愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
第16回ディベート甲子園の感想(2.高校決勝を中心に)
月曜だけ修習があって火曜から日曜まで休みという謎のスケジュールのため、こんな時間から(だいたい2時間弱くらいかけて書いているのです)ディベート甲子園の感想を書いております。

今回は、高校決勝の動画からフローを取りましたので、そちらをネタにしつつ、システムを論じることの意義とその方法について書いてみようと思います。いつものことですが、ここの管理人は議論を褒めるのが苦手なので、いつものように辛口の内容でお送りしています。関係者各位におかれましてはどうかご容赦ください。
あと、内容が未整理でいつも以上に分かりにくい部分があるので、後日加筆修正するかもしれません。

第16回ディベート甲子園の感想(2.高校決勝を中心に)

総評
第16回ディベート甲子園の高校決勝(動画はこちらから・前編/後編)は、道州制論題で戦われた三度目の決勝戦です。肯定側が東海高校、否定側が北嶺高校で、結果は否定側の勝利で終わっています。
実際に見ていただければ分かりますが、試合のレベルはさすがに高く、さすが決勝戦というべき試合でした。とりわけ、両チームともに説得的な立論を展開し、反駁以降でも質の高い証拠資料を交えて効果的な反論を行っていた点は、決勝までに両チームが費やしてきた努力の跡をうかがわせるものであり、その結果が質の高い議論として反映されていたものと評すべきところです。議論の内容についても、現状の地方自治の状況やプラン後の道州制の機能について、具体例を挙げつつ詳細に検討がなされており、随所にユニークで説得的で分析が見られた、刺激的な試合でした。

判定自体は0-5で否定側の北嶺高校が勝ちとなっていますが、講評(前半/後半)でも述べられているように、試合自体は極めて僅差だったと思います。
僕個人としても判定は迷うところです。後で詳述するとおり、肯定側が立論のエビデンスを伸ばして固有性をきりにいったところの議論が弱いこと、ニーズの実現という解決性の要点において否定側の説得的な反論が残ってしまっている点、否定側の弱者切り捨ての部分が完全に否定できておらず、その深刻性の説明不備を考慮しても無視できないものと評価できることから、僕も否定側に投票するのかなぁとは思うのですが、2ARの指摘も概ね説得的で(負けたのでベストディベーターは無理だったのでしょうが、個人的には2ARが最も優れたスピーチをしていたと感じています)、それに沿って投票することも無理ではなかったでしょう。

ただ、試合自体が僅差だったということは、両チームとも決め手を欠いていたということの証左でもあります。それでは、この試合ではほかにどんな議論がされるべきであったか。この点について、両チームが支持するシステムないしストーリーに着目して、大局的に見ていくことにします。

システムを考えることの意義
これまでこのブログでも明示的に説明してきたことはなかったように思われますので、最初に「システムに基づいて議論を考える」ということの意味について、簡単に説明しておきます。
*ちょっと説明が分かりにくくなってしまっています。この節は飛ばして次の具体的考察に進まれても支障はないと思います
*関連する過去記事としては、システムマップの考え方に関する記事があります

ディベートの試合で直接議論されるのはメリット・デメリットですが、そこで実質的に議論されているのは、論題ないしそれを具体化したプランの影響です。そして、メリットやデメリットで論じられている影響は、プランから直ちに生じるものではなく、プランの採択が現実社会に影響を与え、それが様々な形で連鎖拡散することによって生じます。これを図式的に図示する一つの方法が、上記で紹介したシステムマップというものです。
道州制論題でも、同じことが言えます。道州制導入というプラン自身は、権限・財源を地方に委譲するといった要素しか有していません。しかし、それによって行政府の意思決定過程のあり方が変わり、その結果としてのアウトプットの変化に企業や住民が反応し、それが行政府にフィードバックされ…ということで、メリットやデメリットの議論ができていきます。
もちろん、全ての変化を論じきることはできませんから、ディベーターはこれらの変化のうち一部の因果連鎖を切り出し、自分たちの議論を構築します。ここで重要なことは、ディベーターが切り出すべき因果連鎖は自分たちのメリットないしデメリットだけではなく、相手方が提示するメリット・デメリットに対する反論を構成するような議論を含むのだということです。「道州制導入で地方間の福祉サービスに差が出ることで貧困層の流入を避けるために福祉サービスが切り捨てられる」という議論は、デメリットを形作るものですが、一方でニーズ実現を語る肯定側のメリットに対して「行政府の合理的選択は一部の重要なニーズを切り捨てる形で働くことになる」という反論として機能します。これは、住民の意思が反映されるという好ましい影響を説く肯定側の構想に対して、住民意思の内容としてマズいアウトプットが出てくる可能性を示すことで、肯定側の構想を修正しようとする試みということができます。

