愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
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東海地区春季大会の感想~中学論題のヒントと「主張と立証」の意味について~
去る3月26日、27日に行われた第15回東海地区春季ディベート大会でジャッジをしてきましたので、その時の感想を書くことにします。
高校論題については先日簡単ですが触れていますし、全国論題ではありませんので、今回は中学論題について思ったことを簡単にまとめつつ、大会を通じて少し気になったこととして、タイトルにあげた「主張と立証の違い」という問題について、少し解説しておくことにします。

1.中学論題について皆さんが考えなければならないこと
中学論題の試合は諸事情あって2試合しか見ていないのですが、全体的な感想として、論題の難しさに選手がまだついてきていないという印象を受けました。
正直なところ、今季論題は(毎回そうですが)大人にとっても難しいテーマです。そもそも中学生の皆さんは選挙に行ったことがないわけで、どうやって投票するのかも知らないわけですが、それはともかくとしても、選挙が政治の中で占める意味、政治という営みの意義など、考えなければならない難問がたくさんあります。
(*)現在NADEの委員職にないので敢えて述べると、このように難しい論題を議論させておきながら、毎年書かれている論題解説は総じて不親切すぎるように思います。今年の中学論題解説は分量の割にはまとまっている方だとは思いますが、この解説だけを手がかりにしてジャッジが期待する水準の議論に至ることは困難と言わざるを得ません(おまけに、3月28日時点でNADEのサイトは16回大会論題へのリンクが整備されておらず、解説に簡単にたどり着けません…)。論題検討委員が多忙であることは理解できますが、論題検討過程でいろいろとリサーチしているはずであることなどからして、もう少し充実した解説を望みたいところです。せめて参考文献リストくらいは公開してもよいのではないでしょうか。

今季論題の展望についてここで説明することは能力・時間的にできないのですが、中学論題に挑む皆さんがまず考えるべきポイントについて、試合で見た議論を踏まえて、いくつかコメントをしておくことにします。

まずは、今季論題で皆さんが必ず参照するであろう「投票率」の意味について考えてみましょう。
投票率が高いことはよいことだ、あるいは投票率が低いとよくない、といった議論がされますが、最初にこの前提を疑ってみるというのが、今季論題を真剣に考えるスタートになります。これはどんな議論でもそうですが、数字そのものには意味が無くて、そこから何が言えるかということに価値があるからです。
僕が見た試合の中では、投票率の高さは民意の反映度合いを表しているという説明がありました。民意って何だよという話はとりあえず脇に置くとして、この説明は普通に考えて無理があります。投票に行ったかどうかと、投票結果や政治に満足しているかどうかは、必ずしも関連しません。投票した人と違う人が当選した場合を考えれば明らかでしょう。また、北朝鮮の選挙を例に見ると、かの国ではほぼ100%の投票率で、100%の支持率によって総書記が信任されているそうです。このことを理由に北朝鮮の政治が理想的であるという主張をすることはできないでしょう。

投票率という数字から有益な情報を引き出したいのであれば、より詳しく数字を調べ、どのような世代の人がどのくらい投票しているのか、といった分析をしてみるとよいでしょう。そのように見ていくと、「どういう人がよく投票しているのか」「どういう人は投票しないのか」ということが分かります。それが分かると、次に当然疑問になるのは、どうしてそのような違いが出てくるのかということです。これを調べていくと、皆さんが議論しなければならない問題がある程度浮かび上がってくるでしょう。
また、選挙というのは投票する側だけでなく投票される側である政治家にとっての一大イベントといえますから、政治家の立場から投票率を見るのもよいでしょう。皆さんが政治家であれば、たくさん投票にきてくれる人たちにアピールするのがおトクだと考えるのが自然でしょう。そのような考え方から上記のような数字を分析してみると、何か見えてくるのではないでしょうか。もっとも、この問題は「投票率の高い層にアピールしよう」という簡単な問題ではないという可能性もあります。単に投票率が高いというだけでなく、政策に関心を持っていたり、政治に利害関係を持っている人だからこそ、選挙でアピールすることも必要だし、後で裏切らないようきちんと政策に反映させる必要が出てくるということも考えられます。ここでも、投票率という数字から出てくる意味だけでなく、いろんなことを考える必要があるということです。

