2007-09-16 Sun
どうもお久しぶりです。試験などの都合でかなり間が空いてしまいました。入院日記ということで一応試験について書いておきますと、学部までと違って普段授業に出ていたこともあり、試験前の危機感が薄くなり、何だかんだいってあまり勉強できずやや微妙な感じになってしまいました。入院を志す方はこうならないようにきちんと勉強する習慣をつけておくことをお勧めします。
というわけで、今回は証拠資料の引用方法や不正な引用について説明していきます。証拠資料については最も重要な部分ですのできちんと解説したいところではあるのですが、とりあえずは全体を書き上げ、後から補充・修正するという方法を取れればと考えています。怪しい部分があればご指摘いただけると幸いです。
今後の予定ですが、今回で証拠法の分野を書き終え、ルール解説も半分以上を終えたということになります。10月まではお休みで暇なので、議論の規律(新出議論など)について書き終わる予定なのですが、10月からは再び入院生活に入り、さらに11月に開催されるJDAに出場しようという計画がある(また別途書きます)ので、続きを書く時間があまりなさそうです。そんな感じで進むのでよろしくお願いします。
少し話は変わりますが、この解説コーナーではルールについてできるだけ詳しく議論できればということで細かい内容まで書いているのですが、実務的な要求からはかけ離れてしまっているところもあります。ただ、先日も少し書きましたが、全国大会においてもルールの解釈について理解が不足している現状があるということで、試合を見るに当たって差し当たり必要な内容だけを抽出し、必要な限りで実体的議論の解釈方法(プランスパイクの処理など)にも言及した上で、別途ライトな解説をまとめてみようということを考えています。
どうもこのブログを読んでいただいているディベート関係者(選手も含む)も少数ながらいらっしゃるようなので、現行ルールの解釈論などについて疑問点などがございましたら、コメントなどいただければ幸いです(もっとも、僕の解答が正解を保障するものでないことはいつも書いている通りです)。
前置きが長くなってしまいましたが、それでは本編です。例によって、以下の内容は公式なものではないので注意してください。
5.4 引用の方法[細則B-3~5項]
5.4.1 引用の要件
5.4.1.1 総説
証拠資料を試合の判定に反映させるためには、その内容をスピーチ中で引用しなければならない。ルールでは、細則B-3項において引用の形式的要件を定めている。
細則B
3.証拠資料を引用する際には次の要件を満たさなければなりません。インターネット上の情報を引用する際も同様です。
○著者の肩書き・著者の名前・発行年を示すこと
○証拠資料が引用されている部分を明示すること
この要件を満たさない引用方法は、不適法なものとして証明力に影響し、場合によっては引用されなかったものとして評価の対象外となる(細則B-4項)。
細則B
4.前項の要件が満たされていない場合には,引用された証拠資料の信憑性は低く評価され,あるいは資料として引用されなかったものと判断されます。インターネット上の情報,独自のインタビューや調査結果など出典の信用性が低い種類の資料については,その性質に応じてその信憑性が判断されます。
以下では、B-3項が定める2つの要件についてその趣旨や要請を議論した上で、要件を満たさず無効とされた引用の効果について検討を加える。
5.4.1.2 出典の明示
細則B-3項で定められる引用要件の第一は、著者の肩書きや名前、発行年を示すことである。
既に述べたとおり、ルールでは細則B-2項において、証拠資料として記録すべき出典情報を定めている(5.3参照)。同項の規定が再現可能性の原則を担保する趣旨であることに対し、細則B-3項で出典を明示すべく定めているのは、引用された証拠資料の証明力を評価するために必要な情報を提示させるためである(細則D-2項3号も参照)。これは、B-3項での要求が著者名の他には著者の肩書きと発行年のみを要求していることからもうかがえる。
もっとも、証拠資料の証明力に関係する出典の要素としては、著者の肩書きや発行年のほか、証拠資料の媒体や文献名(文献名に著者の主張が端的に示されることが多い)なども含まれるから、本来であればそれらを全て提示させることが望ましいとも思われる。しかし、ルールでは証明力の評価に必要な最低限の要素だけを取り出し、残りの要素については選手の判断に委ねることを選択している。
