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アカデミックディベーター

Author:アカデミックディベーター
日当たりの良い某法科大学院を2009年3月に卒業。
ライフワークである競技ディベートについてぼちぼち書いています

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第27回ディベート甲子園の感想
間が開いてしまいましたが、今年のディベート甲子園も終わりました。優勝された関西創価中学校、岡崎高等学校の皆さま、おめでとうございます。また、地区予選含めて参加された全てのチームの皆さま、お疲れ様でした。
今年の全国大会は、久々の対面方式での参加となりました。最初の方の試合では対面に慣れず、コミュニケーション面で損をしてしまったチームもあったように思いますが、対面での試合にはオンラインとは違った臨場感があるように感じられました。もちろん、オンラインならではの利便性というものもあり、今後は両方の良さを組み合わせた形で大会や練習会をやっていけるとよさそうです。

さて、全国大会の感想ということで、中高それぞれに共通するところを中心に、この部分がもっと論じられてもよかったのではないか、論じ方についてさらに工夫できるのではないか、というところを中心としたコメントを書き散らすことにします。決勝戦を詳細に振り返るというのが過去のスタイルだったのですが、歳を取るとなかなかそういうパワーが出ないのと(そういえば26回大会も高校決勝だけ感想を書いて終わってしまっていますね…。)、今大会はNADE公式Youtubeチャンネルでリーグから試合の音源が公開されており、決勝に限らず熱戦をたくさん見ることができますので、その視聴の際に役立つよう、ジェネラルなコメントを意識するようにしました(これは完全に言い訳です)。
というわけで、以下、順次感想めいたことを書いていきます。

中学論題のポイントとさらなる展望
今季中学論題(中学生以下のスマホ禁止)については、いくつか試合を見ただけですが、スマホ禁止後に対象児童がどのような動きに出るか――代替機器を用いることになるのか――という点の分析を比較的精密に行ったチームが散見され、そのあたりの議論で成果を上げた学校が上位に食い込んだ、といった印象です。決勝戦でも、スマホを使う児童の動機と、代替機器の使用が可能であることを論じてメリットの解決性を攻撃した否定側の議論が印象に残ったところです(ちなみに私はこの試合の副審を務めましたが、私は「この議論は主審にはむちゃくちゃ刺さりそうだなぁ」と思いつつも自分ではこの論点をやや肯定側寄りに取り、デメリットを小さく見て肯定側に入れました。)。
プラン後の動きを分析することはもちろん重要であり、このあたりを丁寧に論じることが勝利につながることは言うまでもありません。ということでこのあたりは結構見ごたえがあったのですが、小中学生のスマホが禁止された後の世界で小中学生はどう考えるか、という観点が入っても面白かったかもしれないという気はしています。例えば、スマホを持っていて取り上げられた場合は「もう一度使いたい」と思うでしょうが、一度も使ったことがない児童ばかりになればそこまで執拗には求めない、という分析はあるかもしれません。アンキモ(食べたことのない中学生も多いでしょうが、すごくうまい)を食べたことがない中学生が「アンキモ!アンキモ!」とはならんだろう、ということです。もっとも、親のスマホやら家族共用タブレットやらでネットの楽しさに触れられてしまうので、もはや後戻りはできないのだ、ということが言えるかもしれません。また、上記の議論は肯定側から投げかけることを想定していますが、否定側から「スマホを奪うことでネットリテラシーへの親しみが損なわれる」「親が介入しやすい小中学生からスマホを通じてネットに慣れていく方がよい」といったデメリットにつなげていく展開もあり得るところです。後者のようなデメリットが見られなかったようであるのは、資料が少ないからかもしれませんが(別の端末にシフトするという反論と整合しないと思ったのかもですね)、やや予想外でした。

