愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
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Counterwarrantの現代的意義に関する小論考
先日、研修の卒業試験たる二回試験の発表があり、無事合格していました。これで安心して同人誌を売りにいけるというものです。

さて、そんな同人誌の即売会については前回ご案内したとおりですが、今回はその宣伝も兼ねて、ディベート理論について少し文章を書いておくことにします。

29日に発売となる同人誌では、他のメンバーが書いた某ディベートマンガに関するSSやその他小ネタ集が収録されているほか、僕が某ディベートラノベを下敷きにしたショートストーリー(挿絵がつくらしいので期待してください!)を書いているのですが、そこで行われている試合では、Counterwarrantというマニアックな議論が勝負の重要な鍵を握っています。
具体的にどんな議論なのかはネタバレに書けませんし、そのために具体例を出した詳細な検討はできないのですが、以下では、小説で僕なりに可能性を示唆したつもりであるCounterwarrantの活用方法について、その理論的背景めいたものを少し説明しておくことにします。ちなみに、同人誌の方にも小説で出た議論には解説を付しており、そこでも簡単に説明は加えてあります。


Counterwarrantの現代的意義に関する小論考

Counterwarrantとは、否定側から論題を満たすプランを提示した上で、そのプランにデメリットがあることを示し、それによって論題の望ましさを否定しようとする議論のことを指します。
例えるなら、「今日の昼はカレーを食べに行くべきである」という論題で肯定側が「近所にあるカレー屋アイリスフィールはマジで旨いし安いし店員さんが可愛いので是非行こう」と言っているのに対して否定側が「いや、その向かいにある間桐カリー店は辛すぎるしこの前行ったら虫が入ってたし店長の爺さんが怪しすぎるからカレーを食うのは勘弁だ」と反論するような議論です。

例で明らかなように、この議論は一見して不当なものです。まずいカレー屋があるとしても、おいしいカレー屋に行って幸せになるという肯定側の議論は全く否定されておらず、かつ、その肯定側の議論によって、昼にカレーを食べるという論題は問題なく肯定されています。
それにもかかわらず、過去にこのCounterwarrantは実際に出されていました。それはなぜかというと、昔支持されていたパラダイム(ディベートで行われる議論のあり方についての理解)の中に、仮説検証パラダイムという、議論を科学論争的なものと捉えるものがあり、そこでは論題のことを「検証を要する科学命題」と捉えていたからです。科学命題の場合、すべての場合において真とされなければ証明が成功したとは言えず、反例が見つかった段階で論題は偽として否定されます。なので、まずいカレー屋があってそこで昼を食べることはよくないということが言われてしまうと、その反例の存在を理由に、カレーを昼に食べに行くべきだという命題も否定されてしまうのだと考えるのです。

これに対して、ディベートを政策の是非を議論する営みとして現実の政治的意思決定に近づけて考える政策形成パラダイムが通説となった現在では、上記のような議論は基本的に否定されます。これは、パラダイムの理解の相違からも当然の帰結ですし、Counterwarrantという形で反例を挙げる議論を無制限に認めることは肯定側に過度の負担を強いることになるという点からも、望ましいことだと考えられています。
というわけで、現在では、Counterwarrantという議論は、一般的には成立しない議論だと考えられています。そんな中、Counterwarrantを新たな問題意識の元で再構成してその可能性を探るのが、以下の小論です。

僕の問題意識は、政策形成パラダイムにおいて、肯定側のプランは論題充当性さえクリアしていればそれだけで論題を正当化しうるものといえるのかどうか、ということにあります。
長文を避けるためにさっくり書くと、論題の解釈の範囲内にとどまりつつ、論題が予定する議論を回避しようとする目的で設定された「セコい」プランに基づいて、論題の是非を論じることが不適切な場合がありうるのではないか、ということです。例えば、「日本政府は、刑事裁判において証拠として認められる範囲を拡大すべきである」という論題(1998年JDA前期論題)において、当時立法化されていなかった盗聴を、どうみても文句のない(がそれゆえにほとんど使えないと考えられる)極めて限定的な要件に限って認め、微小な範囲拡大とそれに伴う微小なメリットを論じるという議論があったとすれば、これを「セコい」プランと評価することは可能でしょう。少なくとも、論題が期待しているであろう、国家の捜査権・公安上の必要性と個人の人権を対置した議論を回避しようという意図がうかがえる点では、筋のよくない議論といえます。

