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アカデミックディベーター

Author:アカデミックディベーター
日当たりの良い某法科大学院を2009年3月に卒業。
ライフワークである競技ディベートについてぼちぼち書いています

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ディベート甲子園ルール運用例百選(3.文意を改変する中略のされた資料の証拠能力)
何か更新の勢いが変なことになっていますが、最近開催されていたオンラインディベートにおいて、証拠法上極めて興味深い事例がありましたので、これを取り上げることにしたいと思います。

オンラインディベートでは中高論題ともにいろいろ試合がされていますが、中身についての感想は書かないことにします。各ジャッジのコメントなどを参考にされればよいと思います(僕の弟もジャッジしている!)。ただ、全体的な感想としては、どのチームもまだまだ改善の余地は大きいように思われます。あと、以下で取り上げる試合の否定側は、議論の中身はともかく(DAはねぇ…)、議論の伸ばし方であるとかワードエコノミーであるとか、そういうテクニック面で職業ディベーターとしての技がいろいろ見えるので、参考にされるとよいでしょう。JDAとかだと中身もガチであのテクニックですから、そりゃ困るというものです。

それでは以下、本論です。ちなみに、後半が刑訴法理論のパクリというのは仕様です。

3:文意を改変する中略のされた資料の証拠能力
(第7回オンラインディベート練習会高校論題第1試合・平成21年5月20日判定)
*試合の内容及び判定はこちら

【事案の概要】
肯定側は論題「日本は国会を一院制にすべきである」を支持する立論において、一院制により審議が迅速化するという議論を展開した上で、その重要性としてグローバル化への対応のため迅速な対応が望まれているということを主張し、以下の形で資料を引用した。

「グローバリゼーションが拡大・深化するなかで、人口減少や急速な少子・高齢化社会を迎える日本は、健全な経済社会を構築し、次世代に引き継ぐことが不可避の課題となっている。(中略)特に、グローバリゼーションがもたらす多様かつ複雑な国内外の課題に対して、的確かつ迅速な対応を可能とする政府の改革に早急に取り組むべきである。」
経済同友会「マニフェスト時代の行政体制と“政策市場”の構築を」2008年4月2日


これに対し、否定側は同資料の中略部分に以下のような内容が含まれることを指摘した上で、このような部分を中略することは文意を曲げ、反論機会を奪うものであるから、反則として敗戦にするべきであり、最低でも当該証拠は判定から除外されるべきと主張した。

中略部分:
したがって、「小さな政府」実現をめざした行政改革をはじめとする財政・税制、社会保障、教育などの構造改革への手綱を緩めてはならない。


これに対して肯定側は、自身の引用は証拠資料の趣旨に反するものではない、中略がされたとしても主張を支持するものであることにかわりはない、などの反論をしている。

【判定】
上記の証拠についての判断のみ紹介する。
肯定側の引用は、「中略部分も含めた引用箇所全文を読むと、著者が意図しているのは対応の迅速化のための行政府の改革であることが明らかですが、肯定側の引用法ではもっぱら立法過程の迅速化を求めているように読めます。これは著者の意図とは異なります」。よって、当該証拠資料は判定から除外されるが、「問題となっている引用は、大抵の人は資料の意図を取り違うが、資料の意図を曲げない解釈もできなくは」ないため、敗戦に至るものとは認めない。

【評釈・解説】
本件は、証拠資料の不当な中略が試合上で問題とされ、これに対して証拠排除の判断がされた画期的な事例であり、実務上も参考になる判断例である。
判定では、問題となる証拠資料につき文意が改変されていることを「著者の意図」との相違に着目して詳細に説示した上で、違法の効果について反則事由に該当するかを主として改変の度合いに着目して判断し、結論として証拠排除にとどめ反則にしていない(ただし限界事例としている)。この処分の結論については妥当といえるが、その判断過程については、なお詰めるべき点があるように思われる。具体的には、①引用の適切性の判断枠組、とりわけ「著者の意図」の位置づけをどのように考えるべきか、②証拠の不当引用の反則事由該当性の判断基準、の2点につき、以下で検討する。

