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アカデミックディベーター

Author:アカデミックディベーター
日当たりの良い某法科大学院を2009年3月に卒業。
ライフワークである競技ディベートについてぼちぼち書いています

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第23回ディベート甲子園中学校の部論題(飲食店全面禁煙)の展望--規制の当否を論じる方法について
さすがに退職が近づき余裕が出てきている関係で、もう少し記事を書いておこうと思います。とはいえKritikについての記事は重いので、ひとまずディベート甲子園関係の記事でも。最近ここを読んでいる中高生がどの程度いるのかは謎ですが…。

高校論題は一院制で、どこかで見た論題でもあり、これは(も)頑張ってリサーチしてもらうしかないので選手の皆さんで本を読んでもらうとして、中学論題が初採用の飲食店全面禁煙論題ということで、この論題について少し見通しめいたものを書いておこうという趣向です。
ただ、中学論題については、近年でも群を抜く高水準の論題解説が出ているので、まずこれを読んでおけば十分というところもあります。個人的には、彼には調書のような作文を書くより国家学会雑誌とか法学教室とかで法学の発展に資する骨太な記事を書いてほしいと思うのですが、それはさておき、せっかくの機会なので、この論題解説が取り上げているテーマのうち、権利論、とりわけ喫煙の自由に関する議論について、少し敷衍した上で、規制の是非を論じる場合の議論の展開方法について簡単に解説してみようと思います。

まずは否定側の立場から。論題解説3頁で、考えられるデメリットとして、「たばこを吸ったときの心地よさが奪われてしまう」と書かれていますが、これは、喫煙の自由が侵害される問題であると整理することができます。そもそも喫煙の自由なるものが認められているのかについては、刑務所内で喫煙できないのはおかしいという訴えに対する最高裁判例(最大判昭和45年9月16日民集24巻10号1425頁)があり、そこでは次のように述べられています。

「煙草は生活必需品とまでは断じがたく、ある程度普及率の高い嗜好品にすぎず、喫煙の禁止は、煙草の愛好者に対しては相当の精神的苦痛を感ぜしめるとしても、それが人体に直接障害を与えるものではないのであり、かかる観点よりすれば、喫煙の自由は、憲法一三条の保障する基本的人権の一に含まれるとしても、あらゆる時、所において保障されなければならないものではない。」



この裁判例は、喫煙の自由が憲法13条の保護範囲内に含まれることを認めたものと一般的に理解されていますが、「含まれるとしても」としか言っていないので、実際にはそのように読むことには疑問もあるところです。いずれにせよ、この判例は、喫煙の自由は「あらゆる時、所において保障されなければならないものではない」と述べています。ここからすると、今回の中学論題が、喫煙の自由を憲法に反して制約するとは「直ちには」言えないということになります。一般的にも、場所や時間だけを規制する方法は、行為そのものを禁止するよりも軽度の規制態様とされていますので、今回の論題が憲法違反になるのかというと、その可能性は極めて低いといってよいでしょう(だから重要でない、ということではないですが)。
もっとも、例えば、喫煙者にとって特にタバコを吸いたくなるような重要なシチュエーションがあるとして、そのようなシチュエーションを実現不可能にするような規制を行う場合、それは、喫煙の自由(があるとして)の核心を制約するものとして、特に強い理由がなければ許されないという議論も可能だと考えられます。論題解説では、「どのように心地良いかというのはさして重要ではなく」とありますが、必ずしもそうは言えないかもしれない、ということです(「心地良いという理由だけで、あらゆる趣味は守られなければならないのでしょうか」ということへの回答にもなり得ます。)。
ただ、中学生の皆様には、どういうシチュエーションが特にタバコを吸いたくなるのか、何を食べているとタバコを吸いたくなるのか、ということは当然ながら分からないでしょう。私も非喫煙者なのでよくわかりません。このあたりはまさに想像の世界ですが、タバコのたしなみ方、とりわけ、自宅ではできない飲食店ならではの楽しみ方とはどういうものかということを、身近な喫煙者の人に聞いてみるなどして、考えてみるとよいかもしれません。

その上で、喫煙の自由を擁護する側は、「なぜその心地よさを守らなければいけないのか」ということを議論しなければなりません。論題解説では、害だからという理由だけでなんでも規制される社会とはどうなのか、という問題提起をしています。これは非常に重要なことで、例えば、上で引用した最高裁判決の前半部分「煙草は生活必需品とまでは断じがたく、ある程度普及率の高い嗜好品にすぎず…」というのは、タバコをお酒やお菓子、ゲーム、漫画…と任意のものに置き換えても成り立ち得るものです。
ただ、肯定側からは、当然、「今回のプランはタバコしか問題にしていないので、ほかのものが規制されるというわけではない」という反論が来るでしょう。これに対して、否定側が、理由なき規制を認める社会はおかしいという議論を投票理由として位置付けるためには、ちょっとした工夫が必要です。簡単にアイディアを書いておくと、例えば、深刻性の議論に位置づけたうえで、「正当な理由なく権利を奪うことはできない」という方向でメリットに対置させるということが考えられます。いわゆる価値基準、判断基準として出される議論ですが、要するにこれはメリットとデメリットの価値を比べる議論なので、メリットにぶつける深刻性の中で論じることで差し支えありません。

