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アカデミックディベーター

Author:アカデミックディベーター
日当たりの良い某法科大学院を2009年3月に卒業。
ライフワークである競技ディベートについてぼちぼち書いています

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ディベート甲子園ルール逐条解説(12.議論の規律(2))
前回に引き続き、議論の出し方について――審判からすると判定材料として扱うことの可否――を検討していきます。今回の範囲は基本的に私見バリバリで、ディベート理論として先行の議論がある場所ではない(少なくとも僕は知らない)ので、半分妄想みたいな世界になっています。

前回の予告で新出議論まで議論すると書いていたのですが、割と長くなってしまったので一旦切り、新出議論の部分は改めて書くことにします。
もっとも、気がつけば休みも残り少なく、またご丁寧に後期の授業での予習課題が指定されていたりもするので、入院生活との兼ね合いで次回の解説を書くのは若干遅くなるかもしれません。JDAに向けてのリサーチもありますし。まぁ誰が困るというわけでもないのですが、一応読んでいただいている方もいるようなので、そういうことでお願いします。

さて、今回でルール解説も12回目となり、いろいろと細かいことを書いてきましたが、もしかしたら「ジャッジとかクソ面倒だな」と思われた選手・関係者の方もいらっしゃるかもしれません。確かに面倒でないと言ったらウソになる(試合だけ見ているのが一番楽)のですが、ジャッジングをすること自体はそれほど難しいものではなく、ここで取り上げているような問題に実際に遭遇することはそれほど多くありません。結局のところジャッジに必要なのは最低限の議論理解能力と相応の責任感、そして選手に対する経緯と教育的意識だけです。このコーナーでいろいろと書いている動機は、7割が自分の趣味で、残り3割が自分がジャッジングをきちんと考えるためのきっかけ作りです。この記事を書くに当たって初めて考えてみたこともあるわけで、その意味では今のところ目的は割と達成されているのですが、お読みいただいたディベート関係者の方が少しでもルールの解釈論その他に興味をもち、ディベート活動に役立てていただけているとすれば、筆者にとって望外の喜びです。

…と、何か前置きを書かなければならないと思うと、上記のように変なことを書いてしまいます。別に前置きはいらないのでしょうが、書きだす前の気分ということで御容赦ください。
それでは本編に入りますが、例によって、以下の内容は公式な見解でもなければ正解を保証するものでもないということを最初にお断りしておきます。


6.3 主張の方法

6.3.1 総説

ディベートにおいては様々な内容の議論が提出されるが、それらは選手による主張の単位で認識され、判定の基礎として考慮されることになる。論題の肯定ないし否定をいうための投票理由(メリット、デメリットや論題充当性、その他価値的な議論など)はもちろんのこと、それを支える理由についても、主張として提示されることではじめて審判の判定材料とされるのである。証拠資料についても、それが証明しようとする主張との関係ではじめて価値を有するものであり、単に事実として提出されるのみでは、具体的な主張を欠く趣旨不明瞭な議論として審判に取り上げられることはない。

以上のように、ディベートでの議論は主張の単位で評価されるのであるが、審判に対してどのような形で主張の審理を要求するかという観点から見ると、選手のなす主張の方法を複数観念することができる。単純に特定の事実ないし価値判断の受容を求める一般的な主張のほか、特定の論点の成立ないし不成立を条件として審理することを求める主張(予備的主張)や、ある論点について両立しない複数の見解をあげ、いずれか一つを採用するように求める主張(選択的主張)などを考えることができる。
審判からすれば、このような選手の意図に従って事実認定を行う義務があるかどうかが一個の問題であるし、そのような特殊な主張方法を許すべきかどうかについても検討を要する課題である。以下では、主張方法として考えられるいくつかの類型別に、そのような主張方法の許容性と、審理の方法について検討を加える。

6.3.2 一般の主張

通常の主張は、審判に何らかの心証を抱かせる目的で、審判に対して特定の事実や価値判断を提示するものである。主張がその目的を達するためには、審判が主張の正しさを認めることができるような根拠が付される必要があるが、逆に言えば、根拠はそれ自体では意味を持たず、それが支える主張の正当性を担保する限りにおいて判定に反映される(ただし、その対象は当該根拠の付された主張に限られず、試合中で主張された全ての主張に係る。6.2.3参照)。