従って、B-3項に定められた要素以外を証明力の補強として提示することは当然許されるが、そうした要素を出典として明示しないことは、少なくとも同項の規定に照らしては違法とされない。もちろん、出典を明示することなく、その性質を偽るようなスピーチをした場合は、資料の改竄ないし捏造に問われうる。
逆に、B-3項に定められた出典の明示を欠く引用については、どのように評価されるべきか。この点につき、B-4項は「前項の要件が満たされていない場合には,引用された証拠資料の信憑性は低く評価され,あるいは資料として引用されなかったものと判断されます」としており、当然に引用が無効とされるものとはしていない。
細則B-3項は主に証明力を判断させるための規定であるから、定められた出典の要素が一部欠けるとしても、その違法は証明力の判断において反映させれば足りるから、出典が不十分であったことをもって引用を無効とする必要は無い。
ただし、証拠資料の使用に当たっては常に再現可能性の要請が働くのであり、その要請からしておよそ再現可能性を欠き、実在する証拠資料であるとは到底思えないような引用方法である場合は、もはや証拠資料として評価することはできないため、要件を欠く引用として無効と解すべきであろう。これに照らすと、少なくとも著者名の明示を欠く引用は、原典を探索することが極めて困難であり、権威性を評価する基礎も提示されていないことから、無効とされるべきである。
「著者の肩書き」、「著者の名前」、「発行年」の意味については、細則B-2項についての解説と同様である(5.3.2参照)。
5.4.1.3 引用範囲の明示
細則B-3項で定められる引用要件の第二は、引用部分を明示することである。
証拠資料として引用される部分は、選手とは異なる独自の権威性を前提として、特別な評価がされることになる。従って、選手の発言した部分と、証拠資料として試合当事者以外の見解が援用されている部分は、明確に区別される必要があり、証拠資料として認識できない部分については、証拠資料としての評価を受けられないことになる。B-3項が引用部分の明示を求めているのは、上記のようなな理由から、証拠資料の内容を選手の発言と区別させ、証拠資料として審判が評価できるようにするためである。
ここからすると、出典の明示と同様、引用範囲の明示についても、証明力評価のための要請であるということができるが、その意味合いは若干異なる。すなわち、出典の明示は証拠資料であることを前提としてその証拠を評価するためのものであるが、引用範囲の明示は、そもそも当該内容を証拠資料として評価できるかという問題に係る要素であり、理論的には出典明示の前提となる。
よって、引用範囲が明示されず、証拠資料の内容がどこか特定されていないという場合、その部分は証拠資料として評価されないのであるから、結果として引用は無効となる(なお、引用範囲の特定に関係して、引用の一部無効がありうることは後述する)。
引用範囲の明示方法については、ルールは特に明文を置いていないが、改正前のルールでは「引用開始と引用終了を明らかにして」という記述があった。2007年改正に当たって証拠法の規定が整理されるとともにこの記述派削除されたのであるが、その理由としては、引用に際して「引用開始…引用終了」という形でスピーチがされる慣行があるところ、これが若干機械的に過ぎ、そのような明示方法のみを許すように見える条文は好ましくないのではないかという判断がある。
このような立法経緯や、引用範囲を明示特定すべきとの趣旨に照らせば、引用範囲を明示する方法としては、文言に囚われることなく、証拠資料であることを区別できる限り、選手の自由に委ねられていると解すべきである。例えば、「○○大学の△△教授は2007年に次のように述べています。『…』引用終わり」といった明示方法がありうる。
なお、明示するための文言を用いず、スピーチに間を置くことによって引用範囲を特定する方法が許されるかどうかについては争いがある。特に、スピーチの終わりに「引用終了」などの語を用いることが不自然と思われることから、一定の間隔を置いて次の内容に移ることで引用の終期を示そうとすることは、実際にありうるところであるが、かかる方法による引用範囲の明示は明確性を欠き望ましくないとの批判もある(ディベート関係者のものとして、獄南亭主人ディベート心得帳『「意見と事実」について考える(1)証拠資料の引用と引用終了』など)。
確かに、明確性を確保するため、語句による明示を要求することには強い説得力がある。しかし、B-3項の趣旨が証明力判断のためのものであり、B-4項が要件を欠く引用を当然無効としていないことからすると、語句による明示は行為規範として要求されるとしても、評価規範としてはそれを絶対と考えるのではなく、明示されたと分かればそれで足りると解すべきであろう。こう考えたとしても、およそ明示されたとはいえない間の取り方である場合は、有効な範囲明示がされなかったと扱うことになる。
