愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
ディベート甲子園ルール逐条解説(9.証拠法(2))
引き続いて今回は証拠資料として使用できる資料媒体の種類や資料集に記録すべき内容について書いていきます。このあたりは実際にはそんな問題にならなかったりもするのですが、生じうる問題についてできる限り論じてみるという態度で書いておくことにしました。その分一つ一つの叙述が薄くなっている感もあります(いずれまとめる際には加筆したいところです)。
書いてみると、僕の記録してきた出典内容も少し不適切な点があったかも(出版年など)という気がしてきたのですが、今後はもう少し意識していきたいところです。

来週はあまり時間をとれないはずなので、早いうちに書き上げてしまい、予告どおりになればというところです。

というわけで今日は前置きは短めにしておきます。
いつもながら、以下の内容は筆者の私見の域を出ないということをお断りしておきます。


5.2 証拠資料の範囲[本則3条1項、細則B-1項、同6項]

5.2.1 総説

ルールは、本則や細則Bにおいて文献等の引用を認める一方、証拠資料として使用できる範囲に限定を設けている。

ルール本則
第3条 議論における注意事項
1.議論の論証のために,文献等をスピーチで引用することができます。引用に当たっては,別に定める細則B(証拠資料に関する細則)に従わなくてはなりません。なお,図や表を証拠資料として見せることはできません。

細則B
1.証拠資料として認められるものは,公刊された出版物で第三者が入手可能なもの,及び,政府の公表した報告書などこれに準ずるもの――インターネット上の情報、独自のインタビューや調査結果など――のみとします。


ルールは、公刊された出版物で第三者が入手可能なものや、政府の発行した書類を中心に、これに準じる資料が証拠資料として使用できると定める一方で、図や表を証拠資料として提示することは認めていない。これは、口頭でのコミュニケーションを重視するという大会の趣旨による(細則B-9項参照)証拠禁止の規定であるが、これは証拠資料の提示方法に着目した規制である。一方で、証拠資料の媒体によって類型的に証拠禁止の規定を置くことも考えられる。ルールではそのような明文はないが、類型的に禁止されるべきと考えられる種類の資料もあるし、ルールにおいても証明力の次元で特別の注意をするよう規定されている媒体があり、資料の媒体ごとに証拠としての適格を判断する必要がある。
もっとも、証拠資料としての適格を認めるかどうかは使用を認めるべき必要性と使用を認める相当性での比較衡量の問題であり、類型ごとに証拠能力の有無を考えるのではなく、個別に証拠として採用できるかを考えるか、証明力の判断における信用性の問題性として評価するという考え方もありうる。しかし、類型的に審判の判断を誤らせやすい資料については、一律に証拠禁止の規制を及ぼすことが判定の公正にとって必要であるし、選手に対する使用可能な証拠範囲の予告という側面からも、証拠として認められる範囲について確定する必要がある。

以下では、まず証拠資料の媒体ごとにその証拠能力の有無を検討した上で、証明力を判断するに当たって注意すべき点について論じる。それを前提とした上で、証拠の提示方法によってその証拠能力や証明力にどのような影響が生じるかを見ていくことにする。

5.2.2 証拠の種類による分類

5.2.2.1 公刊物

証拠資料として引用されるもののうち最も一般的であるのは、書籍や雑誌といった公刊物である。ルールでは、公刊された出版物で第三者が入手可能なもの(細則B-1項)については、明文で証拠能力を認めている。

細則B
2.試合で使用する証拠資料については,以下の情報を記録しておかなければなりません。
○書籍については著者の肩書き(編著の場合編者と該当部分の筆者について。名前についても同じ)・著者の名前・書名・発行年・引用部分のページ数
○雑誌記事については著者の肩書き・著者の名前・引用記事のタイトル・掲載雑誌名・掲載雑誌の巻号・発行年・引用部分のページ数
○インターネット上の情報については筆者の肩書き・筆者の名前・サイト名・情報掲載日付、あるいはそのサイトにアクセスした日付・引用サイトのアドレス


