愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
第20回ディベート甲子園の感想(2.高校論題の論じ方)
引き続いて高校論題について書いていきます。今日までお休みなので連続投稿です。

2.高校論題の論じ方
今季の高校論題は、裁判員制度の廃止というもので、身近そうに見えて、刑事裁判の手続を見たことがない方には意外とイメージしにくいことも多かったのではないかと思います。高校生は裁判所に平日行って裁判員裁判を見るということもできませんので、そのあたりは上手くやれればよかったのにという気はしています。裁判所はさすがに難しいかもしれませんが(文科省後援ですし、最高裁の広報課に連絡したりすれば講座の一本くらい何とかならなかったのかなという気もします)、弁護士会に頼めば何かしら講演はしてくれたのではないでしょうか。論題研究会のようなものが東海地区以外で行われたということを聞かないので、そのあたりは残念に思います。

というわけで、最初に、試合で出てきたものの最後までイメージがつかみ切れていなかったように思われる刑事裁判手続の概念についてちょっと触れたうえで、高校論題で出てきた議論についていくつかコメントしておきます。

刑事裁判手続の解説(自白の証拠能力、公判前整理手続、司法研修所教育)
試合でよく「裁判員裁判をやめると調書裁判になって虚偽自白で冤罪が発生する」という話が出てきました。ここでいう調書裁判とは、公判廷(裁判の法廷)での供述ではなく、警察や検察の作った調書に依拠して判決を書く、ということを指すわけですが、公判廷供述と調書の違いや、調書がどうやって証拠になるかという点については、なかなかイメージしにくいのではないかと思います。
というわけで以下、このあたりをつらつらと書いていきますが、特に刑事弁護実務に根差した話でもなく(ほとんど取り扱っていないので)、その割に長くなってしまったので、読み飛ばしていただいても結構です。
ただ、高校生の皆さんには、せっかくこの論題でディベートをされたので、夏休みの間に一度裁判員裁判を見に行かれるとよいのではないかと思います。

調書と供述
調書の証拠能力については、刑事訴訟法320条以下が定めています。320条1項は「第三百二十一条乃至第三百二十八条に規定する場合を除いては、公判期日における供述に代えて書面を証拠とし、又は公判期日外における他の者の供述を内容とする供述を証拠とすることはできない」と定めており、原則として調書を証拠とすることはできないとしています。
では例外はと言うと、刑事訴訟法321条1項が「被告人以外の者」の証言について調書を使える例外を定めるほか、同322条が被告人の供述について調書を使える例外を以下のように定めています。

「被告人が作成した供述書又は被告人の供述を録取した書面で被告人の署名若しくは押印のあるものは、その供述が被告人に不利益な事実の承認を内容とするものであるとき、又は特に信用すべき情況の下にされたものであるときに限り、これを証拠とすることができる。但し、被告人に不利益な事実の承認を内容とする書面は、その承認が自白でない場合においても、第三百十九条の規定に準じ、任意にされたものでない疑があると認めるときは、これを証拠とすることができない。」


自白は「被告人に不利益な事実の承認」に含まれます(「わたしがやりました」という自白のほか、被告人の有罪を認める方向につながる事実の承認もここに含まれますので、「被告人に不利益な事実の承認」は自白より広い概念です)。というわけで、但書にある「任意にされたものでない疑」があるかどうかが、調書の採用を認めるための要件となります。この「任意にされたものでない疑」は、刑事訴訟法319条1項で「強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白その他任意にされたものでない疑のある自白」と例示があり、調書を取る際にこのような強制的な契機による取り調べがされていないかということが問題とされることになります。
自白調書が証拠請求された際に、被告人(弁護人)が証拠とすることに同意する場合には調書がそのまま出てきますが(刑事訴訟法326条1項)、証拠として認めない、すなわち「任意性を争う」場合には、任意性の立証ということで検察官が取調官を尋問したりするなどして自白した経緯などを説明し、その結果任意にされた自白だと認められると、被告人の自白を記載した調書が証拠として採用されます。
もちろん、被告人も、公判廷において自白を強要されたといったことを供述し、それをも踏まえて任意性の判断がされますので、自白調書が採用されるからといって、被告人の供述機会がなくなるというわけではありません。ただ、自白調書が証拠として認められる場合、それも判決の基礎とできるようになるため、有罪になる可能性が高まるということは言えます。

