愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
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東海大会の感想と今季論題の簡単な展望
またしても広告が出てしまったので記事を書くことにします。
ちなみに最近の生活はというと、某司法試験予備校で論文試験の問題を作成するバイトをするほかは、飲み会やら何やらでぜい肉をつけているといった感じです。あと、短答試験は一応合格していました。9月の発表でどうなっているかは謎ですが。

さて、今日の内容は、先日行ってきた東海大会の感想を踏まえ、ディベート甲子園の今季論題に関する話に軽く触れるというものです。結局、高校論題の詳細な解説は書かないことになると思います。

というわけで最初に東海大会の感想を書いておくと、今年は全体として参加校が少なく、その点は寂しい印象を受けました。それでも選手が楽しそうにディベートをしていたのはよかったとは思うのですが、最後のほうで全国大会にいけないことが濃厚になっていたチームが出ていたのに、対戦相手が全国をかけて挑んでいる強豪校だったりして、ジャッジとしてどちらに配慮してコメントしたものか悩んだという試合もあり、両方に対して十分コメントできなかったのが残念だったところもありました。
一応ジャッジとしてチームの状況に合わせてコメントしようと考えているのですが、両チームでおかれている状況が違うと、どういう方針でコメントすべきか悩んでしまうのですね。ジャッジにそういう悩みがあるのだということを選手が知る必要はないし、選手のほうで遠慮する必要もないのですが、ジャッジという仕事に興味のある方は、そういうものなのかと思っておくとよいかもしれません。

春は試合を見ていないのでこの大会が今季初の試合だったのですが、全体の感想としては、中学論題はこんなもので、高校論題はやっぱりちょっと難しいのかなぁというところです。詳しくは以下で書きますが、難しい論題のときほど、自分たちの主張に筋が通っているかに気を遣うべきです。
エビデンスの内容に気を取られてしまい、それっぽいことを言っている資料を並べただけという立論は、本人たちは強いと思っているでしょうが、ジャッジからするとイラっとするだけだということです。僕も高2の道州制論題ではそんな立論を作り続け、なぜ微妙なのか分からないままジャッジに怒られ続けていました。そんなときは、一旦エビデンスを外して主張(Claim)だけにしてみて、それで話が通っているのか確認してみるとよいでしょう。

それでは、中学・高校論題で思ったことを簡単(?)に。

中学論題(電気自動車)について
今季の論題のポイントは、「2026年までに電気自動車以外の走行を禁止する」という点です。電気自動車以外お断り、ということです。地デジの話と似ていますが、テレビが見られなくなることよりインパクトはずっと大きいですね。ここをどう議論するかで、肯定側も否定側も議論の説得力が全然違ってきます。

普通に考えれば、電気自動車以外を走れないようにするというのは、かなり強引な政策です。ちなみに、現行の道路交通法は、牛車や馬車も軽車両としているわけで(同法2条11号)、そこからすれば「電気自動車以外お断り」というのはすごいことだということがイメージできるのではないでしょうか。
ここで、論題を取らない世界を考えてみましょう。選手の皆さんの中には、否定側は「電気自動車のない世界」を支持しているのだと考える方もいらっしゃるかもしれませんが、そうではありません。論題を支持しない現状の世界でも、メーカーは電気自動車を開発していますし、いずれは実用化されていくでしょう。最近読んだ日経新聞の記事でも、北米で電気自動車を量産していくというメーカーの方針があるということでした。要するに、電気自動車を強制しなくても、ある程度は自然と電気自動車へのシフトがされていく可能性はある、ということです。

否定側としては、ここを捉えた上で、肯定側に対して「このままでも必要に応じて電気自動車は作られていくのに、わざわざガソリン車を排除する必要があるのか」と問いかけることが出来るでしょう。その上で、無理に電気自動車を強制することにより生じる不都合を、デメリットとして出せばよいのです。急に生産をシフトさせると失業が発生するかもしれませんし、2026年までに日本ののすみずみにまで充電スタンドを置くことができなければ田舎で車がつかえなくて困るといった話があるかもしれません。ゆるやかに普及させればよいのに、性急に事を進めると不都合が出るという立場ですね。
ここで重要なことは、単に「電気自動車は部品が少ないので自動車産業の仕事が減って失業する」といった話だけでは、説得力が弱いだろうということです。電気自動車が本当にエコで、部品も少なく安いのだとすれば、それはよいことだと考えるのが普通でしょう。我々にはそろばん職人のために電卓を我慢してそろばんを使う必要はないのですから。もし失業問題を軸にすえたいのであれば、無理やり生産転換させることで急な失業が発生するといった特殊事情を論じる必要があるのではないでしょうか(それでも個人的にはあまり強い議論とは思いませんが…)。

