愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
第17回ディベート甲子園の感想
昨日、3日間にわたる第17回ディベート甲子園が終了いたしました。今年は東海中学、東海高校のアベック優勝という結果に終わりました。両校の皆さま、おめでとうございます。そして、地区予選も含めて、参加されたすべての選手の皆さま、お疲れ様でした。

準々決勝の講評でもお話しさせていただきましたとおり、ディベート甲子園は選手の皆さまにとって一つの大きな目標であったと思いますが、その結果自体は一つの通過点でしかありません。皆さまに期待されているのは、ディベート甲子園で学んできたことを、これからの皆さまの人生に活かし、そして、その力で日本や世界をよりよくしていってほしいということです。
ですから、皆さまが誇るべきは、この大会の頂点を目指して論題に取り組み、議論を重ねてきた過程と、そこで得られたたくさんの気づきや仲間、そういったものです。皆さまが、各自の思いをもって大会に取り組み、そして、今大会でそれぞれにかけがえのない思い出を得てくれていたとすれば、大会スタッフとして大変うれしく思います。

以下では、高校論題について、決勝戦を題材にしつつ、議論展開の方法について私見を述べるほか、同時期に開催されていたオリンピックでジャッジの問題が提起されていたこともありますので、ディベート甲子園におけるジャッジングについて若干のコメントをさせていただいたうえで、最後に今大会の感想を短く書いておきます。

あと、ついでながら報告させていただきますと、先日ご案内していたディベート同人誌が無事発行され、コミケで7部が売れたほか、ディベート甲子園会場で20部弱が即完売(スタッフルームでご案内させていただきました)ということになりました。ご購入された皆さま、ありがとうございます。
今回はディベートに関係する投稿論文を4本(僕のを含む)と救急車のモデルディベート原稿などで合計60頁となっておりました。表紙絵が相当ナイスなもので、コミケで7部売れたのもおそらく表紙買いだと思うのですが、中身を知らずに表紙で買った人には残念な内容(全編文章のみ)となっております。今回大盛況だったこともあり、今後はオフセット版にするとか、過去の冊子の復刻版を出すとか、ディベート界のビッグネームにも依頼をかけてみようとかいう話もありますので、今後ともご期待ください。僕も、下記ではあまり丁寧に書けなかった、決勝の感想などについて、冬の原稿に回して検討しようかと思っているところです。

それでは、以下本編です。

1.今季高校論題からディベーターが学ぶべきこと

高校論題しか取り上げることができず、中学生には申し訳ありませんが、今回は高校決勝をはじめとした今季の議論を題材に、より高いレベルのディベートに向けて考えるべきことを簡単にコメントさせていただきます。

§1 議論の構成を工夫する
これは今季に限ったことではありませんが、議論の構成については、まだまだ改善の余地が大きいところです。いわゆる3要件(メリットであれば内因性・重要性・解決性、デメリットであれば固有性・発生過程・深刻性)に沿って議論を構成すべきということはいつも書いているので繰り返しませんが、それ以外にも、議論相互の関係をきちんと意識して配列されているかといったことにも注意すべきです。

たとえば、決勝の肯定側がメリット1の最後で読んでいたエビデンスは、このメリットの重要性というより、判断基準を述べたものと解されます。そうであれば、このエビデンスはメリットを読む前の冒頭部分におかれるなどしてよかったでしょう。また、内容を見ると、このエビデンスは死刑による生命権侵害全部に当てはまるものであって、死刑冤罪に限った話ではないので、実はこのメリットと相性が良くないのではないかと思われます(その関係で、実際には伸ばされていませんが、この試合で実は重要だったのが、肯定側の冤罪メリットは起こるかどうかあいまいで、抽象的であるという指摘でした。そのようなあいまいな生命権侵害の可能性を理由に、抑止力の議論を排斥することができるのか、という反論は、かなり強力に機能したはずです)。

否定側では、統計の議論が一般抑止だけに係っているのか、暴力団犯罪の結果も反映しているのか、立論だけではわかりにくいところがありました。一般抑止と暴力団犯罪の話を一つのデメリットにするのではなく、別々のデメリットに分けるという選択もあり得たでしょう。統計などの話は、メリットとの比較という形で、「デメリットの大きさは全部でこのくらいあるので、十分正当化理由になる」といった展開にするなど、いろいろ工夫の余地があったかもしれません。

