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アカデミックディベーター

Author:アカデミックディベーター
日当たりの良い某法科大学院を2009年3月に卒業。
ライフワークである競技ディベートについてぼちぼち書いています

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ジャッジングの基本的な手順
もうすぐ司法修習が始まり、なかなか記事を書けなくなりそうなので(一応毎日通うので…)、少し記事を書いておくことにします。
まだ行ってないので詳しくは分かりませんがせっかくなので修習の中身について簡単に紹介しておくと、裁判所や検察庁、弁護士事務所を2ヶ月ずつ(裁判所は刑事と民事で2つ)回り、それぞれの場所で実際の仕事に付き添って見学したり作業をしたりという実務修習と、最後にある二回試験に備えて授業や書面作成などを集中的にやる集合修習の大きく2パートで構成されています。実務修習では実際の事件を割り振られて被疑者を取り調べたりすることもあるようです。ただ、守秘義務もあるし、ここはそういうことを書くための場所ではないので、今後もディベートのことしか書かない予定です。入院日記?なんじゃそれ

どうでもいい話はこのあたりでやめて本題に入ります。先日予告したディベートテキスト新書版の作成はちょっとづつ進んでいるのですが、何しろ一通りの内容を書こうということで、まだ半分も完成していない感じです。しかし目次込みで150頁を超えているという感じで、新書ではない何ものかができてしまいそうな予感です。この辺はまた調整などを試みて、来年の春までには何とか形にできればと考えております。正月辺りに、年内に完成できた部分の目次だけでも公開させていただきまます。
ただ、このテキストでは選手として大会に出るための情報を取り扱っているので、ジャッジングについての説明はほとんど入らない予定です。それはそういうものなので仕方ないのですが、実際にはジャッジングの方法について学ぶ機会も乏しく、選手もジャッジも困っている方が多いように思われます。ジャッジングの前提となるルールについては既にテキストを書き上げているのですが、あれはなんというか実務的需要を無視しているので(理解すべき内容を多く含んでいると僕は考えているのですが!)、もう少し需要に合ったブツがないといけないよなぁという気はしています。

というわけで、もし余力があれば、新書版のテキストを書き上げた後で、ジャッジングの基本的部分だけでも解説した何かを作成できればと考えているのですが、果たしてどういうものを書けばよいのかということで少し悩んでいます。
そんなところに、某所のラウンジでオンラインディベートを現役選手がジャッジングしているのを発見したので見てみたところ、(気を悪くしたら申し訳ないのですが)改善すべき点が多く見られましたので、それを指摘する記事を書くことを通じて、ジャッジングの解説として必要な内容を見出せないかということで、とりあえず以下のような記事を書いてみたという次第です。というわけで、ジャッジングのイメージをつかむ参考にでもなればということで読んでいただければ幸いです。テキスト作りの下準備的な試みでもあるので、質問などあれば是非お願いします。


1.検討の対象
今回取り上げるのは、ディベート甲子園の選手会(?)が運営しているディベートラバーズHPで企画されたオンラインディベートのジャッジングです。試合の内容と判定はこちらのラウンジで見ることができます。

試合は2つあり、第一試合の論題は「日本は中学校の学区制を廃止するべきである」、第二試合は「日本は中学校においてクラスを完全習熟度別にするべきである」という2つです。
試合内容についてもいろいろコメントすべきことはありますし、ジャッジの仕事には講評もありますので試合内容や改善点に言及してもよいのですが、今回は判定を導く過程とその理由の説明という点にポイントを絞りますので、試合内容については基本的にはノーコメントです。

なお、以下では例によって割と、というか相当厳しいコメントをしてしまっています。実際にジャッジルームで出会っても直接は言わないレベルかもしれません(後で主催者に…)。しかし、一番不幸なことは指摘されることなく自分の不備に気づかないままでいることだと思いますので――僕はディベートでも怒られて勉強させてもらいましたし、司法試験でも一回落ちていろいろ実感しています――、敢えて本音を書かせてもらっています。また、ジャッジングについて教わる機会もない以上、判定がうまくできないのは仕方ないことですので、そのこと自体はあまり気にしないでください。多分経験のない他の人がやっても同じようになるだろうということです。
特に、オンラインディベートというのは、選手とジャッジの両方が勉強するための場所だと思いますので、これをよい機会にしてジャッジングの方法について考えてみようという感じで受け止めてください。もし以下の内容がオンラインディベートでジャッジすることを萎縮させてしまうとしたらそれは僕の本意ではありませんので、オンラインだからこそ間違えてもいいんだということで、前向きに捉えていただければ幸いです。

