愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
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第14回ディベート甲子園の簡単な感想
先日第14回ディベート甲子園が終わりましたので、その感想でも書いておくことにします。弁論についての文章はまた後に回します。

今年も僕の仕事はジャッジ配置で、前線でジャッジをしたのは1日目の高校リーグ戦1試合だけでした。あと、例年はホールでの中高決勝でスクリーン用のフロー取りをしていたのですが、今年から分業制になり、僕は高校決勝だけを担当していました(今年はスタッフがステージ上から見えていたので無意識のうちに僕が視界に入っていたかも…)。
今年はなぜかスクリーンの表示情報が増えており、また仕切りがなくなり打ち込み役との連絡も例年より小声を意識せざるを得なかった(選手に聞こえてしまう!)ことなどもあり、フローに議論の内容をあまり取れなかったので、詳細な感想は書けません。そこで、決勝戦については簡単な印象を記すにとどめ、伝聞で聞いたことや地区予選からの感想からした昨今の問題点について思うところを書くことにします。例によって高校中心です。

1.今年の高校決勝戦の印象
今年の高校決勝は肯定側が早大学院、否定側が東海高校で、最終的に早大学院が優勝しました。おめでとうございます。
早大学院は地区予選決勝でジャッジをしており、そのときにも肯定側の議論を見たのですが、正直なところ議論の水準は高いものではなく、(もちろん他のチームよりは上手かったと思いますが)否定側の創価に比べると1段か2段違うなぁという印象を受けていました(余談ですが、そのときは3-2で創価が勝ったものの、5-0の試合だと思っていたので主審をやりづらかったです。2票が誤審だったという趣旨ではありませんが、正直なところあの試合で肯定に入れるのは苦しかったのではないかと思います)。
しかし、決勝で聞いた早大学院の議論は、立論の完成度も上がっており、何よりも試合の展開が計算されていて、完成度の高い上手さを感じさせられました。特にベストディベーターになった2ARのまとめは秀逸で、伸ばすべき議論を完璧に伸ばし、簡潔かつ分かりやすい争点まとめをしており、素晴らしかったです(気をつけるべきことは、あのスピーチは2ARの彼が上手いというだけではなく、立論段階からあのまとめを計算していたから成功しているのであって、2ARの彼にあこがれているだけでは真似できないということです)。

今季論題は難しすぎた感もあり、誤解を恐れずに言えば、決勝戦についても議論内容の水準は必ずしも高くありませんでした。肯定側立論も一院制の構造的問題という観点から掘り下げた議論ではなく、オチは公明新聞の暫定予算に関するエビデンスという、個別の一事例にすぎない問題です。
この点、例えば練習会で見た創価の議論は、ねじれ国会の問題の本質は重要法案がそもそも審議されなくなるということであり、一院制によって国民の信任を得た政党が責任を持って政策を実現していく仕組みを作るべきだというストーリーを用意しており、今季見た中では出色の議論と感じましたが、あまりに大会直前だったこともあり完成度が上がりきっていなかったのかもしれません。この議論は要するに二大政党制を志向すべきという議論であり、政権選択のあり方まで議論できていたという点では、論題の趣旨に肉薄した試みと言ってよいでしょう(もちろん他にも迫り方はありえます)。
否定側はより残念で、正直デメリット2つは目新しいものではなく、さすがに決勝に来ただけあって相対的によくはできていますが、どうやって勝ちたいのかイマイチ見えてこないし、反駁も肯定側の戦略に全然当たっていませんでした。肯定側が「ねじれの遅滞は野党が党利党略のため不合理に邪魔しているせいであり、評価すべきでない」という筋で伸ばしてくるのは明々白々でしたから、否定側はここを徹底的につぶすべきでしたが、第一反駁でそれを怠った時点で、あの試合の負けはほぼ決まっていました。相手が相手だけに、ポイントを外すとそれだけで致命傷になります。
*こう書くと決勝戦がしょぼかったと言っているように思われるかもしれませんが、以下述べるように別の見所もあったし、難しい論題に対して頑張っていた点、否定側もスピーチの水準としては決して悪くなかった点、少なくとも相対的にはよい議論だった点などもありますので、今季論題の決勝戦としてはよい試合だったと思っています。なので関係者の方が読まれた際もがっかりしないでください。

