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アカデミックディベーター

Author:アカデミックディベーター
日当たりの良い某法科大学院を2009年3月に卒業。
ライフワークである競技ディベートについてぼちぼち書いています

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第24回ディベート甲子園の感想(2.高校論題)
間が開いてしまいましたが、ディベート甲子園高校の部(FN規制論題)についての感想を述べていきます。東海-創価の決勝戦のほか、東海-聖光学院の準決勝①、創価-渋幕の準決勝②も題材に、より深く議論できたと思われる点へのコメントを中心とします。
今季論題は難易度が高く、その中で選手の皆様はよく議論を展開されていたと思いますが、そういうことは全国の各講評で言われ慣れていると思いますので、ここでは割愛して、厳しめの内容とさせていただきます。

1.プランについて具体的に考えよう
今季論題では、FNをどのように規制するのか、という点でいろいろなプランが提案されていました。地区予選も含めて私が見た試合では、第三者機関を作ってファクトチェック(FC)させるとか、裁判所に機関を構成させるとか、AIにFCさせるとか、様々なプランが出てきました。これらは、解決性を出すため、あるいは想定されるデメリットを防ぐために出されているものですが、本当に機能するのかということについて、いくつかの次元で考えるべきポイントがあります。

まずは、そもそも具体的にどんなものを想定しているのかよく分からない、ということがあります。FC機関を作って処理させるというプランで、解決性の議論で「きちんと機関を作るので問題ない」と主張したりするチームがあったのですが、そもそも、その機関はどの程度の規模なのでしょうか。FCの専門家で構成するといった話をするチームもありましたが、FC専門家とはどういう人で、日本に何人くらいいるのでしょうか。AIにチェックさせるというプランも見ましたが、どんなAIなのかも分かりませんでしたし、AIを参考にするのか、それともAIが最後まで判断するのか、というのも謎でした。すべてを細かく確定しなければならないわけではないですが、ある程度イメージを持てる説明ができないようなプランを出しても、試合で役に立つはずがありません。
関連して、実現可能性があるのかという問題もがあります。以前見た試合で、質疑の結果、1万人規模(!)のFC機関を作り、弁護士や学者で構成するというプランだったことが判明したことがありましたが、弁護士は日本に4万人程度しかいませんし、そんな謎の機関に入りたがる弁護士は100人もいないでしょう。学者の数はもっと少ないのではないでしょうか。そもそも、FN対策だけのために1万人規模の機関を作るということ自体アンバランスだということに思いを致すべきでもあります。

上記のような問題は全国大会ではさすがにクリアされてきていますが(試合で意味をなさないことに気づいたのでしょう)、プランの具体的な執行過程については、もっと突っ込んだ考察が欲しかったところです。
例えば、準決勝①の東海肯定側立論は、通報を受けたのにFNを削除しなかった事業者に罰金を科すというプランですが、否定側質疑で「誰が事業者の義務違反を判断するのか」と聞かれたことに対して、「裁判所が判断する」と回答されています。間違いではないのですが、裁判所は起訴された事件についてのみ判断するのであって、起訴するかどうかは裁判所が判断するものではありません。事業者が義務違反したといって逮捕したり取調べをしたりするのは警察や検察で、そこで義務違反があり起訴すべきと検察が判断してはじめて、裁判になります。否定側がこのあたりの質問をしたのは、間違った/偏った判断がされる、という話につなげたいからだと推測されますが、そうであれば、裁判所に持っていく過程で政府側の意向を汲んだ警察・検察(行政)が絡んでくるということは是が非でも確認すべきところであり、それを確認しないのでは質疑した意味がありません。
同じ例で続けると、否定側質疑からは「裁判所がFCするんですか」といった質問が出ています。これに対する応答は「通報後7日以内に削除したかどうかを見る」といった回答が出て、否定側はなぜかそのまま「7日間はFNが残るのではないか」という別の話題に流れていってしまったのですが、このやり取りからは、質疑の狙いが謎ということと、肯定側の説明もずれている、という2点の問題が指摘できます。後者から説明すると、肯定側が説明すべき「正しい審理の在り方」というのは、検察官がFN非削除という義務違反があったことを立証する証拠としてFCの結果などを提出し、弁護人が逆にFNであることを否定する証拠などを出し、それに基づき裁判所がFN認定も含めて判断する、ということになるはずです。肯定側の立場からは、裁判の場でFNかどうかを争えるので不当な処罰は防げる、という主張につなげたいところですし、否定側の立場からは、判断するのはFNに必ずしも詳しくない裁判官であることを確認するとか(それで判断できないということになるのかは疑問ありですが)、審理に時間や負担がかかるということを確認して萎縮の議論につなげるとか、そういった話になるのかと思いますが、結局、プランの具体的な執行過程はよく分からないままでした。せっかくプランを問題とするなら、そこまで踏み込まないと意味がないです。
なお、具体的な執行過程については、準決勝②の創価の肯定側立論が詳細に述べており、これは現実に即した内容となっています。ただ、24時間以内の削除義務というのは、結構きついように思いますが…。