以降の流れは、まず第一試合・第二試合の判定について改善すべき点をざっと指摘した後で、それを踏まえて、ジャッジングの流れや留意すべきことを説明するという感じです。

2.第一試合の判定について
最初に気になったのは、「肯定側」「否定側」というラベルで説明をしていることです。これは「メリット」「デメリット」とすべきところです。肯定側の議論というだけでは、メリットのことを言っているのか、デメリットへの反論も含んでいるのか、よく分かりません。試合でスピーチするときのサインポスティングでも同じような問題がよく見られるので注意すべきです。

といったところで肯定側の議論と称されるメリットの検討部分について。
ここでは「肯定側を少し取りました」とか「ここも少しです」いう結論が出ていますが、これではジャッジがどういう評価をしたのか良く分かりません。確かに、実際の試合の判定でも「メリットはかなり小さい」といった表現をするし、数字で評価が出てくるものではないので仕方ないところもあるのですが、実際の試合では、そうした結論を述べる前に、立論段階で示された内容や反論の効果などをきちんと説明しているので、どんな感じで削られたのかといったイメージはかなり特定されています。そういう説明もなしにいきなり「少し取りました」と言われても、選手は困るだけです。
では理由付けはどうか…と見ていくと、「大きな反駁がなかったので」という雑な(!)説明で、前提となる立論段階の主張そのものの評価はどうしたの!?と突っ込んでしまいました。その後で否定側第一反駁の反論を考慮した旨の記述もありますが、なぜそれで「少し」となるのか説明がないので全く分かりません。肯定側立論での主張立証がどの程度評価されるのか、それとの関係で否定側の反駁が成り立っているか、成り立っているとして肯定側の主張立証をどの程度減じているのか、といった順序でそれぞれを検討しないと、答えは出てこないはずです。ジャッジをされた方の中ではそういう検討はされているのかもしれませんが、それならそう書かないと(言わないと)伝わりません。
実際の試合でも、複数ジャッジで判定室で合議しているときには、副審がそれぞれの判定理由を説明することになります。正直に言うと、ジャッジの中にも、どうしてそういう評価になるのか全く分からない説明しかしない人がいるときがあります。主審をやっていてそういう副審に当たると非常に困るところで(何より選手が困るわけですが…)、時間もないので誘導などして強引に締めたりもするのですが、理由を説明できない判定は判定とは言えないのだということを、ジャッジとしては肝に銘じておくべきでしょう。大切なのは結論ではなく過程です。

メリットの他の部分やデメリットについての判定理由も同様の指摘が妥当します。というわけで次の項目である「比較」というところについて。
そもそも、比較を単独で評価するという発想が個人的には違和感のあるところです。そもそも個々の議論を評価したところで比べるまでもなく明らかであれば比較なんて判断する必要はないし(まぁ講評的に解説してもよいのですが)、比較すべき議論が双方に残っているとしても、「比較基準」という物差しは測る対象あってのものですから、この試合で何が残っていて、判定上どういう悩みがあるのか(どこで判断が分かれうるか)ということを指摘した上で、その悩みを解消しうる比較基準が出されていたか、そうでないならジャッジはどうやって比較したか、という説明の手順が踏まれるべきです。
第二反駁とは、「比較」という決まりごとをスピーチするためのパートではなく、ストーリーの中でお互いの議論をどう位置づけていくかを語るべき場所です。その中にいわゆる「比較」にあたる議論が含まれていて、どうして自分たちが相手を上回っているかというストーリーを形作るというのが、比較の議論の意義です。メリット・デメリットの3要件ですら、議論を説明するための説明に過ぎません。判定に至る理由の説明は、個々の議論を単独で捉えたものではなく、「どういう過程で判断したか」「個々の議論を踏まえてどのように考えたか」ということを示す場所なのだということです。これは第二反駁のスピーチにも言えることです。