ただ、この試合では、議論の内容というより、肯定側が立論段階からまとめをきちんと準備し、それを質疑、第一反駁、第二反駁と忠実に伸ばし、相手の議論を絡め取った上で完成させたという「美しさ」が大きな見所になっていました。この点では、僕がこれまで見たどの決勝戦よりも水準が高く、先ほども述べましたが2ARは本当に感心させられました。立論段階から「こう伸ばすんだろうなぁ」と思っていた部分は全て伸ばしきり、反駁の議論も含めて主要争点すべてについて優位性を説明しきったところは、フローを取りながら拍手しそうになりました。
特に選手の皆さんに参考になると思った議論を挙げておくと、上で「しょぼいオチ」と言った公明新聞のエビデンスの伸ばし方です。多くの試合では、この資料(参議院でろくに審議されず予算が下りなかったので生活道路の建設が止まり中小企業が倒産の危機…みたいな)を伸ばす際には「実際に被害が出た!」とかいうことを強調するのですが、この資料のキモはそんなところではなく、むしろ「野党が参議院では真面目に審議しなかった(たった6時間だけ)」というところです。早大学院はこれをきちんと分かっていて、他の議論との絡みできちんとそのように伸ばしていました。これは議論全体が見えていないとできないことです。決勝をご覧になった方はフローを見直して確認してみてください。

というわけで、今回の決勝戦では「議論を伸ばすとはどういうことか」という観点から、非常によい参考例が提示されたと感じました。選手の皆さんは特に肯定側のスピーチの上手さを感じたと思いますが、そこで感じた上手さは決して「スピーチが上手い」ということから来ているのではなく(もちろん上手なのですが)、議論がきちんと練りこまれており、それを忠実に伸ばしていったことによるのだということは、きちんと理解しておいてください。ディベートにおけるスピーチの美しさは、議論の中身と不可分であるということです。

2.選手の皆さんに求めるもの
これは以前から感じているのですが、多くのチームに共通して問題であるのは、反駁がほとんど意味をなしていないということです。第一反駁で意味のある議論をしていたと思えない試合が相当数あるというのが、僕の正直な感想です。そしてそれは、今年全国大会で見た唯一の試合も含め、いわゆる名門校と言われるチームでも例外ではありません。

ディベートジャッジは、証明された議論のみを評価します。逆に言えば、証明されていないと感じた議論は、ディベーターがどうこう言わなくても評価しません。ディベーターの仕事は、ジャッジに「証明がない」ことをアピールすることではなく、相手の議論の証明を妨害したり、自身の議論を証明することです。
もっとはっきり言えば、僕を含めた多くのジャッジは、「~の議論はあいまいだ」とか「~には証明がないので取るな」というだけのスピーチにはうんざりしているということです。それはジャッジにとって分かりきったことを述べているだけで、勝敗には何ら影響しない指摘です。だいたい、そういう指摘しかしないチームにかぎって、自分の立論も全然証明されていません。ましてや「中小企業が倒産するインパクトは小さい、あいまいだ」などと述べるに至っては、この選手は想像力が足りないのではないかと思わされてしまいます(もちろんデメリット等を引き合いに出し、「~に比べれば小さい」という議論は十分ありえますが)。

反駁とは、相手の議論にケチをつけるだけではなく、それを上回る理由付けをしなければなりません。「~の理由がない」と指摘した後には、「そして実際には~という理由で間違っている」という議論を展開すべきです。簡単に言えば、エビデンスをもっと読むべきです。エビデンスがないとダメという趣旨ではありませんが、普通に考えて、エビデンスで固められた立論をダウトだけで完全否定できるなんてことはないでしょう(だったら皆さんは何のために立論でエビデンスを読むのでしょうか)。
一度、練習試合ででも意識的に「ダウト禁止」の第一反駁でもやってみると面白いかもしれません。自分のスピーチにどれだけ理由があるか、試してみるということです。そうすれば、反駁ブリーフを作ることの必要性もわかってくるはずです。

なお、ダウト単独であっても、意味のある反論はありえます。それは、なぜその証明がないとダメなのかを丁寧に述べるダウトです。ジャッジに新たな心証を抱かせることが反駁の仕事ですから、相手の議論に何が欠けていて、それが欠けていることで相手の議論がどう評価されるべきかということが的確に指摘されれば、ジャッジの心証を変えることは可能だということです。しかし、それでも反駁者のすべき仕事は、まずは相手を上回る理由付けです。