投票率の問題はこのくらいにして、次は「なぜ投票に行かなければならないのか」ということを考えてみましょう。選挙への参加が国民の義務であるか権利であるか…という話はいろいろありますが、まず思いを致すべきことは、選挙によって自分たちの代表を選ぶということは当たり前のことではないということです。参政権拡大の歴史というのは中学校の公民の授業でも少しは勉強するのではないかと思いますが、昔は自分たちの代表を自分たちで決めることはできませんでした。それがどうやって、どのような理由で変わっていたのかということを知ることは、「なぜ投票に行かなければならないのか」を考える上でも、避けて通れないことです。
その上で、選挙への参加が国民にとってどういう意義を持っているのかを考えることになります。これは、代表を通じて物事を決めるという「政治」(代表民主制)の意義を考えるということに等しい問題です。とても難しい問題ですが、政治というのがその国の構成員全員に関わる意思決定をする仕組みであるということ、すなわちそこでは「みんなにとっての課題」が議論されるのだということをイメージすると、いろいろと考えが思い浮かぶのではないでしょうか。

ここで、少し難しいですが、憲法論から見た代表民主制という観点から少しだけ――というのは、僕もそんなに勉強できていないからです――コメントしておきます。プランが憲法に違反しているかどうかということ自体はディベート的にはどうでもいいのですが(関連して、憲法改正に関するプランの提出とフィアットの関係などについて考察した過去の記事としてこちらを紹介しておきます)、憲法が代表民主制を規定している理由との関係で論題を考えることには意味があります。以下、難しいことをいってる割に正確な説明ではない可能性も高いという残念な内容ですが、もし余裕があったら考えてみてください。
民主主義というのは、構成員の合意に基づき意思決定を行うという体制ないし理念のことをいいます。制度として民主主義を実現する場合、実際に構成員全員が集まって議論する直接民主制と、選ばれた人が議論する間接民主制が考えられますが、日本では後者の方法による代表民主制を取っています。憲法43条が「全国民を代表する選挙された議員」で議会を組織すると定めているのがその表れです。もっとも、難しいことを言うと、統治される国民が同時に統治者であることを要求する民主制と、実際には国民という存在はないことを前提としつつ国民がいるかのように代表者が行動することで「国民による意思決定」を行おうとする代表制の考え方には相容れない部分もあるのですが、皆さんが議論する上では(おそらく)重要でないのでこの点は置いておきます。
「全国民を代表する」代表者による代表民主制というのは、歴史的には、市民革命における身分制度からの解放により、特定の身分や個人の代表者でなく「全国民の代表」が意思決定を行うようになったものだと説明することができます。ここでは、身分制議会に見られた部分代表(貴族や聖職者など特定身分の代表になること)の否定や、有権者からの命令に拘束されず、代表者自身が代表として国民全体のために自由に行動する自由委任の原則が求められます。他方、普通選挙制により多様な意思を持つ選挙民が代表を選ぶようになってからは、選挙民の意思(いわゆる民意)が反映されるべきだということで、全国民の意思を適切に反映するということ、そのために選挙民の意思に拘束されることも「全国民を代表する」ということの中身に含まれているのだという理解も生じています。
このような2つの異なる理解――自由委任の原則と、民意による拘束の要求――は、「国民」とは何か、民主主義とは何かという理解ないしイメージの違いによって生じてくるものといえます。普遍的な個人や全員に共通する利害(一般意思)というものが本当にあるのか、政治過程における意思決定とはどのように行われるべきであるのか…といった点をどう考えるかによって、私たちが「代表」に求めるものは変わってきます。上記2つの異なる理解に即していうと、全体を代表するということの元々の意味を強調する場合には、代表とは全体のことを考えなければならず、選挙区や特定集団の利益を反映してはならない(逆に言えば、全ての代表が目指すところは同じ)ということになります。他方で、全国民の意思を適切に反映しなければならないのだという理解からは、国民を構成する様々な価値観や利害が政治の場に適切に持ち込まれる必要があるということで、代表はそうした価値観や利害関係を代弁する必要があり(この場合、それぞれの代表は違う目的を持っており、それらのせめぎあいや妥協の中で結論が出されることになる)、全体として多様な価値が反映・考慮されるようにバランスよく代表が選ばれなければならないということになります。
こうした2つの考え方の違いを意識できると、議論の見え方が違ってくるかもしれません。