最後の判定と称されている説明部分は、申し訳ないのですが全く趣旨が理解できませんでした。「量で見て通学中危なくなる人が多くなると思いDMを取りました」というのが、メリットよりデメリットが上回るという趣旨なのかと思ったら、その後でインパクトとか確実性といったことを述べていて、一体なんのこっちゃということです。量・質・確率といった要素は比較の基準として典型的なものですが、それらは要件ではなく比較の視座にすぎないので、試合でポイントになったと思う限りで言及すれば足ります。最終的には「どちらが大きいか」を述べなければならないので、その理由として必要なことだけを述べればよいし、その理由は必ず述べねばなりません。
そして一番よくないのが、「どっちもどっちでした」というまとめです。メリット=デメリットであればルール上否定側が勝つのですが、こういう勝負の付け方は非常によくない、ジャッジとしても不本意なものであり、できるだけ避けるべきものです。両方の議論を良く見て、どこかに差はないかということをしっかり判断したうえで、やむなく出てくるのが「引き分け否定側」という判定ですから、そういう判定を出す際には、とりわけ丁寧な説明が必要です。それなのに「どっちもどっち」で終わってしまっては、一生懸命議論した選手も浮かばれないというものでしょう。少なくとも僕はジャッジとしてとても申し訳ない気持ちになりますし、実際の試合で「どっちもどっちでした」とかさらっと言ってしまったら、皆さんもいい気持ちはしないでしょ?

あと、判定の理由付けで気になった点としては、メリットで「いじめがなくなる」と述べている点に対する否定側の「いじめの原因が被害者本人の落ち度による場合も根本的解決になりません。なぜなら自身が変わらないうちに他の学校へ行っても、再び人間関係でトラブルを起こすからです。そうなると、心の傷が消えるどころかより一層深くなります」という反論について、「否定側第一反駁でのAの3点目の反駁(注:上で引用したもの)は確かにより一層深くはならないにしてもこういうばあいは続くなと思ったからです」と述べている部分です。
そういう判断をしてはいけないというわけではないのですが、否定側の反論は要するに「いじめられる奴が悪い場合もあって、そういう人は結局またいじめられるので解決性がない」ということを言っているわけで、一般的にはあまりよろしくない印象を受ける議論です。僕自身も賛同できないし、たぶんいじめ自殺者の遺族が聞いたら不快に思う言説なので、こういう議論をさらっと評価してしまうのは、ちょっと危険かもしれないという印象を持ちました。
もちろん、ディベートにおいては然るべき証明があれば主張は採用されるべきだし、上の議論でも「転校してもまたいじめられる確率が高い」とか「心理学者が統計的に分析したところいじめられる要因というのがあって…」といったデータがあれば、その主張は採用されるべきことになるのですが、この試合ではそれに代わるような説得的な理由付けもないし、これを評価するのはどうかなぁというのが正直なところです(むしろ1点目の反論とかの方が強いのでは?)。判定と社会通念は区別するとしても、「この主張は一般的によくないとされているものだよなぁ」という自覚だけは持っておかないと、いろいろと危険なこともあります(特にNADEでは学校関係者も少なくないわけで、そういう議論を裁く際には、採用するにせよそうでないにせよ、丁寧に説明するなどの配慮が要求されます)。

以上、ジャッジをされた方には申し訳ない過激なコメントになってしまったのですが、敢えて書いているということでご容赦ください(選手に対して過激すぎるような気もするので、要望があれば修正します)。
それでも敢えてこうやって厳しいことを書いているのは、実際にジャッジをやった場合に、理由付けが不明確な判定を述べてしまっては、大変なことになるからです。多分僕が同じような判定理由を全国大会の予選リーグとかで述べたら、負けたチームに囲まれて、その後でブログなりツイッターなりで「愚留米(多分本名になるでしょう)は偉そうなこと書いてるけど判定は何言ってるのか分からない」とか書かれてもおかしくないし(もう書かれてたりして)、本当に変な判定だったとしたら、そうやって書かれても文句は言えません。
もちろんこのオンラインディベートは実際の大会ではないし、失敗したからどうこうというわけではなく、むしろそこから前向きに学ぶべきところなのですが、実際の大会ジャッジは、皆さんからどう見えているかに関係なく、そういう批判にさらされる立場にあります。そして判定理由を述べる主審は、副審の判定内容も含めて、判定講評に全ての責任を負わなければなりません。そのような責任に耐えるためには、試合をしっかり評価しなければならないのは当たり前のことで、その評価を理解してもらえるように伝えなければなりません。判定理由は、厳しい批判に耐えられるように、丁寧に述べられる必要があるということです。

