ちなみに、もう一つ、最近見つけたブログに取り上げたい記事があるのですが、これは別の機会に回すことにします。これは決勝ではない別の試合に関する話です。
それでは以下、質疑に関する本論です。
はじめに
最初に断わっておくと、質疑で成功するというのはとても難しいことです。僕の選手経験からしても、質疑でうまくいったかと思うのは数えるほどしかないし(試合を決定づけたかどうかと考えるとさらに少ない)、ジャッジなどで見ていても、質疑が仕事をしていたといえるような試合はとても少ないです。
だいたい、裁判の反対尋問などでも、日本の弁護士が十分訓練していないことを考えたとしても、尋問が成功してうまくいったという例はほとんどないと思います。反対尋問では長いと1時間以上質問するわけですが、それでも相手を崩すというのは大変です。ちなみに、僕が(記録で)見て一番凄いと思ったのは、浮気相手とその後会ってないと証言した後でいきなり浮気相手と証人が二人で書いた日付入りの絵馬を突きつけられたというものがありましたが(笑)、これも尋問というよりその証拠が凄いわけですからね。
ですので、質疑で相手に自分の思ったことを言わせるとか、そういう高い目標を持つ必要はありませんし、そのような無理なことはしなくてよいのです(そんなことできるディベーターは自分の知る限り実際にはいませんし、ディベートでそういうスキルをつけることは期待しない方が良いです)。そういうホラみたいな目標ではなく、死刑の抑止力ではないですけど、もう少し理論的・科学的(?)な形で、質疑を少しでも有効なものにする手法を考えるべく、これからしばらくお付き合いいただきます。
1.質疑における「成功」とは何か
前にも少し書いているのですが(こちら)、質疑には大きく3つの目的があります。すなわち、(1)自分たちが聞き取れなかったり、理解できなかった事項を確認すること、(2)反論の前提となる事実を確認すること、(3)3つ目は、相手の弱点をアピールして反論の前出しをすることの3つです。
(1)については純粋に自分たちの便宜のためにやっているわけですが、より攻撃的な(2)(3)の目的については、巷にいろいろ誤解がありそうなので、少し詳しく書いておきます。
一番重要なことは、応答者を解答不能に追い込むとか、自分たちの主張を認めさせるといったことは、基本的にはディベートの試合では意味がない、ということです。
実際の裁判では、証人が「答えられるはずの質問」に答えられないとか、事実に反する回答をしたということは、供述の信用性を大きく下げますし、場合によっては供述全体の信用性が損なわれます。これは、こういった態度が「証人は何らかの動機で虚偽を述べている」とか「証人の記憶があいまいだ」といったことを推認させ、証人自身の経験したこととして供述されている内容に対する信用性が損なわれるからです。しかし、ディベートでは、裁判の証人と異なり、応答者自身の経験した事実として回答を行うわけではありません。ですから、応答者が答えられなかった事実が直ちにマイナスになるかというとそういうことはありません。
もちろん、応答できなかったことが悪印象につながるとか、証明不十分と思われる部分のダメ押しになるとはいえますが、引用されている証拠に照らして明らかな部分について応答者がうまく説明できなかったからといって、証拠の価値が下がるわけではありませんし、応答者が認めたからといって直ちに証明不要になることはない(事実上争わないものとして考慮要素に入れることはありえます)のです。
ですから、質疑者としては気持ちがいいのかもしれませんが、応答者を追い詰めること自体には何の意味もありません。質疑の目的は、もっと合理的に捉えられなければなりません。
上記(2)の「事実の確認」は、その機能により、さらに2つに分けられます。
第一は、反駁で証拠を読む必要性を省くために行われる確認です。専門的でない事実的な部分について、上手く質疑者から情報を出したうえで相手方に確認を求めることで、反駁の時間を節約するのです。
第二は、相手方の論拠を制約するための確認です。相手方の主張を明確化することで、それ以外の争点を省き、反論の対象を絞ることができます。