以上は反駁についてのコメントですが、証明が足りないというのは立論についても同様です。実はこれには理由があるのかなと思っているのですが、僕の仮説は「最近はディベーターの意識が上がっていて、『論題の本質』みたいなものを意識するあまり、理由の薄弱な抽象論に走りがち」というものです。事実、今季は民主主義論や民意論を展開するチームが多かったのですが、そのほとんどは独自の見解であり採用しがたいか、そもそも趣旨が不明というものでした。また、一応筋の通った話をしているチームでも、「多様性は素晴らしい」「少数意見は大切」といった話を無前提にしていて、キモの証明が欠けている残念なところが目立ちました。
この点、優勝した早大学院のケースは、あえてそういう話を省いてまとまった議論で固めており、一つの選択としてアリかと思わされました。理解できない大風呂敷を広げるよりは、理解した範囲の議論を極めるということです。

もちろん、論題の核心なるものを目指し、抽象論も含めた重厚な議論を志向するのはよいことです。僕個人もそういう議論を目指していますし、聞き手としてもそのような骨太な議論を期待しています。しかし、往々にしてそのような議論は難しいです。基本的な論点につき議論を詰めていないチームが、いきなり民主主義がどうとか語るということは無謀でしかなく、良い結果は生みません。
今季であれば、例えばねじれ国会の功罪という点について、一通り典型的な攻防(立論と反駁)を完成させていないのに、そこで問題となる「民意」について掘り下げるというのは無理のある話です。典型的な議論を埋めた上で、そこで抜きん出るためにはどういう角度付けが必要かと悩む中で、はじめて議論の次元は上がっていきます。もちろん、論題の勘所を掴んでいたり、熟達したディベーターであれば、最初からある程度のレベルの議論を組めるでしょう。しかし、僕も含めた多くのディベーターはそのレベルに達していません。ですから、コツコツと一歩ずつ議論を掘り下げるしかないのであって、ちょっと上手く行かないからといっていきなり抽象論に飛びつくというのは感心できません。ねじれ国会のケースについて一通り反論も出来ないくせに難しい議論作ろうとしてもダメですよ、ということです。

また、決勝の感想でも述べましたが、ディベートにおけるスピーチの美しさは、議論の中身と不可分です。負けた選手の中には「もっとスピーチが上手ければ…」ということを思った方がいらっしゃるかもしれませんが、ほとんどの場合負けた理由は単純で、議論が充実していなかったからです。そもそもスピーチが下手でも議論の中身で勝っていれば評価するのがディベートという競技です。スピーチどうこうと言う前に、まずは反論の中身を見直してみましょう。自分たちは相手の分析を否定する理由付けを出せていたのか、と。ダウトの後に反対の理由付けをしなければ意味がないという感覚を叩き込むだけで、全国大会ベスト16くらいは固いのではないかと思います。


以上、選手への小言のような内容になってしまいましたが、せっかくの努力が必ずしも議論内容の充実につながっていないように思われるので、敢えて厳しく書いてみました。

ディベート甲子園も14回を数え、選手の方々も洗練されてきている部分があるように思います。それが一つの形で結実したのが今年の決勝戦ですが、その一方で、「よいスピーチ」についてそれがなぜよいのかが十分理解されていない気がするというのが、上記感想の要約です。
そして再度僕の言いたいことをまとめると、ディベートで大切なのは議論の中身、もっと言うなら理由付けであって、スピーチの表層的な上手さを求めてもディベートでは勝てないし、スピーチとしても美しいものにはならないということです。相変わらず偉そうな物言いで恐縮ではありますが、選手の方々に何かしらの示唆を与えることができたとすれば幸いです。
コメント
この記事へのコメント
おはようございます。
甲子園はお疲れ様でした。

記事を見ていると、「あー、自分のことだな」と思うことが多く、いまさら後悔の念が浮かびます。
高校生としては今年で終わりですがこれからも頑張りたいと思います。

ありがとうございました。
2009/08/19 (水) 06:06:16 | URL | 金武@修猷館OB #-[ 編集]
大会お疲れ様でした
>金武@修猷館OBさま

大会お疲れ様でした。結果は満足いかなかったものかもしれませんが、今大会に向けて努力してきた内容の貴重さには変わりありませんし、ディベートは大学以降でも続けられますので、今後に活かしていただければ幸いです。

