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アカデミックディベーター

Author:アカデミックディベーター
日当たりの良い某法科大学院を2009年3月に卒業。
ライフワークである競技ディベートについてぼちぼち書いています

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第22回ディベート甲子園高校論題の分析等
気が付いたら春季大会も終わり、シーズンが始まっております。いろいろと取り上げたいテーマはあるのですが、今日はディベート甲子園高校論題について気になるところを簡単に検討していこうと思います。

今年の高校論題は下記のとおりです。

「日本は企業に対する正社員の解雇規制を緩和すべきである。是か非か」
ここでいう緩和とは「人員整理の必要性」および「解雇回避努力義務の履行」を整理解雇の要件から除外することとする。



ここで問題となるのは、付帯文を踏まえたときに、解雇規制がどう緩和されるのか、ということです。例によって論題解説を見ると、今年の論題解説は、議論の見通しについて参考になる内容となっており、選手の皆様におかれてもしっかり読み込むべき内容とはなっているのですが、論題の意味についての解説は、よくわからないところがあります。以下では、そのあたりの疑問について、解雇規制の意味を解説しながら説明していくことにします。

「解雇規制を緩和すべき」とある以上、現在の日本には解雇について規制があるわけですが、具体的には、労働契約法16条が「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。 」と定めているところに現れています。この規定は、解雇を制限する裁判例が積み重なってきた結果を明文化したものであり、会社にとっては解雇を困難にする内容となっています。
客観的に合理的な理由というのは、解雇すべき理由があるということを指します。解雇は労働者にとって大きな不利益となりますので、それを基礎づけるだけの強固な理由が必要と解されており、例えば、会社として、労働者が能力不足であるというだけで解雇することはできず、能力不足の程度が著しく、改善しようとしてもなかなか改善しないといった相当ひどい場合であることを要し、相対的に成績が悪いというだけでは合理的な理由は認められません。
社会通念上の相当性は、解雇にあたっての手続きが尽くされているかどうかや、解雇とすることが過酷にすぎない事情がないか、といったことが問題とされます。有名な裁判例としては、高知放送のアナウンサーが、2週間の間に2回、宿直勤務で寝過ごしたため、ラジオニュースを放送できず、放送が5~10分間中断されることとなってしまい、おまけに2度目の放送事故を直ちに上司に報告せず、後で事実と異なる報告をしたという、なかなかひどそうな事案について、最高裁は、ミスは故意によるものではないこと、先に起こすべき担当者も寝過ごしており、この担当者はけん責処分にとどまっていたことからアナウンサーだけを責めるのは酷であること、これまでのアナウンサーの成績が悪くなかったことなどを踏まえて、社会的相当性を否定しています(高知放送事件:最判昭和52年1月31日集民120号32頁)。

さて、今回の論題で問題となる「整理解雇」とは、上記要件の中の、解雇の「客観的に合理的な理由」として、使用者の業績悪化等の会社都合の理由を挙げたものを指します。このような整理解雇については、労働者側に解雇されるべき理由がないため、解雇の可否がより厳格に判断されてきました。その際に要件として挙げられてきたのが、論題解説で説明される4要件によって説明される、整理解雇法理というものです。具体的には、①人員削減の必要性、②解雇回避の努力、③被解雇者選定の合理性、④解雇手続の適正性、といった要件があげられます。これら4要件をそれぞれ満たす必要があるのか、4要件を総合して判断するのか(例えば①が非常に強ければほかの要素が少し弱くてもよいと考える余地があるか)といったところは議論があり、最近は総合判断説が有力ですが、いずれにせよ解雇のハードルが高くなっています。
注意すべきは、この4要件も、解雇の一類型であり、解雇の客観的合理的理由と、社会的相当性の2つの要件が必要であるという前提で、それをより具体化したものであるということです。①人員削減の必要性が、解雇の客観的合理的理由に対応し、残り②~④が、解雇の相当性に対応するということになります。