1.引用の適切性の判断枠組
本件判定は、著者の意図を曲げているかどうかを基準として、細則B-6項における「元の文意を変えるような不適切な省略」の有無を判断するようである。しかしながら、引用の適切性においては、著者の意図との相違は重要な判断要素ではあるものの、それ自体が基準とされるものではないというべきであろう。

引用が適切であるかどうか(不当中略との関係で言えば「不適切な省略」がされていないか)の判断に際しては、証拠資料の「不当さ」とは何かという点から出発する必要がある。ディベートにおいて不当とされる証拠資料は、それがジャッジの判断を誤らせることに不当さの理由がある。そこに言われる「誤り」とは、当該証拠資料が本来有していない証明力に基づく心証をジャッジに与えることを指す。ルールはこれを「文章を改変して引用したり、元の文意を変えるような」行為として例示しているものである。
そして、著者の意図に反する形での引用は、それによって常に本来有していない証明力を生じさせるものとは言えない。著者の意図が証明力と関係するのは、当該証拠資料が著者の権威性を通じて立証対象を支持する場合に限られるからである。例えば、法律学の権威が「憲法は二院制を通じて立法府の暴走に歯止めをかけることを意図しており、これは立憲主義の歴史からも正当化できる」という旨の文章を記している場合、ここには詳細な理由付けが記されているものではないが、受け手としては著者の権威性を通じ、そこに確かな理由付け(憲法の解釈として適切に展開されていること、それを支持する歴史的背景があること)を推測し、一定の心証を得ることができる。このような場合、著者の権威性は、当該見解を著者が支持している限りで認められるのであるから、「著者の意図」は決定的な要素となる。一方、単純な統計的事実などについては、その事実について著者がいかなる評価をしているかとは独立して証明力を生じさせるものであり、著者の意図を考慮する必要はない。

したがって、引用が適切であったかを判断するには、証拠の性質と立証対象との関係を考察した上で、当該引用(中略方法)が不正に証明力を作出したものであるかどうかを実質的に検討しなければならない。これに対し、著者の意図に反することをもって直ちに証拠排除を決定した判旨は、その限りで細則B-6項の適用を誤ったものと言わねばならない(条文においても「著者の意図」なる文言はない)。本来ありえた判断枠組としては、第一に当該証拠資料の信用性の発生源を特定し、第二にその発生源との関係で信用性を偽る引用がされているかを判断するというものが考えられる。

(注)実際には、本件判旨は「著者の意図」ではなく「文意」に相違があるかどうかを問題としていると読むことができ、ジャッジもそのように考えているようである(本記事コメント欄を参照のこと)。これは、不正な証明力作出を問題とする点で、上記見解と同様であり、細則B-6項の正しい適用といえる。


これを本件について見ると、グローバル化への対応のために迅速な対応が望まれているという立証をするために証拠資料が引用されているのに対し、問題とされる証拠は、著者の現状に対する認識を踏まえた提言をその内容としており、これは著者の権威性を前提として証明をしようとするものということができる。したがって、ここでは「著者の意図」に着目して第二段階の判断に進むべきであるが、そこでも「著者の意図に反する(相違する)から直ちに不当」ということもできないであろう。ここでも問題となるのは信用性の不正作出があるか否かであるから、①著者の認識・分析に反する文意になっているかどうか、②著者が結論を導く理由付けを省略することで相手方の検証・反論機会を奪っていないか、といった具体的な瑕疵の有無を問う必要がある。
本件では、このうち②が主に疑われるところであり、否定側もこの点を特に問題としている。確かに、中略部分は行政改革を念頭に置いた提言である旨の内容であり、この点を省略することは立法府改革の重要性を証明しようとする肯定側への反論機会を奪うものとして不当に証明力を高めているということができ、証拠排除の理由があるといえよう。また、これは著者が本来意図していなかった立法府改革の必要性という文脈を生じさせているという点で、①の問題としても捉えることができる。
判旨は「中略箇所には「行政府をはじめとする」とあるのに、引用だけ読むと「立法府をはじめとする」という内容であるかのように読めることが問題」とすることから、①の点に着目して証拠排除を決定したようであり、それもありうる判断方法ではあるものの、否定側が主に②の理由で証拠排除を求める以上、これに答える形の判示をすることもありえたように思われる。また、判旨では『「中略のせいで有利になったか」が問題視されているのではなく、「中略によって違うことを言っている資料に見える」ことが問題』とされているが、もしこれが上記②のような不当引用の類型を否定する趣旨であれば、賛同できない。

