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アカデミックディベーター

Author:アカデミックディベーター
日当たりの良い某法科大学院を2009年3月に卒業。
ライフワークである競技ディベートについてぼちぼち書いています

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瀧本哲史氏の逝去について
2019年8月10日、全日本ディベート連盟(CoDA)代表理事や全国教室ディベート連盟(NADE)副理事長を務められていた瀧本哲史氏がご逝去されました。
瀧本氏は、ディベート業界のみならず、投資家、大学教育、著述業など多面的に活躍されており、死後著されたいくつかの評伝もそういった観点からの内容がほとんどでありますが、当ブログでは、瀧本氏に一高東大弁論部や上記団体の活動の中でお世話になった立場から、ディベート業界における瀧本氏の在りし日の姿や功績をお伝えしようと思います。個人的にも親しくさせていただいており、なお訃報のショックから抜け出せないところもあるのですが、瀧本氏の残してきたものを振り返ることは、今後のディベート業界の発展にとって意義あるものだと思いますので、本来執筆を予定していたディベート甲子園の議論検討等に先立ち、本稿を公開するものです。

以下では、普段の呼び名である「瀧本さん」――先輩後輩や年齢の別を問わず、敬称を好まない方でしたので、お互いにさん付けで通していました――と呼ばせていただきます。また、本記事の性質に鑑み、筆者の本名による署名記事の形を取ることにします(そもそも当初から匿名性はあってないようなブログですが)。とりとめのない文章になっており、瀧本さんにもイマイチだと言われてしまいそうなのですが、どうぞお許し下さい。

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私と瀧本さんの出会いは、私が大学一年生の秋頃、一高東大弁論部(弁論部)の代表としてCoDAの新任理事に就任して出席することになった理事会の場でした。弁論部に瀧本哲史という異才がいたということは、OBの某政治家を勉強会講師で呼び出した上でボコボコに論破したとか、一年生の頃からあまりに論が立つため本郷から鎮圧部隊が送り込まれたが返り討ちにしただとか、様々な逸話を伝え聞いており、いったいどんな人間なのだろうと思って半ば恐れていたのですが、実際に会ってみると、油断ならない雰囲気をまといつつも、温和な印象の方で、安心しました。瀧本さんから、天白さんが高校時代作っていたディベート部のウェブサイトは前から見ており、大学ではいずれ声を掛けないといけないと思っていたということを聞き、多忙にもかかわらずそんなものまで見ていたのかとびっくりしたことを覚えています。
当時の日本語ディベート業界は、CoDAの主な活動対象であった大学ディベートにおいては、規模の上でも議論水準でも先行するESSの英語アカデミックディベートの後塵を拝しており、中高生を参加者とするディベート甲子園が中心的な世界でした。そして、そのディベート甲子園を主宰するNADEは、当初設立時の教員や英語ESSのOBを中心とする運営であったところに、「野心の強い」者を含むディベート甲子園経験者の大学生が加わり始めたことで混乱が生じはじめており、乱世の様相を呈していました。私も、大学生となり、そのような厳しい現実を何となく察しつつあったところですが、瀧本さんは、論理を扱うディベート業界が非論理である属人的しがらみによって閉塞状態であることを明快に(それこそBY NAMEで)指摘した上で、どうやって組織を健全化し、意義あるディベートを普及させられる体制になるのかということを熱弁しました。そのために天白さんにも秘密組織であるCoDAでミッションをこなしてほしい、と煽られ、今日までCoDA理事を継続するに至っています。

その後、CoDAの業務に関連して、瀧本さんとお話しする機会が多々ありました。瀧本さんは博識でしたが、それ以上に、ある事実からどんな教訓が導かれるのか、ある事例を目の前の問題に適用するとどうなるかといった、知識の活用や発想という面において、私がこれまで話したことのある人間とは異質の次元にありました。東大に入学して以来、自分よりよく勉強している人間、何かに通じている人間は、同期や先輩、教授など数々接する機会がありましたが、自分とは見えている世界が違うのだなと思わされた人間に出会ったのは、瀧本さんがはじめてでした。
瀧本さんは決してお酒を飲まれなかったのですが、クランベリージュースを片手に、周りの酔客よりもテンション高く、ビジネスの話からディベート業界の未来の話、人生設計についてなど、様々な話題について、鋭い分析を伴う機知に富んだ話をされていました。