このような考えをめぐらせた後で、再び投票率のところで考えたことに戻ってみると、私たちが選挙を通じて「よい政治」を実現できているか、「私たちの代表」としてふさわしい政治家を選べているか、ということについて、皆さんなりの評価ができるのではないでしょうか。もしそこに問題があるとすれば、そこには皆さんがメリットとして論じるべき問題があるでしょう。

最後に――といっても、これは「この記事での」最後という意味ですが――、投票の棄権に罰則を設けることの意味について考えることにしましょう。
投票の棄権に罰則を課すことがよいことかどうかを考える上では、どういう理由で棄権がされているのかということを調べる必要がありそうです。そこに真っ当な理由があるのであれば、棄権に罰則を課すということは正しい政策ではない可能性があります。
その上で、棄権に罰則を設ける上で、人々の投票行動がどのように変わるかについて、考えてみましょう。ここでも、単に投票率が上がるというだけでなく、どういう人が新たに投票するようになるのか、どのような基準に基づいて投票するのか、といったことをきちんと分析する必要があります。この分析に当たっては、現在投票を棄権している人の棄権理由を参照することが有益です。

以上は、今季論題を議論するに当たって、差し当たり考えておくとよいことの一部です。他にもいろいろ考えることはあるのですが、まずはこういった基本的な点について考え、そこで疑問に思ったことをリストアップして少しずつ考えていくことで、自分なりに論題へのイメージを持つことができるのではないでしょうか。
注意すべきことは、「民主主義」や「民意」といった、よく分からない言葉をそのまま使わないということです。自分の中でイメージできない言葉は、聞き手にも伝わりません。以前にも書きましたが、現実の社会をよく観察して、その上で今季の論題が何を問題としようとしているのかについて考え抜くことで、出来る限り具体的に論じることが、皆さまに求められた課題です。これはとても難しい課題ですが、難しいからこそ半年をかけて考える価値があります。決まった答えのある問題ですから、楽しんで考えてほしいところです。聞き手の立場である僕としても、皆さまの考えた解答を楽しみにしていますし、この機会に自分なりの答えを考えてみようかと思っているところです。

2.「主張」と「立証」の違いについて
ここからは話題を変えて、試合で見た気になる「勘違い」と、試合後にブログの読者から受けた質問との関係で、「主張」と「立証」の違いと、そこから導かれる判定のポイントについて解説することにします。

ディベートでは、証明された主張を評価することで判定が行われます。このことをディベート甲子園のルール細則Dでは、以下のように定めています。

細則D
2.審判は個々の論点について以下のように判断を行います。
1)一方のチームが根拠を伴って主張した点について,相手チームが受け入れた場合,あるいは反論を行わなかった場合,根拠の信憑性をもとに審判がその主張の採否を判断します。
2)一方のチームの主張に対して相手チームから反論があった場合には,審判は両者の根拠を比較して主張の採否を決定します。


ここでは、主張がされていることを前提として、その当否について根拠に基づき判断を行うということが規定されています。重要なことは、主張と根拠(立証)は異なるのだということです。よく「ディベートでは立証責任が重要である」と言いますが、本当は「主張責任」も重要です。具体的に「主張責任」が問題となる例としては、試合中に読まれた資料からすると特定のメリット・デメリットの存在が認められるという場合でも、選手がそのようなメリット・デメリットの発生について主張していない場合、判定で考慮することはできないという場合があげられます。選手が主張責任を果たしていないので、ジャッジは選手に有利な主張を考慮できないということです。

しかし、主張というのは、あくまで理由がついているかどうかによってその採否が決定されるものであって、ジャッジに考慮してもらう前提を作るということを超えてそれ以上の意味を持つことは通常ありません(通常、というのは、相手の主張を認めるような発言が事実上の心証を形成することがあるからです)。
ですから、僕が試合で見たように、肯定側が「プランで投票率は上がる。オーストラリアでそうだった」と主張し、否定側もデメリットで同じようなことを言っていたときに、否定側第一反駁が「海外の例が当てはまるとは限らないからプランで投票率が上がるとは考えられない」と反論してしまったからといって、直ちにデメリットに影響が出るとか、投票率上昇の真偽について心証が変わるということはないということです。合理的なジャッジは、異なる論点においても、同じ根拠に基づいて合一的な判断をしなければならないので、メリットでは「投票率が上がる」ことを前提に評価をし、デメリットでは「上がらない」ことを前提に評価をするといった矛盾のある判定をすることはできません(試合で出された全ての根拠を元に、どちらかに統一させます。以上、詳しくは過去に書いたこちらの記事を参照してください)。