また、前にも書いた気がしますが、議論の区切りになんでも番号を入れるというのは感心できないことです。大きな話の区切りにだけ番号が付されているからこそ、話の流れがよく分かるのであって、一個一個の主張ごとに番号がついていては、かえってわかりにくいです。
細かく区切りをつけているのは、反駁で伸ばしやすいからだということなのかもしれませんが、ジャッジとしては、番号を言われてスピーチされても何の事だかわからず、ついていけません。自分の言葉で「こういう議論があった」と説明しなければ、議論を伸ばしたということにはなりません。

構成をきちんと考えるということは、議論の中身を考えることとも直結しているので、今大会を機会にぜひ考えていただきたいところです。

§2 自分たちの勝ち筋をどう構成するか
今回の高校決勝は、ざっくり言えば、肯定側第一反駁終了時点でほぼ勝負が決まってしまったということができます。というのは、肯定側第一反駁でのメリットの返しがほとんどなく、メリットの成立が非常に厳しい状態になってしまったからです(もっとも、議論量も多かったことからして、バランスよく返すのは難しいので、仕方ないところでもあります)。
肯定側第二反駁はかなりよく頑張っていたと思いますし、議論のまとめとしては素晴らしかったのですが、如何せんそれに先立つ中身を引っ張ってこられていなかったので、評価することはできませんでした(おそらく1票肯定側に入ったのはメリット1最後の判断基準に乗っかったのでしょうし、それが間違っているというわけではありませんが、私見では正直なところちょっと苦しい判断だと思います。選手の皆さまの中で、何となく肯定側が勝っていたと思った方がいらっしゃったとしたら、――第二反駁だけ聞いているとそう思えるかもしれませんが――議論に十分ついていけていなかった可能性が高いと思います)。

このように、メリットを残せなかったのが肯定側にとって致命的だったのは、この論題でデメリットを否定することはとても難しいという事情があるからです。多くのチームが、肯定側の立論づくりには工夫されてきたと思います。
その答えとしては、メリットとデメリットを単純に比べるのではなく、メリットを踏まえた判断基準を設定した上で、その判断基準に即してデメリットを排斥するという戦略を取ることが考えられます。今回の肯定側第二反駁のスピーチはまさにその模範というべき構成で、最初に(中身がついていっていませんでしたが)メリットを説明し、その重要に照らしてデメリットが満たすべき条件を論じたうえで、デメリットがその条件を満たしていない、すなわち論題を否定することができない、という筋書きで議論を展開しています。
もっとも、そのような枠組みでジャッジに判断してもらうには、メリットが最低限残っている必要があるわけで、その点で今回の肯定側は厳しい状況にあったということです。これには、守るべき論点が多く、かつ、価値基準であった生命権の話と若干距離のある死刑冤罪の話をメリットに据えたことも関係するところです。よりシンプルな死刑囚の生命権侵害の話をメインにしていれば、展開は違ってきたかもしれません。

これに対する否定側としては、そのような展開で肯定側が勝ちに来ることを見越して、その筋を徹底的に消しに行くべきでした。決勝であれば、否定側第二反駁は、自分たちが明らかに勝っているメリットの議論を真っ先に取り上げて、彼らの議論の前提となっている「死刑の問題点」が示されていないことを確認すべきでした。否定側第二反駁はかなりのボリュームの議論を扱っており、それはそれでよかったのですが、試合の見通しを与えるという意味では仕事が不十分でしたし、おそらく焦りがあったということもあり、彼のベストパフォーマンスではなかったかな、というのが正直な感想です。

この試合を踏まえて考えるべきことは、単にメリットとデメリットを平板に論じるのではなく、自分たちが証明したメリット・デメリットをどうやって勝ちに結び付けるか、という全体のストーリーをきちんと準備するということ、そして、そのストーリーをジャッジに伝えるには、どのようなスピーチが有用なのか、ということです。
肯定側は、ストーリーを意識したうえで議論を展開していましたが、途中で否定側の猛攻に対して息切れしてしまい、ゴールまでたどり着けませんでした。一方、否定側は、相手のストーリーを妨げるだけの議論を質量ともに十分に展開していましたが、それをストーリーの形にまとめあげることには必ずしも成功しませんでした。このように、両者ともにうまくいった部分とそうでない部分があり、ゴールへの道が細い(議論の性質上そうならざるを得ない)肯定側がその分だけ競り負けたというのが今季決勝のざっくりとしたまとめということになりますが、この内実も、両チームがお互いの手の内を探りつつ、ベストを尽くした結果です。時間の関係もあってそれを詳細に論じることはできませんが、今季の決勝も、皆様において再度視聴の上、分析するに値する好試合だったということを、最後に述べておきます。

