愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
2007年JDA秋季大会参戦記(10:JDA決勝Ⅵ[1AR])
さて、かなり間が空いてしまいましたが、試験も終わったのでJDAのトランスクライブを再開したいと思います。既に今年の前期論題としてカジノ合法化が決まっているところに死刑というのもアレですが、生暖かい目で見ていただけると幸いです。

ちなみに、試験はとりあえず全科目何かそれらしいことは書き付けてきたので、質はともかくとして単位は来ていると思います、多分。

それでは以下、決勝1ARです。

(注意)
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2.サンクスワードは省略しています。また、一部編者が[]囲みで注釈やスピーカーの独り言(?)などを入れています。
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○ 1AR
1ARは1ACと同じく山中さんのスピーチです。文章だと伝わりにくいですが、重要なポイントにアクセントを置いて強調するなど、印象に残るスピーチでした。

じゃあまず論点1、ケースのほうから見てください。論点1のプリザンプションの議論と行為主体の義務。つまり、論題を、我々、死刑がいいかどうかを論じているのではなくて、日本が死刑を廃止すべきかどうかを論じているんです。したがって、日本政府の行動規範、つまり憲法に基づいて議論すべきだということを、ここは完全に認められています。

そして論点2の哲学。進歩の可能性を言ってきました。今がそのあいまいに思えても必ずや人間は前に進んでいきます。ここについても認められています。

それでは論点の3点目、人間の尊厳について。彼らは色々言ってるんですけどまず、第一点に指摘しておきたいのは、定義が食い違っていることです。そもそもケースの定義は、再生可能性を奪ってしまうと、そういう人間を見限ってしまうんだと考え方の人が、人間の尊厳を奪ってるんだってことですので、彼らの反論は全く反論になっていないってことを全体的に確認いただきたいと思います。

で、それについて、憲法において、昭和23年大法廷判決を引用してですね、えー彼らは公共の福祉について制限可能だといいましたけどこれは当たりません。
1点目の反論として彼ら、昭和23年度というはるか大昔の判決を出して、これは今にも適用可能できると証明していません。
2番目。判決が依拠している公共の福祉というロジックだって、公共の福祉というとご存知のように調整原理ですから、死刑を殺すこと…殺人犯を殺すことが、他の人の迷惑を解消するというロジックでなければいけません。これは今回論証されてません。実際には死刑囚は、閉じ込めておけば、無期懲役によって迷惑をかけないわけですから足ります。
で、3番目。このことは実際に[聞き取り不能]なって言われています。岩波金沢大学教授は87年に言ってます。
「ここにいう公共の福祉とは社会の全ての人、全ての国民が調和的に共存するところの福祉であり、そのため、殺人犯人であっても彼の死ぬことが公共の福祉の原則に合致することはありえないのであるから、公共の福祉の原則を根拠に生命権の剥奪、すなわち死刑を肯定することは不可能である」おわります。(出典不明)
この論点によって、我々のそもそものケースのほうが彼らの反論より優れているということで合っていると思います。

で、B、残忍化について。ここは、彼らのデメリットと、もうこれは…対立する議論です。したがって、残忍化が成り立つならば、我々の勝利になります。
で、残忍化について、そもそもケースの1点目と2点目、つまりね、残忍化が起こっているとすると、日本でそれが報道で加速してるんだという二段構えの構造になっていることを確認していただきたい。で2番目については特に反論がありません。
で、ここについて、彼らの…いいですか、ここが大事なポイントです。いろいろなリンクをこの後デメリット出てくるんですけども、最終的には事実はひとつですから、統計効果として殺人が増えたのかどうかというデータによって明らかに論証できるはずです。もしデータによって明らかにならないものがあるという証明…クレームを否定側がするなら、これはプリザンプションを満たしていません。
で、データを見てくとどうなるのかというと、日本においては少なくとも私たちのケースの2番目のエビデンス、報道によってたくさん殺人が増えてるんだということ、で彼らのデメリットというのはアメリカでいろいろあるんだとおっしゃっていますけど、日本とアメリカは違います。これは決定的です。宮本さん、文教大学の国際学部教授は98年に書いています。
「しかし、両国が死刑制度を共通に維持しているといっても、その固有の条件は非常に違う。たとえば、犯罪の発生率。日本は世界で有数の安全な国であり、アメリカは近年、殺人が減ったとはいえ、年間二万件に近い。率にして日本の一〇倍近くで、およそ文明国にはふさわしくない高い犯罪率といえる。」おわります。(1998年『死刑の大国アメリカ』宮本倫好(みやもとのりよし・文教大学国際学部教授)P224)
したがって、死刑には残忍化と、抑止効果の両面があるとして、アメリカにおいては犯罪が多いから抑止効果が見えるだけのことで、日本においてはそもそも犯罪が少ないので、残忍化による弊害のほうが大きいと思います。それが真実です。

その上で、デメリットに対する各論を反論していきたいと思うんですけど、1点目の反論としてイタリアの例、これは彼らが[聞き取り不能]ですけど、当たりません。なぜならそれはですね、ユニークなですね、戦後の混乱期だからです。千葉大学教授、齊藤さんが99年に書いています。
「イタリアにおいては、西ドイツと同様に、戦後の社会的混乱の収拾していない時期に死刑を廃止している。殺人率についてみるならば、死刑が廃止されても増加するどころか、殺人率は減少の傾向にある。」おわります。(1999年『新版死刑再考論[第二版]』齋藤静敬(さいとうよしゆき・千葉大学教授)P26)
したがってこれはあたりません。

