愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
第20回ディベート甲子園の感想(1.中学論題の論じ方)
去る8月8-10日、第20回ディベート甲子園が終了しました。結果はこちらに記載のとおり、中学は開成中学校、高校は熊本マリスト学園高等学校が優勝しております。両校の皆様、おめでとうございました。

今年も、OBOGと現役生の即興ディベートも含めて、面白い試合をたくさん拝見することができました。そのような試合を見た中で、今年の大会の感想というか、このような議論もあり得たのではないかという話を、大会の感想と言うよりシーズンの通観という形で書かせていただこうと思います。まずは、中学論題の話をして、そのあと記事を改めて、高校論題の話、そしてついでに即興ディベートの感想という形で書いていく予定です。

1.中学論題の論じ方
今年の中学論題(刑事事件の実名報道禁止)は肯定側有利で、結果的にも否定側はなかなか勝てなかったということのようでした。確かに、第一感で肯定側が有利そうに思いましたし、ジャッジしていても肯定側に入れたことが多かったように思います。
このような事情が生じたのは、肯定側が報道被害という分かりやすく具体的なところを論じられることに対して、否定側は報道の自由を保障する意義という、事実面でも(立派な報道は実際は多くない)、価値の面でも(例えば権力監視といった話はやや複雑)難しい話をしないといけないということにあったのではないかと思われます。また、付帯事項で、公人の犯罪は対象外とするとか、被害者が希望すれば報道できるとか、肯定側に有利な規定が多く盛り込まれていたことも、否定側を苦しい立場に置いていたように思います。論題決定者を批判する意図は全くありませんが、この論題を「中学生に」行わせることで、このように偏った結果が出てしまったという側面もあったようにも思いますので、今後の論題検討の際には、なお一層の考慮が必要だとは言えるかもしれません。

ただ、今季中学論題で否定側の議論が全く成り立たないのかというと、そのようなことはないと思います。以下、否定側としてどのような議論をなしえたのかということを中心に、議論を検討してみることにします。

ネット被害の問題
一番よく見た否定側の議論が、実名報道の禁止でネットでの犯人捜しが増え、ネットでの被害が増加する、ということでした。多くの否定側立論では、単にネットでの被害もあるということだけを述べ、実名報道をやめるとネット被害が増えるのかという点について議論が至っておりませんでした。そうするとデメリットはせいぜいメリットの解決性を減じるだけになり、否定側が勝つことはできないということになります。

しかし、筆者が準決勝で審判に入った試合(女子聖学院中学校-灘中学校)では、灘中学校はなかなか惜しい議論を展開していました。灘中学校のデメリットの要旨は、実名報道は無責任な報道を戒める効果があり、実名報道されることでそれ以外の噂めいた情報も抑制されるはずだ、というものです。
評議の秘密というものがディベートにあるとは特に思わないのですが(ジャッジはみんな聞かれたら自分の判定を説明すべき義務があると思いますので)、念のため講評で述べた程度で触れておきますと、この試合ではこのデメリットの評価で判定が分かれています。筆者は肯定側に投票した多数意見で、第一反駁以降でデメリットの説明が「実名報道することで変な流言が減る」という形で展開されておらず、1枚目のエビデンスも朝日新聞が「変な情報を戒める一つの手段だ」といった程度の話しか言っていないので、より影響力のある新聞テレビの報道被害が(地元での取材被害は除いて)明確に減るというメリットに投票したものです。しかし、少数意見のジャッジは、否定側立論の内容からネット被害減少の論証は一応なされていると評価し、メリットは取材の話で地元では困るという話になっているし、引っ越ししても肯定側の言う問題からは逃れられないので小さいということで、デメリットに入れており、これはこれで十分あり得る判定です。否定側がそういうまとめをしていれば筆者も否定側に投票していたと思います。