肯定側としては、このままでもゆるやかに電気自動車が普及するということを前提に、それでもなお急速に電気自動車を普及させるべき理由を論じなければなりません。地球環境問題は一刻も早く対策すべきであるという議論もありえるでしょうし、国策として電気自動車を推進することが結果的に国際競争力を高めるという議論もありえましょう。何にせよ、電気自動車は素晴らしいということを述べるだけでは、「2026年までに他の自動車を排除する」ことを正当化することは難しいのではないか、という意識を持ってほしいです。

高校論題(一院制)について
高校論題については、いろいろ検討すべき点がありますが、ここでは一点だけ取り上げます。それは、「民意」という言葉の取り扱いについてです。

試合を聞いていると、やたらと「民意」という言葉が出てきます。ある試合では「真の民意」なる言葉も出てきて、どこかに偽りの民意があるのかよ、と思いながら聞いていたりしました。
これは他の論題でもそうですが、ディベートで重要なことは、言葉の意味を具体的に詰めていき、イメージとして結実させていくことです。法科大学院で教わった中で印象的だった言葉の中に「法律家は具体的なものは抽象的に、抽象的なものは具体的に語れるようにならねばならない」というものがあるのですが、これはディベーターにとっても大切なことだと思います。
(だから、Japanがうるしだとか言って辞書を引くだけで何の説明も与えないのは、ディベートでもなんでもない言葉遊びでしかないのです…というのは、高校生の選手には関係のないことですが、一応断っておきましょう)

では、一院制における「民意」とは何でしょうか。結論から言うと、答えは一つに定まるものではなく、場面ごと、文脈ごとに異なる意味の「民意」が問題となってきます。
全てを説明する能力も紙幅もないのでここではいくつかに絞って例をあげましょう。

まず考えられるのは、「多数決の結果としての『民意』」と「討議の結果出てきた個々の意見それぞれを捉えた『民意』」です。前者は「結果」を、後者は少数意見も含めた「過程」を問題としているということができます。
前者の考え方は、多数決で決まったことが国民の意思であり、それに沿うことが国会の役割であると帰結することにつながりやすいでしょう。すなわち、衆議院と参議院が同じ結果だとしたら、一方は無駄だったということになるはずです。
一方、後者は結果だけでなく、その途中で出てきた意見それぞれに意味があると考えることになります。ここでは、たとえ結果に反映されないとしても、いろいろな意見に配慮することが「民意」を大切にしていることだということになります。

次に考えられるのは、「昔の『民意』」と「現在の『民意』」という、時間軸での考え方です。分かりやすく言えば、昔の選挙結果と今の選挙結果が違う場合に、それをどう評価するかということです。ねじれ国会の問題は、本質的にはこの点をどう考えるかということになるのではないでしょうか。
昔の民意にも意味があると考える立場は、その時々の風潮に流されて意思決定することは望ましくないと考え、一度選挙に勝つだけでは簡単に政権を維持できないという状況を好意的に見ることになります。ここからすれば、ねじれ国会も相応の意味があると考えることになるでしょう。一方、活きのいい民意が尊重されるべきだと考えれば、古くなった民意により支えられている議院に邪魔されている現状は望ましくないということになります(ねじれ国会の問題は「参議院が邪魔」だと説明されたりしますが、直近の参議院選挙で民主党が勝ったという経緯からすれば、むしろ昔の選挙で支持されていたに過ぎない衆議院が邪魔であり、はやく解散して国民の信を問えという話になるはずです)。
*そもそも、衆参の与党の違いは「民意の新旧」とは違うところに理由があるという説明も可能です。例えば前の衆議院選挙では郵政問題が前面に出された一方、参議院選挙ではそのような議論がメインではありませんでした。つまり、今も昔も民意が変わっていない部分があり、たまたま前の選挙と現在の選挙で争点が違ったから投票行動が違っただけだということです。この場合、新しい選挙の結果を優先することは、現在の民意のうち前の選挙で意思表示された部分に反してしまうということにもなりかねません。