これと似た問題意識に基づいた議論に、論題被正当化性(Justification)の議論があります。これは、「すべての原発を廃止すべきである」という論題で浜岡原発の事故だけを論じるように、メリットが論題全体を支持できていないことを批判するものです。この議論は、論じやすいところだけを取り出して議論した「セコい」メリットを封じ込めるための議論と見ることもできるでしょう。
このJustificationの議論は、現在では、Counterplanによって議論されるべきだと考えられています。上記の例で言えば、「浜岡原発だけ廃止する」という非命題的なCounterplanが否定側のオプションになるので、これによって肯定側のメリットを取り込む、すなわち「そのセコいメリットは論題を肯定する理由にはならない」という主張が可能になるというわけです。
これに対応する形で、Counterwarrantを否定側がプランを出すという形で処理しようとする場合、それは(上記の証拠拡大の例で言うと)「一定の重大犯罪について事前の令状審査により盗聴を認める」という、盗聴の適法化についてより一般的といえる例を引き合いに出して、それが大きなデメリットを生むことを論じるということが考えられます。しかし、これは、本来肯定側が出すべきプランを勝手に否定側が出すというもので、認めることはできません。

しかし、否定側から「より真っ当に論題を代表している例」(典型例)を出すことには、なお意味がありうると考えます。具体的には、典型例に基づいて論題を否定する議論を繰り出すというものではなく、肯定側が出している例の「特異さ」を際立たせ、それによって論題の是非を論じることを否定しようとすることにおいて、意味がありうると考えています。
これは、論題充当性とは別の次元で、プランと論題の対応関係を攻撃しようとする議論です。原則として、論題を支持している(命題的な)プランの望ましさが示されれば、それによって論題は肯定されます。しかし、例外的な事情があれば、ある命題的なプランの望ましさが示されるだけでは論題の肯定に足りないということができないか。政策形成パラダイムにおいては、そのような趣旨を表すものとして、Counterwarrantを位置づけうると考えます。
これは、現実の政策形成過程においてもありうる議論です。証拠範囲の例を続けると、当時の論題制定理由にもあるように、刑事裁判の証拠範囲拡大というトピックは、重大犯罪に対して捜査権を拡大すべきという要請と、被疑者の人権のせめぎあいが背景となっています。そのようなテーマで立法が議論されているときに、あまりに瑣末な提案が出てきたとしたら、メディア等の批判は免れないでしょうし、国会でわざわざ議論する価値もありません。しかし、ディベートにおいては、ややもすれば「Topicalならよい」ということで、そういう瑣末な提案がまかり通ってしまいます。これを防ぐためには、「テーマとの関係での瑣末さ」をチェックする論点が必要です。

では、そのようなCounterwarrant(のような議論)が満たすべき要件とは何でしょうか。
一般的には、Counterwarrantを政策形成パラダイムで認めうると考える(ただしその理論的根拠は不明)論者が挙げるのは、否定側の挙げる例の「典型性」です。しかし、上述のように考えると、問題となるのは否定側の挙げる例の典型性ではなく、肯定側プランの非典型性、もっと言うなら「特異性」です。Counterwarrantとして否定側が挙げる政策例は、仮説検証パラダイム下における反例としてではなく、肯定側のプランの瑣末さを表現するためのものです。ですから、評価されるべきはあくまで、肯定側プランの特異性、瑣末さといった要素です。もっとも、それを言うためには、否定側の例が十分ありうるもので、肯定側のプランがおかしいということを支えるような典型性を備える必要があるので、その限りにおいて「典型性」が要件だということはできるかもしれません(もっとも、否定側が政策の例を出さなくても、肯定側プランの特異性を論証することは可能でしょう)。
また、否定側としては、典型例のようなものを想定して、論題一般において無視できないデメリットがあることを示すことが望ましいと考えられます。これは、肯定側が一応瑣末な例に基づくとはいえTopicalなプランからのメリットを示している以上、それは一般論として論題の是非を考える上でも参照されうるため、否定側から積極的に「論題の方向性全体から生じうるデメリット」を一定程度示す必要があるという理由に基づきます。