2.反駁にストーリーをもたせよう
今季論題で全体的に残念だったのは、ストーリーのある反駁が少なかったように思われることです。色々とそれらしい反論は出ていますが、立論と関連付けた議論とか、いくつかの議論が組み合わさってまとまった形として展開される反論が少なかった、ということです。主に、相手のメリット・デメリットに対する反論を検討すると、そのあたりが見えてきます。

準決勝①から見ていきましょう。
否定側第一反駁の話は、大きいところとして、(1)公選法でも規制されているので新たな規制領域は国民投票だけ、(2)ドイツのSNS法はFN以外も規制しているので解決性の話がどこまでFNに関係するのか不明、(3)FN規制には時間がかかるので投票に間に合わない、(4)規制しているドイツでもFNが出回った、(5)事業者が規制を恐れてオーバーブロッキングする(ターンと称していますがデメリットにつなげる話なのでターンかは微妙)、というものでした。(1)(2)はたいしたインパクトがなく、(4)も削っているだけの話です。どうせ(1)のような話を撃つなら、公選法でも防げていないということを強調し、せめて発信者が逮捕されていればFCの有効性がありそうだが、そもそも動いていないということはFC自体機能していないのでは、といった話まですればよかったかもしれません。反論として骨があるのは(3)(5)ですが、(3)はそれだけで「全部消せないので意味なし」ということになるのか疑問であり、他の議論を組み合わせていかなければ、投票理由として心もとなさすぎます。悪意あるFN発信者は抑止されないしFNも巧妙悪質化している
、といった議論を組み合わせるだけでも違ってきます。(5)は、実質デメリットの繰り返しなので、反論として機能させたいなら、重要性にアタックして、仮にFNが若干減るとしても、情報の総量が減るほうがよくない、といった議論を付加する必要があります。メリットがデメリットの存在によって裏返る、ということを言わないとターンにはなりません。
これに対して、肯定側第一反駁のデメリットへの主だった反論は、(1)ネット以外の報道機関も権力を監視している、(2)報道機関は萎縮しない、(3)香港の例はメディアの自由がないから問題になった特殊な例、というものです。これは、いずれも、報道機関が監視するので問題にはならない、という議論で、これは一貫していて面白い議論です。ただ、デメリットで言われているネットの萎縮自体は否定できていないので、かなり危ういところがあります(実際否定側第二反駁にもそうやって引っ張られてしまっている)。デメリットの筋にも何らか反論をしておくべきところだったでしょう。特にオーバーブロッキングのところは実質的な反論をすべきでした。