その他にポイントになるかなと思っていたのは、「中学生以下」に限ってスマホを禁止するということをどう考えていくかという点ですが、これはなかなかディベート的に議論にしにくいからか、ここを問題とする議論は少なかった印象です。「どうせ高校でスマホにはまるので意味がない」といった解決性への攻撃としてたまに出てくる程度ですが、これではメリットを切りきれないので、勝負をかける議論にはなりにくいところです。「中学生以下は特に保護の必要性が高い」という重要性の付け方を試みるチームはいくつかあったように思いますが、デメリットと比べる際にこれを効かせていくにはひと工夫必要なところで、その工夫まで出しきってメリットを伸ばしきるという展開も私が知る限りは見られませんでした。
この要素を中心に議論するためには、スマホに対して社会はどう向き合っていくのか、という大上段の話に取り組んでいく必要があるように思われます。スマホの危険を考える肯定側からは、保護の必要性が高いというだけではなく、多少の利便性があっても一定の発達段階までは禁止が正当化されること(例えば自動車やバイクは小中学生でも乗れれば便利だと思いますが小中学生は運転できません。まわりに危険を及ぼす点でスマホより規制の必要性は高いですが、他方で、災害時に連絡を取るということよりははるかに大きい利便性があります)を、スマホの性質を踏まえて論じていくことが考えられます。他方で、否定側としては、スマホの利便性を児童の側の権利として議論してその制限の不当性を論じたり(その意味で「災害時の安否確認」のような議論だとこの筋で盛り上げることは難しいでしょう)、ネットや電子機器との関わりが不可欠になっている現代において小さいころからスマホに親しむことの教育的意義を論じたりすることが考えられます。このような権利や意義を論じる上では、多くの学校で貸与されているとされるGIGAスクール端末なるものへの評価も考える必要があります。
4分でそこまで議論することは難しいものの、決勝戦その他の試合でのスピーチを聞く限り、皆様にできない議論ではないだろうと思います。来年以降大会にチャレンジされる方や、高校で引き続きディベートをする方が、こういった大上段の話を具体的な議論で組み上げていく論じ方に挑んでいかれることを期待しております。

高校論題のポイントとさらなる展望
今季高校論題(石炭火力全廃)は引き続きJDAで扱われるということで、猛者たちがさらに掘り下げていくはずですのでここでコメントする価値は低いと思いますが、とりあえずの所感を書いておきます。なお、前提として、総じて良く調査されており、難しい論題に迫る興味深い議論が色々見られたということを最初に記しておきます。

少なくないチームが、エネルギー安全保障の観点から電力の安定性が重要であるという論陣を張っていたのが、今大会で目立ったところです。この発想は非常にまっとうであり、好感度の高いものだったのですが、「だからこのメリット/デメリットは重要だ!」という話で終わってしまい、エネルギー政策をどう考えていくべきか、というところまで昇華しきっていなかったというのが率直な印象です。エネルギー安全保障の重要性を説く否定側で言えば、石炭が安定しているかどうかという話以前に、選択肢を減らすことそれ自体が安全保障上マイナスと考えられ、自然に再エネ等に転換していく可能性や電力以外の分野でも環境対策は考えられるといった議論を出しつつ、わざわざ縛りプレイをする合理性はない、といった話をすることもできたように思います。他方で肯定側としては、エネルギー転換がすぐには進まない&放置しておいては進まないこと(これは論じているチームも散見されました)を前提に、石炭を含まない(再エネなりなんなりで代替した)電源構成が理想であるということを積極的に述べていくことになります。この「理想」は主に環境面を念頭に置いたものが想定されますが、石炭も海外に頼っているので、国内で再エネやら原発やらでやっていくほうがエネルギー安全保障上いいんだ、という切り返しも考えられそうです。
メリットデメリットの華々しい応酬ももちろん重要ですが、その前段階での構図をどうやって作っていくか、見せていくか、というところは、さらにもう一歩工夫があってもよいのかなという気がします。一回しか立論がないこともあってなかなか厳しいところはあるのですが…。

