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アカデミックディベーター

Author:アカデミックディベーター
日当たりの良い某法科大学院を2009年3月に卒業。
ライフワークである競技ディベートについてぼちぼち書いています

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某ラノベの感想と第14回秋季JDA決勝の簡易振り返り
どうも御無沙汰しております。
前回「しばらく出てこない」と書いたのですが、まだ研修中だったりして時間があったので少しだけ記事を書くことにします。激務オーラは出まくっているので今後どうなるかはわかりませんが、気が向いた時に時間があったらたまに記事を書くこともあるかと思います。

さて、今回は先日発売されたディベートラノベ「彼女を言い負かすのはたぶん無理 3」を読んでの簡単な感想と、別のブログであがっているJDA決勝のトランスクリプト(更新時点で2NCまで)を題材として、ジャッジから議論がどう見えるのかという話でも書くことにします。


ディベートラノベ第3巻の感想
正直なところマイナーレーベルなので売上とか続刊予定とかを気にしていたのですが、無事に第3巻が発売されました。表紙絵はこれまでで一番だと思います。
第2巻でラブコメ突入の予感だったわけですが、見事にその通りでした。主人公がモテまくる恒例の展開です。僕の知ってるディベートとは全然違うわけですが、聞くところによるとディベートをやっててモテるとかいう信じられないこともあるらしいので、夢を抱いて頑張ってください。あの職業ディベーターも奥さんは元ディベーターだったりしますしね!

あと、今回はアニメ化された有名作品「はがない」をネタにしていて、奇しくも僕が書いたSSの冒頭とネタがかぶってしまいました。「はがない」も主にイラストがいい感じで人気なのですが、今作のディベートラノベの方が恋愛的な葛藤に正面から向き合っていて作品的には面白いのではないでしょうか。やはり「聞こえなかった(笑)」で7巻までひっぱるというのは残念では済まないと思うのです。原作読んでないのにこんなこと言うのもなんですがww

…と、全然ディベートに関係ない内容が続いたので本題に入ると、第3巻ではディベート部の存続をかけて「ディベート部を廃部にすべきである」という論題で試合が行われます。個人的には、肯定側立論でアイラの不良行為とディベート部の活動内容の関連性が示されたと思われないので、この時点でメリットを棄却する判定になりそうなところなのですが、そこまで考えずに読むとそこそこ楽しめる感じです。
読者の中には「このラノベのディベートはしょぼい」とか思う方もいるのかもしれませんが、エンターテインメントとして議論をやろうと思うとこの程度の水準になるのは仕方ないところもありますし、いちおう筋としては通っているのでディベート的には及第じゃないかな、と思います。ついでにいつものように毒づいておくと、ディベート甲子園の少なくない試合では筋がおかしい議論が散見されますし、おちゃらけ論題であっても見る議論の多くは水準が低いと言わざるを得ないもので(これは3要件に基づく基本的な思考が鍛えられていないことによるものです)、このラノベの議論の方が平均的な議論の質は高いかもしれません(ラノベ内の設定的には当たり前なのですがw)。というわけで、皆さん頑張ってください。

無駄に毒づくだけではいけないので、小説の内容との関係でちょっとだけジャッジングの話を。
第3巻では、とある事情により、否定側が十分に再反論を行えませんでした。その結果として、ジャッジが「再反論がされなかったことを考慮して」議論を判断しています。小説の中では「再反論がなければ直ちに相手の主張をすべて認めるものではない」とあり、これは正当な記述なのですが、「再反論がない事実を相手方に有利に考慮してよい」というのは、議論の余地がある命題です。
結論から言うと、再反論がないという事実を相手方に有利に考慮することはありうると思います。しかし、それは「その点を不問とする黙示の合意」の存在から、その部分は共通了解となったとして、相手方の立証責任を緩和するという形で考慮されるものであって、かかる黙示の合意を認めるに足りる事情がなければ、再反論がないという事実に判定上特別な意味を持たせるべきではないでしょう。小説での議論展開においては、むしろ黙示の合意を否定すべき事情があったといえますので、肯定側の立証責任を緩和したかのように見えるジャッジの講評には疑問があると言わざるを得ません。

というわけで、ラブコメを楽しみながらジャッジングのあり方について考えるきっかけとなるラノベ「彼女を言い負かすのはたぶん無理」第3巻、未読の方は是非購入されてはいかがでしょうか?
ちなみにあとがきによれば4巻も出るらしいです。次は夏合宿があるらしいぞ!