2.ジャッジングに対する責任

ロンドンオリンピックでは、誤審により大会を追放されたジャッジがいたということです。どのような競技においても、ジャッジの役割は極めて大きく、その判断に責任が伴うということを、改めて教えてくれるエピソードということができます。

これは、当然ながらディベートにも言えることです。自分も、ジャッジとしてディベート甲子園に呼ばれているわけですが、そのことを痛感させられています。ディベート甲子園のジャッジは、選手の皆さまがこれまで積み重ねてきた議論を受け止め、評価するという重責を担っています(もちろん、議論の場を準備するそのほかのスタッフだって、同じように大変な責任を負っている点で違いはありません。)。
僕は、選手の皆さまが心血を注いで作り上げてきた議論というのは、その大会ではじめて発揮される一種の輝きのようなものを放つ瞬間があるように感じているのですが、そういった輝きを見逃さず、適切に評価した上で、それを選手の皆さまにどうやって伝えるかということは、毎試合ごとに悩みますし、今後もきっとそうなのだろうと思っています。

特に、昨今は、上記のように「ストーリーを意識した」ディベートも見られるようになり、議論の質も量も、ぐっと向上している感があります。もちろん、改善の余地はまだまだ大いにあるのですが、とはいえ、ジャッジが漫然と試合を見て評価できるような、イージーな試合は減ってきているように思います。
また、今季は論題のむずかしさもあってか、スピーチの速度が速くなっている、という指摘も散見されたようです。ご案内の通り、僕にとってはそのような問題はほとんど気にならないのですが、確かに、議論の量は全体として増えてきているようには思われます。その中には、無駄に早くなっている部分も割とあるようで、その点は大いに改善すべきところではあるのですが、一方で、論題のむずかしさからすれば、議論の質を高めるためにそのようなスピーチになってしまうのも仕方ないかな、ということを思うのも正直なところです。

そのような中でジャッジに求められるのは、選手の高度な議論、スピードの速い議論に対して、それを「わかりにくい」と切って捨てることではなく、そういった議論を可能な限り理解したうえで、「これは一般的には理解されないかもしれない」「同じ内容でもこう説明すればもっとスマートになる」といった、建設的なアドバイスができるための能力ではないかな、と思っています。
ディベートにおいて教育的であるということは、自分の意に沿わない議論を単に否定するということではなく、出てきた議論をできる限り誠実に受け入れたうえで、どこが改善されるべきかということについて、責任をもって答えるということでしょう。そのような「教育」(と僕が言うのはおこがましいですが)を行うためには、ジャッジ自身が、それに耐えるだけの力をつける必要があるし、コメントにも責任を負わなければならないでしょう。

このような見地からすれば、スピーチが早いことに対して「早口で言うのが果たして『教育ディベート』なのか」などといって途中で試合を聞くのをやめ、選手の議論を否定するというのは、およそまともなディベートジャッジのすることではない、というべきでしょう。
おそらくそのようなジャッジは、選手がどのような思いで議論を展開しているのかを理解しないだけではなく、選手が展開している議論を理解することすらできていないのでしょう。もちろん、パブリックスピーチとして見たときに、今季決勝がわかりやすかったとは言えないし、その観点からは「わかりにくい」という批判は当を得ています。しかしながら、競技ディベートとして見たとき、この試合は十分理解可能な水準にあったというべきで、真っ当なジャッジであれば、この議論を「早口」として切って捨てることはおよそあり得ないことです。誤解を恐れずにいうなら、このレベルの試合が早すぎて理解できないのだとすれば、ディベートジャッジを名乗るべきではありません(これは、ディベートジャッジが、議論を理解する能力を持つことを前提に呼ばれているとの理解に基づきます。そうではなく、メーリングリストか何かで募集してジャッジを集めるようなところでは、もしかしてそうではないのかもしれません。しかし、それはもはや、我々の考える「ジャッジ」ではないでしょう――オリンピックのジャッジを私募で集めるか?)。