3.第二試合の判定について
すごい勢いで第一試合の判定にコメントしてしまったのですが、自重せず次の試合の判定も見て行きましょう。

第一試合で指摘した内容とかぶっているのですが、「小さめにとっています」とか「とっています」という表現では、いったいどういう評価がされているのか良く分かりません。「すべてはとっていません」って、じゃあなにをどれだけ評価したんだよ、と突っ込まざるを得ません(副審に対してなら突っ込むでしょう)。理由付けをきちんと述べた上で、「非常に重要だと思った」「ある程度の大きさで発生するだろう」「少なくとも~の部分については解決する」など、できるだけ特定した形で評価を述べるべきです。

第一試合の判定よりは理由付けが述べられている感もありますが、それでも重要と考えられる点について一通り検討されているとは思えません。
例えば、メリットの解決性に当たる、クラス分けで授業が効率化するという話について、否定側から反論がある以上、評価を示さなければならないはずです。指摘がなくても立論の評価として説明すべき点ですが、反論が実際にされているのですから、この点の説明を落とすことは許されません。さもないと試合後に選手に囲まれてしまいます(ジャッジを囲むなとか、逆にどんどんジャッジを囲めとか、そういうことを言ってるわけではないので念のため…。ちなみに実際囲まれているジャッジは、説明のまずさはともかく、間違ってない場合が多いです。皆さん落ち着きましょう、ということです)。

また、説明そのものについても、趣旨が良く分からないものが散見されます。例えば「(肯定側の宿題プランは授業の一環として評価できるので論題に含まれる、なぜなら)授業に沿った宿題が出されるわけですから。よって重要性は通っているものと見ています。」ということが書いてあるのですが、なぜ宿題プランを論題内と評価すると重要性が認められるのか。どんな判断だ、というところです。
また、「やる気については、肯定2反で納得のいく説明がなされましたが遅すぎる気がするので、小さめにとっています」とありましたが、やる気向上による学力UPというリンクが新出議論だったと判断したのであれば、小さめでも取ってはならないのであって、このあたりも説明が不明瞭です。

そして一番良くないのは、「今回は肯定側のほうが話が分かりやすく、自分たちの攻撃の仕方がぶれていない感じがしたので肯定側に1票投じたいと思います」というまとめです。これは完全にルール違反(ルール云々以前にディベートの判定のあり方に反している)で、メリットとデメリットの評価ではなく、話が分かりやすいとか、ぶれていないといった印象めいたもので答えを出してしまっています。これは選手に囲まれるどころの話ではなく、二度とジャッジに呼ばれなくなるレベルのまずさです(実際には「呼びたくないけど…」ということもあったりなかったり)。
急いで付け加えておくと、こう書いているのは、「お前はジャッジに向いてないんだよ!」とか、そういう意味では断じてありません。誰でも最初はそういうところからスタートするのですから。大切なことは、印象ではなく理由付けに基づいてきちんと判定を出せるようになることであって、それはきちんと考え方を学べば誰でもできるようになることです――逆に言えば、ちゃんと判定を出せるようになろうという努力をしなければ、いつまでたっても間違いは繰り返されます。そして、そのような努力は、選手としてディベートを続ける上でも、大いに役立ちます。

というわけで、以下では、ここまで見た反省点を踏まえて、判定を出す基本的な順序や、留意すべきポイントについて、概要を説明いたします。

4.ジャッジングの基本的な流れ
それではここから、ジャッジが議論を判定する一般的な流れについて説明していきます。
それに先立ち、ジャッジの前提として、議論の基本的枠組を知っている必要があります。いわゆるメリット・デメリットの3要件です。判定室での合議でも、この3要件に沿って理由を説明できることが前提となっていてほしいのですが、理解できていない人は意外と多いです。誤解を恐れずに言えば、中高でディベートをやってきただけの人で3要件の思考様式が身についている人は10人に1人いないと思います。これも別に皆さんを批判しているのではなく、きちんと身につけましょうということですので、スピーチをうまく行うためにも、各自勉強しておいて欲しいところです。

それでは気を取り直して判定の流れに。1回立論形式の試合を例としていますが、2回立論形式でも同じようなことが妥当します。あとどうでもいいのですが、某所で「二段立論形式」という語法がありましたが多分そういう呼び方はしません。姑のお小言みたいでアレですが一応。
まず立論(メリット・デメリット)を聞いた段階で、3要件に照らして立論が成立しているか、しているとしてどの程度の強度があるのかを自分なりに整理します。これは自分で分かればよいので書き出す必要はなく、頭の中で考えれば足ります。
例として、ラウンジにあった第一試合の肯定側立論を僕なりにざっと評価したものを以下に示します。論題は「日本は中学校の学区制を廃止するべきである」でした。議論についてさらっと厳しいコメントをしているのも例によって仕様です。講評ではこういうことも指摘させてもらったりします。

