愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
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予告の追加
司法試験までいよいよ1週間を切ってしまいましたが、時効中断のために少しだけ。
勉強進んでるのかという心配をされる読者がいるかもしれません(むしろ呪われてたりして…)ので近況を報告しておくと、主観的にはあんまり進んでない気がするのですが、4月に受けた模試の結果はおかげさまでかなりよい成績で、そのままの点数だとそこそこ上位で合格できそうです。もっとも、あくまで模試なので本番は別物ですし、マーク式は微妙だったので、まさかの足切りで涙目という展開もないではありませんが。

ところで、現在JDA(日本ディベート協会)のメーリングリストで、ある興味深い問題提起がされています。それは、日本の学生英語ディベート大会の前期最大の大会であるJNDT(Japan National Debate Tournament)の予選で、あまりに理由のないTopicalityが回されているようであるがこれはどうなんだ、というものです。

JDAのMLにはJNDTの議論の概要がパッチとして紹介されるのですが、その中には例えば以下のような例がありました。
(名誉のために学校名は伏せていますし、いくつかのチームにまたがって紹介しています。しかしながら、ほとんど全ての大学がNegで同次元のTopicalityを提出しているようです)

the = theater
Japanese=language
the=tea party
Japan=うるし

*パッチの全てはNAFAのサイトで公開されていますので皆さんもその目で確かめてみてください
*今季の英語論題は次のとおり。
The Japanese government should encourage companies to introduce equal pay for equal work.


多くの読者には理解不能だと思います…というかあってほしいのですが、これが学生英語ディベート大会の最高峰であるところのJNDTの現実のようです。ひどいチームでは10個近くこんな定義を辞書から引っ張ってきてTopicalityと称しているようです。
*急いで付け加えておくと、その他純利益に関する議論は概ね論題で問題とすべき論点が出ており、どのチームも頑張っているようです。その点について論難するつもりはありません

今日は予告なので詳細には議論しませんが、僕はこのような議論はそもそもTopicalityなどと呼ぶ前に議論として成立しておらず、このような定義が辞書で読まれただけで反論がなかったからといって採用することは合理性を全く欠き、アカデミックディベートのジャッジとして許容されないことであると考えています。
誤解してほしくないのは、こういう議論を禁じろということを言いたいのではなく、こんな馬鹿な議論を取るようではディベートのジャッジなど務まらないのではないか、という趣旨であることです。

というわけで、試験終了後には論題解説を書こうと思ったのですが、その前に上記の話題を取り上げることにします。ディベートの価値は、然るべき理由付けがされればいかなる議論でも採用されるということにあるところ、このような愚かしいTopicalityもどきが無批判に取られることは、ディベートにおける「自由」の意味を履き違え、その価値を著しく毀損していると考えるからです。

とりあえず試験前なのでコメントをいただいても積極的に応答できない可能性がありますが、意見があれば今のうちにしていただけると、本論で反映することができて便宜ですので、よろしくお願いします。もちろん、本論の後でコメントいただいても結構です。

ちなみに、本論では概ね以下のような内容を書く予定です。既に言いたいことはほとんど書いちゃってる気もしますが。

・馬鹿げたTの問題は議論評価の水準の低さに本質があること
・辞書から定義を読むということは何の証明にもなっていないということ
・馬鹿げたTでも「出すのは自由」だが、それを無批判に取ることは単なる能力不足の露呈でしかないこと
・馬鹿げたTはディベートという営みにとって極めて深刻な害悪をもたらすこと
・馬鹿げたTはディベート理論上もこれを採用するための正当化根拠を持たないこと(少し詳しく述べると、AffにTの立証責任があるとして、理由のないTが出ることは勝敗の帰結に何ら変動をもたらさないということ、反論がない場合馬鹿げたTでも採用するというタブララサの姿勢はディベート理論上支持できないことなどを論じる予定です)
・このような愚かな議論を無批判に取るジャッジは猛省すべきであるということ

最後に一応断っておきますと、これは日本語ディベーターだから云々という趣旨ではなく、客観的に存在する問題について、いちディベーターとして批判するという趣旨にすぎません。
また、上記文章でも、そして本論でも、かなり過激な言葉遣いをしていますが、これは受験生の鬱憤晴らしというだけではなく、ディベートから離れた通常人からすれば特に過激でもない普通の感想だと考えてよいと思います。ディベートの論題文を見て、Japaneseが日本語を意味するのだと真剣に考えるのだとすれば、それは世間では「馬鹿」といいます(最近だとおバカと言うのでしょうか)。中学生でも分かる道理です。僕の議論は、そのような馬鹿げた議論は、ディベートという世界においても、というよりディベートだからこそ厳しく吟味され批判されるべきだということを論証するものです。
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