というわけで、先日に引き続いて、大会で見られた議論の中で詰めて考えるべき問題を二、三取り上げてみることにします。
今回は割と実践的なおはなしで、選手にとってもジャッジにとってもしっかりと理解しておくべき問題だと思います。こんなところの記事を読んでどうにかなるものでもないといってしまえばそれまでですが、参考になれば幸いです。
というか、(いつも書いていることですが)そもそも参考にしている人がどれだけいるかというのが根本的な問題ではあります。そのことは一向に構わないのですが、せめて全国大会に出場される常連校のようなチームの選手や、ジャッジをされる方は、ここで紹介している程度の内容については押さえておいてほしいものではあります。じゃあお前は押さえられているのかよ、という突っ込みにきちんと答える自信はありませんので、以下の内容で変な点があったら教えてくださるとありがたいです。
では、本編に入ります。
第2回 論題外性をめぐる諸問題
問題の所在
ディベートでは、論題の是非が勝敗を分ける争点となります。ディベートで一般的に出されるメリットやデメリットという議論も、論題を肯定ないし否定するために提出されるものです。
そうすると、メリットとして評価されるためには、それらが論題の肯定や否定に関係するものでなければならない、ということになります。この観点からすると、例えば、以下のような議論について、これを「論題と関係のある」メリットとして評価できるでしょうか?
【設例2-1】
「日本政府は原子力発電を廃止すべきである」という論題のもと、肯定側は以下のようなメリットを提示した。
○肯定側のメリット「原子力発電所を廃止することにともなって交付される原発立地への補助金により、原発のある地方が発展する」
このようなメリットは、原発を廃止することによって生じるメリットではなく、原発を廃止するおまけで支払われる補助金によって生じるメリットであると考えることができます。すると、このメリットは「日本政府は原発立地に補助金を支払うべきである」という命題を肯定することはできますが、「日本政府は原子力発電を廃止すべきである」という命題を肯定する材料ではないということになります。
とすれば、このような議論は論題を肯定するものではありませんから、いくらそれが事実であるとしても、メリットとして肯定側の投票理由になることはありません。
メリットが論題を肯定する材料になっているか、言い換えればそのメリットが論題から発生するものであるかどうかということは、肯定側の主張の前提として要求されるものです(ディベート甲子園のルール本則2条もそのような原則を示しています)。
この部分を問題にする議論を「論題外性」(extra-topicality)といいます。すなわち、「肯定側がメリットとして主張する利益は論題外の理由から生じるものであるから、論題を支持する理由にはならない」という反論です。
以下では、この論題外性について問題となりうる点をいくつか見ていくことにしましょう。
*賢明な読者の方はお気づきかと存じますが、ここまでの説明では「メリット」の話だけをしており、「論題とデメリットの関係」については触れていません。この点については、肯定側のプランをどう理解するかという関係で検討すべき問題があるのですが、今回は省略することにします。
1.論題外性の判断基準
論題外性とは何か、という点については説明しましたが、論題外性が問題となる議論については、具体的にはどのようなものがあるか、少し説明しておきます。
一般的な試合では、肯定側は論題を実行するための具体的方法として数個のプランを提示します。例えば、原発廃止の論題では以下のような形になるでしょう。
【設例2-2】
「日本政府は原子力発電を廃止すべきである」という論題で肯定側が出したプランは以下の通りである。
1.2008から2020年までに段階的に原発を廃止する。
2.現在建設中ないし計画中の原発は建設を中止する。
3.現在原発が立地している地域には雇用対策の補助金を出す。
4.廃止した原発の代替発電として火力発電所を増設する。
5.その他必要な処置をとる。
このような数個のプランのうち、論題のアクションそのものを実行する方法を示しているのは1と2だけであり、3~5はそれを補助するための追加的措置です。論題外性が問題となるような議論は、上記のうち補助的な追加的措置のみから発生するようなメリットです。
