愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
第14回ディベート甲子園の簡単な感想
先日第14回ディベート甲子園が終わりましたので、その感想でも書いておくことにします。弁論についての文章はまた後に回します。

今年も僕の仕事はジャッジ配置で、前線でジャッジをしたのは1日目の高校リーグ戦1試合だけでした。あと、例年はホールでの中高決勝でスクリーン用のフロー取りをしていたのですが、今年から分業制になり、僕は高校決勝だけを担当していました(今年はスタッフがステージ上から見えていたので無意識のうちに僕が視界に入っていたかも…)。
今年はなぜかスクリーンの表示情報が増えており、また仕切りがなくなり打ち込み役との連絡も例年より小声を意識せざるを得なかった(選手に聞こえてしまう!)ことなどもあり、フローに議論の内容をあまり取れなかったので、詳細な感想は書けません。そこで、決勝戦については簡単な印象を記すにとどめ、伝聞で聞いたことや地区予選からの感想からした昨今の問題点について思うところを書くことにします。例によって高校中心です。

1.今年の高校決勝戦の印象
今年の高校決勝は肯定側が早大学院、否定側が東海高校で、最終的に早大学院が優勝しました。おめでとうございます。
早大学院は地区予選決勝でジャッジをしており、そのときにも肯定側の議論を見たのですが、正直なところ議論の水準は高いものではなく、(もちろん他のチームよりは上手かったと思いますが)否定側の創価に比べると1段か2段違うなぁという印象を受けていました(余談ですが、そのときは3-2で創価が勝ったものの、5-0の試合だと思っていたので主審をやりづらかったです。2票が誤審だったという趣旨ではありませんが、正直なところあの試合で肯定に入れるのは苦しかったのではないかと思います)。
しかし、決勝で聞いた早大学院の議論は、立論の完成度も上がっており、何よりも試合の展開が計算されていて、完成度の高い上手さを感じさせられました。特にベストディベーターになった2ARのまとめは秀逸で、伸ばすべき議論を完璧に伸ばし、簡潔かつ分かりやすい争点まとめをしており、素晴らしかったです(気をつけるべきことは、あのスピーチは2ARの彼が上手いというだけではなく、立論段階からあのまとめを計算していたから成功しているのであって、2ARの彼にあこがれているだけでは真似できないということです)。

今季論題は難しすぎた感もあり、誤解を恐れずに言えば、決勝戦についても議論内容の水準は必ずしも高くありませんでした。肯定側立論も一院制の構造的問題という観点から掘り下げた議論ではなく、オチは公明新聞の暫定予算に関するエビデンスという、個別の一事例にすぎない問題です。
この点、例えば練習会で見た創価の議論は、ねじれ国会の問題の本質は重要法案がそもそも審議されなくなるということであり、一院制によって国民の信任を得た政党が責任を持って政策を実現していく仕組みを作るべきだというストーリーを用意しており、今季見た中では出色の議論と感じましたが、あまりに大会直前だったこともあり完成度が上がりきっていなかったのかもしれません。この議論は要するに二大政党制を志向すべきという議論であり、政権選択のあり方まで議論できていたという点では、論題の趣旨に肉薄した試みと言ってよいでしょう(もちろん他にも迫り方はありえます)。
否定側はより残念で、正直デメリット2つは目新しいものではなく、さすがに決勝に来ただけあって相対的によくはできていますが、どうやって勝ちたいのかイマイチ見えてこないし、反駁も肯定側の戦略に全然当たっていませんでした。肯定側が「ねじれの遅滞は野党が党利党略のため不合理に邪魔しているせいであり、評価すべきでない」という筋で伸ばしてくるのは明々白々でしたから、否定側はここを徹底的につぶすべきでしたが、第一反駁でそれを怠った時点で、あの試合の負けはほぼ決まっていました。相手が相手だけに、ポイントを外すとそれだけで致命傷になります。
*こう書くと決勝戦がしょぼかったと言っているように思われるかもしれませんが、以下述べるように別の見所もあったし、難しい論題に対して頑張っていた点、否定側もスピーチの水準としては決して悪くなかった点、少なくとも相対的にはよい議論だった点などもありますので、今季論題の決勝戦としてはよい試合だったと思っています。なので関係者の方が読まれた際もがっかりしないでください。

