2011-09-24 Sat
明日から最後の研修のため埼玉に行かなければならず、ネット環境が失われる恐れがあるため、時効中断の趣旨で少しだけ文章を書いておくことにします。といっても長いネタを書く余裕がないので、今後書けるかどうか分かりませんが予告編のような内容を断片的に記すにとどめます。1.デジタルトライアングルのお知らせ
NADEが出していた会報誌「トライアングル」が、このたび電子化されることになりました(デジタルトライアングル)。
デジタル版の巻頭論文として、僕が以前書いた高校論題に関する文章が掲載されているほか、指導者インタビューが2本載っております。会員しか読めないのですが、今はサービスということで無料で読めますので、興味のある方は是非ご覧ください。
2.決勝戦をきちんと復習しよう
今年はディベート甲子園の決勝戦を動画で見られるようになっているわけですが、選手の皆さんはこの動画をどのように活用されたでしょうか?もしかして「すごいなぁ」で終わっていないでしょうか?
先日決勝戦について解説めいた文章を書きましたが、当然ながら決勝戦の議論についてはあれだけで語りつくせるものではありません。決勝の試合は、どうしてそんな判定になったのか、議論のどこが優れているか、逆にどこに改善の余地があるか…といった様々な視点で分析されるべき素材です。決勝の試合は、要するに来年皆さんが乗り越えるべき水準の試合なのですから(実際には準決勝の方がレベルが高いとかそういうことも珍しくはないのですが…)。
それはもちろん、優勝したチームについても同様です。以前書いた文章でも指摘しましたが、中学覇者である創価中学についても、高校覇者である北嶺高校についても、改善できる点はたくさんあります。特に個人的には、高校決勝は決して水準は低くなかったものの、もっと議論が練りこまれて然るべきで、例えば肯定側は立論の戦略が第二反駁のまとめに追いついていないし、否定側は端的に前回道州制論題で創価高校が出したデメリットの水準を上回れていないというのが正直な感想です。多分誰もそういうことを言ってくれないと思うのでわざと厳しく書いているのですが、そういうものだと思って批判的に見るからこそ、改善点が出てくるし、かえってその議論のよいところを正当に評価できるようになるものです。
関連して、特に判定が僅差だった中学決勝については、ジャッジの思考過程という切り口から議論を分析した原稿を上記のデジタルトライアングルに投稿したので、もしかしたらそちらで原稿をご覧いただけるかもしれません。ジャッジはメリット・デメリットのどこを評価し、いかなる理由で判定が分かれたのかということを、出来る限り具体的に考察した内容となっております。
3.いわゆる「スタンス」の議論と論証責任の転換
こちらは少々理論的な内容で、最近「スタンス」と称して出される議論について私見をあたためているというお話し。
詳細はここでは論じませんが、皆さんが出す「スタンス」なり「価値基準」なる議論は、(内容がないものは論外として)その位置づけが様々ありうるにもかかわらず、どのような効果を狙って出しているのかが明確でなく、そのために判定上も扱いに困るということが多々あるように思われます。
これら「スタンス」的な議論については、実質が重要性・深刻性をいうもの、独立した投票理由を作ろうとするもの、Overviewとして議論の見通しをよくするために出されているものなど、様々あるのですが、その中でいわゆる「推定の転換」という位置づけで出されているものについては、元となる「推定」概念の理解とも合わせて、疑問のあるところです。
推定を転換すると称して出されている議論は、実際には「この試合では肯定側に緩く議論を見て欲しい」といった、より積極的にジャッジの判断の方向性を変えようとするものであるように思われます。これを難しく表現すると、ジャッジの議論に対する審査密度を変動させようとする議論だということができます。このような議論を「論証責任の転換」として新たに位置づけなおし、真偽不明の場合の判断方法だけでなく、各論点の判断の厳しさに違いが生じうるということを正面から認めることで、議論がより現実的で面白いものになるのではないか、ということを考えています。
この点について現段階で詳論はしませんが、例えば今季JDA論題である原発廃止についても、原発の安全性という特定論点について説明責任や証明責任の分配を大きく変える議論というのは十分ありうるところで、現に伊方原発訴訟の判決では一次的に行政側に原発の安全性判断の合理性を主張立証する責任を負わせています(最判平成4年10月29日民集46巻7号1174頁)。司法判断と政策形成判断の相違といったことに意を払いつつ、アレンジして同様の議論を行うことは十分可能でしょう。
4.オススメの本の紹介
最後に、最近NADE事務局長でありCoDA(全日本ディベート連盟)代表理事である瀧本哲史氏が出版した本を紹介しておきます。実は2冊あります。
1冊目は新書の『武器としての決断思考』です。こちらはディベートの基本的な思考枠組であるメリット・デメリットの3要件に基づく議論の考え方、検証方法を解説することを通じて、人生において決断するということの意義とその方法論を伝えるものです。やる気のある中学生であれば十分理解できる平易な文章で書かれています。
ディベート的な内容については、基本的な事項に絞り込んで豊富な事例や演習問題が用意されており、基本的な考え方を理解・定着させるには好個の教材となっています。もしかしたら選手の皆さんの中には「簡単な内容だ」と思われるかもしれませんが、僕の見る限り、本書で解説されている内容を本当に体得できている選手はほとんどおりません(だから僕はいつもこのブログで3要件の話を書いているのです)。なので、分かったつもりの人こそ、本書を熟読の上、議論を検証するということの意味を考えてみてください。
しかし、この本の真の価値はディベート解説というものにとどまるのではなく、それを用いて意思決定を行うことの意義について指摘しているところにあります。ディベートという議論の方法そのものに習熟することには意味はなくて、本当に大切なことは、複数ある選択肢を様々な視点から批判的に検証し、それを自分の人生や社会のために生かせるかどうかということにあります。特に中高生の皆さまには、物事には唯一の正解はないからこそ、考え続ける中で最善の答えを模索し、「決断」する必要がある(答えが決まっていたら決断の必要はないのです)ということの意味を、本書を通じて考えて欲しいです。その上で自分たちがやっているディベートという競技の意味を考えてみると、ディベートに対する取り組み方も一段違ってくるでしょう。
2冊目はハードカバーの『僕は君たちに武器を配りたい』で、こちらは中高生向けという感じではないのですが、一応関連して簡単に紹介しておきます。
大まかに言うと、安定というものがどんどん失われていく資本主義社会の中でどうやって生きていくかということを書いているのですが、よくある自己啓発本ではなく、現在の社会のあり様の分析とそこで求められる資質・考え方を「武器」として紹介している本です。こちらも様々な事例を踏まえつつ鋭い分析が盛り込まれていて、単純に読み物としても面白いわけですが、真剣に自分のあり方を考えている人にとっては「面白い」でも済ませられない、ヘビーな内容でもあります。配られた武器を使うかどうかは自分次第ですからね…。
進路に悩んでいる方が読まれると、より悩みが深まりつつもそれを通じて最善解に近づけるかもしれない、そんな本です。少なくとも司法試験を受ける気がなくなる可能性が高いという点で、最善解に近づくことは間違いありませんw