私のCoDA(及びNADE)における役割は、運営というより、ディベート実践の経験を生かした講座やジャッジの管理、ルールやマニュアルの整備といった分野でした。個人的に、ビジネスやマネジメントといった側面に疎く、興味も薄いところがあったため、瀧本さん風に言えば「武官」として、ディベーターの立場から組織運営に関わってきました。
瀧本さんも、学生の頃は気鋭のディベーターとして活躍してこられましたが、CoDAやNADEにおいては、前線に赴くのではなく、大本営で組織設計をする立場にありました。ただ、瀧本さんも、時折ディベーターとしての血が騒ぐことがあったようで、飲み会で議論の話をしていると、こういう議論が面白いのではないかと乱入してくることもありましたし、私が法科大学院に入学してから、訴訟法の理論を応用してディベートの議論規律を考える試みを行っていたことについて、面白いことをやっているじゃないですかとメッセージをくれたりもしました(昔同じようなことをやっていたようです。)。時折ジャッジが足りずに主審で入った際には、ディベーターとしての鋭さを遺憾なく発揮して、簡にして要を得た講評をされていたことが思い出されます。
そんなこともあってか、武官である私と瀧本さんは、ディベートに対する思いが似ているところがあったのではないかな、と勝手に思っています。以前に一度、瀧本さんから、おそらく冗談でしょうが、一度天白さんとJDA(社会人も参加する日本語ディベートの最高峰の大会)に出たら面白いかもしれませんね、ということを言われたことがあります。瀧本さんの性格からして、原稿作りなどの作業はほとんどやらないと思われるので、負担が重すぎて現実には厳しいところでしたが、一緒に大会に出る機会があればかなり面白い暴れ方ができたとは思いますが、今となってはもう叶わないのが残念です。

瀧本さんは、世の中には理屈では動かないことが山ほどあるということを認識した上で、それを変革し、合理的な世界を広げていこうという熱意に溢れた人間でした。瀧本さんがそのために社会に残した「武器」の一つが、『武器としての決断思考』です。この本は、今ではディベートという文脈を超えて社会に受容されたベストセラーとなっていますが、その内容は、競技ディベートの基本的な考え方を現実の意思決定に当てはめるためのマニュアルであり、瀧本さんがCoDAで話していたことのエッセンスです。
この『武器決』が世に出る前、瀧本さんが、ニコニコ動画でディベートのセミナーを行うことになりました。セミナーの内容は、私が過去に準備した講座を含む、CoDAで蓄積してきたノウハウをまとめたものですが、それを瀧本さんが世に出してくれたことが、『武器決』の出版にもつながり、ひいては、ディベート的思考の普及に大いに役立ったものと理解しています。瀧本さんは、当初キャラクターを表に出さない形で活動していましたが、その方向を変えて、ニコ動出演など、精力的に、ディベートを含めた情報発信を行われるようになりました。ニコ動セミナーでは、私が冗談で提案したアニメを元ネタとする台詞を(おそらく元ネタを全く知らないのに)採用してくれたりと、かなり思い切った内容で暴れて好評を博していましたが、今思えば、なかなか思うように広まらないディベートを世の中に普及させるために、身を切って宣伝されていたのでしょう。

