愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
ドギーバッグ論題肯定側の攻め口など
相変わらずの労働環境によりなかなか更新できていないのですが、先日大会でジャッジをしていたところ、議論へのリアクションを捉えて態度の悪いおっさんだと思われたという話を耳にしたので、罪滅ぼしにちょっと文章を書いておくことにします。

今季中学論題のドギーバッグは、見ている限り肯定側が勝てていないように思われます。個人的にも、肯定側に入れた試合はあったかどうか…というところです。そこで途方に暮れている中学生の方も多いのではないでしょうか。
というわけで、簡単ではありますが、ドギーバッグで得票を得られるような、現実的なメリットの要件について少し考えてみます。

ドギーバッグ論題の肯定側が上手く勝てていない最大の問題は、無理にでかい話をして失敗してしまっていることです。
最初にはっきり言っておきますが、ドギーバッグ義務化で世界の環境が救われることはないし、日本の食糧問題が解決されることもないでしょう。この程度の論題でそんなことが起こるのだとしたら、炭素税を導入すれば世界の環境問題を一掃するどころか新人類への進化を迎えることができてしまうのではないか…。そのくらいぶっ飛んだ話です。これを4分で証明できるような才能あふれる中学生は、ディベートなんかに時間を使うのは我が国にとっての損失ですので、直ちにディベートをやめて世界のために貢献すべきです。

とまぁ、ちょっと言い過ぎてしまいましたが、要するに、皆さま「無理」をしすぎているのではないか、ということです。これは何も今季の中学論題に限らず、どんな議論でも言えるのですが、でかい話をすればいいというものではなく、現実的にあり得るストーリーを論じるのが一番強力だということです。皆様が努力すべきことは、でかい話を考えるのではなく、小さな一歩がどれだけ重要であるかということを説明する方法を考えるという、地に足のついたアプローチです。

それではドギーバッグではどんな議論があり得るか。それは皆さまが自分で考えるべきことであって、ここでどうこう解説すべきものではないのですが、例えばこういうことを考えてみるとよいのではないでしょうか。
現在の試合でもよく論じられている、世界で食料が無駄になっているとか、環境問題を解決すべきという「大きな問題」を論じること自体はあってよいと思います。しかし、それがドギーバッグで解決するといってしまうのは、カツオを保冷剤なしで持ち歩いてちらし寿司にするようなもので、まず間違いなく食あたりにあってメリットが死んでしまいます。そうではなくて、問題が大きいからこそ、できることを少しでもやるのが大事なのだという、そういう方向性を示すための議論にすれば、なるほどなと思える議論になるはずです。
また、行動の価値を示すには、その効果の大きさだけではなく、費用対効果を論じるという方法もあります。炭素税は効果でいったらドギーバッグの比ではないと思いますが、それは経済的干渉によって消費・生産活動に変化を与えるという荒療治だからであって、アクションとして負担の大きい(本質的にデメリットが大きい)ものになってしまいます。しかし、ドギーバッグの義務化は、バッグを置く負担はあるかもしれませんが、ドギーバッグでものを持ち帰るという行為自体は、負担感のある行為ではありません。食中毒という話も、無駄を削減するという行為から本質的に生じるものとはいえません。

例えばこういった観点から、ドギーバッグの設置を義務付けるという行為が、小さいながらも立派な一歩だということを上手く示せれば、肯定側は勝利に大きく近づくはずです。デメリットでよく出てくる食中毒についてはいろいろ議論があり得ますが、これはしょせん「うっかりした人」に生じる問題であって、政策上対策は不可能ではないはずです(本当はこの部分の議論の攻防だけでも一本記事が書けますが、ここでは省きます)。
そうなると、否定側も、食中毒の議論を単純に出して「人が死ぬんですよ!」と言ってるだけではなんともならないわけです。否定側においても、地に足のついた議論をしないといけないわけで、なにも人が死ななければ深刻でないというわけではないのです。この論題で否定側が論じるべきことは、なぜドギーバッグ使用にともない生じる食中毒が問題とされるべきかということであって、「死ぬから」というのはあり得る理由の一つ(個人的にはかなり弱い理由だと思っています)でしかない。ドギーバッグを使うと「どうして」食中毒のリスクがあるのか、というところから、ドギーバッグの義務化はよくないと思わせられるだけの理屈を、考えてほしいということです。

2013年7月15日補筆
7月14日に開催された関東大会予選にジャッジとして伺わせていただいたのですが、その中で、開成中学校が上記の趣旨を踏まえて秀逸なメリットを構築していたことを、敬意を表してここで紹介させていただきます。その試合では僕は少数意見に回ることになり、開成中学校も結果的に全国出場を逃したとのことですが、個人的には全国出場して然るべき健闘だったと思っております。

若干蛇足となりますがせっかくなので当該試合の議論についても簡単に触れておくと、開成中学校が良質なメリットを回していたのに多数票を得られなかったのは、食中毒のデメリットが残ってしまったからです。しかし、そこで残っていたデメリットは所詮「最悪死ぬかもしれない食中毒」という話で、子供やお年寄りはモチを食べるときに気を付けようという話と径庭のない議論ではないだろうということで、僕は肯定側に投票しています。確かに、その試合では付帯事項のいわゆる自己責任条項の存在を引っ張った話や、デメリットの深刻性について論題に即して議論した上でメリットと対比させる作業はされておらず、そこからデメリットを評価した多数意見の判定はディベートの判定として誤審ではありません(なので試合の結果が不当であるとは言えません)。しかし、かかる判定は、ジャッジがメリットやデメリットの重要性・深刻性の吟味をもっと深く行うことは期待されてもよいのではないか、というのが私見です。

本来ならば中高合わせて別記事を起こして感想を論じるべき好試合がいくつかあったのですが、時間の都合にて、特に印象に残った上記事項のみ記させていただきます。



タイトルに期待した人にとってはイマイチな話で、やっぱり使えないおっさんだなぁということになってしまったかもしれませんが、おっさんであることは全く否定しないものの、人のアイデアというのはそのままでは「使えない」のは仕方のないことです。幸い、ドギーバッグ論題は、高校論題と異なり、それを導入するとどうなるかという想像力を働かせることは容易です(ドギーバッグで世界環境が救われるというのは「妄想」ですけどね)。自分の言葉で、どうしてドギーバッグを置くべきなのか、それとも置くべきでないのか、説明を尽くせるよう、想像をめぐらせてみてください。


P.S.
ディベートサークルの夏コミに当選したという電波をどこかから受信したので、ディベート関連の記事を書きたい方はコメント欄などで結構ですのでご連絡ください。ちなみに当ブログの管理人は最近特に奴隷度が高まっているのでなかなか執筆は困難な状況ですが、小文程度は頑張って書こうと思っています。
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