ここで重要なことは、上記のような「民意」のうち、いずれが望ましいかという点に答えはないということです。それは、論者の立場(肯定側か否定側か!)や、その議論の想定している場面によって異なってきます。
それは皆さんが考えることですからここではこれ以上説明しませんが、まずは皆さんが具体例として挙げている事例や、使っている資料について、そこで問題となっている「民意」とはいかなるものであるのか、じっくり考えてみてください。その上で、なぜその「民意」が重要なのか、相手方が語るであろう「民意」と比べて優先されるべきなのか、ということを詰めてみてほしいということです。


以上が、今季論題について思ったことです。
その他、プランがらみの理論的問題についても取り上げるべきかという問題はありますが、東海大会では幸いにもそういう話が出なかったので、今日はやめておきます。
コメント
この記事へのコメント
固有性関連の議論について
こんにちは。某K高校の二年生、H.Aと申します。
予選大会では第一試合の否定側でジャッジをしていただいたと思います。
そこでなのですが、少し立論の組み方で質問があります。
固有性と敷居値の話です。

今回の大会で使ったデメリットは、「世論政治の消滅」と銘打って、
現状分析で「世論が反映されていると思っている人は少ないよ~」と数値を用いて立証し、
発生過程で参議院の世論反映の仕組み(今あることは立証)が無くなって、世論が反映されなくなる、
これ以上世論が反映されなくなるのはよろしくない、政治が大変なことになる主張いたしました。

これはまあ、自分の勘違いなのだと思いますが、「敷居値」の議論をしたいなぁ、と思ったのです。

「敷居値」という言葉をどこから聞きつけてきたのかと申しますと、予選大会一週間前に行われた練習試合の
ジャッジの講評からなのです。

その時自分は試合に参加していませんでしたが、そのジャッジは、デメリットの「憲法改悪が安易に行われる」について、大体こんなことをおっしゃっておられました。
「憲法9条が改正されたとして、深刻性で述べているような中国との関係の悪化、特に経済関係の悪化が本当に起きるのか、イマイチよくわからない。現状起こっている問題の『深刻性』がわからないのだ。固有性を立証するにはいくつか議論の方法があって、一つは線形性、リニアリティー。二つ目は敷居値(?)という議論、今回有効だと思うのは三つ目の『崖っぷち』という議論の方法で、現状で中国との関係はギリギリで、少しでも悪くなるともうとんでもないことが起きるということを立証することだ」

これを聞いて自分は「ふむふむ。なるほど」と思い、「崖っぷち」という議論を使えば、『民意が反映できなくなる」というデメリットを強化できるかもしれないと着想したのです。世論に基づいた政治が決定的に行えなくなる、という感じです。(それを立証したかは微妙ですが)

そこで作り上げたデメリットを大会の第一試合で読み上げたところ、誰からも不評でした。特に主審の方からは「今民意を反映していないと言うのなら、これ以上反映されなくたって同じだよね。それよりも民意を反映する方が大事に思える」というようなコメントをいただきました。

これを聞いてまたも自分は納得し、代表決定戦では世論反映についての現状分析をばっさり捨てて、余った時間で反駁をすることにしました。

一度は納得したことなのですが、まぁ一回踏み込んだ議論ですから、もやもやしたままではしょうがないと思って質問いたします。

固有性の議論である「線形性」や「敷居値」という議論は、どういう立証をすれば説得力があるのか、ということです。

今回デメリットに組み込んだつもりになっていましたが、よく考えてみるとよくわからないまま立論に組み込んでいました。ここはぜひいつかのディベートに生かすために、お聞きしておきたいと考える所存です。