上記の論点に関連して、引用範囲の明示が不十分であり、どこが証拠資料の内容であるか十分特定されていない一方、明らかに証拠資料であると分かる部分が存在するという場合について、その一部につき特定があったとして有効とする(一部無効の処理)ことができるかが問題となる。
これについては、前述のように語句による明示を要求しない立場からすれば、明示がなくても証拠資料として引用されたものと判断できるのであれば、その部分を証拠資料として採用することができるという結論になる。このように考えたとしても、B-3項の趣旨が没却されるものではない。一方、範囲の特定に際し語句による明示を要求する立場からすれば、そのような処置は許されないことになろうが、そのような処置が適正な判定のあり方から望ましいとは必ずしもいえない(客観的に見て引用された内容であることが明らかである部分まで無効とし、その結果勝敗が決するとすれば、形式的に過ぎるという非難を免れないだろう)。
従って、この点については、一部無効の処理を認め、明らかに証拠資料として引用されたといえる部分については、選手による明示なくして採用できると解すべきである。ただし、そのような処置が当事者にとって不意打ちにならないよう、審判としては証拠調べなどの手段によって引用範囲の特定を行い、証拠資料として引用された部分を告知することで攻防対象を明確化する処置を取るべきである(4.3.3.2参照)。
5.4.1.4 無効な引用の効果
上記の要件を満たさない結果、引用が無効とされた場合、当該スピーチは証拠資料としての評価を受けない。しかし、そのことはスピーチ内容がなかったものとされることを意味しないから、無効な引用とされても、選手の発言としては評価の対象となりうる。もっとも、証拠資料として客観的権威性に裏付けられることがない以上、その評価はかなりの程度減殺され、内容の性質によっては評価に値しないことになることはやむをえない。
無効な引用について、相手方がその引用を認めた上でその内容を自らに有利に援用することが考えられるが、B-3項により無効な引用とされた内容は、審判が証拠資料としての証明力を認められないと判断するものであるから、そのような援用は許されない。
この点の評価は議論に付する同意の効力(後の章で詳述する)をどう考えるかによって左右されるが、後で述べるとおり筆者は同意に審判への拘束力を認めない立場を取るため、相手方が認めたことにより特別の評価が与えられるとの見解には賛同できない。また、当事者の同意によって対象のスピーチ内容を証拠資料と見なすことにも無理がある(自由心証主義の観点からも不当であるし、出典が明示されていないような場合、いかなる証拠資料として評価すればいいのか不明である)。
ここで、無効な引用とされた部分が後述する違法な証拠資料に当たるとされた場合、これを違法として反則その他の処置に問えるかが一応問題となる。というのは、証拠資料の引用に関する不正は、当該引用部分が証拠資料として評価を受けることを前提として成立すると考えることができるからである。
しかしながら、改竄・捏造された証拠資料は、実際には存在しないものであり、引用としても無効であるというべきであるが、これを処罰すべきことは明らかであるから、引用として無効であることが違法に問えない理由となるものとは考えられない。違法な証拠資料の使用が処罰の対象となるのは、その証拠資料の引用が有効であることを前提とするのではなく、有効な証拠資料として不正な内容を提出し、対戦相手及び審判を欺き、もって試合の公正を害することにあるのだから、そのような要素があると評価されるのであれば、結果として証拠資料の引用が無効であったかどうかは関係ない。
そうとすれば、無効な引用であったということは違法の処罰を阻害するものではなく、引用されようとしていたことをもって反則処分の対象となりうると解することになろう。
5.4.2 引用方法
5.4.2.1 直接引用主義
細則B-3項では、証拠資料の引用に際し、原典の文面をそのまま引用すべき旨を定めている。
細則B
5.証拠資料を引用する際には,原典の文面をそのまま引用しなければなりません。ただし,元の文意を損なわない範囲で中略を施すことは,そのことを引用中に明示する限りにおいて許されます。
この規定は、当該文面をそのまま紹介させることが客観性が保障される点で望ましいことに鑑み、証拠資料の評価を適正に行うため、直接引用を義務づけるものである(直接引用主義)。