試合後は運営上の都合で十分に質問に答えられず、かなり無愛想なことになってしまいましたので、ここであの試合に関係していくつか補足しておきます。

第一に、判定理由についてですが、僕の判定理由を要約すると、「デメリットそのものは評価できないが、デメリットの趣旨からするとメリットを評価すべきでないと考えたので否定側」という、ずいぶん消極的なものでした。メリットは評価方法によっては事例限りで発生を認めてもよさそうに思えるところでしたが、デメリット及びそれを援用した反論が「過程が大事であり、結果だけで評価すべきでない」ということを述べていたので、結果の一例だけでメリットを取るのはやめようと考えたということです。
一方、どういった過程が大事なのか、 二院制と一院制でどう過程が変わるのかといった点については証明がなかったので、デメリットそのものは評価していません。つまり実質的にはメリット=デメリット=0に近いのですが、デメリットにおける主張立証がメリットを切っているという限りでは、デメリットに意味はあったという感じです。

第二に、どこが悪かったかという点で、この部分はかなりぶっきらぼうに答えてしまいましたが、もう一度お答えしておくと、もっと具体的に問題を摘示した上で、そこで問題となっている価値をきちんと論証すべきだということでした。多様性の反映される過程が重要であるという議論の筋は十分ありうるし、民主主義において重要な考え方だと思います。しかし、ジャッジはそれを無前提に取ることができませんから、肯定側の想定する価値観との対比で、なぜ、どういった過程が重視されるべきなのかということを、きちんと述べるべきでした。また、二院制における野党の声がそれを代表するものであるということについても論証が必要でした。
皆さまの議論を聞いて感じたのは、いろいろ悩んだ上で一つの筋を見出したのだろうということです。それは、金武さんが立論を援用しながら第一反駁をしていたことからもうかがえます。しかしながら、その援用された議論には裏づけが十分でなかった。それが、上記のような低評価の理由であり、惜しかった点です。今後は、抽象的なものを具体的に、具体的なものを抽象的に論じるということを意識していただければ、ジャッジに伝わる議論ができるようになると思います。

*ほかにも質問があればこの場でしていただければお答えいたします。先ほどブログを拝見したところ「定義が曖昧だった」というコメントがありましたが、どのあたりが説明不足だったか指摘していただければ可能な限り応対いたします。

本文でのコメントは金武さんに限らず多くのディベーターに当てはまることではあるのですが、逆に言えばそこを改善するだけで全然違ったレベルのディベートが展開できるということです。今後も是非ディベートに関わっていただければ、大会運営者としてもいちディベーターとしてもうれしいです。
受験勉強も大変かと思いますが、頑張ってください。応援しております。
2009/08/19 (水) 20:56:34 | URL | 愚留米@管理人 #tX1BiP8k[ 編集]
こんばんは、早大学院で2反を担当しました夏苅【なつがり】です。
お褒めのお言葉をいただいて本当に光栄です。しかし、僕がやったのは愚留米さんもおっしゃっていた様に立論以下のポジの人がやってくれた要点を伸ばしただけです。

議論において第2反駁は最終ポジでもあり、まとめもするからスポットライトを当てられがちですが、実はみんなが引いてくれた線路のおかげなんだと本当に感じています。

そういう意味では、2反にしかできない大事なお仕事「比較」が決勝戦では充分にできなくて未練がある、というのが正直なところです。(メリットの『党議拘束05年』の議論をまとめる為に時間を割いたためです)

言ってしまえば、ちゃっちぃ実害や実績の例なんかどうでも良くて、「結局今の日本には一院・二院どっちが望ましいの!?」っていう部分を比較したかったです。それこそ僕に託された仕事でしょうし。 
単純に「あと10秒ほしかった」というところです。

でも、愚留米さんのこの記事で僕らの『方程式』はきちんと立っていたんだと、確認できて嬉しかったです。ありがとうございました。

これからも後輩たちをよろしくお願いします。失礼しました。
2009/08/20 (木) 01:22:24 | URL | 早大学院の2AR #-[ 編集]
優勝おめでとうございます
>夏苅さま
コメントありがとうございます。

