愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
事例で学ぶディベートのルール(3.現状が論題採択を支持している場合)
入院日記といいつつディベートの話ばかりを書いている今日この頃です。そろそろ入院生活第1ターム(2年の夏学期)が終了するということで、そのころには軽く思うところでも書いてみたいところなのですが、とりあえずは書きかけていたディベートの話を続けます。

事例で学ぶディベートのルール、と称してケースに即して問題点を見ていく形式で書いてきたのですが、先の大会で見られた議論のうち気になるポイントについては、今回までの内容で一通り触れたことになります。というわけで、ディベートについての今後の記述はルールの解説を時間の空いたときに続けるということになります。
ルール解説については、もう1回試合外の手続(証拠請求と反則の指摘)について書いたあと、議論を行う上での重大争点である証拠法に入っていくことになります。証拠法と、それに引き続いて書いていく予定の議論の規律、判定の規律はいずれも超重要論点であり、ディベートの資格試験があるとすれば毎年頻出の特Aランクになる部分です。というわけで全国大会までにいくらか書いておきたいのですが、時間の関係で難しそうではあります。

と、長々と無関係な前置き(なのか?)を書いてしまいましたが、前回取り上げた「論題外性をめぐる諸問題」に関連して、もうすぐ発行される『トライアングル』(全国教室ディベート連盟の機関紙)に、渡辺先生の連載としてスパイクプランについての解説が書かれています。
紙面の都合もあって若干説明に物足りなさが残る部分もあるのですが(スパイクプランを認めるべきでないという立場の論拠や、スパイクプランにデメリットをつけられるかという論点の理由づけなど。どちらにせよマニアックなので連載趣旨として不要ではある)、重要な点を分かりやすく網羅的に解説してあり、有益な内容となっておりますので、選手の方々におかれましては、お読みいただくことをお薦めいたします。もっとも、トライアングルは連盟会員に発送されるのでなかなか読む機会はないかもしれませんが…。

では、本編に入っていきます。

*7月15日に本編の内容を少し修正しています(一部改説したため)


第3回 現状が論題採択を支持している場合

問題の所在
通常の競技ディベートでは、ある政策を採用することの是非が論題として問われた上で、肯定側はその政策を採用すべきという立場から議論し、否定側はその政策を採用すべきでないという立場を支持します。
このとき、肯定側が拠って立つのは「現状よりも論題採択後の世界の方が望ましい」という立場で、否定側が拠って立つのは「論題採択後の世界より現状の方が望ましい」という立場です。つまり、両方とも「現状は論題を採択していない」という、現状と論題採択後の差異を前提としているのです。
ディベート甲子園では、これがルール上も明示されています。本則2条1項では「否定側立論は,現状維持の立場をとる」とあり、ここから「否定側は論題が採用されていない現状を支持する」ということを読み取ることができます。

しかし、ここでいう「現状」というのは、論題発表の瞬間の世界の状況を固定的に捉える…というものではなく、その後の出来事によって流動的に変化していくものです。論題発表後に消費税が上がれば、それも「現状」になるのです。
そして、このような変化の中には、「論題を採用する」という変化だってありえます。例えば、「日本は炭素税を導入すべきである」という論題で議論している最中に、炭素税の導入が実際になされることが決まる、という可能性だってあります。

このような場合、肯定側や否定側が前提としてきた「現状とプラン後は違う」という前提は崩れてしまいます。このような状況においてどんな問題が起こるのか、そしてそれらにどう対処していけばいいのか。これが、今回のテーマです。

1.否定側の立場はどうなるか
現状の世界が論題を採択してしまう、ということが否定側にとって何を意味するのか。ディベートと関係ない簡単な例で考えてみましょう。

【設例3-1】
ガラス棟高校3年1組では、修学旅行の班分けをしています。Aくんは友達に「3班に入れてもらおうよ」と言われましたが、自由行動で安田講堂を見に行ってもつまらないと思ったAくんは「3班は安田講堂に行くみたいだけど、僕は興味ないから今の1班でいいよ」といって断りました。
しかし、話し合いの結果、安田講堂の地下にある赤門ラーメンが食べたいという班員が現れ、結局Aくんのいた1班も安田講堂を見に行くことになりました。


Aくんが支持していた立場がいつのまにかAくんの気に食わないものに変わってしまっていた、ということです。もっとも、この場合、Aくんは「1班はいやだから安田講堂に行かない2班に入れてもらおう」という選択をすることができます。
この設例をディベート的に表現すると、「修学旅行の自由行動で安田講堂に行くべきである」という論題について、Aくんは否定側で現状維持(1班のまま)の立場にある、ということになります。そこで現状維持が論題を肯定してしまった、という場面でAくんはどうすべきか。上で書いた「2班に行く」という選択は、現状維持ではなく、論題を否定するために別のアクションを採るということであり、いわゆるカウンタープランの提出に当たります。

では、ディベートの試合で同様の問題が生じたときはどうなるでしょうか?

