2008-02-29 Fri
JDA決勝の総括を書く予定だったのですが、タイトルの通り、第13回ディベート甲子園の論題発表がありましたので、これについては何かしら言及すべきかと思い、先立って論題について思うところを簡単に書くことにします。もっとも、入院生活とは何の関係もありませんが。労働者派遣法は労働法でも試験にはあんまり関係ないのです…。あと、タイトルがやや怪しくなっていますが、予告しておくと後半に論題と離れて変なことを書いているということです。そのつもりで読んで(あるいは読まないで)ください。
以下、論題です(NADEのHPより)。
【第13回全国中学・高校ディベート選手権(ディベート甲子園)論題】
中学: 「日本は中学生以下の携帯電話の使用を禁止すべきである。是か非か」
*携帯電話・PHSを所有することと、継続的に借用することを禁止する。
*身体に障害のある人については使用を認める。
高校: 「日本は労働者派遣を禁止すべきである。是か非か」
* 労働者派遣の定義は現行の労働者派遣法に従う。
中学論題について
中学論題は、僕が高3のときに出場した大会の中学論題とよく似ています。そのときは「大幅に制限すべき」だったのですが、実際出ていた議論では基本的に禁止されていたようですし、実質同趣旨の論題といって差し支えないように思います。
現実には「完全に禁止」というと無理があるというのも否めないところで(これは前の論題でも同じことです)、携帯電話の所持を禁止することを強制する手段が本当にあるのかというのは相当に疑問です。例えば、未成年者は飲酒や煙草が禁じられておりますが、大学生は言うまでもなく中高生でも酒や煙草をたしなんでいる人は少なくありません。もっとも、これらについては酒や煙草を売った側が処罰されるのですが、携帯所持だと販売店が処罰されることになるのでしょうか。しかし、親の名義で携帯を買われると販売店もどうしようもないということで、親を処罰することになるのでしょうが、それが妥当なのかと考えるとどうでしょうか。ちなみに、刑法上14歳以下は責任年齢を欠くために処罰対象とならないことを考えると、不法所持している子どもを罰することはできません。少年院に入れることは可能ですが…。
この点を踏まえて考えると、否定側にとって最も有効な反駁の一つとなりうるのは、「規制は無意味であってメリットは生じない」という類の議論です。要するに、規制が回避されるのでプランが機能しないという議論であって、想定される「出会い系サイト被害の防止」などのメリットをばっさり切る効果があります。このような議論を成立させるためには、①規制が容易に回避可能であること、②規制を回避する動機があること(子どもだけでなく親にもあるといわねばならないでしょう)を示す必要があります。また、この議論の一種として、別の手段によって同様の弊害につながる行為を行ってしまうというものもあります。例えば、インターネットで出会い系にアクセスするから結局同じ、というものですか。
このように論じられると、肯定側として残せそうなメリットは「授業中のケータイいじりがなくなる」(今でも学校では禁止されているのでしょうが、法律で禁止すると先生も叱りやすくなる?)といったことに限られそうです。リサーチすれば他にもありうるのかもしれませんが。
あと、肯定側としては、そのような脱法行為が行われるならその分デメリットも減るという反論をすることができます。ただ、それでは結局メリットで上回ることにはなりませんし、否定側としては、規制を守る真面目な子どもだけが割を食うというもっともな再反論をすることができます。
ちょっと議論の内容に踏み込みすぎたきらいがありますが、この程度の議論展開は普通に予想されるところであり、選手の皆さんにはこれを越えたレベルでの議論を展開することが望まれているはずです。というわけでリサーチを頑張りましょう。どのくらい頑張ればよいかは、後で書きます。
高校論題について
僕は派遣労働の現状について特に詳しいというわけではないのですが、割とタイムリーな論題なので、その意味では面白そうな論題です。
ただ、派遣労働の全面禁止を根拠付ける議論は、一見するとあまり説得力がないように思われます。予想されるメリットは労働者の保護というところで、付随して企業の義務やあるべき労働環境といった価値観を述べられれば上々なのでしょうが、それでは派遣労働を禁止すれば労働者は救われるのかというと、なかなか難しそうではあります。
派遣労働を禁止しても違法な労働をさせられる可能性があるという議論が可能なのは中学論題と同様ですが、最も本質的と思われる疑問は、環境の悪い派遣労働とはいえ労働者は飯を食うため仕方なくやっているところがあって、それすら奪われてしまうと労働者はより困るのではないかということです。派遣労働をやめるとそれが普通の雇用に置き換わるというのは考えがたいことです。