B-3項が形式的側面から証拠資料の信用性を担保し、その評価を基礎づけているのに対し、B-5項では内容面において原典と引用内容の同一性を保障し、実質的側面から証拠資料の信用性を担保するものであるといえる。
従って、原典の文面をそのまま引用しない場合、その内容は証拠資料として評価されることはない。そのような場合、B-6項より試合の評価から除外されるほか、場合によっては細則C-1項6号の反則処分を受けることになる。
関連して、原典をそのまま引用していないことを明示した上で、その内容を要約して提示することが証拠資料の引用として評価しうるかが問題となるところであるが、前述したようにそのような提示方法は証拠資料の引用と考えることはできない(5.2.3.2参照)。この結論はB-5項からも根拠づけられる。
さらに、外国語文献の翻訳についても、一旦翻訳という作業を経ていることから、直接引用主義に反するものであるが、B-5項が証拠資料の信用性すなわち証明力の保証をその趣旨としていることからすれば、翻訳によって直ちに直接引用主義に違反するということはできない。しかしながら、既に述べたとおり、少なくともディベート甲子園においては、翻訳の正確性に疑いがあることから、その証拠能力を否定すべきと考えられる(5.2.2.5参照)。
5.4.2.2 中略を伴う引用
B-5項但書は、直接引用主義の例外として、「元の文意を損なわない範囲で」文中での中略を許している。これは、引用に際して立証趣旨と関係しない部分まで引用することが議論の効率を下げることから、文意を損なわない範囲であればそのような部分を除外することを許すものである。適切に中略がなされることで、かえって内容が明確となり分かりやすくなる可能性もあり、中略を認めることは妥当である。
ただし、条文中にも規定があるとおり、中略を施すことは被引用文献の本来有していた意味を改変し、文意を損なうことにつながりうる。直接引用主義の要請も、そのような事態を防ぎ、引用内容と原典の意味的同一を保証するためのものであった。
よって、「元の文意を損なわない範囲」の判断は厳格になされる必要があるが、これについては個々の事例に即して判断されるほかないが、以下、考慮すべき要素を挙げる。
文意を変える中略(不利益な部分を省略したり、中略によって元々存在しない文意を表現するもの)は許されないことはもちろんのこと、統計データの母数(しばしば括弧書きで示される)など議論の評価に当たって重要な内容を省略し、相手方の反論の機会を奪うような中略についても、文意を損なうものとされる。
また、文章の意味はそれぞれの文を可分である最小の単位として捉えることが妥当であるから、句点を中略の単位とし、ある文の途中で中略を入れることは認めるべきでない。
中略する部分については、過度に長くなってはならない。極端な例としては、最初の1頁から中略して100頁後の内容につなげるという方法は、それが著者の意図に反せず、意味として不自然でないとしても、引用の方法としては不当というほかない。このような場合、一旦引用を中断し、二度に分けて引用するべきである。
中略を施すに当たっては、スピーチ中に「中略」と断りを入れる必要がある。ここで、団体名の略称など、括弧で記載されているが意味的には重複しており引用に際して省いても差し支えないと考えられる内容につき、中略を明示することなく読み飛ばしてよいか。例えば、「日本ディベート協会(JDA)は…」といった文章の括弧内を読み飛ばす場合などである。
この点については、こうした団体略称の表記が元々の文章を補完するものに過ぎず、その部分を読まないことで相手方の攻撃機会を損なうものでない以上、中略が許され、またそれを明示する必要もないと考えられる。この部分を中略したとしても、意味内容として変化はないからである。もっとも、引用部分の中にその略語が繰り返し出てくるという場合は、何の略語であるかが重要であるから、これを読み飛ばすことはできない。
5.4.2.3 孫引き資料
直接引用主義の応用問題として、いわゆる孫引き資料の使用の是非が問題となる。孫引き資料とは、ある文献(一次文献)を引用した部分(二次文献)を証拠資料として引用したものであり、引用の引用という性質を有する。
このような二重の引用が、直接引用といえるかが問題となりうる。
条文上は、B-5項が「原典の文面をそのまま引用」としているところ、孫引き資料たる二次文献が一次文献を正しく引用している限り、二次文献を通して一時文献の文面をそのまま引用しているといえるから、直接引用主義に反することはない。
