2013-05-26 Sun
どうもお久しぶりです。例によってなかなか記事を書く時間が取れないのですが、関東や関西のディベート練習会に乱入する機会がありましたので、気づいたことをちょっと書いておくことにします。
1.高校論題(首相公選制)における解散プラン追加の可否について
実際に試合で有効かどうかは措くとして、プランで首相に辞任とともに国会を解散する権利を与えることができるかが問題になっているということです。
この点、論題解説では「不信任手続きによらない衆院の解散(7条解散)は、案Ⅰの下では、許容されないと考えられる」と説明しております。理由としては、首相だけで自由に辞められるとすると首相選挙と衆院選挙が同時に行われるという要請に反し、首相と衆院を同時に改選できるとしてしまうと4年任期を認める趣旨に反するということがあげられています。
確かに、首相だけが自由に辞められるというプランは付帯事項に形式的に矛盾するのでこれは難しいと言えそうですが、首相が自らの辞任とともに衆院も解散できるというオプションをプランで追加することを否定する理由は乏しいのではないかと考えます。論題解説のいう『「4年の任期固定の趣旨」に大きく差し障る』というのは、率直に言って意味不明です。懇談会報告書も、「衆議院による首相への不信任、衆議院の同時解散の規定を置いたため、任期を4年とした」と書いているだけで、4年の任期を保障するために同時選挙等の規定を定めたとは言っていません。原則任期は4年だけど、首相辞任のあった場合には短くなるということでも、懇談会報告書の定めた案の趣旨は何ら損なわれないでしょう。もしそのような趣旨を言いたいのであれば、懇談会報告書の案は「4年の任期を確保する」ことを目的としているとの議論をすべきでしょうが、かかる議論は難しいと思います。
また、懇談会のメンバーが書いた新書の中でも首相の辞任は否定されているということをどこかで聞きましたが、それはあくまで懇談会メンバーの私見であって、それだけをもってかかる解釈が正当化されるというものではないはずです。少なくとも、付帯事項で定めた部分以外にプランを追加できるという立場を取るのであれば、首相の辞任+衆院解散の権限を認めるという条項も追加で憲法に入れると考えれば、憲法上疑義はないでしょう(懇談会報告書のI案と矛盾するとは思われません)。問題になるとすれば、それは、今回の論題におけるディベートにおいて、追加プランが許容されるか、ということでしょう。
この点は、懇談会報告書がかなり詳細にプランを定めているため、「~人」といった不確定概念を埋める以外の追加プランは予定されていないという立場も理屈としてはありうると思います。しかし、個人的には、そのような制限を設ける必要は特にないように思われます。
あまり試合には関係なさそうですが、問題になっていると聞いたので、以上の通り私見を述べる次第です。
関連して、「4年の任期」と首相公選制の意味について少し述べておくと、「4年続けさせること」は首相公選制の目的そのものとは若干距離があるものの、4年の任期を(厳密には3分の2での衆院不信任もあるが)続けさせるための正統性の根拠として、国民による直接選挙が存在していると説明することができるように思います。現行憲法では、国民は自ら選んだ国会議員を通じて首相を選んでおり、首相も直接的には国会に対して責任を負い、国会の信任により自己の正統性を確保しています。ですから、衆院の過半数が不信任決議を出した場合には、内閣は総辞職しなければならないのです。このような構図を国民の直接選任に変え、衆院の信任によらずに正統性を調達してくることで、衆院による不信任から首相が守られ、4年の任期を全うできるようになるというわけです(その観点からは、3分の2とはいえ衆院で不信任できてしまうというのは、あまり一貫していないように思われます。)。長期でつづけたほうがいいことがあるというメリットを出しているチームが少なからずあるようですが、この「4年の任期」が首相公選制でなぜ出てくるのかということについても思いを致すと、よりよい議論ができるのではないかと思います。
(さらに検討するとすれば、首長公選の地方自治において住民によるリコールの制度があるのに対して今回のプランではそれが省かれていること――詳細は述べませんが、プランで追加する余地はあると思います――の意味についても考えてもいいかもしれません)
2.ポイントを絞って勝負する