ありうるとすれば、派遣労働という使用態様はそれ自体労働者の置かれる立場を危険なものにするため、労働法的に認めてはならないという立場を採ることでしょうか。しかし、少なくとも現行法は様々な問題があるにもかかわらずそのような立場は採っていないわけで、にもかかわらず全面禁止とまで言うためには、上述のような実質論も踏まえたうえで、説得的な論証をする必要があるでしょう。
冒頭で述べたとおり、僕はこの分野について詳しいわけではないので適当なことを書いているわけで、実際にはいろいろ議論のやりようはあるのかもしれません。というわけで選手の議論に期待しているのですが、そのためにはリサーチが必要です。というわけで最後にそのことを書きます。
リサーチを頑張ろう
ディベートの教育的目的からするとリサーチという作業は必ずしも本質ではないのですが、充実した議論を展開し、試合で勝つためにはリサーチが、それも徹底したリサーチが必要不可欠です。それこそ、時間の許す限り、存在する関連資料を片っ端から集めて読むということが求められます。
もっとも、ディベートにはいろんな係わり方があるので、選手全てがそうしなければならないというわけではありません。そこそこのリサーチでもそこそこ楽しめるのがディベートのよいところです。しかし、野球の甲子園を目指す球児が身を削って練習していることを思えば、ディベート甲子園を真剣に目指す諸氏にそれを求めるのはおかしなことではないと思いますし、僕も高校時代は割とリサーチしていました(こんなことはあまり言いたくないのですが、最近の出場校よりはしていたと思います)。先のJDAでも割とリサーチしていたということは、参戦記を見てある程度感じていただけると思います。
というわけで、以下はディベートに打ち込む本格派選手に向けて書かせていただきます。
リサーチは何よりも量を目指しましょう。量が質を生むというのがリサーチの全てです。リサーチの方法論については細かく書きませんが、とにかく量です。
ではどのくらい読めばよいのか。ネット上で利用できる国立情報学研究所の論文検索システムCiNiiで「労働者派遣法」のキーワードを含む論文を検索すると、今現在で495件がヒットします。2000年代だけ読むとしても200件以上ありますが、僕の思考からすると、とりあえずタイトルを見つつ、この中で少しでも使えそうなものは全部読もうということになります。同様に「派遣会社」で検索すると74件、「偽装請負」で検索すると142件です。重複するものもあるでしょうが、基本的にはこれも全部読みたいところです。これだけでざっと200~300本の論文を読もうということになります。
*大変そうですが、多くの論文記事は10頁未満ですから、これでもだいたい3000頁で、雑誌の方が字数が多いことを考慮しても、本にして15冊分くらいと思えば軽いものです
もっとも、僕の貧困な知識では論題に関連するキーワードを全て拾うことは困難ですし、これだと論文しかあされませんから、それを補うために同じく国立情報学研究所の連想検索システムWebcat Plusを使用します。ここで「派遣労働」と検索すると36870件の書籍がヒットします。さすがにこれを全て読むことは不可能ですが、右に出る関連ワードを参考にしつついろいろ検索し、使えそうな本を100冊くらい表にしておき、論文をコピーしに行った時に本棚で実際に確認して読むに値するものを順番に借り出していくことになります。
この後で実際に資料を読みながら参考文献として引用されたものをチェックしたり、関連分野を補充調査することがあるので最終的にはこの2倍くらい読めればよいなぁという感じです。実は一番いやなのは読むことではなく資料として打ち込むことだったりするのですが、それはもう黙って耐えてくださいとしか言えません。最終的にA4で200枚とか300枚のヴォリュームで資料を打ち込み、それを分類しつつ議論を構築することになります。
実際は春大会までにここまでやる必要はないのですが、最終的にはこのくらいリサーチして全国大会に来てほしいし、ジャッジとしての僕が要求したいのもこのレベルです。
じゃあJDAでお前はそのくらいやったのかということですが、死刑論題だと他のチームの方と資料を共有したこともあり、僕がリサーチした内容はそこまでではなかったのですが、それでも論文は100本以上読んだし、本も二十冊以上当たっています。昔出た代理出産&着床前診断の論題では、それこそ週に二、三回のペースで医学部図書館に通い、司書の怪しい目線に負けず遺伝病や出産に関する文献を借りまくりました。
