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アカデミックディベーター

Author:アカデミックディベーター
日当たりの良い某法科大学院を2009年3月に卒業。
ライフワークである競技ディベートについてぼちぼち書いています

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ディベート甲子園ルール逐条解説(14.議論の規律(4))
そうこうしているうちに入院生活二年目がはじまりました。既習入学なので三年生、すなわち受験生です。
三年次の授業は発展科目が多く、わがガラス棟はビジネス界に羽ばたく法曹(高級奴隷)を養成するための科目が数多く用意されている――というかビジネス科目があからさまに多すぎ――ため、それを受けないと充実した単位取得が難しくなっています。というわけでそんなに興味のないファイナンス(数学を使って資産の評価などを考える。ビジネスロイヤー必須の学問らしい)などをやっていますが、実務家教員の話は割と面白く、受験云々を考えなければそこそこ楽しめそうです。

さて、今回は議論に同意をすることの意味について解説します。書いていて改説を要すると思われるところがあり、多分変えたほうがすっきりするなぁと思っているのですが、そうするとこれまで書いた部分との関係でいくつか記述を改める必要があるので、とりあえず留保しておくことにします。
以前から断っている通り、ここでルール解説は一旦お休みとなります。残された部分については、司法試験が終了した後に気力が残っていれば書くかもしれません。前回いろいろ書いたので長くは書きませんが、ここまでの解説内容でルールはその中にいろんな含意を持っているということや、いろいろ考える余地があるということはある程度伝えられたのではないでしょうか。解説の内容が正しいかどうかは別としても、ルールを通してディベートを考えることは、ディベート実践において入院患者の暇つぶし以上の意味を持っていると思いますので、皆さんも折を見て自分なりに考えてみてくれると、長文を書いた意味があるというものです。

それでは以下本編です。例によって以下の内容は何らの正解も保証しない私見であることをお断りしておきます。


6.5 議論への同意

6.5.1 総説

ディベートにおいては、自らあえて争うつもりのない議論に対して同意をすることがしばしば見られる。これは、争点を整理するためや、証拠共通原則との関係で相手方の議論を自分たちに有利に援用しうることから、その援用を確定ならしめるために行われることが通常である。
同意を行うことそれ自体は選手の自由であり、また議論整理という観点からは不要な争点については同意により争点を絞ることは推奨されるべきことである。しかし、そのような同意に判定上特殊の効力を認めるべきかどうかは、別途の問題である。同意が単なる争点整理を超えて審判や選手の議論処理を拘束するものであるというためには、その根拠や要件効果について検討する必要がある。

以下では、最初に判定上他の議論と区別して扱う価値を有する「同意」というために必要な要件について考察を加えた上で、そのような同意がいかなる効果を持ちうるか(あるいは持ちえないか)について検討することにしたい。

6.5.2 同意の定義と成立要件

最初に、ディベートにおいて議論に「同意」するということの意味、すなわち同意の定義を確認しておく。本解説において、ディベートにおける同意とは、相手方の議論の論拠が正しいことを積極的に認める旨の意思表明を意味する。もちろん、(すぐ後で論じるように)これ以外の理解もありえるところだが、以下に検討するように、同意に積極的な効力があるかどうかを議論するに当たっては、その前提としてかかる効力にふさわしい積極的な意思表明をもって同意とする必要があるため、以降ではこのように定義される「同意」の効力について論じる。
なお、このように同意を定義する場合、それは必然的に反論権の放棄をも意味することに注意する必要がある。ここで、同意の定義について単に反論権の放棄である――従って、必ずしも論拠の正しさを認めない場合でも同意は成立しうる――と構成する立場もありうる。ディベートにおける立場の無作為性を強調すれば、論拠に対する立場と議論の処分を分離して考えるところからこのような理解を採ることにもなりそうだが、ディベートで立場が無作為に決定されるということと、一旦決定された立場を擁護することは別の次元の問題であり、敢えて相手の議論に同意をする以上、単なる反論権の放棄を超えてその前提についての評価も含むと解すべきである。反論権の放棄はその結果なされるものに過ぎない。

以上のように同意を定義すると、そのような同意として認められるための要件も自ずと定まってくる。すなわち、相手の議論を積極的に認める旨の「明示の意思表示」が同意の要件である。
この点、同意を反論権の放棄であると解する立場からはいわゆるドロップ(意図して、あるいは意図せず反論をしないこと)も同意であると捉えることになる。ディベーターの中にはむしろこのような理解が一般的とも思われるが、意思表示を伴わず単に反論をしなかったということは消極的な反論権放棄(反論権を行使しなかったということ)にすぎず、それ以上に論拠の内容に同意をしたと見る合理性はなく、従って新出議論の規制による処理に付け加えてそのようなスピーチにつき論じる実益はない。