ただ、この試合では、議論の内容というより、肯定側が立論段階からまとめをきちんと準備し、それを質疑、第一反駁、第二反駁と忠実に伸ばし、相手の議論を絡め取った上で完成させたという「美しさ」が大きな見所になっていました。この点では、僕がこれまで見たどの決勝戦よりも水準が高く、先ほども述べましたが2ARは本当に感心させられました。立論段階から「こう伸ばすんだろうなぁ」と思っていた部分は全て伸ばしきり、反駁の議論も含めて主要争点すべてについて優位性を説明しきったところは、フローを取りながら拍手しそうになりました。
特に選手の皆さんに参考になると思った議論を挙げておくと、上で「しょぼいオチ」と言った公明新聞のエビデンスの伸ばし方です。多くの試合では、この資料(参議院でろくに審議されず予算が下りなかったので生活道路の建設が止まり中小企業が倒産の危機…みたいな)を伸ばす際には「実際に被害が出た!」とかいうことを強調するのですが、この資料のキモはそんなところではなく、むしろ「野党が参議院では真面目に審議しなかった(たった6時間だけ)」というところです。早大学院はこれをきちんと分かっていて、他の議論との絡みできちんとそのように伸ばしていました。これは議論全体が見えていないとできないことです。決勝をご覧になった方はフローを見直して確認してみてください。

というわけで、今回の決勝戦では「議論を伸ばすとはどういうことか」という観点から、非常によい参考例が提示されたと感じました。選手の皆さんは特に肯定側のスピーチの上手さを感じたと思いますが、そこで感じた上手さは決して「スピーチが上手い」ということから来ているのではなく(もちろん上手なのですが)、議論がきちんと練りこまれており、それを忠実に伸ばしていったことによるのだということは、きちんと理解しておいてください。ディベートにおけるスピーチの美しさは、議論の中身と不可分であるということです。

2.選手の皆さんに求めるもの
これは以前から感じているのですが、多くのチームに共通して問題であるのは、反駁がほとんど意味をなしていないということです。第一反駁で意味のある議論をしていたと思えない試合が相当数あるというのが、僕の正直な感想です。そしてそれは、今年全国大会で見た唯一の試合も含め、いわゆる名門校と言われるチームでも例外ではありません。

ディベートジャッジは、証明された議論のみを評価します。逆に言えば、証明されていないと感じた議論は、ディベーターがどうこう言わなくても評価しません。ディベーターの仕事は、ジャッジに「証明がない」ことをアピールすることではなく、相手の議論の証明を妨害したり、自身の議論を証明することです。
もっとはっきり言えば、僕を含めた多くのジャッジは、「~の議論はあいまいだ」とか「~には証明がないので取るな」というだけのスピーチにはうんざりしているということです。それはジャッジにとって分かりきったことを述べているだけで、勝敗には何ら影響しない指摘です。だいたい、そういう指摘しかしないチームにかぎって、自分の立論も全然証明されていません。ましてや「中小企業が倒産するインパクトは小さい、あいまいだ」などと述べるに至っては、この選手は想像力が足りないのではないかと思わされてしまいます(もちろんデメリット等を引き合いに出し、「~に比べれば小さい」という議論は十分ありえますが)。

反駁とは、相手の議論にケチをつけるだけではなく、それを上回る理由付けをしなければなりません。「~の理由がない」と指摘した後には、「そして実際には~という理由で間違っている」という議論を展開すべきです。簡単に言えば、エビデンスをもっと読むべきです。エビデンスがないとダメという趣旨ではありませんが、普通に考えて、エビデンスで固められた立論をダウトだけで完全否定できるなんてことはないでしょう(だったら皆さんは何のために立論でエビデンスを読むのでしょうか)。
一度、練習試合ででも意識的に「ダウト禁止」の第一反駁でもやってみると面白いかもしれません。自分のスピーチにどれだけ理由があるか、試してみるということです。そうすれば、反駁ブリーフを作ることの必要性もわかってくるはずです。

