愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
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母校のディベート部終了のお知らせに思う
先日冬学期の成績が返ってきたのですが、療養中にJDAに出場して余裕をぶっこいていたこともあってか、夏学期より平均的によろしくない感じでした。実際にはJDAは関係なくて、原因は危機感を欠いたまま直前期の追い込みを欠いたことににある――根本的には僕の能力不足――ことは分かっているのですが。
それでもそこそこの(一応Aが半分くらいはあったのです)成績ではあったので、夏学期の成績が不相当に高かったのだということで今回は反省し、受験生となるこの春からは法律学に注ぎ込む時間を意識的に増やしていくことにします。適当なことを書いていると答案の両面を埋めてもCしかこないという当然のことも分かったので、体系的理解に基づいたまっとうな答案を書けるような勉強方法をしていきたいところです。

それにしてもびっくりしたのは、法科大学院では学部と違って年度末に席次が発表されるということです。僕の順位についてはネタにもならない程度のものでしたが、成績と大学院別の司法試験合格率が一致するとすれば合格は割と余裕そうな感じではありました。もっとも、我が病棟では学内成績と司法試験の結果が一致しない(成績最優秀者が落ちたりする。療養内容と試験が無関係なので!)ことで有名であり、かといって僕の司法試験対策が進んでいるという特段の事情もないので、今のところ不合格確実という認識でいるのが正解だと思います。なので今年はディベートの内容も控えないと…いう話をしておいていきなりディベートの話をしてしまうわけですが。

タイトルからも分かるとおり以下の内容が本題なのですが、一応入院日記なので少しでも入院生活のことを書いておこうということでご理解ください。今後は入院生活の内実(受験勉強の様子)なども書ければと思っています。書こうと思えば2chの法科大学院スレくらい香ばしい内容は書けるのですが、そのあたりは法律家を志すものとして自重しつつ、ブログの当初の趣旨に回帰していければというところです。


前置きを終えると思いきや前置きが続いてしまいましたが、ここからディベートの話です。
僕は高校でディベートという競技に出会ったわけですが、その出会いは僕が高校に入学した年に部活動として承認されたディベート部に入部したことに端を発しています。そもそもこのブログも僕が高校時代からディベート部の公式サイトで書いていた活動日誌を引き継いだという性格が強く、そのせいもあってかここの読者のほとんどはディベート業界人のようです。そういうわけで、僕がここに長々文章を書いていることと、母校のディベート部との間には密接な関係があります。

そんなディベート部では、僕が入部した頃から部員不足に悩まされていて、僕が入部したときに同期はいなかったし(後で同級生に手伝ってもらったり入部してもらった)、後輩も2年下で4人入部した例外を除き、毎年1人だけという感じで続いていました。
しかし、二年前くらいでしょうか、とうとう新入部員がゼロになってしまったらしく、当時所属していた部員も頑張ってくれたのですが、いよいよ活動停止になってしまいました。そのままどうなることかと思ってはいたのですが、先日後輩から連絡があって、この春で正式に廃部が決定したということを聞きました。

僕の高校時代の思い出の三分の二くらいはディベート部を通じたもので、現に今でもディベートは自分の中で少なくない位置を占めているわけですから、そういったものが無くなってしまうということには言葉にできない寂しさがあります。
最初に入部したときは、同期が僕以外にいなかったことや先輩がやや怪しめだった(!)ことからいろいろと不安もありましたが、気がついたらディベート部の一員として守衛に追い出される時間まで部室で資料を読み、その合間に先輩たちと談笑するという毎日がとても心地よくなっていました。先輩方もディベート経験はあまりなく、手探りのまま活動してきたのですが、今思えばあの頃のディベートが一番楽しかったです。立論として練習試合に出場し、質疑に答えられず先輩に紙を回してもらったけど乗り切れなかった初陣のことや、全国大会の予選1回戦で僅差で負けてしまい、涙ぐむ先輩に翌年の全国出場を誓ったこと、そしてそれを果たして出場した全国大会の開会式でたくさんのディベーターを目の前にして感極まってしまったこと。改めて書くと恥ずかしいのですが、今でも鮮烈に思い出すことができます。
先輩から部長の職務を託された時には、先輩がいろいろな苦労を乗り越えて作った部活を潰すことはできないという責任感や、後輩たちにも全国大会で試合をする喜びを味合わせてあげたいという思いがあって、ディベートや部員勧誘を頑張ってきました。ディベートに費やしてきた時間は受験勉強とは比べ物にならないほどのものだったし、手伝ってくれた同期・後輩や好敵手に恵まれたこともあって、それに見合うだけのものは得られたと思います。そういったことがあって、大学でもディベートを続けようと思ったし、今でもこうして入院生活の合間にディベートに関わっています。

