愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
ディベート甲子園ルール逐条解説(4.試合形式の規定(2))
こんなもの書いてる暇あったら論文でも読めと言われそうな今日この頃ですが、そんなことばっかりやってても気が滅入るので、ストレス解消のために駄文を書きつづることにします。

前回書いたプランの部分については、抑止条項(「予防条項」の方がメジャーな呼び方の気もするのですが、定訳があるというわけでもないので別にいいでしょう)の説明を中心にもう少し加筆したいところではあります。というのも、抑止条項の認められる範囲についてはいろいろ争いがありうるところであり、僕のいう「基本的に無限定に許される」という見解は必ずしも通説的見解ではないと思われるからです。また、プランが満たすべき要件など、いわゆるフィアットに関係して解説すべき内容があるのですが、ルール解説ということで今回はひとまず流しておくことにします。
いずれこの連載(?)が終了して一区切りがついたら、加筆修正を施してどこかに転がしておこうと思うので、その時に盛り込むことにします。そんなの求めてる奴いないって話ですが、モチベーションがそんなところにあるわけではないので…。

というわけで、今回は前回の続きとして、メリット・デメリット方式の説明やそれに関係する諸問題を中心に見ていくことにします。ここもかなり重要な内容であり、より一層の検討を要する部分ではあるのですが、そのあたりの詳細な叙述は他日を期すことにして、とりあえず今思いつくところを簡単に議論しておくにとどめます。



3.3.3 メリット・デメリット

3.3.3.1 総説

ディベート甲子園では、メリット・デメリット方式という勝敗判定方法を採用している。これは、肯定側が論題の採択から生じる利益(メリット)を論証し、否定側がこれに対して論題の採択から生じる不利益(デメリット)を論証し、両者を比較することで勝敗を決するというものであり、一般の競技ディベートにおいて純利益(net-benefit)の議論と呼ばれるものを単純化して示したものであると理解できる。純利益の議論は競技ディベートにおける主要な議論内容であり、その意味でメリット・デメリット方式が特殊な判定方法であるということはいえない。
ルールがメリット・デメリット方式を示していることは、競技ディベートの議論を単純にすることで取り組みやすくすることを目的としており、特に学校教育にディベートを取り入れるという全国教室ディベート連盟の方針によって支持されている。

しかしながら、ディベート甲子園がメリット・デメリット方式を採用し、これ以外の勝敗判定方法を明文上設けていないことにより、解釈上様々な問題点が生じる。そのような具体例は以下で論じる通りであるが、これらの問題を考えるに当たっては、メリット・デメリット方式の趣旨に適合的なものとして例外を認める範囲や、明文上の規定との整合性を考慮する必要がある。

3.3.3.2 メリット・デメリット方式

ルールの中でメリット・デメリット方式を定めているのは以下の条項である。

ルール本則
第2条 各ステージの役割
1.肯定側立論は,論題を肯定するためのプランを示し、そのプランからどのようなメリットが発生するかを論証するものとします。 否定側立論は,現状維持の立場をとるものとし,主に肯定側のプランからどのようなデメリットが発生するかを論証するものとします。       
(…)
3.反駁は,主に,メリット(あるいはデメリット)に対する反論,反論に対する再反論,メリットとデメリットの大きさの比較を行います。

第5条 判定
試合の判定は,別に定める細則D(判定に関する細則)にもとづき審判が行います。メリットがデメリットより大きいと判断される場合には肯定側の勝利,そうでない場合には否定側の勝利となります。引き分けはありません。

細則D
4.審判は,個々のメリット,デメリットの判断をもとに,メリットの合計とデメリットの合計の比較を行い,どちらに投票するかを決定します。その際,比較の価値基準が試合中に提示されていれば,その立証の程度に応じて反映します。判断基準が示されなかった場合は,審判の判断に委ねられます。


以上から、ルールはメリットとデメリットの比較によって勝敗を決することを想定しており、それ以外の投票理由については規定していないことが分かる。
なお、反則による敗戦(本則4条・細則D)は試合の判定とは独立に決せられるものであり、その処理も試合内容の結果定まる勝敗とは異なるものが求められる。この点については第8章で詳述する。

3.3.3.3 論題との関係

メリット・デメリットは、構成要件として要求される論点の証明(細則D-3)を満たしていることはもちろんのこと、それが論題を肯定ないし否定するための議論であると認められなければならない。あくまでディベートが論題の是非を争うものであるということ、そしてメリット・デメリット方式も論題の是非を争う手段として純利益の議論に絞って投票理由を定めたものであるに過ぎないことから、ルール上も当然要求されているものである。
これは、本則2条に「肯定側立論は(論題を肯定するための)プランからどのようなメリットが発生するかを論証する」、「肯定側のプランからどのようなデメリットが発生するかを論証する」と定めていることからも明らかである。ガイドライン3項には「論題外と判断されたプランからメリット・デメリットが発生したとしても、そのメリット・デメリットは無効となります。」と明確に注意してある。