AD 人間関係の改善
A)いじめの問題
内因性(原稿では「現状分析」となっている)
小学校でひどいいじめ←公知の事実として存在は認められる。あまり争いにならない?
学区制のせいで同じ学校になるので中学でも引き継がれる←ここがポイントか
*クラスが変わればある程度解決したりしないのかな?という疑問
解決性(原稿では「発生過程」となっている)
学区制廃止でいじめ被害者は別のところにいけるから救われる←まぁそうかも
重要性
学校生活が充実←スクールライフとかいう軽い言葉はもったいないという印象
B)恋愛
内因性
学区制のせいで決められた学校にしかいけない
そのせいで好きな人と離れ離れに…←他の学区の人を好きになるの?マセてるな…
解決性
自分の意思で好きな学校に行ける←「あの子と一緒に!」で親が納得するのか
好きな人と同じ学校へ←相思相愛でもないと無理だろ、少女漫画の読みすぎではないか
重要性
スクールライフ←試合には関係ないが、僕の中学生活が否定されているようで辛いw


以上を前提とすると、恋愛に関する議論は「相思相愛なのに引き離されてしまう」という例外的な状況が改善されうるというだけの話だし、それがどれだけ重要なのか全く分からない(中学は恋愛の舞台じゃないでしょ、どこか外で会えばいいじゃんという話)ので立論段階で成立が認め難く、試合の決め手にはならないと判断されます。そこでジャッジとしては、いじめの議論に注目してメリットを評価していくことになります。争点になりそうなのは、同じ学校にいるというだけでいじめが激しく続くのかという点になりそうですし、解決性に何か反論が出てくればそれも検討しないといけない…ということで後のスピーチを聞くことになります。
こうした評価は、スピーチを聞きながら頭の中でやっていくことになります。複雑な議論だと準備時間に整理したりもしますが、ディベート甲子園の試合程度の議論量ではそんなことはほとんどなくて、準備時間は講評コメントを考えていたりします。講評を考えるというのもいろいろ工夫が必要なのですが、僕自身すべったりして恥ずかしい講評をやらかしたりするので、ここでは説明を省きます。

試合は立論から反駁までずっと続いていくわけですが、フローを取りながら、上記のように整理した試合の争点について、反論があった都度検討をしていきます。なされた反論のうち理由がないと思った部分については、なぜ理由がないかを頭の中で明確にしておきますし、理由があると評価される部分は、それが立論をどの程度減じているのか考えます。さらに再反論が加えられれば、反論とどちらが説得的か、場合によっては関連する別の部分の論証なども参照しつつ、自分の中で答えを出します。
こうした作業は、全ての論点で同じ密度でできるわけではありません。なので、最初に感じた「争点」や、その後試合で盛り上がった部分(客観的に重要とは限らないが、選手が重要だと考えて議論しているので、実は重要でなかった理由も含めてある程度丁寧に説明しなければならない)を中心に検討していきます。これは講評で説明時間を配分するときにも同様です。特に、勝敗を左右するような論点、この試合でいえばいじめの問題に関する議論のやり取りは精密に検討しなければなりません。とりわけ、解決性への完全なアタックとして機能しうる1NRの1つ目の反論(住む地域は一緒だから解決しない)の成否は慎重に検討される必要があるでしょう。

というわけでこの部分を実際に検討してみます。1AR以降を見ると、肯定側は「中学生は気持ちが変わりやすいから距離をとればOK」とか言っていますが、これは否定側のロジックに全然当たってないし、気持ちが変わりやすいならいじめも自然になくなるんじゃないかという疑問があるので採用できません。2NRも指摘しているように、学校外のいじめはあるかもしれないなぁという感じです。ただ、学校でのいじめは減るかもしれません。
その上で、そもそも肯定側が立論段階で「学校が一緒になるといじめは解決しない」ということを十分説明できていなかったという点を考慮し、学区制を採用すべき理由としてみたときにいじめ解消メリットを全て認めるのは厳しく、また学校外のいじめについては解決できないということで、立論当初の主張より小さい、具体的には「小中にまたがるような深刻ないじめについて、学校内でのいじめはなくなる。量は不明だし、深刻ないじめだと学校外でも何かあるかもしれないので解決性が足りないかもしれないので大きくは評価できない」といった判断になります。

