らは、終身刑が人格を破壊する、終身刑がひどいってことを言っていますけれど、終身刑ではありませんから肯定側は。無期懲役です。で、それは何を…何を意味するかというと、彼らが再生可能性を持つことができるということです。この点が一番重要です。そしてそのことは条約においても義務付けられていて、憲法はその条約を守る義務がある、だから日本は、こういった死刑廃止をする義務があるというのが肯定側の主張です。ネットベネフィットとは何の関係もありません。
そして大道寺将治の証拠資料、2ACの証拠資料を、伸ばしてください。死刑は…死刑は全く望みは無いけれども無期懲役であれば、塀の中の人生でも人生であると割り切って、望みを持って生活することができるというのが私たちの主張です。
そしてさらに、1ARの、えー、この議論を伸ばしていただきたいんですけど、殺人犯であったとしても死ぬことが公共の福祉にならないと、はっきり言っているわけです。ですから、少なくとも殺すということまで正当化、否定は否定側はできていません。

続いて…恐慌化[残忍化]の議論。まず、私たちの2ACの議論、これが完全にドロップされています。坂元氏の研究によれば、日本国内においては、恐慌化の影響のほうが、えー抑止効果よりも上回ったと、この議論が完全に落ちています。そして、彼らの議論はアメリカの分析で、全くそれは日本とは状況が違うわけですから、全く当てはまりません。
そして、規範意識がどうこうということを言っていますけど、結局はそれは統計データに現れるものですから、統計的にこういった効果が現れない以上恐慌化のほうを取らざるを得ません。

戦争抑止について。あ、戦争の…抑止について。この点についてもリンク自体は完全に認められています。そして、リスクが小さいとか、リンクがないと言っていますけれど、現に、日本がイラクに対して戦争協力してしまっている。この状況を何とかしなければならないというのが肯定側の主張です。そして解決性でも示されてるように、死刑廃止をすることによって多くのことが変わると鵜飼氏が証明しているわけですからこの証明を崩さない限り戦争のリスクは残ることになります。これは、犯罪の多少のリスク、こういったものははるかに上回るものだと思います。

デメリットに行きましょう。まずデメリットのリンクのところで、統計的データによって争いについては肯定側の議論が、完全に残っています。CQリサーチャーの議論、そして、それはテキサス州のみで、えー抑止効果は多少あったけれどもほかの州では全く無かったと。でそのテキサス州はどういうところかというと、あのー、日本換算で2000件も死刑を執行しなければいけないというような、そういう状況にあるということが認められています。
そして、えーと無期の、無期懲役の方が抑止効果があるというベッカリーアの資料、これが完全に落とされています。それを伸ばしてください。えー、時間効果のほうが、その死刑によるインパクトよりもはるかに大きい、そのことによって私たちは犯罪の抑止をよくすることができるといえます。
そしてマフィアの議論。マフィアの議論というのは、結局、統計に埋没してしまうという程度の数字でしかないはずです。えー、これは、マフィアの…ヤクザの犯罪というのも統計に当然カウントされるわけですから、その統計が、えー恐慌化の方が大きいと言っている以上、マフィアの議論だけで、これで否定側が勝てるとは、とても言えません。そして、私たちの、えーと…2ACの議論。ヤクザの犯罪というのは死刑では抑止できないという議論。これも落とされていますので、これも伸ばしてください。

再犯の議論について。再犯の議論については、え…っと私たちの議論…無期懲役が終身刑化しているという議論を伸ばしてください。終身刑化しているとはいっても無期懲役ですから希望は残っている。ですから人間の尊厳には反しないわけですからこれは肯定側の議論と矛盾しません。


主要な論点について全て言及した上で、Affに有利となる点は全て指摘するというスピーチで、試合をまとめるという観点ではほぼ完璧だったと思います。面倒だったので意図的にスルー(ドロップ)した議論も含めてきちんと伸ばされ、さすがに甘くないなぁと思いながら聞いていました。特に、DA1の犯罪抑止に関しては、テキサス州の議論を伸ばしつつ一般論の部分をきちんと説明されていて、統計データでは勝てていないという印象を確固たるものにされたのが大きかったです。

その上でなお疑問があるとすれば、やはり再生可能性と無期懲役の扱いについてでしょう。Affの言っているのが終身刑でなく無期懲役であるということはその通りですが、Affは2ACにおいて自ら「凶悪犯は丸特無期として終身刑化している」と述べているのであって、その実質は終身刑であるというべきです。もし「制度上は無期懲役である」という理屈が正しいとすれば、死刑を浄化刑とでも言い換えれば人権上の問題はないということにもなりかねず、この点は詭弁といわれてもしょうがないと思います。
Affとしては、2ARの最後で「希望はある」と述べていることをもっと説明して、扱いとしては終身刑に近くなっているけど制度上仮出所は可能であって反省の態度があれば例外もありうるし、死なない以上死刑よりはまし(大道寺のエビデンス)、という形で死刑と無期刑の違いをクリアに示せたと思うのですが、その不備をNegがうまく突けなかったという点も含め、今回の試合を複雑にしてしまった一要素だといえましょう(講評でもそのように指摘されていた)。