決勝戦での議論はチーム全体での戦略が結実した、見事なものでしたね。もちろん全員スピーチも上手で議論を把握しているわけですが、そういったメンバー全員が協力して最後まで議論を展開しきるというのは、ディベート甲子園ならではの魅力だと感じました。大学以降だと2人チームが主なので。
あの試合を見て、格好いい第二反駁にあこがれる選手がたくさん出てほしいのですが、それと同時に、第二反駁を支えるほかのパートの魅力にも気づいてくれる人が増えるといいなぁと思っています。自分は高校時代は全パートやった上で高3で第一反駁と第二反駁をやっていたのですが、正直なところ早大学院の皆さんのような意識までは至れていなかったように思います。現役時代にああいう決勝戦を見られた選手の方々は幸せだと思います。
(かかる試合を演出した対戦相手の東海高校も素晴らしいチームだったということは言うまでもありません)

第二反駁で比較ができればなおよかったというのはそうかもしれませんね。これはもうさらに高い次元の問題で、僕自身もなかなかできないところですが、議論の取捨選択というところまで意識するという課題ですね。
皆さんのレベルであれば、戦略上議論に優先順位をつけることはできたはずです。要するに、全論点を取らなくても勝てるということです(特に肯定側は最終スピーチなので)。フローを詳細に取れていないので決勝戦に即して具体的にコメントするのは避けますが、優先順位の低い議論に言及する時間を減らしたりすれば、総括につかえる時間を捻出できたかもしれません。

ああいう試合をきちんと展開しているチームですから、後輩の方々もきっと志を受け継いでよいディベートを続けてくれるのではないかと期待しています。
夏刈さんも、機会があれば今後も何らかの形でディベートに関わっていただければうれしいです。
2009/08/20 (木) 23:49:21 | URL | 愚留米@管理人 #tX1BiP8k[ 編集]
詳しい解説ありがとうございました。

今思い返してみると「確かに」と思う部分が一杯です。

今回の否定側では、「まずは相手の実例の価値を0にして、次にMとDMの比較に持っていこう」という戦略をとっていました。その意味では、前半部分は自分の意図どおり伝わっていたと思います。

「具体性に欠ける」という指摘はもっともで、立論を見返すと実例がほとんどありません。それは、準備不足にあったのだと後悔しています。
過程の比較段階では、伊藤真のエビを使って、「政策の是非は議論している最中も、実施した後もわからない。それよりも、議論を封殺せずに、野党の意見にも耳を傾けるべきだ」と主張したかったです。

「野党≠少数意見じゃないか?」という指摘は、こちら側のスピーチに問題がありました。自分たちは「国会の中での少数派の意見を現在では参議院が伝えているが、プランを導入すると、少数派の意見をないがしろにしてしまう」という趣旨で、国会外の意見の多寡は関係なく、「国会中で、どれだけ意見を言えるか」に重点を置いていました。

抽象⇔具体 は一番悩むところでした。「参議院で、国会内の少数派が、意見を言いやすい」という理論と、その実例を探すことは困難を極め、最終的に、立論現状分析の民主党のエビになりました。

発生過程で、「衆議院において与党が野党の質問を打ち切って強行採決した」というエビを入れておけばなぁ・・・と思いました。

なんだか、後悔ばかりが残って、書いていて涙が浮かんできました。もう少し落ち着いて、質問をさせていただくこともあるかもしれません。そのときは、どうかよろしくお願いします。
2009/08/21 (金) 05:33:11 | URL | 金武@修猷館OB #-[ 編集]
これからの活躍に期待しています
>金武さま

議論の話に関しては、単に実例を入れればよいという話ではなく、一つ一つの話にきちんと説明をしていこうということですが、だいたい僕の言いたいことはお伝えできたように思います。
(あと蛇足ながら、伊藤真は予備校講師なので権威性が弱いので、もっとよいエビを探すべきでしたね)

僕も負けた試合で後悔することはありますし、高校時代ディベート甲子園で負けた後も何ともいえない脱力感があったりしましたが、それでもその時のことがあったから今の自分があるのだなぁと今では思えています。
今回到達できなかった点は次の機会に克服することができますし、皆さんは全国大会という場で多くのものを得たはずです。完璧な議論などというものはほとんどないし、優勝校も一大会でたった一校しかありませんが、みなさんが打ち込んできた時間、展開した議論には、それぞれの意義があります。前向きな気持ちで次の挑戦に進んでいただければうれしいです。