合理的な世界を広げたいという瀧本さんの熱意は、ディベート関連の組織運営においては、真っ当な議論を真っ当に行える環境を作るということに向けられました。属人的な運営を脱し、互いに尊重し合える組織作りのため、理事会の後に新宿の月の雫で夜遅くまで語り合い、その中で大小合わせて様々な「決断」が行われました。
組織作りのために瀧本さんと取り組んだこととしては、人事関係の刷新や、いわゆる大御所の態度変容を促すための小芝居などがありましたが、瀧本さんが強調されていたことは、スタッフを尊重し、理想を共有して仲間になってもらうということでした。そのために、瀧本さん自ら、柄にもなく新規スタッフへの挨拶回りに行くようなこともありました。瀧本さんは気位が高い人間ではありましたが、必要であれば平然と頭を下げ、悪役を引き受けることも厭わず、間違いがあれば素直に認める方であり、だからこそ、私を含めたディベーターも、瀧本さんと理想を共有して、ともに活動していくことができました。
もちろん今でも改善の余地はありますが、私がCoDA理事に就任した頃と比べて、大学生や若手の社会人がディベート大会の運営にかかわるためのハードルは格段に下がり、ジャッジとスタッフの間の不合理な格差(昔は理由のない「上下関係」がありました)も撤廃され、組織の風通しも随分よくなったというのが私の実感です。大会運営を支える優秀なスタッフも数多く育ちました。そうした変化の少なくない部分は、瀧本さんの存在がもたらしたものです。

瀧本さんがディベート組織の活性化・健全化に心を砕いたのは、ディベートの可能性を信じ、ディベートの普及により社会をより善くしていくことができると信じていたからです。ですから、瀧本さんは、ディベートの試合が実社会から遊離し、不毛な議論が行われることを、何よりも嫌いました。私自身も、ディベートの教育的価値を信じ、「いちごT」(論題の文言の一部分に辞書からとってきた関連性のない定義を紐づけ、不合理な論題解釈を導こうとする議論)を批判するなどしてきたのですが、このような姿勢も、瀧本さんの影響を強く受けたものです。
2009年頃、私の問題意識は、英語アカデミックディベートにおいて蔓延していた「いちごT」をはじめとする無意味な議論に向けられており、当ブログでも取り上げて英語ディベーターと論争していたのですが、瀧本さんは、私の問題意識を受けて、JDA-ML(英語系ディベーターも含む学生・社会人ディベーター向けのメーリングリスト)に問題を提起する爆弾を投下されました(こちら の記事で冒頭紹介したもののことです。)。それは半分、瀧本さんの「お茶目な」一面の発露ではあったのですが、日本語ディベートコミュニティの内外を問わず、意味のない議論によってディベートの意義が損なわれていることが許せないという瀧本さんの正義感の表れでした。
瀧本さんが同様に心配していたのは、ディベーターがディベート活動での成功体験に囚われ、ディベートから離れたキャリアを上手く築くことなく終わってしまうことでした。ディベートという競技は、規模の小ささや競技の特性から努力を重ねることで比較的容易に高い成果(大会の結果)が得られてしまうことや、「ジャッジが話を聴いてくれる」という現実では難しい前提が保証されていることなどの事情から、ディベートに嵌り込んでしまい、ディベートを自分の人生に活かすのではなく、ディベートの中でのみ自分を活かそうとする選手が、残念ながら少なからず存在します。瀧本さんは、優れた選手には、ディベート能力を向上させることだけでなく、その能力でどうやって自分の人生を切り開くのかということもまた期待されているという立場から、進路に悩むディベーターへのアドバイスや助力を惜しまない一方で、ディベート大会での好成績を人生のベストスコアとして吹聴し続けるような人間にはとりわけ厳しい態度を取られていました。
もちろん、こうした厳しさは私にも向けられたものであり、瀧本さんに会うことになるたび、いつも「天白さんの近況はどうですか」と聞かれるのですが、はかばかしい成果が出ていない時には容赦ないレスポンスを受け、やることをやらなければと反省しきりでした。

