愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
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ディベート甲子園ルール逐条解説(13.議論の規律(3))
かなり久々になりましたが、三月中にきりのいいところまでルール解説を書いておこうということで、第6章の残りとしてNew argumentなどの解説を書いておくことにします。もっとも、第6章では議論の処分方法である同意の効力についても論じねばならず、あと1回書く必要があるのですが。
第7章(判定の方法)などは重要ではあるのですが、書き始めると時間を取ってしまいますので、本格的に受験勉強をはじめてから気分が乗ってきたときに書くかもしれないということで、とりあえずここまでで一旦お休みにすることにします。既に公開したテキストで一通り解説しているので、そちらを参照していただけば僕の考えていることはだいたい書いてあります。もっとも、反則の要件などについてはもっと細かく論じるべきことがありますが、そのあたりはまた全体を見直す機会があれば加筆修正して公開するという形を取りたいところです。

新出議論は判定実務上も極めて重要な要素でありながらその処理方法について論じた文献が日本語では存在せず(ルール解説の内容はほとんどそんな感じですが)、そういった意味で僕もいろいろ困惑した経験がある…というか今でも処理に迷う事例があるのですが、そのような問題に本解説が役立てば幸いです。ただし、内容の正しさは保証できないのでその点は読者の方々で別途検討してください。特に、新しい議論であることに同意がされた場合の扱いについては、明文との関係でおそらく少数説なので、いろいろと気をつけてください。
それでは本編に入ります。くどいようですが、以下の内容は公式な見解でもなければ正解を保証するものでもないということをお断りしておきます。


6.4 新しい議論と遅すぎる反論

6.4.1 総説

本則3条3項では、「新しい議論」と「遅すぎる反論」が無効とされる旨の規定がある。これは細則D-2項4号・5号でも詳細に規定されており、判断材料を制約する明文の規律として極めて重要である。

ルール本則 
第3条 議論における注意事項
3.相手が持ち出した主張・根拠に反論する場合を除き,立論で提出されず反駁で新たに提出された主張や根拠は,「新しい議論」と呼ばれ無効となります。第1反駁で出せる反論を第2反駁ではじめて出すことは「遅すぎる反論」と呼ばれ無効となります。

細則D
2.
4)立論で提出されず,反駁で新たに提出された主張・根拠(新しい議論)は,判定の対象から除外します。ただし,相手の持ち出した主張・根拠に反論する必要から生じた主張・根拠はこの場合にあたりません。
5) 相手チームの主張・根拠に対する反論のうち,第1反駁で行えたにもかかわらず第2反駁で初めて提出されたもの(遅すぎる反論)は,判定の対象から除外します。


ルールによれば、新しい議論とは『「立論で提出されず反駁で新たに提出された主張や根拠」から「相手が持ち出した主張・根拠に反論する場合」』を除いたものとされている。すなわち、反論としてでない主張立証を反駁で行うことが「新しい議論」である。これは、メリット・デメリットを反駁の段階で提出することが新しい議論であるということを意味する。
遅すぎる反論については、「第1反駁で出せる反論を第2反駁ではじめて出すこと」と定義されている。これによれば、メリット・デメリットに対する反論として論点を提出する機会を第一反駁に限り、また肯定側がメリットへの反論に再反論する場合にも第一反駁で行わなければならない。
すぐ後で詳述する(6.4.2)が、このような規制が設けられているのは、反論の機会を保証するために議論をできるだけ先に提出させるためである。