【設例3-2】
論題「日本は死刑を廃止すべきである」でディベートの大会が行われることになったが、大会10日前に実際に死刑を廃止するという法案が国会で可決されてしまった。


この場合、否定側は現状のままでは論題を否定できなくなってしまいます。Aくんと同様に考えれば「それじゃあ否定側としては死刑を存続させるというプランを主張して、その立場から議論する」ということになりますが、ディベート甲子園のルールではカウンタープランが禁止されていますから、このような議論は許されないことになります。
すると、否定側は論題を支持する立場に立たなければならないから、試合では決して勝つことができない…ということにもなりそうです。

もちろん、このような結論は不当ですから、否定側はあくまで論題を否定する立場に立っている、と考えなければなりません。
そのための理屈としては、(カウンタープランが認められないにせよ)「現状維持」の「現状」とは論題が採択されていない状況ということを含意しており、論題を採用するという政策については、否定側はあくまで支持しないということになる、といえます。

以上が、これからの説明の前提となる基本的な部分です。しかし、論題が複数のアクションを規定しており、そのうちの一部が現状において実現するという場合、話はやや複雑になります。
この応用問題について、今年の高校論題を例に、実際に考えてみましょう。

【問題3-1】
論題「日本は18歳以上の国民に選挙権・被選挙権を認めるべきである。是か非か」のもとでディベート大会が開催されることになった。しかし、18歳以上の国民に選挙権を認めるという法案が実際に国会に可決され、次の選挙から施行されることになった。
このとき、現状維持という立場は論題を一部サポートしていることになるが、否定側としては「選挙権も認められていないという状態」を現状と見なし、そのような立場に立つことができるか。


この内容は以下の解説の前提ともなるので、本来なら解説してしまうべきなのですが、今季の論題に関連した事例なので、あえて「問題」としました。後の内容を見れば、設問の趣旨は何となく分かるはずです。

2.現状における論題の採択とデメリットの関係
現状が論題を採択してしまったという場合でも否定側は論題を否定する立場に立てる、というのは上記の通りです。しかし、デメリットの固有性との関係で、問題は残ります。
例えば、次のような状況があります。

【設例3-3】
論題「日本は死刑を廃止すべきである」でディベートの大会が行われることになったが、大会10日前に実際に死刑を廃止するという法案が国会で可決されてしまった。
ここで、否定側は「現在は死刑があるので犯罪が防がれているが、死刑を廃止すると犯罪が増える」というデメリットを述べましたが、肯定側は第一反駁で「現状のままでも死刑は廃止されるから、デメリットには固有性がない」という反論をした。


固有性というのは、デメリットが現状では生じない、ということです。死刑があるからデメリットである犯罪の増加が生じない、と言っているところ、現状でも死刑がなくなってしまうのであれば、現状でもデメリットが生じることになるから、デメリットは評価できない…というのが肯定側の言い分です。

もちろん、これはおかしな話で、このような議論を認めると否定側はデメリットを一切出せなくなってしまいます(スパイクプランにつくデメリットは別ですけど)。上で検討したとおり、現状が論題採択をサポートしているという場合でも否定側に論題否定の立場が擬制されるのですから、否定側は「(現実の現状とは異なるけど)論題を採用していないという世界」を支持しており、そのような世界においては肯定側に指摘された固有性が備わっている、ということになります。

では、次のような場合はどうでしょうか。

【設例3-4】
論題「日本は18歳以上の国民に選挙権・被選挙権を認めるべきである。是か非か」のもとでディベート大会が開催されることになった。しかし、18歳以上の国民に選挙権を認めるという法案が実際に国会に可決され、次の選挙から施行されることになった。
ここで、否定側は「選挙権を引き下げると質の悪い有権者が増えて政治がダメになる」というデメリットを述べましたが、肯定側は第一反駁で「現状でも選挙権は引き下げられるから、否定側のデメリットは現状でも生じるものであり、デメリットには固有性はない」という反論をした。


