愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
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第17回ディベート甲子園高校論題の短評
前に記事を書いたばかりでまた出てきて恐縮ですが、今のところ日が変わる前には帰宅できる時もある状態なので、論題発表に合わせて簡潔(?)にコメントしておきます。

昨日、第17回ディベート甲子園の論題が決まりました。中学が救急車有料化、高校が死刑廃止とのことです(サイト)。高校論題については、昨年僕が論題変更の候補として挙げたのがヒットしており(こちらの記事)、そこでも少しコメントをしています。
中学論題についてまでコメントをする時間はないので、以下では、興味関心のある高校論題について、差し当たり公表されている公式論題解説(竹久委員執筆:以下「論題解説」と表記)を下敷きにコメントしておきます。

はじめに
論題解説では、死刑廃止論題で出てくる可能性がある議論が簡潔にまとめてあります。死刑廃止論題に接したことのない選手は、この解説で出てくる論点については必ずフォローしておく必要があるという感覚で準備を進めるべきです。
一方で、おそらく論題解説の方向性の問題ではあるのですが、論題解説において死刑論題に関する高度な検討はされておらず、死刑論題について一通り論点を把握している選手がさらに先を行くためのヒントを見つけることは困難なように思われます。そこで、過去に死刑論題でディベートを行った経験などから、論題解説の内容を敷衍して思ったことを雑多にコメントしておくことにします。

付帯文について
これは解説というより論題そのものへの疑義ですが、付帯文で「他の刑罰については変更を加えないものとする」とすることによって、代替刑を制限するものと解することは苦しいように思われます。変更というのは既に存在するものについてなされるものであり、「他の刑罰」というのも既存の刑罰を指すと解するのが自然であるから、付帯文によって代替刑が禁止されたものと読むことはできないという議論は十分成り立つでしょう。
論題解説が論題制定者の意図を示唆するとはいえ、これが公権的解釈ともいえないので、僕がジャッジをしているときに「代替刑が明示的に除外されていないから終身刑を付けるよ」と言われたら取っちゃいそうなのですが(実際のところ、代替刑プランがNon Topicalであっても、それを除外したプランで論題を肯定しうるので、かかる主張のコストは小さいように思われます)、良い子はそういうことをしないようにしましょう。愚留米とかいう人がブログで書いてたとか言うと逆にAgainstするジャッジがいるかもしれないので責任は持てません。

人道的観点について
論題解説があげる「犯罪者とはいえ生命を奪うことは基本的人権を侵害しているという論や、犯罪者の更正可能性を完全に奪ってしまうことを批判する論、殺人を禁止する国家が人の生命を奪うという矛盾」といった主張が、肯定側の人権論を支える主張の代表的なものです。皆さんがこの論点を論じる上では、これら理由づけを細部まで検討する必要があります。
まずもって「基本的人権」という議論ですが、そもそも人権というのは絶対無制約ではありません。近時の理論では「切り札としての人権」として絶対的保護を受けるべき権利があるのだという議論もありますが、これは個人の人格の根源的平等性を理由として多数者への対峙的概念として構成されているもので、たとえば殺人のように他の人格主体を否定した結果に対する生命権侵害を直ちにフォローするものとは言えないように思われます。要するに、人権侵害だから駄目だとか、公共の福祉のために制約できるといった荒い議論ではなく(実際の試合だと時間的制約からそのレベルでしか議論する余裕がないかもしれませんが…)、そこで奪われるものが何であって、なぜ奪われてはいけない/いいのか、ということを詰めて考えてほしいということです。
これに対する一つの答えとして、僕が戦ったJDA決勝では「人間の尊厳」の侵害が問題だという主張が出てきて、その実質は犯罪者の更生可能性(「更正」ではないので注意!全然意味合いが違います)侵害なのだという展開になったのですが、なぜ更生可能性が大事なのかということもよく考えてみるべきでしょう。また、このような立論を展開する場合、更生可能性というものが存在することを立証する必要があることにも留意すべきであり、否定側としては再犯可能性の議論をぶつけるという展開もありうるでしょう(僕は失敗しましたが…)。
殺人禁止の規範と死刑が矛盾するという議論は、いわゆる死刑の残忍化効果に関する議論と組み合わせることで、その説得力を増すかもしれません。しかし、実は正当防衛状況において相手を殺す必要性・相当性が認められる場合には刑法上殺人も違法性阻却されるとかいったことを考えると、より大きな規範逸脱(野放図な殺人)を防ぐために例外的な規範逸脱(死刑)を行うことは正当化されるという議論も十分成り立ちうるでしょう。そんなことを言ってるエビデンスは僕が知る限りなかった気がしますが、自分の言葉できちんと説明できれば、反駁として十分なはずです。