誤解のないように言っておくと、スピーチが早いこと自体は、(僕の好みであることは否定しませんが)決してよいことではありません。議論の量は、必要に応じて選択されるべきで、無駄に早いスピーチ、聞き手のことを考えないスピーチは、是正されるべきです。
しかし、そういったスピーチを是正するには、「早口は教育ディベートではない」などと意味不明なことを言うのではなく、なぜ早口がよくないのか、どうすれば同じ内容をよりコンパクトに伝えられるのか、といったアドバイスをしなくてはなりません。それを、早いというだけで否定するのは、自分が早いスピーチについていけないということの自白にほかなりません。早いスピーチについていけなければジャッジは務まらない、というつもりはありません(しかし、個人的には、今季決勝が早くて理解できないという方は、全国大会のジャッジを務めるには実力不足だと思います。)。しかし、早いスピーチを理解したうえで、それに対する処方箋を提案しようとしているジャッジと、早いスピーチを単に切って捨てるだけのジャッジでは、どちらが優れているかというのは、言うまでもないことでしょう。選手が議論を洗練させようと日々努力しているのに、ジャッジが努力しないでどうするのですか。

以上のような問題意識はこれまでもあったのですが、昨日、そのような発言をなされたジャッジがいらっしゃると聞きましたので、このように述べさせていただいた次第です。
ジャッジングによって選手の議論が不当に評価されている可能性というのは、それこそオリンピックですらあるようですから、ディベート甲子園においてもゼロであるとはいえないでしょう。それは、もしかしたら選手の皆さまの方が強く感じているのかもしれません(もっとも、そのような思いが客観的に見て正しいものばかりであるかという点についてもまた、懐疑的ではあります)。しかし、冤罪の議論であったように、人間である以上間違いはゼロにはできないものの、間違いはゼロに近づけなければならないし、何が間違いであるかということについても、コンセンサスを形成していかなければなりません。
そのための問題提起として、上記のコメントが何かの役に立てば幸いです。

3.今年の大会の感想(議論面を除いて)

以上で終わると後味が悪いので、大会の感想を書いておきます。

毎年書いているのですが、今年も、皆様の試合を見せていただき、とても楽しい3日間を過ごさせていただきました。僕が観た試合は全部で6試合ですが、どの試合も、議論の水準に高低はありましたが、いずれも各チームの努力の跡が見えて、見ごたえがありました。そして何より、皆さまがディベートを楽しんでくれていたようで、スタッフとしてとても幸せな気持ちになりました。

また、今年準優勝した灘高校については、何の因果か3回もジャッジをすることになり、彼らが大会の中で試合ごとに成長していく姿を見ることができました。これは灘に限らず、どのチームも、試合ごとに前の試合の反省を活かして強くなっていくものだと思うのですが、そういった姿を見ることができ、この大会が選手の皆さまにとって貴重な切磋琢磨の機会になっているのだなぁと思い、それだけに自分も職責を果たさなければならないとの思いを強くしました。

来年は仕事の状況がどうなっているのかよく分からないところではあるのですが、今年3日間皆様の姿を見ていて、(邪魔なだけかもしれませんがw)これからも大会のために微力ながらお手伝いできればと思えましたし、また、この大会を目指し、集った皆さまが、これからの日本や世界を支えるために活躍されていくのだろうということを確信した次第です。

第17回ディベート甲子園(地区予選・全国大会)に参加された全ての選手、スタッフの皆さま、本当にお疲れ様でした。また、皆さまと、どこかの大会で出会える日が来ることを、楽しみにしております。
コメント
この記事へのコメント
決勝戦の判定について
決勝戦の判定について、ぐるめさんの判断と、私の判断で、若干異なる部分があるので、コメントを残しておきたいと思います。

たしかに、1ARのCoverage、という観点では問題があった試合ですが、2NRが終わった時点では、私は勝敗の行方は全くわからないと思っていました。

AFFのケースが死に体であったことは間違いありませんが、DMに対するターンの2NRでの処理が甘かったので、2ARはここを中心に議論すべきだったと思います。まず、暴力団リンクに関しては、AFFの議論がまるまる残っていること、一般抑止の議論に関しては、恐怖心etc.の話と、残虐化の話で、きちんと決着がついていないことを指摘し(NEGの言った「残虐化の理論には無理がある」という議論は、そのまま全く同様にDMのリンクに対しても当てはまると思います)、統計勝負に持ち込むならば、1ARで出された最後の二枚の資料(EU諸国やニュージーランド等?でも死刑廃止後に殺人は増えていない、という話と、サカモトの「日本では、死刑執行報道後に殺人が増えている」という資料)を伸ばすことで、死刑存置により、かえって殺人が助長されている可能性の方が高い、という議論はできたと思います。例えば2ARがこの一点に賭けて「例えメリットが完全にゼロだったとしても、犯罪が助長されているのを解決するので、これは逆にメリットと言える」という議論を丁寧にしてくれたら、判断は相当AFFに傾いたのではないでしょうか。

