2007-08-12 Sun
だいぶ間が空いてしまいましたが、去る8月4日~6日に第12回ディベート甲子園が開催され、無事終了しました。結果は創価が中高ダブル優勝ということで、どうもおめでとうございます。僕は試合運営委員という仕事で運営スタッフに回っていたので、ジャッジをしたのは中学校の1試合のみで、ほとんど試合を見ておりません。最終日の決勝戦は全て見ていましたが、裏でスクリーン表示のために入力係に議論を記録伝達するという地味な仕事(皆さんスクリーンは見てないですよね…)をしながらということで、きちんとフローを取れていません。
というわけで議論の内容について論評することは残念ながらできないのですが、感想という形で大小3つのテーマの雑感を書かせていただくことにします。
1.中高生ディベーターが今後努力すべきこと
あまり試合を見られていないわけですが、ジャッジした試合と決勝の3試合(即興ディベート含む)を見た感想として、ざっくりと思うところを書いておきます。
これは最近の傾向としていえることですが、ディベート甲子園に出場される皆さんのスピーチレベルは、昔に比べて劇的に向上していると思います。聞きやすさという点では、僕がどうこういうレベルではありません。高校決勝の反駁の中には早くて聞き取りづらいものがあったという声も聞かれたのですが、僕からすれば余裕で許容範囲内でしたし、競技ディベートとしては全く問題ありません。
(パブリックディベートとしてどうなのか、という点は、目指すべきスタイルとの関係で問題となりうるのでしょうが、ディベート甲子園が競技大会として開催されている以上、彼らのスピーチは競技ディベートの基準で評価されるべきだと僕は考えます)
では、議論の内容としてはどうだったのか。予選リーグなどではまだまだ不十分な議論もあったということを他のジャッジから伺いましたが、全体のレベルとしては、過去の大会に比べて着実に向上しているというのが僕の印象です。平均的に底上げされていて、どの出場校も一応の水準を満たすようになった…という感じでしょうか。
決勝戦についても、多くの人が賞賛していた昨年のそれと比べても、今年はレベルの高い試合がされていたと思います(この点は賛否両論ありそうですが)。昨年の決勝戦では両チームとも全体が見えておらずに伸ばすべき議論が落とされていたと感じましたが、今年は両方とも勝つために議論すべき点についての意識が高まっていたような気がします。
ただ、議論の内容についてはまだまだ改善の余地があるはずです。個々の論点の分析についてはリサーチされた選手の方々の方が詳しいはずなので、ここでは議論の構成や比較の便法について述べておきます。
議論の構成について言えることは、多くのチームが「メリット・デメリットを証明するために何をいわねばならないのか」ということについて十分な理解を欠いているということです。
詳しくは述べませんが、ディベートで議論されるべきことは「プランの取られていない現状とプラン後の違い」ですから、メリット・デメリットともに、現状とプラン後の差異を認識した上で議論を組み立てなければなりません。それを説明するためにいわゆる内因性や解決性といった概念があるわけですが、選手の皆さんにとってこれらの要素が「ラベリングの一種」という程度の認識にとどまっているような気がしてなりません。
それが如実に現れたのが、即興ディベートの内容だと思います。即興ディベートは大舞台でのスピーチという緊張感や、十分準備時間が与えられないというハンデから、非常に難しかったと思うのですが、それにしてもベスト8まで進出したチームの議論としては、立論の内容に不備があったということは否めません。
即興スピーチであったとしても、論題を肯定・否定するために論じるべきことは通常のディベートと同様です。すなわち、肯定側はプランがないことで現状に存在する問題点を指摘し(内因性)、その問題を解決すべき理由を述べ(重要性)、プランによってそれが解決することを論じる(解決性)ことになります。否定側は、現状には問題がないこと(固有性)、そのような状態でプランを導入すると新たに問題が発生すること(発生過程)、その問題が回避されなければならない理由(深刻性)を議論します。
この枠組に落とし込めば、「日本は18歳青年に社会奉仕活動を義務づけるべきである」という決勝論題の肯定側立論は、いとも簡単に完成するはずです。例えば、以下の通りです。
*実際に決勝で議論された内容を参考にしています
メリット:社会奉仕活動の活性化
1.現状の問題(内因性)
・現在社会奉仕活動に参加する人が少ない
・その理由は社会奉仕活動に触れる機会がないからである
2.問題の重要性
・必要な社会活動が行われておらず、苦しんでいる人が多数存在する
・社会奉仕という有意義な活動に触れられないことはそれ自体よくない
3.解決性
・若いうちに社会奉仕を体験することでそのよさに気づき、その後も社会奉仕活動に興味を持つようになる
・若者の活動を見て成人も刺激を受け、社会奉仕活動に参加するようになる
・社会奉仕活動が盛んになり、社会が豊かになる
ディベートの基本的考え方を身につけていれば、上記のようなプロットは5分もかからずに完成するはずです。
こうした考え方が十分身についていないということは全てのチームにいえることで、例えば、高校決勝戦の肯定側立論も、個々の議論は優れた証明がされていたものの、全体の構成としては趣旨不明瞭な点があり、構成として改善の余地がありました。
今後ディベートに取り組まれる皆さんには、論題を肯定・否定するために主張しなければならないこと、そしてそれをどのように構成しなければならないのか、ということを今一度考えてもらえればと思います。これは難しいことではありませんので、今回のような難しい論題について考え、議論してきた皆さんであれば容易に理解できることだと思います(単に体系的指導を受ける機会がなかっただけのことです)。
指導者の皆さんも、上記のような基本的な部分をきちんと選手に伝えてあげるようにしていただくようにしてほしいと思います。そうでなければ、選手が一生懸命考えた議論がジャッジに伝わらず、もったいないことになってしまいます。
