愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
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D甲子園高校論題変更についてのコメントと、死刑論題に関する小解説
まずは、先日発生した東日本大震災に被災された方々にお見舞い申し上げます。

全国教室ディベート連盟のHPに、今年度のディベート甲子園高校論題変更のお知らせが掲載されています。ご案内のとおり、変更前の論題は原発廃止であり、現在の福島第一原発の状況などを考えると、今年議論するには相応しくない論題になってしまったということは否めないので、論題変更はやむをえないのではないかと思います。
ただ、僕個人としては、選手の皆さまには、論題が変わったとしても、原発の是非をはじめとしたエネルギー問題について引き続き問題意識をもって、このたびの原発事故についても冷静に判断してほしいと思っております。現在報道されている原発事故は今も予断を許さない状況ではありますが、この状況一つとっても、あれだけ大規模な地震であっても原子炉の停止自体は成功しているという肯定的な評価は可能ですし、エネルギー政策上原発が必要とされる理由についても、震災の前後で変化はありません。今回のような衝撃的な事故を目の当たりにしても、冷静に事実を分析・評価し、より望ましい判断を下せるような能力を養うということがディベートの目的の一つであり、ディベート甲子園に出場される皆さまが目指すべきものであるということを考えながら、各種報道を見ていただければというところです。

話は変わって、以下では、東海大会で代替論題として使用される死刑廃止論題について、簡単に議論のポイントなどを書いておくことにします。
どうやら今年の高校生英語ディベート大会の論題も死刑廃止ということですし、死刑廃止論題は議論の幅や内容からして、ディベートを学ぶ上でよい論題でもありますので、この機会にコメントしておくのもよいかなという判断からです。あと、全国論題が死刑廃止になるという可能性もなくはないと思いますので。

死刑廃止論題では、過去にJDA大会に出場したことがあり、その時に論題について簡単に感想を書いています(こちら)。
これに付け加えるとすれば、本格的に始動している裁判員裁判の下で冤罪の問題はどう変わるか、ということでしょうか。僕はまだ刑事裁判の修習をやっていないので、裁判員裁判の評議を見たりはしていない(見ていても紹介できませんけど)のですが、検察側の立場から裁判員裁判を見ると、今のところは判断の質という点では問題なく機能しているように思われます。
裁判員裁判と従来の裁判との一番の違いは、裁判の迅速化のため、検察側が証拠を厳選し、質の高い少数の証拠で有罪立証にかかっているということです(その分、公判前整理手続でそれなりに時間をかけて争点整理等をやっています)。また、検察側は裁判員裁判の事前リハーサルや反省会などを重ねて、公判対策を相当やっているので、立証の分かりやすさという点でも工夫が感じられます。これに比べて、弁護人の方は刑事弁護専任でないということもあって、法廷でのパフォーマンスは必ずしも高くありません。死刑相当事案だとそれなりの弁護人がつくのかもしれませんが、個人的には、検察官と(一般的な)刑事弁護人の力量差はけっこうあるという印象があって、もしかすると裁判員制度の下ではこれが判断に違いをもたらしてくるということがあるのかもしれません。
死刑論題での議論ではこれまで裁判員裁判についての議論はあまりされていなかったのですが、裁判員に死刑判決を下させることの問題なども含めて、議論する余地はあるのかもしれません。裁判員裁判については様々な論文が出されているので、リサーチすると何かよい議論が出てくるかもしれないというところです。

死刑論題の醍醐味は、個々のデータをつき合わせて議論を検証する場面(抑止力の有無についてなど)と、価値の議論を激しく展開する場面(死刑囚の人権論など)、そして死刑廃止そのものへの考え方という価値基準論(立証責任の所在)など、様々な色合いの議論が可能で、それらが絡み合って試合が展開していくという点にあります。もちろん、ほかの論題でもそういうことはあるのですが、死刑廃止はこれらいずれの要素を欠いても説得力に欠けるところがあって、エビデンスの分布や論題の分かりやすさ(少なくとも原発など専門的なものに比べれば…)もあって、高校生が議論を学び、楽しむ素材として優れていると思います。現在も刑事司法の一問題として議論されている、ホットなテーマであることも、改めて説明は要しないでしょう。こうした理由から、死刑論題は「単なるつなぎ」としてではなく、一度しっかり議論してほしいと思う次第です。

この論題で注意すべきことを一つだけ述べておくと、「死刑廃止についての立証責任」の議論の位置づけについては、よく考えてほしいということです。
これは他の論題でも最近良く見られることなのですが、とりあえず「~だから立証責任は否定側にある」などと言っておくと有利になる、といった安易な考え方で立証責任論を展開するチームが少なくないように思われます。実は、最近JDA-MLで流れた今季春JDA決勝戦のトランスクリプトでもそのような残念な議論を見かけたのですが(また機会があったら取り上げます)、立証責任論はマニュアル的に述べるものではなく、きちんと実質をもって論じるべきです。
具体的には、立証責任が相手方に移る理由、すなわち「当該論題が論じられるべき文脈、あり方」についてきちんと説明される必要があります。できれば、相手方がどれだけの立証責任を負うのか、どれだけのことを証明しなければならないのかということについても言及できれば、説得力はより高まります(比較や総括の場面で述べることになるでしょう)。
そして、立証責任論について反論する場面でも、単純に逆の考え方をぶつけるだけではなく、相手方の理由付けに着目してきちんと攻撃することが求められます。例えば、肯定側が「人間の尊厳を損なう死刑廃止については存置側に立証責任がある」と述べた場合、否定側としては「肯定側は死刑が人間の尊厳を損なうものであると立証していない」「他の刑罰も人間の尊厳に影響することにおいて死刑と変わりない」などの反論を行い、立証責任転換の基礎を突き崩す実質的な攻撃を仕掛けるべきということになります。

とりとめのない内容になってしまいましたが、今日はとりあえずこんなところで終わります。
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