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アカデミックディベーター

Author:アカデミックディベーター
日当たりの良い某法科大学院を2009年3月に卒業。
ライフワークである競技ディベートについてぼちぼち書いています

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出典不備による証拠排除の事例研究~今季ディベート甲子園関東甲信越予選1日目の感想として~
今回は若干話題になっているようである証拠の取扱いに関して取り上げることにします。証拠資料の取扱いについては選手にとってばかりではなく、ジャッジの中でも正直あまりよく理解されていないところがあるように思いますので、少し丁寧に解説してみます。
なお、手前味噌で恐縮ですが、証拠の取扱いも含めて、ルールに関してはこちらのテキストにまとめたことがあり、今回の問題も同テキストの[106][107][125][151]を見ればだいたい問題は解決できるのではないか、ということになっております。分かりやすい内容なのかは謎ですが、ご覧になっていただけると、ルールを実際の試合に適用していく上ではどういう問題があるのか、ということが何となく分かるのではないかなと思います。

議論の中身についても書きたいのですが、今回は断念しておきます。一つだけぜひ考えてほしいのは、「具体的に考える」ということです。戦略がどうとか、立論の構成がどうとか、いろいろ悩んでいる人もいるようですし、それも大事でないとは言いませんが、まずはジャッジが説得できる程度に「具体的に」議論をイメージして伝えてください。
そうすれば、「入管体制を強化して雇用主にも外国人労働者を管理させるので失業した外国人は帰国します」という安易なPlanspikeについて「強化するってなんなのか。今でも不法残留者がたくさんいるのに、人を増やせば解決するのか?」「雇用主に管理させるって、夜中に寮を見張らせるってか?」「そんなプラン導入したら雇用主も外国人を雇うのを面倒くさがるのではないか?解決性が減るのでは?」といった反論が容易に思いつくと思います。
ほかの論点についても、資料がこう言ってるとかいう抽象的な議論ではなく、それが具体的に何を言っているのか、なぜその話は納得できるのか、ということを詰めてみてください。

証拠能力の評価方法についての解説~出典不備を理由に証拠排除がされた事例を題材に~

ツイッターなどで若干話題になっているようですが、今回の関東甲信越地区予選1日目の代表校決定戦(渋谷教育学園幕張高等学校-創価高等学校)で、否定側から試合終了後に「肯定側引用の証拠資料に関して出典とされるウェブサイトのリンクに当該内容が見つからないので当該資料は無効である」という趣旨のアピールがなされました。判定においては、5人全員が当該資料の証拠能力を否定し、資料の引用を無効としています。

実はこの試合の主審を務めていたので、実際に自分がした処置も含めて、この場で解説を加えさせていただきます。
まず、証拠資料についてどのように判断していくのかという方法から、順を追って説明していきます。

(1)「証拠能力」と「証明力」
まず、証拠資料の取扱いについてきちんと考えるためには、証拠資料の評価には「証拠能力」と「証明力」の2つの問題がある、ということを理解する必要があります。
「証拠能力」というのは、その資料が証拠資料として受け入れ可能か、ということを問題とするものであり、証拠能力があるかどうかはYesかNoかの二択です。今回の判断では、ジャッジはこの「証拠能力」がないものと判断したことになります。
証拠能力の問題がクリアされたら、次に「証明力」の問題になります。これは、その資料が何を言っているのか、それがどのくらい信用できるのか、という問題で、みなさんが通常考える「いい資料かどうか」という問題のことを指します。

