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アカデミックディベーター

Author:アカデミックディベーター
日当たりの良い某法科大学院を2009年3月に卒業。
ライフワークである競技ディベートについてぼちぼち書いています

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東海大会の感想と今季論題の簡単な展望
またしても広告が出てしまったので記事を書くことにします。
ちなみに最近の生活はというと、某司法試験予備校で論文試験の問題を作成するバイトをするほかは、飲み会やら何やらでぜい肉をつけているといった感じです。あと、短答試験は一応合格していました。9月の発表でどうなっているかは謎ですが。

さて、今日の内容は、先日行ってきた東海大会の感想を踏まえ、ディベート甲子園の今季論題に関する話に軽く触れるというものです。結局、高校論題の詳細な解説は書かないことになると思います。

というわけで最初に東海大会の感想を書いておくと、今年は全体として参加校が少なく、その点は寂しい印象を受けました。それでも選手が楽しそうにディベートをしていたのはよかったとは思うのですが、最後のほうで全国大会にいけないことが濃厚になっていたチームが出ていたのに、対戦相手が全国をかけて挑んでいる強豪校だったりして、ジャッジとしてどちらに配慮してコメントしたものか悩んだという試合もあり、両方に対して十分コメントできなかったのが残念だったところもありました。
一応ジャッジとしてチームの状況に合わせてコメントしようと考えているのですが、両チームでおかれている状況が違うと、どういう方針でコメントすべきか悩んでしまうのですね。ジャッジにそういう悩みがあるのだということを選手が知る必要はないし、選手のほうで遠慮する必要もないのですが、ジャッジという仕事に興味のある方は、そういうものなのかと思っておくとよいかもしれません。

春は試合を見ていないのでこの大会が今季初の試合だったのですが、全体の感想としては、中学論題はこんなもので、高校論題はやっぱりちょっと難しいのかなぁというところです。詳しくは以下で書きますが、難しい論題のときほど、自分たちの主張に筋が通っているかに気を遣うべきです。
エビデンスの内容に気を取られてしまい、それっぽいことを言っている資料を並べただけという立論は、本人たちは強いと思っているでしょうが、ジャッジからするとイラっとするだけだということです。僕も高2の道州制論題ではそんな立論を作り続け、なぜ微妙なのか分からないままジャッジに怒られ続けていました。そんなときは、一旦エビデンスを外して主張(Claim)だけにしてみて、それで話が通っているのか確認してみるとよいでしょう。

それでは、中学・高校論題で思ったことを簡単(?)に。

中学論題(電気自動車)について
今季の論題のポイントは、「2026年までに電気自動車以外の走行を禁止する」という点です。電気自動車以外お断り、ということです。地デジの話と似ていますが、テレビが見られなくなることよりインパクトはずっと大きいですね。ここをどう議論するかで、肯定側も否定側も議論の説得力が全然違ってきます。

普通に考えれば、電気自動車以外を走れないようにするというのは、かなり強引な政策です。ちなみに、現行の道路交通法は、牛車や馬車も軽車両としているわけで(同法2条11号)、そこからすれば「電気自動車以外お断り」というのはすごいことだということがイメージできるのではないでしょうか。
ここで、論題を取らない世界を考えてみましょう。選手の皆さんの中には、否定側は「電気自動車のない世界」を支持しているのだと考える方もいらっしゃるかもしれませんが、そうではありません。論題を支持しない現状の世界でも、メーカーは電気自動車を開発していますし、いずれは実用化されていくでしょう。最近読んだ日経新聞の記事でも、北米で電気自動車を量産していくというメーカーの方針があるということでした。要するに、電気自動車を強制しなくても、ある程度は自然と電気自動車へのシフトがされていく可能性はある、ということです。

否定側としては、ここを捉えた上で、肯定側に対して「このままでも必要に応じて電気自動車は作られていくのに、わざわざガソリン車を排除する必要があるのか」と問いかけることが出来るでしょう。その上で、無理に電気自動車を強制することにより生じる不都合を、デメリットとして出せばよいのです。急に生産をシフトさせると失業が発生するかもしれませんし、2026年までに日本ののすみずみにまで充電スタンドを置くことができなければ田舎で車がつかえなくて困るといった話があるかもしれません。ゆるやかに普及させればよいのに、性急に事を進めると不都合が出るという立場ですね。
ここで重要なことは、単に「電気自動車は部品が少ないので自動車産業の仕事が減って失業する」といった話だけでは、説得力が弱いだろうということです。電気自動車が本当にエコで、部品も少なく安いのだとすれば、それはよいことだと考えるのが普通でしょう。我々にはそろばん職人のために電卓を我慢してそろばんを使う必要はないのですから。もし失業問題を軸にすえたいのであれば、無理やり生産転換させることで急な失業が発生するといった特殊事情を論じる必要があるのではないでしょうか(それでも個人的にはあまり強い議論とは思いませんが…)。