では、同意を根拠付ける明示の意思表示としては、どのようなものがあるか。これについては、明確に当該議論の論拠を認めるという発言だけでなく、共通了解として相手方の議論に言及するなど、相手の議論の論拠が正しいことを前提として議論するスピーチなど、実質的に論拠を認めると考えられるスピーチ一般が含まれると考えてよいだろう。この判断には、当該ステージの議論全体の趣旨を参照することが許される。

6.5.3 同意の拘束力

以上の定義を前提として、そのような同意が議論に対してどのような影響を与えるか(あるいは与えないか)を検討する。具体的には、同意が生じさせる可能性のある試合当事者への拘束力についてその理論的根拠の有無を考え、その上でそれぞれの当事者に対する効力を分析することになる。

6.5.3.1 拘束力の根拠

同意が相手方の論拠の正しさを認める意思表示であるところ、そのような意思表示の内容に当事者が拘束されるといえるだろうか。これは、同意によって当該議論に証明がなされたと考え、当該主張を採用することが義務付けられるという拘束力が生じるか否かという問題である。

そのような効力を認める肯定説としては、ディベートでは選手に議論が委ねられており、そのような選手の中で同意がされている以上は審判がその内容に介入するべきではないということや、同意が争点の整理や相手の議論の利用など議論教育上好ましい行為である以上、そのような同意を推奨するために同意に拘束力を認めるべきであるという理由が考えられる。
しかしながら、ディベートで選手に議論が委ねられているということは、判定の対象が選手の提出した議論に限られるということを意味するものに過ぎず(弁論主義について解説した6.2.1を参照のこと)、それを超えて選手の議論に対する見解に審判が拘束されることを根拠付けるものではない。また、教育的観点から同意を推奨すべきという議論については、証明の伴っていない議論にもかかわらず同意によってそれを認めてしまうことはその点について論証の必要性を不問にするという点で教育的でないし、明白に誤った議論についても同意を認めることは、むしろ「同意の悪用」を促進し、議論教育の理念に反すると評することもできる。ディベートは客観的な説得力を競う競技であり、またその教育効果も実際に有用な議論能力を養おうとするものであるから、中立の立場にある審判が説得されない議論について当事者の同意で結論を違えるということは不当である。

従って、同意の判定に対する拘束力は認められず、同意によって当該議論の証明力が増強されるということはできない。ただし、当該議論の証明力を判断するに当たり、相手側から同意がなされているという事実を評価材料として考慮することは妨げられない。この意味で、同意には不完全ながら審判に対して事実上の拘束力を有するという側面があることは否定できない。
*ここで、6.4.5で新出議論であることへの同意が審判に対して影響力を有する旨記述していることとの関係につき補足する。新出議論性の判断は手続的事項であり、その趣旨は選手の反論機会を保障することにあるから、保護されている選手の意思表示によって処分されうるものと考えてよい。また、新出議論性につき同意がされることと、当該議論の証明力の評価は別物であり、新出議論でないと解することが直ちに当該議論の採用につながるものではないことは言うまでもない。

以上の議論とは別に、同意が当事者の議論処理に対して何らかの拘束力を持つという考え方がありうる。一旦された意思表示については、相手方がそれに従って議論を展開するだろうという期待が働くところ、相手の議論に対して同意を行うということは、同意された側にとっては以後当該議論につき反論がないことに期待が生じるし、同意した側にとっては当該議論を前提として議論が進むことを期待している。
同意がなされた場合、このような期待を裏切るような議論の処理は信義則上禁じられると考えられる。この信義則は相手の議論展開の予定を不当に狂わせるということと、議論を行うものとして不誠実であるという二点から根拠付けられるものである。
もっとも、一立論形式においてこのような場面が生じることは考えられないのであるが、後の記述では二立論形式に拡張して同意の信義則上の拘束力を論じることにする。

6.5.3.2 審判に対する拘束力

上で論じたとおり、同意が審判の判定に対して義務的な拘束力を生じさせることはない。しかしながら、特定の場面において、議論処理上選手からの同意に従って判定を下すべき場面が存在しうる。それは、矛盾した議論が提出されたことに対抗して選手が同意を迫られているという場面である。