以上を要するに、ディベートにおいて各チームは単なるメリット・デメリットを論じればよいというものではなく、プランのない世界がどういうものであるか、プランによってどんな世界が実現するのかということを、立論・反論を通じて包括的に語らねばならないということです。そこでは、各チームが支持する政策ないし理念が世界にどのような影響を与えるかという点が問題となります。
この「各チームが支持する政策ないし理念」を、システムと呼ぶことができます。これはディベート甲子園であれば「プランの採択」と「現状維持」の2種類ですが、そこにどのような意味づけを持たせるかは、各チームの選択によります。つまり、肯定側であればどんなプランを出すかということで、否定側であれば現状の動きとしてどのような事実を挙げるかによって、自分の支持するシステムに違いを出すことができます。
ディベートでは、「こうやって勝つんだ」という戦略をシステムと呼ぶこともありますが、結局のところ、どういう社会になるのかという証明の方針が勝ちの戦略と一致しますので、以下では「システム」という言葉を上記の意味で使うことにします。

そして、個々のメリット・デメリットではなく、それらに共通する「システム変化によって生じる影響」を分析する――議論を大きく現状とプラン後に分け、プランの影響を評価する――という考え方を、システム解析といいます。
システム解析の考え方に従って、メリット/デメリットの区切りに囚われずに「プランの影響」という観点で議論を見ると、相手側の議論と自分たちの議論の衝突点が見えるとともに、それを克服するための筋書きをどう考えるか、そしてそのためにどんな議論を展開すべきかということの見通しがぐっとよくなります。以下では、実際に今季論題をシステム解析の観点から見るとどうなるのか、高校決勝を中心として考えてみることにしましょう。

決勝戦から見る肯定側・否定側の取りうるシステム
肯定側の東海高校の議論の特徴は、2ARが最後に強調していたことからも分かるように、現状のままでは福祉サービスも維持できなくなるといった議論や、プランによって地方の経済が成長するという議論を盛り込むことで、デメリットの固有性を切りつつ変革の必要性を説こうとしていたところにあります。これは極めて秀逸な戦略で、おそらく今季論題で肯定側が取りうるもっとも強力な立場です。
もう少し具体的に説明します。肯定側立論の6枚目のエビデンスは、地域医療や介護などは地域の実情に合わせてやる必要があり、画一的サービスでは非効率的であって財政的に維持できないという内容です。これは、今回の否定側立論もそうである「行政サービスの切捨て」との関係で、このままでは放置しておいても福祉サービスが財政的に持たなくなるという形で、デメリットの固有性を切ることにつながります。この議論はざっくりいうと「このままだと日本の行政サービスは維持できなくなる」という分析です。そして、これに対応する解決性として、全体を通して8枚目のエビデンスで地域の経済成長という話を、11枚目のエビデンスで効率化という話を、それぞれ述べているところです。つまり、道州制で改革を行えば、経済成長や効率化によって行政サービスを維持できるようになる、ということです。
さらに、1ARでデメリットの財政不足をいう部分に対して、無駄をなくせば財源の使い方が変わることで少ないお金でも全体的な満足度はかえって上がるという反論をしている部分も、効率化によってサービスがよくなるのだということで上記のストーリーを支えています。こうした反論が出ているのは、肯定側がある程度意識的に自分たちの立場として「画一行政という泥舟から抜け出すために道州制で効率化を図る」というものを構築してきていることの表れです。