しかしながら、証拠資料の証明力という問題では、孫引きの部分については一次文献の出典により評価をする必要があるから、二次文献で一次文献を引用している部分については、一次文献の出典についてB-3項に要求された出典の要件が要求されていると解すべきである。二次文献についての出典はその著者が記した内容を支えるのみであり、別の著者により書かれた一次文献の内容を保証するものではない。
二次文献を引用した範囲のうち、一次文献を引用している孫引き部分について証明力を認められないという場合、当該部分は最終的評価において証明力を認めることができないが、その場合は選手による引用の無効に準じ、残された部分との関係で選手により引用された二次文献の部分全体を評価することになる。
5.5 違法な証拠資料[細則B-6項、細則C-1項5~6号]
5.5.1 総説
ルールでは、文章の改変や捏造などを禁じており、その証拠を評価から除外する(細則B-6項)ほか、反則の理由としている(細則C-1項5~6号)。
以上のように、ルールは不当な証拠資料の使用を禁じるとともに、それに反する違法な証拠資料を判定から排除し、さらに進んでそのような資料を用いた競技者を大会から排除することを意図している。
このように厳しい規定が設けられている理由は、ディベートにおける議論の価値を保持し、競技の公正を保つこと、そして何より、不正な証拠資料を使用するという行為自体が教育的に是正されるべきことにある。すなわち、判定の公正と教育的効果という2つの理由から、違法な証拠資料はディベートから排除されるべきなのである。
以下では、違法な証拠資料とされるものについて説明した上で、違法な証拠資料に対してなすべき処分について検討を加える。
(違法な証拠資料に関して筆者の書いたものとして「証拠資料の不正な引用」があるので、参照されたい)
5.5.2 捏造された証拠資料
細則C-1項5号では「証拠資料を捏造して使用したとき」を反則事由とし、試合の敗戦ないし大会の失格(細則C-2項で同1項の事由を準用)の理由とされている。
証拠資料の捏造については、細則Bにおいて規定が設けられていない。これは、捏造された証拠資料はそもそも存在していないものであるから、証拠資料の使用として観念できないということによる。よって、捏造された証拠資料は、その内容に関わらず、証拠資料として評価されることはない。
捏造とは、実際に存在しない資料を、その存在を偽って使用する行為を指す。
ここで、作成者がチームの関係者でない場合、「捏造して使用」したことにならないから違法でないと読む余地もありうるが、権威性を偽って作成された文章はそれ自体が捏造であるから、それを知って証拠資料として引用する行為も捏造による使用に該当し、証拠資料としては評価されない。捏造であることについての認識の有無は、反則処分とすべきかどうかの判断要素として考慮されるにとどまる。
捏造にあたるかどうかの限界事例として、インターネットサイトのように簡単に証拠資料の形式を装って文章を公開できる手段により、自分たちに都合の良い見解をサイト上に公開し、それを引用する行為が「捏造」に当たりうるかという問題がある。しかし、この点については、サイトの管理人名義が正しく明らかにされている限り、その権威性に基づいて判断する(一般の学生による文章であれば、信憑性は著しく低く、実質的に引用しない場合と変わりない)ことで妥当な結論が導け、これを捏造という必要はない。
もっとも、インターネットサイトにおいてはその作成名義も容易に偽れるため、自分で作成したものを専門家の手による文章と偽ってサイトに公開するという行為も考えられる。このような場合は、一応サイト上の出典をそのまま引用したものであるため捏造ではないが、これは本来存在しない権威性に基づいて資料を作成したことになるから、捏造として違法となる。
5.5.3 改変された証拠資料
資料の文面を改変する行為は、細則B-6項で禁じられているほか、細則C-1項6号で反則の対象となっている。文面の改変は本来存在しない資料を作出するという点で捏造と同視しうるものであり、厳しく処分されるべきである。
文章の改変とは、実在する証拠資料の文面について変更を加え、そのまま提示することである。改変内容が引用した選手にとっての有利であったかどうかには関係なく処罰の対象となることはいうまでもない。
なお、読み間違いなどで結果として文章が元のものと変わってしまったという場合は、意図的な改変とはいえないから、証明力の次元で考慮されうるとしても、反則事由とはされない。その意味で、証拠資料の改変を処罰するには、改変を加えることについての故意が要求される。
