愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
2007年JDA秋季大会参戦記(3:JDA当日までの状況)
去る11月4日にJDA秋季大会が開催されたので、今日からの記事は大会の振り返りということになります。結果はというと、僕のチームは準優勝ということになりました。決勝に進めただけでも出来過ぎなのですが、大会までの取り組みを含めて、有意義で楽しい大会でした。

まだ大会までにあったいくつかの練習試合について書いていないのですが、決勝戦を戦ってみて思ったことなどとの関係で、この参戦期では決勝戦の内容を詳細に振り返ることを中心にして(他の試合は録音を忘れてしまったのでそれができないという事情もある)、その他の試合については簡潔に流すことにします。
とはいえ、大会までの準備を振り返ることにはそれはそれで意義があるとも思いますので、試合内容というよりブリーフ作りの過程など、作業の内実を中心に大会までの期間を振り返れればと思っています。そんなに特別なことをしているわけではないので書くことは多くないのですが…。

それでは以下、本編です。
*以下で紹介する証拠資料の出典、内容などには責任を持ちませんので使用される際には原典を確認しましょう。


○ ブリーフの改良
実験室での練習会で他チームの気合の入りっぷりを見て、これではいけないとブリーフを再検討することになりました。とはいえ、やることといえば資料の見直しと主張の付け替えです。
ディベート甲子園とかで準備をしている方は、そもそもブリーフ(原稿)がどんなものか分からないかもしれないので、大会本番で使用したものの一部を少し紹介してみます。

犯罪増加DAへのアタック
【Step3(*1):代替刑との比較】
1.死刑廃止で犯罪が増加するといえるためには、死刑が我々の主張する終身刑より強い抑止力を持ち、そのような抑止力でしか防げない犯罪があることを示す必要があることをご確認ください。

2.実際には、終身刑のほうが抑止力を有しています。なぜなら、抑止力は刑の強度でなく持続性から生まれるからです。
1764年(原文初版),1938年岩波文庫初刷『犯罪と刑罰』法学者・チェザーレ=ベッカリーア P93
「人間の精神にもっとも大きな影響を与えるのは刑罰の強度ではなくてその継続性である。これはわれわれの感性が、はげしいが一時的な衝動によってより、よわいが持続的な印象によってずっとたやすくまた永続的な影響を受けるからである。すべて感覚をもつ存在は習慣の支配を受ける。習慣が人類に話すこと、歩くこと、さまざまな欲求を満足させることを教えたと同じに、道徳的な観念もまたくりかえし与えられる印象によって人の心にきざみこまれるのである。この道理でいけば、犯罪へのクツワとしては、一人の悪人の死は力弱いものでしかなく、強くながつづきのする印象を与えるのは自由を拘束された人間が家畜となりさがり、彼がかつて社会に与えた損害を身をもってつぐなっているその姿である。このありさまは見る者にこう考えさせる――「私が罪を犯せば、私もまた一生涯あんなみじめな状態におかれるのだ」と。これは人が死に対していだいている遠いばく然とした考えよりはるかに強く人の心をたたきつけるだろう。」


3.刑の長さが処刑より抑止力に関係するということは統計学的にも証明されています。
1990年「死刑を考えるための常識 死刑の犯罪抑止力」『法学セミナー増刊46』辻本義男 P267
「ベイリーも、断面的な方法を用いて三九州の一九一〇年~一九六二年の二八年間の殺人率を研究した結果、処刑と殺人率の間に小さな否定的相関しか見出さなかったので、殺人率を決定する最良のものは、処刑より社会人口統計的指標と拘禁の長さであると結論した。このようにこれらの研究は、死刑が終身刑より大きな抑止力があるということを科学的に証明できず、この種の立証は今後も行われそうにない。全体として、これらの証拠は抑止仮説になんら積極的な支持をあたえるものではないことが明らかになった。」


4.実際に、死刑が終身刑より抑止力を持つわけではないとの研究結果があります。
アムネスティインターナショナルHP 2007年10月2日
http://homepage2.nifty.com/shihai/shiryou/facts&figures.html

「死刑が他の刑罰よりも有効に犯罪を抑止するという説得力ある証拠は、科学的研究によっては一貫して得られていない。1988年に国連(訳注:国連犯罪防止・犯罪統制委員会)のために行なわれ2002年に改訂された、死刑と殺人発生率の関係についての最新の調査結果報告書の出した結論は「死刑のもたらす脅威やその適用が、より軽いと思われる終身刑のもたらす脅威やその適用よりもわずかでも殺人に対する抑止力が大きいという仮説を受け入れるのは妥当ではない」というものだった。」