人道的観点に関する議論は、自分の中で深く詰めて考えれば、それによっていくらでも議論できる領域です。なにしろこの問題には答えがないところで、そのことは「国民を守るために時限式原子爆弾を仕掛けたテロリストを拷問して爆弾の場所を自白させることは許されるか」というサンデル的問題を考えてみればわかることです(前に高校生向けセミナーで同じ質問をしたらかなりの人が拷問賛成派でちょっとびっくりしましたがww)。
ただ、一つだけチェックしてほしいのは、否定側がこの論点で反論する最低限の理由づけとして、死刑の意義について論証する必要があるだろうということです。ルール上、メリットがゼロなら否定側は勝てるわけですが、上記のような人権論の批判的検討も、肯定側の主張する人権問題が存在すること自体は否定できていません(犯罪者には何の権利もないという主張はちょっと苦しいでしょう)。この問題を詰めていくと、人権制約根拠として刑罰の合理性がどの程度要求されるのかという、立証責任論めいた部分に落ち着くように思われるのですが、このあたりは選手の皆さまの議論にゆだねます。

冤罪死刑執行防止
論題解説に要点がまとめてあるので、まずはそこに書いてあることに注意してください。大事なことは、冤罪と死刑の関連性をどうやって構成・立証するかという点にあります。死刑があるせいで冤罪が増えるという主張もなくはないのですが、王道としては「死刑によって冤罪被害者が何を失うのか」ということをきちんと説明すべきでしょう。この点については、冤罪というのが再審手続と切り離せないことに着目して、手続保障の価値そのものに着目する論じ方がありうるところです。
あと、冤罪の発生可能性というところでは、論題解説でも少し触れてある裁判員制度の影響や、近時話題となった検察不祥事に関する議論を研究すべきところです。最近の法律雑誌ではよく特集が組まれていたりするので、リサーチを怠らないようにしましょう。

国際的潮流
論題解説を読んでそういう議論があるのだなぁと思っておけば一応足りるのですが、実際の影響として、死刑のある国への犯罪者引渡しが拒まれるという問題があるということも知っておくとよいでしょう。もちろん、これを死刑廃止の理由とするためには、いくつかの段階を踏む必要がありますが(そもそも数自体少ないし…)。

犯罪の抑止効果
ここは死刑論題の華というべき部分で、犯罪抑止力の源泉をどのように考えるか、統計研究や事例などの吟味分析をいかに精密に行うか、日本における死刑廃止の影響をどのように考えるか…という様々な論点をどう組み合わせていくか、両サイドの腕の見せ所です。ちなみに僕はJDA決勝でヤクザ犯罪一本で逃げようとする腕のなさを発揮していますw
論題解説に一般的な説明は書いてありますが、実際にリサーチを進めていくと、いろんな研究があって、何がなんだかわからなくなってしまうと思います。そんなときは、まずは「なぜ、どんな人が『死刑があるから』犯罪をやめようと思う(あるいは無意識にやめる)のだろう」という部分からスタートして、その素朴な疑問との関係で統計や各種事例は説明できるのだろうか…といったことを丁寧に検討してみるとよいかもしれません。たとえば、死刑をやめるとヤクザが親分に殺されるのを避けるために犯罪に走るという議論をする場合、ヤクザのような人がいない国(あるのかな?)の統計はあてにならないでしょうし、死刑報道の影響がどうとか言ってる研究もヤクザの犯罪抑止効果を反映していません(ヤクザにとっては死刑の存在自体が問題なのですから)。ただ、ヤクザの犯罪については、日本の刑事判例上で共謀共同正犯として命令したボスが共犯になるという話もあるので、そのあたりを丁寧にリサーチするといいかもしれません。今は部下が警護用に拳銃を持ってただけで黙示の意思連絡があったとして組長も共犯になる時代なのです。