2.証拠の不当引用の反則事由該当性の判断基準
本件では、結論として証拠排除に加えての反則処分(細則C-1項6号)はされていない。判旨も指摘するとおり、これはルールの文言上「悪質な場合」に該当するかの判断の問題となる。いかなる場合が悪質とされるかについて明文の規定はないから、この点については何らかの判断規範を定立する必要があるところ、これも証拠排除が要求される理由から導かれなければならない。

この点、競技ディベートにおいて不当な証拠が排除されるべき理由は、判定の公正を維持することと、不当な議論方法を戒める教育的理由に求めることができる。前者は、判定が正しい理由付けによってされなければならないという判定理由への信頼維持ということができ、後者は、未来の不当な証拠利用を抑止するという目的と言い変えることが可能である。要するにここでは①判定の信頼保護と②違法な証拠利用の抑止の2点を目的に証拠の排除、進んで反則処分が正当化されることになる。
ここで注意すべきは、①②の目的はいずれも絶対的なものではなく、比較衡量的要素が内在しているという点である。すなわち、①判定の信頼保護という点では、相対的に軽微な証拠違法のために、議論の内容と独立に勝敗を決することがかえって不自然な結論になるということもありうるのであり、②違法な証拠利用の抑止についても、軽微な違法抑止のために反則処分をして議論の内容を判定に反映させないことは、教育上かえってよくないということもありうる。よって、証拠排除を超えて証拠資料の不正を理由に敗戦とすべきかどうかについては、①②の目的との関係で、諸要素を考慮して判断する必要がある。

それでは、具体的にはいかなる判断基準がありうるか。上記で見たような比較衡量の構図からすると、そこでは(1)違法の重大性と(2)敗戦処分の相当性という2つの軸を考えることができる(なお、この2つの両方を満たさないと反則とならないか、片方を満たすだけで反則に値するといえるかも問題であるが、違法の重大性が肯定されれば原則として相当性も肯定されると考えることができ、これにより一応の判断は可能であろう)。
(1)については、)不正の大きさ(証明力が不正作出された度合い、改変の大きさなど)、)不正の有意性(故意でされたかどうか)の2点が主な考慮要素として考えられる。(2)については、)当該証拠の重要性(試合中での位置づけ)、)相手方の被った不利益(相手方に対処可能性があったかどうか)、)不正の頻発性(今後もありうる不正といえるか)といった要素が考慮の対象となるであろう。

本件判旨は、著者の意図と引用文から判断できる内容の乖離の度合いを問題として判断したものであり、上記のうち(1)-を考慮した判断をしたものと思われる。本件では上記の諸要素を考慮しても反則処分に至るほど悪質であるとは言い難いため、結論は妥当であろう。もっとも、否定側が主張するように、オンラインディベートが他チームに参考とされるものであり今後も記録として残ることから影響力を有し、また練習試合の性質上厳しい処分をする許容性もあるということを重視すれば、反則処分が不当であるともいえず、このあたりは判旨も言う「限界事例」として捉えることもできよう。

<参考文献>
筆者の文章として、次のものがある。
「ディベート甲子園ルール逐条解説(10.証拠法(3))」(2007年9月16日『愚留米の入院日記』)
「証拠資料の不正な引用」(2007年4月7日『ディベートの争点』)

ディベート試合・ルール運用例の評釈 | 02:55:46 | トラックバック(0) | コメント(4)
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