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アカデミックディベーター

Author:アカデミックディベーター
日当たりの良い某法科大学院を2009年3月に卒業。
ライフワークである競技ディベートについてぼちぼち書いています

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第21回ディベート甲子園の感想(2.高校論題)
前回に引き続いて、第21回ディベート甲子園の高校大会について感想を述べさせていただきます。
今年の大会は全体的に水準が高く、その中でも、準決勝のうち鎌倉学園高校vs筑波大学附属駒場高校のカードについては、非常に熱戦だったとして、詳細な感想・分析も書かれております(例えばこちらこちら。なお私は悩んで肯定かなというところですが左記のブログは両方否定側を支持。後者のブログはちょっと反駁を再構成しすぎな感もありますがまぁそれもありはありかなと)。

例年であれば決勝戦などの試合を取り上げて比較的詳細に判定などを検討しているのですが、今年は、個人的に同じ国民投票論題でJDAに出る予定であるということもあり、こういう議論をしようという目標立ても兼ねて、今大会の議論全体に対する感想といった形で、さらに水準の高い議論のためにどのようなことが期待されるのか、ということを簡単に書くことにします。

1.出した議論を最大限活用する
準決勝について紹介した上記の各ブログでも示唆されていますが、せっかくよい議論が出ていたにもかかわらず、その機能を従前に生かし切れていない場面が散見されたように思います。一番わかりやすいのは、決勝戦の肯定側が内因性で読んでいた村上のエビデンス(これは非常に良い資料)について、意思決定プロセスに問題があったという形でデメリットの固有性を切る形になっていたにもかかわらず、全く伸ばされなかったということが挙げられます。これをうまく伸ばせば肯定側は5-0で圧勝できるような構造にあったと思いますが、そうはならずに判定も割れました。
高いレベルの要求ではあることを承知の上で述べると、このような状況が生じてしまう理由は、その議論が直接あたっている議論以外のところにどういう影響を及ぼすか、ということに十分意識がいっていないから、ということになります。では、どうすれば意識が及ぶのかということですが、根本的に言えば、議論を出すという行為が、単純にフローの左側に書かれている議論のレスポンスであるということではなく、ストーリーを基礎づける材料を出すことである、という意識を持つということが重要です。たとえば、鎌学と筑駒の準決勝で、筑駒は解決性にかなりの議論をぶつけており、その中では、議論すると考えの似た人同士で話し合うことになるので意見が先鋭化してしまうとか、国民投票では間違った情報やデマにより正しい意思決定が行われないことがあるという話が展開されていたのですが、このような議論は、単に解決性に対する反論というのではなく、それに対比される形で論じられている、自分たちの固有性の議論の優位性にもつながってきます(まぁ、集団分極化は政党内でも起こるのではないかという気はしますが…。)。つまり、否定側が出した解決性に対する反論は、物事を決める際にどのようなことが起こるのか、という分析として位置づけられるべきものであって、そのような分析がされたことを踏まえて、他の論点も含めた議論の全体を再評価することができるし、また、そうすることが期待されているということになります。

2.もう一歩大きな分析を置く
今回の大会では、各チームにおいて、民意を反映することがなぜ重要なのか、間違った政策が選ばれるのがなぜだめなのか、という重要性・深刻性に係る価値の議論をよく検討していたと思います。もちろん、より深く分析してほしい場面もたくさんありましたし、重要性や深刻性の議論にマッチした事実分析が展開されていない例(例えば、鎌学-筑駒の準決勝の肯定側立論は、重要性はそれなりに深掘りされていたと思いますが、そこで問題とされているようなひどい事態が内因性で述べられていたかというと、ちょっと迫力が足りませんでした)もあるのですが、総じてよく議論していたと思います。
しかし、さらに一歩議論できた点として、例えば、「今後の日本で」どのように考えるのがよいのか、といった、論題の導入対象との関係でのより深い分析を行うという点があげられようかと思います。これは、どちらも一理ある価値対立の問題を解決し得る有効な方法なので、より研究されるべきだったところです。すなわち、肯定側が一般的に論じるような民意による意思決定や変革の必要性という価値は、慎重な合意形成や調整による落としどころの探求が重要であるという否定側の主張とトレードオフの関係にあります。そして、どちらの価値がより重要かは、普遍的に定まるものではなく、日本で今後何を決める必要があるのか、日本がどういう状況なのか、といった要素によって左右されます。そのような「今後の日本に求められるもの」という、一つ大きな次元の分析をかませた上で、その中で国民投票をどう評価すべきか、という話がされれば、重要性や深刻性に筋が通るはずです。