灘中学が展開していた、実名報道が質の悪い情報を止める効果を有するという点は、メディアの機能として当然論じられてしかるべきであり、ここに着目したことはさすが準決勝進出校といったところです。この議論をより機能的に展開する上では、メディアの報道内容が良質であること、きちんとした裏付け取材がされていること、誤報があった場合の対応や反省がなされていること、報道機関においても報道者を実名で出しており責任の所在が明確になっていることなどを論じていくことが有益だったはずです。灘中学校の議論は、この点で、報道機関による報道とネットでの流言の違いについての議論までは至っておらず、その点でより改善の余地のあるものでした。この観点からすると、肯定側が読んでいた「ネットよりテレビや新聞のほうが信頼性が高いと思われている」という資料も、否定側の議論の根拠として援用可能だったところです。

以上を含めてまとめると、否定側のあり得るデメリットとしては、固有性として、実名報道はネットの流言を抑制する効果を有すること、発生過程として、匿名報道にすることでネットでの流言がかえって増加することを論じたうえで、その後の展開として、①報道機関の実名報道の方が質が高い、②ネットでの流言は歯止めがきかずより被害が深刻、③報道機関の報道被害についてはまだ事後的救済の可能性が高い(決勝で女子聖がちょっと言ってましたね)、といった議論をぶつけていくことで、十分に強固なデメリットを築き上げることはできたはずだ、ということになります。

報道の自由に依拠したデメリット
もう一つの方向性としては、報道に対する規制が報道の自由を制約し、権力(警察機関)への監視を困難にするというデメリットも考えられます。これはディベートの試合で展開するにはやや困難な内容とも思えますが、メディア規制の問題を考えるうえでは本筋と言うべき論点です。

この方向でのデメリットを論じるうえでやっかいになるのは、多くのチームが入れていた、警察から報道機関への発表は実名で行う、というものです。より具体的に言えば、記者クラブには実名を知らせる、ということだと思います。ただ、この記者クラブ制度はある種の特権団体であり、フリーランスのジャーナリストを排除するものだという批判もあるところです。この論題に引き付けていうなら、警察への取材を望む記者クラブ加盟機関は記者クラブから排除されないように無難な報道しかしない、という反論も可能かもしれません。ただこれはちょっと証拠上弱いかもしれません。
別の方向からの攻撃としては、メディアに対して実名発表がされたとしても、それを報道することができないとすると、実名を使った取材をすることが制約され、結果的にメディアによる検証が困難になるというものが考えられます。実名を知っているのは警察とメディアだけだということになると、それにもかかわらず実名が漏れたとすればメディアのせいだということになり、そのような漏えい行為をしたことが問題とされかねないので、実名が推知されるような取材をしにくくなる、ということです。

上記のような議論を前提として、実名報道が規制されることで、どのような「有益な」報道がなくなるのかということを具体的に例示しつつ、報道の自由を保障する意義を論じることで、デメリットを成立させることは可能と考えられます。
加えて、このデメリットを支えるためには、表現の自由に対する規制が有する「萎縮効果」を論じることが有益です。規制対象が限定されているとしても、その規制に当てはまる周辺的な情報(取材行為も含まれ得るでしょう)までもが規制されてしまう、ということになります。表現の自由の重要性から、その規制に際しては、萎縮効果を避けるため、よくない表現が一定程度出てしまうこともやむを得ないという考え方がありますので、そのあたりも踏まえて論じることが可能です。
とりわけ、今回の論題では、実名報道に刑事罰を科すということになっており、これは現在の少年法上の推知報道禁止に罰則がないことに鑑みても、大きな規制ということができます(その意味で、現在匿名報道とされている少年事件についても、プラン後は状況が変わるといえます)。表現の自由に対して刑事罰を伴う規制を課すというのはかなり強度の制約と考えられ、違憲の問題すら提起し得るように思われますので、この点に着目すれば、上記デメリットは説得的な議論ということができます。