あとは、代替発電として何を選ぶかという話ですが、これはほとんどのチームが再エネ中心、バックアップをLNGやら揚水発電やらにするといったプランでした。しかし、ジャッジルームでも話が出ていたのですが、原発を代替発電に持っていくという選択は有力だったようにも思います。安全性はもちろん課題ですが、新しい型の原発は安全だといった話もできそうですし、作ってしまえば再エネより安定しそうな気はします。精査した結果再エネが最高だったということであればそれはそれでよいのですが、議論を聞いている限り、そこまで再エネが信頼度が高いようにも思えず、再エネ以外の道がもう少し考えられてもよかったのではないかという印象です。

具体的に議論するということ
これは中高の試合両方について言えることですが、「具体的に議論する」ということをより意識できるとさらにレベルの高い議論につながりそうだということを思いました。
具体的に議論するとはどういうことか。ここでは、あるアクションの結果や場面を精密に描写することを指します。それによって、聞き手に「どうなるのか」というイメージを抱かせることができます。

実際に問題になった争点を例に考えていきましょう。
中学論題における、スマホを禁止された生徒が別の端末に移行するという議論を例にすると、単に「小中学生は」という主語で語るのではなく、「メリットで問題となっているネット被害に遭うような小中学生は」という主語を考えることで、そういう生徒はどう行動するか、ということをより深く論じることができます。ネットでのつながりをより強く求めたがる、好奇心が強い、といった要素から、別の端末で同じようなことをやりたがるということを説得的に論じられるでしょう。
中学論題でもう一つ例を出すと、デメリットでよく見た「災害時の連絡手段」という話で、いったいどんな場面で「小中学生にスマホ持たせて良かった」という話になるのかということが考えられます。どんな災害で、どのくらいの頻度で起こるのか、という話は見ましたが、仮に大地震などの災害を考えた場合でも、小中学生だけで周りに大人がいないような「安否が心配になる」場面がどのくらいあるのだろうか、ということは考えられます。学校にいる時間であれば先生もいるでしょうし(学校にはスマホを持ち込めないという話もあるようですね)、塾や習い事の行き帰りであれば、山の中を歩いて通うわけではないでしょうから、周りに大人がいないということはないでしょう。他方で、連絡が取れないこと自体が心配につながる、ほかの大人にスマホを借りても親のLINEには連絡できない、ということはあるのかもしれませんが、それについても、その「心配」はどの程度保護に値するのか、心配して助けに行くような親はLINEで連絡が取れたら安心して迎えに行かないということになるのか、といったことを考えていくことができます。

高校論題でも同じようなことを考えることができます。一番わかりやすいのは、代替発電の現実性でしょう。再エネの議論で、ポテンシャルは何億Kwhだとかいうことが出てきますが、ポテンシャルってなんだよということをまず考えなくてはなりません。私も食事制限や運動をすれば20kgくらい痩せるポテンシャルはあると思いますが(というかそのくらい痩せてようやく標準くらいなのですが)、じゃあ痩せられるのかというと、そう簡単ではありません。フィアットはかかるのでダイエットには挑むのでしょうが、ストレスで大きなデメリットが発生する可能性があります。再エネだって、ポテンシャルがすごいからといって、そこまで増設することが簡単かというとそんなことはないでしょう。1億kwhの発電をするためには風車を何台、太陽光パネルを何平米置けばよいのでしょうか?いくら金がかかるのでしょうか?資材や人手はどうするのでしょうか?どのくらい時間がかかるのでしょうか?どこに設置するのでしょうか?その土地は誰がどうやって手配するのでしょうか?ゲームのようにボタンを押すだけで建つわけではないし、放置していれば風車がニョキニョキ生えてくるというものでもありません。肯定側で再エネへの代替を論じるのであれば、スピーチの時間的制約はあるとしても、具体的な増設計画やシミュレーションなどをある程度論じる必要があるでしょうし、否定側は上記のような問題を質疑段階から徹底的に叩くことができます。
なお、この観点から面白いなと思った議論は、ポテンシャルは北海道など一部の地域に偏在しているという話でした。遠くまで電気を送ることはできないという分析とセットになっていて、なかなか説得的な議論だった印象です。「肯定側は北海道と東北の電気が代替できるという立証しかできていない!」といったスピーチをすれば、ジャッジにも強力なインパクトを与えることができます。