上記のような分析は、最終的には、肯定側のメリットへの反論として提出されることになります。先取りすると、肯定側のメリットは、規制の「目的」の必要性と、「手段」の正当性(相当性)の2つの要素を説明する必要がありますので、このどちらかの観点から、規制が過剰であることを論じる必要があります。主な切り口はざっくり3つあります。
1つ目は、目的の必要性が低い、ということです。タバコが安全で規制の必要性がない、とまでいうのは難しそうに思いますが、例えば、受動喫煙は分煙などで対策が進んでおり、飲食店禁煙が必要な状況はあるのか、といった議論はできるかもしれません。現状に照らして、飲食店喫煙の全面禁止と受動喫煙の防止がイコールと言えるのか(受動喫煙の防止以上に喫煙者の公的空間からの排除を目的にしてはいないか)という立論はあり得るかもしれません。
2つ目は、目的との関係で手段が過剰である、ということです。飲食店全面喫煙まで必要なのか?分煙ではだめなのか?喫煙可否を店頭に明示することでは足りないのか?といった話です。
3つ目は、2つ目とも関係しますが、規制手段によって重大な権利の制約が生じるということです。これが例えば喫煙の自由などの話になりますが、ある程度大きなデメリットがあると言えるのだとすれば、そのようなデメリットを生じさせないようにするより弱い規制手段しか認められるべきではない、といった話になります。

さて、逆に喫煙の自由を制約する肯定側としては、どういうことを考えればよいでしょうか。先に述べたとおり、ここでは、規制の「目的」と「手段」について考える必要があります。

規制の「目的」について、多くの肯定側は、受動喫煙の被害があるので規制しようという主張を行うものと思います。それは正しいのですが、そのような規制を行う必要性があるということを、権利や義務として位置付けることができればより丁寧です(4分なのできついかもですが)。
権利の観点からは、タバコの煙で健康を害するとすればそれは人格権侵害であるという趣旨を述べた裁判例があるようです(東京地判昭和62年3月27日判例時報1226号33頁)。ただ、裁判例が正しいというわけでもないですし、タバコの煙を吸わずに食事できるということがどうして保護されるべきなのかということを、禁煙の店に行くという選択肢もあり得る中でどう考えるのか、より具体的には、例えば「おいしいが喫煙自由なので入りにくいお店にタバコフリーで入れること」をなぜ権利として認めなければならないのか、ということを考えなければなりません。これは否定側の反論ポイントになるかもしれません。
義務の観点からは、例えば、日本が批准しているたばこの規制に関する世界保健機関枠組条約(成立経緯や採択趣旨などの説明書はこちら)の8条2項に「締約国は、屋内の職場、公共の輸送機関、屋内の公共の場所及び適当な場合には他の公共の場所におけるたばこの煙にさらされることからの保護を定める効果的な立法上、執行上、行政上又は他の措置を国内法によって決定された既存の国の権限の範囲内で採択し及び実施し、並びに権限のある他の当局による当該措置の採択及び実施を積極的に促進する。」と規定されていることを援用できるかもしれません(ちなみに、この規定については本条約の締約国会議がガイドラインを作っているのですが、残念ながら英語です…。)。ただ、これについても、飲食店全面喫煙までが義務付けられているのかということについては議論の余地がありましょう。

以上のような「目的」についての分析を踏まえて、肯定側には、肯定側の主張する規制の「手段」が正当なものと言えることを論じることが求められます。目的達成に役立つものであること(関連性があること)は当然求められますが、目的に役立てばなんでもやっていいということにはならず、目的のために過剰な手段とは言えないということを議論する必要があります。
そこでは、デメリットのことも意識しつつ、なぜ飲食店で「全面禁煙」にしないといけないのか、逆に、飲食店で全面禁煙にすれば十分目的を達成できそうなのか、といったことを述べることが期待されます。

以上のように見ていくと、同じ受動喫煙の議論を展開するとしても、タバコが危険であるという事実、煙を吸いたくないと思っている人がいる事実などを羅列するだけでは不十分であり、それを国の責務としてどのように位置づけるのか、問題解決のための手法として飲食店全面喫煙という手法をとることがその責務とどのように対応しているのかということを、立論及び反駁(デメリットへの反論)の中でどこまで説得的に論じられるかというところで、肯定側の議論としての説得力に差が出てくることになろうと思います。

以上、論題解説との関係でどこまで意味のある記事なのかよくわかりませんが、新論題に対する限定的な所見です。
これは高校論題でも同じですが、議論の良し悪しは、単純な事実の分析だけでなく、それを論題主体(政府)の意思決定との関係でどのように評価し、位置づけるかということにあります。高校論題のような制度論であれば、「国家のあるべき姿」といった話を避けて通るのは難しいところですが、今回の中学論題のような規制論題については、そこまで大上段の話に行く前に、規制の目的とその関係での手段の正当性をしっかりと考えていくことが重要になります。そのうえで、規制の在り方についてどう考えるべきか、理想とする社会はどのようなものかということまで思いが至れば一番よいのですが、まずは、規制の意味や問題点を「目的/手段」の切り口で正確に、かつなるべく深く論じるということに集中して(言うまでもなく、これだけでもかなり難しいです)、良い議論を展開されることを期待しています。

ディベート甲子園の選手向け | 02:48:19 | トラックバック(0) | コメント(0)
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