2015-07-28 Tue
夏は裁判所が休みに入るため若干余裕が出てきたような気がしますので、こんな時間ですが短めに記事を書いておきます。おそらく全国大会前最後ですね。ちなみに3日とも伺わせていただく予定です。1.ディベート甲子園関東大会の雑感
先々週のディベート甲子園関東大会2日目・3日目にお邪魔してきました。なんと中学の試合を1試合も見なかった(正確には1つ入りましたが残念ながら体調不良の選手が出て棄権となり試合不成立。熱中症には気を付けましょう)ので、高校の話です。
全般的によく調べてはいるのですが、あと一歩、その議論の何が大事なのかを言語化できていないことが多かった気がします。たとえば、被告人の防御権と言いますが、それは具体的にどういうことが保障されていることを意味するのか、また、それがなぜ大事なのか、自分の言葉で説明できるかどうかが、この議論で勝てるかどうかを大きく左右します(ちなみに、被告人の防御権は法律家的には非常に重要と解されますので、筋の良い議論だとは思います。)。
その他、事実認定とは何を指すのか(ここにもちょっと記事があります。僕が書いたわけではないですが、コメントもついているので早く返事してほしいものです。)、量刑が不当というのは具体的にどういうことを言っているのか、裁判官が有罪慣れしているというが具体的にどういうことを言うのか(実際は難しい否認事件だとそうでもないのではないかなという気はしています。否認事件の無罪率は当然ながら一般より高くなっています)、といったことを、自分なりに考えて腑に落ちるまで考えてみるというのが、一つレベルの高いところに行くヒントになるのではないかと思います。
あと、一応触れておくべきだと思うので関東決勝(慶応-早大学院)についても触れておきます。この試合では、早大学院が「裁判員裁判のおかげで取調べの可視化が進んだ。ここでやめると可視化が止まりよくない」というDAを出していたのですが、慶応がプランで「可視化は止めない」というものを入れており、DAが主張自体失当(法律用語で、その主張が認められても法的に意味がないという意味。言うまでもなくそのような主張をすることは実務家の恥です)という残念なことになっておりました。
早大学院は、可視化には強い反対があるからプランでも可視化は進められないなどというよく分からないことを言っておりましたが、プランには実行しようとすることが仮定されるというフィアットという考え方があるので、この反論もまた主張自体失当です。今はフィアットという考え方をあまり学ばないのかもしれませんね。検索してみると、このブログにはなんと(本記事を除いて)7つも「フィアット」が出てくる記事があるらしく自分でもびっくりですが、その中のこの記事はちょっと参考になるかもしれません。
あるいは、さすがにないとは思いますが、仮に早大学院はDAが立たないことを知っていながら、手の内をさらさないということであえてこのDAを出していたのだとすれば、大変遺憾なことです。過去にはそういうことがいろんなチームであったやに聞いていますが、現代においてそのような姑息な考えが通用しているはずはないので、これは杞憂でしょう。いずれにせよ、全国大会では、小細工なしで議論をぶつけ合う試合が見られることを期待しています。
なお、上記の可視化DAについて理論的にもう少し検討しておくと、慶応が入れていたようなプランを出していない場合に、肯定側が第一反駁で「可視化は裁判員と関係ない。仮にプランで可視化を認めれば消えるDAなので取るな」という反論をした場合これを認めてよいか、ということを考えることができます。これは容易でない問題ですが、プランで対策できてしまうようなDAは論題に固有のものとは言えないということで、そのようなDAを排除することは十分考え得るように思われます。ただ、ディベート甲子園のルールは否定側が「主に肯定側のプランからどのようなデメリットが発生するかを論証する」と定めているので、プランで出していないものを認めてしまってよいのかはやや苦しいところです。
無難なのは、それこそ「その他必要な措置を取ります」という決まり文句を入れておいて、これにひっかけるというものです。必要な措置としてのプランでDAが防げてしまうのであればそれは論題を否定する理由にはならないということです(「必要な措置」の範囲がこれまた問題になりますが、独立のADをもってDAを封じようとするものでないとすれば、必要な措置として問題に対処するものと言えるように思います。)。よくこの文句は不要だと言われることもありますが、上記のような問題に対処する意味では、あながち無意味ではないような気がします。
2.文献紹介
ちょっと長くなりすぎたので残りは短めに。
中高生もいろいろリサーチを頑張っておりますが、本ブログの「入院」対象だったガラス棟のローレビューという論文集に、今季論題に関連する論文がいくつかあるので、読んでみてもよいかもしれません。少なくとも脚注においしい文献がたくさん入っていると思いますし、太田先生と宍戸先生はオーソリティー的にも引用して全く問題ないはずです。
(中学論題向け)
宍戸常寿「デジタル時代の事件報道に関する法的問題」
(高校論題向け)
岩堀裕「裁判員裁判における少年の刑事事件」
鳥生真紗子「裁判員制度に関する一考察-Tocquevilleを通じて」
太田勝造「裁判員制度への人々の態度:裁判員等の記者会見と守秘義務について」
3.試合の公開に関する若干の問題提起
これも言いたいことを書かずに問題提起にとどめておきますが、全国大会のジャッジ案内に次のような注意書きがありました。
「大会期間中に、試合における議論の内容を、学校名を特定できる形でWeb上に掲載する行為は選手との間でトラブルの原因となる事がありますので、ご遠慮ください。」
こういうことを書くと試合運営委員会とのトラブルの原因となることもあるのですが敢えて遠慮せずに書くと、議論の内容を公開することを制限することについては、全く根拠がないと考えています。その理由は別の記事でたっぷり書いているので再言しませんが、一言でいえば、公開の場で議論をしているのだから、それがどう拡散されても仕方ないでしょう、ということです。
もちろん、肖像権という問題はあるので、ビデオ撮影などは制限されてしかるべきですが、議論の中身については、秘密にしてほしいとか、一定の範囲に公開を制限してほしいということを根拠づける理由はどこにもありません。こういうと「じゃあ公開されて議論が研究されたら不利だ」という人が湧いてくるのですが、そんなのでだめになる議論は早晩おしまいですので、あきらめろと言うほかありません。問題があるように思われる事例があるとすれば、特定校の議論だけを流し続けるような粘着質な観客がいるような場合が考えられるかもしれませんが、これとて、問題とされるべき理由は、議論の公開という行為そのものではなく、当該校に対する「悪意」に求められるべきです。
その意味では、試合の録音を当事者と大会本部の許可を得たものに限るというディベート甲子園独特の規制も、正直意味が分かりません。まぁ、マナーとして当事者に録音の許可を得るようにするのはよいとして(自分は全く気にしませんが、そのこととの平仄から、ジャッジには許可を取らなくてよいのかという点は疑問があります)、観客が録音することが想定されないというのはなぜなのでしょうか。法廷でのメモを禁じられて訴えたレペタ訴訟ではないですが、観客は怒ってよいと思います(もっとも、法廷は録音厳禁ですが。)。
これは割と気になっているので、今年の総会で問題提起してもよいかなということを考えております。
4.告知
なんか弁護士が法律実務とディベートを語るイベント(こちら)があるそうですので、入院日記ということで一応ご紹介しておきます。どこかで見たことのある名前のような…(笑)