「証拠能力」というのは主に刑事裁判で出てくる考え方です。刑事裁判ではいろいろな証拠が出てきますが、違法に収集した証拠は、それがどんなに決定的な内容であっても、証拠として使ってはならないとされています。たとえば、あるミュージシャンをベッドに縛り付けて、裁判所がYesと言っていないのに(採尿を許可する適法な令状をを取らずに)強制的に採尿した結果尿中から覚せい剤が検出されたとしても、そのような違法な手段で得られた証拠でミュージシャンを有罪にすることはできません。この証拠はものすごく決定的で、証拠の証明力は非常に高いわけですが、違法に証拠を取ったということで証拠能力が否定され、証拠として使えなくなってしまうということです。
ディベートにおいては、違法に証拠を取るということが考えにくく、証拠能力を否定すべき証拠は証明力も小さいというのが一般的ですので(細則B-4が証拠能力と証明力を連続したものとしてとらえているのもこのためです)、この区別があまり意識されていないところがあるように思いますが、下記に述べるとおり、判断においてこの2つを意識的に区別して考えていくということはとても大切です。

(2)証拠能力の判断手続
基本を押さえたところで、今回の事案に即して考えていきましょう。
今回問題になったのは、昔ウェブサイトに掲載されていた論文で、現在はリンク切れになっている資料(詳しい内容はこちらを参照。なお、コメントとしてついている角松先生の説明は示唆に富むのでご一読をお勧めします。)について、引用した側が現在参照可能なリンク情報を示せなかったことです。

引用の際には、細則B-3項の要件が満たされておりましたが、否定側からの指摘を受けて、肯定側の示したリンク先にはその資料が載っていない、ということがことが問題となりました。これは、細則B-2項が、インターネット上の情報について、引用サイトのアドレス記録を要求していることに違反している疑いがあります。同項がこのような記録を求めているのは、そのような資料があるのかということの検証可能性を担保するためのものです。

ここでルールをよく読んでいる人であれば、「細則B-4項はB-3項違反のみを規律しており、B-2項違反の処理をどうするか定めている条文はないのではないか」ということに気づくことでしょう。それはその通りで、何か別の条文を入れてもおかしくないところです(細則B-4項を「前二項」と書くと、引用されたことを前提とするB-4項の規定で、引用されない資料も含めて規律しているB-2項もフォローしてしまうのであまり美しくない。)。
ただ、細則B-2項の趣旨は検証可能性にあり、どこにいけば資料の原典を見られるのか分からないようでは、そんな資料が本当にあるのかどうかも分からない、ということになりますから、そのような形で著しく出典記録を欠く資料は、そもそも資料として認められないということで、証拠能力を否定すべきということが当然に導かれることになります。細則B-4項は、引用の際のマナーを定めた細則B-3項の違反について信用性を下げる判断を行うことができることを定めた確認的規定(創設的規定というほうがよいのかもしれませんが、これを説明し出すとおそらくみなさん読むのをやめるので省略。)であり、細則B-2項違反は罰さないということを規定したものではないので、そもそも証拠の実在を説明できなかった場合にはルールで明文がなくても当然証拠排除してよい、ということです。

ルールの話から実際の試合の話に話題を戻します。
判定室に戻って、最初に問題になったのは、そもそも本当にリンク切れなのか?ということです。否定側はリンク切れであるとアピールしているものの、本当にリンクが切れているかどうかはわかりません。
そこで、僕のほうでは、運営の方にその点確認できるかお願いしたのですが、(人員的に難しいとかそういうのであれば仕方ないのですが)判定においてスピーチされていない事項を考慮してはいけないのでそれは確認できない、という回答があって、いやそれはおかしいだろう常識的に考えて…(byぐるめ)ということで、少しひと悶着ありました。
まず、ルールの解釈は明らかに明文に反するとかでなければジャッジに第一次的な判断権があるべきで、特に確たる理由もないのに運営側で判断を行うのはいかがなものか、ということが問題とされる余地があります。では、証拠能力の判断にあたって事実判断をしてはならないという「確たる理由」があるのかというと、そのような理由はありません。すなわち、試合中にされた主張に基づいて判断されるべきは、議論の中身に係る事項であって、それを判断する前提となる証拠能力の判断については、ジャッジが裁量により判断できるのですから、その前提事実もジャッジ限りで調べることが当然に許されるものと考えるべきです。
もしこのようなことが許されず、運営の主張したように「証拠能力の判断については判定においてスピーチされていない事項を考慮してはいけない」というのであれば、選手は証拠能力を争う際にスピーチの中で「原文はどうなっているか」「リンク切れがあるか」ということをいちいち説明しなければならないということになり、きわめて非現実的です(ちなみに、ここでいう「スピーチ」はスピーチ時間中のことを指すものであって、細則B-8項で準備時間中に請求・確認する行為はスピーチに含まれません。)。