これに対して、否定側の北嶺高校が展開した議論は、デメリットとして財政不足と低所得者向け再配分政策切り捨てという議論を用意したほか、肯定側に対する反論として「現状のままでも問題は解決されつつある」という内因性への反論を厚く行っている点に特徴があります。
これは、(特に財源調整を行わない)道州制から固有に生じる問題を明快に論じた上で、現状でも権限・財源ともに権限委譲は大幅に進んでいるから問題はないという形で、現行の(道州制ではない)国-都道府県-市町村の体制で分権するのがベストだという独自の立場を打ち出したものと評価できます。現状維持のシステムを理想に近づけることで、否定側の立場を強固にするという戦略です。このような見方からは、北海道の分析を絡めつつ市町村との関係で道州制がかえってニーズを反映させにくくしてしまうという解決性への反論も、都道府県制の優位を説くものとして理解することが可能です(しかしそのような伸ばし方をしていなかったことは惜しいことです)。
上記の議論は、メリットとの関係では、問題解決のために本当に道州制が必要なのかという疑問を提起することを意味します。道州制を導入した結果「何か大切なもの」が失われてしまうことより、現状のまま漸進的に行政を改革していこうという議論は、肯定側のシステムの意義を否定しつつ、実質的には「緩やかな改革を志向する現状維持」という立場を強力に擁護し、現状維持に基づく独自のシステムを保持するよう求めるものです。これもまた、否定側が取りうる強力な立場だといえます。

しかしながら、否定側にとって惜しかったのは、上記のような考え方を活用して相手を攻め立てようとする意識が若干弱かったように思われること、とりわけデメリットの「弱者切り捨て」という強力な発生過程を肯定側のシステム解析の結果ににぶつける(そんな都合のいい話にはならない、と突っ込みを入れる)という姿勢が見られなかったことです。否定側の勝利を決定付けたのは、上記で指摘した現状擁護の戦略がある程度成功したこともその要因ではありますが、むしろ要所におけるエビデンスの質の高さ――道州制がかえって市町村のニーズを反映させにくくするとの反論部分や、無駄を削減しても赤字が出るというデメリット3枚目の資料――や、弱者切り捨てという議論の潜在的インパクトの強さ(後述するように深刻性の説明は不足しているのですが、弱者切り捨てというインパクトは一般的に見て訴求力が大きい――とりわけ、決勝ジャッジを務めるような人に対しては)で、システム解析に基づく分析が発揮された結果とは言いにくい部分があります。
この点、僕が準々決勝で見た創価高校の否定側は、弱者切り捨ての議論を反論でも徹底させ、選挙等の民主的過程の中で強者が優遇され、弱者が切り捨てられるという趣旨の反論を積み重ねていました(もっとも、2NRでこれら反論とデメリットの関係が十分意識されていたとはいえないのは残念でした)。これは、ニーズの議論に対して「そこで反映されるニーズは誰のためのものか?」という疑問を投げかけるもので、肯定側が支持するシステムの意義を揺るがす効果的なものでした。

しかしながら、上記のような指摘は、否定側にとってシステム解析に基づく思考が役立たなかったとか、システムを意識しなくても勝てたということを意味しません。否定側が勝利できた理由は、ある程度意識的に「緩やかに改革を進めている現状の擁護」という視点を打ち出せたことにもありますし、肯定側が勝てなかった理由は自身のシステムを正当化するための個々の議論が弱かったことに尽きるからです。
そこで、次の節では、システム解析の視点から導き出される上記のような戦略を効果的に機能させるために、決勝の両チームはどんな議論をすべきだったのか、ということを考えてみることにします。