設例2-1のメリットも、設例2-2でいうプラン3から発生しているだけである、ということができます。
論題外性を具体的に判断する方法としては、そのメリットがどのプランから生じているのか、そしてそのプランは論題に示されたアクションを実行するためのものであるのか、ということを見ればよいということです。
もっと簡単な方法としては、「そのメリットは論題を実行しなくても発生しうるのではないか」ということを考えることができます。例えば設例2-1の例で言えば「そのメリットは原発を廃止しなくても、補助金を出しさえすれば発生するのではないか」ということです。この場合、メリットは原発廃止から生じているものではないという疑いがかけられそうだということになります。
(いわゆるカウンタープランによって取り込めるような内容ではないのか…ということです。この点は後でも少し触れます)
2.論題外性の問題を免れる方法
以上のような場合にもかかわらず、論題外のメリットではないと主張する方法も、当然あります。これについて、代表的なものを見ていくことにします。
【設例2-3】
設例2-1と設例2-2のような肯定側の立論に対し、否定側は「肯定側のメリットは原発立地への補助金により発生するものであって、原発廃止とは関係はないから、論題を支持するメリットとしては認められない」と述べました。
これに対して肯定側は「我々の補助金プランは原発廃止を前提としている。原発廃止により雇用がなくなった人々に対し補助金を交付し、地元で産業を興すなどして新たな仕事をしてもらうことで地方が発展するという議論であるから、原発廃止がない場合には所定のメリットを得ることはできない。よって、このメリットは論題を肯定するものである」と論じました。
ちょっと難しいかもしれませんが、上の設例で肯定側が言っているのは「原発を廃止せずに補助金を出すだけでは我々の主張するようなメリットは発生しない。我々のメリットは原発廃止というアクションがあってはじめて成立するのだ」ということです。
このような議論は、メリットが論題と無関係のプランだけではなく、論題のアクションを実行するプランとも結び付いている、という趣旨のものです。こうした議論はよくあることで、例としては「地方分権をした上で補助金をあげると地方が発展する」とか「刑事裁判について学校で教えた上で裁判員制度を導入すると国民の法意識が高まる」といったものが挙げられます。
ここで注意すべきことは、メリットが論題とも関係しているとはいえ、その関係性が極めて弱く、実質的には論題のアクションと無関係のプランにほとんど依存しているという場合には、結局のところメリットと論題の関係はほとんどないと評価されうるということです。
例えば、設例2-3について、確かに原発を廃止して補助金を出した方が効果があるとしても、補助金だけを出してもほとんど同じ効果が出るのだとすれば、結局そのメリットは「補助金によるメリット」というべきである…ということです。このような場合、補助金によるメリットと評価すべき部分については論題外と考え、論題が貢献している部分については論題内として評価する、一部論題外の扱いをすることになりそうです。
カウンタープランを認める場合には、このような議論については、否定側から「肯定側と同額の補助金を出す」というプランを出すことによって、メリットのうち論題と関係ない部分を取り込んでしまうことが可能です。しかし、カウンタープランが認められないルールであっても、このように取り込まれてしまうような部分については、論題外性の問題として退けることが可能でしょう。
このほかに、次のような方法で論題外性を回避する主張もありえます。
【設例2-4】
設例2-1と設例2-2のような肯定側の立論に対し、否定側は「肯定側のメリットは原発立地への補助金により発生するものであって、原発廃止とは関係はないから、論題を支持するメリットとしては認められない」と述べました。
これに対して肯定側は「原発を廃止する際には、一般的にはその立地に対して補助金が出る。日本政府も『もし原発を廃止する場合はその立地に雇用対策の補助金を出す』といっています。よって、原発を廃止すれば補助金が出るのですから、補助金によるメリットは原発廃止から生じるであり、論題を肯定する理由になる」と論じました。