上記(3)の「反論の前出し」についても、その機能、というより深さにより、2つに分けることができます。
第一のレベルは、自分たちの観点を質問という形で提示することです。たとえば死刑論題であれば「生命権は大切だということですが、これは全ての人にとって同じですよね。被害者にとっても大事ですよね」という質問です。この質問は、相手の回答がどうであれ、自分たちの反論の予告(ですから実際に反駁で出さないと意味がありません)として意味があります。というか、ここで相手方を追い詰めてもあまり意味はありません。「犯罪者の命も被害者の命も等しく大事」というのはおそらくほとんどのジャッジが共有するところで、その派生で相手を困らせたところで、ジャッジの心証を変えることにはなりません。
これに対して第二のレベルは、疑問をぶつけることで、相手の論拠が説明不足であることを示すことです。これは、証拠資料で十分理由が示されていない点について、効果的な質問をぶつけ、プラスの説明ができないことをアピールすることで、証明不十分であることを示すための質問です。
上記のような目的をどうやって意識して質疑を進めるべきか、具体的にイメージすべく、高校決勝の否定側質疑を題材に、見ていくことにしましょう。最初に断わっておくと、この質疑応答はかなりレベルの高いものだったと思います。というわけで、いろいろ書いていますが、基本的には(肯定側質疑もそうでしたが)よい質疑だったということを前提にお読みいただけましたら幸いです。質疑というのは特に実践が難しいパートですので、決勝の緊張感の中、これだけ落ち着いてポイントを絞った質疑ができるのは本当に立派なことです。
2.17回大会高校決勝の否定側質疑を題材に考える
第17回ディベート甲子園高校決勝の動画から、否定側質疑のトランスクリプト(細かな言い間違いなど省いたもの)を作成しましたので、これを順を追ってみていくことにします。
Q まずメリット1の、Aの3枚目の資料で、様々な原因があったって話がありますけれども、それぞれ聞きたいんですが、自白の偏重っていうのは何で冤罪につながるんですか。
A 自白の偏重があるために供述の強要がより冤罪につながりやすくなっていると思います。
Q なるほど。じゃあ、自白の偏重と、供述の強要っていうのは、一緒の問題ってことですか。
A そうです。
Q じゃあその次に、代用監獄ってのがあったと思うんですけど、これはどういう問題なんですか。
A 代用監獄があることで、供述の強要というのをよりしやすくなっていると思うんです。
Q なるほど。じゃあ次に弁護人の不在って話があったんですけど、これはどういう問題だったんですか。
A 弁護人というのは、その、取調べなどが、法律に沿って、正当に行われるために存在するもので、それが、いない場合、供述の強要や、検察官による証拠隠し、鑑定の非科学性などを、防ぐことはできないと思います。
そもそも、自白の発生メカニズムに時間を割く必要があったかどうかという問題はありますが、それは最後に検討することにして、ここではメリット1のAの3枚目の資料(柳・2007)に対する弾劾質問についてみていくことにしましょう。この資料は以下のようなものです(動画よりトランスクライブ。年号的には刑事弁護49号の「前進する死刑問題をめぐる議論--人権と死刑を考える国際リーダーシップ会議から」が出典?)。
弁護士 柳 2007年
「捜査段階においては、自白偏重、代用監獄、弁護人の不在、鑑定の非科学性、供述の強要、検察官の控訴、検察官による証拠隠しなどの問題のほか、『疑わしきは被告人の利益に』の原則の軽視があった」
この証拠を取り上げるためには、前提として、肯定側が主張する冤罪の理由がこの証拠に挙げられたものに限られるということを確認しておく必要があります。上記目的のうちの「主張の明確化」です。肯定側は限定を逃れようとするでしょうか、「じゃあ具体的に何なのか答えてください」とつめれば、とりあえず柳のエビデンスに限られることになります。その上で「それでは、肯定側の主張される冤罪の原因について、一個一個聞いていきますね」と続ければ、ジャッジとしてはその答えに着目せざるを得なくなる、ということです。