時間が限られている以上、全ての論点でここまで細かく議論していくことはできないので、メリハリをつける必要はありますが、ここぞという論点で具体的な議論を展開していくことで、試合のペースを一気に引き寄せることができます。

結論(オチ)を考えて議論する
これはどちらかというと議論が複雑になりがちな高校でよく感じたことですが、何のためにその議論をしているのか、ということがよく分からない議論があるように思いました。
例えば、石炭への投資が今後進むだとか進まないだとかいう話や、世界が脱石炭に向かうかどうかという話がやたら盛り上がる試合がいくつかあったように思いますが、そのいずれの試合でも、そこを解決するとどうなるのかというオチが分からないまま議論だけが伸びているということになっていました。その結果石炭が今後入手できなくなるとか、世界も石炭に戻ってくるので日本が使い続けても問題ない(あるいは日本だけハッスルしても解決性がない)といったところまで詰め切ってもらえば分かるのですが、石炭が今後どうなるかという話で終わってしまうと、判定には役立ちません。目の前の議論を否定することが反論の目的ではありません。何のためにその反論をするのか、ということを意識する必要があります。

上記とは少し角度の違う話として、よくよく考えるとその議論で本当に自分たちの立場をサポートできているのか、ということもあります。分かりやすい例として、高校決勝の肯定側が出した「石炭火力は不安定だ」というメリットがあります。一見面白い議論なのですが、自分たちもLNG火力を補助電源にしておきながらどの口でそのメリット出してるんだという話を措くとしても、よくよく考えるとこの議論には大きな疑問があります。それは、仮に石炭火力が不安定だからとしても、だからといって辞めてしまう理由になるのだろうか、ということです。それなら一番良い選択肢は、石炭はそのままにしておいて、肯定側によれば安定しているという再エネも増やしていく、ということではないでしょうか。プランを取らないと不安定な石炭火力への依存が増すので「石炭禁止」で大きく流れを変えないといけない、とまで言えれば、Counterplanの出せないディベート甲子園では成り立つ余地もないではないですが、JDAでは「石炭は今程度維持して後はAffのいうとおりにしましょう」とやられたら終了です。
目先のインパクトらしきものだけを見るのではなく、それって結局どういうことなんだ、オチとして成り立っているのか、ということを一歩引いた目で見ることで、思わぬ弱点が見えてくることがあるかもしれない、ということです。

難しいけどディベートはやっぱり楽しい
ということで、色々と課題めいたことを書いてしまいましたが、実際の試合ではそれぞれに選手のプレパの蓄積や工夫が表れており、見ごたえのある試合でした。何より、久々の対面での大会となり、互いの息遣いや緊迫感が伝わってきたりもしました。画面に向かって講評を垂れ流すオンライン大会と異なり、直接お話しする機会ができたことも、ジャッジとして嬉しく思いました。大会3日間を通じて、改めて、ディべートの楽しさを再確認できた思いです。そのような機会をいただけたことにつき、選手やスタッフの皆さまにこの場で御礼申し上げます。
また来年、楽しい試合がたくさん見られることを楽しみにしています。といっても、その前にJDAがありますので、楽しみはまだまだ続きますね。石炭火力に半年取り組んだ高校生の皆さまも、JDAを観戦されるなどして一緒に夢の続きを追いかけましょう。

ディベート甲子園全国大会の感想 | 02:49:10 | トラックバック(0) | コメント(0)
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