注意すべきことは、以上のようにして新しい議論(New argument)と遅すぎる反駁(Late response)を分ける理解は、一般の競技ディベートにおいて取られる2回立論形式においては取られていないということである。一般的には、反論の機会を制限する上記のような規律はNew argumentに一元化されており、しかもその内容は「立論段階で投票理由となりうる論点は全て提出すべきであり、反駁の段階では既に提出された論点のみを議論しなければならない」と把握されている。すなわち、第一反駁でメリットへの反論をすることについても、新しい議論として規制を受けることになる(*)。
しかし、ディベート甲子園のような1回立論形式では否定側の立論の後に肯定側が立論を行えないため、このような理解を取ると、肯定側は否定側の議論に対して反論ができなくなってしまう。従って、ルールではメリット・デメリットなどの積極的論拠とそれに対する反論という消極的論拠を分けて把握し、前者については「新しい議論」の規制として立論段階で全て提出するよう要求し、後者については「遅すぎる反論」の規制としてできるだけ早く提出させるよう規定したものである。
競技ディベートのフォーマットの理解としては、2回立論形式で採られているように新しい議論と遅すぎる反論を一元的に理解し、立論は論点を提出する場であり反駁は提出された論点を検討する場であると考えることが合理的である。しかしながら、ディベート甲子園ではこの原則を1回立論形式に合わせて再構成した形で規定を置くものであり、以下に検討する若干の問題があるものの基本的には妥当する枠組である。本解説の性格上、以下ではディベート甲子園のルールを前提として1回立論形式における理解から記述を行うが、フォーマットの趣旨を正確に考えるため、参考として2回立論形式における一般的な理解についても簡単に言及することにしたい(6.4.4.2)。

以下では、1回立論形式でいう「新しい議論」と「遅すぎる反論」を一元的に把握した場合の規制対象を「新出議論」と記述することにする。

(*)もっとも、2回立論形式においても、肯定側第一反駁で再反論できなかった内容について肯定側第二反駁で再反論する行為を「遅すぎる反論」として分けて考えることは不可能ではない。しかし、立論と反駁の役割分担という見地からは、このように一旦作り出された論点について返答しなかったという行為は新出議論の規制としてではなく、一旦出された論点に再反論しなかったことを黙示の同意として反論の機会を放棄したものとみなす方が理論的に正しいと考えられる。

6.4.2 新出議論の規制趣旨

新出議論の規制はルールによって定められない場合においても妥当する、競技ディベートの一般法理である。このような規制が存在する理由は、反論の機会に晒された議論のみが評価に値するという議論評価の一般原理に由来する(この考え方は、反証可能性を要求する科学的方法論の基本原理にも合致する)。すなわち、十分な反論機会を保証するため、重要な議論については初期の段階(立論)に提出させ、それに対する反論もできるだけ早く提出することを義務付けるというのが、新出議論が規制されている趣旨である。
これをディベートの競技枠組から説明し直すと、新出議論の規制には以下2点の意義がある。第一に、できるだけ早く議論を出させることで議論を深めるという実体的教育効果と反論機会を保証するために早期の反論が必要であるとの規範意識を与える手続的教育効果からなる教育的意義が認められる。第二に、反論機会を保証された議論だけを判定対象とすることで不意打ちを防ぎ、判定の公正を保つという手続的正義の観点からの意義を認めることができる。このような理由から、新出議論の規制は厳正になされなければならないことが分かるだろう。

6.4.3 遅すぎる反論の該当要件

便宜上、最初に遅すぎる反論の要件から検討する。遅すぎる反論とは、第一反駁で出せる反駁を第二反駁で出すことと定義されている。これを分析的に見ると、その要件は①当該議論が反論(反駁)であること、②それが第二反駁で提出されたこと、③当該議論は第一反駁の時点で提出可能であったこと、の3つである。それぞれについて詳しく見ていくことにする。