ここから余談~「リサーチ」と「今後の競技ディベートのあり方」の関係~
何か論題と関係ないことを書いているのですが、なぜこういうことを書いているかというと、一般的理解を覆すような爽快な議論をしようと思ったら、そのくらいリサーチする必要があると考えるからです。僕は上の方で適当なことを書いていますが、おそらくこのような理解は他の人も感じるところで、それを無視して議論したところで、試合の勝敗は別として、「ディベートってすごいな」という感覚を聞き手に与えることはできないでしょう(難しそうなこと言ってる、という皮相的な感想は別にして)。
こんな怪しいブログを読んでいる現役選手の皆さんは、貴重な中高の期間のいくらかをディベートという競技に割き、そしておそらくは全国大会出場やそこでの好成績を目指しているのだと思います。そうであれば、皆さんが目指すべきは「そこそこやってそこそこの成果」ではなく、徹底的に打ち込んだ上で、勝つことはもちろん、議論それ自体として価値あるものを作り上げていくことです。
僕がこのような怪しいことを強調しているのは、もちろん皆さんのことを思ってでもあるのですが、それ以上に、これからの日本においてディベートという競技が正しく根づいていくためには、こうした意識を選手の皆さんが共有することが必要ではないかと考えているからです。現在、ディベート甲子園はまがりなりにも競技ディベートの大会として開催されています。しかし、皆さんも何かしら思い当たる節はあるでしょうが、純粋な競技ディベートとしてこの大会が継続されていくことは保証されておらず、この先、議論の中身を競う競技ディベートとは趣きを異にした大会に代わっていく可能性があります。そのようなあり方がより良きAlternativeとして機能する可能性を完全に否定するつもりはありませんが、少なくとも、純粋な競技ディベートの利点が十分に理解されないまま別の方向性に行ってしまうことは望ましくないといえますし、ディベートの本場・アメリカで数々の人材を輩出してきた競技ディベートのあり方が――コミュニケーション無視という批判にもかかわらず――議論の中身に重点を置いたものであるということはいくら強調してもしすぎることはありません。
我々が「議論の中身」にこだわるディベートを目指すべきだというためには、その成果として、議論として優れた試合が行われなければなりません。実践できたかは別として、僕はJDAにおいてそのような議論を目指して準備をしてきました。もちろん皆さんもそのような気持ちを持っているのだとは思いますが、それを実際の試合に結実させるためには、行動としてのリサーチを避けることはできません(もっとも、リサーチ以上に、それを元にして「考える」作業が必要だということは言うまでもありません)。
そして、十分に充実したリサーチや準備を経て議論を構築していくという作業は、皆さんにとっても実りある過程であり、また競技ディベートの素晴らしさを実感できる唯一の手段でもあります。学生時代という自由で貴重な時間を大きく割いてディベートに取り組む以上、皆さんにはディベートの魅力を十分に感じてほしいし、さらにはそれを越えて、そうやって取り組んできたディベートが日本において中身のないものになってしまわないように、「あるべきディベート」を遺していってほしい。それが、一ディベーターとして僕が中高生ディベーターの皆さんに望む、(いささか身勝手な)願いです。
…と、長々と訳の分からないことを書いてしまいました。ここまで読んでいる方がどのくらいおられるか分かりませんが(そういう人にはリサーチの才能があると思います)、ともかく「リサーチを頑張ればいい議論ができる」ということで、頑張っていただきたいところです。
ちなみに、おそらく多くの人が「やりすぎだろう」と思った上記のようなリサーチ作業は、実際に社会に出るとそうでもないようです。少なくとも僕の志望する法律業界ではそのようで、裁判では一つの事件記録が1メートル以上の高さに積みあがることもありますし、複雑な案件であればそれこそディベートの論題をリサーチするかのように徹底した調査がされます。ですから、学生のうちに死ぬほどリサーチすることは、単なる酔狂ではなく、立派なトレーニングであるということがいえるでしょう(もっとも、将来いやでもやらされることをわざわざ学生時代にやってどうするというのはごもっともです)。
論題発表と関係ないところでいろいろ書きましたが、ここは便所の落書きにも似た入院患者の嘆き場ですから、有益だと思った部分だけ読んでいただくのがローテンションスタイルということでお許しください。最後にこんなこと書いてもしょうがないのですが…
次回はJDAの総括です。