被害者感情、国民感情
このような論点の存在と、それに対する問題点については、論題解説を参照してください。被害者感情というところで一言コメントしておくと、被害者感情による死刑存続論を主張する場合、それは「誰も遺族がおらず、悲しんでくれる人がいない人を殺しても死刑にはならない」という帰結を許容することを意味するのだということを考える必要があります。実際に被害者感情は量刑要素の一つになっているので、そういうことでもよいとの考えもあり得なくはないのですが、かかる主張がジャッジに受け入れられるかは別の問題でしょう。

まとめ
以上、論題解説では性質上踏み込めないと思われる部分も含めて、ざっとコメントしてみました。
死刑論題がディベートの定番として採用されているのには理由があって、その最大の理由は、この論題が「各論点を詰めて考える」素材としても、「論点横断的思考を養う」素材としても好個であるからだと考えます。
各論点についていうなら、統計データや各種事例などの批判的検討やそれらの適切な意味づけを要求される犯罪抑止力の論点や、刑罰や人権の意味について自分の頭で納得するまで考える必要がある人権論、一見関係ありそうで隔たりのある死刑と冤罪の関連性をどのように扱うか工夫を要する冤罪論など、バリエーション豊かな頭の遣い方が要求されます。
そして、死刑論題においては、これら論点相互の関係性を積極的に意識することが求められます。それはいわゆる「比較」としての文脈でもそうですし、人権論のところで少し触れたように、人権制約性を論じる反論の前提に死刑固有の意義が求められるといった形でも問題となります。また、いわゆる立証責任の転換を議論する部分でも、それが人権論や犯罪抑止効果の議論を前提としていたりするので、そういった大局的視点から議論を見ることができれば、試合がぐっと引き締まります。

そして、論題そのものの意義としても、死刑廃止論題はいわば「社会の構成資格」を論議するものとして本質的には我々すべてにかかわりうる問題ですし、各論点について真剣に頭を悩ますことは、人権とか公共の利益といった言葉の意味を具体的に考えるよい機会になるはずです。というわけで、今季高校論題は半年間を費やすに足る価値があるはずですので、皆さまの取り組みに大いに期待しております。


急いで書いたのでいつも以上に粗があるかもしれませんが、とりあえずこんなところで。
コメント
この記事へのコメント
こんばんは。いつも興味深く記事を読んでおります。

今回は、愚留米さんと異なる結論になったので、コメントしておきます。相変わらず私見なので適当に聞き流してもらえればと思います。

付帯文:「他の刑罰については変更を加えないものとする」を論題制定者の趣旨から考えれば、終身刑追加プランの提示は禁止されていると思います。(ちなみに、愚留米さんは括弧書きの中でnon-topical云々と仰っていますが、付帯文の有無にかかわらず、終身刑の追加というプラン自体はnon-topicalですよね?なので、「終身刑追加プランを、評価の対象に含めて良いか」という言い方になるかと思います。間違っていたら申し訳ありません。)

愚留米さんの言うように文言上は終身刑追加プランは禁止されていないかもしれませんが、論題(付帯文)の趣旨は、「死刑のあるなしだけを比較して議論してください」ということだと思うので、終身刑追加はその趣旨に反すると思います。また、例えば「付帯文から考えて、懲役刑を最大1000年に変更するのはダメだけど、でも終身刑追加はいいですよ」となると、懲役1000年も終身刑も実質はほぼ同じなのに、片や禁止されるプラン、もう一方は許されるプランとなって、整合性に欠けてしまうのではと思いました。

まあ、甲子園ではこんな話絶対に展開されないと思いますが・・・。
2012/03/01 (木) 22:49:43 | URL | F #-[ 編集]
付帯文の解釈に関して
>Fさま
コメントありがとうございます。
以下、お返事です。

終身刑プランがNon-Topicalだという記載の趣旨
おっしゃるとおり終身刑プラン自体は付帯文がなくてもNon-Topicalです。本文括弧書きの趣旨は、かかるNon-Topicalな条項を付け加えたとしても、それによって肯定側のプラン全体がNon-Topicalと解されることはないだろう(すなわち、終身刑条項と含めて一体としてTopicalityを判定することにはならないだろう)ということを言います。要するに、出して負けるリスクはないので一応入れておく、みたいなこともできるんじゃないか、ということです。

付帯文の解釈について
Fさまの主張は、論題の趣旨を前提としてはじめて成り立つものであって、付帯文そのものの解釈としては論証が不足しているのではないでしょうか。僕もFさまのおっしゃる論題の趣旨が妥当たりうることに異論はありませんし、論題解説を読めばそういう趣旨だとは分かるのですが、僕が問題としているのは、そのような趣旨を表明するものとして今回の付帯文が適切だったかということです。