このような考え方は、いわゆる論題外性(extra-topicality)の理論に基づく。すなわち、論題外のアクションから生じるメリットは論題を肯定ないし否定する理由にはならないということである。例えば、原発廃止の是非を争うディベートで、肯定側が「原発廃止に伴い原発のあった地方に特別補助金を出す」プランを提出し、そこから「廃止した地方が補助金で潤う」というメリットを提示したとして、このメリットと称される議論が肯定しているのはせいぜい「原発立地に補助金を出す」というアクションであって、原発廃止を正当化するものではない(原発を廃止しなくても補助金は出せる)。
これは、肯定側が出しうるプランの範囲とは別の問題である。前述の通り筆者は肯定側の出しうるプランについて、(論題と矛盾するものを除いて)無制限と解する説を採るが、通説は論題実行に伴い付随的に採られうる政策と認められる範囲でプランの提出を認める(これを「論題の範囲外」という説もあるが、付随的である以上論題外であるとしても論題の範囲外というのは不当であろう)。しかし、通説に立っても、付随的政策からのみ発生する利益は、論題外として評価の対象外となる。

一方、抑止条項など論題内ではないプランから発生するデメリットについては、これを排除する理由はないというべきである。なぜなら、かかるプランは肯定側が「論題の範囲内」として提出したものであり、肯定側のシステムの一環として提案されたといえるからである。否定側としては、肯定側から論題採択方法が示された以上、その方法を否定する必要がある(別の論題採択方法を仮定してこれを否定する否定論拠(counterwarrant)という議論もあるが、不当であり基本的に認めるべきではない。否定論拠の詳細は蟹池編『現代ディベート通論』128-130頁参照)ところ、その方法は肯定側が提出したプランの一切を指すのであり、かかるプランの一個でも不当なものがありそれがメリットを上回る不利益を生ぜしめることが示されれば、「肯定側の提示した論題の実行方法」が否定され、結論として当該試合において論題が望ましく実行される方法が示されなかったことになるからである。
このような判断は否定側が論題と関係ない議論で勝利してしまうことになり、当該プランを除けば論題が肯定されるべき場合にも否定側を勝たせてしまうということで批判がありうるが、前述の通り肯定側がわざわざプランを提出したことに問題があるというに尽きるし、論題外のプランは多くの場合論題の実行をより円滑にしたり予想される不利益を防御するために提示されるものであるから、このようなオプションに対してデメリットを想定し得ないという場合、肯定側が不当に有利になるからである(例えば、肯定側が予想される不利益を解消するために10兆円の特別会計を組んで研究開発をするという抑止条項を想定していただきたい)。

3.3.4 その他の投票理由

3.3.4.1 総説

メリット・デメリット方式と、その下で認められるメリット・デメリットの範囲については以上で論じたとおりである。これをもって全ての試合につき判定を行うことが可能と思われるかもしれないが、ディベート理論上純利益の次元と異なる部分で勝敗を決すべき場合があることや、メリット・デメリットの比較を踏まえてもなお勝敗を正当化することが難しい場合などが存在するため、そう簡単に事は進まない。

このような場合に審判がメリット・デメリット以外の理由を考慮して投票できるかについては、争いがありうる。これを積極的に解する説からは、差し当たり細則D-1項を根拠条文として考えることになろう。

細則D
1.勝敗の判定は審判によるものとします。


しかしながら、前述の通り、ルールがメリット・デメリット以外の投票理由を想定していると読むことは困難であり、メリットとデメリットを比較するという判定方法と当該問題事例がどのように衝突しているのかを踏まれた上で、ルール上認められる措置として考慮するか、それとも法定外の投票理由として捉えた上でその可能性を探るかという議論がなされなければならない。

3.3.4.2 論題充当性

既に論題外性について論じたが、競技ディベートでは肯定側に論題を肯定する義務があると考え、論題を肯定する立場に立たなかった場合、具体的には論題を肯定するプランを提示しなかった場合には、否定側に投票すべきであるという議論がある。これは論題充当性(topicality)と呼ばれている。
論題充当性の議論は昨今では中高生にも広がりを見せており、その具体的展開方法については稚拙といわざるを得ないものの、概念レベルではある程度理解されているといえる。しかしながら、これをルール上正当化することは、実は容易ではない。論題充当性は絶対かつ独立の投票理由であるというのがディベート理論上の通説的見解であるが、ルールにはかかる投票理由を認める明文がないからである。

