2021-05-30 Sun
少し時間が空いてしまいましたがジャッジ入門講座の第5回です。当日のパワポの5~6(/12)枚目の内容で、ようやく半分まで来ました。今回からは少し理論的な話をしていきます。ジャッジをする上で問題になる可能性のあるプラン周りの話を整理するものです。実際には試合で問題になることは少ないのですが、選手の時にあまりよく考えないことでもあり、さわりだけでも説明するというものです。あくまでさわりだけですのでかなり論点を省いており、取り上げたところも精密な解説はできていませんが、気になる方は、手っ取り早いところとしては当ブログの過去記事を漁るなどしてください。
なお、当日は論題充当性の評価方法について若干話をしたのですが、ここでは省略することにします。
ジャッジ入門講座 第5回
理論について考える意味
ここから少し、議論の処理に関する理屈めいた話をしていきます。具体的には、プランに関係する処理の方法と、ニューアーギュメントなどの手続的な規制(第6回)を取り上げる予定です。
このあたりの話は、選手としてディベートをやっているときには考えないところだと思いますし、ジャッジであっても考えている人は多くありません。実際、ジャッジをする上で必要になる場面はそうありません。今日お話しするのはさわりだけなので私の説明がうまくいっていれば理解は難しくはないと思いますが、一部の基本的な部分を除いて、理解が追いつかなかったとしても、ジャッジできないということはありません。
ただ、議論の処理方法について理論的な整理ができていると、万が一問題になったときに自信を持って判定ができるというだけでなく、議論の見え方が変わってくるところがあります。例えば、後で説明する、メリットの発生源として認められる範囲は何かということをよく分かっていれば、部活動廃止論題で、活動補助金を出す代わりに部活廃止をするプランで教師に代わってプロが教えるようになって競技力が向上するというメリットが出た際に、メリットを評価するにはどういう議論が必要なのか、といったことが精度よく見えるようになります。論題から生じるメリットを議論しないといけない、という根っこの理解だけだと、補助金のせいで出ているメリットだからダメ、という整理になり、それはそれで間違っていないのですが、この「論題から生じる」ということの意味を一段深く理解していると、補助金と部活廃止が相まって生じる場合はメリットとして評価し得るよね、そう言えるためにはこういう事実が示される必要があるよね、ということが見えてきますので、拾い上げるべき事実に敏感になるし、講評でもより中身のある話ができます。理論を学ぶということは、対象をよりきめ細かく見るための感度を高めることにつながるのです。
今日お話しするのは入門的な内容にとどまりますが、基本的な考え方を身に着ければ、ジャッジをする中で直面した問題を踏まえてさらに考えていくことで、自分なりの「理論」を作っていくことができます。ディベート理論というものはもともと答えがあるものでもないですし、学説やら判例が確立しているわけでもないので、肩ひじ張らずに、自分なりに考えていけば足ります。自分がそう考える「理由」さえあれば大丈夫です。
メリット・デメリットの発生源
最初に、先ほど例示でも触れた、メリット・デメリットはどこから発生するものをカウントしてよいのかという話を考えていきます。ディベートでは論題の是非を議論しますから、論題と無関係のことから生じるメリット・デメリットは判定に影響しないはずである、ということになります。ですから、メリットは、論題から発生するものでなければなりません。例えば、原発廃止論題で、原発廃止に伴い原発立地に補助金を出すプランが入っていて、補助金で町が発展するというメリットを主張されても、それは原発廃止ではなく金をばらまくことのメリットにすぎないということで、メリットとしてはカウントしないことになります。
しかし、論題から発生しているかどうかをそう簡単に判断できない場面もあります。先ほどの例も、補助金で町が発展するという話だけでなく、原発廃止によって町のイメージが向上するということも相まって発展するのだという話が入っていると、論題と無関係という話にはなりません。この場合、論題採択との因果関係が認められる限度で、メリットを評価することができます。論題を採択しなくても補助金だけで生じると思われる部分は排除するとか、論題の採択だけでも生じる部分だけ評価する、といった処理が考えられますが、論題と補助金の相乗効果ではじめて生じる部分というのもあるかもしれず、そこはメリットとして見られそうです。
さらに、論題採択と因果関係を有する別のアクションから生じるメリットであるという構図になった場合はどうするかという問題もあります。この例で続けると、原発廃止するなら政府は補助金を出す、ということが証明されてしまったような場合です。代理出産合法化論題では、現状は代理出産は違法ではないが産科婦人科学会が自主規制しているという状態であることを前提に、論題採択で自主規制が解除されることでメリットが生じる、といった話がされるのですが、これも、論題採択から生じるアクションから生じたメリットを評価対象にしています。しかし、先ほどの補助金の例は代理出産の例と異なり、論題の採択と補助金は両方とも同じ政策主体によるアクションです。その場合、補助金のアクションも論題採択と同列にその是非が議論されるべきであるとも思われます。議会で「補助金が出るので原発を廃止すべき」と説明しても、「そんなことまだこの議会では決めてない、勝手に決めるな」「じゃあ補助金だけ出せばいいじゃないか」と言われてしまうだけでしょう。お暇があれば一度考えてみてください。
いずれにせよ、実際の選手のスピーチを聞いて判断するしかない問題ではありますが、メリットが論題から発生しているかどうかというのはそう簡単に割り切れるものでもない、ということは頭に入れておいてください。