この点につき、外国語文献の翻訳に証拠能力を認める場合、過失による誤訳を証拠資料の改変とすべきかが問題となる(認めないとしても反則事由にはなるので問題として存在しうる)。英語ディベートにおいては、過失による誤訳も処罰の対象とされているようであるが、翻訳作業には正確性が当然に要求されていると解すべきであり、その点からすれば内容の妥当性(不当に有利な内容としないこと)につき無過失責任を負うものというべきであるから、過失による誤訳も処罰対象となるという立場を取るべきである。
5.5.4 著しく不当に引用された証拠資料
細則B-6項、C-1項6号では、「元の文意を変えるような不適切な省略」を禁じている。これについては、直接引用主義の例外として既に説明した通りである(5.4.2.2)。
反則事由としての不適切な省略について特に問題となる論点としては、著者の意図に反する内容を引用した場合にこれが「不適切な省略(引用)」にあたるのかというものがある。
このような引用を不適法とする論者は、著者の意図が常に要求されるという前提に立っているが、そのような理解は正しくない。すなわち、証拠資料における著者の権威性は、客観的に文面の内容を保証するという最低限の効果を有しており、その効果は著者の意図と関係ない一般的記述にも及ぶものである(それゆえ、著者が議論のために反対説を紹介している部分についても「そのような見解が存在する」ことにつき権威性の保証が及ぶ)。著者の意図に反するか否かが証明力の次元で影響するとしても、そのことが直ちに反則事由となるものではない。
著者の意図に反する部分を選択的に引用することが反則となりうる場合としては、著者が意図しない反対説があたかも著者によって支持されているかのように引用され、その結果として著者の権威性による内容面での支持を不当に作出するようなものが挙げられる。B-6項ないしC-1項6号の適用がこのような例外的な場合に限られることは、条文において「元の文意を変えるような」という限定が付されていることからも明らかである(なお、この限定は上記のような議論の趣旨を明確化するため、2007年改正において追加されたものである)。
なお、上記のような例外的な不当中略のなされた場合、これは実質的に存在しない意味を作出するものであるから、文章の改変であると解する余地もある。いずれにせよ、条文上は同じ部分に書かれた要件であるから、どちらの理由で処分するかは大きな問題ではなく、反則処分に付するかどうかの判断において違法性を評価するための一要素として考えれば足りる。
5.5.5 違法な証拠資料に対する処分
上記のような違法な証拠資料についてなしうる処分としては、細則Bに定められた証拠排除の措置と、細則Cによる反則処分がある。
細則B-6項に基づく証拠排除は、違法な資料をその限りにおいて排除することを定めている。
細則B
6.文章を改変して引用したり,元の文意を変えるような不適切な省略を行ってはなりません。そのような引用がなされたと判断された場合,その資料は試合の評価から除外されます。
条文の規定より、改変引用や不適切な省略があったと判断した場合は、当該資料は必要的に排除されなければならない。改変や不適切な省略の程度が小さいとして証拠排除を行わない(証明力の評価に留める)ことは許されない。これは、違法な証拠資料の使用を禁ずべき教育的要請などから要請される者である。
従って、相手方から違法な証拠資料について同意がされたという場合も、証拠排除の結論は変わらない。違法な証拠資料の排除は、相手方の保護ではなく、試合の公正や教育的効果という客観的な利益のためにされるからである。
なお、既に述べたとおり、捏造された資料の引用はそもそも証拠資料の引用といえないから、証拠排除するまでもなく、当然に無効な証拠資料とされる。
以上のような証拠排除にとどまらず、反則事由として試合の敗戦や大会の失格にすべき重大な違法があるかどうかは、審判の判断に委ねられる。
これについても個別的な判断によるが、証拠排除によって当該試合での判定の公正は一応保たれると判断されるから、さらに進んで反則をするかどうかを考える判断基準としては、資料の文意が変えられた程度、違法行為への故意(変更内容がどの程度試合を左右しうるものであったかという評価はこの点で考慮できる)などを総合的に判断し、教育的に反則処置による違法の明示をすることが必要かつ相当であるかを判断するということになろう。この観点からすれば、資料を捏造したり改変したという場合は、ほとんどの場合に明確な故意が認められるから、反則として処罰されるべきであろう。