主張にはレベルの大小があり、論題の肯定ないし否定(より広い意味では試合の勝敗)に直接関係する議論――メリット、デメリットや論題充当性など――のほか、それらの議論を支える根拠となる個々の議論についても選手による主張を要する。以上のような議論はいわゆる投票理由となりうるものであり、ここから、投票理由として考慮される議論は必ず当事者の主張を要することになる。これは弁論主義の一要素として既に述べたとおりである。

主張として提示された議論については、審判はその成立ないし不成立を含め、主張の評価を必ず行わなければならない。主張が成立しないか、成立したとしても勝敗に影響しないという理由で投票理由に当該主張を反映させないことは別論として、主張されたにもかかわらずその主張を評価の対象外とすることは許されない。この意味で、選手がスピーチ中に主張を行うということは、審判に対してその審理を義務づける行為であるということができる。これを、選手は審判に対して主張を提示することでその審理を求める、審理請求権を持つと表現することができる。

6.3.3 予備的主張

6.3.3.1 両立する議論の予備的主張

上記のように、審判には主張の審理義務があり、選手にそのような義務の履行を促す審理請求権が認められる。それでは、選手は審理請求権に条件をつけ、特定の条件が満たされた場合にのみ審理を行うよう求めることが可能であるか。
例えば、死刑廃止論題において、死刑の抑止力を主張する否定側に対し、肯定側が「死刑の抑止力を理由に死刑を存置することは犯罪者を道具として扱うものであり認められない。もし死刑の抑止力が死刑存置の理由になると考えるのであれば、審判には次の議論を考えてほしい。すなわち、死刑は強力な威嚇力をもつがゆえに、死刑逃れのための第二第三の殺人を誘発する」と反論する場合を考える。この場合、肯定側の第一の主張は抑止力が論題否定の理由とならないというものであり、これが肯定側の主位的な主張といえる。そして、第二の主張は死刑が威嚇力の強さゆえ二次犯罪を誘発するというものであったが、これは主位的主張と両立するものであるが、主位的主張が認められるのであれば必ずしも審理される必要はないと考えられる予備的な主張である。もっとも、予備的主張はいわゆるターンアラウンドであって、主位的主張の認容にかかわらず評価される利益があるとも思われるが、予備的主張では死刑の威嚇力を前提としている以上、これを否定側に有利に利用される可能性もあり、肯定側としては主位的主張が認容される場合には予備的主張を無視してほしいと考えるかもしれない。

上記のような状況において、肯定側が予備的主張について「この議論は第一の主張が認められない場合に限って判断してほしい」と述べた場合、審判はこれに従わなければならないか。結論からいうと、選手は審判に対してそのような審理条件を付すことはできないし、審判は選手のこうした主張を無視してよい。
選手には提出した主張の審理を要求する権利はあるが、ここには審理を制限する権利が含まれるわけではなく、主張された段階でその主張は審判の自由心証に委ねられることとなる。また、主張はいずれの側が主張したかに関係なく評価の対象となる(主張共通の原則。6.2.2参照)が、選手がその有利不利を踏まえて審理を制限することは、この原則に抵触する。さらに、そのような予備的主張を認める場合、相手方の立場が不安定となる。上の例で言えば、否定側は主位的主張に反論をすることはもちろんであるが、その反論が成功した場合でも予備的主張を攻撃し、あるいは別の論点に援用することが必要であるが、肯定側のいうような条件付きの審理請求を認めるとすれば、否定側の予備的主張に対するレスポンスは主位的主張の成否という不確定な要素によって無意味となりかねない。

従って、主位的主張の成立ないし不成立など特定の条件の成就を前提とした予備的主張として議論が提示された場合でも、審判はそのような条件に制約されることなく、当該主張を審理してよい。
それでは、そうした予備的主張についても審判は予備的主張を評価すべき義務を負うか。この点については、肯定側の主位的主張の目的と重複する限りにおいては、審理義務が免除されると解してよい。上記の例でいうなら、肯定側は主位的主張の認容がされて抑止力の議論が否定されたならば抑止力についてのその余の反論は無視されてもよいと考えるであろうし、その限りで審理請求権が放棄されたと見ることができるからである。もっとも、これは肯定側が予備的請求に条件を付した場合であり、そのような条件が付されていない場合、肯定側にはターンアラウンドとして予備的請求を審理してもらう利益があるからこれを審理しなければならないし、否定側が予備的請求の主張から派生する議論を展開する場合、否定側のために肯定側の予備的主張を評価する必要がある。