ここでは、否定側がいかなる立場を採るのかが問題となります(問題3-1の答えそのものです)。ここで「否定側は選挙権は認めるけど被選挙権は認めないという現状を支持する」ということになると、設例におけるデメリットへの反論は的を射ていることになります。否定側の立場によってもデメリットは生じるからです。
このように考えても、否定側は被選挙権拡大から生じるデメリットを出せますから、設例3-3の場合のような不都合は生じないといえます。

ということで、肯定側からのデメリットへの有力な攻撃方法として「論題は現状でも採択されている」という議論がありうることになります。しかし、それはメリットについても同様に言えるのでは?という疑問が沸いてくる人もいるでしょう。というわけで、次はこの点を見ていきます。この問題を検討した上で、現状が論題を肯定している場合の固有性の扱いについて再度見ていくことにしましょう。

3.現状における論題の採択とメリットの関係
先ほどまでの議論を裏返すと、メリットについて「現状で論題が採択されるのであれば、メリットには内因性が存在しないことになる」という反論ができそうに思えます。
ここで確認しておくと、内因性とは、現状に問題が存在し、それが論題の採択によってしか解決しないということです。この定義から考えると、現状が「論題の採択」をするということは、内因性に言われている問題は現状によって解決されているということになり、どこにも問題はないということになりそうです。

しかし、ディベートで議論している論題は「~すべきである」という形で表現されます。これは、論題に示されている行為の採択が望ましいか否かということを問題とするものであり、その行為が既に行われているかどうかとは直接関係ありません。「君は毎日勉強すべきである」と言われて「僕は毎日勉強しています」と答えることは、「勉強すべき」ということについては何も否定していません。これと同じことです。
こう考えると、以下のような事例でも、反論は意味をなさないことになります。

【設例3-5】
論題「日本は18歳以上の国民に選挙権・被選挙権を認めるべきである。是か非か」のもとでディベート大会が開催されることになった。しかし、18歳以上の国民に選挙権を認めるという法案が実際に国会に可決され、次の選挙から施行されることになった。
ここで、肯定側は「選挙権を引き下げると若者の意見が反映されて政治が活性化する」というメリットを述べましたが、否定側は第一反駁で「現状でも選挙権は引き下げられるから、肯定側のメリットは現状でも生じるものであり、メリットには内因性はない」という反論をした。


これは聞いていると「なるほど」と思わされそうですが、先ほど説明したとおり、この反論は「論題を採用すべき」という理由としてのメリットを否定していません。「今だって論題はあるんだから、論題を採用する必要はないよね」という反論は、論題を支持するものとはなっても、論題を否定する理由にはならないということです。
なお、これは実際の試合で見られたものであり、そのときには「国民投票法案との関係で、18歳以上に選挙権を認める動きが進んでいる」といった議論が前提とされていました。この場合、実際に選挙権が認められるようになるのか、といった部分も問題になることはいうまでもありません(特にデメリットに対する反論について)。

以上のように、論題が既に行われていることを理由にメリットの内因性を攻撃する議論を「擬似内因性」と呼びます。このような擬似内因性の議論は反論として無意味であるというのが、一般的な理解です。この見解の根拠は、「否定側は論題が望ましくない(「すべき」とは言えない)ことを示す必要があり、論題に規定された政策が既に実行されていることからメリットを否定する方法はこれを達成できない」ということです。
しかし、このような考え方について、現実が論題を肯定しているという事実と論題が望ましいという事実が無関係であるとはいえないのではないか、という批判もあります。この批判は、「すべき(Should)」は何かと比較してそれが望ましいということを意味するのであって、論題が望ましいというのは、論題に規定された政策が採用されていない状況と比べてそれが「望ましい」という意味であるから、現状が論題を支持してしまっている以上、比較対象と支持対象が同一化してしまっており、もはや「すべき」とはいえない、として擬似内因性の考え方を否定します。

これに関係して、ディベート甲子園のようにカウンタープランが禁止される場合だと、擬似内因性の考え方を貫くと、肯定側と否定側で不公平に思える事態が生じてきます。
というわけで、かなり難しい問題ですが、以下のような問題を考えてみてください。