ここまで、メリットの発生源について見てきましたが、デメリットの発生源は単純で、肯定側が出したプランからであればどこからでもデメリットを出してよいと考えられています。なぜ否定側は論題に縛られないのかというと、肯定側は論題を肯定する手段として一連のプランを出しているので、そのプランにデメリットが付きさえすれば、論題を肯定する手段がその試合で否定されるので、論題を肯定できなくなり、否定側に投票することになるというわけです。ディベート甲子園に限れば、この理解で基本的に問題ありません。
ただ、肯定側がプランを出した後も「論題を採択するだけ」というシンプルな立場が肯定側の初期オプションとして残り続けると考えることもでき、その場合には、論題採択と関係ない枝葉のプランについたデメリットではこの初期オプションを否定できず、肯定側を勝たせることになり得ます。二回立論形式のディベートで、肯定側にプランの撤回を認める立場を取る場合も同様の問題が生じます。急に難しい話になってきたので問題提起だけにしておきますが、枝葉のプランからしか発生しないデメリットを常に認めてしまって本当にいいのか、ということは、問題意識として持っていて損はないところです。
フィアット
ここで少し話題を変えます。一般的に、肯定側のプランについては、その実行を仮定するという決まりがあります。政策の是非を議論するために必要な前提であるということで正当化されます。普通の試合で、肯定側がプランが実行されることの証明をしなくて済んでいるのはこの決まりによります。この決まりはディベート用語で「フィアット」と呼ばれます。昔のディベート甲子園のルールではフィアットについての規定もあったのですが、今はそういう用語を使わないので、初めて聞いた言葉だという人もいるかもしれません。別にそれで困ることはないですが、この機会に知っておくとよいでしょう。
フィアットとは、ラテン語で「さあらしめよ」という意味の言葉です。ディベートの文脈では、プランが実行されるようにする、という意味です。したがって、官僚が反対するので政策は実現しない、といったたぐいの反論は評価しないということになります。しかし、プランの実行が仮定されても、その過程で問題が起きなくなるということは仮定されません。反対を押さえつけて無理やり実行する中で問題が生じる、といったデメリットが提出された場合に、フィアットを理由にデメリットを棄却することはできないということです。また、当然ですが、実行されたプランが上手くいくということも仮定されないので、実行はされるけど事実上骨抜きで運用される、といった反論もあり得ます。
ここで重要なことは、政策を論じる前提として、その政策が実行されること自体は仮定してシミュレートできる必要があり、そのために仮定を認めている、という考え方自体です。フィアットという言葉は忘れてしまってよいですが、こういう仮定をしているのだということ自体は意識しておいてください。やや発展的な問題として、否定側が出すカウンタープランも同様の仮定ができるのかという点があり、これについては議論がないでもないのですが、同じ政策主体の意思決定ということなら、カウンタープランにもフィアットを認めてしかるべきでしょう。ここでのポイントは「同じ政策主体」ということですので、別の政策主体のアクションにはフィアットを認めることができないのではないかという考え方が出てきます。これは、ジャッジがどういう立場から判断するのか、という問題とも関係してくるところであり、興味のある方は色々考えてみると面白いでしょう。
「現状維持」の意味
肯定側がプランを出すのに対して、否定側は、カウンタープランを出す場合を除き、現状維持の立場を取ります。この「現状維持」がどういうことを指すのかということは、正確に理解しておく必要があります。
ここでいう「現状維持」は、肯定側の主張するプランを取らない、ということに尽きます。政策主体が何もしない、ということは意味しません。日本では、ディベートで取り上げる政策だけでなく、様々な意思決定が日々行われ、政策として実行されています。そういったものを含め、論題を採択するという新たなアクションを導入しないままの世界が進んでいくというのが、現状維持の意味です。メリットで言われている問題は別の手段で解決される、といった類の反論は、この現状維持の考え方から出てくるものです。
ここまでの話は、現状のままでは論題が採択されないということを前提としています。しかし、実際には、論題が採択されてしまったという場合があります。裁判員制度廃止論題というのは現在の定番論題ですが、私が高校生の頃は裁判員制度なるものは存在せず、逆に陪審員制度導入論題が定番論題とされていました。こういうことがシーズンの外で起こるのなら、また定番論題がなくなった、というだけの話で済むのですが、シーズン中にその論題が将来採択されることが決まってしまった場合どうするか、という問題があります。
具体的に問題になるのは、否定側の取る「現状維持」の位置づけです。カウンタープランが出せるルールなら、論題を採択しない立場をカウンタープランとして出せば足りますが、ディベート甲子園ではどうするか、ということになります。結論としては、否定側は立場上論題を否定するのであって、否定側の言う「現状維持」は、論題を取らないことを当然含意しているのであるから、論題を採択しないということを織り込んだ現状、すなわち、その限りにおいて実際の現状とは異なる「現状」を擬制する、という考え方を取るべきことになります。このように考えると、現状が論題を採択しようとしている場合に、肯定側から「現状でもその問題は発生するのでデメリットの固有性がない」とか、否定側から「現状でもその問題は解決するからメリットの内因性がない」などと反論することには意味がない、ということになります。このあたりは論争がなくはないのですが、このように考えておけばさしあたり問題なかろうと思います。