その意味で、この試合の2ARは、残念ながら私はあまり評価できません(2NRもイマイチですが…)。この試合は、いかにして二反の戦略で勝つか、という見本になりうる試合だったと思うのですが、2ARでの戦略が、「(死に体で勝ち目の無い)ケースを伸ばして、DMを極小化する」という、ある意味「聞くまでもない」内容に終始していたなあ、というのが、私の感想です。

また、そもそも立論からのAFFの戦略で不可解だったのは、どうして「死刑制度がなくなるだけで、少なくとも死刑囚が『死の恐怖』から逃れることはできる」という議論を入れなかったのだろう、という点です。これがあれば、執行段階でのリンクをいかに切られても、少しでも冤罪死刑囚が発生している可能性を残すだけで、(ごくごくわずかとはいえ)メリットを残すことができたはずです。そうすれば、あとはターンでNEGを上回らなくても、デメリットとターンでオフセット、というところまで持っていければ、やはり勝利はAFFに転がり込んだでしょう。

むろん、こうした(ある意味大胆な)戦略をディベーターが決断できるためには、ジャッジの方に、そうした議論に対応する能力と度量が求められるので、実際に、上記のような2ARをやっていたとして、結果がどうなったかは、私は知る由もないですが…(その辺が後半の話につながるのでしょうか(^^;)?でも、あのパネルの顔ぶれだったら、受け入れられていた可能性は結構あると思います)。
2012/08/15 (水) 13:59:07 | URL | geniocrat #Pg0l536k[ 編集]
コメントありがとうございます
>geniocratさま

確かに、残忍化のターンで勝つという筋はあり得たかもしれません。実際、2ARが今回のようなスピーチで勝つ可能性はほぼなかったので、ターン一本で勝負をかけるべきだったというのはご指摘のとおりだと思います。

今回の試合では個々の実例に対して反論が十分にできていなかったこともあって、ターンの筋が難しいかなぁと思っていたのですが、残忍化の話も死刑の本能的抑止力も両方同じで(エビデンスはそこまで言っていませんが、残忍化もある種人間の本能に働きかける効果といえそうです)、あとは統計と海外の例&サカモトの話で比較して、少なくともデメリットがターンを上回っているとはクリアに示されていないというところまでは持って行けそうです。
それでも、プラスマイナスゼロくらいにしか持って行けないような気がしますので、メリットが認められないとやはりAffは厳しいのではないか…ということで、本文のようにざっくりまとめたのですが(ここはGeniocratさまと評価が異なるかもしれませんが、実際には僕も「スピーチを聞いたら考えるかも」というところなので、違いはないと思います。)、死にかけのメリットと価値基準を持ってきてまとめれば、Affに入れるという選択は十分あり得たでしょう。

その意味で、本文のまとめは分析に不備がございました。ご指摘感謝いたします。
本文では、メリットを使ってどうやって勝ちに持って行くかという、大きなストーリーの話をメインに扱おうとしておりましたが、第二反駁でどうやって勝つかという視点で見ると、また違った発見がありそうです。

「死刑制度がなくなるだけで、少なくとも死刑囚が『死の恐怖』から逃れることはできる」という議論は、反論次第ですが、執行と独立の話として残しうる意味では、ありといえばありかもしれません。しかし、おそらく彼らがこれを入れなかったのは、死の恐怖は価値基準で出てくる生命権と関係ないと考えたからでしょうし、個人的にも、死の恐怖を理由にどこまで有利になるのかは疑問なしとはしないところです(結局はデメリットの削り具合によるので、ターンをうまく伸ばせれば、Geniocratさまのおっしゃるような形で有利に持って行く材料にはなると思いますが)。
これを言うと身もふたもありませんが、そもそも冤罪のメリットを単独で回すこと自体が、メリットで上回るという筋を取る上では最善の選択ではなかったのではないか、とは思います。