話は変わりますが、少し高度なこととして、議論の比較についても述べておくことにします。
議論を比較するにあたって重要なことは、重要性・深刻性をきちんと議論しておくということでしょう。発生の程度で比較を行うこともあるでしょうが、比較で最も難しいことは、異なる価値について論じた議論を比べるという作業にあるからです。
その文脈でいうと、重要性や深刻性と称して「人の命は大切」などと論じるだけの議論には何の価値もありません。そもそも、そのようなことは言われなくても了解していることであり、議論として述べる意味はありません。論じるべきなのは、その価値が論題を争う文脈でどのように位置づけられるのか、他の異なる価値と比べたときにどのように重要であるのか、ということです。
この点を書き出すと長くなるのでこの辺でやめておきますが、それでは無責任なので具体例をいくつか述べておくと、中学論題で言えば「国家がコンビニ経営者の労働環境を保護すべき理由」とか「現代社会において深夜営業の利便性が優先されるべき理由」が論じられるべきであり、高校論題で言えば「若者も含めた幅広い意見が反映されるべき理由」や「能力に欠ける選挙権者が投票に参加すべきでない理由」をしっかりと述べてほしかったということです。
このような課題について、決勝戦に進出していたチームは、ある程度達成していました。その意味で今年の決勝はなかなか高いレベルにあったと感じたわけですが、そうしたチームには、もう一歩進んだレベルとして「価値基準へのあてはめを丁寧に行う」ことを目指してほしいところです。
高校決勝戦で言えば、肯定側が「納得できるよう政治参加する『手続』が大事」と主張し、否定側が「政治は『手続』だけでなく『結果』が大事」と頑張っていました。このレベルの議論ももっと戦わされてよかったとは思いますが、むしろ今後意識されるべきは、せっかく出した価値観に従って争点を形成・整理することです。
決勝の例で言えば、肯定側は、選挙権拡大によってユニークに納得の度合いが拡大するというストーリーをもっと明確に伸ばすべきでしたし、否定側は悪い結果が出るというリスクを明確に出せるように、関連する議論をもっと強調すべきでした(両チームとも意識していたとは思うのですが、立論・第一反駁の時点から出す議論をより精選できたはずです)。
上記2つの課題(構成と比較の問題)は、両方とも「『論題の肯定/否定』ということの意味をしっかり考える」ということにつながってきます。ディベートに慣れてくると、何となく個々の議論で説得的なものに飛びつきがちですが、それらの議論と最終目的である論題の是非という部分については、軽視されがちな気がします。
ジャッジが聞きたいのは、なぜ論題を肯定ないし否定すべきなのかということだけですから、常にその命題と関連付けて議論を考えるという姿勢を作っていただければ、試合でも勝てるようになるし、実際に役立つ議論能力の育成という面でも大きく進歩するはずです。
2.ルールの理解
いきなり偉そうな長文を書いてしまいましたので、ここからは省エネモードでお送りします。
僕が今大会で唯一ジャッジした試合では、肯定側の資料請求に対して否定側がなかなか資料をみつけられず、資料を渡すのが大幅に遅れたということがありました。他の試合では、相手の準備時間中に資料請求を行うということがあったようです。
資料請求の点については、読んだ原稿をそのまま渡すようにすればよかったわけですが、とっさに請求されるとそのように考えることは難しかったのでしょう。とはいえ、請求した側としては、反駁準備のため認められた資料請求が実現しなかったことは不満であり、何とかしてほしかったというところでしょう。
これは資料請求についての問題ですが、他にもルール上選手に許されている行為や、逆に禁止されている行為は多数あります。そうしたルールについて、選手の側でもきちんと理解してほしいし、選手をフォローするという意味で、ジャッジにもきちんとルールについて考えていただきたく思います。
前々から続けて書いているルール解説がそのことにいかほど貢献するのかは分かりませんが、ルールについて様々な角度から検討してみるということは、無駄なことではないと思います。ただ、選手の皆さんにそのような手間を取らせることは教育的にあまりよいこととも思えないので、ルール解釈の問題はこのブログで可能な限り取り上げてみようとは思っています。本当は試合運営委員会でしっかり議論すべきではあるのですが、なかなかそのような時間は取れませんので。
3.大会運営について
今回の大会も無事に終わったのですが、それは参加者の皆さんのおかげであるとともに、皆さんが試合できるよう準備してくれたスタッフや、試合を判定したジャッジのおかげでもあります。
特に、皆さんには見えないところで、会場の設営や誘導、結果の集計など裏方を引き受けてくれたたくさんのスタッフがいなければ、ディベート甲子園というイベントは成立しませんでした。
僕は運営担当といいながらも控え室に座っていたりカレーを食べていたりであまり仕事をしなかったのですが、大会に不測の事態が起こらず、僕がのんびりカレーを食べられていた(そして皆さんが試合に集中できていた)のは、スタッフの方々の見事な働きのおかげです。
そうしたサポートがあって大会が成立していたということにほんの少しでも思いを致していただけると、大会運営に関わった者として、とてもうれしく思います。
以上、乱文になってしまいましたが、第12回ディベート甲子園の感想です。
今年も多くの選手がディベートに打ち込み、その中でたくさんのドラマが生み出されてきたことと思います。そのような場面に立ち会うたび、個人的にも心打たれるところがあり、ディベート活動にコミットする動機をもらっています。今年も、裏方とはいえ、選手の皆さんが楽しそうにしている姿を見ながら、気持ちを新たにすることができました。
この3日間が、皆さんにとっても、忘れられない大切な思い出になることを願って、今日の内容を終わらせていただきます。