この点、論題充当性はディベート理論の基本原理から導かれるものであり、ルールに法定されていない場合も当然に認められるものであるという見解もあり、これにも一理ある。
しかし、そのような理由で明文なき投票理由を認めることは、ルールの解釈論として望ましいものではない。あくまでルール上の規定に適合的な形で解釈できるかを第一に考えるべきであり、その上でどうしても許容されないという場合は、独立の概念として認めるべきやむを得ない理由をもってこれを肯定すべきであり、ディベート理論上の帰結であっても安易にこれを認めるべきではない(なお、論題充当性が絶対かつ独立の投票理由であるという通説自体にも疑問を提起しうるように思われる。拙稿「論題充当性の性質に関する一試論」参照)。

それでは、論題を肯定しないプランしか提示しなかった肯定側はどのように処理されるべきか。結論からいうと、これについては、論題充当性として独立に投票理由を立てる必要は存在しない。すなわち、論題を肯定するプランを提示していないということは、メリットを発生させられるプランが存在しないということであり、従って肯定側の提出する全てのメリットは論題外として評価されないため、肯定側が勝つ可能性はゼロとなる(本則5条より、メリットがゼロの場合勝つ見込みはない)。
このように考えることが可能であるため、ディベート甲子園において論題充当性の概念を導入する必要はないのである(なお、筆者は論題充当性なる独立の投票理由を考える必要性の不要は競技ディベート一般にいえる――解決性への攻撃と解せばよい――と考えている。詳細は前掲論文にて論じている)。言い換えれば、ディベート甲子園において論題充当性の問題は論題外性の問題に解消されており、その意味でメリット・デメリット方式の中に当然含まれている、ということである。

3.3.4.3 論題被正当化性

肯定側が論題を支持するプランを出しているかが問題とされるのが論題充当性の議論であるが、肯定側が論題内の全ての語句を正当化する理由を述べているかを問題とするのが論題被正当化性(justification)の議論である。
例えば、「日本はすべての動物園を廃止すべきである」(2006年中学論題)との論題で「○×動物園が極めて劣悪な環境にあるから廃止すべき」というメリットを議論する場合、○×動物園という『動物園を廃止すべきである』ということは示せているが、『すべての』動物園を廃止するという理由は述べられていない。また、「日本は18歳以上の国民に選挙権・被選挙権を認めるべきである」(2007年高校論題)との論題で「選挙権を拡大すれば若者の票で政治が変わる」とメリットを論じたところで、これだけでは被選挙権を認めるべき理由にはならない。このような場合、肯定側は論題を正当化していないため勝つことができない、という理論がある。

こうした議論の多くは純利益の議論で説明できるし、対抗政策が認められる場合には、否定側が論題の一部を取り込んで適切な立場を表明することで、妥当な結論に向けた議論が可能である(従って、論題被正当化性なる概念を独自に立てる必要はないともいえる)。
しかし、ルール上対抗政策が認められていないことから、以下のような問題が生じてくる。

「日本はすべての動物園を廃止すべきである」という論題で、肯定側が「赤字で苦しんでいる動物園があり、地方公共団体の財政を圧迫している」とメリットを論じたところ、否定側が「肯定側は『すべての』動物園を廃止すべきであることを証明しなければならない」との立場に立った上で、「一部の動物園では黒字になっているのでこれを潰すとよくない」とのデメリットを出した場合を考える。
事実認定として、多くの動物園は赤字であり、全体としてメリットは大きいと考えられるが、一方で否定側のいういくつかの動物園は黒字であり、これを潰すことは望ましくないということになると、肯定側・否定側の立場を捨象してもっとも望ましい解決は「一部の黒字動物園を除いた動物園を廃止する」ことになる。否定側が対抗政策を許されるなら、かかる立場を主張して否定側が勝つことが考えられるが、ルールでは肯定側のシステムと現状維持の二者択一で判断せざるを得ないため、「すべての動物園」が廃止されるべきではないにしても、「全て廃止」と「全て残す」の比較で前者が勝つとすれば、「全ての動物園を廃止すべき」という論題が肯定されたことになる。ルール上仕方ないとはいえ、妥当な解釈とは思えない。
より極端な例としては、「日本は18歳以上の国民に選挙権・被選挙権を認めるべきである」という論題で、肯定側が選挙権を認めることによるメリットのみを論じ、否定側が被選挙権によるデメリットを論じた場合、メリットがデメリットを上回りさえすれば、被選挙権についてはデメリットしか考えられないとしても、選挙権と被選挙権の両方を認めるべきという結論になってしまう。