柳のエビデンスを無力化するには、そこで挙げられた理由づけの重要なものをすべて叩く必要があります。そこで、最初に自白偏重を取り上げ、供述の強要とともにまとめた否定側質疑はよいと思います。ただ、反論につなげるという意味では、「自白だけで決めず、自白内容もきちんと検討しなければならない、ということですね」と確認しておくことで、反論対象がさらに明確化されたはずです。つまり、反駁で「今では自白偏重ではない、きちんと見ている」という反論さえできれば、この部分はつぶれるということをはっきりさせるのです。
続いて代用監獄の問題では、ここで肯定側は、代用監獄の問題を供述の強要の問題にまとめてくれています。実際そういう話ですので仕方ない回答なのですが、否定側としては、ここで「結局は自白の評価の問題ですね」と一言確認すればよかったでしょう。
続いての「弁護人の不在」について。実はこの点で肯定側の議論には問題があります。というのは、現在、裁判員裁判の導入に伴い、裁判員裁判対象事件である死刑相当事件においては、弁護人を必ず付けなければならなくなっており、柳のエビデンスは古くなっているからです。よってこの点は、「このエビデンスは2007年段階の説明ですよね」「その後裁判員制度が導入されていますね」「裁判員裁判は弁護人なしで開けるのですか」と聞いていけば、質疑段階でつぶすことができます。時間の節約、という観点からの質問です。
ただ、この「弁護人の不在」に関する質問では、肯定側から、弁護人「が、いない場合、供述の強要や、検察官による証拠隠し、鑑定の非科学性などを、防ぐことはできない」との回答がありました。ここで否定側としては、この回答を利用して自分たちに有利な展開に持っていけないかというチャレンジを考えることができます。たとえば以下のような流れです。
Q そんなに弁護人は大事なのですか。
A はい。
Q 弁護人がいれば供述の強要や証拠隠しなどがチェックできるのに、それができなくなるから困る、と。
A そうです。(?)
最後の質問がキモで、弁護人さえいれば冤罪に強力に対処できる、という話に持っていきたいわけですが(実際はそんな簡単な話ではありませんがw)、いきなりこう聞くとバレバレなので、その前に「弁護人は大事」という話を再度答えさせて相手方のハードルを上げて、その流れで誘導っぽい質問をかませる、というものです。ただ、肯定側の応答者はよく気が付く選手のようですので、そうそう上手くいくとも思えないところではあるのですが、失敗してもノーリスクなので、流れの中でかましてもよいかもというところではあります。
上記のような回答を得たところで、それだけで冤罪の議論で勝てるわけではないのですが、心理的効果として、質疑でうまくいかなかったところを衝かれた場合には必要以上に対応に時間をかけがちといったところがあるので、わかりやすい得点稼ぎができる部分で良い質問を思いついた場合、チャレンジする価値はあるでしょう。
その他、柳のエビデンスが触れている要素についても、いったんこのエビデンスに言及した以上、すべて聞く必要があります。この点で否定側質疑はことを焦りすぎたように思われます(おそらく時間配分の問題なのですが、そうすると最初からこのエビデンスに突っ込まないということでよかったのではないか、というところです)。
鑑定の非科学性については「具体的にいつのどんな鑑定について言っているのですか」「鑑定が科学的ならよいのですね」といった質問が、その他の要素については「具体的に検察官控訴や原則違反でどういう形で冤罪が起こったか教えてください」といった質問で軽く突っ込んでおく程度で足りるでしょう。最後の2つはおまけ的なものですので、それなりに聞いておけば大丈夫でしょう。
といったところで、質疑の続きを見ていきましょう。
Q 分かりました。次にメリット2の拡大自殺に行くんですけど、拡大自殺が拡大自殺っていうふうに分かるっていうのは供述が「死刑になりたいから」っていうことですか。
A そうです。逮捕直後の供述です。
Q なるほど。じゃあその逮捕直後に供述がそうやって、なんでその逮捕直後の供述が一番信用されるんですか。