細則B-2項では、書籍と雑誌記事が証拠資料として引用されることを前提とした規定を設けている。ここからも、書籍・雑誌といった公刊物が証拠として認められることが分かる。
書籍や雑誌といった公刊物が証拠として認められる理由は、公刊されることで一般的に入手することが可能となっているという再現可能性の保障のほか、また公刊までの過程で編集者その他のチェックを経ていること、公刊することにより第三者の批判を経るというリスクや出版費用の負担などが生じており、簡単に発行されることはないと考えられることなど、信用性が認められる条件を具備していることにある。この趣旨からすれば、公刊物として書籍や雑誌のみが認められるのではなく、新聞やパンフレットなども証拠能力を肯定できる場合がある。本則3条1項は「文献等」の引用を認めているが、これを受けて証拠資料の代表的類型ごとに記録すべき内容を定めた細則B-2項の規定は、証拠資料として使用できる媒体を規定したものに限定する趣旨ではない。よって、この規定は例示列挙と解し、再現可能性の原則や信用性の観点から証拠能力を判断すべきである。

公刊物に証拠能力を認める趣旨からすれば、自費出版の書物などは十分なチェックが入っていない可能性があり、部数によっては一般的に入手できるものではない可能性があるから、証拠能力を認めるべきでないとも思われるが、出版社から発行されている以上、公刊された書籍としてルール上証拠能力を認められるし、また認めることに問題はないと思われる。信用性については著者の権威性などから十分判断可能である。
一方、同人誌やビラのようなものについては、そもそも「公刊」といえるかどうかも疑わしく、一般的に入手できないという点で再現可能性に欠けることから、特段の事情(発行主体が極めて高い権威性・信頼性を備えていることなど)がある場合を除いて、証拠能力を否定すべきである。

5.2.2.2 インターネット上の資料

細則B-1項は、インターネットの証拠能力を認めている。細則B-2項は、インターネット上の情報について記録すべき出典を定めているが、これはルールがインターネット上の情報を使用することを許容していることを前提としている。よって、インターネットによって収集したデータを証拠資料とすることの適法性はルール上疑うべくもない。
しかしながら、インターネット上の情報は一般的に、公開に際して特別なチェックを受けるものではなく、匿名性ゆえに権威を偽ることも容易であるから、信用性の面で問題がある。またその消去も自由にできることから、再現可能性の原則からも相当でない面を持つ。この点を考慮して、ルールでもインターネット上の情報については信用性につき特別の配慮をすべき旨定めている。

細則B
4.(…)インターネット上の情報,独自のインタビューや調査結果など出典の信用性が低い種類の資料については,その性質に応じてその信憑性が判断されます。


細則B-4項後段では、インターネット上の情報について「出典の信用性が低い種類」であるとし、その性質に応じて信用性を判断すべきとする。これは、インターネット上の資料には全て証拠能力を認めた上で、その出典や内容を厳密に検討すべきという趣旨の規定である。
ここからすれば、公的機関や大学などのサイトに記載された内容は公刊物に準じる情報として通常の資料と同様に判断する一方、私的なサイトについては自費出版の書物などと同様、あるいはそれ以下の内容として証明力の点で不利に取扱うことになる。また、掲示板や個人のブログ、ウィキペディアの内容からの記載は、再現可能性にも問題があり、また筆者が匿名であることから信用性が保障できないため、ルール上証拠能力を認めるとしても、信用性を欠くため、証拠価値はほとんど認められない。

5.2.2.3 入手方法の限られた資料

再現可能性の原則からは、証拠資料は一般に広く入手できる資料である必要がある。それが現在も発行されているという必要はないが、既に原典が存在しないなど、入手が不可能な文献については、その証拠能力を否定すべきである。
この点からは、インターネット上で収集したが後日消えてしまったページの内容について、その証拠能力が問題となる。しかし、一般的に消去されたページもキャッシュとして残ること、そうでない場合もプリントアウトして残すことができることから、別途確認ができる限りにおいて証拠能力を肯定しうる。引用者としては、重要なページについてはプリントアウトするなどの保存措置を取ることが望まれる。