準決勝②についても見ていきます。
否定側第一反駁の主な議論は、(1)対抗言論がFNに負ける理由がよく分からない、(2)肯定側の例は怪しい例だけを取り上げたもので、言論空間全体が問題だということは言えていない(クレームが分かりにくく最後まで聞かないと趣旨が取れないのが残念)、(3)FN犯人の特定が技術的に難しい、(4)DL違法化の例でも悪意ある確信犯には抑止が働いていない、(5)FNが氾濫すると法規制を防ぐためマスコミが自らFCに乗り出す、というものです。このうち(1)はダウト、(5)は今どうなっているのかも疑問ですし、いきなり出てきた印象で、時間が余った?のでついでに述べた感がありありと窺われます(デメリット冒頭の対抗言論の動きだということなのかもしれませんが、ならそう言ってくれという話)。判定上も考慮は難しいでしょう。(2)は悪くない指摘なのですが、投票理由につなげるのであれば、むしろほとんどの言論は健全だ、というところまで整理して、デメリットとの比較につながる議論にすべきです。第二反駁ではそのようなスピーチになっていましたが、第一反駁からそのような議論をもっと打ち出し、できれば関連するエビデンスも読みたかったところです。(3)(4)は、別々の反論という感じで出ていましたが、これも関連させつつ、悪質なFNは強い動機に支えられているという分析を最初に入れた上で、(4)→(3)、といった順序でスピーチすれば、全体として言論空間は健全だという話とも関連させて、取り締りたい例は取り締まれず、全体的に萎縮するだけ、といったストーリーにできます。そこまでやっていけば、対抗言論のほうがよいという反論(否定側立論最初の分析だけでは弱いが…)も生かして、全体的にメリットを潰していけそうです。
肯定側第一反駁のデメリットへの主だった反論は、(1)フランスのFCの話はどう機能していたのかも日本で機能するのかも不明、(2)リツイートと内部告発の関係が不明でありプラン後も内部告発はできる、(3)根拠を持った責任ある表現でないと保護に値しない、といった話です。(1)については、メリットにも関係する議論なので、プランを取るべき理由(FCだけでなく規制を設ける必要性)まで踏み込んでいきたかったところです。(2)と(3)もごもっともなのですが、ここは(3)を起点にして、自分たちが規制しようとしているのがどういう領域であるのか、否定側が主張する「有益なのに萎縮する言論」がどこまで規制領域に入るのか、きちんと理由を持って表現することが期待できるのではないか、といったことを丁寧に論じていけば、メリットとも関連させつつ、デメリットの筋を否定していくことができたのではないでしょうか。

最後に決勝戦について。
否定側第一反駁の主な議論は、(1)EUの例でFNは事前に暴かれており、騙されて投票した人はほとんどいない、(2)日本では対抗言論でデマは淘汰されている、(3)処罰されることが認識されなければ規範意識はできない、(4)FCに時間がかかるので処罰可能性が低い、(5)見抜きにくい混合タイプのFNが流れるようになる、(6)肯定側の例は混合タイプの話をフォローしておらず、実際に移民問題でそのようなFNが残っていた、というものです。(1)と(2)は別々の議論として出されていましたが、これは関連する議論で、そもそもFNを規制すべき必要性がどれだけあるのか、という観点の反論として展開すべきでした。準決勝②の渋幕の議論を参考にすればよかったのに、という話です(こういうこともあり、サイドで反駁者を変えるのは勝負的にはあまりよくないと個人的には思います。)。(3)と(4)は関連する議論として出ていましたが、処罰可能性というのはすぐ捕まるという意味ではないと思いますし、それを言うなら、本当に検察がリツイートした1万人なり全員を起訴するのか、という話のほうが真に迫っている気がします。規範意識の話は萎縮のデメリットにも関連するのですから、否定する方向で持っていくのではなく、悪意ある者には意味がない、という観点の反論のほうがよかったのではないでしょうか(だから渋幕のスピーチを参考にしていれば…)。そのほうが(5)(6)の話にもつながっていきます。(5)(6)は良い議論であり、デメリットとも関連させて、良識的な人は萎縮し、悪意ある人は悪質な混合タイプのFNで暴れ続ける、という世界観を押し出せていければ、議論の展開としてかなり厚みが出たと思いますが、今回の試合では、単にいい資料持ってるなーというだけで終わってしまった感があります。この「いい資料」に肯定側が返せず、メリットが死んで肯定側が倒れた、というのが決勝戦の要約となります。
肯定側第一反駁のデメリットに対する主な議論は、(1)ネット以外のマスメディアが問題提起する、(2)保育園ブログの前にクロ現で報道があった、(3)ネット世論は極端で社会一般とはかけ離れておりどうでもいい、(4)保育連の例も反対の人が多い、というものでした。(1)(2)の話は、クロ現だけでは話題になってなかったわけで、むしろデメリットを際立たせている感があります。(3)(4)は苦しすぎで、これを取るジャッジは立教大の会場を探しても一人もいないでしょう。ネット世論が萎縮しても問題なし、という筋悪極まりない議論で2枚資料を読んでコンボ?を決めても何の意味もありません。否定側第一反駁にも完全には返っていないので、肯定側第一反駁の終了時点で試合は終わっているということになります。