A 逮捕直後っていうのは、イコール、犯行を行った直後ということなんですよ。ということは犯行時に、死刑になりたいからと考えていたってことは間違いないと思います。
Q なるほど。つぎにじゃあ朝日新聞の、8件起こったって話があったと思うんですけど、この8件っていうのはどういう基準で拡大自殺ってことにしたんですか。
A 資料がありますけど読みましょうか。
Q あ、じゃあ結構です。
拡大自殺に関しては、立論から証明が十分でなく、勝敗を左右する議論とは思われないので、質疑する必要はなかったかもしれません。質問するのであれば、後半で聞いている、拡大自殺と判定する基準だけでよかったと思います。
その上で一応前半の質問も見ておくと、逮捕直後の供述が信用できる理由についての回答が「犯行直後なので、犯行時の気持ちを示している」という趣旨をいっているのですが、これには何ら理由がついていないので、「嘘をついている可能性はないのですか」「この点について説明している専門家の見解はありますか」といった形で詰めていくことも可能でしょう。これらの質問は、相手の論拠の説明不足を示すためのものといえます。
また、最後の質問で資料があるとの回答であきらめてしまうのはよろしくなかったです。「資料を読みますか」というのは一種の魔除けとして機能してしまっているのですが、質問者としては「引用は結構ですので、あなたの言葉で基準を説明してもらえますか」とでも聞き直せばよいのです。
Q じゃあ次に、メリット1に戻ってほしいんですけど、メリット1のBの飯塚事件の話があったと思うんですけど、飯塚事件はDNA鑑定が間違っていたから、冤罪が疑われているってことですか。
A そうです。久間容疑者と、犯人のDNA型が一致していなかったんですよ。それはつまり、久間さん以外に、真犯人がいるということを示唆していると思います。
Q じゃあその一致していないからといって、ほかの証拠とかもあったと思うんですけど、何でそんなに、DNAが重視されなきゃいけないんですか。
A でも、犯人のDNA型と、久間さんのDNAが、一致していなかったんですよ。それって久間さん以外に、他の犯人がいるってことですよね。
この部分の否定側の目標は、再審請求中の人に対する死刑執行事例では再審請求理由にもかかわらず有罪が確実なものに限って執行されている、ということを示すことにあります。現に、後の第二反駁では飯塚事件がDNA頼りの有罪認定ではなく、それ以外の証拠で認定している、というエビデンスを読んでいます(実際に最高裁判決を読むと、どういう理由で有罪となっているのか何となくわかります。本当は一審から読んでいただきたいところですが、公開の最高裁サイトから見られるのは最高裁判決だけでした…)。
上記のやりとりは、そのあたりを明確化しようとしていたもので、なかなかよい視点です。このあたりをよりインパクトをもって聞くには、最初に「あなたは飯塚事件の判決を実際に読みましたか」「そこでは、DNA鑑定だけで判断がされているのですか」と、立論のエビデンスに逃げるのを避けて自分の言葉で論拠を説明させるようにするのがよいでしょう。
さらにこの点を重要と考えるのであれば、判例の内容に踏み込んで「被告人の車両に被害者の血痕や尿痕があった事実なども認定されているのはご存知ですか」などと聞くことも考えられます。質疑で勝手に言いっぱなしで裁判例の内容を判定に反映させるのはきわどいところですが、後で「実際にはDNA以外の証拠もあった」というエビデンスを読みますので、それとの関係で、ほかに存在していた証拠の中身をイメージさせるということで、具体的な中身を質問に組み込むのもありでしょう。
なお、話は少し飛びますが、肯定側の回答が、立論で読んだエビデンスをそのまま読んで「久間容疑者と、犯人のDNA型が一致していなかった」ということになっているのは、実際には正確ではありません。刑事事件でDNA鑑定の証拠が出てくるとき、その立証目標は「犯人のDNAとの一致」ではなく、例えば「犯人が残したと思われる血痕(犯行現場についていた被害者以外の血痕などが該当します)とDNAとの一致」ということです。この違いはとても重要で、仮にDNAが一致しなかったとしても、「別の理由で他の人の血痕等がそこに残っている」といえるのであれば、DNAの不一致により犯人であることが否定されることにはならない、ということです。DNA鑑定というのは、犯人であるかどうかをストレートに判断するものではなく、犯人であることを推認させる事実の存否にかかわるのです。これは刑事裁判の事実認定で重要なことなのですが、ディベートの主張立証の方法にも関係すると思います。