よろしくお願いします。
2009/06/30 (火) 17:40:50 | URL | 某K高の二年生 #3lCNfF7A[ 編集]
ご質問ありがとうございます
>H.Aさま
コメントありがとうございます。

大会お疲れ様でした。
以下、質問にお答えいたします。

1.固有性を立証する方法
前に関連したテキストを書いたことがありますので(前にやった関東の反駁セミナーで配られたようです)、そこから抜粋して説明します。

線形的増加(Linearity)による説明
やればやるほど影響が大きくなる、という比例的な影響を前提とした説明方法です。「(今でも審議時間は十分でないかもしれないが)審議時間が減れば減るほどまずい立法の出る可能性が高まるから、プラン実施でそれだけ悪い可能性が出てくる」といった説明になります。残しやすいのが特徴ですが、インパクトに欠けるところもあります。

限界点(Threshold)による説明
いわゆるしきい値の話です。世の中には、徐々に起こるのではなく、ある一定の点を越えたときにはじめて表面化するといった問題が少なくありません。例えるなら、豆電球に流す電流を徐々に強くしていくと、ある段階でフィラメントが切れて電球が壊れてしまうような場合がこれに当たります。この場合の「フィラメントが切れるに至る電流の強さ」が限界点(Threshold)であり、これを超えるか超えないかを意識した説明をするのが、この方法です。
この説明では、①限界点が存在すること及びその内容、②プランの影響が限界点を超える/超えないということ、の2点を証明することが求められます。単に「プランによって限界を超える」と言うだけでは説得力がないので気をつけてください。

現状がギリギリの局面(Brink)という説明
現状が既に問題が起こる一歩手前の瀬戸際であり、そこでプランを導入すると、それが決め手になって問題が起こってしまうという説明の方法があります。例えば、「現在与党が危険な憲法改正の意欲を持っており、参議院で野党が多数であるから憲法改正の発議がされていないが、ここで一院制にして衆議院だけにすると与党による憲法改正の発議が可能になってしまう」という議論がありえます。

世論の話をデメリットにしたいのであれば、現在世論の反映具合のひどさがギリギリの状態にあるが、参院廃止でこの限界を突破してしまうという形の説明をすることになるでしょうか。しかし、現状が「ギリギリ」といえるのか、参院廃止が劇的に限界を突破させるものなのか、立証することは難しそうに思えます。
また、そこでいう「世論」の意味が多義的であることについては、本文を参照してください。

2.試合の講評の補足
大会第一試合では、僕は一応否定側に投票しておりますが、あのデメリットを「民意」の問題としては採っていません。実質的に審議の質が下がることを言うものだと理解して評価しています。
なぜかというと、世論が十分反映されていないこと、参議院に世論形成の意味がありうることは示されていたものの、後半のエビデンスは全て審議の成果などを述べており、民意が喚起されたとか、民意によって法案が修正されたということを直接示していないからです(出典も元議員とかでしたよね?)。
民意の話で推したいのであれば、どこに民意が反映されるのか(多くの場合選挙でしょうね)、そして参院がそこでの反映具合にどういう影響を及ぼすのかといった分析をされる必要があるのではないでしょうか。

以上、とりあえずお答えいたしましたが、何かあればまたコメントください。
2009/06/30 (火) 19:50:07 | URL | 愚留米@管理人 #tX1BiP8k[ 編集]
ニコ動にS弁論上げました
Sの弁論をニコ動に上げました。良かったら見てあげて下さい!
また、この書き込みが問題でしたら遠慮なく消しちゃって下さい。
あと関係ないけどステルスモモかわいい。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7537418
2009/07/16 (木) 00:55:02 | URL | 某T大のW井 #W7FhvERE[ 編集]
ご苦労様です
>W井さん
ご苦労様です。実は前から知ってたのですが、割とコメントがついてていい感じですね!
せっかくなので、後日S弁論の批評記事でも書くことにします。
あと関係ないけど衣もかわいいですね

*関係者以外に説明しておくと、リンク先の動画は今年の東大五月祭で開催された弁論大会で東大弁論部のSくんが披露したエンターテインメント弁論です
2009/07/16 (木) 01:07:31 | URL | 愚留米@管理人 #tX1BiP8k[ 編集]
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