入手方法の限られた資料として特に問題となるのが、個人的な関係で入手した企業の内部資料やその他一般に公開されていない機密資料である。これらの資料は特に信用性が高いと考えられるが、再現可能性の原則や公平の見地から、特定のチームにだけ参照可能な文献に証拠能力を認めるのは妥当ではない。よって、一般に公開されていない機密資料や内部資料については、その証拠能力を否定すべきである。

5.2.2.4 独自に収集した情報

選手が独自に調査して入手した情報を証拠資料として認めうるかには、一般的には議論がありうる。例えば、選手が自ら行ったアンケート調査の結果や、インタビューの内容を証拠資料として引用することが認められるだろうか。
この点、ルールでは独自の調査結果についても証拠能力を認めている(細則B-1項)が、再現可能性の原則や信用性の観点からは、独自に行われた調査やインタビュー結果については、証拠能力を認めるべきではない。そのような結果は公刊されているわけでもなく、実際にそのような調査が行われたことすら確認できないのであるから、再現可能性の原則からは許容し難いし、その信用性についても類型的に否定されるべきものと考えられる。にもかかわらずそうした資料の使用を認めているのは、ディベート甲子園が学生(とりわけ中学生)の参加を前提としていることから、生徒が論題に独自に調査することを推奨するという学校教育的な配慮があるのであろう。しかし、ディベートの目的はあくまで議論教育であり、調査能力や社会科の学習とは無関係であるから、そのような配慮をする必要はないだろう。
以上、ルールがインタビューや調査結果の証拠能力を否定しないことには大いに疑問があるが、明文で認められている以上、このような資料にも証拠能力を認めざるを得ない。

ただし、独自に収集された情報については、その信用性について特別な配慮が必要であるとされている(細則B-4項後段)。独自の調査については基本的に信用性を低く見積もるべきであるが、調査の手段などが不明である場合などは、信用性のない資料としてこれを評価しないなど、特に注意する必要がある。

5.2.2.5 外国語の文献

ディベート甲子園は日本語でのディベートが行われることを前提としている。そこで、試合中に外国語の文献を引用することができるかが問題となる。
この点につきルールは明文を置いていないが、外国語によるスピーチが認められないことは当然であろう。日本語によって試合が行われる以上、外国語の部分について審判に理解することを期待することはできない。
問題は、外国語の文献を選手が日本語に翻訳して用いたという場合である。ルールはこのような使用を禁じていないが、翻訳の正確性に疑問があるため、これに証拠能力を認めてよいかが問題となる。この点については見解が分かれうる。被翻訳文献が公刊物あるいはそれに準じる資料として引用を認められている以上、それを翻訳して引用する行為は、証拠能力の問題ではなく信用性の問題として評価すべきであるとも思われるが、翻訳の正確性についてはこれを確認することが難しく、少なくとも当該試合において確認することは不可能であると思われることを考えると、選手(あるいはその指導者)が自ら翻訳した資料の証拠能力は否定されると考えるのが無難であるように思われる。

ところで、外国語の文献を翻訳しているにもかかわらず、そのことを明示せずに主張を行う行為は、証拠能力を認められない資料であるにもかかわらず、証拠能力を備えた資料としてこれを提出しようとするものであり、それが判明した場合には証拠排除はもちろんのこと、悪質な引用として敗戦の理由になりうると解すべきである。
これは、翻訳した資料に証拠能力を認めるとする場合でも同様である。すなわち、翻訳という信用性を下げる事実を隠蔽する行為は、出典を偽ったり内容を改竄する行為に準じて処罰されるべきである。

5.2.2.6 選手自身の著作物

証拠資料による証明が認められているのは、選手の主張を離れた客観的な見解により試合の前提を補充する限りでのことである。とすれば、選手自身の著作物を証拠資料として認めうるかどうかが問題となる。中高生が自らの権威性により著作物を作成したところで証明力をほとんど認めることができないと思われるため、ディベート甲子園でこの点が問題となることはないであろうが、一般論として検討しておく。