*1:抑止力への反論は4段階に分けて用意している(Step1が理論的反論、Step2が統計学的反論、Step4が廃止国の結果による実証的反論)


もちろん、上記の全てを読むわけではなく、必要に応じて選択して読んでいく(実際はほとんど使わない議論もある)わけですが、こうした原稿を全ての論点につき用意していけば、無駄な時間を使わずに厚い反論をすることができます。僕も高校の頃は論点ごとの資料集という形で資料だけを並べていたのですが、反論を想定して原稿の形にしたほうがやりやすいということは言うまでもありません。

で、ブリーフの改良ということになると、基本的には主張の修正(実際には試合中にも相手に合わせて言い換えるのであまり意味はないのですが)と資料の差し替え・刈り込み(読むべき部分以外を中略する。不当中略は当然厳禁)といったところです。もちろん、練習試合で気づいた新しい反論などがあれば、適宜追加していきます。

○ 二度の練習会
前回の練習会の後、2回の練習会が開催され、両方ともにお邪魔させていただくことになりました。ブリーフを改良したことやスピーチの経験値がやや上昇したこともあって、一応は形になってきたという感じです。

練習会での最大の課題は、相手に合わせたスピーチの重要性、ということです。これは「相手の議論に合わせる」という当たり前のことも含むのですが、それ以上に「相手のレベルに合わせる」(!)ということも意味します。
比較的プレパが進んでいないチームや下級生のチームに対しては、多分100%に近い勝率を計算できる程度のパワーはついてきたと感じたのですが、JDAの大会ではスピーチポイントというのが重要になってきて、表現だけでなく議論の中身についても細かく採点されます。この得点は相手の議論によって大きく左右されるところで、大量にスプレッドして相手が混乱したまま力押しで勝利する…という試合では、結果としては圧勝だったとしても、スピーチポイントは低くなってしまうというわけです。そこで、相手の議論に合わせた適切な分量でコンパクトに返し、かみ合った反論をうながしつつそれを上回る議論で戦う…ということも必要になってくるわけです。暴れればいいってものではないということですね。

本当に上手なディベーターなら余計なことを考えなくてもそうなるのでしょうが、僕の場合はスピーチをセーブして臨機応変に戦えるほどの技量がありませんので、相手の議論と比べたときに不必要に多くの議論を出してしまい、自分でもまとめきれなくなってポイントが伸び悩むということがあります。
練習会で戦ったいくつかの試合では、多分そんな感じになっちゃったなぁという感じがあり、この点については「絶対回さないといけない議論」をしっかり確定させ、優先順位を踏まえて必要な議論に絞りスピーチするという意識を徹底させようと思いました。もっとも、大会本番ではそのような配慮をしている余裕のないチームとあたっていたので、この問題が表面化したことはなかったのですが。

○ 最後の追い込み
上記2回の練習会のほか、弁論部の後輩たちとも練習試合をし、そのたびに議論を詰めていたということもあり、それなりには調整の進んだ形で本番に向けて進むことができました。
しかし、なまじ大量の資料がそろってしまったこともあり、最善を期そうといろいろ作業していると、結構大変なところがあります。このあたりで弟にも多少負担をかけてしまいました。一緒に住んでいることもあってプレパを寝逃げすることを許さない兄に弟が逆ギレしたり、プレパ中と思っていた兄がネットサーフィンに興じていたことを知った弟がやる気を失ったりというアクシデントもありました。

そんなこともあったのですが、とりあえず一通りの議論を完成させ、主要なエビデンスについてはスピ練もしたということで、あとは試合に臨むだけということになりました。
JDAでは怪しい議論が飛び出てくる可能性もあるということで、死刑囚の臓器移植をするという議論(中国でやってる)の返しや、戦時犯罪など一部を除き死刑を廃止する(すなわち死刑は廃止しない)という例外のこしCounterplanの準備、Topicalityの返しなども原稿を作っておきました。アホらしいとは思うのですが、アホらしいなりにも立てる余地のある議論で、そんなものに負けたら泣くに泣けませんからね。

ちなみに、今期聞いた中で一番面白かったのは、「死刑で死んだ囚人の魂は未浄化霊となって他に憑依し、似たような事件を起こさせるが、終身刑なら反省してから死ぬから大丈夫」という議論です。これは実際に資料があるんですね。少し紹介しましょうか。