質問などありましたらまた気軽に書き込んでくださいね。
2009/08/24 (月) 01:45:34 | URL | 愚留米@管理人 #tX1BiP8k[ 編集]
>愚留米 様
コメントありがとうございます。
確かにそのとおりでした。
もう少し詳しい解説を入れておけば、立論・反駁の意図ももっと伝わっていたのにと思うことが一杯です。また、説明に沿った実例も入れることが出来たのにと思いました。自分の文章を読んだ上で具体的に、どのような実例があったら、立論は改善できたと思われますか?
2009/08/24 (月) 02:41:03 | URL | 金武@修猷館OB #-[ 編集]
>金武さま

フローが手元にありませんので詳細なコメントはできませんが、特に説明がほしかったと思われるのは、以下のようなところです。

①民主主義では「どのような」過程が「なぜ」(結果より)優先されるべきなのかという理論的説明
②少数意見の反映が重要である理由の理論的説明
③参議院において過程が重視されていること、特に立論での文脈からして、少数意見が反映されていること

①については、皆さんも悩まれたように、伝統的に問題とされているところです。僕も政治学の講義で昔触れた程度の不勉強な人間ですから具体的にお勧めの本を紹介することは控えますが、Robert A. DahlやArend Lijphartは民主主義について議論するうえで避けては通れない論者であり、彼らの主著を読むことでヒントを得ることができるでしょう。
そのほか、「熟議民主主義」というキーワードで調べてみても有益な示唆が得られると思います。

②については①と関係しますので、これも調べてみてください。他のチームにも言えることですが、引用された文献を聞く限り、政治学の古典的な文献や専門的論文には十分に当たられていないように思われました。そこまで読むのは大変だと思いますが、皆さまの有する高い問題意識を正当化するためには、相応のリサーチも必要でしょう。
*今季論題は「一院制」のキーワードそのもので探しても資料が見つからず、リサーチは難しかったと思いますが…

③については、実例がほしかったところですね。できれば「参議院ならでは」という理屈とともに提示されるべきです。
その理屈として試合で見かけたのは、「参議院は選挙制度や任期の違いから長期的で多様な視点を持っている」とか「参議院ではタイムラグにより世論が喚起され、これを受けた議論をすることができる」というものでした。これを深める方法は一つありうるでしょう。また、ねじれ下での「妥協」事例にも、有益な実例が見つかるかもしれません。
2009/08/24 (月) 21:11:49 | URL | 愚留米@管理人 #tX1BiP8k[ 編集]
>愚留米 様
ありがとうございました。
①については、部の中で見解をまとめることは出来ていたのですが、証拠を集めるにはいたっていませんでした。また、プロセスについてはもっと突き詰める余地が有りました。

②については、「民主主義は、『少数意見が正しい可能性があることを認める』制度であり、少数意見を切り捨てるのであれば、民主主義の根幹を揺るがす」と理論は考えていたのですが、ご指摘のとおりリサーチは全く不足していました。頭の中で浮かんだということは、どこかで聞いたことがある主張であるはずなので、もう少しリサーチが必要だったと思います。

③については、ねじれ国会下の妥結というプロセスは避けていました。というのも、妥結する理由が必ずしも議論の結果であるか(例えば野党が審議拒否をして重要法案が廃案になるのを恐れるからではないか)疑わしかったからです。

このことから考えて、「十分に時間が有ったと考えられる時期に、参議院において法案が修正された。その修正については衆議院段階では拒否された」例を探した結果が、民主党の証拠になりました。参議院独自の理由としては、「参議院では政党の対応が柔軟になる」ことを証拠で示し、実例として、「衆議院では与党が修正を拒否したが、参議院で何とか修正した」例をもってきました。
発生過程では、衆議院では「政党が感情的な対応に走りやすい。例えば乱闘国会である」という理論上の証拠を当てていました。ここで、「衆議院で野党の質疑を打ち切って強行採決した」例を出せばよかったのかもしれません。
2009/08/25 (火) 00:10:01 | URL | 金武@修猷館OB #-[ 編集]
返事がおそくなってすいません
>金武さま

特にねじれ国会の話についてコメントしておくと、「妥結する理由が必ずしも議論の結果であるか疑わしかったから」というのはそうですが、ここは肯定・否定それぞれの立場で議論できるように準備しておくべきでしたね。
なぜ参議院では対応が柔軟になるのかというのも、考えておいていいかもしれません。一つの考え方は、参議院で譲歩したところで衆議院で決めれば通過できるから、すなわち参議院の力が弱いから、というものです。参議院がある程度強くないと抑止効果は期待できませんが、さりとて抑止できるほどに参議院が強くなると、政権与党としては参議院をも統制しないと政権を維持できないため、参議院も政党化してしまいカーボンコピーになってしまうという議論は十分ありうると思います。
この辺はいろいろ考える余地がありますので、リサーチの上、皆さまがより進んで議論されるべきだったところです。