結論から述べると、選手自身の著作物についても、証拠能力を制限する必要はないというべきである。選手自身の著作物とはいえ、公刊された時点で客観性を帯びるのであって、他の資料と区別する必要はない。また、ディベートでは選手個人の思想・権威性と議論の内容は分離されることになっており、この点からも選手と著者が同一であることをもって議論の評価に影響を及ぼすことは妥当でないだろう。

5.2.3 提出方法による分類

5.2.3.1 口頭による引用

ディベートでは、一般的に口頭による引用で資料が提示される。ルールにおいても、基本的には口頭での全文引用を想定している。

細則B
5.証拠資料を引用する際には,原典の文面をそのまま引用しなければなりません。ただし,元の文意を損なわない範囲で中略を施すことは,そのことを引用中に明示する限りにおいて許されます。


引用方法の詳細については後で論じるが、口頭で引用を行う場合は、原典に忠実に資料内容を提示しなければならない。なお、図や表を引用するという場合は、当該図表の情報内容(数値、項目名など)を正確に読みあげる形で提示することをもって引用とすることができる。

5.2.3.2 要約による紹介

問題となるのは、証拠資料を選手が要約した形で提示することを「引用」と解することができるかという点である。証拠資料が冗長であるような場合、要約して重要な部分だけを伝えたいという要求があるが、一方でそのような資料提示の方法には引用者の恣意による内容の歪曲という危険性が高く、これを認めるべきではないとも思われる。
この問題については様々な見解があるが、そもそも要約した内容を提示することが「引用」にあたるかという基本的な疑問から、要約された内容自体に証拠資料としての価値を認めるべきではないと思われる。一般の議論現場においては他の見解を正確に引用して提示されることがないとはいえ、そのような議論では発言者の信用性などを加味した上でそのような見解が真実に存在すると判断することになろうが、競技ディベートでは発言者たる選手には特殊の権威性・信用性がないものとして扱うのであって、その上で選手の提示する情報に特別な権威・信用性を付与するための手段が証拠資料である。そのような効力をもつ証拠資料として認められるためには、権威性の源泉たる原典の見解を正確に引用することが求められる(これによって、選手が援用していると主張する資料の信用性と、実際に提示された見解に与えられるべき信用性との同一性が担保される)。

以上より、要約された部分は証拠資料としての効力を持たず、せいぜい選手の通常の主張と同様の意味しかもちえないことになる。
ただし、証拠資料のうち背景の説明など正確に引用することの意味が乏しい部分については選手の側で適宜要約し、その上で重要部分につき全文引用の形式を取るという提示方法は、要約による説明が引用部分の説明として適切であると認められる限りにおいて、証拠資料の内容を補足するものとして認められよう。例えば、統計による分析結果を引用するにあたって、前提となる統計データの内容について選手の側で要点を説明し、その上で著者の分析結果を引用により紹介するということが考えられる。この場合、証拠能力が認められるのは引用された分析結果のみであるが、引用された証拠資料の部分を理解するに際し、選手から説明された前提部分の内容を加味して信用性の判断に供することは許されることになる。
なお、このように考える場合、証拠資料の説明という形で要約した内容に虚偽が含まれていた場合の処理が問題となるが、これは証拠資料の評価を誤らせる行為であるといえるから、全体として証拠資料の引用を不適切ならしめるものとして、通常と同様に違法性を判断すべきである。

5.2.3.3 録音の再生による提示

理論的な問題として、証拠資料を録音の再生という形で提示する方法が認められるかが問題となる。このような方法で証拠資料が提示される場面としては、口頭で引用できる資料を事前に録音したテープの再生によって提示するという場合と、音楽や演説など、録音の再生によってしか提示できない資料を録音の再生によって提示するという場合が考えられる。