システム的思考から見た議論の改善点
1.肯定側の改善点
§1 現状の問題点(内因性)について
肯定側の議論で一番惜しかったのは、おそらく2ARが一番伸ばしたかった「このままではマズい」という部分の議論が、十分に証明されているとはいえなかったことです。上述しましたが、この点について肯定側が指摘しているのは、現在の画一行政による非効率性では一部の福祉サービスが財政的に持たないということだけです。決勝のジャッジですからこのエビデンスについて内容を落としていることはないでしょうが、立論中の位置づけでは「医療サービスについての具体例のつけたし」的な感じになってしまっていて、システムの影響を論じる中でどんな重みを持つ議論なのかが必ずしも明らかではありませんでしたし、内容自体も将来の福祉サービスがどこまで危機的な状況にあるのかが分かりにくく、これだけを理由にデメリットの固有性を切るのはちょっと無理があります。
「このままではマズい」という議論については、予選で他のチームが展開しているのを見る機会がありました。結果的には負けてしまったのですが、早大本庄の肯定側は、第一反駁で「補助金制度はいずれもたなくなって終わる」という資料で反論を行い、否定側・能代高校の財源不足デメリット(これも試算に基づく具体的な赤字割合を出しつつ、夕張の例と対比させて発生の確実さや深刻性を訴えた、なかなか趣きのある議論でした)をかなり大きく減じていました。ちなみに、それでも肯定側が勝てなかった最大の理由は、道州制にのればマズい状況から抜け出せるという証明がなかったことにあったのですが、これについてはすぐ後で決勝肯定側の改善点という形で言及することにします。

この点については、肯定側立論が病院改革の例など具体例を出してしまい、かえって現状の問題が見えにくくなってしまったということとも関係するかもしれません。これは否定側からも突っ込まれていましたが、肯定側が上げた個々の問題を一つ一つ取ってみると、それは道州制でなくても解決できそうに思われるところです。それよりも、国が権限を持つ以上必然的に生じる非効率を、抽象的でもよいから明確に論じたほうがよかったかもしれません。
これは、デメリットの固有性とも密接に関連します。実は、否定側の「弱者切り捨て」デメリットについては、「現状でも権限委譲は進んでいる」という内因性への反論との関係では、固有性にワンクッション説明を要するところです。福祉サービスの水準について地方に全て委ねてしまうのであれば、否定側のいう弱者切り捨てのリンクは現状でも当てはまってしまうからです。否定側としては、財源を保障するから切り捨ての動機は生まれないとか、最低限の水準については国が保障するという形で説明するのでしょうが、肯定側は前者について「補助金制度は財政的に持たない」と反論し、後者について「具体的にそれは何なのか。最低水準は地方の財政状況などによっても左右されるのではないか。結局のところ『最低水準』という形で画一基準を設けること自体が、実情に合わない非効率を生むのだ」という議論を展開することができます。こうやって「サービス切り捨て」デメリットの固有性を批判的に検証することで、「国主導のままでは変わらない何か」の正体に近づくことができます。それを肯定側なりに特定し、メリットの内因性(および否定側への質疑や反論)で論証できれば、これは極めて強力な議論になります。

具体的には、画一的行政の非効率性を明らかにするという目標の下、中央の管理によるナショナルミニマムの保障というあり方自体が無駄を生じさせるという議論や、国の財政補填が依存体質を生んで効率化を阻害するという議論などがありうるでしょう。具体例についても、生じた無駄の具体例に差し替えた方がよいかもしれません。また、上でも触れたように、補助金制度がこのままでは持たないという話を1ARで盛り込むというのも、有効な選択肢になりそうです。
さらに、こうした現状の問題を解決すべき重要性をより強調するために、道州制によってニーズを達成し、無駄を省くべき意義をきちんと示す部分があってしかるべきでしょう。実は肯定側立論では、明示的に重要性を論証した部分がありませんでした。しかし、システムの優劣を争う必要がある論題では、自分たちの構想するシステムが望ましい理由を積極的に示す必要があります。

§2 解決性およびデメリットの発生過程に対する議論
また、肯定側としては、解決性の部分で上記の問題点をしっかりフォローできるのだという印象を強く持たせる必要があったところです。特に、(これは内因性の議論かもしれませんが)道州制固有の意義をしっかりと証明することが、肯定側の最大の課題です。