ここで、今回の論題の付帯文は、「人員整理の必要性」および「解雇回避努力義務の履行」を整理解雇の要件から除外する、ということを言っており、会社都合の解雇についてのみ条件を緩和する、ということを述べています。しかし、この説明には、以下のような疑問点ないし検討課題があります。
まず浮かぶのは、「整理解雇」というためには、解雇理由が会社都合である必要があるところ、そこで「人員整理の必要性」という解雇理由に関する要件を取り除くとすると、それは整理解雇の定義と整合しないのではないか、という疑問です。ただ、これは、会社が「会社都合で解雇したい」ということであれば、対象選択と手続だけ尽くせば自由に解雇させてあげるという趣旨である、というように理解せよということなのでしょう。そうであれば、付帯文を法律上使われている用語でもない「整理解雇」という言葉で定義するのではなく、「ここでいう緩和とは、会社都合での解雇につき、被解雇者選定の合理性と解雇手続の適正性を満たすだけで解雇できるようにすることとする」と定義したほうが明確かつ適切だったように思います。
ここで、1点目の疑問を上記のように解すると、より大きなもう一つの疑問が生まれます。それは、今回の論題は、労働者に問題がある場合の解雇について、どのように取り扱おうとしているのか、ということです。(論題解説に論題解釈の拘束力はないですが)論題解説では、労働者に問題がある場合の解雇と区別する形で、整理解雇を取り上げており、労働者に問題がある場合の解雇は論題の範囲外と考えていることが示唆されます。また、付帯文でわざわざ「整理解雇の要件から除外する」と書いていることから、論題の文理上も、会社都合の解雇以外については解雇規制を維持すべきという趣旨が読み取れます。しかし、会社都合にしてしまえば「人員整理の必要性」を問題とせず解雇できるのですから、使えない労働者を切りたいと思った場合、「整理解雇します」とさえ言えば、自由に解雇できることになります。そうすると、結果的には、全部の場合について解雇規制が緩和されてしまう、ということになります。

論題としては、労働者に問題がある場合も含めて解雇規制を緩和することでもよく、むしろそちらのほうが論題の趣旨は分かりやすくなるように思われます。すなわち、この春大会でもよく出ていたのが「雇用の流動化」ですが、経営者にとっては、雇ってみたら使えなかったという場合に容易に解雇できないということも、大きな制約になります。私も実際に会社側で解雇事件をやっていますが、整理解雇でなくても、労働者を解雇するというのは難しく、訴訟になった場合の負担もあるので、経営者側として正社員雇用を控える理由になるというのはよくわかるところです(外資系企業のマネジメントに日本の解雇法制を説明するとキレられたりします…。)。現在日本で議論されている金銭解決制度(裁判で不当とされた解雇を職場復帰でなくお金で救済する)も、会社都合か否かを問わず自由に解雇できる制度を志向しています。
しかし、今回の論題は、少なくとも文言上は、会社都合の解雇である「整理解雇」に絞って議論してほしそうに読めます。そのような前提に立つ場合、雇用の流動化に関する解決性の「解雇しやすくなるので雇いやすくなる」という解決性はかなり削られてしまいます。能力不足でも経営上の必要性がないとクビにできないとすると、新規採用にリスクがある状況は変わりがないからです。論題解説は、そのようなややこしい状況は想定しておらず、論題の文言から解雇が自由になると読めるという理解をとっているのかもしれませんが、そのような理解は、「整理解雇」という言葉をわざわざ使っていることとは必ずしも整合しません。

ではどうすればいいのかということですが、一番簡明な処理としては、会社都合での解雇が緩和されるので、結局は自由に解雇できる(「整理解雇だ」と唱えさえすればいい)、という説明にしてしまうことが考えられます。そう考えたとしても、対象選択の合理性ということで、能力などの指標で解雇され合理性が担保されますし、手続きも尽くされるので、解雇のあり方自体がまずくなるということにはならないでしょう。論題との関係では気持ち悪いのですが…。

今日はこんなところでおしまいです。中学論題も気が向いたら何か書くかもしれませんが、特に論題の解釈に疑義があるでもなく、議論の中身も複雑ということまでは言えないので、今後面白い議論を見れば言及するということで。

ディベート甲子園の選手向け | 22:59:57 | トラックバック(0) | コメント(0)