前者のような引用は、実際に行われている例はないが、もしそのような形で資料が提示されたとしても、その証拠能力は否定されるべきである。なぜなら、事前に吹き込んだ内容をスピーチの一部として試合で発表することは、「そのステージに立っている」選手とは別の選手にスピーチさせる行為と評価すべきだからである。この理は、録音者がそのステージを担当している選手と同一であっても変わらない。このようなスピーチは通常のスピーチとしても認められない。
一方、後者のように、録音の再生によってしか提示できない内容を録音の再生で提示する行為については、ディベート甲子園のルールが証拠資料の「引用」として証拠法の規定を定めており、原典である録音内容をそのまま提示することは想定していない(細則B-9項は「口頭」でのコミュニケーションとする)と考えられること、また細則B-1項が公刊物や政府の報告書など、文字媒体での資料にのみ証拠能力を認めていることから、ルール上は証拠として認めることができないとも思われる。しかし、録音の再生でしか提示できない内容については、これを録音の再生により提示する必要性は高い(他に代替手段がない)こと、一方でそのような提示方法は口頭による音声でのコミュニケーション方法と基本的に同一であり、また公刊性や再現可能性を証拠能力を認められた他の資料と同様に認めることも可能である。よって、明文に規定はないが、録音の再生でしか提示ができないという特別の事情(補充性がないこと)がある場合、録音の再生による資料の提示を認めるべきである。

なお、録音の再生によるプレゼンテーションがディベートの試合でなされることは通常考えられないとも思われるが、アメリカのNDTでは音楽によるプレゼンテーションがなされるという例も存在する(是澤克哉「2004年度日米交歓ディベート活動報告」)。
同様の行為がなされたという場合、証拠資料としての関連性が問題となる(そもそも特定の要証事実を想定したものではなく、審判に心情的に訴えかけることを目的としているようにも思われる)が、このような試みをスピーチの一環として評価することはディベート甲子園のルールにおいても認められてよいのではないか。

5.2.3.4 視覚的な手段による提示

ルールは、明文で図や表の視覚的な提示を認めていない。

ルール本則
第3条 議論における注意事項
1.議論の論証のために,文献等をスピーチで引用することができます。引用に当たっては,別に定める細則B(証拠資料に関する細則)に従わなくてはなりません。なお,図や表を証拠資料として見せることはできません。

細則B
9.本大会では,図や表の掲示は認められません。なぜなら,本大会は口頭でのコミュニケーションを重視しているからです。


細則B-9項にある通り、これは口頭でのコミュニケーションを重視するという趣旨によるものである。審判が判定材料として考慮する情報は全てスピーチによって提示される必要があり、スピーチに付随して視覚的な手段によるプレゼンテーションを行うことは許されないということである。ディベート一般においてはこのような規制を設けるべき必然性はないが、ルールが明文でこのような規定を置く以上、視覚的な手段により提示された内容には証拠能力を認めるべきではない。図や表の掲示のほか、映像でのプレゼンテーションや、審判に文書を配布する行為についても同様である。

5.3 証拠として記録すべき内容[細則B-2項]

5.3.1 総説

ルールは、試合で使用しようとする証拠資料について、内容のほかに出典として一定の内容を記録するよう規定している。

細則B
2.試合で使用する証拠資料については,以下の情報を記録しておかなければなりません。
○書籍については著者の肩書き(編著の場合編者と該当部分の筆者について。名前についても同じ)・著者の名前・書名・発行年・引用部分のページ数
○雑誌記事については著者の肩書き・著者の名前・引用記事のタイトル・掲載雑誌名・掲載雑誌の巻号・発行年・引用部分のページ数
○インターネット上の情報については筆者の肩書き・筆者の名前・サイト名・情報掲載日付、あるいはそのサイトにアクセスした日付・引用サイトのアドレス


これは、証拠資料が適切に引用されているかを確かめるために原典を確認することができるよう、詳細な出典の記載を要求しているものである。すなわち、細則B-2項の規定は再現可能性の原則を念頭において置かれているのである。

細則B-2項の趣旨が以上のようなものであることから、ここで要求される記載内容は試合中での引用に際して述べられなければならない出典(細則B-3項参照。詳細は5.4.1.1)の内容より詳細なものになっている。資料集に記載されるべき出典は確認の必要性が生じたときにこれを可能ならしめるためのものであり、信用性を確認するための出典情報より多くの記載を必要とするということである。