主張に対して反論をしなかった場合も、その主張が受け入れられるかどうかは、理由がついているかどうかによって決まるものであって、反論が無かっただけで主張の正しさが示されるというものではありません。反論しなかったから同意がされたというものではなく、せいぜい反論する機会を放棄したと見ることしかできないからです。これについては、こちらの記事を参照してください。

*このあたりの説明は、こちらの記事のリンク先から入手可能なテキスト「ディベート甲子園判定手続法の概要(新版)」の該当部分にも載っています。マニアックすぎてあれですが、甲子園ルールについて僕が言いたいことの8割くらいはこのテキストに書いてあるので、もしよければご参照ください。

以上が、主張責任と立証責任の違い、それから「主張」の意味についての説明でした。以下は、応用的な考察として、いわゆる判断基準といわれる議論についての主張責任の内容について少し考えてみます。

日本最強の職業ディベーターgeniocrat氏のブログで、昨年の秋JDAで僕と対戦したときの振り返りが書かれています。試合内容自体は同ブログの「JDA秋季大会2010参戦記」のうち予選第三試合の部分を見ていただければ分かります。結果自体はまぁしょうがないなぁという感じなのですが(ただ、自分で言うのもなんですが、種々のミスを勘案しても勝っててもおかしくなかった試合だったとは思います)、この試合の判定について、geniocrat氏はこのようにまとめています。

Tabura Rasa 2011年3月15日記事 JDA秋季大会2010参戦記(予選第三試合8)
おそらくNEGの判断基準の出し方は、普通のジャッジには取りづらく、どちらかと言えば、AFFの議論(より多くの人が幸せになっている)の方が、Net-benefitを議論する際には取りやすかった、ということだと思います。


NEG(僕のチーム)が出した判断基準は「他者危害防止の原則から、たとえ大部分が満足しているとしても、少しでも、望まない人が苦しんでいるのであれば、その時点でデメリットに投票しなければならない」というものでした。geniocrat氏は、この基準が受け入れられなかったのが敗因であって、純利益の通常の比較についての主張もすべきではなかったかという感想を持っているように思われます(が、そこまで言っていないのかもしれません。)。
しかし、上記のような「絶対に~すべき」という類の判断基準は、いわゆる通常の政策形成パラダイムにおける比較衡量判断を排除するものではなく、むしろ比較衡量判断における重み付け(重要性や深刻性)の主張立証を兼ねていると判断すべきでしょう。すなわち、「絶対に~すべき」という規範的主張をすることによって、通常の比較衡量判断を求める主張責任も果たされているし、規範的主張の内容をそのための立証として考慮することも可能であると考えられるということです。上記試合の判定についても、僕は、そのような考慮は排除されていなかったと理解しています。

この点について、前にも紹介したひろろろろ氏のブログの記事では、判断基準の部分の位置づけが示されなかったことから、「「判断基準」は無視し、それ以外の議論で勝敗を決める……という、ディベーターにとっては不本意な判定をせざるを得ませんでした。」という形で、判断基準として出された主張を比較衡量判断に反映させないという考え方が示されています。
これは、主張責任を厳しく求める考え方と理解することができ、これはこれで筋が通っているのですが、僕の立場からするとこれはちょっと厳しすぎるのではないかと思われます。規範的主張というのは往々にして物事の重要性を強調するためにされるものであって、例えば法学における「~すべき」というのは、絶対的な価値表現を意味する場合だけでなく、「こうしたほうがいい」という軽めのニュアンスでも用いられます。また、規範的主張の意味するところは、当然ヨリ軽いニュアンスでの理解(比較衡量の次元での考慮)も包含すると考えられるので、規範的主張をすることによって、比較衡量判断において同様の要素を考慮すべきことも主張されたと見るのが、主張の理解として自然でしょう。

もちろん、ジャッジに主張の評価を促すという意味で、自分たちの主張の位置づけをきちんと説明することには大きな意義がある(おそらく多くの試合でこれが勝負を決する)のですが、理論的に主張責任というものを取り出して考えると、上記のような考察も可能ではないかということです。
何にせよ、立証とは別のものとして主張ということを考えることで、議論の仕方や判定の仕方が変わってくることもあるということは言えると思います。