これを今回の質疑に取り込むとすれば、「久間容疑者と、犯人のDNA型が一致していなかった」という回答に対して「ちょっと待ってください。DNA鑑定というのは、現場の血痕とかそういうもののDNAを調べるのですよね」「その血痕が犯人のものであるとは限らないのであれば、DNA型が被告人と一致していなくても、被告人が犯人でないことを直ちには意味しませんよね」などと聞くことになるのですが、そこまで時間をかけるべき論点なのかどうかは要検討です。
それでは最後の部分を見ていきます。
Q ああ、分かりました。じゃあ次に重要性いくんですけど、メリット1の、緊急やむを得ないっていう話があったと思うんですけど、緊急やむを得ない時なら、人権を奪っていいのは何でですか。
A 例えば、正当防衛などは、緊急やむを得ない場合になるんですけど、じゃあ僕があなたを殺そうとしたとしましょう。僕を殺さなければあなたは死んでしまう。だからまぁ、僕を殺すことは緊急やむを得ないこととして正当化されなくもないです。でもじゃあ、僕が死刑囚だったとしましょう。僕を殺します。で、どこかの誰かが、犯罪抑止効果で助かるかもしれません。でもその誰かと僕の関係ってすごく抽象的ですよね。その誰かが助かるには僕が殺される必要があったのがそれも不明です。反面、僕が死ぬのは、死刑が執行されるからなんですよ。
Q 因果関係が抽象的だって話があったと思うんですけど、何で因果関係が抽象的だと、抑止力があっても正当化されないんですか、死刑が。
A つまり…(終了)
重要性に関する質疑は、何を目標とすべきか、明確にしないと、効果的にならないところです。
今回の肯定側立論は、冤罪のメリットにもかかわらず、重要性で「生命権」一般の話をしており、メリットの内容と整合していません。まずはその点を「あなたがたのメリットは冤罪の防止ですよね」「緊急やむを得ない理由が必要だというのは、冤罪処刑により不当に奪われる生命権との関係で、ということですよね」と質問して制限をかけておく必要があります。ただ、このように聞いていくと、立論者は「いえ、特に冤罪は重要ですが、そもそも犯罪者であっても死刑囚の生命を奪うこと自体が問題なのです」と回答して逃げてくるかもしれません。そうなったら、「しかし、あなた方は犯罪者の生命権が重要ということを証明していないですね」「あなた方の言う『特別な』生命権を奪った犯罪者、つまり一旦は死んでもいいやむを得ない理由があったといえる死刑囚について、なお生命権が保障される理由を教えてください」とでも聞いておくことができます(今回の立論者なら上手く答えそうな気もしますが…)。
上記のような限定によって、あくまでも冤罪の問題が前提となって、抑止力による正当化が制限されているのだという話にもっていくのが、否定側質疑の目標候補となるでしょう。なお、この質問が成功した場合、続いて「具体的な因果関係を要求するのであれば、その根拠である冤罪の発生についても、ある程度具体的な可能性がないといけないのではないですか」という形で反論を前出ししておくことが望ましいです。
話を戻して、今回の質疑応答のやり取りでは、肯定側の応答が正当防衛の話を引き合いに出して、具体的に緊急性があるやむを得ない場合にしか生命権侵害が認められないということを自分の言葉で説明していました。このあたりはよく頑張っていたと思います。
ただ、否定側質疑としては、これを是非とも覆したかったところです。この部分は難しいところでもあるので簡単に結論はつきませんが、例えば次のような質問の流れがありえたかもしれません。
Q (だからまぁ、僕を殺すことは緊急やむを得ないこととして正当化されなくもないです…あたりでいったん話を切って)すいません、ちょっと質問します。あなたは今、正当防衛の話を出しましたね。