6.3.3.2 矛盾する議論の予備的主張

以上に対して、互いに両立しない議論について、審理の順番を付して主位的主張の不成立を理由とした予備的主張として構成することは可能か。例えば、死刑廃止論題の否定側が「今の日本では実際には死刑執行はなされないから死刑囚の生命を侵害していない。死刑執行があるとしても、それは被害者感情を満足させる点で望ましい」と主張する場合、死刑執行がないという前段の主張と、死刑執行があることを前提としてその望ましさを議論する後段の主張は矛盾する。この場合に、否定側が死刑執行の不存在(前段の内容)を主位的に主張し、それが認められない場合に後段の内容を審理してもらうということは可能か。

両立する議論の予備的主張と異なる点は、上記のような場合は主位的主張と予備的主張の両方が認められるということはなく、死刑執行の存在/不存在という一個の事実については試合内で一つの結論しか生じない、すなわち前段の内容を認めつつ後段の内容を審理することができないということが挙げられる。ここでは、審判は矛盾する主張の一方について審理し、その結果その主張の存在が認められた場合は、もう一方の主張を主張する必要がいかなる意味でも認められない。
このような状況では、選手は審判に対して審理の順序を提示でき、審判はそれに従わなければならないと考えてもよいと思われるが、そもそも上記の例では、死刑執行がされているかどうかという一個の事実が前提として主張されており、その上で死刑囚の権利と被害者の感情という議論が派生的に主張されているものであり、否定側の主張方法にかかわりなく、前提たる死刑執行の有無については議論でき、その結果によって派生的主張のいずれを評価するかが定まると考えるべきである。このように考えると、矛盾する議論を予備的に主張する場面では、予備的主張に付された条件が主位的主張の審理にも関係する以上、審判によって必要的に判断されることになるのであるから、選手によって審理の順序付けを行う余地はない(審判が前提条件となる事実を判断して決することになる)。よって、矛盾する議論に順位を付してなす予備的主張は認められず、審判はその判断によって成立可能性のある主張を自由に審理してよい。

これに対し、両立しない複数の立場(プラン)により論題を肯定するなど、前提条件が認定に係る事実関係ではなく当事者の主張によって設定されている場合は、上記のように考えることはできない。これについては、そのような主張方法が認められるかという観点から、後で詳しく論じる(6.3.4.3)。

6.3.4 選択的主張

6.3.4.1 両立する議論の選択的主張

予備的主張の問題は、選手が審理対象の制限ができるかという問題であった。これに対して、選手が審理結果を制限し、択一的な認定を要求することができるかという問題を考えることもできる。すなわち、AとBという両立する主張を述べた上で、それぞれに順位はつけないが、審判として説得的と考える一方を採用してほしい(採用しなかったほうは判定の上で考慮しないでほしい)という主張方法が成立する余地を考えることができる。
このような主張方法の実益は乏しいとも思われるが、両立する主張から派生する議論の両方に対応することが面倒であるという場合、相手方の反論や議論構成を考慮した上で、後のスピーチにおいて一方のみを伸ばし、残りの主張を無視してもらうという戦略がありうるところである。

しかし、このような主張方法は、結局のところ主位的主張と両立する予備的主張に審理条件を付した場合と変わるところがない。そのような議論の審理に選手が制限を付す理由はなく、議論が両立する以上、審判はいずれの議論から検討してもよいというほかない。さらに、両立する議論について択一的認定を要求し、一方の議論を無視するということが審判の自由心証に反し、相手方を不安定な地位に置くことも、予備的主張と同じである。

6.3.4.2 矛盾した議論の選択的主張

それでは、両立しない議論について、その択一的認定を求めることはできるか。すなわち、ある論点について矛盾した複数の主張を提出し、その審理に順位を付さず、そのうち成立すると考えられる一個の主張の採用を求めるというものである。