大学に入ってしばらくした頃にはディベート活動と母校のディベート部への想いは別物として処理していたわけですが(余談ですが、このような区別をきちんとせずにディベート甲子園の運営・指導に関わるのはあまりよくないことだと思います)、それでも僕にとってディベート部は特別な存在であり続けてきました。後輩たちもそのように思ってくれていたようで、部員が少なくなってからも指導に行ったりしてくれていたようなのですが、それにもかかわらず今回のような結果になってしまったということで、仕方ないことだと思う反面、やはり残念でなりません。僕がもっとうまく部を運営していれば、もしかしたらこんなことにはなっていなかったかもしれないのですが、多分誰のせいということでもなく、こうなる運命だったのでしょう。

そういうことでとっても悲しいのですが、そういう感傷にひたってばかりいてもしょうがないので、もう少し建設的な愚痴に移行することにします。考えたことは2つあります。

第一に、ディベート部という貴重な存在を与えてくれた母校に対して思うことがあります。
実は部活動の衰退というのはディベート部に限ったことではないらしく、最近では他の文化系の部活動も活動が弱ってきているそうです。その理由はというと、最近母校の進学実績がやたらよくなっていて、雑誌などでも取り上げられてその気になったようで学習の強化が進み、生徒に余裕がなくなっているということがあるということにあるそうです。
僕のいた頃の母校も県下トップの進学校的位置づけではあったのですが(田舎なので私立で有名な学校はないのです)、校風は割と自由で、部活動も全員入部ということで先生からも奨励されており、学校行事や部活といった勉強以外の活動で充実した日々を過ごせる良い学校だったように思います。僕が大学に入ってからチューターとして母校の後輩を教えるというお仕事に参加させてもらったときの印象では、僕の頃より勉強が大変そうだという感じだったのですが、同じ学校に通っていた弟に聞くとさらに勉強がきつくなっているらしく、高校生なのに大変なことよ…と思っていたら、いつのまにか部活動にまで悪影響を与えているとか何とかいうことで。

実際に母校の現在の様子を知っているわけではないので、実は今も変わらず文武両道で(ディベートも「文」ですけどね)頑張っているのかもしれませんが、もしそうではなく、進学のために部活動やその他の要素を犠牲にしているのだとすれば、それはディベート部云々ではなくとても悲しいことです。
こんなことを言うと嫌味ですが、僕は大学受験生が目指す最難関の大学に進学することができました。しかし、そこに高校生活を犠牲にするほどの価値があるかといえば大いに疑問があります。それは単にお前の大学生活が不毛だったからだろうとか、間違って法科大学院に来てしまったからだろうという突っ込みはともかく、高校時代にしかできないことは間違いなくあって、それはとても貴重であるということは断言できます。ディベートだって、全国大会を目指したあの日々は大学に入ってからは味わえなかったわけです。
少なくとも、高校生活というのは大学入試のプロセスに回収できるものではなく、それ自体に価値があります。大学に合格するためだけに3年間を過ごすということは、単につまらないというだけでなく、知的能力も含めた人間形成上問題があるとさえ個人的には思っています。

仰々しいことを書いてしまいましたが、要するに言いたいことは、勉強だけで暮れる高校生活というのは寂しいものだろうということです。まぁ筆者のように三年の夏までディベートやっててよいのかというのは別として(そうしないと部が潰れたという事情もある。もっとも、三年まで部活をしていて受験が難しくなるとは思いませんが)、ディベートをやっている人は後ろめたい気持ちを持たずに打ち込んでほしいものです。もちろん、打ち込む対象はディベートに限りませんが。母校の皆さんがディベートを選ばずにディベート部が消え去ったということは寂しいことではありますが、それでもっと楽しい部活動を見つけられたのであれば、それもまたよいことです。

第二に、中高生にディベートを普及すべき全国教室ディベート連盟(NADE)について。
これは半分こじつけ的なところがあるのですが、おそらく母校だけでなく全国的にディベート熱というものは下降傾向にあるような気がします。それはディベートという競技に価値がないということではなく、ディベート普及のための然るべき活動が行われていないことに理由の一つがあるのではないかということは、僕が以前から(ここではないところで)述べていたことでもあります。例えば、僕が高校時代お世話になった講師派遣や数々のセミナーは、全国的には珍しいものだったようです。そういう活動がしっかりしていれば、新規参加校の増加や既存校の維持につながっているはずです。

一ディベーターとしての個人的感想として言わせていただくとすれば、現在のNADEのディベート普及事業は(少なくとも連盟全体としては)極めてお粗末だと感じます。基本的に普及事業は支部に投げているような状況で、連盟本部が主導するセミナーその他の事業はなく、ディベート普及を統括する部門すらないという状況です(ディベート授業を開発する委員会はありますが、ディベーターとしてはあまり意義を感じません。ついでに同委員会の現在のテーマが「法教育とディベート」であることに関連して法律家志望者としても感想を述べると、NADEが法教育に果たせる役割というのは小さいような気がします。というか現在までの内容は法教育に関係あるのか?ただのメディアリテラシー教育でしょう)。

