愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
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第15回ディベート甲子園の感想(1:大会を終えた皆さまへ)
去る8月7~9日、第15回全国中学・高校ディベート選手権(ディベート甲子園)が終了しました。
大会結果は、中学の優勝が岡山白陵中学校、高校の優勝が洛南高等学校でした。両チームの皆さま、おめでとうございます。また、そのほか出場されたチームや関係者の皆さまも、たいへんお疲れ様でした。

今年は東海支部の派遣ジャッジとして大会に伺ったので、昨年までの審判管理を離れて多くの試合(4試合)をジャッジさせていただくことができ、そのほかに中高決勝を含めて3試合を観戦しました。そのため、例年より選手の皆さまが議論をしている姿を見る機会が増え、個人的にも充実した3日間でした。
というわけで、これからしばらく、今年の大会について、決勝戦の感想を中心として中学・高校論題それぞれについて感想記事を書こうと考えているのですが、その前に今日は、ディベート甲子園という大会の意義について、思うところを書くことにします。


今年は受験などの関係で実家に帰ってきていることもあり、東海支部の練習会に何度かお邪魔して、中学校を中心にして代表校の指導にかかわらせていただきました。東海支部では練習会の頻度が高く、練習試合を中心にして選手たちが議論を改善する手助けを支部スタッフやジャッジで行っています。
今年の代表校も、学業などほかにやるべきことがあるにもかかわらず、熱心に練習会に足を運び、リサーチや議論構築に励んでいました。僕も含めたスタッフが行うのはあくまでその手助け――議論の添削やアイデアの提案、スピーチの指導など――であって、議論を作るのはすべて選手たちです。そのようにして完成した各代表校の議論は、正直に告白すればまだ改善の余地が少なくないものもありましたが、それぞれに各チームの個性や努力の跡が見えて、代表校の名に恥じないものでした。とりわけ、東海地区予選終了時点と比べたときの各チームの進歩は、出来上がっている議論についてのみならず、チームの結束など精神的な部分でも、とても大きかったように感じています。

おそらく、他の地区の代表校も、環境は違えど同じような努力を重ね、大会に向けて準備されてきたことでしょう。その成果は全国ジャッジとして拝見させていただきましたが、各チームごとの議論の質の差は否めないとしても、どの学校も論題についてリサーチを重ね、チームとして悩みながら議論を作り上げてきたのだろうということは、スピーチから感じ取ることができました。
その成果が優勝という形で結実したのは、冒頭で紹介した中高1チームだけですが、そのほかの中学23校、高校35校の代表校も、それぞれに全力を尽くして準備し、試合に臨んだはずです。そこには、チームの数だけドラマがあり、シーズンを通して論題について考え抜いた成果があります。順位というラベルは違えど、全ての参加校――もちろん、地区予選で敗退したチームも含めて――が、この大会で大きなものを得ることができたはずです。大会を終えた今はラベルの色が気になるかもしれませんが、何年かして振り返ったときに皆さんの中に残るのは、ラベルの奥にあるものです。

ディベート甲子園という大会は、他の競技大会と同じく、優勝という栄誉は各部門1チームしか与えられません。それは、競技として皆さんの努力の目標を定める上で必要不可欠であり、優勝を目指すからこそ成長が得られるのだという意味で、大切なことです。
しかし、僕も含めて、ディベート甲子園という大会にかかわっているスタッフの願いは、選手の皆さまにディベートという競技を楽しんでもらい、その中でそれぞれの議論能力・人間性を育んでほしいというところにあります。ご案内の通り、ディベート甲子園のスタッフの多くは、僕のような大会OBOGから構成されています。その中には、全国大会の頂点に立てなかった選手や、地区予選で敗退した選手もいます(ちなみに僕はベスト8が最高の成績です)。しかし、僕たちOBOGは、ディベート甲子園という舞台で貴重な思い出や経験を得られたと感じているし、それをこれからの中高生にも感じてほしいという想いで、それぞれの立場から大会を支えています。

残念なことに、(これはディベート甲子園に参加された皆さまの話ではありませんが)ディベーターのなかには、ディベートは勝てばよいのだとか、勝利以外に意味はないのだといった短絡的で浅薄な考えを持っている人間もおります。しかしながら、皆さまはそのような寂しい考え方に耳を傾ける必要はないし、またそのように感じることもないと信じています。大会までの間に皆さまが積み重ね、また大会会場で全力で戦って大会を終えた選手の皆さまは、勝ち負けを超えた貴重な思い出を、僕以上に鮮明に心に刻んでいることでしょうから。そういったものを、皆さまには大切にしていただきたいです。
かかる経験や考え方は、これから競技大会を出た実社会で活躍することを望む場合に役立つことは言うまでもないとして、競技ディベートの選手にとっても欠かすべきでないものです。競技ディベートで本当の意味で成功するためには、目先の数試合の勝ち負けだけでなく、議論そのものの洗練を志向しなければならないし、ジャッジや聴衆の記憶に残る名試合をするためには、「ディベートマニュアル」的な考え方にとどまらず、説得的な議論とは何かという点で考え抜き、謙虚に試合に臨む必要があるからです。それを欠くディベーターは、たとえ大会の成績だけがよくても、良いディベーターとは評価されません。

僕がディベート甲子園にかかわってきて一番うれしく思うことは、この大会では上記の意味での「良いディベーター」にたくさん出会えるということです。試合の勝者・敗者にかかわらず、試合をしている選手はみんなよい表情をしているし、それぞれが目標に向かって精一杯議論し、ディベートを楽しんでいます。そうした時間そのものが、今後ディベートを続けるにせよそうでないにせよ、皆さまの人生の支えになるはずです。これは、僕自身が現在強く感じていることでもあります。
そういうわけで、大会を終えた皆さまもいろいろ考えるところはあるでしょうが、一段落したら、大会3日間やそこに至るまでのプロセスについて、振り返ってみてください。終わったからこそ見えるいろいろなものがあると思いますし、その中で、チームを支えてくれた顧問の先生方や親、友人などの存在の大切さに気づけると思います。


ここまでが、議論の内容に関係ない部分で、今大会を見て改めて書いておきたいと思った内容です。
次回以降は、中学・高校論題それぞれについて、決勝戦の感想を述べた上で、議論構築において改善すべき点や、個人的に期待された論題ごとの議論などについて、思いつくままに書いていくことにします。
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