刑事事件を担当することがほとんどないのでここからは推測ですが、裁判員裁判で公判中心になるというのは、限られた公判の時間を自白調書の任意性立証のために使うよりは、被告人質問を普通にやればいいという考え方にあるのではないかと思います。無罪推定の原則からすれば、過去に自白していたとしても、その後被告人が供述態度を変えているのであれば、過去の自白調書を使うということではなく、公判廷で被告人に話をさせ、もし被告人がうそをついている(過去の自白が正しい)のだとすればそのことを問いただすことで有罪を立証する、というのが正しい在り方ということができるでしょう。
ただ、被告人が公判でいきなり自白を翻すなどした場合、検察官としては補充での捜査を要することになると思いますので、その際には公判を延期したりせざるを得ないでしょう。何でもかんでも被告人に有利ならいい、ということではありません。

上記とは別に、証拠とすることに同意された調書については、証拠として採用されることになります(刑事訴訟法326条1項)。通常の刑事事件では、要旨の告知といって、公判廷では調書についてはその概要だけを述べ(刑事訴訟規則第203条の2第1項に基づく)、後で裁判官が調書を読んで判断するということになりますが、裁判員裁判では、そういう読み込みの時間は取れないので、公判廷で調書を朗読する原則的な方法(刑事訴訟法305条1項は朗読を求めている。規則でこれを変えてよいのかにはそもそも疑問があります)によることになります。
裁判員裁判を見に行くと、検察官が調書を朗読している姿を聞くことができます。なお、性犯罪などで、読み上げるのに適していない箇所については、調書のここからここまでは黙読ください、ということで、裁判員の手元にある調書を読むよう話があって、朗読は省略されます。

公判前整理手続
ここまでは調書の証拠採用に至るまでの説明ですが、裁判員裁判では、その前に、公判前整理手続というものがあり、争点と証拠を整理します。これが意外と長いというのは、高校決勝戦でも資料が読まれていた通りです。
公判前整理手続は刑事訴訟法316条の2以降に規定があり、316条の5にその中身が書いてあります。要するに、証拠調べ(証拠物を見たり供述を聞いたりすること)はせず、どの証拠をどういう順番で調べるか、といった打ち合わせを行います。さらに、公判前整理手続では、当事者の予定主張・立証に関連する証拠の開示を求めることができます。東京弁護士会の特集記事を読むと、弁護人にはそれなりに好評なようです。

一部の学校が、公判前整理手続で裁判官がラフな審理を行う、ということを言っていたのですが、裁判官は公判前整理手続で証拠を読むことは基本的にはありません。ただ、証拠構造(どういう事実・証拠で有罪を立証するか)については争点整理のために把握する必要があるので、証拠の標目と立証趣旨は事前に知らされることになり、なんとなく検察官の言おうとすることはわかる、といったことにはなります。実際には、証拠を生で見てみると裁判官もびっくりで心証が全然予想と違うということは珍しくないようですが、事前に話が予想できている裁判官の方が裁判員より事件を飲み込みやすいということはそうだろうと思います。
争点の絞り込みという点については、裁判官によってはそういうこともあるのだろうと思いますが、筆者が修習中に個人的に見た公判前整理手続では、検察官に対して証拠を絞り込むよう要請する場面もあり、弁護人だけが「言いたいことが言えない」というわけでもなさそうです。