ではどうしてこのようなことになっているのか?一番簡単な答えは「NADEの人たちは忙しいから」ということなのですが、忙しさというものは所詮相対的なもので、それは現在の僕が「ネットサーフィンで忙しいので司法試験の勉強は後回し」と考えていることと同様、優先順位の問題に過ぎません。すなわち、NADEにおいて(より正確に言うと多くの理事やスポンサーにとって)ディベート普及という目的は高い優先順位にない、ということなのでしょう。
*関連して、NADEがその実務を僕も含めた学生に多く依存してしまっているという組織構造的問題もあるのですが、そういうことを論じるサイトではないのでここでは省略します

その理由にはいろいろなものが考えられ、中には「競技ディベートそのものが広がる必要はない」という意見もありうるところで、これはこれで(現在のようなディベート甲子園を主催している方向性とは相違しますが)筋の通った意見です――当然僕は反対ですが。しかし、誰もはっきりとは言いませんが、別にありうる納得いかない考え方として、次のような2つの考え方があります。すなわち、「そもそもディベート普及にはあまり興味がない」とか「ディベートが普及すると困る」というものです。
前者の考え方は、普通の方がそう考えるのであれば別にかまわないのですが、NADEという組織に関わっているのであれば許されざることだというべきでしょう。このように考える人はほとんどいないと信じたいところですが…。問題は後者です。

後者の考え方は、一見不合理に思えますが、潜在的に現在のディベートコミュニティが抱える問題の一つだと思います。実は法律業界でも同じ流れがありまして、司法制度改革で司法試験の合格者を年3000人(以前の6倍)に増員しようということになり、現在それを止めようとか何とか揉めているわけですが、要するに人が増えると既得権益が損なわれてしまうということです。弁護士は少ないから「先生」として威張れるわけで、みんなが弁護士になってしまうとレアリティも下がるし仕事が減ってしまうということです。
ディベートも現在の法律業界と同じようなところがあって、業界人は結構少ないし、本当は「誰でもできる」のに、知識やノウハウが偏っているために既存の業界人が謎に権威を持っているという側面があります(ちなみに、自分の裁判は弁護士をつけなくても担当できます。本人訴訟というもので、裁判官も親切に導いてくれるし、本気でやるので結構勝つことも多い)。何しろ僕程度の人間でディベートコミュニティにおいてはそこそこの権威性がある(ディベート甲子園のルールを作っているということはご案内の通りです)わけですから実際はちょろいわけですが、そのような権威性が重要であるような人――僕がそうでないということは、JDAでのチーム名やここでの暴走的記述を見ればお分かりでしょう――にとっては、それを保護するためにはディベートが普及してもらっては困るというわけです。

もちろん、このような考え方は愚の骨頂であって、ディベートコミュニティの人間が考えるべきことは小さな世界の中で威を誇るのではなくコミュニティを広げてディベートという魅力的なツールを通じた社会貢献を図ることであるべきです。それが結果的にディベートそのものの社会的認知度を高め、コミュニティ所属者の地位を高める方向にもつながるはずです。
誰がこのような考え方を持っているとか、そういうことは僕には分かりません。僕の知っているディベート関係者の多くはディベートのことを真剣に考えておられると思いますし、それぞれ違った立場からディベート普及に貢献しておられます。しかし、上のような考え方は無意識的にディベート普及の優先順位を下げる方向に働いているかもしれません。

特に警戒すべきは、ディベートを教えるのは難しいとか、ディベートは難しいので知的な人間にしかできないとかいう、馬鹿げた考え方です。現代の日本で、日本語の読み書きについて同様なことを考えているような人は頭がおかしいというべきですが、我々が目指すべきは、ディベートについてもそれと同様の基本的スキルとして多くの人に普及されることです。そして、ディベートという営みは、日常の思考とそれを表現する会話の延長にあるものでしかなく、実際には難しくないものです(もっとも、競技ディベートとして高度な議論を展開することは容易ではない部分もありますが、何も全員にそれを求める必要はありません。そうでないとサッカーや野球もプロになれない人がいるから教えることができなくなってしまいます)。
できるだけ多くの人にディベートに触れてほしいと思うのはディベーターとして当然のことです。その中で、自分より優れたディベーターも出てくるでしょう。それを嫌ってディベートの極意(笑)を隠し続けるか、それともそのような優れた人材の輩出を喜ぶとともに自分も負けないように研鑽を積むかは、各人次第です。もっとも、前者のような狭量な考え方は、司法試験に合格したとたんに得意顔で合格者枠削減を主張することと同様、ご都合主義的で恥ずかしいことだと思いますけど。


毎度ながら主題と外れて暴走してしまいました。それだけインパクトのある知らせだったということでご理解ください。実は読んでいないという人……な ぜ と ば し た!(長くてすいませんでした)

次回は先日あったJDAについて雑感を書ければと考えています。
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2008/03/22 (土) 19:02:00 | | #[ 編集]
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