こうやって、メリット・デメリットの成否について個々の議論を検討し、3要件が満たされているか、満たされたとして最終的にどの程度の大きさになっているかを判断します。その上で、メリットとデメリットを比べることになります。
ここは決まった考え方があるというものではないのですが、要するに「自分がなぜ、どちらが大きいと思ったのか」を説明できれば足りるので、発生の確実さがポイントになったとか、価値の重要さがポイントになったとか、そういう主要な観点について、試合で出た議論や上記検討結果と関連付けて述べるべきでしょう。
例えば僕だったら、デメリットについての詳細な検討は字数の関係で省略しますが、デメリット1は大きそうではないが認められ、デメリット2は反論もなく自己決定的側面はあれどもそれなりに認められ、デメリット3も格差の発生自体が好ましくないという点は肯定側の反論を踏まえても認められると考えられるので、これら3つを上記メリットと比べることになります。いじめのインパクトは大きいですが、学区制由来といえる「いじめ悪化」がどの程度か結局分からなかったこと、それが地域との交流や生徒の通学上の安全、教育機会の均等を害してまで優先されるべきかという点で疑問が残ったことなどを理由に、デメリットが大きいと評価できそうだというのが、僕の判定になります。否定側は明示的に述べていないのですが、学区制の意義をそれなりに示した否定側に対して、学区制廃止でなければ解決できない問題というものを肯定側は十分示せていなかったという判断です。

こうした判断をスムーズに行うポイントは、上記で説明したように、試合の早い段階で「その試合で争点になりそうな部分」を特定してそこに意識を向けること、議論が出てきたらその都度、それが当たっているか、当たっているとしてどのくらい有効なのかという点につき、理由とともに考えるということです。これは慣れないうちは容易ではないのですが、場数を踏めば段々と慣れていきます。何も実際にジャッジをしなくても、選手として試合をするときや、試合を観戦しているときにも、同じような態度で試合に集中すれば、同じような経験ができます。

ジャッジングの基本的な流れは、ざっと以上のようなものです。関東でたまにやっているジャッジング講座では、もう少し細かく説明されていると思うのですが、つまるところは、議論の枠組(3要素)を正確に理解したうえで、それに沿って争点を見つけ出し、問題となっている点を判断し、総合して自分なりの理由付けで結論を導くということに尽きます。
ジャッジをやっていると、他の人の判定を聞いて「よく見ているなぁ」とか「そのように捉えるとは深いなぁ」などと感心させられることもあり、その意味で同じ答えでも深みが違うということはあったりするのですが、それは基本に慣れた後で考えればよいことです。まずは、拙くても、自分の判断過程を正確に、自分なりの理由付けをもって説明できるようになることが第一です。向上心を持って謙虚に取り組めるのであれば、誰でもジャッジングを習得することは可能です。僕でもそれなりにできている(と思われる)のですから。

5.あとがき
以上、オンラインディベートの判定についてコメントしつつ、ジャッジングの方法について簡単(?)に説明しました。当事者の皆さまには不快な内容だったかもしれませんが、繰り返し書いたように、今後の向上に期待してのことですので、ご理解いただけましたら幸いです。いつか皆さんと一緒に試合をジャッジする日がくればうれしいと思っております(皆さんがそう思われるかどうかは別ですが…)。

せっかくの機会なので、ジャッジングについてもう少し述べておきます。
おそらく、少なくない選手の皆さんは、「ジャッジしょぼいな」と思ったことがあるでしょう。僕もあります。しかし、心あるジャッジは、選手の皆さんからそう思われるかもしれないという責任を感じつつ、議論を一生懸命評価しています。なので、分からない議論はどうして分からなかったのかをできるだけ説明しようとするし、どのような議論でもできる限りその意図を汲み取ろうとしています(あえて汲み取らないこともありますが)。
皆さんが必死であるのと同様に、あるいはそれ以上に必死でジャッジをしている人もいるんだよ、ということを、いつかジャッジをするかもしれない選手の皆さまにも知ってもらえればうれしいです。そして、そういうジャッジは選手の皆さんと同様「議論しょぼいな」と思っていることも少なくないということを意識していただけると、選手としてもヨリ必死になるんじゃないかなぁ…と密かに期待しております。

議論構築やスピーチについての解説 | 02:36:12 | トラックバック(0) | コメント(9)
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