「懲役刑を最大1000年に変更するのはダメだけど、でも終身刑追加は許されるのいうのは不当だ」という主張にはそれなりの理由があると思います。
しかしながら、終身刑というのは現行刑法には存在しない概念であって、これを新設するということは、付帯文で禁止される「変更」の範囲には含まれないと解する余地もあります。その意味で、懲役1000年という刑罰と終身刑の新設は決定的に異なるとの反論も可能です。

代替刑を設けるという選択肢は死刑廃止論議では当然出てくるものであって、またこれを入れることで議論が過度に複雑になるかというと、そこまででもないでしょう。すなわち、この付帯文だけを読んで、代替刑を排除するものだと理解すべきとは言い難いのではないでしょうか(まぁ、ほかにこんな付帯文を入れる理由はないと言われればそうなのですが…)。
そのようなことを考慮すると、付帯文が代替刑設定の禁止を明示的に述べず、文理上「刑の新設」を排除できていないような規定ぶりにしてしまっていることは、論題の文言策定として拙劣であると言わざるを得ません。
僕もTopicalityについては論題の趣旨などを踏まえて実質的に解釈すべきと考えていますが、そのことは論題の文言を適当に決めればよいということを全く意味していないわけで、過去のNADE論題も付帯文の定め方に疑問があるものが存在していたので、そのことへの注意喚起も込めて、本文のように記載した次第です。
2012/03/02 (金) 01:13:16 | URL | 愚留米@管理人 #tX1BiP8k[ 編集]
付帯文
私は法律の専門家ではないので法令上の事はわかりませんが、新しいものを追加するのも「変更」の範疇に含まれると考える方が普通ではないですか?
まぁDebatableでないとまでは言いませんが、それを持ち出す事によって、試合時間が費やされることは論題設定の意図でないのは明確だと思います。
そもそも甲子園自体、カウンタープラン禁止を筆頭に、あえて議論の可能性を狭めて、基本的な考え方の訓練をしてもらおうとしていると思います。
ですから、選手がその制限の限界を試すような行為も、主催者がそれをされないように穴を塞ぐ労力を割くのも、双方に取って不毛だと思います。
2012/03/02 (金) 07:06:03 | URL | 委員長 #j7kPgX2Q[ 編集]
補足
結果として愚留米さんの納得する水準に達していないかもしれませんが、付帯文も含めて、その文言にはどう解釈される余地があって、選手が展開する議論にどんな影響を及ぼすかということは、それなりに時間を割いて議論しています。
時間と人的リソースを際限なく投じればもっと緻密に作れるのかも知れませんが、世の中にDebatableでないものなどほぼないのですから、厳密さを求めるほど費用対効果はどんどん薄くなると思います。
ディベート一般として思考を広げる意義は認めますが、甲子園の運営としては受け入れがたい。
不毛と言ったのはそういうことです。
2012/03/02 (金) 07:14:45 | URL | 委員長 #-[ 編集]
>委員長さま
毎度ながら変なことを書いてしまい申し訳ありません。

確かに、付帯文が苦しいというのは言い過ぎたかもしれませんが、文言上疑義がないかというとそうでもないと思いますし、少なくともより適切な付帯文の定め方はありえたでしょう(たとえば「代替刑は設けないものとする」とすれば、当然終身刑の新設は許されませんし、文言上趣旨が明らかなので「懲役1000年」とかも制限できます)。言い方は悪いですが、「趣旨は分かってるよね」という安易な前提に依拠した文言設定ではないかという批判は十分ありうると思います。
そして、「変更の禁止」という文言の建付けに対する本文のような疑義がそこまできわどいものかというと、そうでもないと思います。前回論題とほとんど同じ文言ですし、文言の選択にそれほど意を払っていないのではないかと僕の目には映りました。

論題の解釈でもめるのが不毛であるということは全く否定するところではありません。しかし、だからこそ文言にはそれなりに気を遣うべきで、論題の文言策定に対するそういう信頼があるからこそ、趣旨を外した議論に対して「実質的解釈」という態度を安心して取ることができるのだと考えます。
また、もし論題の趣旨を明らかにしたいのであれば、位置づけが不明な論題解説の一部において規定するのではなく、連盟名で論題の趣旨を別途(あるいは論題解説と合わせて)公表すればよいのではないでしょうか。それがそこまでコストのかかるものとも思われません(ちなみに僕は今回の記事を1時間弱で書いていますが、論題の趣旨だけなら長さにして本文の半分もいらないでしょう)。