【問題3-2】
論題「日本は18歳以上の国民に選挙権・被選挙権を認めるべきである。是か非か」のもとでディベート大会が開催されることになった。しかし、18歳以上の国民に選挙権を認めるという法案が実際に国会に可決され、次の選挙から施行されることになった。このとき、次の各問いについて考えよ。
(1)ここまでの解説内容を前提とすると、肯定側は選挙権拡大・被選挙権拡大のそれぞれについてメリットが出せるが、否定側は被選挙権拡大についてのデメリットしか出せなくなる。これは不公平ではないか。
(2)否定側にカウンタープラン(論題を否定する別の政策を提出してそれを採用する立場に立つこと)を提出することを許すルールの場合、否定側が選挙権拡大から生じるデメリットを出すためにはどうすればよいか。
(3)カウンタープランを許さないディベート甲子園のルールで否定側が選挙権拡大のデメリットを出せると考える理屈はないか。
(4)擬似内因性の考え方にもかかわらず、肯定側は現状で解決されている問題をメリットとして主張できないという理屈は成立しうるか。そのような理屈を採ると生じる問題点はないか。


かなりの難問ですが、頭の体操だと思って、プレパの合間にでも考えていただけると幸いです。

この問題の解答と、それを受けての解説の続きは、追記に記載しています。
問題の解答例

【問題3-1】
論題「日本は18歳以上の国民に選挙権・被選挙権を認めるべきである。是か非か」のもとでディベート大会が開催されることになった。しかし、18歳以上の国民に選挙権を認めるという法案が実際に国会に可決され、次の選挙から施行されることになった。
このとき、現状維持という立場は論題を一部サポートしていることになるが、否定側としては「選挙権も認められていないという状態」を現状と見なし、そのような立場に立つことができるか。


この問題は、複数の政策の採択を支持する論題において、そのうちの一部の政策が実際に採択された場合の否定側の立場について考えるものです。

本文の説明どおり考えるなら、否定側は論題の否定を擬制しているから、この場合も論題に規定された全ての政策が実際には行われない(否定する)という現状を仮定し、そのような立場を支持すると擬制されることになりそうです。
しかし、そのような立場の擬制が許される根拠は「そうしなければ否定側は勝つことができない」ということにありました。ここで、現実が論題のうち一部のみを支持しているという場合、そのような現実は「論題の全部」を否定していませんから、否定側がそのような現実を支持するとしても、論題を肯定するということはなりません(依然として論題の否定という立場であり得る)。そう考えると、論題の一部肯定という現実によっては、論題の全部否定を仮定する必要はなく、否定側は純然たる現状維持の立場を貫くという立場を取ることになります。

それでは、どのように考えればよいのでしょうか。
ここで問題とされている「否定側の立場」というものを議論する意味は、否定側がそもそも勝利することができるかという論点の前提問題にとどまるものではありません(それどころか、否定側が支持する立場と試合の勝敗は無関係であるという考え方も可能でしょう。筆者も論題充当性の性質の理解と関係して、そのような見解を採用しています)。否定側の取る立場は、否定側がデメリットとして主張できる議論の範囲を定める場面で問題となるのです。すなわち、否定側が「論題を否定する立場」を支持するというとき、否定側は「論題を否定する立場」と比較した上での肯定側プランの問題点を主張できるということになるのです。

ここから考えると、実は否定側の取りうる立場を考えるには、論題を肯定する現状下におけるメリット・デメリットの扱いについて考える必要があるということになります。
というわけで、結論は問題3-2を検討した後に改めて出すことにしますが、暫定的な回答として述べておくなら、論題の一部肯定という現実に対応して否定側は論題の全部否定を擬制されると考えてよいでしょう。論題策定者の意思としては、否定側は論題の全部を否定すると想定しているはずです(そうでなければ、そもそもその政策の採択は論題に取り入れていないはず)し、デメリットの一部が制限されるということは否定側にとって不公平であると考えられるからです。
もっとも、否定側が論題を一部肯定した「生の現状」の支持と、論題を全部否定した「仮定的現状」のうち都合のよいほうを選択的に支持する、ということは許されないというべきです(カウンタープランが認められる場合、否定側は論題を否定する限りどのような立場でも取りうるので別です)。否定側の拠って立つ立場は、否定側の便宜によって定められるものではなく、ディベート理論上統一的に定められるべきだからです。