ここまでのエピソードからも伝わっていればよいのですが、瀧本さんは、誰よりもよく人を見て、コミュニケーションに時間を割かれていました。多忙な瀧本さんは、何も起こっていない平時に現れることはほとんどありませんが、炎上し、困っているときには、時間を作って面倒を見てくれました。目的が「事業」であったり「社会」であったり「人」であったり様々であろうものの、自分がどうしたいかということではなく、何が求められているのかということを常に優先して考え、行動するのが、瀧本さんという人物であり、その思いやりと責任感に、ディベート業界でも多くの人が救われてきたところです。
個人的にも、私が司法試験に失敗して落ち込んでいたときに、瀧本さんから私信で励ましの連絡と今後の勉強方針のアドバイスを受けたことや、激励会を開催していただいたことは、本当に心の支えになりました。半面、合格後に挨拶しても、瀧本さんは「当然でしょう」といった感じで素っ気なかったのですが、後は自分でうまくやれるでしょうという、信頼の表れなのだとうれしく思ったものです。
そのような精神的な支えでもあった瀧本さんを失ったことは、ディベート業界のみならず、私を含めて、これまで瀧本さんにお世話になってきた数々の人間にとって埋めがたいものではあるのですが、残された我々が、瀧本さんに代わる他人の支えとなれるよう、各自の道を極めていくことが、瀧本さんの思いであるはずです。それはとても難しいことですが、瀧本さんが生前からずっと言われてきたことでもあるので、私自身の宿題として、粛々とこなしていくことにします。

現在、ディベート業界は、必ずしも景気のよいものとは言えない状況にありますが、その社会的な意義自体は、些かも衰えていません。もちろん答えは一つでないのですが、瀧本さんの訃報を契機として、今一度、何のためにディベートに関わっているのか、ディベートを通じて自分の将来や社会をよくしていくにはどんなことができるのか、といったことを考え、行動することができれば、瀧本さんが信じたディベートの可能性を生かすことにつながるはずです。関係者各位におかれては、この機会に、少しでも考える時間をお持ちいただけると嬉しく思います。
また、ディベート業界が発展を遂げ、社会にとって有為な成果をあげるためには、構成員を互いに尊重していくことが不可欠です。これは、議論の前提としても欠くことができない要素であり、私が瀧本さんから学んだことでもあります(私自身は修行が足りず、不器用な形でしかリスペクトを表現できないところもあるのですが…)。昨今、JDA-MLにおいて、現役世代への経緯を欠いたやり取りが散見されたこともありましたが、ディベートという競技にともに取り組む仲間に対してどう接するべきかということも、この機会に考えていただければ、瀧本さんへの手向けになると思います。

最後に瀧本さんへ。昨年連絡を受けて、私が個人的に作成したディベートのテキストを献本しましたが、その時約束していただいたお礼の食事をまだご一緒できていません。かなり先まで持ち越しになりそうですが、宿題を持っていずれ伺いますので、その時までに満漢全席を用意しておいてください。

愚留米こと天白達也



[2019/8/20 23:50追記]
瀧本さんが本ブログにコメントを残してくださったことがあったのを思い出し、見てみたところ、瀧本さんの人となりが出ている内容でしたので、紹介します。ディベート指導の在り方について取り上げた2017年5月7日の記事に対するものです。

「演劇主義」を最初に公式に問題提起をした者です。
実際のところ、人にアドバイスをするというのはどういうことなのか、というのは、それ自体結構深遠な問いかけで、今回のいちご姫さんの問題提起にはとても意義深いものだと思いました。
例えば、下記の文献が有名です。
人を助けるとはどういうことか 本当の「協力関係」をつくる7つの原則 エドガー・H・シャイン http://amzn.to/2qGd2rS
 " 「支援」とは、「押し付け」の支援ではない。あくまで、相手の成長につながるプロセスをともにする"
というのがキーメッセージなのですが、最近の「支援」に関する考え方を踏まえており、様々な「支援者」に考えて頂きたいと思っています。



ここでいう演劇主義とは、指導者が選手に原稿を読ませて勝たせようとする指導の在り方を揶揄したものです(瀧本さんのネーミング)。指導と言いながら、選手がディベートを楽しみ、学ぶことを考えるのではなく、選手を道具にして自分の承認欲求を満たそうとする行為を、瀧本さんは決して許しませんでした。瀧本さんの考えには私もまったく同意するところであり、私がジャッジや指導者として選手に向き合う際に、一番気を付けなければならないことだと考えています。
瀧本さんの「支援」は、まさに、相手の成長や成功を願って、というより、半ば責任を持ってコミットするものであり、それだけに厳しさも格別のものがありましたが、社会に出て後輩を指導する立場など経験し、そのような態度をとることの大変さを実感した今、瀧本さんの偉大さを改めて感じる次第です。
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