次回は、試合全体を振り返り、実際の試合展開で指摘されるべき問題点やありえた他の展開を考察した上で、今大会の取り組み全体を反省してみることにします。
2007年JDA秋季大会参戦記(10:JDA決勝Ⅵ[1AR])
さて、かなり間が空いてしまいましたが、試験も終わったのでJDAのトランスクライブを再開したいと思います。既に今年の前期論題としてカジノ合法化が決まっているところに死刑というのもアレですが、生暖かい目で見ていただけると幸いです。

ちなみに、試験はとりあえず全科目何かそれらしいことは書き付けてきたので、質はともかくとして単位は来ていると思います、多分。

それでは以下、決勝1ARです。

(注意)
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○ 1AR
1ARは1ACと同じく山中さんのスピーチです。文章だと伝わりにくいですが、重要なポイントにアクセントを置いて強調するなど、印象に残るスピーチでした。

じゃあまず論点1、ケースのほうから見てください。論点1のプリザンプションの議論と行為主体の義務。つまり、論題を、我々、死刑がいいかどうかを論じているのではなくて、日本が死刑を廃止すべきかどうかを論じているんです。したがって、日本政府の行動規範、つまり憲法に基づいて議論すべきだということを、ここは完全に認められています。

そして論点2の哲学。進歩の可能性を言ってきました。今がそのあいまいに思えても必ずや人間は前に進んでいきます。ここについても認められています。

それでは論点の3点目、人間の尊厳について。彼らは色々言ってるんですけどまず、第一点に指摘しておきたいのは、定義が食い違っていることです。そもそもケースの定義は、再生可能性を奪ってしまうと、そういう人間を見限ってしまうんだと考え方の人が、人間の尊厳を奪ってるんだってことですので、彼らの反論は全く反論になっていないってことを全体的に確認いただきたいと思います。

で、それについて、憲法において、昭和23年大法廷判決を引用してですね、えー彼らは公共の福祉について制限可能だといいましたけどこれは当たりません。
1点目の反論として彼ら、昭和23年度というはるか大昔の判決を出して、これは今にも適用可能できると証明していません。
2番目。判決が依拠している公共の福祉というロジックだって、公共の福祉というとご存知のように調整原理ですから、死刑を殺すこと…殺人犯を殺すことが、他の人の迷惑を解消するというロジックでなければいけません。これは今回論証されてません。実際には死刑囚は、閉じ込めておけば、無期懲役によって迷惑をかけないわけですから足ります。
で、3番目。このことは実際に[聞き取り不能]なって言われています。岩波金沢大学教授は87年に言ってます。
「ここにいう公共の福祉とは社会の全ての人、全ての国民が調和的に共存するところの福祉であり、そのため、殺人犯人であっても彼の死ぬことが公共の福祉の原則に合致することはありえないのであるから、公共の福祉の原則を根拠に生命権の剥奪、すなわち死刑を肯定することは不可能である」おわります。(出典不明)
この論点によって、我々のそもそものケースのほうが彼らの反論より優れているということで合っていると思います。

で、B、残忍化について。ここは、彼らのデメリットと、もうこれは…対立する議論です。したがって、残忍化が成り立つならば、我々の勝利になります。
で、残忍化について、そもそもケースの1点目と2点目、つまりね、残忍化が起こっているとすると、日本でそれが報道で加速してるんだという二段構えの構造になっていることを確認していただきたい。で2番目については特に反論がありません。
で、ここについて、彼らの…いいですか、ここが大事なポイントです。いろいろなリンクをこの後デメリット出てくるんですけども、最終的には事実はひとつですから、統計効果として殺人が増えたのかどうかというデータによって明らかに論証できるはずです。もしデータによって明らかにならないものがあるという証明…クレームを否定側がするなら、これはプリザンプションを満たしていません。
で、データを見てくとどうなるのかというと、日本においては少なくとも私たちのケースの2番目のエビデンス、報道によってたくさん殺人が増えてるんだということ、で彼らのデメリットというのはアメリカでいろいろあるんだとおっしゃっていますけど、日本とアメリカは違います。これは決定的です。宮本さん、文教大学の国際学部教授は98年に書いています。
「しかし、両国が死刑制度を共通に維持しているといっても、その固有の条件は非常に違う。たとえば、犯罪の発生率。日本は世界で有数の安全な国であり、アメリカは近年、殺人が減ったとはいえ、年間二万件に近い。率にして日本の一〇倍近くで、およそ文明国にはふさわしくない高い犯罪率といえる。」おわります。(1998年『死刑の大国アメリカ』宮本倫好(みやもとのりよし・文教大学国際学部教授)P224)
したがって、死刑には残忍化と、抑止効果の両面があるとして、アメリカにおいては犯罪が多いから抑止効果が見えるだけのことで、日本においてはそもそも犯罪が少ないので、残忍化による弊害のほうが大きいと思います。それが真実です。