で、2番目に、彼らは、期待値の話を所さん[2NCで追加された宮本氏のエビデンスと思われる]の話でしていましたけれど、つまりあいまいであれば否定側に入れてくれと言ってたんですが、当たりません。1点目の反論として、これは所教授の独断に過ぎません。で2番目の反論として、我々のプリザンプションを参照してください。つまり、あいまいであればそもそも肯定側にVoteするべきなんだということを我々はスタートから主張していますので彼ら等の反論は当たりません。

そのうえでC…すいません、順序しますが、あー、C、戦争のリスクについては彼らからは、死刑が直接に戦争に結びつくというリンクはないという反論があるばかりで、これは我々にそもそも当たっていない。我々が言っているのは、段階的に冷静に見ていくとそういう蓋然性が高い、いきなり戦争が起こるとはいいませんが、リスクが高まるという話をそもそもケースで、証明していますので、このリンクを丁寧にたどっていただければ、いいと思います。我々のケースが、確実に起こるというつもりはありません。がしかし、間違いなくリスクが高まるということはそもそもケースで言われています。

最後にデメリットの2番目、再犯について。1点目の反論として、彼らはそもそも可能性があるということは言ってますけれど、ボリュームがどのくらいなのかは証明できていません。で、これについてはプリザンプションが適用されますので、あいまいにすぎません。で2番目として、実際にまあ再生可能性があるということはケースで示しました。


Negの議論にまんべんなく応答しつつ、自分たちが勝ちに行きたいポイントを強調して伸ばすという感じでした。さすがに1ARとしての仕事は外してきません。

その上で細かく議論を見ていくと、やはり人間の尊厳、すなわち再生可能性云々の議論が混乱していて、Affとしてどういう立場を採りたいのかよく分からないという印象がぬぐえません。それは論点1と3についての議論でも出ていて、前者で再生可能性が人間の尊厳だということを伸ばしつつ(これはケースから言われている)、後者では無期懲役で大丈夫ということを述べており、結局とじこめておく=再生は考えない、という議論になっていて(2ACで再犯DAに対してした反論も参照)、議論が矛盾しているとしか思えません。Negもそのあたりをもっと明確に突けばよかったのですが、気持ちに余裕が無くて割り切れなかったのが残念です。具体的には再犯DAを完全に捨てる形でドロップし、無期でも救われないという形でケースを完全に否定してしまうのが上策だったと思います。
Affとしては、再犯に対して「無期でも出てこられないからOK」とやるのではなく、再犯は少ないという返しでとどめつつ、ケースの5枚目で読んだ金澤さんのエビデンスを伸ばして再生可能性と人間の尊厳をリンクさせ、推定の転換を固く守るべきだったのではないでしょうか。判定の中では団藤さんの議論が残って挙証責任がNegだと考えた方が多かったようですが、今回の試合展開やNegの反論(生命権は制約されうる、というもの)を踏まえれば、そのような転換を認めないという判断も十分ありえたと思います。

もうひとつのポイントとなった議論は、残忍化との関連で、犯罪増加の議論を日米比較の話にされてしまったところです。ケースで読まれていた坂元さんのエビデンス(報道で犯罪が刺激されたようなことを言っているもの)がそこまで言っているものとは思えない――そのエビデンス自体は最後にとってつけたように「アメリカの研究と結果が違うのは事情が違うからだろう」のように書いているけど、その考察部分には根拠がない――のですが、Negが出した統計データはアメリカのものですから、こう議論されると印象として不利になるのは否めません。ただ、このあたりも2ACで出てきたテキサス州の議論を引っ張ってくるなど、もっと丁寧にやられていたら、即死ものの議論だったことでしょう。戦争のリスクなどに時間を割いてくれたので助かったわけですが。
日米比較の議論に関していうなら、この議論ではヤクザのリスクを捉えられていないという反論がありえたところでしょう。実際の2NRでは言えませんでしたが、アメリカのデータでは「死刑を廃止した後」の情報が見えているけど、坂元も含む日本のデータは「死刑のある現在」しか見えていないわけで、そこではヤクザが死刑によって抑止されているわけですから、そのリスクは計り知れないわけです。そうなると、いくら「日本では大丈夫」と言ってみたところで、ロジックとしてヤクザの議論が残っている以上、犯罪は増えるという結論に至るはずです。残忍化との比較で言うと何ともいえませんが…

そんなことを思いましたが、後の祭りといえばそれまでで、このあとの2NRでは決め所のないぐだぐだしたスピーチが展開されることになります。次回は第二反駁2つを同時に紹介できればと思っていますが、その後で全体を振り返った反省をするところでまた検討できればというところです。
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だいぶ間が開いてしまいました。 JDA秋期大会は、無事決勝戦に進出することができ、本来でしたら、決勝戦の模様をご紹介するべきなのですが、今回の決勝に関しては、愚留米さん ...
2011/03/06(日) 04:30:58 | Tabula Rasa
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