以上、Counterwarrantの考え方によって肯定側のプランを規律しようとするアイデアについて論じました。いろいろ省いているので粗雑な議論になっていますが、ご容赦ください。

29日に販売する同人誌に掲載の拙稿では、上記アイデアを実際の某JDA決勝で活用した一例を、ディベート小説という形で表現しました。もし上記アイデアに少しでも興味をもたれたようでしたら、是非当日東京ビッグサイトで冊子をお買い求めください。
コメント
この記事へのコメント
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2011/12/21 (水) 01:38:27 | | #[ 編集]
ご意見に対する回答
本文の見解について、以下のようなご意見がありましたので、回答させていただきます。

ご意見の要旨
本文中にある事例(証拠範囲拡大の論題で、盗聴の超限定的な容認)は、CounterwarrantではなくTopicalityとして処理すべきではないか。なぜなら、文言上は論題に合致していたとしても、論題の趣旨・内実から大きく逸脱した政策は論題に適合した政策とは言えないからである。
例えば、「日本は炭素税を導入すべき」という論題で、肯定側が「炭素1トンあたり0.0001円課す」というプラン、「炭素税という環境政策を行ったという事実で、国際的な信用が得られる」といったメリットを論じたとして、論題の文言から考えればプランはTopicalであるように見えるが、炭素税の内実・趣旨は「価格インセンティブ効果による化石燃料使用の抑制」にあることを考えれば、今回のプランはそういった点を意図するものではなく、炭素税の内実を備えているとは言えず、肯定側の提示するプランはそもそも炭素税とは言えなくなると考えられるのではないか。

回答
私見といただいたご意見の相違は、Topicalityで処理できないが同様に排除すべきプランというものが存在するのかどうかという点に係るように思われます。確かに、Topicalityを論題の趣旨等を読み込むことで弾力的に解釈することで、同様の帰結に至ることは可能であり、Counterwarrantの概念を新たに導入する必要はないという疑問はもっともなところです。
しかしながら、Counterwarrantにより排除されうる領域というものを定めることには、次の三つの理由から、固有の意義があると考えています。

第一に、あくまで論題の範囲内にあるかどうかで議論を評価するTopicalityに比べて、当該プランの不当性という形で攻撃するCounterwarrant的構成のほうが主張が認められやすくなる可能性があるかもしれません。
ご意見の中でもあったように、ジャッジのなかにはTopicalityの判断で論題の趣旨等を重視しない方も多いように思われますが、論題の趣旨を逸脱すること自体が問題であることを典型例の提示等を通じて正面から主張することで、こうしたジャッジを説得しやすくなるかもしれません(多分そういうジャッジはこの議論も取ってくれないのだとは思いますけどね)。瑣末なプランの問題点を表現するのに「論題と関係ない」というより、「論題と関係あるかもしれないがそんな例を論じることに意味はない」と表現する方が直截ではないかということです。

第二に、論題の文言によっては、不当であるけどTopicalであるというグレーゾーンを否定し難い場合があるように思われます。
そのように思われる例として同人誌の小説で取り上げている例をあげたいところですが、ネタバレなので自重せざるを得ないのが残念です。というわけで本文で挙げた証拠範囲の拡大論題で説明すると、これは証拠の範囲を拡大するという方向性を論じる論題であり、プランの方向性が拡大に向かっているのであれば、たとえ瑣末であっても、プラン自体はTopicalだと認めざるを得ないのではないでしょうか。むしろこの場合批判されるべきは、プランの内容があまりにしょぼすぎて、そのプランを肯定することでは「方向性」を志向する論題を十分正当化できていない(プランレベルでのJustification)ということでしょう。