①の要件については、反論であるといえる議論の範囲が問題となる。一般的には、主張と根拠がセットとなった形で述べられた言明を議論として評価することになるため、相手の議論に対抗するために新しく主張立証する行為が反論であると捉えることになろう。そこで問題となるのは、相手の立証の不備を指摘するなど独立の根拠を伴わない議論についてもこれに該当するかという点である。
結論としては、反論として規制対象となるためには、独立の根拠を伴う必要があり、立証の不備を指摘するような反論は遅すぎる反論に当たらない。新出議論の規制趣旨に照らすと、新しい議論として規制されるべきは、反論機会を保証しないような形で議論が提出される行為であるところ、独立の根拠を伴わない主張については、独立の根拠を付した再反論をする必要がない、もしくはできないからである。例えば、相手の立証を不備するにとどまる反論に対して、そのような不備が認められない場合には再反論は不要であるし、実際にかかる不備がある場合には、その不備を補うために立証を追加する再反論そのものが新出議論として規制を受けることになる(最初から十分に立証すべきであった)。さらに、立証の不備について指摘がされなかったとしても、当該論点は既に提出されている以上主張責任は果たされており、立証不備を理由に審判が当該論点を棄却することは弁論主義に違反しない。従って、そもそも独立の論拠を有さない議論を提出するという行為は新しい論点を形成するものではないから、反論機会を新たに設けるものではなく、規制する必要はないのである(そう考えると、そのような指摘にとどまる議論は判定上独自の意義を有さないことになるが、ジャッジの心証を形成する上では無益とはいえない)。

②の要件については、特に付け加えて論じることはない。問題は③の要件である。第一反駁の時点で提出可能であったということは、反論対象となる議論が既に第一反駁の時点で提出されていたということを意味する。しかしながら、証拠共通の原則(6.2.3参照)を利用し、別の論点で提出された議論を援用して反論を行うような場合、対象となる議論は第一反駁の時点で提出されているが、援用すべき議論はその時点で顕出しておらず、結果として「援用による反論」は第一反駁でなしえなかったということがありうる。分かりにくいので例を挙げると、否定側第一反駁において反論しなかったメリットの解決性につき、肯定側第一反駁がデメリットへの反論を行った中で出された一論拠を援用し、否定側第二反駁において攻撃したという場合がある。
このような場合にも、反論した側としては援用ではなく自らそのような論拠を提出して反論することができたのであるから、当該議論は第一反駁の時点で提出可能であったから遅すぎる反論に該当するという見解もありうる。しかし、反論を行うかどうかの判断は、相手方の議論展開も考慮してなされるのが通常であるところ、相手方の反論を援用する機会が生じたにもかかわらずそれを援用する機会を制限するということは、援用者が試合状況の変化に合わせて議論を展開する利益を奪う一方で、相手方に第一反駁で反論がなされなかったことを奇貨として援用の危険性がある議論を提出することを認めることになり、不当である。援用されるべき議論が出た時点で新たに「援用という形式での反論」が可能になったと考えて規制対象から外すことは、それを機会に議論を深めることが可能であること、また援用されるような議論を提出した側はその議論が援用されるリスクをも甘受すべきであることから、新出議論の規制趣旨にも反しない。
よって、第一反駁の時点で提出可能かどうかを判断するに当たっては、対象となる議論だけでなく、反論として出された根拠が第一反駁において提出されることが期待されたかどうかも加味して考えるべきである。なお、このように考えたとしても、自分たちの第二反駁で別の論点について出した根拠を反論してこなかった別の論点にも適用して反論をするという場合については、例外的事情がない限りは第一反駁でなしえたものであると評価することになろう。

6.4.4 新しい議論の該当要件

6.4.4.1 一立論形式における要件

ルール上の定義によれば、新しい議論に該当するというためには、①主張・根拠が提示されること、②それが反駁の段階であること、③それが相手の主張立証に対する反論でないこと、という3つの要件を満たす必要がある。以下、それぞれの要件について詳しく見ていくことにする。

①については、遅すぎる反論と同様、独立の根拠が付されず相手方の議論を援用することによってのみ構成されたメリット・デメリットのごとき議論がこれに該当するかが問題となる。この点、遅すぎる反論と同様に考えれば、独立の根拠がない主張に再反論を認める利益はないため、規制は必要でないとも思われる。しかし、メリット・デメリットのような議論を提出する行為は既存の論点についての指摘ではなく、新たに論点を形成するものであるから、同一に考えることはできない。すなわち、弁論主義の関係で、根拠が現れているというだけでは審判はそれをメリット・デメリットとして考慮することはできないから、援用の上それをメリット・デメリットとして再構成して主張することは判定上独立の意味を持つ(従って、再反論の利益が生じる。このような場合には議論への反論として自身が提出した議論についての反論が許される――ただし信義則上認めるべきでない場合もありうる――と解すべきである。この点、6.3.5での見解を一部修正する)。よって、メリット・デメリットを提出する行為は、その根拠が新しく提示されていないという場合でも、新しい議論に当たりうる。