肯定側としては、このままでもゆるやかに電気自動車が普及するということを前提に、それでもなお急速に電気自動車を普及させるべき理由を論じなければなりません。地球環境問題は一刻も早く対策すべきであるという議論もありえるでしょうし、国策として電気自動車を推進することが結果的に国際競争力を高めるという議論もありえましょう。何にせよ、電気自動車は素晴らしいということを述べるだけでは、「2026年までに他の自動車を排除する」ことを正当化することは難しいのではないか、という意識を持ってほしいです。

高校論題(一院制)について
高校論題については、いろいろ検討すべき点がありますが、ここでは一点だけ取り上げます。それは、「民意」という言葉の取り扱いについてです。

試合を聞いていると、やたらと「民意」という言葉が出てきます。ある試合では「真の民意」なる言葉も出てきて、どこかに偽りの民意があるのかよ、と思いながら聞いていたりしました。
これは他の論題でもそうですが、ディベートで重要なことは、言葉の意味を具体的に詰めていき、イメージとして結実させていくことです。法科大学院で教わった中で印象的だった言葉の中に「法律家は具体的なものは抽象的に、抽象的なものは具体的に語れるようにならねばならない」というものがあるのですが、これはディベーターにとっても大切なことだと思います。
(だから、Japanがうるしだとか言って辞書を引くだけで何の説明も与えないのは、ディベートでもなんでもない言葉遊びでしかないのです…というのは、高校生の選手には関係のないことですが、一応断っておきましょう)

では、一院制における「民意」とは何でしょうか。結論から言うと、答えは一つに定まるものではなく、場面ごと、文脈ごとに異なる意味の「民意」が問題となってきます。
全てを説明する能力も紙幅もないのでここではいくつかに絞って例をあげましょう。

まず考えられるのは、「多数決の結果としての『民意』」と「討議の結果出てきた個々の意見それぞれを捉えた『民意』」です。前者は「結果」を、後者は少数意見も含めた「過程」を問題としているということができます。
前者の考え方は、多数決で決まったことが国民の意思であり、それに沿うことが国会の役割であると帰結することにつながりやすいでしょう。すなわち、衆議院と参議院が同じ結果だとしたら、一方は無駄だったということになるはずです。
一方、後者は結果だけでなく、その途中で出てきた意見それぞれに意味があると考えることになります。ここでは、たとえ結果に反映されないとしても、いろいろな意見に配慮することが「民意」を大切にしていることだということになります。

次に考えられるのは、「昔の『民意』」と「現在の『民意』」という、時間軸での考え方です。分かりやすく言えば、昔の選挙結果と今の選挙結果が違う場合に、それをどう評価するかということです。ねじれ国会の問題は、本質的にはこの点をどう考えるかということになるのではないでしょうか。
昔の民意にも意味があると考える立場は、その時々の風潮に流されて意思決定することは望ましくないと考え、一度選挙に勝つだけでは簡単に政権を維持できないという状況を好意的に見ることになります。ここからすれば、ねじれ国会も相応の意味があると考えることになるでしょう。一方、活きのいい民意が尊重されるべきだと考えれば、古くなった民意により支えられている議院に邪魔されている現状は望ましくないということになります(ねじれ国会の問題は「参議院が邪魔」だと説明されたりしますが、直近の参議院選挙で民主党が勝ったという経緯からすれば、むしろ昔の選挙で支持されていたに過ぎない衆議院が邪魔であり、はやく解散して国民の信を問えという話になるはずです)。
*そもそも、衆参の与党の違いは「民意の新旧」とは違うところに理由があるという説明も可能です。例えば前の衆議院選挙では郵政問題が前面に出された一方、参議院選挙ではそのような議論がメインではありませんでした。つまり、今も昔も民意が変わっていない部分があり、たまたま前の選挙と現在の選挙で争点が違ったから投票行動が違っただけだということです。この場合、新しい選挙の結果を優先することは、現在の民意のうち前の選挙で意思表示された部分に反してしまうということにもなりかねません。

ここで重要なことは、上記のような「民意」のうち、いずれが望ましいかという点に答えはないということです。それは、論者の立場(肯定側か否定側か!)や、その議論の想定している場面によって異なってきます。
それは皆さんが考えることですからここではこれ以上説明しませんが、まずは皆さんが具体例として挙げている事例や、使っている資料について、そこで問題となっている「民意」とはいかなるものであるのか、じっくり考えてみてください。その上で、なぜその「民意」が重要なのか、相手方が語るであろう「民意」と比べて優先されるべきなのか、ということを詰めてみてほしいということです。


以上が、今季論題について思ったことです。
その他、プランがらみの理論的問題についても取り上げるべきかという問題はありますが、東海大会では幸いにもそういう話が出なかったので、今日はやめておきます。

ディベート甲子園の選手向け | 21:58:39 | トラックバック(0) | コメント(4)