そのためには、個々の解決性の議論を、現状の問題点で論じた内容と対応させて、もう一度見直す必要があります。メリットに入っていた「住民の財政的監視で効率化」という議論は、現状の問題として補助金依存などの論点を出した上で、それに対応させて論じるべきです。ニーズの把握・反映という議論について、肯定側は「市町村中心になる」ということを述べていて、それ自体はよいのですが、画一化という構造的問題にアプローチするという点では、権限が移されるということ自体の意義をきちんと述べるべきところです。
道州制固有の意義という点では、道州単位の規模が受け皿として最適であるといった議論を何らかの形で取り込めればというところです。肯定側のキーエビデンスである「九州州の経済成長」という議論も、道州単位での政策実現・効率化ということを前提にしているはずであって、それを理論的に明確化した上で九州の分析が出ていれば、現状を打破するための道州制という構図が明確になったところです。

デメリット、とりわけ弱者切り捨ての議論について、肯定側は首長の意思決定に住民が及ぼす影響という観点から、なかなか説得的な反論ができてはいました。しかし、これだけでは「構造として否定側のいうような問題は起こらない」とまで言えず、弱者切り捨てのメカニズムを詳細に論じたデメリットを否定するには至りません。これを切るためには、講評でも言われていたような「貧困層移動の現実性」などを指摘したり、住民の貧困層に対する意識などを分析したデータを持ち出すなどして反論を補強する必要があったでしょう。
また、これは試合の内容からは外れますが、弱者切り捨ての議論をフォローするためには、肯定側のシステムをいじる、すなわちプランを追加するという選択もありえたところです。例えば、生活保護や年金については国が引き続き担当するといったプランです。論題充当性が問題になる可能性もありますが、生存権を保障する中核的福祉事業を国が保障するということは論題の趣旨に反するとも思えないし、憲法上国民の権利として国に留保されるべきと考えられるので、十分アリなプランでしょう。もちろんこの議論だけでは「負担基準などが切り下げられるので結局救われない」との反論もあるでしょうが、生活保護などで最貧困層の所得再分配が上手く行われれば(実際には生活保護は手続が煩雑だったりしてもらうべき人にうまく行き渡っていないということもありますが…)、「切り捨て対象」となる住民の数がある程度大きくなり、肯定側が言っていたような「住民の声」という意思決定メカニズムによって切り捨てにくくなるという話が説得力を帯びてきます。

2.否定側の改善点
§1 デメリットの重み付け
否定側の議論の弱点をあげるとすれば、それは深刻性の部分に尽きます。否定側は「貧困層向けの行政サービスが切り捨てられる」ということが深刻であると訴えますが、これは2つの意味で説明不足です。

第一に、否定側は、弱者とされる人々が特に保護されなければならない理由を説明しなければなりません。直感的に保護の必要性は伝わってきますが、肯定側の議論を上回るという観点からは、貧困者向け行政サービスがまさに生存に関わるような深刻な問題であるといった説明があるのが望ましいです。

第二に、否定側は、かかる弱者保護を国が引き受けなければならない理由を説明すべきです。肯定側も、貧困層向けサービスがどうでもいいという立場には立たないでしょう。肯定側の議論は、そうしたサービスは道州制でも最低限保障されるというものです。これに対して否定側は、貧困層向けサービスこそ画一的に保障されなければ構造的に持たないのだということを、特に強調するべきです。もちろん、デメリットを良く聞けば、画一性を外すことによって、人口移動や予算配分の自由化によって「合理的選択として」貧困層が切り捨てられるから、それを国の統制で防ぐ必要があるのだということを言っているのだと理解できます。しかし、否定側がその主張を「だから道州制という選択は危険であり、肯定側の主張するシステムにも危険が内在している」という形でジャッジに伝えたいのであれば、国が画一的に保障すべきものがあるということを積極的に示さなければなりません。それは深刻性の議論ではなく、固有性や発生過程の場面で説明されるのが適当かもしれません。

上記のうち、否定側のシステム(現行制度を前提とした緩やかな改革)を基礎付けるために重要なのは、第二の点です。国の役割が最低限の生活保障にあるということ、それは外交・防衛・通貨以外の要素である福祉などにも要求されるものであることをしっかり論証した上で、それらは画一的でなければならないのだということを、立論全体でいかに表現できるかが勝負です。