2006年7月「スピリチュアル世相診断(5)死刑廃止と未浄化霊」『新潮45』スピリチュアルカウンセラー・江原啓之 P134
「しかし、それでも私はスピリチュアリストとして死刑に反対せざるを得ないのです。死刑を廃止する代わりに、終身刑を設けるべきだと考えています。なぜならば、死刑となった人のたましいは未浄化霊となって、同じようなたましいを持つ人に憑依し、似たような事件をおこさせることがあるからなのです。」

2006年7月「スピリチュアル世相診断(5)死刑廃止と未浄化霊」『新潮45』スピリチュアルカウンセラー・江原啓之 P137
「死刑とは「たましいを肉体のくびきから解放してしまう」ことでもあります。そんな簡単にたましいを自由にはさせず、生涯にわたって自分のやったことを深く反省させることが何より大切だと私は思っています。たとえ終身刑にしても、何十年と刑務所で暮らすわけですから、その結果「俺の人生を台無しにしやがって」と恨み・つらみが残るのは死刑と一緒ではないかと疑問視する人もいるでしょう。その可能性は否定できませんが、それでも死刑より、憑依の危険性は低いと思います。なぜならば、人間は長い年月の間に、恨み・怨念を次第に忘れていくものだからです。ご自身で考えていただいても、「あの野郎、許せない」と思っていても、年月が立つうちにどうでもよくなることってありませんか。まして刑務所のなかでは規則正しい生活が強制されます。そうした生活の中では、よほど精神の捻じ曲がった人間でない限りは、最後には反省して、自らの罪をあがなう気持ちを抱くようになるのではないかと思います。」


この議論は練習会で実際に今大会の優勝チームが回していた(冗談だった…と信じたい)のですが、まじめに反論するとすれば以下のようなブリーフを作ることになるでしょう。

1.魂が憑依して犯罪が増加するという点について科学的・実証的な証明がありませんので、そもそもこの議論は評価できません。

2.江原さんの理屈に立てば、死刑囚に憑依の危険性はありません。なぜなら、死刑によって死刑囚は罪を悔いて反省するからです。
1978年『犯罪心理学入門』専修大学教授・森武夫 P259-260
「死刑囚は、有限の時間しか残されていないためか、何かにつかれたように熱中する。学校時代に劣等生とみられていた者が、立派な詩歌をよむようになったり、むつかしい本を次々と読破するなど、極めて活動的、創造的な活動にはげみ、密度の濃い生活をする人が多い。感情的には興奮しやすかったり、逆にうち沈み、悲嘆にくれる人もあるが、前非をくい、被害者の冥福を祈り、真人間になることも珍しくない。」


2004年「国家と死刑 オウムという転換点」『現代哲学』32巻3号  弁護士・安田好弘 P54
「僕の依頼者の被告人に、死刑になることによってしか詫びようがないんだと言った人がいました。死刑になることによってはじめて自分が犯した罪は許されるんだと。」


3.ターンアラウンドです。終身刑だと望みがなくなり、囚人は自暴自棄的姿勢に終始するため、そのまま獄中死すると憑依するようになります。
1998年「死刑存置論と廃止論の接近」『松尾浩也先生古稀祝賀論文集 上巻』元最高検検事、白鴎大学法科大学院教授・土本武司 P129 
「しかし、絶対的終身刑には別の問題がある。行刑職員は絶対的終身刑に対していかなる理念によって処遇すべきであるのか。現在は有期刑囚に対してはもちろん、仮出獄を前提とする無期刑囚にも社会に復帰することを目ざしての改善更正を処遇理念としているが、社会復帰が不可能な者に対していかなる処遇理念による行刑をなしたらよいのか。一方、受刑者自身も、社会復帰が絶望的であれば、一縷の望みもなく、しかも死刑を廃止すればこの絶対的終身刑が最高刑であり、それ以上の刑はないのであるから、改善、更正の意欲を失い、自暴自棄的姿勢に終始することになる。」


4.憑依のリスクがあるというのなら、カウンタープランとして「死刑囚に江原さんのカウンセリングを受けさせ、憑依のリスクがないほど改心してから執行する」ことを提案します。
非命題性:死刑を執行しない。
競合性:死刑存置が前提なので競合しない。
解決性:「オーラの泉」を見よ


…と、そんなことを考えたりもしつつ、大会当日を迎えたわけです。


次回は予選についてさくっと書き、次々回から決勝の議論を詳細に(スピーチを書き起こす予定)振り返ることにします。具体的な議論の着想などもここで取り上げられればというところです。
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