5.3.2 資料集に記載すべき内容

細則B-2項は、書籍、雑誌及びインターネットについて、それぞれに要求される資料集への記載内容を定めている。前節で論じたとおり、ここに規定された以外の資料も証拠能力を認められるが、それらの資料について記載すべき内容は、同項に規定されたもののうち性質が近いと思われる規定の要件に準じ、再現可能性の原則を満たす上で相当と考えられる程度に記載をすれば足りる。
以下では、それぞれの要件に共通する要素について留意すべき点についていくつか触れておく。

著者の肩書きについては、当該文書の執筆当時の肩書きを記載する必要がある(引用の際も同様)。著者の肩書きは、証拠資料の信用性にかかわるものであり、当該資料の執筆された当時の権威性を明示すべきである。これは、その後著者の権威性が変動したとしても、それによって証拠資料の価値が遡及的に変動するものではないことから明らかであろう。一方、著者の名前につき、婚姻その他の事情で改姓がされたなどの場合は、現在の姓名で記載することが許される。これは、真正の著者と当該資料の執筆者の同一性を示す必要性があること、また姓名によって証明力に差異が生じるものではないことから許される。

発行年については、当該証拠資料の発行された時期を記載すべきことは明らかである。書籍の場合は、引用した資料の版が発行された時期を記載する。ここで、この時期について版次発行年(当該資料の第1刷発行時)を基準とするか、刷次発行年(当該資料の発行時)を基準とするかが問題となる。この点、刷次発行年を基準としてよいと考える根拠としては、新しく刷られた時点で内容がその時点の著者によって再承認されていると見られることを挙げられるが、筆者が内容について実質的に関与するのは改版など内容を修正した時点に限られると思われること、また刷次発行年を基準とすることは同一内容の資料について複数の発行年が存在することになり、不適当であるように思われる。
従って、発行年は版次発行年を基準に記載すべきである。例えば、1990年初版発行、1995年第2版発行、1998年(第2版)第10刷発行という資料の場合、1995年を発行年として記載することとなる。

その他類型別に留意すべき点について説明しておく。
書籍について、論文集など、実質的には雑誌と同一視できるものについては、雑誌記事の記載要件に準じ、書名とともに論文のタイトルをも記載すべきである。
インターネット資料については、発行年について、情報掲載日付かそのサイトにアクセスした日付を選択的に記載すれば足りるとされている。しかし、ルールがこのような選択を許しているのは、情報の掲載者が内容について関与したのは情報掲載日付であると考えられるために本来なら情報掲載日を記載すべきところ、インターネット上の情報には情報掲載日が明記されていないため、アクセスした日付で代えることを許しているというものである。インターネットでの情報は筆者が不適当と認めた時点で容易に修正・消去が可能であるから、アクセス日においてそのような修正がされていないことをもって筆者の黙示の承認を認めうることからかかる代替的記載が認められてはいるが、情報掲載日付の記載がより望ましいということはいうまでもない。よって、可能であれば、情報掲載日とアクセス日の両方を記載するべきである。

5.3.3 違反の効果

細則B-2項に規定された記載要件が満たされていないという場合、どのように処理すべきであろうか。
この点につき、ルールは特別の規定を置いていない。従って、規定された記載要件を満たしていないということをもって直ちに反則その他の処分を下し、当該資料の証拠能力を否定することはできない。

しかし、同項が資料集への出典記載を要求しているのは、資料確認の必要性があるときに確認を容易とするためのものであった。ここから考えると、資料確認の必要性がある疑いが生じた際に、当該資料について規定の記載要件を満たしていないという場合、そのことによって当該資料の証明力を下げてもよいと解すべきである。
また、記載要件を満たしていなかったことにより資料確認ができなかったという場合、当該資料について証拠能力の具備を証明できなかったということになり、当然に証拠能力を否定されることになる。

*引用の方法(5.4)、違法な証拠資料(5.5)については次回に回します。
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