以上のように、個々の議論を見ていくと、個別には機能する良い議論もあったのですが、同じ方向性の議論をまとめて争点を形成したり(例えば、FN規制の必要性、という切り口だったり、FN規制の実効性、という切り口だったりする)、反論を自分たちのメリットやデメリットと関連させたりといった形で、ストーリーとしてもっと議論を盛り上げることができたのではないかと思われる点が多々ありました。第二反駁では工夫してスピーチしているところも見受けられたのですが、そもそもの弾の出し方が練り切れていないので、そもそもまとめを取りにくいということもありますし、もっとダイナミックなまとめができたはずなのにそうなっていないという試合が多く、結局、個々の反論が残った残っていないというレベルで判断がついてしまい、スピーチの白熱度合いにもかかわらず「面白みに欠ける」結果になってしまっています。選手の皆さんの中では色々と考えているのだろうとは思うのですが、それが反論の積み上げ方に反映されていない、という印象です。

3.今季高校論題でもっと論じられてもよかったこと
今季高校論題の決勝、準決勝の感想は主に上記2のとおりです。立論は総じて良くできていたと思いますが、そこからの展開にもっと可能性があったのでは、ということを思った次第です。もっとも、今季論題は、今年の司法試験憲法の問題にもなっているような高度なものであり(問題はこちらの第1問、出題趣旨はこちら。出題趣旨は憲法の判例や基本的論点を知らないと意味の分からない記載もあるでしょうが、皆さんが考えてきた問題が法律家登用試験――極めてレベルの高い出題です――に出てくる最先端の課題だということが実感できると思います)、それに正面から挑まれた皆様の努力と熱意には敬意を表します。
その上で、さらにこのような点について議論ができたのではないか、ということを二、三指摘して、今季大会の総括とさせていただきます。

FN規制と表現の自由
FNが問題である理由や、FNの規制が表現の自由に及ぼし得る影響については、各チームで深い考察がされていました。決勝や準決勝を見ても、FNにより表現の自由の場が荒らされ、「思想の自由市場」を保護するために規制が必要だという観点(準決勝②の創価の議論)や、逆に思想の自由市場を保護するため自由に委ねるべきであるとの考え方(準決勝②の渋幕の議論)、政治的表現にFN規制の影響が強く及ぶことの指摘など、水準の高い考察が多々見られました。
ただ、上記2でも指摘したところですが、これらの価値観に基づいて個々の議論を展開していくというところまでは至っていなかったのが残念なところです。思想の自由市場の在り方を論じるのであれば、肯定側からは、ネット上の言論の特質などを踏まえて、対抗言論が機能しにくいことや、虚偽が真実を圧倒して言論を捻じ曲げていることなどを重要性に対応する現状の課題として位置付けた上で、仮に完全でないとしてもそういった害悪のある表現を規制する手段を持つ必要がある、といった説明を成し得たでしょう。その中で、現行法上も名誉棄損など害悪のある表現は規制されており、それとの平仄としてFNだけ放置しておくのはおかしい、といった指摘もできたかもしれません。これに対して、否定側からは、そもそもFNによる被害はどこまで大きいのか、政府の規制によらないFCや対抗言論で対応できていないのか、といった問題提起により思想の自由市場の健全性を論証した上で、FN規制が内容に基づく強く広範な規制であり、FN判定の困難さや、政治的言論にも及び得ることから、萎縮の棄権や言論統制への悪用可能性が強く、思想の自由市場への害悪が大きすぎる、という筋の主張が可能です。
ここでのポイントは、単に「FNのせいで冷静に議論できていない!」とか「FNにより政治的言論が萎縮する!」といった結論だけを伸ばすのではなく、価値観に沿った分析を行い、ストーリーとして議論を伸ばしていくということです。せっかく深い考察ができているのですから、それを使って議論を組み立ててほしいというわけです。第二反駁ではある程度意識したスピーチが出ているところもあったのですが、第二反駁は積み上げてきたものに基づいてスピーチするステージですから、もっと前の段階でストーリーや価値観に沿って議論を展開していく必要があります。