司法研修所教育
最後に、決勝戦でも出てきた、司法研修所教育のおはなし。裁判官に常識がないというのはどうかと思いますが(それを言ったら弁護士もそうなる。確かに裁判官になる人は成績優秀者で、学歴も司法試験合格者一般よりよいと思いますが、高級サラリーマン的な常識はあると思いますし、民事や他の刑事事件で記録を読む中で、伝聞とはいえいろんな話を見るので、それはそれで経験値は積まれるはずです。だいたい、どういう人間を刑事裁判における「経験豊富な裁判員」というんでしょうか。市原悦子バリの家政婦とか?)、司法研修所の刑事裁判教育において、間接事実に基づく緻密な事実認定について学習することになり、その中で、証拠から「有罪を」認定する手法を学ぶというのはそのとおりです。
実感として、二回試験(司法研修所の卒業試験)で無罪判決を書くというのは想像しがたいところで、おそらく間接事実の認定とそこからの有罪推認の論述に点数が振られているので、受験生的発想からすると、有罪を疑わせる事実をできるだけ細かく認定し、そこから有罪が推認されることを論じつつ、被告人の弁解を証拠や論理によって排斥する答案(判決理由)を書くことが期待されているのだろうと思います。
ただ、これが悪いことかというとそうではなくて、世の中の犯罪には、目撃者や直接的な証拠がある事件ばかりではなく、いろんな事実を積み重ねてはじめて犯人が分かるというものがたくさんあり、そのような犯罪をきちんと裁くためには、事実を踏まえた認定を行うための能力を養う必要があるわけです。事実が追い付かなければ当然有罪にはできないわけで、その「限界」を知る上でも、有罪を推認するための事実認定能力は重要なはずです。現に、裁判所で指導してもらった裁判官は、記録を見る限り有罪と思えてならない事件で、「この事実からはこういう可能性も考えられるのではないか」ということで、実際に(筆者はじめ修習生はみんな有罪と思っていましたが)無罪判決を書いたりもしています。

肯定側の議論
長い前置きを終えて、議論の話に入ります。シーズン終了後にこんなこと書いてもしかたない感満載ですみませんでした。かといって万が一でもここのブログを引用されたりしたら困りますからね…。
というわけで肯定側の議論について考えていきます。よく見た議論としては、裁判員の負担というものがありました。これについては、エグい写真などはイラストに置き換えるなどして工夫している、という話があり、だいたいそれで返っているようでした。しかし、この議論については、さらに翻って、このような工夫をすることは刑事裁判にとって本当によいことなのか、という問題提起もなし得るところです。すなわち、行為に対する適切な処罰という量刑判断の点からすれば、死体の写真はイラストではなく、凄惨な写真そのもので見なければならないとも考えられますし、犯行について記録された録音だって、否認事件であれば、その中に弁護人の主張を裏付ける何かが入っているのかもしれません。それらを「代替物」に置き換えるということは、程度はともかく、証拠裁判主義の観点からはマイナスに評価すべきということは言えるかと思います。
戦略的な肯定側であれば、メリット1で裁判員の負担を言っておいて、メリット2で審理の圧縮を述べ、メリット1に証拠置き換えの反駁が来たらそれをメリット2に交差適用して伸ばすということも考えられるかもしれません。
また、裁判員の負担という点では、大型否認事件での長期審理というのも問題で、裁判員の負担に加えて、そういう事件を審理できる人は限られるということで裁判員の偏りも議論できそうですが、長期事件を対象犯罪から外す法改正がありそうだということですのでこれは難しいのでしょう。

裁判員裁判で量刑がおかしくなるという議論もありました。ただ、これについても、見ていると裁判員裁判の量刑判断には理由のある一定の傾向があるようで、それはおかしなものではないという話でそれなりに落ち着いているようです。これに対して、単純に厳罰化はダメだとか言ってみても、なかなか厳しかろうという気はしております。むしろ量刑の議論をデメリットで論じているチームもあり、そちらのほうが説得的な気もしました。
量刑不当の問題を説得的に議論するためには、裁判員固有の問題を明快に指摘する必要があるでしょう。たとえば、裁判員は犯罪慣れしていないので感情が高ぶって量刑を重くしがち(?)とか、試合でも時に見かけたアスペルガー症候群に対する差別的な量刑などの問題を指摘することが考えられます。そういう議論なくして、裁判員ごとにぶれがあるとか、刑が重くなるとか言ってみても、なかなか厳しいものがあります。裁判官だって、完全にぶれがないかというとそういうこともないと思いますし…。

