2012-07-29 Sun
仕事の隙をついて東海大会の決勝戦でジャッジをしてきましたので、その感想を簡単に述べておくことにします。全国大会に出場される方にとって何らかの参考になれば幸いです。ちなみに、ディベートラノベの4巻は読みましたが、ディベート成分がかなり落ちていたので、ここで取り上げることは特にありません。ラノベの方向性的にはたぶん正しいので、第5巻以降にも期待しております。
それでは、以下、感想です(講評で述べたこととも若干かぶってます)。ちなみに中学は朝早かったため到着が間に合わず、見ていません。
1.インパクトに厚みを持たせよう
東海地区独自の論題で戦われる高校B部門では、テレビの放送時間制限というテーマが取り上げられていました。深夜、早朝、昼の2~5時くらいに放送が禁止されるというプランです。
議論の細かい中身は割愛しますが、肯定側はテレビの制限で節電になって計画停電が防げるという議論、否定側はテレビ業界が衰退して失業するという議論を出しておりました。で、結果は1-4で否定側が勝ったわけですが、僕はこの中で少数意見として肯定側に入れております。
細かな論点の評価は措くとして(一応見てた人向けに若干コメントしておくと、メリットは一応発生すると認められ、電気に余裕がない状況では、計画停電までいかなくても節電できるだけで意味はあるのだろうと評価しています。デメリットは後述のとおり評価してます)、大きな投票理由は、デメリットの深刻性を評価できなかったということにあります。ぶっちゃけていうと、ここは割と確信犯的に、すなわち、たぶんマイナーだろうと思いつつ、投票しています。
否定側は、テレビの広告がスポンサー、とりわけ通販業者にとって儲かるとか、テレビ局にとって広告収益が大きいといった話をしていたのですが、深刻性は、テレビ産業などが縮小することで失業する、というものでした。
失業の議論はよく出てくる議論ではあるのですが、少なくとも僕の感覚からすると、失業というだけで直ちにまずい、というのは、ちょっと違うと思うわけです。だったら司法試験の合格者に仕事をくれよ、という話になってしまうわけです(実際は地方に行けばいくらでも仕事はあるわけですが)。
この試合に即して言うなら、肯定側は、禁止する時間帯のテレビの内容はろくなものでないという立証をしており、電気の無駄遣いだという方向性で議論ができていました。深夜番組がなくなると個人的に困るという話はさておき、否定側は、広告的に意味があるという主張を超えた議論はできていませんでした。深夜番組でテレビ業界の若手が育つとかいうエビデンスを読んではいましたが、そもそもそんな若手を育てる意味があるのかといった話はまったくなく、要するに「テレビ関係者が食えなくなる」という以上の話をしていません。
それでも、客観的に見れば、失職して困る人が出るというのは事実でしょう(たぶん、下請的なところから切られるのでしょう)。それでデメリットに入れるのは容易だし、間違いではないと思います。しかし、本来否定側が証明すべきは、そういった失業が「不当なもの」であること、すなわち、規制内容に理由がない(あるいは望ましくないこと)ではないでしょうか。
たとえば、広告の社会的意義(経済の活性化とか、単なる「スポンサーが儲かる」という話にとどまらない意義)やテレビの文化的意義などはどうでしょうか。あるいはもっと単純に(ある意味で高度な話ですが)、事業活動への規制は原則認められないといった話をしてもよいかもしれません。
この試合では、規制理由と言うべきメリットがそこまで大きくとれなかったこともあるので、失業のインパクトを割り引いた僕の判定はやりすぎたところがあるかもしれませんし、だからこそマイナーになったのだとは思います。ですが、こういった判定もジャッジとしてはありうる範囲だと思いますし、適切な形でインパクトが争われれば、単なる失業をいうデメリットを支持するジャッジは少数派になるはずです。なぜそれが深刻なのか、という議論を、もっと真剣に検討してほしいと思う次第です。もちろんこれは今期全国論題でも同じです。
2.重要な部分はしっかりと具体的に説明しよう
試合を左右する重要な部分については、ジャッジにきちんとイメージしてもらえるように、時間をかけて説明を行うべきです。今回は、死刑論題の例で説明します。
高校決勝の試合では、否定側がおなじみUSフロントラインのエビデンスを読んでいました。中身は次の通りです。
http://www.usfl.com/Daily/News/07/06/0611_007.asp
01年以降、死刑の犯罪抑止効果について数十件の研究が行われているが、いずれも死刑には犯罪抑止効果があると結論している。研究者はそれぞれ、年ごと、または州、郡ごとに分けたり、地域の失業率、人口1人当たりの収入などさまざまな間接要因も考慮しながら死刑の効果を解明しようとしている。
主な調査結果は次の通り。1)エモリー大学が03年に行った調査では、死刑が1件執行されると平均18件の殺人が防止できる(ほかに防止件数を3件、5件、14件とする研究も)。2)00年にイリノイ州が死刑執行を停止して以来、4年間で殺人が150件増加した(ヒューストン大学調べ)。3) 死刑を迅速に執行するほど犯罪抑制効果は高い。死刑囚が監房で過ごす期間が2.75年短縮されるごとに殺人が1件防止できる(04年、エモリー大学調べ)。
これに対して、肯定側は「アメリカの話が日本に当てはまる理由はない」とだけ反論しています。これだけでは反論は成立していないと僕は考えますが、ジャッジの中には、これで統計を排斥する人もおります。ですので、この議論が本当に大事だと考えるのであれば、もっと具体的に説明を加えるべきことになります。