おっしゃるように、大胆な議論や、価値に大きく依存する議論はジャッジを選びますので、そのあたりは難しいところですが、決勝ジャッジの顔ぶれからすれば、そこを気にすることはないだろうというのはその通りだと思います。
※一応お断りしておくと、本文で示唆したジャッジの問題は、もっとレベルの低い問題ですので、決勝戦とは全く関係ございません。

秋JDAもジャッジか観戦客として現れることはできると思いますので、またそのときにでもお話しする機会があれば幸いです。
2012/08/16 (木) 02:30:21 | URL | 愚留米@管理人 #tX1BiP8k[ 編集]
お返事いただき光栄です
もちろん、漫然と自分たちの議論を伸ばすだけではAFFの勝ちは無い、ということには同意します(それでも私がこの試合のジャッジをしていたら相当迷うでしょうが…)。

とはいえ、きちんと議論を見ていけば、NEGは事例を出しているといっても、到底普遍性があるものとは言えず、さらには「イリノイ州の結果から、全てのデータをひっくるめて、トータルで死刑は犯罪を抑止している」と言ってしまっているので、「じゃ、トータルで考えればいいんですね?」となったときに、AFFが唯一日本のデータを有している点、各国のデータも拮抗している点(私が2ARだったら、さらにカナダで死刑「制度」を廃止した際には、殺人発生率は低下している」という話あたりを追加するかもしれません。なぜなら、AFFもNEGも死刑「執行」の効果についてしか(統計では)論じていないから)を引いて、AFFの優位性を主張できたと思います。

ちなみに、この試合だったかどうか忘れました(準々決勝だったかもしれません)が、NEGが「イリノイ州のデータは、死刑以外の要因を考慮して、4年間で殺人が150件増加した、という結果を導いている」というような主張をしてたと思いますが、これはおそらく事実と異なると思います。この手の乱暴な議論が、否定側にいくつか見受けられたことも、今回の2NRがイマイチと思った理由の一つです。

対する肯定側については、立論段階では、資料のチョイスや吟味の仕方にものすごくセンスやこだわりが感じられて、好感を持ちました。「死の恐怖」の話が立論に入っていなかったのも、彼らなりの美学があったのかもしれません。

ただ、そういう美学があるなら、メリット2を「拡大自殺」にしたのはやっぱり不可解です。彼らほどのレベルであれば、このメリットがほぼ機能しない、ということは予想できた筈。それなのに2ARまでこのメリットを引っ張っているのをみて、「そんな事やってる場合じゃないだろう」と思ってしまいました。

2012/08/17 (金) 17:10:30 | URL | geniocrat #Pg0l536k[ 編集]
続きです
話が若干それるので、別コメントにしました。

今期、肯定側の勝率が低かった責任は、我々ジャッジ・指導者にかなりの部分があったのではないかと思っています。

本来、この論題は、時間をかけてじっくり考えれば、AFFに傾くべき論題ではないかと思います。それにも関わらずこうした結果になってしまった理由は、いくつかありますが、「小田・鷲見・USフロントラインさえ(い)なければ…」というのはさておき(^^;)、ジャッジや指導者が、ほぼ全てのAFFが冤罪メリットに拘泥しリンク・インパクトともに極小化されているのを目の当たりにしながら、あくまで冤罪メリット犯罪デメリットを比較させるような指導しかできなかったことが、かなり響いているのではないかと見ています。

確かに「重要性をきちんと説明して説得力を持たせた方が良い」というのは、一般的には正しいコメントですが、こと冤罪メリットに関して、「犯罪デメリットを上回れるようなインパクトの説明をせよ」というコメントをするジャッジは、具体的に、どのような状態になれば、冤罪>犯罪、と判断できたのか、きちんとイメージできていたのでしょうか?思うに、ほとんどのジャッジが実際にディベーターの立場に立ったなら、そのようなことはできなかったのではないかと思います。

私自身は、春の時点でもう、AFFとNEGの実力が拮抗していたら、冤罪メリットオンリーでは勝ち目はほぼ無い、と考えていて、コメントを求められた時は「AFFに勝ち目があるとしたら、DMに対してはターンか犯罪抑止メリットをぶつけて、DMをゼロまたはマイナスにするパターンくらいしか無いと思う」と言うようにしていました。