従いまして、運営の上記要請はルールの解釈を誤ったものであると考えたので、特に考慮することなく前提事実の確認(リンク切れの有無、キャッシュなどで見られるのかの確認)をお願いしたのですが、時間もあまりないということで、とりあえず主審として、争いがないとされる「説明されたリンクは切れており、肯定側はそれ以外の有効なリンクの存在を示せていない」ということを判定の前提事実として確認した上で、あとは各ジャッジが判断すべきということで判定をお願いしました。
ここで各ジャッジに判定をお願いしているのは、証拠能力の判断は各ジャッジが個別に行うべきものであるからです。証拠資料のねつ造や改変で反則とすべき場合には「審判団の判断」として行う必要がありますが(細則C-1項)、細則Bの判断は判定手続として各ジャッジがそれぞれ行うことになります。ただ、前提となる「どういう不備があったのか」という点については理解を共通にしておかないといけないだろうということで、そこだけは確認した、ということです。

その結果、すべてのジャッジが、今回の資料は証拠能力を欠くものと判断しました。

(3)リンク切れのウェブ資料の証拠能力
今回なぜ上記のような判断に至ったかは、ジャッジごとに異なり得るので、以下は僕の判断理由ということで説明をさせていただきます。

今回の資料が証拠能力を欠くと判断されるに至った理由は、「引用者が証拠の実在を示すことができなかった」という一点に尽きます。ここを見ればその証拠が見られますよ、と言われてリンク先を見たら閲覧不能で、ほかにリンク先の説明がないのですから、結局肯定側が引用した資料は見られないので、証拠として認めることはできない、ということになります。ただ、ねつ造したかというと、そのような事態を疑わせる事情まではないので(ほかの試合でも聞き覚えのある資料だったということもあります。議論の中身に関係ないのでそのような事情は考慮可能です)、反則については考えなくてよいだろうという判断ですが、細則B-2項でも要請される出典記録に著しい違反があり、証拠資料として取り上げるのは厳しい、ということです。
ここで重要なのは、「リンク切れである」という事実自体が問題とされているわけではないということです。リンク切れであったとしても、ほかの手段で実在が確認できるのであれば、少なくとも過去にそのような見解が公開されていたということは確認でき、検証可能性に問題はないので、証拠能力は肯定できます。実際に、今回問題になった資料は、ウェブアーカイブで確認することができます。
しかし、肯定側は、そのようなウェブアーカイブのリンクを示すこともなければ、当該資料をプリントアウトした内容を示すこともありませんでした。おそらくですが、過去のディベートで引用されていたものをトランスクリプトか資料集あたりからぶっこ抜いて使っていたのでしょう。そのような安易な姿勢自体は厳しく戒められるべきであり(おそらくほかにもそういうチームはたくさんあるでしょう…)、今回のような証拠排除はやむを得ないといえます。とはいえ、もし肯定側がウェブアーカイブの存在などを説明できていれば、少なくとも僕は、証拠能力を否定することはなかったといえます。