決勝の否定側は、「フロントラインで出てくる研究はさまざまな間接要因も考慮しているから日本にもあてはまる」と主張していました。しかし、日本にアメリカの統計はあてはまらないと考えるようなジャッジに対しては、この説明では意味がありません。ですから、以下のようにきちんと説明して、ジャッジを「教育」してあげる必要があります(こういう言い方をしているのは、僕は上記統計を「アメリカの統計だから」だといって排斥する判断はおかしいと思っているからです)。
すなわち、「肯定側はアメリカの統計は日本に当てはまらないと主張していますが、その理由は肯定側が積極的に示すべきです。そもそも、政策決定において海外の統計を参照するのは常識であって、単に海外だという理由だけで無視するのはおかしいです。この統計も、犯罪の動機と考えられる経済事情に着目し、失業率や収入といった間接要因を考慮して、死刑の影響力を科学的に検証したものです。アメリカにしかない犯罪の動機があるとか、日本にしかない犯罪の動機があるといったことは普通考えられない以上、これが日本に当てはまらない理由はありません。日本に銃はないというかもしれませんが、銃がなければ刃物で殺せばいいわけですし、現に日本でもそうやって殺人や強盗が行われています」といったところでしょうか。ここまで説明すれば、(ほかの議論にもよりますが)このエビデンスを取らないわけにはいかないでしょう。
このような具体的な説明は、ほかの論点についても可能です。必要であれば、そこに時間をかけて、このように詳細に説明する必要があるでしょう。こうやって説明するためには、自分たちの議論の意味をきちんと理解していないといけないわけですが、逆に言えば、そういう説明ができないのであれば、ジャッジに理解してもらえないとしても、仕方のないことです。すべては、ディベーターの責任、ということです(上記のように説明してもなお「アメリカなので…」とか言ってるジャッジがいたら、それは問題だと思いますが)。
ディベートに慣れてくると、論点にどういう資料をあてるか、どうやって反論するか、という単純なパズルのような形で議論をとらえ、「反論が返った/返らなかった」みたいな形で物事を考えるようになってしまいがちですが、本当に議論が「返っている」かどうかは、聞き手によっても違うし、試合全体の議論の流れによっても違ってきます。しかし、皆さんが本当に取り組むべきは、そういう平板なディベートではなく、聞き手に訴えかけ、説得するディベートです。そこに「この資料を読めば返る」といった答えがあるわけではなく、自分たちが納得している理由を、ジャッジにも納得してもらう、すなわち共感を得るということが、皆様の目指すべき目標です。ですから、本当に大切だと思う部分は、単にエビデンスを読んだり、引っ張ったりするだけではなく、その意味をきちんと説明する必要があるのです。
(そもそも、「こういう議論で返っている」とか言ってる人間のいうことはだいたい間違っています。ジャッジを分かっているディベーターは、軽々しくそういうことを言わないものです)
3.メリットとデメリットを総合して考える、ということ
今回の高校論題では、肯定側の議論の組み方に苦労しているチームが多いように思われます。そこで、そのヒントになるのではないかと思うことを、簡単に述べておきます。
死刑論題では、すべてのジャッジが大きく残ると評価されるようなメリットを立てることは困難です。そこで、デメリットをたたくことを前提として、それを上回る形で議論をくむことが重要となります。
このような議論でポイントとなるのは、重要性の位置づけです。単に「大きい」というだけではなく、それがデメリットとの関係でどう評価されるべきであるのかということを意識して、その意義をきちんと説明する必要があります。
たとえば、死刑囚の人権というメリットを考えるとして、そこで主張される「人権(生命権)」を、単に「重要な権利である」というだけでは、デメリットに勝つことはできません。そうではなく、そのような権利を制約するには厳格な要件が必要である、という話をしなければならないでしょう。たとえば、「このように重要な権利を制約するには、それが本当にやむを得ないこと、すなわち、他の刑罰(無期懲役)ではカバーできない固有の意義があると証明される必要がある」とか、「そこで制約理由として示されるべきは、『何となく』の印象論ではなく、人権尊重の原理を覆すに足るような、科学的に証明されたものでなければならない。人間は生を欲する、といった感覚的な議論では足りないと言うべきである」といった話ができるのではないでしょうか。
こうやって、メリットを梃子にして、デメリットの評価を制約していければ、あとはデメリットに攻撃を加えて、メリットを否定するに足る説明がされていないことを示すということになります。
メリット・デメリットをそれぞればらばらに考えるのではなく、自分たちの議論(肯定側であればメリット、否定側であればデメリット)を起点として、どうやって相手を上回るのかを考えるのが、説得的な議論を考えるための姿勢です。そういう見通しをもつことができれば、あとは、個々の論点でどう納得してもらえるか、検討するだけです。
たとえば上記の議論なら、どうやって死刑囚の人権を説明するか、それが犯罪抑止の議論にもかかわらず重視されるべき理由をどう説明するか、ということを考える必要があります。もちろん、エビデンスだけでなく、それを具体的に説明できるよう、準備しなければなりません。
4.まとめ
上記をまとめると、要は「よく考えよう」ということになってしまいますが、よいディベートをするには、結局のところそれに尽きます。楽をして勝つ(よい議論をする)というのは無理な話であって、ジャッジを説得したいのであれば、自分たちも納得できるような議論を積み上げ、それを納得してもらうために準備をするしかありません。
僕がこれまで見せていただいた関東・東海の大会では、改善の余地はあるものの、皆様の「考えた成果」を見せてもらうことができました。その集大成を、全国大会で拝見させていただくのを、今から楽しみにしております。
(夏期休暇を大会に合わせてとったので、3日目まで参加できてしまうのです)