【問題3-2】
論題「日本は18歳以上の国民に選挙権・被選挙権を認めるべきである。是か非か」のもとでディベート大会が開催されることになった。しかし、18歳以上の国民に選挙権を認めるという法案が実際に国会に可決され、次の選挙から施行されることになった。このとき、次の各問いについて考えよ。
(1)ここまでの解説内容を前提とすると、肯定側は選挙権拡大・被選挙権拡大のそれぞれについてメリットが出せるが、否定側は被選挙権拡大についてのデメリットしか出せなくなる。これは不公平ではないか。
(2)否定側にカウンタープラン(論題を否定する別の政策を提出してそれを採用する立場に立つこと)を提出することを許すルールの場合、否定側が選挙権拡大から生じるデメリットを出すためにはどうすればよいか。
(3)カウンタープランを許さないディベート甲子園のルールで否定側が選挙権拡大のデメリットを出せると考える理屈はないか。
(4)擬似内因性の考え方にもかかわらず、肯定側は現状で解決されている問題をメリットとして主張できないという理屈は成立しうるか。そのような理屈を採ると生じる問題点はないか。


長い問題ですが、この問題を考えていく中で、擬似内因性という概念をどのように考えるべきかを整理することができるだろうというのが出題の趣旨です。もっとも、筆者自身も十分に整理できているわけではないのですが。

(1)については、まさにそのとおりであるということになります。論題のうち肯定されている部分について、それを持ち出すことで固有性が否定される一方、それによって内因性が否定されることはない、ということになれば、選挙権拡大から生じるメリットは出し放題なのに、そこから出てくるデメリットは固有性を欠き評価できないということになってしまいます。
というわけで、この不均衡を何とかできないか、というのが以下での問題意識です。

(2)では、カウンタープランを許す場合の対処法を聞いています。この場合、否定側は「選挙権についても20歳以上に認めるという立場を維持する」カウンタープランを提示すれば、デメリットに固有性をつけることができます。
これは、否定側が自分たちの支持する立場を(論題を全部肯定しない限度で)自由に選べることによるものです。しかし、ディベート甲子園ではそのような態度を取ることはできません。

そこで、(3)について考えることになります。
このような理屈を考える上でのポイントは、上で説明した「否定側の取る立場は、否定側がデメリットとして主張できる議論の範囲を定める場面で問題となる」ということです。
本文で述べたとおり、「すべき(Should)」という言葉は、何らかの比較対象を想定した上での評価を意味します。否定側のデメリットも、どのような状況と比べた場合に現状と違った問題が発生するのか、ということを主張するものです。ここでいう「現状」は、否定側の取る立場と一致します。
すると、問題3-1の回答として「論題の一部肯定という現状においても、否定側は論題の全部否定を仮定してそれを支持する」というものを採用すると、否定側は現状が論題の一部を肯定しているにもかかわらず、論題が全く支持されていない現状から発生するデメリットを主張できることになります。
このように考えると、肯定側の「それは現状でも発生する」という反論に対して否定側は「我々の想定する『現状』とは、あなた方の支持する論題に規定された政策全てが支持されていない現状である。あなた方は論題の文言全てを肯定しなければならないから、論題に規定された政策から生じる全てのデメリットについて責任をもたなければならないのであって、そのような政策が現状で採用されているということはこの責任を免れる理由にはならない」と応えることになります。
筆者の見解は、このように考えることで固有性についても「擬似固有性」のような概念を立て、現状で論題に規定された政策が採用されているかどうかはメリット・デメリットの評価に関係ないとすることが妥当であるというものです。

これに対して、(4)では擬似内因性を否定する論理を考えることになります。これは、ディベート界でも有名な瀬能先生が支持される見解です(もっとも、直接話をうかがった内容を紹介しており、筆者の理解が誤っている可能性もあります)。
本文でも紹介したとおり、「すべき(Should)」という言葉は何らかの比較対象を前提としています。そして、通常の試合では、その比較対象は「現状」です。ここで、現状が論題を肯定してしまったという場合、擬似内因性の考え方を採用すると、メリットの評価は「論題が採用されていない世界」を仮定した上でそれと比較して行われることになります(現状は論題を採用してしまっているので)。このように、現状が論題を採用しているかどうかで肯定側の想定する比較対象が変わってしまうのは一貫していない、というのが先生の主張です。また、「論題が採用されていない現状」というのはいつの時点でも想定可能であり、極端な話「100年前の世界」を現状と仮定してもよいことになりますから、そのような仮定を認めることには無理がある…ということになります。
このように考えると、肯定側は常に現状と比較した上でのプランの望ましさを主張しなければならず、現状がプランを肯定してしまったという場合、もはやそのようなプランから生じるメリットは「(現状と比べて)論題を支持すべき」とはいえないということになります。従って、現状で論題に規定された政策が実行されているということは、内因性を否定する真正の議論として機能することになります(擬似ではない)。