質の低いメディア、質の高いメディアの区別
上記の問題と関連して、メディアの性質によって萎縮効果が違ってくるということを論じることが可能です。以前にも少し書きましたが、ゴシップを書こうとするようなメディアは少々規制されたところで構わずぎりぎりを攻めるが、まともな報道機関は自粛しやすい、という話です。正当な報道ほど規制を守るので、規制によって質の悪い報道だけが残ってしまうという議論です。

メリットに対する反論で、取材の過程で実名がばれてしまい、結局地元では実名報道されたのと同じような状態になる、というものがありました。これは否定側による強力な反駁ではあるのですが、肯定側としては、実名報道できないのにそこまでひどい取材をするのか、という再反論があります(もっとしっかりやってほしかったのですが)。
これに対する否定側の返しとしても、メディアの性質、動機に応じた議論が可能です。これは、実際の犯罪関連ゴシップを見ればわかると思いますが、そこで書かれているのは、仮に「容疑者X」だとしても成り立つような内容ですので、そういう好奇の目を満たす報道の需要が残る以上、ゴシップ報道は残り続け、そのための取材も続く、という話は成り立つはずです。

肯定側の議論
肯定側は、報道被害の減少というメリットをあげるチームが大勢でした。その中で、報道による有罪視効果という問題が提起されていましたが、さらに踏み込んで、そのような報道が刑事裁判における無罪推定の原則という、高校論題で盛んに論じられていたテーマとの関係でも問題であるというところまで論じていたチームは少なかったように思います(関東予選で少し見ました)。
これはどういうことかというと、刑事裁判ですら、有罪判決が確定するまでは無罪だということが推定されるべきだとされているのに、報道においては、事実上有罪であるとの効果を与え、現に被疑者に不利益を生じさせるような効果を与えてしまってよいのか、という問題提起です。現代において、報道による社会的名誉の毀損が身体拘束等の刑罰と同等以上の被害を与えるのだということに鑑みれば、被疑者が実名での報道を望んでいないにもかかわらず、報道機関に実名での報道をさせることは、無罪推定の原則に反して実質的刑罰を科すことを報道機関に認めることと同義である、という議論が可能です。さらには、裁判員裁判も導入されている現在の日本では、そのことが裁判の公正すら侵しかねないといった話もできます。

実名報道を認めるかどうかという問題が、否定側において、上記のとおり「報道機関の責任」「報道の自由」と関係して論じ得る以上、それを制約しようとする肯定側としても、対抗原理を持ち出すべきところであり、その候補となるのが、上述した「刑事裁判における無罪推定原則」ということができます。
否定側が詰め切れていない試合が多かったことから、肯定側もメリットの重要性をそこまで煮詰めなくても勝ててしまっていたように思いますが、さらにレベルの高い考察という意味では、報道被害の深刻さを、今回の論題の対象となっている「刑事事件」との関係でより深く考察し、論じていただければなおよかったと思う次第です。

以上を踏まえた教訓
以上、中学論題について、まだ論じるべきことがあったのではないか、ということでした。否定側が勝てない論題だった、ということで怒ることは簡単ですが(そして、その気持ちは分からなくもないですが)、そこから得られるものは何もないので、否定側で勝てなかった理由は自分たちに求めるべきです。

ということで、上記で見てきた内容から他の論題にも生きるノウハウを抽出するとすれば、「論じる対象を場合分けする」ということが言えるのではないかと思います。たとえば、筆者による上記の分析は、誤報・流言的な被害を、報道によるものとネットによるものに分節しています。また、報道についても、質の良い報道と質の悪い(ゴシップ的な)報道に分けています。そして、それぞれについて、プラン前はどういう状況で、プラン後はどうなるのか、ということを考えていけば、議論の見通しが立ってきます。問題を過度に分節し続けてもよくないのですが、適切な場合分けをすることができれば、論じるべき論点を見つけ出すことができます。

なお、この「論じる対象を場合分けする」という方法は、即興論題の「文化祭・体育祭を廃止すべき」というテーマでも同様に当てはまるのですが、これは記事を改めて考察することにしましょう。
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