第三に、肯定側のプランを攻撃する手段として他の典型例を持ち出すという手法自体にも、可能性を見い出せるように思われます。
Topicalityでは、論題の解釈とその中にプランが入っているかどうかという点だけが問題となるので、プランと関係ない典型例を出すことに意味はありません。一方で、プランが論題の期待するものとどれだけ離れているかという特異性を問題とするCounterwarrant的構成では、論題の期待する政策・議論を体現する典型例を出すことがプランの特異性を示す方法として有効足りえるし、かかる典型例を出すことが肯定側プランを排除することの相当性(肯定側にも議論の余地がある真っ当なプランがあったのだから、それにもかかわらず敢えて変なプランを出したことを責められてもやむを得ないということ)を立証することにもつながります。
*Topicalityの解釈論において、有意味な実施例がありうるということを解釈の根拠として持ち出すこともありうるとは思います

以上がCounterwarrant的構成が有するかもしれない固有の意義と考えるところですが、これはあくまで冒険的私見であって、なお吟味を要するところだと思います。
ともかく、ご論題の趣旨等を踏まえて不当なプランを排除する必要があると考えることは、ご意見いただいた内容とも問題意識を共通とするところではあり、そのための議論構成としてどのようなものが望ましいかという点については、今後も考えていきたいところです。また何かございましたら遠慮なくご意見ください。
2011/12/21 (水) 03:18:31 | URL | 愚留米@管理人 #tX1BiP8k[ 編集]
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2011/12/27 (火) 19:52:43 | | #[ 編集]
質問への回答
以下のような質問がありましたのでお答えします。
(匿名でも構いませんので、質問などは公開のコメントでいただけましたら便宜なのでご協力いただけましたら幸いです)

【質問の概要】
原発廃止論題で浜岡のケースしか論じないようなメリットに対して、一般的にはCounterplanによる処理が可能だと本文中にあるが、ディベート甲子園のようにCounterplanが禁止されているルールの下で、このようなプランに対してどのような対処をすべきか?

【回答】
この問題は、過去の中学論題である動物園廃止論題で実際に議論されたことがあります。それに関連して、かなり昔の記事で見解を記しているので、以下にアドレスを記しておきます(3.3.4.3の項を参照のこと)。
http://lawtension.blog99.fc2.com/blog-entry-11.html

ここでも要約して記しておきます。
Counterplanを出せないのでJustificationの議論を認めるべきだという見解があるのですが、ディベート甲子園のルールではそのような勝敗決定理由の定めがないので、ちょっときついんじゃないかと考えています。ただし、メリット・デメリットの次元で議論する余地はあって、例えば「動物園全廃というプランは実際にはX個の動物園をそれぞれ廃止するというX個のプランに分割できるので、肯定側はX個のプランすべてに該当するメリットを論じなければならない」という議論があり得ます。しかし、この考え方もありうるとはいえ多くのジャッジが採用するかは微妙なところではあります。

ここからは補足ですが、上記のような技巧的構成(しかしディベート甲子園ルール本則2条1項の解釈論としては十分ありうると思います)を取らなくても、メリットとデメリットを比較する段階で、相手方が一部の問題しか論じていないことや、問題が立証されていない部分への「過剰な」アクションからデメリットが生じることを示したうえで、そのような過剰な負担を生じさせてまでプランを採用すべきといえるメリットは示されていない、という主張をすることで足りるのではないでしょうか。
まぁ、言ってることはJustificationの議論やプラン分割の話と変わらないのですが、あんまり変わったことを言うのではなく、メリットやデメリットの話として素直に議論した方がジャッジには受け入れやすいかもしれません。
2011/12/28 (水) 21:53:09 | URL | 愚留米@管理人 #tX1BiP8k[ 編集]
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