この議論はもっともで、擬似内因性という概念(これは『現代ディベート通論』という理論書に規定された従来の通説である)に対する強力な批判となっているように思われます。
しかし、上記のような論理を採用すると、「実際の現状と異なる世界を仮定する」ことが許されなくなりますから、否定側もそのような仮定をすることができなくなってしまいます。すると、現状が論題を肯定している場合に否定側はそこからデメリットを出せなくなってしまう――下手をすると論題を否定できずに絶対的に負けとなる――ことになります。
もっとも、現状による論題の全部肯定(論題が一つの政策しか規定していない場合など)という現状が認められる場合には、そもそも論題が妥当でなくなったということで、そのような帰結は仕方ないともいえます。とすれば問題は現状による論題の一部肯定という場面でどう考えるべきか、ということになります。(3)の答えで書いたように、生の現実と異なる現状の仮定を許して内因性と固有性両方について「現状が政策を導入している」という形での反論を許さないのがよいのか、それとも(4)で議論したように、現状と異なる世界の仮定を許さず、現実で決まったことはメリットやデメリットとして主張できないとすべきなのか、ということです。
最後に、この点について筆者の見解を「解説」として載せておきます。

4.筆者の見解
筆者は、上述したように、(3)の考え方が妥当であると考えます。
現状と異なる世界の仮定が不当であるとか一貫していないというような批判は一応成り立ちうると思いますが、そのような仮定が不可能であるとは思われません――そもそも解決性の論証は「プランが実行された世界」を仮定したものです――し、不当な比較対象を持ち出した議論は、説得力の次元で否定されるはずですから問題とはなりません。
「すべき」という言葉が何らかの比較対象を前提としていることはその通りですが、その比較は正確に言えば「現状の世界と論題の支持された世界」ではなく「論題の支持されていない世界と論題の支持された世界」であって、ディベートでは一般的に現状が支持していない政策を論題とすることから、前者のような比較構図をもって正当とすることはおかしいでしょう(論題策定者も、正確には後者のように考えているはずです)。そう考えると、現状が論題支持に変化したという場合に、肯定側・否定側で現状と異なる世界を仮定しなければならないというのは当然のことです(支持対象としてはむしろこちらが一貫している)。

というわけで、筆者としては、ディベートにおいてはつねに論題に規定された政策のある世界とない世界を比較するのであり、肯定側は常に「論題の全部が採用されている世界」を、否定側は常に「論題が採用されていない世界」を支持すると考えます。従って、現状で論題に規定された政策があるかないかは、メリットやデメリットを否定する理由にならないことになります。
「今もやってるからその政策は必要ない」とか「今もやってる政策から生じる問題はその政策を否定する理由にならない」とかいう反論は、そのまま読むとナンセンスな反論です(これは擬似内因性の直接的な支持理由と言えます)。国会など現実の意思決定過程において、既に決まっていることについてメリット・デメリットを出して問題を蒸し返すことは不当であるとも思われますが、ディベートという議論教育のための擬似政策決定の場において任意に論題を設定して論じる場面は、現実の意思決定とは独立しています。そこでは、現実世界がその政策を実施しているかどうかを無視した上で、論題に規定された政策の当否を自由に議論することが許されるはずです。そのような場で、現実の社会がその政策を採用したかどうかは、それ自体が政策の望ましさを左右する情報にはならないというべきです(アメリカがその政策を実施することに決めた、というのと同じ次元の議論である)。

もっとも、既に施行されてしまった政策について議論することはさすがに無理がありますから、そのような場合は論題の文言を変更するなどして適切に議論させる措置を講じる必要があります。

*参考になるか分かりませんが、この点について筆者が書いた文章として「論題肯定的現状の扱いについて」があります。もっとも、まとまっていない&分かりにくい文章(機を見て修正したい)ですし、以上の内容とあまり変わるところはありません。
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