その上で、デメリットに対する各論を反論していきたいと思うんですけど、1点目の反論としてイタリアの例、これは彼らが[聞き取り不能]ですけど、当たりません。なぜならそれはですね、ユニークなですね、戦後の混乱期だからです。千葉大学教授、齊藤さんが99年に書いています。
「イタリアにおいては、西ドイツと同様に、戦後の社会的混乱の収拾していない時期に死刑を廃止している。殺人率についてみるならば、死刑が廃止されても増加するどころか、殺人率は減少の傾向にある。」おわります。(1999年『新版死刑再考論[第二版]』齋藤静敬(さいとうよしゆき・千葉大学教授)P26)
したがってこれはあたりません。

で、2番目に、彼らは、期待値の話を所さん[2NCで追加された宮本氏のエビデンスと思われる]の話でしていましたけれど、つまりあいまいであれば否定側に入れてくれと言ってたんですが、当たりません。1点目の反論として、これは所教授の独断に過ぎません。で2番目の反論として、我々のプリザンプションを参照してください。つまり、あいまいであればそもそも肯定側にVoteするべきなんだということを我々はスタートから主張していますので彼ら等の反論は当たりません。

そのうえでC…すいません、順序しますが、あー、C、戦争のリスクについては彼らからは、死刑が直接に戦争に結びつくというリンクはないという反論があるばかりで、これは我々にそもそも当たっていない。我々が言っているのは、段階的に冷静に見ていくとそういう蓋然性が高い、いきなり戦争が起こるとはいいませんが、リスクが高まるという話をそもそもケースで、証明していますので、このリンクを丁寧にたどっていただければ、いいと思います。我々のケースが、確実に起こるというつもりはありません。がしかし、間違いなくリスクが高まるということはそもそもケースで言われています。

最後にデメリットの2番目、再犯について。1点目の反論として、彼らはそもそも可能性があるということは言ってますけれど、ボリュームがどのくらいなのかは証明できていません。で、これについてはプリザンプションが適用されますので、あいまいにすぎません。で2番目として、実際にまあ再生可能性があるということはケースで示しました。


Negの議論にまんべんなく応答しつつ、自分たちが勝ちに行きたいポイントを強調して伸ばすという感じでした。さすがに1ARとしての仕事は外してきません。

その上で細かく議論を見ていくと、やはり人間の尊厳、すなわち再生可能性云々の議論が混乱していて、Affとしてどういう立場を採りたいのかよく分からないという印象がぬぐえません。それは論点1と3についての議論でも出ていて、前者で再生可能性が人間の尊厳だということを伸ばしつつ(これはケースから言われている)、後者では無期懲役で大丈夫ということを述べており、結局とじこめておく=再生は考えない、という議論になっていて(2ACで再犯DAに対してした反論も参照)、議論が矛盾しているとしか思えません。Negもそのあたりをもっと明確に突けばよかったのですが、気持ちに余裕が無くて割り切れなかったのが残念です。具体的には再犯DAを完全に捨てる形でドロップし、無期でも救われないという形でケースを完全に否定してしまうのが上策だったと思います。
Affとしては、再犯に対して「無期でも出てこられないからOK」とやるのではなく、再犯は少ないという返しでとどめつつ、ケースの5枚目で読んだ金澤さんのエビデンスを伸ばして再生可能性と人間の尊厳をリンクさせ、推定の転換を固く守るべきだったのではないでしょうか。判定の中では団藤さんの議論が残って挙証責任がNegだと考えた方が多かったようですが、今回の試合展開やNegの反論(生命権は制約されうる、というもの)を踏まえれば、そのような転換を認めないという判断も十分ありえたと思います。

もうひとつのポイントとなった議論は、残忍化との関連で、犯罪増加の議論を日米比較の話にされてしまったところです。ケースで読まれていた坂元さんのエビデンス(報道で犯罪が刺激されたようなことを言っているもの)がそこまで言っているものとは思えない――そのエビデンス自体は最後にとってつけたように「アメリカの研究と結果が違うのは事情が違うからだろう」のように書いているけど、その考察部分には根拠がない――のですが、Negが出した統計データはアメリカのものですから、こう議論されると印象として不利になるのは否めません。ただ、このあたりも2ACで出てきたテキサス州の議論を引っ張ってくるなど、もっと丁寧にやられていたら、即死ものの議論だったことでしょう。戦争のリスクなどに時間を割いてくれたので助かったわけですが。
日米比較の議論に関していうなら、この議論ではヤクザのリスクを捉えられていないという反論がありえたところでしょう。実際の2NRでは言えませんでしたが、アメリカのデータでは「死刑を廃止した後」の情報が見えているけど、坂元も含む日本のデータは「死刑のある現在」しか見えていないわけで、そこではヤクザが死刑によって抑止されているわけですから、そのリスクは計り知れないわけです。そうなると、いくら「日本では大丈夫」と言ってみたところで、ロジックとしてヤクザの議論が残っている以上、犯罪は増えるという結論に至るはずです。残忍化との比較で言うと何ともいえませんが…

そんなことを思いましたが、後の祭りといえばそれまでで、このあとの2NRでは決め所のないぐだぐだしたスピーチが展開されることになります。次回は第二反駁2つを同時に紹介できればと思っていますが、その後で全体を振り返った反省をするところでまた検討できればというところです。
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