これについては、矛盾した複数の主張につき、事実認定の自然的結果はそのうち一つを認めることしかできない(あるいはどれも認めることができない)のであるから、選手が択一的認定を求めるまでもなく、審判は矛盾した主張について択一的に判断をしなければならない。

矛盾した議論の選択的主張が問題となる真の場面は、そのような主張をすること自体が相手方を不安定な立場におき、適正な議論と認められないような場合である。例えば、「現在日本はデフレの状況にある」という主張と「現在日本はインフレの状況にある」という主張が同時に出され、それぞれから投票理由が提示されているという場合、相手方はそのうち一方に反論しただけでは足りず、かといって両方の主張に反論することは不自然である。このような場合、矛盾した議論の提示が不当であり、独立に敗戦理由とされるべきである(いわゆるContradiction)という立場もある。
しかし、そもそも上記のような矛盾した主張については、一方の成立が他方の成立を妨げるものであり、またそのいずれが正しいか(あるいはどちらも正しくないか)は、矛盾した形で主張された複数の議論について検討し、審判によって一義的に定めることができる。また、相手方としても、矛盾した議論のうち一方を援用し、必要であれば追加の立証を行うことで、都合のよい一方の議論を残すことができる(あるいは、両方の議論を退けるための立証活動もできる)。よって、事実認定のレベルにおける矛盾した主張は独立の投票理由として考えるまでもなく、実質的な認定によって判断すれば足りるというべきである。

以上の議論が示すことは、事実認定において両立しない(矛盾した)議論が予備的あるいは選択的に主張されたとして、審判はそれらを総合して妥当と考える結論を認定すれば足りるのであって、審理に際して特別の配慮は必要ないということである。裏返せば、矛盾した主張を展開する場合に、選手が自らに有利な審理方法を要求することはできず、矛盾した主張の提示によってかえって不利な認定がされるとしても、それは選手の自己責任ということになる。

6.3.4.3 選択的な立場の正当化

ここまでで論じた主張の提示方法は、すべて事実認定に関するもの、すなわち特定の事実や価値判断を提示するものであった。しかし、ディベートにおいては、論題を支持する方法や対案(Counterplan)という、各チームの前提とする立場も主張として提案される。こうした主張は、事実認定に関する主張と異なり、そのような立場を取ること自体が重要であり、審理の前提として考慮しなければならない。
このような性質を有する、立場に関する主張では、主張の存在自体が意味を持つ以上、選手による主張形式がそのまま審判の審理を確定することになる。それでは、立場に関する主張につき、予備的ないし選択的主張は許されるだろうか。

この点についてディベート理論上議論されているものとして、選択的正当化ケース(Alternative Justification)がある。選択的正当化ケースとは、肯定側が論題を肯定する複数の方法(プラン)を示し、それぞれからメリットを出す戦略である。かかる戦略の眼目は、後の反駁を勘案した上で最も勝ちやすいプランだけを残し、否定側の反論を切り捨てて有利な点だけで勝負することを可能とすることにある。
選択的正当化ケースがディベート理論上認められるかについては議論があるが、その教育的側面(反論を切り捨てて勝とうとすることが、議論の深まりをなくしてしまうなど)や説得力の観点(矛盾した立場を取ることは現実的な議論では説得的でない)はともかくとして、論題の採択の可否を争うという試合の目的からすれば、そのために複数の手段を提示し、そのうち一個でも望ましいとされた場合は、肯定側に投票せざるをえないと考えるべきだろう。選択的正当化ケースによる勝利を認めないということは、肯定側が提出した複数の手段のうち一つでも望ましくないものがあった場合には論題全体が否定されると解することであり、論題そのものが議論の対象である(Resolution Focus)との立場に反することになる。また、これを認めるとすれば、いわゆる対抗論拠(Counterwarrant)を認めることにもなりかねないが、やはりこれも通説的見解に反するし、その帰結も実質的に不当である。

よって、選択的正当化ケースのような主張方法は認められると解するべきである。しかしながら、そのようにして提示されるプランはいずれも等しく論題を肯定しうるものとして主張されるのであり、その審理に順序を付すことができないことは通常の議論と同様である。また、いずれのプランについて議論された内容かに関わらず、主張共通及び証拠共通の原則が及ぶことはいうまでもない。