肯定側の主張の趣旨は、「論題の採択と補助金交付の間にはリンクがあるので、補助金によるメリットも論題採択から生じるものである」ということです。普通のメリット同様に解決性をつけにいく(現状では補助金が出ないが論題を実行すると補助金が出る…)というものです。
これは論題外とされた議論を論題内に持ち込むものであり、リンクをきちんと証明できれば、有効な反論となります。
もっとも、このようなリンクの証明は必ずしも容易ではありませんし、カウンタープランが認められるルールの場合、メリットの発生原因となるアクションを否定側のシステムに取り込んでしまうという攻撃を受けてしまいます。
さらにこうした主張の正当性を突き詰めて考えていくと、肯定側が論題採択と付随的政策の採択の間にリンクを示したとしても、それをもって付随的政策から生じるメリットを論題内とすることはできない、という反論を考えることもできそうです。すなわち、ディベートで議論されるのは論題主体が行う行為の是非であって、そこでメリットとして主張されるべきは論題主体の意思決定(論題の採択)によって生じる影響であるから、それに伴って行われる論題主体の別の意思決定については、別途の論題としての検討対象にはなりうるとしても、もともとの論題の決定理由にはならない…という理屈です。
分かりにくいので具体例でいうと、国会で原発廃止法案を審議するに当たって、その採択に当たって補助金を出すかどうかは原発の廃止とは別に審議されるべき問題である(別の法案として審議されるか、原発廃止法案を採択することを前提としたオプションとして審議される)ので、そのようなアクションから生じる影響を原発廃止法案の採択を支持する理由として主張することは不当であろう…ということです。
このような理屈が成り立つかどうかはこの場ではこれ以上議論せずに皆さんの検討に任せるとして、ここではこの節の締めくくりとして、以下の問題を考えることにしましょう。
今年の高校論題で実際に出てきた議論ですので、いろいろ考えてみてください。
【問題2-1】
「日本は18歳以上の国民に選挙権・被選挙権を認めるべきである。是か非か」という論題について、肯定側は以下のようなプランとメリットを提示した。
○プラン
1.2010年から公職選挙法を改正し、18歳以上の国民に選挙権・被選挙権を認める。
2.選挙権・被選挙権の拡大に対応すべく、中学校と高校における政治教育を充実させる教育カリキュラムを整備する。
3.その他必要な処置をとる。
○メリット
プランによって政治教育がしっかりとなされることで、若者が正しい政治的判断ができるようになり、また政治参加への意欲関心も高まるため、政治がよくなる。
これに対して、否定側はメリットの内容が正しいことを前提としたときにどのような反論をなしうるか。また、そのような否定側の反論に対して肯定側はどのような反論(あるいは立論での主張立証)をなしうるか。
同じような問題は「成人年齢の引き下げ」や「供託金の引き下げ」というプランから生じるメリットについても妥当することです。
(筆者の解答については後日追記の形で掲載します。次の問題も同様)
3.ターンアラウンドと論題外性
いわゆるターンアラウンドは、実のところメリットやデメリットとして評価されるべきものです。相手の議論の一部を借りてメリットやデメリットを反転ないし新設するものですから、当然のことです。
ですから、ターンアラウンドに内因性や解決性、固有性などの要素が必要であることは当然のこと、ターンアラウンドは論題内のものであることが求められます。例えば、以下のような議論を考えてみます。
【設例2-5】
「日本は死刑を廃止すべきである」という論題で、否定側は「死刑を廃止すると犯罪抑止力が減ってしまい犯罪が増加する」というデメリットを提示した。
これに対して肯定側は「我々は死刑の代替刑として終身刑を採用しているところ、実は終身刑の方が犯罪抑止力は高い。よって、否定側のデメリットはむしろメリットである」と反論した。
このように主張されると、ジャッジとしては「肯定側のいうことが正しければ、実際にはプランで犯罪が減りそうだから、デメリットはむしろメリットだ」と考えたくなりそうです。
しかし、よくよく聞いてみると、「終身刑だと犯罪が減る」という部分については、死刑廃止とは関係ない話です。すると、この部分についてメリットとして評価することは許されませんから、このターンアラウンドは無効となるわけです。