なお、ダウト単独であっても、意味のある反論はありえます。それは、なぜその証明がないとダメなのかを丁寧に述べるダウトです。ジャッジに新たな心証を抱かせることが反駁の仕事ですから、相手の議論に何が欠けていて、それが欠けていることで相手の議論がどう評価されるべきかということが的確に指摘されれば、ジャッジの心証を変えることは可能だということです。しかし、それでも反駁者のすべき仕事は、まずは相手を上回る理由付けです。

以上は反駁についてのコメントですが、証明が足りないというのは立論についても同様です。実はこれには理由があるのかなと思っているのですが、僕の仮説は「最近はディベーターの意識が上がっていて、『論題の本質』みたいなものを意識するあまり、理由の薄弱な抽象論に走りがち」というものです。事実、今季は民主主義論や民意論を展開するチームが多かったのですが、そのほとんどは独自の見解であり採用しがたいか、そもそも趣旨が不明というものでした。また、一応筋の通った話をしているチームでも、「多様性は素晴らしい」「少数意見は大切」といった話を無前提にしていて、キモの証明が欠けている残念なところが目立ちました。
この点、優勝した早大学院のケースは、あえてそういう話を省いてまとまった議論で固めており、一つの選択としてアリかと思わされました。理解できない大風呂敷を広げるよりは、理解した範囲の議論を極めるということです。

もちろん、論題の核心なるものを目指し、抽象論も含めた重厚な議論を志向するのはよいことです。僕個人もそういう議論を目指していますし、聞き手としてもそのような骨太な議論を期待しています。しかし、往々にしてそのような議論は難しいです。基本的な論点につき議論を詰めていないチームが、いきなり民主主義がどうとか語るということは無謀でしかなく、良い結果は生みません。
今季であれば、例えばねじれ国会の功罪という点について、一通り典型的な攻防(立論と反駁)を完成させていないのに、そこで問題となる「民意」について掘り下げるというのは無理のある話です。典型的な議論を埋めた上で、そこで抜きん出るためにはどういう角度付けが必要かと悩む中で、はじめて議論の次元は上がっていきます。もちろん、論題の勘所を掴んでいたり、熟達したディベーターであれば、最初からある程度のレベルの議論を組めるでしょう。しかし、僕も含めた多くのディベーターはそのレベルに達していません。ですから、コツコツと一歩ずつ議論を掘り下げるしかないのであって、ちょっと上手く行かないからといっていきなり抽象論に飛びつくというのは感心できません。ねじれ国会のケースについて一通り反論も出来ないくせに難しい議論作ろうとしてもダメですよ、ということです。

また、決勝の感想でも述べましたが、ディベートにおけるスピーチの美しさは、議論の中身と不可分です。負けた選手の中には「もっとスピーチが上手ければ…」ということを思った方がいらっしゃるかもしれませんが、ほとんどの場合負けた理由は単純で、議論が充実していなかったからです。そもそもスピーチが下手でも議論の中身で勝っていれば評価するのがディベートという競技です。スピーチどうこうと言う前に、まずは反論の中身を見直してみましょう。自分たちは相手の分析を否定する理由付けを出せていたのか、と。ダウトの後に反対の理由付けをしなければ意味がないという感覚を叩き込むだけで、全国大会ベスト16くらいは固いのではないかと思います。


以上、選手への小言のような内容になってしまいましたが、せっかくの努力が必ずしも議論内容の充実につながっていないように思われるので、敢えて厳しく書いてみました。

ディベート甲子園も14回を数え、選手の方々も洗練されてきている部分があるように思います。それが一つの形で結実したのが今年の決勝戦ですが、その一方で、「よいスピーチ」についてそれがなぜよいのかが十分理解されていない気がするというのが、上記感想の要約です。
そして再度僕の言いたいことをまとめると、ディベートで大切なのは議論の中身、もっと言うなら理由付けであって、スピーチの表層的な上手さを求めてもディベートでは勝てないし、スピーチとしても美しいものにはならないということです。相変わらず偉そうな物言いで恐縮ではありますが、選手の方々に何かしらの示唆を与えることができたとすれば幸いです。
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