②については特に問題はないが、③については難しい問題がある。いわゆるターンアラウンドの議論は、相手の議論の一部を援用しつつそのリンクや帰結を差し替えることで新しいメリット・デメリットを提出する議論と捉えるのが自然である(ターンアラウンドされた議論についても、元々の立証とターンの立証は論理的あるいは確率論的次元で両立する場合があり、そのような状況ではメリット・デメリットが並立していると評価することになることに注意)が、これはもはや反論とはいえないのではないかという疑問がある。
この点については、遅すぎる反論(6.4.3)の要件③について論じたところと同様に考えることができよう。すなわち、ターンアラウンドされるようなメリット・デメリットを提出したということが新しい議論状況を作り出すものであるから、少なくとも肯定側第一反駁においてはそのような議論を利用したターンアラウンドを認めるべきであり、そうであれば否定側についても同様の条件で(すなわち、否定側第一反駁でも)ターンアラウンドを認めるべきであるという理由から、ターンアラウンドを「反論」と同視して新しい議論には当たらないと考えるというものである。ターンアラウンドが全く新しいメリット・デメリットを作り出すものではなく、実質的には元のメリット・デメリットを減じる目的で提出されていることがほとんどであることに照らせば、かかる理解も不当とはいえない。
しかしながら、元となるメリット・デメリットの一部だけを援用し、その後で多数の論拠を追加することで全く別のストーリーからなるメリット・デメリットを立てるような行為は、それがターンアラウンドと称されているとしても、実質的に新たなメリット・デメリットの提出であり、相手の主張立証に対する反論と呼ぶべきではないだろう。判断基準は一義的に定まるものではないが、元の議論と提出されたターンアラウンドの議論との関連性や、援用によらない追加の論証の分量、ターンアラウンドの試合に及ぼす影響などを考慮材料として事例ごとに新出議論性を判断することになる。

6.4.4.2 二立論形式における要件

二立論形式においては、遅すぎる反論も新しい議論も一元的に新出議論として考えることは既に述べたとおりである。具体的には、2回の立論の段階でメリット・デメリットその他の積極的論拠も反論などの消極的論拠も全て出し切ることが原則であり、反駁のステージでは既に提出された論点についてのみ論拠を付した議論を追加できるということになる。もっとも、否定側第二立論で新たに出された論点については、肯定側第一反駁において反論することが許される。それに伴ってターンアラウンドを提出するような行為についても、6.4.4.1で検討したところと同様に判断されよう。
二立論形式で若干理解が分かれるように思われるのは、否定側第二立論と否定側第一反駁が連続したネガティブブロックであるところ、この2つのステージでは両方とも論点の提出が許されるのではないかという点である。ありうる立場として、肯定側としては両ステージはいずれも肯定側第一反駁の前にあるという点で同一であり、否定側第一反駁で新しい論点を提出しても肯定側の反論機会を奪うことにはならないため、このような反論は許されるのではないかという考え方がある。しかし、あくまで反駁のステージは既に提出された論点を吟味するための場であるから、上記のように考えるべきではない。肯定側の利益としては、否定側が新しい論点を提示する機会が肯定側と同一である(2回の立論での制限時間に限られる)というものを観念することができるし、新しい論点について質疑を行う機会も保証されるべきであるから、いかに連続しているとしても、立論と反駁を同一に考えることはできないのである。
なお、このように考えるとしても、第一反駁以降では既存の論点については自由に検討できるのであるから、そのために証拠資料を読むことは(事実認定上の意義があるかは別として)何ら妨げられない。この点、反駁以降では資料を読むべきでないという論者も少数いるようであるが、教育上も手続的観点からも理由がないというべきである。