*主張の位置づけやその立証について考えるという点では、上記試合の考察としてgeniocrat氏が書いた記事が非常に有益ですので、是非ご覧になってください。自分が勝った試合でも、これだけ詰めて検討するという姿勢は、僕も含めた多くのディベーターにとって見習うべきものです。
コメント
この記事へのコメント
春季大会お疲れ様でした。
北大に進学する永井です。ジャッジお疲れ様でした。

司会タイマーはフローが取れないので記憶だけでのお話になりますが、
僕が見た試合のほとんどに「組織票」が出てきていたんです。でも、「組織票」がどうして悪いのかをもうちょっと説明してよ肯定側さん、そこつっこんで聞いたり攻めたししてよ否定側さん。と思った記憶が残ってます。

それにしても寒いです、北海道
この時期に吹雪いてますから・・・
2011/04/05 (火) 08:46:43 | URL | Yuto NAGAI #91/TeGyg[ 編集]
先日はお疲れ様でした
>Yuto NAGAI さま
こちらこそ、どうもお疲れ様でした。
若いスタッフが活躍してこその大会ですので、今後もよろしくお願いします。

組織票という形で具体的な投票行動に着目していることまではいいのですが、その評価に踏み込めていないというのは残念ですね。
本文の説明に引き付けていうと、組織票というのも価値観を適切に政治の場に持ち込む方法として好意的に評価する余地もあるわけで、なぜ良いのか/悪いのかということを自分の言葉で語れるようにしっかり考えてほしいところです。
組織票との関係でいうと、政治における政党の位置づけや評価という議論もできますし、投票行動の変化は政党のあり方を大きく左右するはずですから、こういった点まで議論が及ぶといろいろ面白くなりそうです。ちょっと難しすぎる感もありますが…。

北海道は食べ物もおいしいと聞いておりますので、北海道生活を満喫しつつ、当地で頑張っている選手の皆さんに議論を楽しんでもらえるよう頑張っていただくことを期待しております。
2011/04/08 (金) 00:22:02 | URL | 愚留米@管理人 #tX1BiP8k[ 編集]
NADE Webサイトの件
論題解説が埋もれてしまった件、論題の変更などのドタバタがあったせいで第16回甲子園の情報公開を一旦白紙にしてしまったせいです。
すみません。
昨日の常任理事会で現時点で確定の内容を整理して再掲載するということを確認しましたので、遠からずトップからリンクが付くようになると思います。

―などと他人事のように言っても私が暫定のWeb更新担当になってるのですが…。
2011/04/10 (日) 21:01:07 | URL | 委員長 #-[ 編集]
お忙しい中ありがとうございます
>委員長さま
震災の影響でお忙しい中コメントいただきありがとうございます。近いうちに対応いただけるとのこと、期待しております(またしてもお仕事を振られているようでお察しします…)。

新論題の解説についても、中身については管轄外だとは思いますが、充実した中身だといいなぁ…と願っております
2011/04/11 (月) 02:15:59 | URL | 愚留米@管理人 #tX1BiP8k[ 編集]
こんばんは。いつも愚留米さんにもこちらのブログにも
お世話になっております。東海ブロック出身の花村です。

この前は東海大会ジャッジお疲れ様でした。
4月になりましたが新生活の方はいかがでしょうか。
私の方は、大学の授業開始が5月に延期され
今しばらく地元に残ることになりました。
今週から地元の中学・高校のディベート練習にお手伝いに行くのですが
その際こちらの記事をはじめこちらのブログの記事も
紹介させていただいてもよろしいでしょうか?

まだ少し肌寒い日が続きますね…。お身体にお気をつけて下さい。
またお会いできれば嬉しいです^^
2011/04/12 (火) 22:16:01 | URL | 花村 #-[ 編集]
>花村さま
こちらこそいつもお世話になっております。
大学は平常どおり開始だと聞いていたのですが、延期されたのですね。

中高生向きなのかよくわからない記事ばかり書いていますが、それでよければ是非紹介してあげてください。

それではまた。
2011/04/14 (木) 02:12:54 | URL | 愚留米@管理人 #tX1BiP8k[ 編集]
コメントありがとうございます。

工学部は授業開始GW明けに延期になったのです。
そしてディベート甲子園とテスト期間が
かぶってしまうという…


こちらの記事は中学生には難しい部分も確かにあるかもしれませんが、
内容的にまさしく中学生が読むべきものなのでは?と思います。
2011/04/16 (土) 17:18:33 | URL | 花村 #-[ 編集]
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