裁判員裁判で審理が圧縮されるという議論は、決勝の東海高校ほか、多くのチームで採用されていました。この議論についても、裁判員裁判固有に何がどういう理由で圧縮されるのかということをもっと明快に論じてほしかったように思います。また、それが結果にどう影響するのか、影響しないとしても重要だとすればそれはなぜか、といった部分についてもさらに詰める余地はあったのではないかと思います。
また、上でも少し書いてますが、審理の圧縮という話は、検察官にとってもマイナスに働きます。試合でも見たことがありますが、検察官が裁判員裁判対象事件で起訴を控える原因として、間接事実に対する裁判員の評価が厳しいということがあるようで、これは、様々な証拠から間接事実を積み上げて有罪を立証するという複雑な証拠構造の事件では、裁判員がうまく判断できないので、有罪を認定してもらえず、したがって、検察官としては有罪だと考えるものの、公判を維持できないということで起訴はしない、という事態も考えられるわけです。無論冤罪は絶対に避けねばならないわけですが、だからといって有罪とすべき者を有罪にしないのもよくないわけで、たとえばそれが覚せい剤密輸であっても、きちんと処罰しないことで覚せい剤が蔓延し、たくさんの人の人生を狂わせかねないのです。
上記観点からすると、起訴率が下がっているという、よく見る議論は、実は審理の圧縮が反映した結果だと見ることも可能です。また、否定側がよく取り上げる、覚せい剤密輸関係で無罪がよく出ているという話も、覚せい剤密輸は間接事実から故意を認定しないといけない、難しい事件なので、裁判員だと有罪にできないからではないか、と見ることができます。

上記のような議論がさしあたり考えられますが、これらの議論を通観する視点として、裁判員制度を廃止すべき、すなわち、裁判官裁判にすべきだということの理念的な根拠も挙げていただければ、なおよかったと思われるところです。職業裁判官が判断を行うというシステムが望ましいのだという大前提があって、その上でメリットが展開されていけば、より説得的な議論展開になったのではないかと思います。
これは否定側にも言えて、市民が司法に参加することの意義を論じたうえで、それがデメリットとして具体化している(あるいはメリットへの反論になる)という形が取れれば、より強い否定側の立場を構築できたはずです。

否定側の議論
否定側の議論では、決勝戦でもそうだったように、裁判官の方が誤判を防げるといった問題が主力のようでした。その理由としてはいろいろあがっておりましたが、流行の議論は、裁判官が有罪慣れしているのに対して、裁判員は無罪推定の原則に忠実だというもののようです。
有罪慣れの点について言えば、確かに裁判官が書く判決のほとんどは有罪であるものの、それは大部分が自白事件or明らかに被告人弁解に理由がない事件であり、否認事件に限れば、有罪慣れで何も考えずに無罪にする、ということはないように思います。判検交流というものもありますし、検察官への信頼というのはもしかしてあるかもしれませんが、それが有罪に直ちにつながるかは個人的に疑問です。ただ、資料レベルでは裁判官がやばいという話がよく出てくるので、試合ではそれを評価して「裁判員のほうが無罪推定に忠実」と取ることも多かったところです。
中には、無罪判決を書くと出世に響くといった議論をしているチームもあり、確かに出世に響くとなると無罪を出したがらない(が裁判員にすれば言い訳ができる?)かもしれませんが、実際にそんなことがあるのかは謎です。上訴審で取消・破棄されると評価でマイナスになる可能性があり、無罪判決は検察が必死になって控訴すると思われるので、それで結果的に取消が多めになり、評価に響くということはあるかもしれませんが、無罪判決それ自体が裁判所の評定でマイナスになるのかはよく分からないところです。統計的な分析をしてこの点を論じた論文があった気がしますが(確かRamseyer教授のもの)、内容は忘れてしまいました。