もちろん、前に説明したように「死刑を廃止した上で終身刑にするからこそ抑止力が出るんだ」という議論で論題外性をクリアすることは可能ですが、そのような特別の説明なしにこのようなターンアラウンドを認めることはできないということです。
なお、「終身刑の方が犯罪抑止力が高い」という主張は、「死刑を廃止すると犯罪が増える」ということへの反論としては問題ない(終身刑のプランによってデメリットが防がれる)ので、デメリットが減じられるという限りにおいて、この議論は評価されることになります。単に「メリットとはできない」というだけだということに注意しましょう。
では、確認のため、高校論題での同様な議論を考えてみましょう。
【問題2-2】
「日本は18歳以上の国民に選挙権・被選挙権を認めるべきである。是か非か」という論題について、肯定側は以下のようなプランを提示した。
○プラン
1.2010年から公職選挙法を改正し、18歳以上の国民に選挙権・被選挙権を認める。
2.選挙権・被選挙権の拡大に対応すべく、中学校と高校における政治教育を充実させる教育カリキュラムを整備する。
3.その他必要な処置をとる。
否定側はこのプランに対して、「選挙権を拡大すると判断能力の低い若者が政治参加して政治が悪くなる」というデメリットを提示した。
これに対して肯定側は「プラン2で政治教育を行うと、若者はきちんとした判断能力を身につけるので、デメリットは発生しない。むしろ、政治教育が行われるようになると、今の大人よりしっかりした判断能力が備わるので、今後の有権者の質はどんどん上がっていくため、むしろ政治はよくなり、デメリットはメリットになる」と反論した。
この反論をどのように評価すべきか。
4.論題外性は主張がなくても採用できるか
最後に、応用問題として、論題外性の欠けたメリットについて、否定側から主張がない場合にジャッジが取り上げて判断することが許されるか、ということを簡単に考えてみます。
この問題は論題外性という議論の性質をどのように考えるかにかかってきます。
論題外性に近い議論として論題充当性(topicality)というものがあり、ここでは「肯定側はそもそも論題を支持していない(論題を満たすプランを出していない)から負けとすべきである」ということが問題とされます。このような主張はメリット・デメリットの次元とは独立に評価されるということになっており、この点については否定側から反論されない限りは問題とされない(肯定側に推定が置かれる)というのが一般的な理解です。
論題外性も論題とプランの関係(論題充当性)を問題としていると考えれば、否定側の指摘がないのにジャッジが勝手に判断してしまうことは許されないということになりそうです。
一方で、論題外性は論題とメリットの関係を問題としており、一般のメリットについての評価と何も変わりがないと考えれば、論題内にメリットがあることにつき証明が弱い場合、ジャッジの専権で評価を下げることができるということになるでしょう。
さらにいうなら、そもそも、論題充当性が論題とプランの関係を問題とした、メリット・デメリットと独立した次元の問題であるという理解が間違いであって、論題充当性はメリットの成立を判断する手段である論題外性の中の特殊な類型として「プランの全てが論題と無関係だから、どう頑張ってもメリットはでない」(論題によって解決される問題として挙げられているメリットは存在しない…という意味で解決性への攻撃となる)という形で把握すべきであるとの指摘も可能かもしれません。この考え方からすれば、論題充当性だって通常の議論と同様、ジャッジの専権で取り上げて構わないという結論を導くことも可能です。
*この点につき筆者の書いた文章として「論題充当性の性質に関する一試論」があります
このように、一筋縄ではいかない問題ではあるのですが、一般論として明らかに理由のない議論については当事者の指摘がなくてもジャッジ限りの判断で否定してしまってよいと考えられること、論題外性についてはプランとメリットのつながりを問題とするものであり、メリット・デメリットの評価と同様に処理して問題はないことから、少なくとも論題外性の議論については、否定側から主張がない場合も、明らかに論題外のメリットについてジャッジの判断でこれを評価しないことが許されるのではないでしょうか。
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