A はい。
Q 刑法上の正当防衛は、生命侵害以外についても当てはまりますよね。
A はい。
Q 緊急の理由がないと、逮捕監禁とかもできないのではないですか。
A はい。
Q じゃあ、あなたの言うように、正当防衛のような状態がないと死刑が正当化されないというのであれば、死刑だけでなく懲役刑も、抑止のために行うことは正当化されないということになりませんか。
A …
肯定側応答としては、最後の質問には「生命権は特別!」と答えてくるのかもしれませんが、それは一貫していなくて、具体的な因果関係が必要だというのであれば抑止目的の刑罰一般が否定されるべきではないのか、と突っ込むことができます。ここまでいくと、難しい刑罰論の話になってきますし、ジャッジの中にも話についてこられない人が出てくるかもしれない(決勝ジャッジなら大丈夫でしょうけど)、という問題はありますので、どこまで突っ込むかということはありますが、そういう展開もありうるかもしれません。また、こういう議論を本当にしたいと望むのであれば、相手の論拠を深く確認できる質疑を活用するほかありません。
また、もっとイージーな目標としては、抑止力の議論で問題とされる被害者救済も、被害者の生命権という重要な権利を問題としているのではないか、という話を確認するということがありえたでしょう。これは、単なる反論の前出しとして、簡単に確認するだけで足ります。
このあたりを深く突っ込んで「被害者の生命権より犯罪者の生命権が重要なのか」みたいなことまで言わせる必要はありません。その程度の問題意識は、言われなくてもジャッジも持っているところであり、また肯定側からすれば「原理的には生命権VS生命権でも具体的な因果関係がいるのであり、それは犯罪者であっても同じ」と答えるほかないところです。あとは、そのような考え方が妥当かどうかという問題であって、その決定は質疑の仕事ではありません。
3.質問を絞るということ
以上、決勝否定側質疑を見ていきました。ご覧になればわかるとおり、3分で否定側が質問できたのは主に4点で、それなりに深く聞けてはいたものの、どれもまだまだ深く突っ込める余地のあるものでした。
ここから、3分でしっかり聞けることはせいぜい2つの論点くらいである、ということがお分かりいただけるかと思います。自分の経験上、これを超える論点を質疑する場合には、相手の解答を丁寧に待たないで強引に突っ走る(コミュニケーション点はともかく、反論の前出しにはなります…)か、当たり障りのない質疑に終わってしまうということが避けがたいところです。
ですので、質疑の時間は短く、成功する確率は低いということを勘案して、質疑対象を本当に重要なところに絞る、というやり方をとっても良かったのではないかと思います。
今回であれば、メリット1の内因性分析に関して、冤罪発生原因と飯塚事件のいずれか1つを選び、重要性についての質問と合わせて2点に論点を絞り込んでよかったのではないかと思うところです。あるいは余裕があれば、メリット2の「8件」のカウント基準について簡単に確認することを加えてもよいでしょう。
このあたりの絞り込みは、自分たちが持っている第一反駁との兼ね合いであり、チーム戦略上、質疑で崩しておきたいところはどこか、いきなり証拠資料で切り込むのが難しそうな部分はないか、といったことを考えて決定すべきところです。
おわりに
以上、質疑に着目して、決勝の議論を題材にした検討を行いました。
繰り返しになりますが、質疑はとても難しいパートで、ここでエラそうなコメントを書いている僕も、質疑が上手かというとそのようなことはありません。質問を絞り込めとは書いていますが、実際にはいろんな点が気になり、理想とされる「積み上げる質問」を丁寧に行うことはなかなかできません。
ただ、ディベート甲子園では、質疑のパートが独立しています。質疑者が質疑対策に注力し、実際の試合の質疑をたとえば上のように一個一個検討していけば、質疑のクオリティはさらに上がるのではないでしょうか。そういう、ディベート甲子園だからこそできる贅沢を活かして、質疑で勝負を決める試合というのを演出していただけると、ジャッジとしてとてもうれしく思います。