§2 メリットへの反論
決勝の否定側は、現状を擁護する立場からの反論をそれなりに充実させていてよかったのですが、これをより有機的に連携させて反論を組み立てられればなお良かったでしょう。ポイントとなるのは、この試合のターニングポイントともなった、市町村との関係でかえってニーズが反映されにくくなるという反論です。
既に述べましたが、この議論は単に「道州が良くない」というだけでなく、分権するなら都道府県単位の方がよいということを主張するものです(もっとも、北海道はどっちにしてもダメなようですが…)。都道府県のままでも十分地方分権は可能だという資料がもう一枚入っていればなおよかったでしょう(時間がきついところでもありますが、具体例へのアタックがちょっと冗長すぎたりしたところを削れば何とかなるのではないかと)。

あるいは、貧困層切り捨てとの関係で、有権者は貧困層の切り捨てをニーズとして表明するとか、反映されるニーズは結局一部のものでしかないといった反論もできれば、デメリットとの関係でもう一つ立論を叩く切り口ができたところです。これは反駁で新しく読むのではなく、立論の中にさりげなく仕込んでおいて第一反駁で援用するというのが賢い戦略です。
ここで求められるのは、メリットをデメリットと独立した議論と捉えるのではなく、両方ともプラン導入後の世界について分析しているのだということを踏まえて、両者を一体として論じようとする姿勢です。否定側は、たとえメリットが発生するとしても、「そこで切り捨てられる『無駄』は貧困層向けサービスであり、達成される『二ーズ』は富裕層である」という形でデメリットを押し出すことが可能だということです。これは、肯定側のシステムの影響をさらに解析することでその結果を具体化し、それが望ましくない影響である可能性を示す作業といえます。

決勝戦から学ぶべきこと
最後にまとめとして、選手の皆さまがこの試合から学ぶべきことを挙げておくことにします。

何よりも皆さまが参考にすべきは、ここまでで述べた、システム解析に基づく議論の展開です。要するに、メリット・デメリットという枠に囚われず、論題によって起こる変化を大きく捉えた上で、それを説明する部分として試合中に出される論点を考えるということです。
肯定側は「今のままだと持たないので行政を効率化しよう」というストーリーの元で、現状に非効率があること、そのせいで福祉サービスが危ないこと、道州制で効率化が進むことなどを示しました。これに対して否定側は「今のままでも改革は進んでいるのに余計なことをすべきでない」というストーリーで、現状のシステムでも改善が進んでいることを示しつつ、貧困層切り捨てという道州制固有の問題を示そうとしていました。そこでは、メリットとデメリットを比べるだけでなく、現状とプラン後の差異ないし影響という観点から、全ての議論が一貫して論じられようとしています。
こうした物の見方は、両チームの第二反駁のスピーチにうかがわれるところです。両第二反駁者は、よく言われる「価値の比較」という議論ではなく、現状のシステムがどうなっているのか、プラン後のシステムがどうなっているのか、そしてこれらを総括して論題によりどんな影響が生じると言えるのかということを主張しようとしていました。このような考え方を参考にするとともに、他にどういう影響を論じることができたか、そのような影響の発生を支えるに十分な主張立証が第一反駁まででされていたといえるかどうか、自分なりに考えてみるとよいでしょう(前節までの内容はその一例です)。

もちろん、このような考え方を自然に行うためには、いつもこのブログでも書いている「メリット・デメリットの3要件」に基づく議論の考え方をしっかり押さえておく必要があります。しかしながら、メリットやデメリット、そしてそれを構成する3要件は、それぞれが独立して存在しているのではなく、そのどれもが「プランのない世界」あるいは「プランのある世界」の分析であるという点で共通しています。3要件に基づく考え方は、システム変化による影響を分析するための一手段にすぎません。

ちょっと難しくなりすぎたので一言で言うと、議論全体を横断的に見て、自分たちの立場を支えるストーリーをもって議論をしようということです。それを実現するための手段が、システム解析なのだということですが、このあたりもまだ分かりにくいので、また時間があればわかりやすく書き直すかもしれません。
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