以上が今回の付帯文に関連するコメントですが、最後に、委員長さまのコメントが「甲子園の運営としては受け入れがたい」という形で終わっていることについて、これが読み方によっては「現実苦しいので批判されても困る」というように読める点については、率直に言って残念に思います。
いや、もちろん運営が人的物的資源の上で苦しいということは(特に委員長様の立場は!)、元専門委員としてよく分かっているつもりなのですが、そのことはアウトプットに疑義があることを正当化する理由にはならないでしょう。ましてや、今回の指摘は、確かに普通の選手は考えないのかもしれませんが、ちょっと考えればより適切なワーディングがあったのではないかというレベルだと思います。なので、非現実的な要求をしているとはいえないでしょう。
もちろん、それでも「そんな細かいところに突っ込むなよ」というのはよく分かるわけで、僕も空気を読めるが読んでないだけなわけですが、しかしながらもしこれが僕ではない外部の人(あるいは選手)から問題提起された場合どうお考えなのか、ということです。

少なくとも、自分が専門委員を務めさせていただいた際に作成した解説等は、一応批判を受けない水準で検討したつもりですし、理由のある批判であれば受け止めて反映するつもりでいました(委員長様も自身の直接担当される仕事についてはそうでしょう)。
論題関連の実務も当然そうあるべきであって、それに対して批判があった場合、それに返答するならアウトプットそのものの正当性をもってするべきであり、現実的制約を理由に返答するのは誠実ではないと考える次第です。
2012/03/03 (土) 02:21:38 | URL | 愚留米@管理人 #tX1BiP8k[ 編集]
まず、単純に思考様式の背景の違いかもしれませんが、少なくとも現行の文言が「代替刑は設けない」より劣るとは思えません。
確かにそれで終身刑等の新設が禁止できるのはわかりますが、それで趣旨が明らかだから「既存の最大刑期を懲役1000年にする」みたいな変更は許されないというのは、現行の文言で新設を禁止できると考えるのと変わらないと思います。

あと、そんな事言われても困るというのは本当に額面通り純粋に困るというだけで、だから止めろとかそういう風に言ってるのだと受け取られたのだとしたら、それは誤解です。
先にも申し上げたように、本当に無自覚で文言を作っているならともかく、討議した上でこの内容なのです。
確かに結果として文言は前回とあまり変わっていませんが、変えているということは多少なりとも意識を払って討議をしたということの表れでもあります。
審議状況を公開できる性質のものではないので、その程度については信じていただくしかありませんが、論題検討委員会が審議・検討し、論題と付帯文の答申を受けてから、さらに常任理事会でも議論をして決めた文言です。
これだけの人間が知恵を集めて考えたにもかかわらず「ちょっと考えればわかるレベルのことをできていない」と言うのでしたら、もはや能力的に愚留米さんの要求する水準に達していないのでしょう。
だからと言って、我々がもはやこの任に堪えないとして、全てをなげうつのもまた誤りだと思いますので、指摘は耳に痛いがどうしようもないので本当に困るとしか申し上げられないわけです。

もちろん、事後的な施策として主旨をあらためて周知するというのは一考の余地がありますので検討はしてみますが、冒頭で述べた通り、今の文言に問題があると言う事に必ずしも納得はしきれていないので、それが行われるかはわかりません。

あと、確かに愚留米さんは多少内部事情をご存じなので、それに甘えてる部分はあるかもしれませんが、仮に選手などに同じ内容を指摘されても、回答の骨子は変わらないと思います。
それほど内容に問題があるとは思っていないし、仮に多少の突っ込む余地があったとしてもそれが現状の我々の限界なので完璧を目指すのは難しいと、多少オブラートに包んでお話するでしょう。
というか、ここ自体選手のみなさんも見ているのでしょうから今更ですよね。
2012/03/03 (土) 22:16:48 | URL | 委員長 #j7kPgX2Q[ 編集]
論題の文言が適切かどうかというのは個人の感覚の問題で、僕は確かにうがった評価をしているのかもしれませんので、また愚留米がなんか言ってやがるということで受け止めていただければ…というところです。
もちろん私見では、論題の趣旨がより明確なのは代替刑を明示的に除外する文言だと考えていますし、現在の文言で終身刑プランを入れる余地が完全に排除されているとは思わないのですが、現在の文言に致命的な問題があるとまでは思いません。