第14回秋季JDA決勝の簡易振り返り
ここからは真面目なディベートのおはなし。職業ディベーターが昨年開催された第14回秋季JDA決勝(原発論題)のトランスクリプトをすごい勢いで作成し始めたので、これを題材にジャッジの視点から議論の細かいところにコメントをつけていくことにします。
こちらの記事でご案内の通り、僕はこの決勝戦のジャッジを務めさせていただきました。適任だったかはさておき、ジャッジとしてどういう部分が気になったのか、トランスクリプトを観ながら簡単に振り返らせていただきます。なお、この記事を書いている時点で2NCまでしか出来ていないので、振り返りもそこまでです。触れていないところだと、職業ディベーターの秀逸な2NRが特に参考になるので、トランスクリプトがあがったらそちらをよく研究されることをお勧めします。

1AC
全体的には手堅くできていて、よいケースだと思いました。特に内因性の分析は非常に精密で、予選でほかに見たチームと一線を画していました。
ただ、厳しいことを言えば、この手の論題では、ある程度の実力者が真面目にリサーチすれば内因性をきちんと分析しきることはそう難しくないし、確実に勝つためには当たり前だということができます。原発論題で重要なことは、相手のデメリットや反論を見越して、どうやって重要性を位置づけていくかということです。

ここでケースに戻ると、このケースでは①チェルノブイリをひいての福島の死者予想と、②福島の周辺住民の被害を主に論じています。
しかし、①はエビデンスの中身が「チェルノブイリより状況がよくないので100万人くらい死ぬかも」と言ってるだけで中身が弱く、どうやって死ぬかイメージがわかないので、あんまりぐっとこないというのが正直なところです。実際、この後で「まだ誰も死んでない」とか言われてしまっているわけで、ここは晩発性被害などをきちんと説明しているエビデンスに差し替えるべきだったように思われます。
②については、方向性としてはよい論証です。しかし、これも具体性を欠き、立論を聞いた第一感として「事故が起こったら取り返しがつかないな」と思わせるだけの重みを欠く論証です。被災者の生の声が入ったエビデンスなどを活用して、ジャッジに対して「Affに入れない場合この人たちを見殺しにするということですよ」という強いメッセージを発するべきでした。少なくとも僕は、そういうメッセージが十分出ていなかったので、AffにAgainstする抵抗が少なかったです(しかし、一般的感覚として被災者を慮る気持ちがあったので、Negに入れるのはとてもつらかったのも事実です。だからこそ、Affはそういう気持ちを味方につけるべきでした)。
①や②についてリアルな論証に成功すれば、武田のエビデンスが重い意味を持ってくるのですが、リアルな論証が欠けている場合、別に武田のエビデンスを読んだところで、ジャッジの判断を制約する効果は薄いです。というか、①や②がしっかりしていれば、武田のエビデンスを読まずとも自分の言葉で同じことを伝えることができるはずです。「100年であろうが、1000年であろうが、一度もあってはいけない」という文面をスピーチしてフローに書き取らせること自体には何の意味もなくて(これは証明を要する事実ではなく評価の問題ですからね)、ジャッジにそう思ってもらえることが大事なのだということを考えれば、Affが本当に説明すべきことは何なのかということがわかってくるはずです。

最後の価値基準と称される部分の議論は、詰めていくと判定上直ちに有意義なものではありません。絶対に安全とは言えないからやめるべきなのか、壊滅的被害が予想されるからやめるべきなのか、よく分からないという点もそうですし(僕はスピーチを聞いて後者と理解しましたが、落ち着いて文面を読むと前者のようにも理解できます)、「絶対リスクがない」と言い切れる技術なんてそうそうないので、危ないからやめろというだけでは説得力を欠きます。ここでは、ジャッジにどういう考え方を取ってほしいのかという目標を絞ったうえで、それをきちんと理由づけている議論を提出すべきです。
例えば、原発の安全性(内因性の議論)を評価するにあたって、高度な技術には不確実性が内在しており、そこから生じるリスクは重要性で述べるような甚大なものであるから、それにもかかわらず安全性を主張する側に技術的な説明責任があるといった議論を提出し、「内因性の議論をNegに厳しく取れ」と主張することが考えられます。また、予想されるデメリットとの比較を念頭に置いて、原発所在地にリスクを偏在させて全体の経済性を優先する考え方は許されないといった議論を展開することもできたかもしれません。これらは何も第一立論で述べる必要はありません。第一立論では、重要性の議論を分厚く論証しておいて、そこを起点として第二立論で相手に合わせた基準を出す方が、この論題のAffとしてはきれいな議論になったかもしれません。