例えば、肯定側が「Aである場合生じるメリット」と「Aでない場合生じるメリット」という矛盾した議論を展開しているとする(なお、この場合のAという事実は存在するか否かで二者択一であると仮定する)。このような議論がいわゆるContradictionとして独立の投票理由となるかは措くとして、この場合審判はAという事実の有無につき試合内の議論から判断を行い、いずれかのメリットを認めることになる(6.3.4.2参照)。しかし、Aという事実が常に試合中に確定するものではなく、Aの存否についていずれも十分に確からしい証明が試合中でされることは十分ありうるところである(Aがあるともないともいえない、ということ)。この場合、Aという事実の存否について確率的に心証を採り、その心証の割合に応じて両方のメリットの成立を認めるという判定もありうるが、このような結論は矛盾した議論を提出した肯定側を不当に利することになる。
この場合の処理については諸説ありうるところで、ここで詳細に検討することは避けるが、一つの処理方法として、矛盾した議論を提示した肯定側へのペナルティとして、試合全体を評価する上で肯定側に最も不利な解釈を採るということが考えられる。すなわち、メリット・デメリットの評価が肯定側にとって最も不利となるようにAの存否を確定する(Aの存否はデメリットの議論にも影響しうる)ということである。このとき、肯定側にとって最も不利な判断=否定側にとって最も有利な判断を考えるに当たり、否定側がAの存否について何らかの見解を表明した、すなわち肯定側のAに対する態度のいずれかに同意をした場合には、その同意を尊重し、同意された側の立場を採ることが否定側にとって最も有利であると考えることができよう。つまり、矛盾した議論に対してなされた同意は、当該矛盾点の存否が不確定な場合において、審判を拘束するということである。これも事実上の拘束力ということができるが、その意味合いは通常の同意とは異なるところである。

6.5.3.3 相手方に対する拘束力

ここで、同意された相手方に対して同意が及ぼす信義則上の拘束力を考える。
6.5.3.1で論じたとおり、同意により生じた同意者の期待は保護されるべきである。相手方は一旦自分で出した議論につき同意がされたのであるから、それ以降議論を撤回することは許されないと考えることになる。
ここでいう「撤回」とは、立論中に議論を撤回してなかったものにする行為である。6.3.5では議論の撤回は認められないと論じたが、これは一立論形式の場合であり、二立論形式立論の場合においては議論構築の一環として主張の撤回が認められるところ、これが同意によって制限されるのである。一旦同意されたにもかかわらず、相手方が第二立論でそれを覆して別の議論を展開するということは、第一立論における同意者の議論をだいなしにするだけでなく、一旦議論を提出したものとしてあまりに無責任である。一旦同意がされてそれを前提とした議論が展開された以上、立論における議論処分の自由を超え、相手方の期待保護が優先されるべきである。

一方、実質的撤回、すなわち自分で自分の議論に反論を加える行為については、同意によっても妨げられないと考えるべきである。その理由は、議論は(反駁に至って)確定的に提出された段階で主張共通・証拠共通の原則が及ぶ中立性を帯び、同意の相手方に対する効力は立論の段階でこのような確定(相手方による処分権の剥奪)を意味するところ、中立な議論に対して反論を加えることはもとより自由であるからである。
従って、同意がされたにもかかわらず、相手方は当該論点について別の理由をもって否定を試みることが許される。同意の相手方に対する効力は、立論段階での処分権を奪い、主張の撤回を封じることにとどまることになる。

6.5.3.4 同意した者自身に対する拘束力

続いて、同意が同意者自身に対して及ぼす信義則上の拘束力について見ていく。
これも6.5.3.1で論じたとおり、同意により生じた相手方の期待は保護されるべきであり、一旦された同意は反論権の放棄として、以後当該論点への反論が認められなくなると解すべきである(同一ステージ内で「言いなおし」の形をとる場合はこの限りでない)。よって、二立論形式において否定側第一立論で同意がされた場合、否定側第二立論では当該論点に反論をすることはできない。
このような結論は、6.5.3.3において相手方が同意された議論に対する反論(事実上の撤回)をなしうることとの関係で均衡を欠くとの批判もありうるが、議論提出行為は相手から反論を受けることを前提として立論段階で撤回が許されているものである一方、同意は相手方の撤回を妨げる確定的効果を有した意思表示であり、そのような同意の撤回はそもそも予定されていないということから、このような結論もやむをえない。
*ただ、議論提出行為はそもそも自身の議論に対する同意をも含意しているのではないかというもっともな疑問もあるところで、ここからは二立論形式においても一旦提出した議論の撤回はできないということを前提に、同意の有無に関わらず議論の撤回というものを認めない立場もありうる。今のところ疑問を留保し、関連分野を含めた再考を踏まえた検討を行いたいと考えているが、これについては他日を期したい。

以上の結論は、同意した議論を起点として相手方が新しい議論を構築したという場合でも同様である。この場合、同意した側に新しく反論の必要が生じていると評価することもできるが、このような議論の構築こそがまさしく同意を受けた側の期待が保護された結果であり、これを否定することは信義に反する。また、同意があくまでも論拠の正しさを認める意思表示である以上、その意思表示は同意をした後の議論展開によって左右される性格のものではない。

ディベート甲子園ルール逐条解説 | 00:01:27 | トラックバック(0) | コメント(0)
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