あと、以下のようなブログ記事がありますので、もしご存知でなければ目を通してみると参考になると思います。
http://d.hatena.ne.jp/tozima/20090825/p1

なお、僕自身もここで言われている「上の理論では単語の意味が曖昧すぎる」ということはその通りだと思いますし、定義のあいまいさによって論証の妥当性が損なわれているということも同感ですが、定義をきちんと考えることの意味は、単に論証の構造がどうとかいう話にとどまらない(むしろそれは以下の問題に比べれば瑣末である)と考えています。

定義ないし概念の表現があいまいであることの問題は、それによって聞き手に「何が問題であるか」が伝わらないということです。つまり「少数意見の切り捨ては深刻な問題である」というだけでは、なぜそうなのか伝わってこないということです。
そこで「切り捨てられる」(この言葉の意味もより具体化できるでしょう)少数意見とは、どういうものでしょうか。具体的な実例だけではなく、なぜ「少数」になってしまうのか、どういう「少数派」の意見なのか、といったところを詰めて考えると、民主主義という仕組みでそうした意見が尊重されるべき(にもかかわらず無視されがちな)理由がクリアになってくるはずです。

言葉を定義するということにより、それを通じて議論の内容をより詰めて考え、聞き手にイメージさせやすいように表現するということができます。
それが、最初のコメントで書いた「抽象的なものを具体的に、具体的なものを抽象的に論じる」ということの意味です。もちろん簡単なことではないのですが、そういうチャレンジに腰をすえて取り組む絶好の機会がディベートという競技の場であり、もしよければ今後別の機会にチャレンジしていただければというところです。
2009/08/30 (日) 02:13:02 | URL | 愚留米@管理人 #tX1BiP8k[ 編集]
> 愚留米さん
    私の記事に言及していただき、ありがとうございます。ところで、

> 定義をきちんと考えることの意味は、単に論証の構造がどうとかいう話にとどまらない(むしろそれは以下の問題に比べれば瑣末である)と考えています。

    とのことで、「以下の問題」に相当する部分を興味深く読ませてもらいました。その感想としては「私の主張と変わらないものであって、別の言葉で言い換えたものである」というものです。私の言う「論証が妥当でない」や「間違っている」と、愚留米さんのいう「伝わらない」はきっと同義なのだと感じました。この理解で良いでしょうか?
    しかし、例え同義であるとしても、伝え方の力点は異なっていることは明らかですし、むしろ「こうやって書けば分かり易かったのかもな」とも思いました。なんにせよ、コメントありがとうございました。
2009/08/31 (月) 02:17:02 | URL | とおじま #-[ 編集]
コメントありがとうございます
>とおじまさま

こちらこそ、コメント欄にまで目を通していただいてのエントリーありがとうございます。

結論としてはとおじまさんと僕の記述は同旨なのだと思います。特に『「少数意見の切り捨て」の意味は揺らいでいる』というところですね。
ただ、僕としては、たとえ各語で意味が同じになったとしても、それでは伝えたかったことが十分に伝わらない場合がありうるというところに力点をおいたつもりです。少数意見がなぜ重要かという理解には、「何となく」という次元から「民主主義の理念に即して」という次元まで濃淡がありますが、とおじまさんのおっしゃる4つの文章で全て「何となく」と理解して意味の違いを同じにしたとしても、デメリットとしては弱いものにとどまるでしょう。
つまり、全体としての意味の整合性というものを最低の次元として考えた上で、なお「意味の揺らぎ」はありうるので、より強い意味になるように定義・理解を深掘りしていく作業が必要であるということです。

*とおじまさんの文章におきましては、標語的論証を避けるように定義を明確化していけば自然と強い意味の探求につながるのだとお考えなのでしょうが、それもそうだと思います

今後もコメントなどいただけましたら幸いです。

P.S.
大会でいただいた謎の酒はおいしくいただきました。弁論部部長の死因(!)にもなってしまいましたが。
2009/09/03 (木) 18:27:19 | URL | 愚留米@管理人 #tX1BiP8k[ 編集]
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