個人的には、論題の趣旨も含めて、たとえばJDA論題のレベルでもよいので、公式に論題採択理由の見解を示すのが望ましいのではないかと考えています。そのほうが選手にとっても便宜だと思いますので、リソース不足は承知の上で要望させていただければというところです。
2012/03/04 (日) 01:05:26 | URL | 愚留米@管理人 #tX1BiP8k[ 編集]
こんばんは。
こんばんは。07年JDA後期論題以来の死刑論題ということで、
当時の宿題を思い出したので質問させていただきます。

冤罪死刑執行防止と犯罪の抑止効果では曲がりなりにも人数が推定できると思いますが、
1.両者を人数の多寡のみで比較することは妥当でしょうか?
両者は次元の異なる問題であるため、単純な比較は出来ないと当時は思っていましたが、
この考え方は妥当なのでしょうか?
2.仮に妥当ではない場合、どのような比較方法が妥当なのでしょうか?
「法律の世界では冤罪を出さないほうが大切だ」と結論付けるのも
乱暴で説得力に欠けるような気がします。何か良い比較の手法はないのでしょうか?
以上2点についてよろしくお願いします。
2012/03/27 (火) 02:16:02 | URL | #-[ 編集]
ご質問ありがとうございます
気づいたときに答えておかないと答えられないかもしれませんので、雑な回答ではありますが取り急ぎお返事差し上げます。

ご質問に係る点に決まった論じ方というものはありませんが、そこでは「得られるもの」「失われるもの」をどこまで特定するか、そしてその特定したものにどういう意味づけをするか、という2つの問題を分けつつ、掘り下げていくことが重要になると考えます。

前者の点について言うなら、冤罪の被害者と犯罪被害者を共に「無実の人」と言ってしまうのか、そこに相違を見出すことができるのか、ということが問題となるでしょう。

後者の点は、おっしゃるとおり「法律の世界では冤罪を出さないほうが大切だ」というのは乱暴です。その筋で説明するなら、手続保障の意味とか、刑罰の理念とか、国家による不正義をどう考えるか(犯罪抑止を怠ることも不正義かもしれませんが)、といった、もっと精密な議論を要するでしょう(とはいえ、そういう議論を解さない、あるいは好まないジャッジも少なくないとは思います。それは仕方のないことでもあります)。
否定側からすれば、死刑囚よりも残虐な形で殺されてしまうのだ、といった形で、国家が防ぐべきものは何かという議論の立て方もありますし、そもそも冤罪の存在は刑罰の内容と区別して考えるべきだという議論で、メリットで論じられている内容を適切に限定する作業も必要でしょう。

ここですべての答えを述べることはしませんし、そもそもできないのですが、対立する複数の議論を評価するということは、そこにどんな違いを見出し、その違いをどう考えるかという点に尽きます。というわけで、違いをどう説明するか、その違いにどんな意味を与えるかということを、詰めて考えるとよろしいのではないでしょうか。
2012/03/27 (火) 02:48:43 | URL | 愚留米@管理人 #tX1BiP8k[ 編集]
ありがとうございます。
深夜にもかかわらず返信ありがとうございました。
当時は冤罪が発生する機序または抑止力に関する機序を叩いてどちらかをゼロにするだけでこの議論については逃げていたのですが、「違いとその意味」について改めて考えてみました。
1.代案の存在
冤罪には再審請求、抑止力には他の刑罰があります。これらの有効性を吟味することで、違いが見出せると思います。
2.治安維持
冤罪の場合、真犯人を取り逃がしているため、今後も真犯人が犯行に及ぶ可能性がある。その点において冤罪でも抑止力低下でも治安の悪化は発生する。

まだ納得は出来ませんが、いい機会ですので、これからも宿題に取り組みたいと思います。

ここからは全く関係ない話です。
最近は質疑応答で対戦相手を「あなた」と表現するのが流行っているようです(気のせいでしょうか?)「肯(否)定側さん」と我々の頃は表現していました。是非は別として時代の流れをしみじみと感じました。
2012/03/27 (火) 04:27:51 | URL | #-[ 編集]
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