長々書いてきましたが、要するに言いたいのは、ジャッジにどう考えてほしいのか、どうやって議論を判断してほしいのかを考えたうえで、そうやって考えてもらえるようなリアルな議論を作ればいいということです。これは、このケースの内因性のように事実を淡々と証明することに比べて格段に難しいですが、それだけに面白いところだと思います。
資料の字面が言っていることがそのまま判定に反映されるというのは都合の良い幻想であって、ジャッジにどう思わせるかがディベートで勝つということの全てです。もちろんそれは「ジャッジを扇動する」ということではなく、ジャッジの心に響く事実を取捨選択して立証し、ジャッジに受け入れられる論理を展開するという、まっとうな議論の在り方です。その具体例は、上記でお示しした通りです。

といったコメントにもかかわらず、このケースは基本的にはよい構成で出来ていて、証明も手堅いので、参考にすべきものです。ただし、3枚目のウォールストリートジャーナルで文中中略がされているのは、問題のある引用ですので真似しないようにしましょう。こういうのは聞いてて結構気になるところで、たぶん文意は変わっていないのでしょうが、文中中略を怪しむことでジャッジの思考が停止してしまうという不利益があります。早いスピーチだと馬鹿にならない損失です。

1NC
骨組みだけの短いデメリットを2つ出して残りはケースアタックという、二立論的展開(two constructive development)のお手本のようなスピーチです。2NCと一体で見ると、相手の反論に対する再反論によってデメリットを再構築し、厚い議論に仕上げていることがわかります(フローをとってみると実感できます)。このあたりは僕自身も参考にしたいところです。

ケースアタックについて。内因性への反論は、福島の炉が古かったからダメという話と、新しいAP1000にすればよいという話に終始していて、この段階でAffの論証した危険性全てをフォローしきれていないのではないかという印象でした。確かにAffは多くの議論で福島の例を出しているのですが、これは福島の炉に限定した話とは解されないわけで、Negとしては原発一般の安全性をフォローする議論を出すか、あるいは全部の炉が安全になるようなCounterplanを出す(全部AP1000にするというのは現実的ではないのでしょうが…)必要があったように思われます。
重要性への反論は、相手の挙げた論証①②にきちんと反論していて、一つの勝負どころを作っていました。どうせ重要性にアタックするのであれば、全部をつぶしに行かなければならないわけで、そのあたりを分かっているのはさすがというべきです。

2AC
この2ACは相手の議論の構成をフォローしながら何段にも分けてスピーチしており、とても分かりやすくなっていました。2ACの担当者は普段からこのあたりのスピーチが非常に上手で、このスピーチテクニックについては職業ディベーターを凌ぐ感すらあるので、参考にすべきものです。僕はたぶんこんなに上手く喋れないので半分あきらめていますがww

デメリット1への反論は、時間配分的にもこの程度で十分だと思いました。ただ、デメリット2への反論はちょっと薄くて、「米仏の大手原子力メーカーは、東芝や日立、三菱重工と提携関係にある」とか言われてもそれがどうしたという感じですし、3点目の「なぜ日本がリスクを背負う必要があるのか」という部分については、かなり強力な主張だと思われるので、もっと力点を置いて説明してもよかったでしょう。

ケースアタックの返しについて。内因性のフォローはかなり丁寧で、よく返っているという印象を持ちました。Negの反論の構造をよく理解して、適切に反論できています。ただ個人的な好みとして、ナンバリングが無意味に多くて、かえって話の流れを悪くしているのが気になるところです。たとえばAP1000の話の2点目とされている話は、別に独立な反論ではなく、3点目として説明される議論の前提に過ぎません。多分これはスピーカーの口癖で、こうやって話の切れ目っぽいところで番号を振りたくなるのでしょうが、こういうところまでは真似しなくてもいいんじゃないかなと思います(なんかそういう選手が結構いるので。おまけにこの2ACのように上手ではないので本当にイライラするw)。