決勝でそうなりかけたような、「ターンで勝つ」という発想が出ないと、今期の論題ではなかなかAFFは勝てなかったでしょう(実際勝てなかったわけです)し、そのような戦略的思考のもとに、イシューの選択や、議論運びができるディベーターを輩出できるようにすることが、これからの甲子園ディベートのさらなる質向上には必要ではないかと思いました。

ただ、現状のメリット・デメリット比較方式だと、そのような発想にはなりづらいような気もするので、このあたりが限界なのかもしれません。

ともあれ、秋JDAでお会いできるのを楽しみにしております。
本番といわず、練習試合会にも是非お越しください(^^;)。
2012/08/17 (金) 19:14:20 | URL | geniocrat #Pg0l536k[ 編集]
死刑廃止論題のAffについて
>geniocratさま

別コメントについてお返事させていただきます。

この論題がつめればAffに傾くというのは、その通りだと思います。ラストスピーチという利点も含めて考えれば、Affの勝ちパターンは十分作れるはずです。

通常の冤罪メリットに終始する指導しかできなかった指導者が多かったのではないかということは同感です。ターンアラウンドも含めた戦略の可能性を指導するということはあってもよかったと思いますし、冤罪以外のメリットの可能性も探ってよかったでしょう。
ただ、冤罪の重要性を詰めるという議論の方向性自体は、十分あり得たと思います。それは、団藤先生のエビデンスを単に読むという方向性ではなく、冤罪の可能性を前提としたときに、不可逆な死刑という刑罰が再審可能性を保障する刑事司法と原理的に相いれないといった考え方です。これを徹底的にリサーチし、冤罪が起こる具体的メカニズムの議論を軽くしたうえで、冤罪のありうることを前提としたときの死刑の問題点と、そのような原理論に基づいて投票すべき理由を綿密に論じれば、冤罪で勝つということも十分ありえたでしょう。並行して、今季決勝でも出ていたような、正当化のために立証責任がNegにあるという話をしつつ、DAを削っていくというという議論を展開する(あわよくばターンも狙うべきでしょう)ということになります。

いずれにせよ、今季のAffは、ターンでDAをひっくり返すか、あるいはメリットを単に立てるのではなく、それを判断基準に結び付けるなどして、DAを上回るためのシステムをきちんと構築しておく必要がある点で大変だったということができそうです。
これはなかなかにレベルの高い課題で、指導者が十分指導できなかったという問題もありますが、それ以上に、そういったシステムに基づく議論の発想や、第二反駁での大胆な取捨選択を受け入れるジャッジが十分存在していない(少なくとも選手はそう感じている)ということに問題があるように思います。
いずれにせよ、選手も、指導者も、ジャッジも、より戦略的なディベートについて勉強していく必要があるし、まずは指導者層やジャッジがそういった意識をもって指導に当たることが重要だ、ということでしょうか。

都合がついたら、練習試合にも顔を出せればと思っております。またその時にはよろしくお願いします。
2012/08/18 (土) 03:17:11 | URL | 愚留米@管理人 #tX1BiP8k[ 編集]
とりとめないですが…
そうですね。確かに冤罪のインパクトをきちんと説明する、という道もあるとは思います。

ただ、私が思うに、冤罪の犠牲になるのも、犯罪の犠牲になるのも、どちらも理不尽で、あってはならない事であることに変わりは無いような気がします。このあたりは価値観としてかなり基本的な部分になってしまうので、いかに冤罪メリットのインパクトが重要か、理屈をこねたり、立証責任の押し付け合いをしても、NEGから本気で反論されたときに守り切る自信は私には全くなかったので、早々に冤罪メリット単独で勝ちに行く戦略は捨て去った次第です。

現実世界においても、人の価値観そのものを変えるのは至難です。ほとんどの場合は、価値観そのものにチャレンジするよりも、すでに共有された価値観に対して訴えるような議論展開を考える方が得策だと思います。

このあたりの食い違いは、専門の違いとか、バックグラウンドの違いによるものだとは思いますが、「冤罪メリットのインパクトの大幅な補強」は、私がディベーターにアドバイスするとすれば、「やった方が望ましいが、第一のオプションではない」ということには変わりがないと思います。もちろん、ディベーターの皆さんには、もっと多くの人の意見を聞いて、自分で考えて結論をだしてもらいたいですが…。

今後ともよろしくお願いいたします。
2012/08/19 (日) 06:11:07 | URL | geniocrat #Pg0l536k[ 編集]
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