裁判員が加わったほうがよいという話をする上では、裁判官の問題点とともに、それと対比しての裁判員の優位性も同時に論じることが望ましいところです。裁判員は一回きりの判断なので新鮮で真摯に判断するという話があり、それはそれで評価し得る話であろうとは思います。正直なところ、裁判員の社会経験がどうという話は説得力を感じないところがあるのですが(決勝で出てきた証言の信用性云々の話も、質疑で突っ込まれていた通り、どういう経験が生きてどう判断されたのかよく分からない)、裁判官と裁判員との評議においては、裁判官同士であればわざわざ言語化しないような問題についても説明し、意見を交換することで、思わぬ発見がある可能性は否定できないのかもしれません。
ディベートの議論的に言えば、裁判官だけよりも裁判員がいたほうがよいのだということをきちんと示す必要があり、逆にそれが示せればデメリットは一応残りますので、裁判官のマイナス、裁判員のプラスを両方論じて、裁判員を除くよりは残しておくほうがよいということをきっちり説明する必要があるとは思います。

決勝戦の感想
決勝戦についてはチャペルで生で見たので、少しだけ感想を書いておきます(動画はこちら)。

個人的には、実際の多数意見とは異なり、少数意見である肯定側を支持するところです。
メリット2については、審理の圧縮が論じられているところ、これに対する反論の1である長期審理は裁判員裁判から除外されているという点については一部を除外しているだけですし、そもそも長期審理を裁判員裁判から除外する趣旨は審理の圧縮を防ぐためではないと思われるので、メリット2への反論になっていませんし、公判前整理手続は審理そのものではないので証拠を減らされているという話には当たっていません。もちろん、これらの指摘をまったくできなかった肯定側第一反駁にも多大な問題があることは確かです(さすがに時間配分のバランスが悪すぎです。わかっているとは思いますが…)。
デメリットは、肯定側が裁判員がより無罪推定原則に忠実だということを争わなかったのはどうかと思いますが、メリット2への反論を逆用しつつ、裁判員は裁判官に誘導されて結局同じ結果になるという反駁をしている点は有効だと思いますし、裁判員が入るとより悪い点もあるという議論もありますし、無罪推定の強い裁判員がいなくなることから冤罪が起こるということにも若干の飛躍があることに鑑みれば、メリット2を上回る問題があるとは考えられないように思われる次第です。
ただ、東海もかなり失策していることは否めず、割れ得る試合であろうと思います。初出場で強豪の東海高校その他の難敵を退け、優勝された熊本マリスト高校の皆様には敬意を表したいと思います。

この試合も含めた教訓としては、相手の議論に対応する形での反論をきちんと行うということ、そして何より、そういう筋の外れた反論をされた際に、外れていることをきちんと指摘するということです。
決勝戦でも否定側の反論は上記のとおり当たっていませんでしたし、もう一つの熱戦であった準決勝の関西創価-東海戦も、例えば、「裁判官の意識が偏っている」という東海のデメリット(決勝のマリストに似た議論)に対する関西創価の反駁で「裁判官は誤判事件で反省している」とされていたのは、ストーリー的に外れており当たっていませんでした。そういうずれが看過される試合がどうも今シーズンは多かったように思われますが、そういったところを含めて、自分たちの議論が残っている理由、相手方の反論が排斥されるべき理由をきちんと述べられるようにすることが、厳しい試合を制する一歩なのだと思います。

といったところで高校論題の感想を終えます。
最後、稿を改めて、即興ディベートの感想と、今大会の全体的な感想を記す予定です。
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