先週、関西で行われた練習会に乱入する機会があったのですが、なぜかそこで試合をすることになり、転がっていた資料集で1時間ほど議論構築を行い、否定側で某高校と単騎にて対戦してきました。にわか仕込みのおっさんに負けてしまった高校生には猛省していただきたい…というのは冗談ですが、久々に試合をして、スピーチのへぼさはともかくとして、気をつけたことをちょっとだけ書いておきますので、参考になれば幸いです。
議論を組んでいるときには、3要件を意識して組んでいくのはもちろんのこと、その上で「こういう方向で強調していくぞ」ということを意識して議論を検討するようにしています。
たとえばこの試合では、議会多数派と首相支持派がずれるというおなじみの議論をデメリットにしていたのですが、そこで主にポイントとしていたのは、①ここで加わる対立は従来の「衆参のねじれ」とは事象・質ともに異なる(現行制度では基本的に衆院多数と首相支持基盤はイコールだし、衆参のねじれは両院協議会や衆院の優越など調整措置がある)、②イスラエルに加えて日本の地方自治での実例がある、という2点です。特に後者は、日本の地方自治での失敗がイスラエルでの原因と共通していると解されるエビデンスの組み合わせがあったので、それで押し込むイメージを持って立論を作っています。もちろん、これは、これまでいくつかの試合で見られた攻防をベースに、「こういう反論が来そうだ」という予期を持ったうえで、それを跳ね返すように組んでいるものですが、どうやって返しきるかというポイントを具体的にイメージするというのが重要なことです。
あと、反論では、いつも口を酸っぱくして「反証のエビデンスを読んでください」と言っているのですが、資料集が十分でなかったりプレパの余裕がなかったことであまり原稿を作れなかったこともあり、質疑とカードチェックでのアタックを中心に攻撃を組み立てることにしました。
よくある「立証が不十分です」という話では何にも意味がないわけで、試合の中では、相手の立証のどこが不十分なのかを具体的に指摘し、きちんとアピールするということを心掛けたつもりです。たとえば、この試合では、首相公選で国民の政治意識が向上するというメリットが出てきていたところ、こちらは質疑の段階で相手のエビデンスの根拠などを確認したうえで、反駁では「解決性で読まれているエビデンスでは『地方自治のように活発な政治参加が』みたいなことを言っていたが、質疑で確認したとおり現実の地方自治も投票率は低く、むしろ実例として失敗している。結局この議論はM沢氏の妄想といわざるをえない。また、政治参加で意識が高まるという相手のエビデンスは普通選挙制への移行を志向する文脈のもので、すでに日本ではとっくの昔に普通選挙となっているのに、内因性で言っているように投票率は低く、政治意識も高くない。そして、肯定側は、『首相公選で』政治意識が高まる根拠については、ほかに何も述べていない」といった主張をしています。よくある試合では最後の一文に係る指摘だけをダウトにしてしまいがちですが、それではインパクトがなくて、いかに相手方の主張立証が失敗しているかを具体的に指摘したうえで「ほかに証明がない」と言ってこそ、それを理由に議論を切る結論に至るというものです。
もちろん、より強固な証明のあるメリットであればこうはいかず、その時には反論でもエビデンスを読む必要が出てくるわけですが、ポイントを絞りつつも重点的に分析を加えることで、弾がなくてもそこそこの反論はできるというわけです。
で、こういうポイントの絞り方はどうやってトレーニングしていくかということですが、これは事前のリサーチでいろんな議論のパターンを仕込むことや、ほかの人の議論でなるほどと思ったものをたくさん自分の中にストックしていくということになるでしょう。重要なことは、そういった議論を表面的に記憶するのではなく、なぜそういう議論の運びが説得的だった(と思えた)のかを自分の中で抽出・整理して、自分なりのパターンとして取り込んでいくことです。そういう意気込みでプレパや練習試合をやっていくことで、「こんな議論前にもあったな」「こういう方向性で反論していこう」ということを、ほかの場面でもできるようになっていくはずです。そしてこれは、論題が変わっても役に立つ、皆さん各自の「ディベート経験」として、地力になっていくのです。
といったところです。
全国予選もあと1か月くらいといったところですが、可能な範囲で予選などにも顔をだし、皆さまの練り上げた議論を拝見する機会があればと思っております。皆さまの健闘を期待しております。