3.制度の違いに着目して議論する
今回の大会で少し物足りなかったのは、制度の問題をきちんととらえて語る議論が少なかったことです。これは何を言っているのかと言うと、相手方の採用する制度どういう理由でまずいのか、逆に自分たちの制度はどこが優れているのかという分析が足りなかったように思われるということです。
全然わかりやすくなっていないので具体的に述べましょう。たとえば、否定側は、二者択一で決めるといけない、という反論をよくしていたのですが、その反面としては当然、現状の議会を通じた意思決定はそうではない、という話が出てくる必要があります。二者択一で切り捨てられるものが、議会の審議ではどう反映されているのか、それはなぜなのか、結果にどう影響してくるのか、ということを丁寧に論じれば論じるだけ、それが欠如した肯定側のプランの問題点が浮かび上がるはずです。結局、メリットデメリットの比較と言うのは、この論題では、直接的意思決定と間接的意思決定の制度比較にならないといけないということです。
肯定側は、議会の意思決定では何が問題なのか、ということをきちんと論じていく必要があります。よくある議論は、選挙で争点隠しだとか、強行採決だとかいう問題なのですが、これをもう少し抽象化すると、選挙がある種の白紙委任的制度であるということに帰着され、そこから、直接意思決定を行うべき必要性が出てくることになります。また、否定側がよくあげていた官僚制の問題は、民意反映という観点からはむしろ肯定側が有利に援用すべきものであり、選挙による選択すらされていない官僚が法律を作っていることの問題点と言うのも当然指摘されるべきです(ただ、官僚はいろいろな利益団体の声を反映しており、むしろ議員立法の方がまずいのではないか、みたいな議論もあるようです)。
自分たちの制度が、どういうコンセプトに基づいており、そのコンセプトに照らして相手方の制度がどう問題なのか、といった視点で議論を整理できると、もっと見通しがよくなったのではないか、ということです。

といったことがさしあたり考えられるのですが、それにしても今年の論題は大変奥の深いもので、自分でも取り組んでみるといろいろと考えさせられること大です(ただあんまり考える時間が取れていません)。その意味で、今年の大会は十分レベルが高かったものの、まだまだ深められる点は多いところです。
その観点から1点普遍的なアドバイスをしておくと、この論題に限らず、ある程度考察を深めた後で既読の資料を読み直すと、たくさん有益な記載が出てきます。経験値がたまれば最初からそれなりに良い記載を拾えるのですが、ディベート自体の経験が浅かったり、論題をよく分かっていない初期の段階である場合、大事なことに気づけないことがままあります。今回も、自分で資料を読んでみて、なぜ今年の大会でこれが読まれなかったのか・・・ということが多々あります。おそらく、選手の皆様も、資料を読み直してみると同じような気持ちを抱くことがあるのではないかと思います。今後、煮詰まったら、これまで読んだ資料をもう一度読み直す作業をしてみるとよいことがあるかもしれません。

といったところで、例年よりだいぶ総括感の減った高校大会雑感を終わります。選手をやることになった以上、言いたいことは大会で見せないと仕方ないと思いますので、どこまでやれるかわかりませんが、何かしら面白い議論を回していければと思っております。

ディベート甲子園全国大会の感想 | 00:52:59 | トラックバック(0) | コメント(0)
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