二立論形式のディベートにおいては、主張責任と立証責任の分別が不十分であることに由来する新出議論性の誤解が生じうる。一例として、否定側第一立論においてCounterplanの非命題性を立証する趣旨で論題の定義を行い、それについて肯定側第二立論が反論をしなかったところ、否定側第二立論でこの定義を援用してTopicalityの議論を提出する場合、肯定側はこのTopicalityの定義についてドロップしている以上、肯定側第一反駁で定義を攻撃することは新出議論に当たるため不可能であるという理解がある。
ある定義を提出するだけで論題の解釈がそれによらねばならなくなるという実体的理解がそもそも正しくないという疑問は措くとして、このような新出議論の理解は正しくない。なぜなら、新出議論というためには、その反論が以前のステージで可能であった必要があるところ、否定側第一立論でCounterplanの一部として提出された定義については、Topicalityとして提出されていない以上、「Topicalityに対する反論」として定義を攻撃することは不可能である(正確に言えば、相手から主張されていない以上無意味である)。すなわち、主張責任との関係で言えば、否定側第一立論で出されたCounterplanの非命題性と否定側第二立論で出されたTopicalityのDefinitionとは全く別の議論である。従って、肯定側は否定側第二立論で新しくTopicalityとして定義が援用されたことを契機として、一旦はドロップした定義に対して再反論する機会を得たことになる(これによってCounterplanの非命題性に対して反論が可能になるということはないが、Topicalityへの再反論として当該定義が否定されると、証拠共通原則からCounterplanの非命題性の論拠もまた否定されることになる)。否定側が一旦ドロップされた議論を援用し、再反論されるリスクを生じさせた以上、このような議論に対する反論を認めることは新出議論の規制趣旨に何ら反しない。
まとめると、主張責任が果たされていない議論に対して反論する義務はディベーターにはなく、たとえ論拠だけが提出されていた(対象が存在した)としても、そのことだけで「以前に反論が可能であった」ということはできない。これが一立論形式のディベートでも同様に妥当することは、6.4.3での説明で述べたとおりである。

6.4.5 同意された新出議論の効力

6.4.5.1 総説

新出議論の趣旨は、教育的意義と手続的意義の両面から説明できるものであった。そうであれば、この意義を損なわないような場合については、新出議論に当たるとしてもなお当該議論を排除しないという処理が許されることがあってよいはずである。そのような例として、新出議論であることについて相手方が了承した上で、当該議論を排除しないよう求めているという場合である。違法な証拠資料については、これを排除する必要性は同意によって左右されるものでないため、絶対的に無効であったが(5.5.5)、新出議論であることを理解したうえでそれを認めて援用するような場合には、当事者の利益や試合の公平が損なわれることはないし、新出議論として当該議論を排除する場合より議論が深まることが期待されるから、むしろ排除しないことが期待されるともいえる。
従って、新出議論においては相手方の「新出議論であることについての同意」があるときには、例外的に規制の適用外として処理することを考えるべきである。この点について、ルールは本則第3条において、要件に該当する新出議論を「無効」としており、そのような例外的処理を許していないと読むことが自然であるとも思われるが、無効とされた議論が同意によって効力を復活することまでを明文が禁じているわけではないから、新出議論の規制趣旨に反しない場合には試合の展開によって無効としないことも許されるとしてよいのではないか。そのように考えにくいという場合には、そもそも同意がされたような場合には「相手が持ち出した主張・根拠に反論する場合」であることや(新しい議論)や「第1反駁で出せる反論」でなかったこと(遅すぎる反論)について相手から同意があったことを理由として審判の裁量から新出議論の要件該当性を否定する――そもそも新出議論でなかったことにする――という構成も可能である(後で論じるとおり、筆者は同意の拘束力を否定するが、新出議論の要件該当性は実体的議論でないため審判の裁量事項であり、審判が自由に判断できる)。