重要性への返しは、正直なところ弱かったなぁという印象です。これは気持ち的によく分かるところで、原発論題で重要性を切られて負けるというのはイメージしがたいところなので、時間をあまり割かなくなってしまいがちです。しかし、この試合でNegはきちんと中身のあるアタックをしてきているので、相応に反論しないときついでしょう。先述のとおり、立論段階の重要性立証が実はそんなに中身がなかったりすることも響いているところです(きちんと証明していれば「いやいや実際にこういう被害があるのです」と伸ばして終わりにできる)。
細かい話に行くと、大気汚染に関する四国電力のエビデンスは、内容自体が1NCに返っていないものでした。というのも、1NCの中身は、着地濃度とかも考慮したうえでの統計的リスクと解されるところで、薄くなるから大丈夫だというロジックだけでは1NCの反論を何ら傷つけていないからです。「日本の火力はクリーン」みたいな話だと違ってきたでしょう。あと、WHOのデータは福島の今後の被害を反映していないといった指摘をしてもよかったんじゃないかと思いますが、これは後付けなのでその時出てこなくても仕方ないですね。

2NC
2NCはデメリットの再構築を担当しており、非常に充実した内容となっています。これだけ議論が出てくると、Affへのプレッシャーは相当なものになりますので、この議論展開は参考にされるべきものです。

2NCの再構築については、ジャッジの心をひきつけるという観点から、深刻性の議論に工夫が必要だったように思います。これはジャッジルームでも話題になったのですが、この後でNegが選択したデメリット1の議論は、失業がどうとかいう話にとどめるのではなくて、電力の安定供給や経済問題も人の命にかかわる大きな問題なのだというところまで行くべきだったでしょう。まぁ、これは2NRで話せばよかったということでもあるので、2NCとして何か議論を追加すべきという話ではありませんけど。
デメリット2についても、Affの再反論の3点目であった「日本がなぜ海外のために原発を残さないといけないのか」という部分についてフォローがなかったのが厳しいところです。あまりよいフォローが思いつかなかったのかもしれません。もしこの部分のフォローによいものがなかったのだとしたら、ここでデメリットを2つとも伸ばすのではなく、デメリット1だけを伸ばすという戦略が正解だったかもしれません。ただ、それは結果論であって、両方伸ばしたからこそ2NRでデメリット1を残せたということではあるのでしょうが。


以上、中途半端ですが、2NCまでをざっと見ていきました。
一番重要なことは、1ACについて書いたところである、ジャッジにどう考えてほしいのかという部分の説明を工夫するということです。この試合の判定では、ジャッジ4人は事実認定の部分でほとんど見解を一にしています。違いが生じたのは、その事実から認められるメリット・デメリットにどうやって重みづけをするかというポイントです。ここまで来ると、単に「この議論はこのエビデンスで返せばいい」とか「とりあえず価値基準を伸ばす」とかいうパターン思考では何ともならなくて、論題についてどういう視点から論じるとジャッジへの訴求力が増すのか、同じ事実を際立たせるにはどういう話をすればいいのか…といった、より創造的な思考が要求されます。
この決勝戦もそこで勝負が決まっていましたが、選手の議論のレベルで言うと、その水準で議論がやり取りされていたわけではありません(特に、2NRの「福島では人は死んでない」というのは、ディベートの議論的にはそうなってて要所を衝いてはいるのですが、Affとしては大いに突っ込みどころがあり、Negとしてはもう少し説明に工夫を要したところだと思います)。まぁ僕自身も選手としてディベートをやってそこまでの議論ができているかというと極めて怪しいのですが、少なくともそういう議論をしようとは意識しているし、そういう意識を持続させることで成果はでるんじゃないかと思っています。

そういうわけで、僕が「もっと考えて議論を出すべき」と言ってるのは別に適当に言っているわけではなく、後付けとはいえ考える余地はいろいろあるはずだし、試合の勝敗もそういう考えのありなしで決まっているところがあるんだよ、ということでした。
ただ、そうやって考える前に入念なリサーチが必要であることは当然で、この決勝戦の両チームもかなりの量をリサーチしていることが容易に推察されます。そのあたりをさぼって悩むだけでは何もでてこないので、まず黙ってリサーチしろ、と読者の皆さま(とりわけもうすぐ論題発表になるディベート甲子園の出場選手)にくぎを刺して、長文を締めさせていただきます。

JDA決勝批評 | 04:47:19 | トラックバック(0) | コメント(0)