一方で、否定側が論題を否定するために出す対抗政策(Counterplan)が矛盾しているという場合は、選択的正当化ケースとは別途の問題がある。
矛盾した対抗政策(Conditional Counterplan)は、選択的正当化ケースにおけるプランとは異なり、一個の目的に向かっていない点で完全に矛盾しているといえる。すなわち、選択的正当化ケースで出されるプランは、いずれも論題を採択する方法として提案されるものであり、それらを両立させることは重複として無意味ではあるが、結果として同一の命題を肯定しようとするものである。一方、対抗政策として矛盾した立場が主張される場合、それは確かに論題の否定を目的としてはいるが、立場やそれが示す具体的政策を見る場合、それは論理的に両立不可能である。
また、矛盾した対抗政策を提示する目的は、そのうち有利な一方を最後に援用することで勝利しようとするものであり、これも選択的正当化ケースと同様に見える。しかし、矛盾した対抗政策の場合は、肯定側の出すプランと異なり、論題の範囲に縛られることなく自由に提出できるもの点を看過することはできない。そのような対抗政策を自由に提示し、自由に放棄できるとすることは、肯定側を不当に不利な立場に置くものである。

従って、否定側の対抗政策については、両立しない矛盾した立場の主張を認めず、そのような場合は原則としていずれの立場も取られなかったとして扱い、肯定側が任意に対抗政策の一方を認めたと見られる場合にこれを考慮するという扱いをすべきである。このように解したとしても、選択的正当化ケースの扱いと均衡を失するという反論があたらないことは、既に述べていることから明らかであろう。

6.3.5 主張の撤回

選手は、一旦提出した主張について、その撤回を求めることができるか。これは、審判の審理を制限しようとする試みである。

既に述べたとおり、選手の有する審判請求権は審理を制限する権能までを含むものではなく、一旦提出された以上はその主張は審判の自由心証に委ねられる。また、主張共通や証拠共通が認められる以上、一旦提出された議論について提出した側の一存でその撤回が認められることも不当である。よって、選手が主張の撤回をすることはできない。
これは、主張の撤回について相手方の同意があった場合も変わらない。議論の判断は教育的見地からなされるのであって、それは審判が自由心証から妥当と思われる事実認定をすることによって達成されるのであるから、選手双方の同意があったとしても、審理すべきと思料される争点について無視してはならない。もっとも、双方が主張の撤回に同意している以上、審判の審理義務は当該主張に限り解除される。

主張の撤回や放棄が許されない以上、そのような主張から派生する議論も消えることはないことはいうまでもない。もっとも、主張の撤回が認められるとしても、その効果が相手方に有利な意味でも及ぶということは意味しないだろう。例えば、ターンアラウンドが付された主張について撤回が主張され、これを認めるとしても、ターンアラウンドは一旦提出された主張(後で撤回されたもののこと)にそのまま依存するのではなく、その内容と同一の議論を前提とし、単にそれが相手の主張を援用することにより省略されたというだけのことであるから、元となる主張が撤回されたとしても、そのターンアラウンドを支える議論は独自に残ると考えることができる。

なお、主張の撤回が不可能であるとしても、自らの議論に反論を加え、実質的な撤回をするということは認められる。主張共通の原則からも、自分の議論に反論することは当然に許される。
ただし、実質的撤回のための反論については、その理由が相手方による議論の援用などであったとしても、それが「相手が持ち出した主張・根拠に反論する場合」(本則3条3項)に当たらない場合には、新出議論の規制を受けることになる。例えば、別論点にたいする反論として援用されたことを理由にして議論を撤回することは、提出した議論を一貫した形で提出することは可能であったから議論提出時に調整できた問題として新出議論であるということになる。しかし、議論の援用によって新しいメリット・デメリットを提示されたという場合には、試合当初にはなかった新しい投票理由が自己の議論とは独立に提示されたことになるから、これに対して反論を行う理由はあり、自己の議論に反論して実質的撤回を為しても新出議論には当たらないとする余地がある(*)。

(*)この点、6.4.4.1の記述との関係で、若干改説した。

*新出議論と遅すぎる反論(6.4)は次回に回します。

ディベート甲子園ルール逐条解説 | 12:22:54 | トラックバック(0) | コメント(0)
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