以下では、上記のような理解を前提に、新出議論の規制を例外的に外す要件としての同意を考察することにしたい。もっとも、その前提として注意すべきことは、新出議論についての同意は「それが新出議論であること」の同意でなければならず、新出議論に該当する議論の内容について同意するにとどまる場合は除くということである。新出議論の規制は相手方の保護をも目的としており、新出議論であるにもかかわらずそれに気づかないという場合こそ、ルール上の保護を及ぼして当該議論を排除する必要性が高いということができる。

6.4.5.2 遅すぎる反論に対する同意

遅すぎる反論に対する同意が上述した意味でされた場合、当該議論は新出議論として規制されることはないと判断すべきである。もっとも、これは審判の裁量であり、同意を否定して遅すぎる反論であるとすることが直ちに違法となることはない。
同意を認めて遅すぎる反論でないとする場合には、当該反論は排除されず、判定の基礎として考慮することになる。ありうる見解として、反論そのものは排除した上で、援用された限りで議論の存在を認める立場を考えることもできるが、このような無効の相対効を認める理論的根拠はないし、そのような扱いは遅すぎる反論をした側にとって不公平であり、妥当ではない。

同意がされたかどうかを判断するに当たって、遅すぎる反論を受けた側による明示的同意が必要か否かが問題となる。遅すぎる反論に当たる議論が実は相手方に有利なものであり、そのような議論は証拠共通原則から当然に相手方に有利に判断されうるところ、そのような有利を認識しないままで当該反論に言及しない、または反論を加えているという場合に、黙示の同意を推定して相手方に有利に扱う余地はあるか。
これについては、ルールが新出議論の排除を原則として定めていること、相手方が認識していない場合にまで審判の判断で一方に有利に取り扱うことは不公平であることを理由として、明示的同意のない新出議論については原則どおり排除すべきと考える。審判としては、相手方が新出議論であることを明確に認識しているという判断ができない限り、例外的な規制不適用の処置は留保すべきである。

6.4.5.3 新しい議論に対する同意

以上に対して、新しい議論に対する同意がされた場合には、例外的な規制の不適用はないと考えるべきである。その理由としては、ルール本則2条1項において、立論においてメリット・デメリットを提出するということが明記されており、反駁の段階で新しい議論としてメリット・デメリットを提出することは予定されていないことを挙げることができる。また、メリット・デメリット形式においてはこれらの議論は判定を左右する唯一の論点であり、質疑により内容を検討する利益が特に保証されるべきであるから、遅すぎる反論とは異なり厳格な規制を受けるべきであるとの実質的理由もある。立法論として新しい議論についても同意による規制の不適用を定める余地はあるが、現行ルールの解釈からは、新しい議論として反駁段階で提出されたメリット・デメリットは絶対的無効と解することが相当であろう。

6.4.6 新出議論の処理方法

新出議論に該当するとされ、同意による規制の不適用もない場合には、当該議論は無効となり、提出されなかったものとして扱われる。従って、当該議論はもちろんのこと、それを前提として主張立証された議論も無視することになるが、排除された議論に対する反論については、独立に主張立証を観念することができる範囲で、判定に考慮することができる。例えば、遅すぎる議論への再反論で読まれた証拠資料の内容を、証拠共通の原則から別論点に適用することは許されよう(一方、遅すぎる議論に付された根拠は無効として排除されるため、そのような適用も許されない)。

新出議論であるかどうかは手続的判断であり、審判の裁量事項である。従って、審判は選手の指摘に従う必要はないし、指摘がなかった場合でも排除措置を取ることができる(新出議論である場合には積極的に排除しなければならない)。新出議論の判断が審判ごとに異なるという批判がたまに見られ、そのような批判には正当な部分もあるが、上述の通り判断基準については必ずしも明確でない部分もあり、明らかな誤りを除いてばらつきが生じることはやむを得ない。判定講評の場においては、新出議論として排除した理由などを明らかにすることが望ましい。
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