このような事態に対処するため、論題被正当化性の議論を認め、法定外の投票理由として考慮しうるかが問題となる。積極説を主張する論者もいるが、ルール上肯定側のプランと現状維持の立場を比較してメリット・デメリットで勝敗を決することとなっている以上、論題被正当化性の議論を認めるわけにはいかないというのが無難ではないか。
これが妥当な結論を導かないというのはもっともであるが、この点は論題制定時に工夫するしかない。例えば、全ての語句を正当化するという趣旨を明らかにしたり――「選挙権と被選挙権の『両方を』認めるべきである」とするなど――、あるいはいずれか一方を選び、プラン提示後はそのプランに従って議論させることを明らかにする――「選挙権・被選挙権の『両方あるいはいずれか一方』を認めるべきである」など――といった方法が考えられる。

もっとも、メリット・デメリットの次元においても、実体的議論として論題被正当化性と同様の主張を展開する余地はありうる。肯定側が支持すべきプランの構成を論じるものである(ディベート実験室メーリングリストにおける安藤説)。
概要を説明すると、以下の通りである。「肯定側は『すべての』動物園を廃止すべきであることを証明しなければならない」という主張について、「すべての動物園を廃止する」プランは、実質的には、全国全ての動物園X個に対し、それぞれを廃止するというX個のプランに分割できると考えることができる。すると、肯定側はそうしたX個のプラン全てを肯定しない限り、論題を肯定できない。すなわち、全国にあるX個の動物園全てについて、廃止した方が望ましいということを示す必要がある。ここで、肯定側のメリットは、実はX個の動物園のうち一部の動物園を廃止する場合にのみ発生する、もしくはX個の動物園のうち一部の動物園については廃止することによって生じるデメリットがメリットを上回る場合、肯定側はX個全てのプランを肯定できていないため、論題をも肯定できていない。
かかる解釈を当事者の主張なしに採用することはおよそ許されないが、否定側から提示された場合、採用に値する論理構成であろう。しかし、上述の論理を採ると、逆に否定側は一例でも廃止すべきでない動物園の例を示せば勝てることとなり、不当に有利な地位に置かれるという批判がありうる。「すべての」動物園を廃止するという論題に無理があったといえばそれまでであるが、根本的には対抗政策を認めないルールの限界というべきであろう。

3.3.4.4 懲罰的議論

ディベート理論においては、矛盾した議論(contradiction)やコミュニケーションの著しい不備、証拠資料の捏造など、議論者として望ましくない行為を行った場合、これを独立の投票理由と考える見解がある。このような議論をなされた相手側としては適切に議論を続行することが困難となるため、こうした問題行為を独立の投票理由と捉えることには理由がある。
しかし、ルール上このような議論を投票理由とする条文は存在せず、証拠資料の捏造や著しいマナー違反について、反則理由となっているだけである(細則C-1項)。従って、これを独立の投票理由として考えることはできないとも思われる。こう考えるのが原則的であるといわざるをえないが、著しい不正がなされたと判断すべき事例の場合、そのような不正な議論ないしスピーチで説明されたメリット・デメリットは評価に値しないと考え、当該議論を投票理由としてメリット・デメリット比較の枠内で勝敗を決するという処理を考える余地もあろう。特に、証拠資料の著しい不正などが発見された場合にかかる処置を議論する実益が考えられるが、この点の詳細な議論は第5章に譲ることにする。

一方で、こうした問題行為を判定の基礎として考慮することは、ルール上否定されていない。すなわち、矛盾した議論について相手方に有利に解釈するとか、信憑性の著しく低い資料に裏付けられた議論を判定から除外するといった処置が考えられる(なお、不正な資料を排除するべきとの規定として細則B-6項参照)。適切でない議論を判定から除外することについては、ルール上も当然に認められた法理であるといえ、それが実質的な投票理由になりうる場合がある。

なお、関連して、近時アメリカで盛んに展開されているクリティーク(critique)の議論について説明しておく。クリティークとは、相手の議論の拠って立つ思想や言葉の意味などに着目し、そのような背景に誤りがあり、かかる議論に投票することは教育的に望ましくないというものであり、独立の投票理由として認められている。例えば、「発展途上国」という言葉を用いた相手に対して、そのような言葉が文化・国家に序列をつける差別的な考え方であり、このような価値を内包した相手方の議論を認めるべきではない…といったものがある。
これについては、特別にクリティークと言い立てることはなく、単にメリット・デメリットの次元で説明することも不可能ではないように思われる。もちろん、それでは表現できないニュアンスもあるだろうが、クリティークのような議論を認めないとしても、それで議論が成立しないであるとか、不当な結論が出るということにはならないだろう。従って、クリティークはメリット・デメリットの議論に翻案できない場合、ルール上認められないとしてよいだろう。

*続き(3.4 ステージの形式)については次回に回します。
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