(4)応用問題
さて、ここから、今回の試合を超えた問題についても少し考えてみましょう。
上では「アーカイブでみられるならリンク切れでも証拠能力はある」ということを書きましたが、それではそのような資料の証明力(信用性)はどうやって判断することになるでしょうか。
リンク切れであるという事実自体は、必ずしも信用性を失わせることにはなりませんが、今回の資料は、どうやら、ミスが明らかになったために撤回される形で元のリンクからなくなったようです。もしそうだとすると、今回の資料は証明力の点でもかなり問題があるといえそうです。天下のNatureに論文が掲載されたとしても、それがやんごとなき事情で撤回されてしまったということであれば、STAP細胞はできていないと考えるほかないですよね…ということです。
しかし、ここで問題となるのは、そのような「証明力」に関する事情を、スピーチで出てきていないのに考慮してよいか、ということです。結論から言うと、それは難しいと考えられます。一旦証拠能力を認めた以上、その証拠がどのように評価されるべきかという点にかかる事実は、スピーチの中で顕出される必要があります。証拠能力を認めるというのはまさにそういうことであって、一旦試合に放り込まれた事実や証拠を評価するための材料は、公知の事実や経験則を除いて、試合の中からしか探すほかないのです。
それでは、今回の資料の信用性を争うにはどうすればいいのか。簡単な方法としては、この資料がいったんは第一生命経済研究所の名義で出されているにもかかわらず、リンク切れとなっているという、変わった事情があることを示すことが考えられます。普通、そういうところが出した資料が、途中でリンク切れで読めなくなるというのはあまり考えられず、内容にかかわる事情で撤回されたのかな、ということを「一応は」推認することができます。本当は、より古い時期に出たレポートは見られる、とかいう事情が出てくるとなおよいのですが、そこまで時間をかけるほどの資料かどうかは微妙です。

続いて、証拠能力の問題ですが、今回明らかになった「リンク切れ」の事情を、ジャッジはこの資料の証拠能力の判断にあたって当然に用いることができるか、ということを考えてみましょう。某おぼかたさんの不正疑惑はワイドショーで見ない日がないくらいに有名なので公知の事実といえるかもしれませんが、今回の資料にリンク切れの問題があったというのは、実際にそういう試合を見たりしないとわかりません。そのような個人の経験を判断において考慮できるかということが問題になります。
まず、証拠能力が争われた際に判断の前提にリンク切れの事実を考慮してよいかという点については、すでに述べたところからわかるように、考慮してよい、と考えることになります。別にスピーチされてなくてもジャッジが自由に判断できるからです。
それでは、選手からアピールその他の指摘がないのに、「この資料リンク切れだよね…」と言って資料を切ってよいかという点についてはいかがでしょうか。もっとも今回の場合、(当時は不明でしたが)そもそもアーカイブがあることも分かったので結局は証拠能力を否定しないという判断もできるわけですが(ただし、実際アーカイブがあるかどうかとは別に、試合中に引用者から説明がされなかったという点から証拠能力を否定することも可能でしょう。)、もっと極端な証拠の改変などの場合に、相手が指摘していないのにジャッジが自身の判断で切ってよいか、ということを考えると、なかなかシビアな問題だということにお気づきいただけるかと思います。
これはなかなか難しいところですが、理屈としては、証拠能力の判断はジャッジの専権ですし、試合の公正を維持するためにジャッジが積極的に判断すべき要請もあるので、選手の指摘がなくてもジャッジは証拠能力の判断を行うべきということができます。しかし、選手から具体的に指摘がなく、その他に明白な疑いを生じさせる事情もないような場合、少なくともジャッジに証拠能力を精査する義務は生じないものと考えられますから、程度によっては、選手が問題にしていない以上この程度であればよかろう…という判断をしてよい場合も考えられます(今回の資料の問題もそのレベルの範囲にあると思います。)。
ただし、選手が主張していないのに証拠能力を否定する判断を行うに際しては、手続保障の観点から、準備時間中の資料請求で確認し、説明を求めるといったことをしておくべきでしょう。


証拠の扱いについては、ほかにも語るべきことがいろいろあるのですが、そうしているときりがないのでいったんこのあたりで終えておきます。証拠を排除するということが、本来はこのようにいろんなことを考えて判断されるべき問題であるということ、そして、一番大事なことは、そういう悩みが生じないように、原典を自分でも確認する、正確に引用するといった基本的なところをフォローすることである、ということが伝われば幸いです。

ディベート関連一般 | 03:55:38 | トラックバック(0) | コメント(3)