伝統的メディアとFN規制
ほとんどのチームでは、ネット、SNSのFNを題材に議論を展開していました。現代のFNの主なフィールドはそういったところにあるのかもしれませんが、プランは特に規制対象をネットに限定しているわけではないので、新聞やテレビ、雑誌といった伝統的なメディアにおけるFNや、規制の弊害についても論じられてよかったのではないかと思います。伝統的メディアがネット上の言論より信頼性が高いと本当に言ってよいのかなど、色々と考えるべきポイントもあるでしょう。
この点、東海高校は、(決勝は全くダメでしたが)伝統的メディアが健全であるためネットの私的言論が多少萎縮しても問題はない、という議論を展開していて、切り口としては面白いものでした。ただ、本当にそれでよいのかという点は疑問があり、プランは当然伝統的メディアも規制対象とするので、萎縮も考えられるし、関係者が処罰されるということも当然あり得べきことです。東海のプランはドイツに倣って超高額の罰金を課しているわけで、60億払えと言われたらさすがに文春の春も終わってしまうでしょう。

政府による言論統制の可能性
多くの否定側では、言論の萎縮を主な問題としており、政府が恣意的に規制するといったところまでは踏み込んで議論していなかった印象です。しかし、言論の規制を考える上では、政府による過剰規制への警戒についても思いを致すべきであり、そういった観点からの議論がもっとあってもよかったのではないかと思います。
単純に政府がFN規制を通じて言論に介入する可能性がある、という話(動機と手段を丁寧に論じれば十分成り立つと思います)だけでなく、そもそも政治的言論にも広範に及ぶ内容に基づく規制を課すこと自体が問題だという切り口(毛利教授の論考に基づき少なくないチームが出していました)から、規制の存在自体が政府に有利な言論統制としての機能を果たす、という議論も可能です。すなわち、意見表明などFN規制に該当し得る政治的表現をより欲するのは常に少数派であり(多数派は動かなくても勝っているので)、政治的表現一般を規制すること自体が、仮に中立的規制であったとしても少数派に不利に働く、といった議論を行うこともできるでしょう。

政治的表現以外の言論に及ぼす影響
全国大会では、見た試合のほとんどで、政治的表現におけるFNが問題とされていました。議論の組み立てやすさや深刻さの度合いから、そのような選択は理解できるのですが、政治的表現に限らず、FNが問題となり得る領域があります。
特に、まさに事実の真偽が問題となる科学的言論においては、FNというべき言説によって政策に影響が生じる事態もままあります。個人的に関与していたこともあるので詳論は避けますが、現在も、世界的に有効性や安全性が認められている子宮頸がんワクチンについて、副反応(有害事象)が問題とされて厚生労働省が積極的勧奨を中止し、裁判が起こっているという事件があります。仮に副反応の存在が事実なのだとすれば、これに反する言説は被害者を増やす結果につながりますし、逆に訴えられている副反応が存在しない(正確に言えば、症状とワクチン接種との間に因果関係がない)のであれば、副反応の恐れによりワクチン接種が行われなかったせいで、ワクチンにより守れたはずの生命が損なわれたということになります。
こうした問題につき、FN規制という形で答えを出すことが可能なのか、また出せるとしてそのような解決が相当なのか、ということもあるのですが、ネットの発達により情報拡散・伝達の速度が飛躍的に高まったということの影響は、単にリツイートしやすくなったとかそういうことだけではなく、専門的な領域の情報に市民がアクセスしやすくなり、その「専門性」に依拠して行動する機会が増えた、ということにも見出されるところであり、そういった観点からの議論があってもよかったかな、と思うところです。


4.最後に
色々と書きましたが、今季のような高度な論題について、選手の皆さんがそれぞれに説得的な議論を組み立てられてきたことには、ジャッジとしてのみならず、一法律家として、大いに敬意を表したいところです。何より、これだけ難しい問題に、(辛いこともあったでしょうが)楽しんで取り組んできたということは、非常に価値のあることです。世の中には、真剣に考えなければならない難しい問題が山積していますが、それを解決していくためには、必要な議論を避けることなく、事実と向き合って考えることが必要です。それは、論題発表からの半年間で皆さんが取り組んできたことにほかなりません。これからディベートを続けるにせよそうでないにせよ、今季論題と格闘し、考え抜いた経験を大事にして、さらに難しい問題にチャレンジしていかれることを期待しております。

ディベート甲子園全国大会の感想 | 01:35:49 | トラックバック(0) | コメント(0)
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